今日は9月1日です。例の通り吉備津様の朝詣会があり、孫たち3人を引き連れてお参り方々、朝餉を頂いてまいりました。
どうして、こんな会が吉備津神社で、催され始めたのかは定かではないようです。
我;高尚先生の「松の落葉」の中にでもと思い、捜してみたのですがありません。
ただ、「五節供」について書かれている中に、
『七月七日に、鬼ノ間の北の障子から入って、朝餉を備えた』
と、あります。
これが吉備津神社の朝詣会の元になったのかどうかは分りません。ちなみに、五節供とは、一月七日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日に宮中などで行う、一年のうち五度の祝いの会なのだそうですが、吉備津様の朝詣会は、毎月の一日にあり(だから別名『一日参り』と呼ぶ)、この五節供のお祭りとは、いささかの其の趣旨は異にしています。
でも、神前でお祓いを受け、新鮮な心になってから頂く朝餉は、本当に質素なものですが、何処でもは味わえない吉備津神社独特な舌触りのする朝の食事の会なのです。
今日は、土曜日でお休みの人が多いということもあって、大変な繁昌振りでしあた。お食事までの待ち時間がいささか長かったのですが、そんなことは一向平気だという顔で畳の間にお座りになり、皆さんお待ちになっていらっしゃいました。
どうして、こんな会が吉備津神社で、催され始めたのかは定かではないようです。
我;高尚先生の「松の落葉」の中にでもと思い、捜してみたのですがありません。
ただ、「五節供」について書かれている中に、
『七月七日に、鬼ノ間の北の障子から入って、朝餉を備えた』
と、あります。
これが吉備津神社の朝詣会の元になったのかどうかは分りません。ちなみに、五節供とは、一月七日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日に宮中などで行う、一年のうち五度の祝いの会なのだそうですが、吉備津様の朝詣会は、毎月の一日にあり(だから別名『一日参り』と呼ぶ)、この五節供のお祭りとは、いささかの其の趣旨は異にしています。
でも、神前でお祓いを受け、新鮮な心になってから頂く朝餉は、本当に質素なものですが、何処でもは味わえない吉備津神社独特な舌触りのする朝の食事の会なのです。
今日は、土曜日でお休みの人が多いということもあって、大変な繁昌振りでしあた。お食事までの待ち時間がいささか長かったのですが、そんなことは一向平気だという顔で畳の間にお座りになり、皆さんお待ちになっていらっしゃいました。