私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

名月や 宮をめぐりて こはんどき

2007-09-26 10:15:08 | Weblog
 名月をめでながら 一晩中、そこらあたりをうろついていることも出来ず、孫達と「お月見」をした後、30分ほど、我家を出でて、参道の松並木の上の名月を眺めながら、吉備津様にお参り方々そぞろ歩きとしゃれ込みました。人っ子一人いないお宮さんは、もう施錠されたており、門扉越しに2礼2拍した後、今夜ぐらい開門していてもよさそうにと、思いながらその周りをめぐります。
 苔むした石垣に沿ってしばらく行くと、垂れ下がった松の枝々が中天の月に照らされて、くっきりと竜神池の中に描き込まれています。池の中の松の枝越しに、また、その月自身も池の中に朧に照り輝いていました。
 高尚先生が言うように「月もかかるところこそすみよきにこそ」と思いながら、普賢院に入ります。本堂越しに見る月影の見事なシルエットに、自然に歩みが止まる心地がしました。
 しばらくの間、新装なった境内で月と翫んだ後、その山門をでて、宮内の街中に出ます、「昔の姿今何処」の感がいたく胸を打ちます。
 「天上影は変らねど 栄枯は移る世の姿、映さんとてか今も尚 ああ荒城の夜半の月」
 と、詠った晩翠の心が突如として胸を付く。
 山陽路の不夜城と謳われた往時の「宮内の里」の姿は何処を捜しても見当たりません。ただ、天中にある夜半の月影だけが、昔と変らず、煌々と物寂しい静寂な街中に照り輝いています。
 それから、「細谷川のさやけさ」をと思い、谷川に沿ってしばらく歩を進めます。木の間より漏れ来る月に心づくしの秋を偲ばせながら、そこにもしばらくの間、佇んでいました。この谷川には、流れを堰き止める大きな淵はなく、そこにまで月影が入り込む余裕はないようです。

 松の参道を再び通り、それこそ月を背にして我家に向かいます。小半時の、名月の夜のそぞろ歩きでした。
 
   中天の 名月に酔うか 吉備の里
   月影は 中山越しに 届きおり

   谷川に 影もだになし 名月は
          木立の上に 舞い跳ねていて  
   月影も 洩らさぬ木々の 下草に
          谷は瀬音を 響き寄せおり