久しぶりに、例の漢文の先生を訪ねました。
さて今日はどんな言葉が飛び出すかな。
この先生、大の阪神フアンです、昨夜の巨人戦について、満面の笑みで、さも得意そうに、檜山選手の打撃フォームまで入れて解説していました。
それからしばらくして、これも、また、例の漢文を上げて、色々と噂されている政治家の皆さんを批判して、彼特有のご説をのたまわれます。
「中庸」という中国の書物に、君子の条件として、
『内に省みて疚(やま)しからず、志に悪(にく)むことなし』
が、あると言う。
その意味は、「自分のことを反省してみて、心に疚しい事は決してしない。また、自分に尋ねてみて気分がわるくなるようなこともしない」と、いう意味なのだそうです。これが君子なのです。政治家も、また、君子でなくてはならないというのです。
『「ついうっかり」だとか、「気が付かなかった」などというのは、志を悪むことですよ。皆、君子のはずですがね。あははは・・・
と、・・・。」
それにしても、我;高尚先生は如何に神官だとは言え、中国の故事についての随想が少ないですね。
それについては、私がぼつぼつねぶたくなりました。後日またお目にではない、お文字でお会いしましょう。
さて今日はどんな言葉が飛び出すかな。
この先生、大の阪神フアンです、昨夜の巨人戦について、満面の笑みで、さも得意そうに、檜山選手の打撃フォームまで入れて解説していました。
それからしばらくして、これも、また、例の漢文を上げて、色々と噂されている政治家の皆さんを批判して、彼特有のご説をのたまわれます。
「中庸」という中国の書物に、君子の条件として、
『内に省みて疚(やま)しからず、志に悪(にく)むことなし』
が、あると言う。
その意味は、「自分のことを反省してみて、心に疚しい事は決してしない。また、自分に尋ねてみて気分がわるくなるようなこともしない」と、いう意味なのだそうです。これが君子なのです。政治家も、また、君子でなくてはならないというのです。
『「ついうっかり」だとか、「気が付かなかった」などというのは、志を悪むことですよ。皆、君子のはずですがね。あははは・・・
と、・・・。」
それにしても、我;高尚先生は如何に神官だとは言え、中国の故事についての随想が少ないですね。
それについては、私がぼつぼつねぶたくなりました。後日またお目にではない、お文字でお会いしましょう。