私の町 吉備津

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古松軒の「東遊雑記」

2011-04-29 09:19:20 | Weblog

 備中岡田藩の古川平治兵衛こと古松軒は天明年間、時の老中松平定信と関係があったらしく、天明8年の「幕府巡見使」に随行して東北地方から北海道を巡っています。その時の見聞を元に書かれたのが「東遊雑記」です。
 これについて、江漢は、「東遊雑記を見るに」として、次のように記しています。

 「南部の辺地を通行せしに、米櫃、金匣、帆柱、佗の類波に打ち寄せ渚辺にある事限りなし。所の者に云て曰く、何ぞ拾わざる、取りて薪とせざる、今稀に金銭もあるべしと。所の者答えて曰く、此の物は皆破船したる者の失う所、これを取りて我が物にすれば必ず亡霊祟をなすかつて拾う者なし。北方の辺地愚直なる事を知るべし」

 

 どうです。南部地方に人達は、例え波によって漂着してきたものであろうと、それを己することを潔しとしなかったのです。持ち主はちゃんとどこかにいる。そんな人たちがとりに来るまで手をつけるべきでないと、打っ棄っておいたのです。人のものと自分のものとを断然に区別して、他人の物には、流れついたものであっても、決して、手をつけないという律義さが身に染みついていたのです。
 これを「愚直なる事」として江漢は、単に、済ましていますが、東北地方の人たちは、江漢が云っているような単なる「愚直=馬鹿正直さ」だけではないと思います。己と他を全く同一化して見るというか、自分は何かによって生かされているのであって、他の人と全く同じであるという伝統的な縄文的な心が強く心の内に残っているのだと思います。〝仏の心に近い〟と云っていいのかもしれませんが。
 そんな心が世知辛い現代社会になっているのにもかかわらず、現代にまで生きていたのです。それが証明され、しかも、そんな行動が世界中の人たちの感動をよぶきっかけともなったのが、はからずも、今回の東北地方で起きたあの大震災だったのです。

 「困った時はお互い様だ、自分よりお先にあなたがどうぞ」
 と、云うような日常的な会話が、騒動の間にも、平生の姿である如くに姿を見せたのです。非常時の中に見え隠れしていた人を愛しむという、そんな姿を見て、世界中が感動したのです。宗教だ、道徳だ、更には民主主義がどうのではありません。お互いに誰からともなく譲り合う、そんな想像も出来ないような社会と云うか、コミュニティ-という表現で言い現わしていますが、現実として、日本の東北地方では、どこでも当り前のようにしている人々のそんな生活が、テレビに映って世界中に流れたのです。それを見て、世界中の人々は、此の姿を見て大変な驚きというか、ショックを受けた事は確かだと思います。改めて日本人の素晴らしさ確認したのではないでしょうか。

 このような姿は、この古松軒の「東遊雑記」の中にも見る事が出来ます。今、初めてではないのです。「亡霊の祟り」が、決して、あるのではありません。そんな「けちでいじましい」心は持ってはいけないという、草木にも心があるのだという共生の精神というか、縄文的な心が現代にまで生きていた証拠ではないでしょうか。弥生的な闘争の社会が普通な人間には到底理解できないものであったから、江漢にしても古松軒にしても「祟り」と云う亡霊を出してくる以外に、この行為を説明できなかったのではなかろうかと思われます。

 なお、余談ですが、今朝の新聞にはアメリカの歴史家 ジョン・ダワー氏は、今回の東北地方の人たちの見せた姿を
 「宮澤賢治が残した『雨ニモマケズ』にあるような質実で献身的な精神です」
 と、語って、日本人のしなやかな強さを強調しておられます。
 しかし、此の氏が言う「実質的な献身的な精神」と云うのも、私は何かキリスト教的な臭いがして、その本質からは、聊か、離れているのではないかと思われるのですが。これ等の行為に中に見えるものは献身的であるのでしょうかね。私には、それを越えた日本の社会が長い年月をかけて、地勢や人や太陽や地震や津波、更には,オオカミなどの動物たちや、特に神などによって醸し出された総合的な精神が、共生と云う己と他を同一視した心が、そこらじゅうに横たわっている中から引き起こされた自然的な現象ではなかったかと思われますが。
 
 ご批判を頂ければと思います。