私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

春波楼筆記

2011-04-14 11:21:34 | Weblog

 この足守での鹿の生血をすすったり肉を食べたりする奇行は、「人々懼れをなしける」ともその晩年に書いた「春波楼筆記」(1811年)にも書いてあります。更に、続いて
 「予薄弱なれば、鹿の生血は至りて肉を養う良薬と聞く、然れども得がたき物なり」
 と。

 実際に足守で藩主木下利彪公と一緒に狩りをして鹿の生血を啜ったのは寛政元年(1789)ですから、この「春波楼筆記」は、その20年後に書いたものですが、その時の人々の恐れおののいた記憶が、20年も経った今でも鮮明に残っていたのでしょうか、再度、その事を取り上げて、この本に書いています。それぐらい、奇人・変人として江戸の人々の間にも名を鳴らしていた江漢にしても、特異な出来事であったのではないかと思われます。
 「あの時は面白かったなあ。あれは奇人として、専ら、噂になっている我が生涯でも、最もその名にふさわしい痛快ごとの一つではなかったのだろうか」
 と、思って自慢げに得意なって書いたのでななかったのかと思いますが????
 
 それはそうとして、この前に、鹿の生血は「精を付ける」と、書いたのですが、この本の文章からすると、「肉を養う良薬」ですから、健康を保持するための元になると考えたのかもしれません。又、[得がたき物」ですから、江漢は、めったに手に入らない珍重な物だと考えていたことは確かです。でも、当時の人々が誰もしないような獣である鹿の肉を食べ、しかも、その生血迄啜るのですから、誰だって驚くのは無理からぬことです。
 「如鬼思うぞ尤もかし」と書いて、その行為を江漢自身も
 「そなん事を、誰でも鬼のようだと思うのは当り前だ」と、認めているのですから、そこら辺りが、また、奇人の奇人たる所以ではないでしょうか。

 この司馬江漢という人物、調べれば調べるだけおもしろい人物だと思えます。