私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

生血を吸いければ、皆肝をを潰す。 

2011-04-06 20:22:16 | Weblog

 日近での、数十人の勢子を従えての足守藩主の狩猟です。どのような勇ましい鹿狩りでしたでしょうか、数十人で太鼓や銅鑼を打ち鳴らしながら、鹿を山の下に待ち構えている藩主たちのいる場所へと追い出さなければなりません。とんでもない方向に追いだしたのではその役目は果たすことが出来ません。真直ぐに藩主達が待ち構えている場所に上手に追い出さなければなりません。それは勢子の役目なのです。その日も、その包囲網の中に鹿が一頭引っかかります。逃げ惑う鹿は池の辺から後ろの山に逃げ込みます。しかし、そこに予め陣取っていた鉄砲隊が待ち受けていたのです。一斉に鉄砲が、「雨の如く」に放たれます。何人の鉄砲隊がいたのかは知りませんが、その玉に中り、それでも、なお、鹿は藪の中に逃げ込みます。しかし、すぐその場所に倒れて一命を失います。

 見ていた藩主を始め沢山の人は歓声を上げたに違いありません。「でかした」と藩主が思ったその時です。藩主の横でその様子を見ていたのでしょうか、江漢は、直ぐに、藪の中に倒れた鹿の傍に懸けよります。あらかじめ用意していたのでしょうか、小刀を取り出して、鹿の耳元を突き破り、そこから流れ落ちる生血を吸うたのだそうです。

 どうです。そんなことって、私は勿論ですが、普通なら誰にでもできることではありません。それには、殿さまもさぞ驚かれた事だと思われます。まさかそれほどの事をするとは想像だにしていなかったのではと思われます。そんな記録は、この江漢の日記にしか見られません。それだけ司馬江漢という人は、一風も二風も変わった人物だったのでしょう。そのようなことが西洋では、日常行われていたのかと、色々本を調べてみたのですが、そのような記事はどこにも見当たりません。もしかして、この時の旅で、長崎当りで耳にした噂話を江漢が聞きかじって、それを日本で最初に試みた人であるかもしれません。兎に角、そんな生血を直接吸うなんて、とんでもない事をしでかす鬼みたいな男と人々が噂したのも間違いない事だと考えられます。特に、この地は吉備津神社の氏子も沢山いることでし。

 さてこのような光景を目にして足守藩主木下公はどう思われたのでしょうかね。