私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

そこにも生活している人々がいます。

2011-04-04 09:56:18 | Weblog

 そんな自慢話も聴ける足守の山間を走る選挙カーです。
 その「かしお」温泉を過ぎて、いよいよ深い谷間を縫うようにして、喘ぎ喘ぎしながら、ずんずんと山の奥へと車は突き入していきます。暫らく谷に沿った山道を進むと、急に開けた吉備高原に出ます。360度全部が見渡せる所も現れます。そのあちらこちらに、谷間には決して見ることが出来なかった民家が点在しているのです。おやこんな所ににもと驚くような深い窪地の底にも家があります。また、反対の山の上にも家があります。こんな山奥にも人々がしっかりと生活している場所があるのです。何百年もの間、祖先代々受け継がれてきた家々が、というより、人々の生活をしっかりと支えた土地があるのです。、今でも、敢然としてあるのです。「間倉ごぼうが有名なのですよ」と先ほどの御婦人。そんな所でも、市街地と全く同じ選挙カーのウグイス嬢の声は変わりません。すると、誰かが叫びます。
 「あそこうみてみい。あんな下に有る家の人でしょうか、我々のこの車の声を聞きつけてたのでしょう、庭先にまで出て、手を振ってくれている。有難い事だ。我もしかりとがんばりゃなあ」
 車がやっとこさ通れるほどの道を、うねうねと上ったり下がったり、右に行ったり左に行ったりしながら、それでも選挙カーは走ります。先導する車の運転手の道案内の確かさに驚きながら進んでいきます。
 辺りの木々の未だ新芽はやや膨らみ掛けてはいましたが、依然としてつぼみのままです。この堅い蕾を破ってそっと青空に、それこそ萌葱の今年の新顔を覗かすまでには、
 「後数日はかかるでしょうか」

 同乗のその御婦人の晴れがましいような嬉々とした声が、小さくウグイス嬢の声の合間に、聞こえてきます。

 でも、この天国のような美しいでも、確実に老齢化が進んでいます。何時になるかは分からないのですが。がこのような山奥から消えて行くのです。若い人が消え去って、再び戻らないのです。これが現実の社会の実態なのです。どうにも仕様もない現在社会の実情なのです。どうしてこんな世の中になったのでしょうか。これが近代社会の宿命なのでしょうか。淋しいようなかなしいような気分になります。
 そんなことを考えながら、選挙カーの窓から、しきりに手を振ってくださっている山下の民家の人たちに、ありがとうございますと、届かない声を懸命に送り続けました。
 コブシの花が山のてっぺんにまで点々と繋がっています。