私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

不得巳として受けたり 

2011-04-25 12:19:43 | Weblog

 60日間も雨が降らず草間村の農婦が大変過酷な労働を強いられているのを見たその村の僧は、7日間断食して雨を祈ったのだそうです。果たして7日目になって、ようやくの事雨が降り、田畑を潤したのだそうです。それを聞いた関侯は、早速、その功に対して金銭米穀を賜ったのだそうですが、僧は「更に受けず」と書いてあります。頑なに、其報償品を辞退したのです。しかし、その僧に祈りによって降った雨は、草間だけではありません。その近隣の村々、昨日の足見村も当然ですが、の田畑にも及びました。その影響を受けた村々でも、この寺に僧を訪ね、お礼として米銭を差し出します。貧しい暮らしの中からいくばくかのお米やお金を持ち寄ってその謝礼に来たのです。それを、藩主からのもののように、無碍には、断ることも出来なく、その僧は、

 「不得巳して受けたり」

 と書いてあります。この文字に付いてのご講義を珍聞漢文先生から昨日受け賜ったのです。「やむをえず」だと教えていただきました。
 貧しい百姓からの心からの感謝だという事は、その僧にも分かっているのですが、そのような人たちの心は酌んでやらなければならないと思われたのでしょう、だから「不得巳」だったのですが、そのいくばくかの金品だったでしょうが受けております。
 その心を藩主も十分に汲んで、その僧の徳について、江漢に語ったのではないでしょうか。
 此の僧の祈りによって雨が降ったという事実は「天の観応したるには非れども、彼の僧正直無心にして、只百姓の困窮を悲しみ、無欲真実なるに因りて、倖に雨の降りたるなり。」と、書いています。
 之は僧が断食して祈ったことに対して、天がその心を読みとって、それで雨を降らしたという事ではなく、思いがけない、たまたま僧の平生からの正直無心な無欲真実によって雨が降ったという事だけだというのです。人の悲しみが自分の悲しみに思われて何かせずには居られないような気持ちになって、それをしたから、確実に雨が降るとは限らない事だったと思われますが、断食を自分自身の僧としての大切なお務めだと考えて、その苦行を断行したのだと思われます。そこに何かが、「是を徳と云う」と、江漢は云っていますが、それがあって、たまたま雨が降っただけのことなのです。特別、人から喜んでもらおうなんて心は、決して、この僧にはなかったのです。困っている人が助かればそれでいいだけなのです。後は何も欲しなかったのです。だから藩主からの報償も受けとらなかったのです。
 でも、近隣の百姓たちにしてみれば、もし、その雨がなかったなら、その年には飢饉が起こっていたに違いありません。多くの人の命がその雨によって救われます。どうしても、その百姓たちからすれば、何らかの形で、その僧の慈しみのある行為に対して、恩と云う事ではないのですが、どうしても謝礼を考えるのは道理です。それを、その僧は考えたから、「不得巳して受けたり」だったのだと考えられます。藩主からの報償とはその心意気が違っていたのです。

 そんな、名もない備中の山奥の僧のそうした徳のある行為を、此の藩主は大層自慢にして、江漢に語ったり、また、江漢もそれを大変美徳なものとして受けとめたのではないでしょうか。

 備中の誰もが、多分、草間というよりか、新見市辺りでも、そんな僧が、こんな大変辺鄙な備北の地方に、江戸の昔に、いたないんてことは知ってはいないのではないかと思われます。もし、このブログを見られた新見地方のお方がおられましたら、お知らせ願えればと思います。