私の町 吉備津

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足守侯の足守での「初午」

2011-04-16 14:06:04 | Weblog

 「初午」は稲荷社のお祭りです。よくわ分からないのですが、備中地方では、この2月の初午の日に、お稲荷さんに参るなんて行事はなかったのではないでしょうか。我が町『吉備津』にも、お稲荷さんの社はありますが、初午のお祭りなど聞いたことがありません。なお、高松最上稲荷では、現在、初午のお祭りは3月の第一日曜日に行っていて、昔は2月の初午にしていたのだそうですが、それがいつ頃から現在のような日に代わったのかはよく分からないとのことでした。

 三田村鳶魚の「江戸年中行事」という本には、江戸での初午について、

 「諸所の稲荷の社、或は屋敷町屋の鎮守の宮に、五采の幟を立て奉幣し、神楽を奏す、とりわけ江府は稲荷の社多き所にて参詣群集の人湧くがごとし。・・・・」

 と、その盛況ぶりを書いています。ちなみに、稲荷社は我が国の神社の中では最も多くて、全国には32,000社もあるそうです。

 そんな江戸のような賑やかさは望まないにしても、藩主木下公は、丁度、江戸のすき者江漢が足守にいる此の時、少しでも江戸流にと趣向をこらした初午のお祭りを城内で催したいと思われたのかもしれません。「初午見学して、八日に出立スべし」と、半強制的に言われています。それほどまでに、江漢の足守での初午の指導を思われたのではないでしょうか。
 兎に角、江漢は、そのお祭りを「趣好す」です。何らかの江漢の指導があったのでしょう、より江戸風の初午の祭りが出来たのではないでしょうか。多分、五采の幟なんか所狭しと立てられていたのではと思われます。しかし、この時、藩主木下侯が祀っただろうと思われる城内の稲荷社は、現在では、それは果たしてどこにあったのかは定かではありません。一度、足守を訪ねて、江漢が此の時描いたと伝えられている「さくらに小鳥」「流れに鮎」の絵についても調べてみたいと思います。

 こんな足守での初午でしたが、午後から雪になり「皆々かえる」で、江戸での初午のよう賑わいもなく、期待したほどの大勢の参詣者はいなかったのではないかと思われます。藩主のがっかりした顔が見えるようです。