私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

新見市草間の話

2011-04-23 17:16:37 | Weblog

 江漢は、新見藩主関侯とお話になった事があるそうです。勿論、江戸での話だったのですが。その時の話が、また、「春波楼筆記」に書いてあります。
 
 それによりますと、ある時、新見地方に60日間も雨が降らず大変な旱害に見舞われたそうです。「草間村と云う所は山田のみにて常に水なし」と、書かれています。ご存じのように、ここは石灰岩の台地で、わずかばかりの田圃に米を育てています。60日も雨が降らなければ、せっかくの稲も枯れてしまいます。だから、この地の農婦は河より水を汲みあげて、稲にやることを日課として働いていました。その河と云ったら、台地から、遥か1里も下の所を流れているのです。しかも、その道は、皆、相当急な坂道です。そのような山道を、一日に何回となく、農婦は水桶を頭上に載せ、「両手にて麻を積む事を常とす」と、書いています。それが其の村の習いだったという。誠に過酷な労働だったと思います。水桶はどのくらいな大きさだったかはわかりませんが、1里もの坂道です。その道を、私も、かって、徒歩で上った事があります。真夏の暑い日だったと覚えています。荷物もなにも持っていなかったのですが、相当汗が出て、途中で何回も、休憩しながら上ったのです。そんな道を一日に何回も水を運ぶなんて、まして女の人がです。とても現代の社会では考えられないような残酷な仕事だったと思います。
 この草間村の隣に「足見」と云うがあります。何故、「足見」。これを「たるみ」と読ませていますが、この地名は、坂道を上る時、前の人の足を見ながら上るという事から付いた地名だと言われています。それくらい急なる坂道なのです。上がるだけでも大変なのです。しかも、此処に書かれているのは、水桶を頭に載せて、しかも、両手で麻を積むぎながらという労働だったのです。そんな意味があったのかもわかりませんが、「草間には嫁にはやるな」なんて言葉が、近年まで、備北地方の村々では、密かに、ささやかれえていたのだそうです 。そんな話を、昔、この地方を歩いていた時、聞いたように思いました。

 まあ、こんな悪条件な土地です。そんな下世話な話まで、新見藩主が知っていたのです。それには理由があるのです。

 さて、そんな嫁びりといってもいいような大変過酷な生活を農婦に押しつけていたと伝えられている草間村に「一寺」があります。何と云うお寺名なのかは分かりませんが、兎に角、その寺に一人の本当に慈悲深い僧が住んでいました。

 江漢が聞いた話はそなんな一人の僧のお話でした。

 これもまた続きは明日にでも。