私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

江漢と云うお人は????

2011-04-22 09:43:05 | Weblog

 江漢が著した「西遊旅譚」の中に足守近辺についての記述が見られるという事を知って、この江漢と備中との関係を色々調べてまいりました。それらを通して読めば読むほど、司馬江漢と云うお人の素晴らしさを知りました。それまでは、ただ、「日本で最初に油絵を描いた人」と、いうくらいの知識しかなかったのですが、その人物の大きさに驚いています。

 絵は勿論ですが、文章を書かせても、当時の先進的科学の知識も、平賀源内などとの交流を通して、相当持っていた人ではないかと思われます。又、特にその知識の豊富さの中には、当時のヨーロッパの知識もあったようです。春波楼筆記の中には“het Stof Slik ard, en is Den Zwizt niet weard"なることばがでてきます。アランだ語か何だか知りませんが、彼には、その知識があったようです。

 そんな彼の人となりをもう少し追求したくなりましたので、後しばらくお付き合いいただければと思います。

 その前に、今日は彼が書いている、どこから仕入れたのかわ知りませんが、備中新見地方に伝わる言い伝えに付いても書きとめていますので、ついでと言ってはなんですが書いてみます。

 「享和三年丙寅秋八月、関侯隠居のはなしけるに・・・・・」と云う書き出しで、次のよな話を載せています。
 この関侯と云うのは、よくは分からないのですが、多分、新見藩五代藩主関長誠だと思われます。先の足守藩主木下利彪もそうですが、江戸で、お目にかかっていたのでしょう。
 それにしても、江漢と云うお人は多くの大小を問わず、全国の諸大名と面識があたのです。それだけ、奇人・変人として名が売れていたのだと思います。