私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

茸を食った孫左衛門

2010-06-19 10:48:43 | Weblog
 遠野物語の「一八」のザシキワラシが、孫左衛門の家から居なくなった話の続き話が「一九」と「二〇」に出ています。その話も書いておきますので時間のあるお方は読んでみてください。


 「一九 孫左衛門が家にては、或日梨の木のめぐりに見馴れる茸のあまた生えたるを、食わんか食うまじきかと男共の評議してあるを聞きて、最後の代の孫左衛門、食わぬがよしと制したれども、下男の一人が云うには、如何なる茸にても水桶の中に入れて芋殻(おがら)を以てよくかき廻して後食へば決して中(あた)ることなしとて、一同此言に従ひ家内悉く之を食ひたり。七歳の女の児は其日外に出でて遊びに気を取られ、昼飯を食ひに帰ること忘れし為に助かりたり。不意の主人の死去にて人々の動転してある間に、遠き近き親類の人々、或は生前に貸しありと云ひ、或は約束ありと称して、家の貸財は味噌の類まで取去りしかば、此村草分の長者なりしかども、一朝にして跡かたも無くなりたる」

 どうでしょうが。遠野地方だけでなく日本全国どこでも聞くお話のようです。人の業ですか、その欲深さは、洋の東西を問わず、人の歴史が始まって以来、何処でも見られたことなのです。

 我が吉備津でも、これと同じように、一夜の内に、家財など総ての財産を失ってしまった旧家が、まことしやかに現在でも語り伝えられています。
 
 「有為転変は人の世の常ならむ」です。こんな現実と直接結びついた話も、遠野物語の中には、いくつか書き込まれているのです。
 
 今はすでに昔になった岩手地方の片田舎にある民話の中に見える人々の生き様に、日本人の源としての敬虔と云いましょうか、或いは共生と云いましょうか、生きていく為の神への最低の他力本願みたいな日本人しか持ってない独特な精神性を、柳田国男は、その中に見出したのではないでしょうか。

 そんな心を、次の歌に込めて、前書きの中に書き込んでいます。

    おきなさび 飛ばず鳴かざる  おちかたの
              森のふくろふ 笑うらんかも