私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

秀吉の高松城水攻め異説

2010-06-16 13:53:19 | Weblog
 われわれ高松地域に住む者だけでなく、日本人誰もが、秀吉の高松城の水攻め(天正10年1582年)は、主君信長の一日も早く高松城を落とせと言う厳命により、黒田如水の意見に従って堤防を築き、俄かの湖を造り、その湖上で清水宗治を切腹させて、戦いを終わらせたというのが、一般常識となっているのです。太閤記などに書かれている通りのことが、その通りに言い伝えら信じられてきているのです。
 しかし、常山紀談には、此の水攻めについての異聞が、堂々と?載っています。

 「又高松の城はたやすく攻落すべきに、水攻めにして日を経たるは、信長常に大功の速やかになるを忌みねたむの心あるを察しての故なりといえり」
 と。

 どう思われますか。「ちょっと待ってください。常山先生」と言わざるを得ません。
 
 この戦いの為の戦費は、1日に何千万円も必要としたと言われます。一説によると、1億円はゆうに越していたという学者もいるぐらい莫大の戦費が必要だったのです。誰が好んで、「戦いはゆっくりすればいい」なんてことを言う者がいるものですか。人命を大切にせよといいのならともかく、自分の戦いのやり方の好き嫌いで「速やかなるを忌みねたむ」武将が有りましょうや?。それも勝ち負けがどちらに転ぶか分からない戦にですよ。

 でも、湯浅常山は、何処からこの資料を取り寄せたのかは分かりませんが、そう書いています。そこら辺りにも、この紀談の歴史的評価の低さが存在しているのかもしれません。