私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

ザシキワラシ又女の児なることありー遠野物語より

2010-06-18 09:59:10 | Weblog
 遠野物語の「一八」でも、柳田国男はザシキワラシの話を報告しています。その全文を、今日も、又、載せておきますので、興味あるお人は読んでみてください。

 「一八 ザシキワラシ又女の児なることあり。同じ山口なる旧家にて山口孫左衛門と云う家には、童女二人いませりと云うことを久しく言伝えたりしが、或年同じ村の何某と云う男、町より帰るとて留場(トメバ)の橋のほとりにて見馴れざる二人のよき娘に逢へり。物思はしき様子にて此方へ来る。お前たちどこから来たと問へば、おら山口の孫左衛門が処から来たと答ふ。此から何処へ行くのかと聞けば、それの村の何某が家にと答ふ。その何某は稍(やや)離れたる村にて今も立派に暮らせる豪農なり。さては孫左衛門が世も末だなと思ひしが、それより久しからずして、此家の主従二十幾人茸の毒に中りて一日のうちに死に絶え、七歳の女の子一人を残せしが、其女も又年老いて子無く、近き頃病みて失せたり。」

 ザシキワラシの話はこの「一七」「一八」の二話だけですが、ここに出てくる茸の毒に当って死んでしまった孫左衛門の話は「一九」「二〇」「二一」と続きが書かれています。それも、ついでの事に、明日以降、書いてみますので、ご覧いただけたらと思います。

 こんな世知辛い世の中、そんな悠長な話なんかどうでもいいと思いのお方がいるのではと思いますが、そんな世知辛い、何事も科学が第一の今の世の中に有って、百年前に出た、なんだか遠い昔に、見たり、聞いたりした事があるような夢のようなおとぎの世界を、ちょっと覗いてみるのも、まんざらではないように思えるのですが。
 そんなことから、この本が名著となって今日まで生き続けている原因ではないかと思われます