昨日15日は63回目の終戦記念日でした。終戦の思い出といったものは殆どないのですが。あの日には暑い夏の太陽が降っていたと思います。父が4級の何処の家にもあったラジオを縁側に引っ張り出して、周りに誰がいたのかは忘れてしまったのですが、4,5歳年上の隣の「つよっさん」と呼ばれるお兄さんなんかと一緒に聞いていたのではなかったかと思います。彼が「何もかにも自由だ。何ををしてもいいのだ」と、飛び上がって喜んでいたのが、やけに今でも頭の中にこびりついています。それから、誰かが「自由のスイカだ」と言って向こうのだれの畑かは分らないのですが、盗んできて、ぎらぎらと焼け付くような暑い夏の太陽がやけに輝いる中で、餓鬼どもが近くの川原に寄り集まってむさぼり喰らった遠い記憶もわずかながら点々としか映らないのですが幻の幻灯のように残っています。
10年ほど前、母が死んで家にあった古着などを整理したことがありました。その中に一張のもうぼろぼろになてはいましたが、天井部分が白で端っこが青色をした子供の頃に使っていた麻製の蚊帳がありました。捨ててしまったらという声をよそに、捨てるのならいつでもと思い、これまた古い備前の小ぶりな水がめに入れてそのまま今に至っています。
なんだか知らないのですが、終戦記念日になると、毎年、このつよっさんの「自由になるんじゃ」という言葉と自由のスイカと蚊帳が思い出されます
10年ほど前、母が死んで家にあった古着などを整理したことがありました。その中に一張のもうぼろぼろになてはいましたが、天井部分が白で端っこが青色をした子供の頃に使っていた麻製の蚊帳がありました。捨ててしまったらという声をよそに、捨てるのならいつでもと思い、これまた古い備前の小ぶりな水がめに入れてそのまま今に至っています。
なんだか知らないのですが、終戦記念日になると、毎年、このつよっさんの「自由になるんじゃ」という言葉と自由のスイカと蚊帳が思い出されます