私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

おせん 105  秋が笑っている

2008-08-24 09:13:58 | Weblog
 大旦那様の歩みは、ここでも「帰りはこわ~いでなく、よいよい」と謳っているような足取りでした。
 「ながいことお話してはりましてんな、何がそんなにぎょうさんありましたのや」
 「あの真承さんと、そんなにはぎょうさん話していたとは思ってなかったのや。今、真上にあるお日さんの顔見てみると、そうやなあ、長いことはなしていたのやなとわかりましてん。何んにも話しとらんように思うておったのやが。・・・真承さんってお人、奥が深うていて、掴み所がおまへん。話していると、いつのまにかあのお人の心の中にいくらでも吸い込まれて行くような気になりますねん。不思議なお人や。・・・心があったら心は見えんとも言われたのじゃが。非心が無一物だとも言っておました。在るということは無いということと根本的には同じことだとも真承さんはいわれるんじゃが。在ることは無いということだなんて言わはること自体がなんかへんてこりんな夢みたいなようわからん事でおます。それが無一物ということだと。ますます分からんように、頭の中がこんがらがってしまいますねん。でも真承さんの話を聞いておると、どうしてかはわからんのじゃが、心の中が膨らんでくるような気持ちいい気になりますねん。不思議なお方どすなあ。・・・そうそう、それから、人の違順ということもいはりました。人はいつも苦楽のために四苦八苦しておる。顚倒の想とか何とか言っておられたようどすが、無一物はそんな人のもつ違順に支配されているものから総てを解放してくれるのだそうどす。全部をです、非心がどす」
 「そんな難しい事はわてには分からへんねんけど。・・・あの真承さんを見ておると、お話している時の目は本当にやさしさ溢れているように感じられました。・・おじいさまと真承さんがそんな難しいお話している間に、わてはお園さんに宗治さんが切腹した辺も見せて貰いましたねん。ええとこがぎょうさんおますねんねこの吉備津さんのお里には」
 赤とんぼが道の小草をするように飛んでいます。
 立見屋に帰ってきてから大旦那様はおせんの前に一枚の紙切れを広げられました。
 「おせんのために真承さんに書いていただいたのじゃ。どうだなお園さん」
 “立つ 歩く なんにもない 秋が笑っている”と、紙いっぱいに流れるような真っ黒い字が飛び出しました。
 おせんのために大旦那様が書いてもらった書です。何で、こんなへたくそな字をわざわざ人のために書くのかと、今まではいつもお園は蔑むように思って、自分に頂いた字さえ粗末にその辺りに投げ捨てていたのは確かです。この立見屋の何処かに今も置いているはずです。端から、真承さんの書かれる書なんかに、いいはずがないだろと思いこんでいたのは確かな事です。
 今おせんのために書かれた書を見ると、なんて、美しい、正々堂々として陰と光の調和した素晴しい字のように思われます。無心の字ということは聞いてはいましたが見るのはこの字が最初のような気がしました。
 「私は“夕立が降るどかっと大きな石がある”と書いて頂きました。なんだこれがどういうことなんだと思って、その中にある意味なんで思わないで、端から馬鹿にして、そこら辺に放り投げていたのですが。今思うとなんだかよく分らないのですが、あの普賢院で修業されたと聞く寂厳さんの書と同じような、見ただけでは分らないような隠れた何か大きな深い意味があるのではないかと思っています。なんにもない 秋が笑っている、と言うのが何か意味があるようです。おせんさんにぴったりの言葉でもあるようです」
 「お園さん。あなたの言ははるように、この“なんにもない 秋が笑っている”これがおせんのためにぴったりの言葉だとわしにも思いますねん。どないでおますやろ」
 大旦那様は静かに言われます。
 「笑っているとは、なんでしゃろ。人は笑ってばっかりでは生きてはいけんよって、わてにはようわからんのどすが、どう立ったらいいのでしゃろ。おせんにはわかりしまへん」
 おせんはどう答えてよいのやら分らず投げやりの言葉を投げかけます。
 「おせんさん。考えておくれやす。誰でも人様が立て歩くというのはそないにはたやすくはないと思われません。ある時は何かにけつまずいて足を怪我するかもしれません。でも、そんなものにいちいち惑わされていたら人さん歩けなくなってしまいます。例え惑わされても、歩かなければなりません。笑うように向こうから来るもんを秋のようになんでも自然に迎えながら歩るかなければいけません。だから、なんにもないのではないでしょうか。意識しないで自然になるように歩きなさいと言う意味ではないでしょうか」
 「ほう、お園さんうまいこといわはるな。そうそう、真承さんが話しの中で、灑々落々(しゃしゃらくらく)という言葉を使われていた。心がさっぱりしていて物事にこだわらない事だそうどす。秋が笑っていると言うのはそんな意味だとわては思ておりますねん」