私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

おせん 109 大きな石

2008-08-31 09:42:18 | Weblog
 「昨日、お園さんも知ってのあの大ふくろう先生からから呼び出しがおましてな。なんかへんてこりんなことになってしもうて驚いておるのや。それと言うのも、おせんが死に物狂いで生まれて初めて思いをかけた政之輔とか言う若者を嬲り殺した町奉行の中野とかという与力が尊王方の浪士に暗殺されたと、大先生は言われるや。話は込み入っててややこしいのどすが」
 と、大旦那様は興奮したように経緯をお話になられます。
 
 今、京や大坂の町々では、反幕府の勢力が盛んに倒幕の企て、暗躍していおります。それに対して幕府の役人たちも躍起になって、その浪士たちを厳しく取り締まり弾圧しております。その一人が大坂町奉行所の中野という与力です。この中野という与力は、有無を言わさず、疑いのあるものは総て強引に引き立て取り調べます。あの政之輔という若者もこの人にかかって殺害されたと言われています。その一方では、また、この人、大坂商人などからたくさんの賄賂も取り立て私腹の相当肥やしていると噂されていました。
 そんな中で、つい2,3日前の夜、真承さんの庵を尋ねた夜です。大坂では「天誅」と言う大声と共に、何者かによって町奉行の役人が道の真ん中で数人切り殺される事件が起きます。その中に、この中野様が入っていたのだそうです。また、この人の腰ぎんちゃくと言われていた銀児親分もその時に殺害されたのか、中野という後ろ盾を失って怖気づいて姿を隠したのか、今は容として行くへが分らないのだそうです。
 
 これだけ大旦那様は話されると一息入れます。
 「それはそれでよろしいのでおますが、どう考えても不思議なことがおますのや。吉備津さんというところは不思議な処でおます。それをお園さんに是非話しておこうとおもって来たのどす。・・・・あの朝早く、そうどす、旅立ちの朝です。実の所、お園さんが思っていた通りに、わてはお園さんのおとうはんと二人で向畑の山神様に参っていたのどす。真承さんが描いてくれはった絵の板を持ってな。あの日、わては、お園さんからここで聞いた山神様の憎い人を呪い殺すことができると言う絵の事を真承さんに尋ねてみたのどす。真承さん、なんといわはったかお園さん、・・・わかりますかいな。・・・真承さん、ただ、あははと笑われておられましたのや。なんにもいわはらへんと。すこしたってから、大きな石だ、と言わたように思われましたのや。もしかしてお園さんのどかっと大きな石があると同じ石なのかも知れへんな。それっきりですねん。その後、呪いの「の」の字も真承さんはいわはらへん。その代わりと言ってはなんだが、それから人の持つ生まれながらの運についてあれやこれやお話してくれますのや。そうそう真承さん、若い頃から周易についても勉強しはったそうどす。おせんについて、特別に占ってくれはりました。何処においてあったのかわかりまへんのやが、占いに使う卦木(かぼく)、蓍竹(めど)というのやそうどす、を一握りほど、10本ぐらいはおましたか、取り出して手の中で何かガチャガチャやっておられましたのや。半分にしたり、1本をとりだしたりしながら占ってくれておりますのや。暫らくしておせんの卦(け)は、何といわはったか、あ、そうでおます、地雷復(ちらいふく)と言わはったと思いますねん。この卦の人は下世話に言う福の神なのだそうどす。人々に福徳をもたらすのだそうどす。ほっといても総ての人を善心にする得がたい人であるのだそうどす。また、この卦を持つ人は二たび身を建(おこ)すの象(かたち)があり、何もせんでも自然と立ち直って独歩する事が出来るというのだそうどす。その地雷復の記号を真承さんが板切れに絵にまとめてくれはったのどす。・・・立見屋に帰ってから吉兵衛さんにお話すると、その絵札は向畑の山神様にお供えせにゃあならんといわはります。本人が行ってお供えするのがいいのだそうですが、そんなことをおせんが聞くと、また、政之輔様を思い出したりしてと、思いましてん。そこで内緒で、わてがおせんの代参として山神様にお参りしたのどす。吉兵衛さんに朝早くから案内をお頼みして」