私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

おせん 93   おにぎり山の月

2008-08-06 11:04:24 | Weblog
 翌朝4人は早めに須磨の宿を旅立ちます。室津で平蔵と別れていよいよ備前の国に入ります。船坂峠を上り、峠の茶屋のおじいさんから聞いた峠の側にある沼に住むという河童の話が話題になります。お園は里である宮内の近くにもこれとよく似た話があるのだと言います。さすが大旦那様は歳の甲斐だけあります。お若い時から方々を旅されそれぞれの土地に残る昔話を聞いていたのでしょう。あちらこちらのおもしろい河童話をおせんたちに聞かせます。平蔵と別れて淋しくなったお園を慮っての事かもしれませんが、おせんにとっても寂しさを忘れさせる西への旅になりました。
 岡山の城下を過ぎる頃から夕闇が迫ってきましたが月の明るい夜道を板倉まで行くという行商の夫婦と一緒になり、これまた話題がいっぱいあって十五夜に近い明るい街道を早足で歩きます。おせんの足の達者なのに驚きながら。
とっぷりと秋の空が暮れてゆきます。桃太朗伝説を生んだ笹ヶ瀬川を渡るともうそこは備前と備中の国境です。吉備津神社参道の松並木がおにぎり山を背景に影絵でも見るように田圃の中に続いております。空には夕月が泣きそうに懸かっています。その向こうに喧騒の宮内が不夜城の明るさを空に映し出し、多くの旅人の今宵一夜の楽しみを待ち受けています。板倉に宿すという行商の夫婦とお宮の並木道の入り口で分かれ、宮内にあるお園の立見屋に付きました。
 予め連絡はお園からあったのですが、立見屋では父親の吉兵衛と病の床に突いているはずの母美世の二人して、3人の到着を今か今かと待ち構えていました。ようやくたどり着いた3人の手を取るようにして部屋に案内します。 
 「随分と御ゆっくりで豪く心配しておりました。よくもご無事で。ようこそお出でくださいました」
 と、自分の家なのに、上座に座らされたお園にまで挨拶する父親の吉兵衛にいささか戸惑います。大坂の綿問屋の舟木屋のご3人様ご一行なのでしょう。これが商売というものだろうかと、その難しさを見たように思われます。今までは何にも知らない田舎の娘でしたが、歳を重ねるに従って色々なわずらわしい世間の波が何かのきっかけで分ってくるのです。
 そんなことを考えながら「おせんさんもどうぞ早くあの痛手から、何かのきっかけで」と思います。そんな道が、いとも簡単には見つからないのは分っていますが、せめてこの宮内にいる間にも何か見つけることが出来るならば、この旅を思いつかれた大旦那様にとっても大変意義があるものになることは確かです。何にもないごく普通の田舎ですが、どれだけの効果があるかは知れませんが、まず始に、おにぎり山に懸かっている今の月を見てもらおうと思いつきます。
 それは、自分も打ちひしがれて福井より帰った時、ここからお山に懸かる今日と同じような月を見て何もかも、一時にせよ浮世の事を忘れる事が出来たと思ったからです。だから、旅立つ前からまず「おにぎり山の月をおせんさんに」にと心に懸けてきていたのです。お園は立ち上がって障子戸をあけます。ひんやりとした夜風が入って来ます。でも、まだ山裾にある立見屋にまでは遅い月は姿を表してはいませんでした。群青の空にくっきりお山が立っています。遅い月の出が始まっているのでしょうかその群青の空のおにぎり山のてっぺんの一画だけがほの明るくなって月の出を知らせてくれています。
 「ああきれいだす。闇路を照らす光明が幾重にもなって大空に大きく広がっておます。あの光の後にみ仏がきっとお出ましになられます。見てみいなおせん。なんて大きな月の出でおますやろか。大坂では見ることができへん、宮内だけに繰り広げられるの仏様のうそ偽りのない本当のお姿が拝めます。いや絵巻といった方いいのかも知れへんが。ああ。結構なありがたい眺めだす。来た甲斐がおました。浮世のいやなことが洗われますやろ。見てみいな、おせん。拝ませてもらいまひょ。本当にありがたいことです」
 おせんの目から涙が一筋流れます。この涙が何であるのかお薗には分りませんでした。