「早速帰っておせんと相談してみなあかんけど。お園さん、よろしゅう頼むは。ええじゃろう平蔵さん」
いつも「平どん」と呼ばれているのに、この時だけ「平蔵さん」と言われ、何かくすぐったいような誰か他の人が呼びかけられているかのような気にもなるお園でした。
途中で、お店に帰る二人と別れて、次第に日暮れが早くなっていく街を、それでもおせんのことが気にかかりながら「そんなことぐらいのことで、うまくいってくれるなら。・・・そや、今夜の御飯どうしよう」と、家路に急ぎます。周りを行く人たちの足取りも足早です。
翌日、そのおせんから「相談があるから」という連絡が届きます。
部屋に案内されると、おせんと大旦那様と御寮ンさんがお待ちになっておいででした。
「いつも呼び立ててすまんことでおます。お園さんも忙しかかろうに」
と、心配顔の御寮ンさんです。
「あれから帰って、おせんに吉備の国への旅を勧めてみたのじゃ。前々から光源氏を探しに明石辺りに連れて行ってやるわと言ってはおったのやが。でも今度、お園さんの宮内に行こうかと誘ったら、案外とおせんのやつ乗り気になりおって、おにぎりさんの中に入りたいとか、消えていった毬の穴がどうのこうのとか、おかしなこっちゃが、話がうまいことあいましてん、お園さんとなら行ってもかまへんと、こやつぬかしおる」
自分の思いついた計画がうまくいっているので満更でもないような気分でしょうか大旦那様も何処となく浮ついているようにお園には感じられました。昨年に引き続き二度目の吉備の国への旅ですが、この度は若い娘との3人旅になります。愛しいたった一人っきりの孫娘のためです。「世話かきじいさん」と呼ばれている大旦那様でも張り切りようが違います。「どうしても」という意気込みが違います。藁でも掴むような気持ちで、考えに考え抜いた秘策とは決して言えないような方法ですが、少しでもおせんの心を癒すことが出来ればと思って思いついたことなのです。
でも、この方法はお園から聞いただけの遠い他国の小さな片田舎に伝わる昔話に過ぎません。今も元気に動き回っている生きている人様をいくらなんでも神の力であってもどうこうすることが出来るはずはありません。まして呪い殺すなんてこの世の中にあるなんてとても信じられない事なのですが、他に何にも打つ手はありません。まあそんなことは出来ないにしても、おせんの気持ちが少しでもと、西国行きをおせんに勧めてみたのです。この山神様のことについては兎も角、これだけはやってもらおうと思っていることが一つだけはありました。お竈殿でのお釜の鳴る音で吉兆を占ってもらうということです。お園と平蔵の時に立ち合っているのでこれだけは確かです。あの鳴る釜の音が今のおせんの高ぶりをいくらかでも沈めてくれそうな感じがしているのです。それからおせんが言う吸い込まれていくという深い穴も、「そんなもん吉備津様にはあったかいな」と思いながら、ご自分でも一度見てみたいとも思いました。
行ったこともない途方もない遠い国へ旅立つという娘のことを慮って、茲三郎から聞いてはいるのでしょうが、お由は母親としての当然の心配顔が消えません。でも、今は茲三郎の考えに随う他はありません。幸いこの度の旅にはお園も一緒するということで少しは心丈夫に思えるのですが。
いつも「平どん」と呼ばれているのに、この時だけ「平蔵さん」と言われ、何かくすぐったいような誰か他の人が呼びかけられているかのような気にもなるお園でした。
途中で、お店に帰る二人と別れて、次第に日暮れが早くなっていく街を、それでもおせんのことが気にかかりながら「そんなことぐらいのことで、うまくいってくれるなら。・・・そや、今夜の御飯どうしよう」と、家路に急ぎます。周りを行く人たちの足取りも足早です。
翌日、そのおせんから「相談があるから」という連絡が届きます。
部屋に案内されると、おせんと大旦那様と御寮ンさんがお待ちになっておいででした。
「いつも呼び立ててすまんことでおます。お園さんも忙しかかろうに」
と、心配顔の御寮ンさんです。
「あれから帰って、おせんに吉備の国への旅を勧めてみたのじゃ。前々から光源氏を探しに明石辺りに連れて行ってやるわと言ってはおったのやが。でも今度、お園さんの宮内に行こうかと誘ったら、案外とおせんのやつ乗り気になりおって、おにぎりさんの中に入りたいとか、消えていった毬の穴がどうのこうのとか、おかしなこっちゃが、話がうまいことあいましてん、お園さんとなら行ってもかまへんと、こやつぬかしおる」
自分の思いついた計画がうまくいっているので満更でもないような気分でしょうか大旦那様も何処となく浮ついているようにお園には感じられました。昨年に引き続き二度目の吉備の国への旅ですが、この度は若い娘との3人旅になります。愛しいたった一人っきりの孫娘のためです。「世話かきじいさん」と呼ばれている大旦那様でも張り切りようが違います。「どうしても」という意気込みが違います。藁でも掴むような気持ちで、考えに考え抜いた秘策とは決して言えないような方法ですが、少しでもおせんの心を癒すことが出来ればと思って思いついたことなのです。
でも、この方法はお園から聞いただけの遠い他国の小さな片田舎に伝わる昔話に過ぎません。今も元気に動き回っている生きている人様をいくらなんでも神の力であってもどうこうすることが出来るはずはありません。まして呪い殺すなんてこの世の中にあるなんてとても信じられない事なのですが、他に何にも打つ手はありません。まあそんなことは出来ないにしても、おせんの気持ちが少しでもと、西国行きをおせんに勧めてみたのです。この山神様のことについては兎も角、これだけはやってもらおうと思っていることが一つだけはありました。お竈殿でのお釜の鳴る音で吉兆を占ってもらうということです。お園と平蔵の時に立ち合っているのでこれだけは確かです。あの鳴る釜の音が今のおせんの高ぶりをいくらかでも沈めてくれそうな感じがしているのです。それからおせんが言う吸い込まれていくという深い穴も、「そんなもん吉備津様にはあったかいな」と思いながら、ご自分でも一度見てみたいとも思いました。
行ったこともない途方もない遠い国へ旅立つという娘のことを慮って、茲三郎から聞いてはいるのでしょうが、お由は母親としての当然の心配顔が消えません。でも、今は茲三郎の考えに随う他はありません。幸いこの度の旅にはお園も一緒するということで少しは心丈夫に思えるのですが。