私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

おせん 90 どかっと大きな石がある

2008-08-03 16:55:51 | Weblog
 お園の心配をよそに大旦那様と平蔵は何かしきりと話されています。お園が知らないお人やお店の名前がぼこぼこと飛び出しています。膳に付いているお酒もなくなったのでしょう、徳利をからからお振りになってから
 「ほナ、帰りまひょ」
 と、大旦那様がお立ち上がりになられます。「男はンの世界どす」と何時かおせんさんから聞いた事があるのですが、今、お二人でなさっておられる会話は、正にそれにちがいありません。女には決してない独特な雰囲気のある男はんの会話なのでしょうかと、大旦那様と平蔵の顔を見比べるように眺めていました。そのお園の好奇に満ちた目と帰りまひょといって立ち上がった大旦那様の目がぶつかるように会います。
 「うん、ちょっと待ってや。あ、そおうだ、いいことを思いついた」と言うと、再び腰をどっかと下ろされます。
 「うん、そうだお園さん。今、お園さんを見て、とっさに思いついたのやが、そうだ、おせんと一緒に吉備津さんへお参りに行くというのはどないやろか。どうして、こんな名案に今までに気付けへんかったのやろ。・・・そうや、この前お園さんから聞かしてもろうていた、なんでおましたか、それ、石がどうしたとか書いてもろうたといっていたそれじゃ。なんでおましたかな・・・」
 「夕立が降る どかっと 大きな石がある、というあれですか。どんでもない大きなお人だと大旦那様が言われたあのお人ですか。それがどうかしましたか」
 「そうだ、それでおます。何と言われたかな。年寄りになるとすぐ忘れてしもうて、年は取りとうおませんな。はははは」
 「はい、土地の人は盲人塚の真承さんと呼んでいます」
 「そうじゃ、その真承さんにおせんを合わしたら、どないやろうかと思いますねん。出来たら・・・ええと、これも名前は忘れてしもうとりますが、何と言ははりましたかな、どこかの山神様にお参りしてついでに願を懸けてもろたらどないやねんと」
 平蔵は、余りにも突飛に大旦那様が吉備津さま、真承さん、向畑の山神様の話を持ち出したので驚くというより、あきれるように大旦那様の顔を見ています。
 「そうじゃ、お園さんには気の毒だが、また、平どんに讃岐伊予までご苦労をお願いしておる。その間といっては何じゃが、一緒に行ってくれはらへんやろか」
 大旦那様は、お園が、あの時、話した郷里の言い伝えをまだ覚えられていて、それによって何か少しでもおせんの気が安らぐ事が出来るならとも思われたのでしょう。それに、今、少しでもこの大坂を離れて旅にでる方が思いつめているおせんの心の癒しにもなるのではないかと考えられたのではないかと思いました。
 「“月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人なり”と言った人もおりはります。みんな旅をしています。おせんも今とんでもない時への旅をしているのでおす。この世の中の仰山あるこまごまとした憂いの中に旅しておりますのや。この旅の中から抜け出すには、別の旅をすることが一番だと思う取りますねん。どないなるかは神さんだけしか知りへんねんけど。お園さんの時、あれは我ながらうまくいってくれはったが。もういっぺん、おせんのことで、吉備津さんに占らのうて貰うというのはどうでっしゃろ。はやいぶんに連れて行ったほうがええのとちがうのやおまへんか。どうどす、お園さん」