「小さな夢を大きく実現できるように」 H・T
以前在籍していた教会まで車を走らせて、4年ぶりに共に礼拝を捧げてきた。
この教会は4年前に会堂改築を成し遂げた。
私はその志半ばにして大阪教会に転出せざるを得なかった。理由は皆の知るところである。
会堂は新しくなり、それによって週報や礼拝のスタイルなど、細部が必要に応じて変化し、私が居た頃から比べると全体的に変わっていたが、やはりその教会が持っていた“らしさ”はそのまま変わらぬままで、ほっとした瞬間だった。
新会堂への漠然とした夢を抱くことから始まって、牧師が全ての舵を取り、皆の思いをすべて汲み上げ、じっくりと対話しながら時には現実を直視し困難を乗り越えて完成させた会堂は、外見的には旧会堂とほぼ同じ大きさでありながら、中は最大限に広く、使い勝手が格段に向上しており、建物そのものが伝道していた。大阪教会のように通りに面しておらず、民家の中にありながら、しっかりと存在を主張していた。私が居たときの教会員はみな更に年をとっており、アッパークラスへとシフトしていたが、乳児・嬰児、小学生など、将来教会をしょって立つ子供たちが少ないながらも着実に与えられ、育っている(皆が大事に育てている)のを感じた。
大阪教会は今、漠然とした夢を抱きつつある。
人は実現不可能な夢は抱かないとも言う。
この小さな夢を大きく実現できるよう、皆で祈っていきたい。
以前在籍していた教会まで車を走らせて、4年ぶりに共に礼拝を捧げてきた。
この教会は4年前に会堂改築を成し遂げた。
私はその志半ばにして大阪教会に転出せざるを得なかった。理由は皆の知るところである。
会堂は新しくなり、それによって週報や礼拝のスタイルなど、細部が必要に応じて変化し、私が居た頃から比べると全体的に変わっていたが、やはりその教会が持っていた“らしさ”はそのまま変わらぬままで、ほっとした瞬間だった。
新会堂への漠然とした夢を抱くことから始まって、牧師が全ての舵を取り、皆の思いをすべて汲み上げ、じっくりと対話しながら時には現実を直視し困難を乗り越えて完成させた会堂は、外見的には旧会堂とほぼ同じ大きさでありながら、中は最大限に広く、使い勝手が格段に向上しており、建物そのものが伝道していた。大阪教会のように通りに面しておらず、民家の中にありながら、しっかりと存在を主張していた。私が居たときの教会員はみな更に年をとっており、アッパークラスへとシフトしていたが、乳児・嬰児、小学生など、将来教会をしょって立つ子供たちが少ないながらも着実に与えられ、育っている(皆が大事に育てている)のを感じた。
大阪教会は今、漠然とした夢を抱きつつある。
人は実現不可能な夢は抱かないとも言う。
この小さな夢を大きく実現できるよう、皆で祈っていきたい。
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