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日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

巻物を食べたエゼキエル

2013-07-08 08:05:29 | メッセージ
宣教 エゼキエル2章1節~3章3節 

今年も半分が過ぎ、はや7月を迎えました。11月末新会堂完成迄あと5ヶ月となりました。先程は小櫻兄より恵みのお証しを戴きました。この仮会堂に移ってから4カ月が経ちましたが、主は私たち大阪教会に様々な出来事を起こし、御恵みを示してくださっていることを知らされます。
申命記8章にこのようにあります。「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる。(中略)この40年の間あなたの着物は古びず足がはれることもなかった。あなたは人が自分の子を訓練するようにあなたの神主があなたを訓練されることを心に留めなさい。あなたの神、主の戒めを守り主の道を歩み彼を畏れなさい。あなたの神主はあなたを良い土地に導き入れようとしておられる。」
残る20週、新会堂完成迄の私たちの歩みが御言葉に聞き従う中で、その栄光を拝する感謝と喜びに満ちたものでありたいと願っています。

今日は「巻物を食べたエゼキエル」と題し、御言葉を聞いていきます。
南ユダ王国は紀元前598年に、大国バビロニアの圧政によりその支配下となります。南ユダの王をはじめ、祭司、預言者、資産や財産のある富豪者、知識人や優れた技術者などはみなバビロニアに連行されました。その一方で、一般の民衆や貧しい人、弱い立場の人たちはユダの地に残されたのです。まだこの当時はエルサレムの神殿も破壊されずに残っていました。これがいわゆる第1回目のバビロニア捕囚といわれるものでした。実はその
12 年後の紀元前586年、再びバビロ二アの侵攻によってエルサレムの神殿は崩壊し、南ユダは完全に陥落してしまうのであります。
さて、ユダの捕囚とされた者たちは、必ずしも牢獄に入れられたり、強制労働を強いられたわけではありませんでした。ある程度限られた自由と彼らの信仰に基づいた生活習慣、又共同生活を営む最低限のことは許され、中には家を与えられたケースもあったということです。しかし異教的な習俗や偶像礼拝の影響を受けやすい環境であったことは確かでした。その捕囚とされた人々の中に、祭司の子であったエゼキエルもいたのです。
彼は1章の冒頭に記されていますように、バビロニアに連行されて5年が経った4月5日、バビロ二アの運河ケバルの湖畔で、神の顕現に触れ、幻を通して預言者の召命を受けます。彼は南ユダの祭司の家に育ちましたので、普通なら神に仕え、礼拝を司る仕事を継ぐことも考えられたと思うのですが、主は捕囚の地においてエゼキエルを主の言葉を「告げる」預言者としてお立てになったのであります。
その預言の大要が本日読まれました2章3節~7節までの御言葉であります。少し長いですが大事な箇所なのでもう一度お読みいたします。
「人の子よ、わたしはあなたを、イスラエルの人々、わたしに逆らった反逆の民に遣わす。彼らはその先祖たちと同様わたしに背いて、今日この日に至っている。恥知らずで、強情な人々のもとに、わたしはあなたを遣わす。彼らに言いなさい、主なる神はこう言われる、と。彼らが聞き入れようと、また、反逆の家なのだから拒もうとも、彼らは自分たちの間に預言者がいたことを知るであろう。人の子よ、あなたはあざみと茨に押しつけられ、蠍の上に座らされても、彼らを恐れてはならない。彼らが反逆の家だからといって、彼らの言葉を恐れ、彼らの前にたじろいではならない。たとえ彼らが聞き入れようと拒もうと、あなたはわたしの言葉を語らなければならない。」
このように、エゼキエルに託された使命は、主とその御心に逆らい続けるイスラエルの家に向けて、主の言葉を語ることにあったのです。

そもそも南ユダがバビロニアの侵攻と捕囚、さらにエルサレムの神殿の崩壊に至ったのは、ユダの家が主に逆らい続け、神ならざるものを崇拝し、虚しいものに依り頼んできたこと、反逆の歩みを続けてきたことがそもそもの原因でありました。
南ユダが侵略され捕囚とされる前、国内において偽預言者が現れ、偽りの安心や偽りの救いが説かれ、ユダの人々はそれに流されていったのであります。又、ユダの政治の指導者たちは、真実の預言者らの警告に耳をかすことなく、滅びに向かう危機的な国の情勢の中でなお、目先の利益だけを追い求め、中身のない平安・軍事同盟等の政策に安住していたのであります。
そう言う中で、先月迄読みましたエレミヤは預言者として国を憂い、不義と御神への反逆という世相にあって主の審きと救いの御言葉を語り続けたのでした。彼は真実な預言者であるがゆえに迫害され、その耐え難い孤独の中で主に祈り、訴えるのでありますが。そのような時エレミヤの脳裏によみがえってきたのは主の語られた御言葉でありました。
エレミヤは次のように述べています。エレミヤ15章16節、「主よ、あなたの御言葉が見いだされたとき、わたしはそれをむさぼり食べました。あなたの御言葉はわたしのものとなり、わたしのその心は喜び踊りました。」

今日のエゼキエルも又、その後捕囚の身となった南ユダの人々に向け、主の御言葉を語る使命が与えられます。彼の使命は、「主の教えを聞かない者、主に逆らい続ける者に、主の御言葉を語り続ける。たとえ彼らが聞き入れようと拒もうとも、『主なる神はこう言われる』と語り続ける」ことにあったのです。なぜなら2章5節にあるように、彼らはいつの日か自分たちの間に預言者がいたこと、その言葉が真実であったことを知る時が来るからです。具体的にそれは「神の審判の告知」であったのですが。苦い言葉を語らねばならないこのエゼキエルの務は、想像を絶する苦悩や戦いがあったのではないでしょうか。

主はそのエゼキエルに向けて次のように言われます。
「人の子よ、わたしがあなたに語る言葉を聞きなさい。あなたは反逆の家のように背いてはならない。口を開いて、わたしが与えるものを食べなさい。」

「わたしが与えるもの」とは、羊皮紙の巻物であり、表にも裏にも「哀歌・呻き・嘆き」の言葉が書き記されていました。羊皮紙の巻物を食べることなど出来るのか?そう思われるでしょうが。主はその御意志を視覚化することによって伝えようとなさったのです。
主はエゼキエルに「これを食べて、イスラエルの家に語りなさい」と言われます。たとえばどうでしょう、「恵み・平安・祝福」などと書かれていたのなら戸惑いなく口に入れることは出来たかも知れません。しかしこれらの苦難の言葉を食べることは、エゼキエルには非常に難しく、しんどいことであったことでしょう。
エゼキエルはこれから「反逆の家」と呼ばれている人々に主の言葉を語らなければなりませんでした。エゼキエルの語る主の言葉が素直に受け入れられるとは考えられません。主が言われるように「あざみと茨に押しつけられ、蠍の上に座らされる」痛みや苦難が伴う事の方が多いに違いありません。
それでもエゼキエルは主のお命じになることに従い口を開けます。主はこの「哀歌・呻き・嘆き」と表裏に記された巻物をエゼキエルの口に入れて食べさせた、というのですね。

この「哀歌・呻き・嘆き」は、イスラエルの家に降りかかるであろう災いを表すと同時に、エゼキエルが「悔改めと審判」を語るうえで伴う、預言者としての悲しみや痛み、孤独と苦難を示しています。
エゼキエルは、「わたしがそれを食べると、それは蜜のように口に甘かった」と言っていますが。どうして「哀歌・呻き・嘆き」が口に入れると蜜のように甘いのでしょう。「哀歌」というのは心がひどく痛むとか、情けなく残念な思いを詠んだ詩のことです。それが苦いとかしょっぱい、辛いのならわかるのですが。それがなぜ甘いのでしょうか。いろんな解釈や解説はありましょうが、たとえ審判の時、審きの中にあっても変わることなく貫かれる「神さまの愛」を示しているように思えるのです。
遥か以前、出エジプトに際しこう言われました。「わたしはエジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った」(出3章7節)。そうしてイスラエルの家は神の民として召し出されたのです。そしてその愛と召しは再びイスラエルの家に臨む苦難の時・審きの日にも決して変わることがない。その神さまの愛を「口に甘い」というように言い表しているのではないでしょうか。それを味わったエゼキエルは厳粛な主の審きの言葉の中に、神さまの民を愛するがゆえの苦悩を思い知らされ、それを身に負ったのです。それがその後のエゼキエルの預言者として活動する原動力となったのではないでしょうか。

この後、主の晩餐がございますが。エゼキエルが口を開けて主の御手からみ言葉を戴き、食べて世に遣わされたように、私たちも又、この主の晩餐において命の言葉なる主イエスのパンと杯を戴きます。
それは、私の罪を「悲しみ・呻き・嘆いて」ご自身に負われ、十字架上で裂かれた主イエスの御体であり、流された血潮であります。この神の御言葉を戴いた私たちも又、世に遣わされるのです。私たちも各々遣わされるそのところで証しを立てる者、伝道と奉仕の務めを担ってまいりましょう。
今日は預言者エゼキエルの召命の記事から御言葉を聞きました。詩編119:103に「あなたの仰せを味わえば わたしの口に蜜よりも甘い」とあります。日々命の御言葉に与りつつ導きを信じて。
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