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城壁を建て直そう

2012-10-14 17:11:49 | メッセージ
礼拝宣教 ネヘミヤ記2章 

①「エズラとネヘミヤがいなかったら」
本日はネヘミヤ記2章より「城壁を建て直そう」と題し、御言葉を聞いていきたいと思います。先週のおさらいになりますが。南ユダ王国はバビロンによって滅ぼされ、多くの人たちが捕囚としてバビロンにつれて行かれます。やがてそのバビロンもペルシャ王国によって崩壊し、その捕囚となっていたユダの人々はバビロンやその周辺において生活を築いたのです。今日のこの話の主人公ネヘミヤは、そのユダの民の子孫でありながら、ペルシャ王の献酌官として起用されていた人物でありました。注解書によれば王様の酒のいわば毒味役を兼ねた給仕役であったということで、何だか物騒な気もしますが。王の篤い信頼ゆえの役職ということで、その地位も大変高かったのです。8章9節には、彼は後にエルサレムの政治を司る総督となったとも記されてありますから、彼は政治的手腕にもたけていたのでしょう。
先週読みましたエズラは祭司であり又書記官でしたから、このエズラとネヘミヤの二人の霊的指導力と政治的指導力を通してユダの国の復興と信仰の原点に立ち返る改革というものがなされていったということであります。祭司と総督という立場は異なりますが、神への愛と神の民である同胞への思いによって一致し、その違った立場と与えられた賜物を活かして主の宮の再建工事や城壁の修復工事、そして神の民としての霊的復興という一大プロジェクトを遂行していくのであります。
もしこの彼らの働きがなかったなら、キリスト教の母胎となったユダヤ教は存続することはなかったでありましょう。私たちの全世界に与えられた救済の御業、主イエスの救いも、この復興の出来事があったからこそ実現されていったと言っても過言ではないでしょう。エズラの指揮のもと神の律法に立ち返り、礼拝を大事に守り抜き、心からの捧げものをもって神殿の再建をなしていった働き。さらに、ネヘミヤにより荒廃したユダの地エルサレムの町とその焼き崩れた城壁を、その指揮のもとイスラエルの人々が心を合わせ、力を合わせて建て直そうとしていく。それらのプロセスを通して彼らは再び、その約束の地において彼らのアイデンティティ-ともいえる神の民としての本来のあり方を文字通り建て直していくのであります。

②「ネヘミヤの祈りと神の導き」
ネヘミヤが荒廃したエルサレムとその城壁の建て直しに着手していったきっかけは、1章のところにあるとおり同胞の兄弟からその荒廃したエルサレムの現状を知らされたことから端を発します。そのことを聞いた彼はここにあるように、「座り込んで泣き、幾日も嘆き、食も断って神に祈る」のであります。
1章8-11節「どうか、あなたの僕モーセにこう戒められたことを思い起こしてください。『もしも背くならば、お前たちを諸国の民の中に散らす。もしわたしに立ち帰り、わたしの戒めを守り、それを行うならば、天の果てまで追いやられている者があろうとも、わたしは彼らを集め、わたしの名を住まわせるために選んだ場所に連れて来る。』彼らはあなたの僕です。あなたが大いなる力と強い御手をもって贖われた者です。おお、わが主よ、あなたの僕の祈りとあなたの僕たちの祈りに、どうか耳を傾けてください。」
そのように切々と訴え祈るのであります。しかし、それにしても不思議ではありませんか?バビロンによる崩壊と捕囚が起こったのは、この時からおおよそ100年程昔のことです。ネヘミヤはバビロンで生まれ育ち高い地位を得、その生活は慣れ親しんだバビロンの地で申し分ないものであったはずです。そういう立場であれば、大方の人なら安泰を願いもはや先祖の土地など思い起こすことなどないでしょう。ところが彼は遥か彼方のユダの地とその同胞に思いを馳せ、それこそ遥か昔1000年程も前、主がモーセを通して語られた、民への約束を引き合いに出しながらですね、民族にとっての悔い改めと共に、「その約束の場所に民の復興をお与えください」と、祈っているのですね。何と壮大な祈りでありましょうか。そこには永い期間どのような境遇にあっても、脈々と受け継がれてきた信仰と、主の言を語り、それに聞く人々が何世代も亘り存在した、ということであります。「投げ出さず、あきらめず、約束に地を信じ、仰ぎ望む人々がいた」ということです。
遠く離れた異教の地にあっても、エルサレムとそこに残された人々のことを自分のことのように思い、神の契約を堅く保って、滅びゆこうとする魂のために憂い心痛めたネヘミヤ。そしてその祈りは約4カ月の時を得て、不思議なかたちで導かれます。
この4カ月という期間はネヘミヤにとって決して短いものではなかったでしょう。ペルシャの王が、その顔と表情を見て心配したというのは、ネヘミヤの4カ月に亘るその心情をよく表しています。しかし目に見えないところですでに主の御計画は起こされつつありました。
ある日、自分の仕えるペルシャ王から「暗い表情をしているが、何か悩みごとでもあるに違いない」と尋ねられたことから、事態は大きく展開していきます。ネヘミヤは王にそう尋ねられることで、そのユダの地エルサレムの町の現状を自然に打ち分けることができました。さらに王が「何を望んでいるのか」と尋ねてきたことによって、ユダの地の町の再建のために働きたいと申し出ることができたのです。まあ、ネヘミヤはまさかこういう形で自分の祈りが導かれるなど考えてもいなかったでありましょう。自分の方から何か話を持ちかけたり働きかける前に、神さまが状況を備え、道を拓いてくださったのです。
ネヘミヤはこう言っています。8節「神の御手がわたしを守ってくださったので、王はわたしの願いをかなえてくれた。」
このようにネヘミヤの背後にあって生ける神、主がお働きになり、一つひとつの事どもを導いておられることを御言葉から読み取ることができます。そのことは、「主に祈ることができる」という、本当に尊い信仰を与えられて生きる私どもにとって、大きな支えと力になりますね。
人は憂うべき状況の中で何とか事態を打開させ改善させようと、もがき画策します。それも大事かもしれませんが。まず真実な訴えに耳を傾け、最善の御計画を導くことのできるお方である主に向かい祈りつつあゆむ中で、主は私たちの思いを超えて道を拓いて下さるのであります。この主にどこまでも信頼していきましょう。

③「心を合わせる」
さて、ペルシャ王キュロスの許可を得たネヘミヤはエルサレムに到着いたします。そこで3日間過ごしてから、エルサレムの城壁と谷の門や糞の門などを巡り調査します。それは夜中に秘かになされ、わずか数名で行われます。彼はユダの宗教界・財界・政界の代表者たちの見解を聞く前に、まず自分の目で確認しようとしたのです。そして確かに「城壁が破壊され、城門は焼け落ちていた」のをその目で見て確認しました。その後で、そのユダの代表者たちと工事に携わる人々に会ってこう告げます。

17節「『御覧のとおり、わたしたちは不幸の中であえいでいる。エルサレムは荒廃し、城門は焼け落ちたままだ。エルサレムの城壁を建て直そうではないか。そうすれば、もう恥ずかしいことはない。』神の御手が恵み深くわたしを守り、王がわたしに言ってくれた言葉を彼らに告げると、彼らは『早速、建築に取りかかろう』と応じ、このよい企てに奮い立った。」というのです。

ネヘミヤが証しした神の御手と御恵みに呼応するかのように、そのエルサレムのそれぞれの代表者たちや工事に携わる人々は、「城壁を建て直す」という主の一大プロジェクトに、いわば「よっしゃ!」と心を合わせ奮い立ったというのですね。
ところが早くも10節「ホロニ人サンバラとアンモン人の僕トビヤは、イスラエルの人々のためになることをしようとする人が遣わされて来たと聞いて、非常に機嫌を損ねた。」そして19節にも「ところが、ホロニ人サンバラト、アンモン人の僕トビヤ、アラム人ゲシェムは、ネヘミヤの言葉を聞いて、「嘲笑い、さげすんだ」というのです。ネヘミヤはそれに対して答えます。20節「天にいます神御自ら、わたしたちの工事を成功させてくださる。その僕であるわたしたちは立ち上がって町を再建する。」祈りのうちに「神が導いてこられた」と確信を抱ける人は強いですね。
まあここには、そのエルサレムの荒廃をくい止め、城壁を建て直そうと立ちあがり、心を合わせて働こうとする人々に対して、その思いを折って萎えさせバラバラにしようとする勢力があったということです。そのような勢力に対してネヘミヤは、「天の神ご自身が工事を成功させてくださる、私たちは立ちあがって町を再建する」と、まさに勝利の主にあって「自分たちは心を合わせて働くのだ」と宣言します。その力強い宣言は、ユダの人々を一つにし、さらに結束を強めたに違いありません。
3章では具体的な城壁の建て直し工事の光景が記されていますが。そこにはエルサレムの町の人々が自分たちの住んでいる場所に近い焼け落ちた城門から、それぞれ修復をして城壁の建て直しがなされたということが記されています。彼らは自分たちの身近なところから、自分たちのなし得ることをもって、事業に携わったということが3章を読むと分かります。私たちもそうです。与えられたビジョンの実現に向け、それぞれが忠実に身近なこと、できる事から始めていく時、主ご自身が事をなしとげて下さると信じます。

敵の妨害が激しくなった時、民は一方の手で作業をなし、もう一方の手には防御のための武器を手にして働いたとあります。私たちにとって武器とは何でしょうか?それは祈りであります。問題や課題、計画を阻止するような働きや出来事に対して、私たちは祈らねばなりません。ネヘミヤは様々な問題が起こる度に、主に訴えて祈りました。そういう祈りのバックアップを背後に、民は心を一つにして後の世代にまで祝福を与えるこの一大事業に携わっていったのです。
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