たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

大晦日少し思う <今年も一年が過ぎ去り、明日からまた新たな年が始まり、少し先まで考えてみようかとふと思う>

2017-12-31 | 人間力

171231 大晦日少し思う <今年も一年が過ぎ去り、明日からまた新たな年が始まり、少し先まで考えてみようかとふと思う>

 

漱石が来て虚子が来て大三十日 子規

 

これは今朝の毎日で坪内稔典氏が取り上げていました。大晦日を見事に活写した俳句の一つでしょうか。1895年の作ということですから、漱石も子規も28歳ですから、若い世代が集まるのは自然ですし、まして日本を代表する文化人たちですから除夜の鐘をも聞こえないくらいに会談に熱中していても不思議はないですね。

 

ただ、私はふと思ってしまいました。わが国では大晦日、そして新年を家族以外と一緒に過ごしたことは、青年同士や恋人同士は別としてあまりないではと。

 

カナダで暮らしていたとき、中年(40代から60代初めくらい)が仲間の家に集まって、宵越しに飲み談笑し、カウントダウンして新年を迎えるというのは割合多いように感じたのです。私もその一人でしたが。正月休みというものもなく、ただ新年を祝うことは花火を打ち上げたりして派手ですが、仲間同士が集まることが結構あるような気がしました。他方で、クリスマスは家族が必ず集まるように思います。

 

などと考えながら、ちょっと思い出したことから書いてみようかと思います。

 

今年の正月、四国の中央ともいってもよい四国中央市新宮にある霧の森・霧の高原を訪れました。そして今日、再び訪れました。清流が眼下に流れるレストランで昼食をとり、深い山々と清流の瀬音が聞こえてきそうな雰囲気が安らぎをあたえてくれます。

 

このブログを続けるのをやめようかと思ったとき、このときの体験が結局、「千日連続ブログ」を決意することに繋がったように思います。そして今日も呼吸をするようにブログを書き始めました。この一年を振り返りながら、明日から始まる年を、そしてその先を考えながら。

                                                                                                         

それは松岡正剛氏の存在が大きいように思います。彼の<千夜千冊>は以前から時折立ち寄ってはその深い洞察や幅広い視野に魅了されていました。その彼がこの霧の森で、観音像を中心に観音浄土の世界として新たなコンセプトによる村づくりを構想し、それがもう少しで実現するところでした。日本各地に観音信仰があり、浄土を求めてきた時代があったと思います。松岡氏がそれをなぜこの地で、またどのような構想を具体的に考えたかを現地で確認してみたかったから、今年の正月に訪ねたのです。

 

そのときの感想は、このブログを正月休みで休止し、再開を決断した1月5日に書いています。

 

松岡正剛氏と比較すること自体不遜なことなのでしませんが、ただ、千日続けることで、私というものが少し見えてくるように思いつつ、実際はまさに空虚な存在であることがわかるだろうということでした。いま日々のブログはその一端を証明し続けているように思っています。

 

ともかく始めた千日ブログで、この一年は日々、適当にお題を選び、そのとき思ったことを書いてきました。基本はさまざまな報道媒体の資料を取り上げて、その内容をただ書き連ねることで、自分がどう反応するかを書きながら実感してきました。

 

そして書いているうちに、この世界はいろいろな大きな変化を感じさせてくれました。その変化の一つは、あえてほとんど取り上げませんでしたが、北朝鮮の挑発的で連続的な脅威とアメリカの対立軸の激化でした。それにわが国が割合敏感に反応を示してきたと思うのですが、世界的に見たときこの極東での変化はさほど大きな影響を与えていないようにも見えます。

 

北朝鮮の暴挙とも思える核実験やミサイル発射などに対してアメリカをはじめ世界中が抗議をして、北朝鮮の孤立と異常さを感じさせます。ただ、アフリカの中では北朝鮮は相当支持されているようですね。

 

他方で、イスラエルの首都をエルサレムとして大使館を移すというトランプ大統領をはじめとする政権の動きは、世界中の国々が反対の意思を表明しています。このようなアメリカの二重基準というか公正さとはとても見えないスタンスは、今後も続くと思われる中、極東の危機は鎮まる可能性は当分ないのでしょうね。

 

はっきりしていることは軍事予算が今後も一層増大し、危険が軽減する状況にないことでしょうか。それを支持する人は少ないはずなのに、実際は危うい状況に突っ走ているようにもみえ、それが軍産複合体という強力な組織が、自己増殖のために持続的な圧力をかけているように見えるのは邪推でしょうかね。

 

そんな先行きの不安なことを憂うよりも、日々の生活や自分のことで一杯の私を含め多くの人にとっては、時間に追われるように車を勢いよく走らせたり、それを遮る相手にはあおり運転などという行為も目立ちました。

 

差別的な見方や言動・暴力も少なくなったように思います。相模原障害者施設での利用者の大量殺傷事件も信じられない暴挙でした。その原因はいまなお明らかでなく、ただ犯行者の異常さだけが目立つのみで、障害者の状況改善の方向性は見えません。

 

電通という日本を代表する広告会社、その内容は日々どこかで見ているかもしれないにもかかわらず、その企業が優秀な新入社員を自殺に追い込むほど過重労働を強いている体制を構築してきたことも驚くべきことです。それがいまなお多くの日本企業で悪習を差別的な取り扱いという形で残していることを私たちは意識しておく必要があるように思うのです。

 

ちょっと内容が違いますが、各種の大手製造メーカーにさまざまなデータなどの不正がはびこっていたことも、日本人が大事にしてきたといわれる信頼性を脅かしています。

 

こういうことを書いているときりがありませんので、この程度でおさめておきます。

 

私自身は変化に富んだ一年だったと思います。そして今は再び安定した状態にあるのかなと思うのです。このブログを書き続けていることが心の安定につながっているようです。

 

そして来年はどのような変化があるか予想できませんが、私個人はどのような変化も、所詮は色即是空を自分に問い直すチャンスと思い、その変化を注視していきたいと思います。

 

経済は活況を呈しているとか、株価がバブル崩壊以降で最大の日経平均となっているようですが、それは私から見れば、実体のない危ういもののようにしか思えないのです。

 

世界的金融緩和の中で、だぶついた貨幣が一時的に株投資に回っただけではないかといった渋い見方の方が私には信じられるのです。

 

その意味では、来年度に経済がさらによくなるとか、株価の上昇が続くとか、そういったアナリストの評価が裏切られて、大不況が訪れたとしても、また戦争が突発したとしても、これまでの歴史の中で誤った経験を踏まえて、個々人がしっかりと自分の信念と事実を理解して、一歩一歩を踏み出せば、それほど脅威とはならないように思うのです。

 

結局は、情報媒体や政府の広報に対して、個々人が自分たち一人一人が自分の考えをもって正しいと思う道を歩むことが大事なのでしょうね。当たり前のことを当たり前のように言うことで、筋書のない未来に対処することが、来年に向かう大晦日の夜に考えた私の思い付きでしょうか。

 

今年一年私のつまらない内容にお付き合いしていただいた方には感謝して、もし機会があれば来年もよろしくお願いして、今日はおしまいです。また明日。

 


抗がん剤と廃棄物 <抗がん剤 廃棄738億円 年間推計、残薬活用が急務>などを読みながら

2017-12-30 | 医療・医薬・医師のあり方

171230 抗がん剤と廃棄物 <抗がん剤 廃棄738億円 年間推計、残薬活用が急務>などを読みながら

 

今日はとても気持ちの良い澄み切った空、しかも穏やかで暖かく感じるほどでした。年の瀬とは思えない感じです。とはいえ行動はまさにそれ。実家の片づけを手伝い、粗大ごみがわんさとでてきました。認知症の母親も、以前は絶対に捨てないという大正時代の申し子?みたいでしたが、認知症が進行してからは明確な意思表示がなくなり、物がなくなっていくとも気にならないようです。クリーンセンターも今日が最後の受付日ということで、門前には家庭用廃棄物を入れた乗用車がずっと並んでいました。みなさん考えることは同じでしょうか。

 

おかげでかなり片付きましたが、まだまだという感じです。新車のトランクに入れるにはどうかと思いつつも、ま、いいかと粗大ごみを入れて2度運び込みました。

 

物資不足の戦前戦後に青春を送った母親は、なかなか気持ちの転換ができず、捨てるということができなかったようです。代わりに私が終活をやっています。日常的な介護世話はできませんが、この程度なら多少は役に立ちたいと思うのです。

 

こういった廃棄物はそれぞれの家庭がそれなりの努力をすれば、商品選択やリサイクルなどで廃棄物の発生・処理を減少することができるわけですね。最近はそういった意識や知識が普及してきたことはいいことだと思っています。とはいえ、なかなか廃棄物になることを考えて商品選択をしている人、廃棄物にならないようリサイクル・リユースなど再資源化に配慮する人、といった人たちはまだまだ多くないように思っています。

 

さて、医療廃棄物については、一般に有害性に注目され、その処理に適切かつ安全に処理される方向が確立して長いですが、そのコスト増大について着目されることはさほど多くなかったように思います。

 

今朝の上記毎日記事は、下桐実雅子記者によるもので、医療廃棄物の一部である抗がん剤に着目していますが、そういった側面の一端に新しい視点で光を当てるもので、当を得たものではないかと思います。

 

<使い切れずに廃棄された抗がん剤は、2016年7月からの1年間で738億円に相当するとの推計を、慶応大の岩本隆特任教授(経営学)らがまとめた。社会保障費の抑制が課題となる中、医療費削減のため残薬の活用が急がれる。>ここでは抗がん剤で未使用のまま廃棄された分が金額ベースで年間738億円相当というのですから、信じられない金額ですね。

 

具体的な内容に身を落とすと、腑に落ちる部分があります。

<慶応大は国立がん研究センター中央病院と共同で、同病院の抗がん剤の平均投与量を基に、抗がん剤ごとの廃棄率を算出した。さらに各抗がん剤の市場規模のデータから廃棄額を計算すると、抗がん剤の廃棄額は合計738億円に上ると推計された。廃棄額が大きかったのは、アバスチン(99.3億円)、オプジーボ(90.7億円)など。>

 

具体的な廃棄量や金額というよりは、抗がん剤の平均投与量から抗がん剤ごとの廃棄率を算出、そのうえで各抗がん剤の市場規模のデータから廃棄額を計算ということで、一つの推計手法でしょうか。

 

いずれも高額の薬価であるのに、未使用のまま廃棄される理由については<瓶入りの液体の抗がん剤は患者の体格によって投与量が異なり、1瓶を使い切れない場合もある。しかし1回開封した瓶は、細菌が混入する可能性があるとして、薬が残っていても廃棄するのが一般的だ。>

 

ほんとに開封した瓶だけの廃棄物と特定されたものなのか、これだけではわかりませんね。もう少し具体的な検証が必要ではないかと思いますね。このような高額なものをポイ捨てのように扱っていいのかですね(ポイ捨てとは違いますが)。

 

この点は、すでにこの取り扱いに批判的な立場で改善策が提示されています。

<瓶の残薬を別の患者に活用した場合、細菌の混入を防ぐ器具のコストなどを考慮しても、560億円の薬剤費を減らせると試算した。廃棄額が年間10億円を超える16薬剤に限定し、規模の大きい病院のみで実施しても528億円の削減効果があるとしている。>

 

そんな簡単に改善策があるのであれば、これまで<細菌の混入を防ぐ器具>のアイデアとか開発がまったく検討されてこなかったのかと疑問に感じます。

 

それも「廃棄額が大きい」とされるのが、あの高い薬剤ですね。

オプジーボについては、その薬価が以上に高いということで問題となり、一挙に半額になりましたね。

 

商品名オプジーボについては、ウィキペディアで<ニボルマブ(Nivolumab)>は、悪性黒色腫治療を目的とし、後に非小細胞肺癌・腎細胞癌に適用拡大された分子標的治療薬の一つで、ヒト型抗ヒトPD-1モノクローナル抗体医薬品であり、当時の京都大学医学部の本庶佑博士の研究チームが開発に貢献した[1][2]。日本においては2014年7月4日製造販売が承認され[3]、2014年9月小野薬品工業から発売が開始された[4]>とされています。

 

またその特徴は<ニボルマブは、癌が免疫から逃れるためのチェックポイント・シグナルPD-1を抑制することにより、リンパ球による癌への攻撃を促進する[2][3]。>とされています。

 

ただ、その値段がべらぼうに高いのですね。

<オプジーボの薬価は、100mgで72万9,849円であり(2014年)[19]、1年間使用すると3,500万円になる[20]。>

 

ところが世界の薬価に比べてわが国は極めて高いことが指摘されました。

<100mg当たり、イギリスでは約14万円、ドイツ連邦では約20万円、アメリカ合衆国では約30万円となっている[24]。>

 

これは当然批判の対象となり、昨年<11月16日に開かれた中医協において、2017年2月1日からの50%の薬価引き下げが了承された[25]。>わけですね。

 

でも、この問題は根が深いように思います。薬価がきわめて高額に維持されつつ、他方で未使用のまま廃棄される、ますます手に入りにくい状態をこの業界を作り出してきたともいえるのではないかと思うのです。というとうがった見方との批判もあり得ましょうが、高額の薬価と未使用廃棄を維持してきた医薬の一部にはそういう問題を潜在的に抱えているとの疑惑に適切に答えてもらいたいと思うのです。

 

人は健康で長生きしたい、そういう場合にがんは降ってわいたような突然の不幸(とりわけ抗がん剤による苦痛と倦怠などは生き地獄ともいう人もありますね)と感じる人も少なくない、それに効果的に対処する抗がん剤ならいくらかかってもよいと考える人もいるでしょう。

 

私の場合、人の命は自然の寿命に任せるのがよい、命尽きたところにはなにも残らないと思っているような人間にはあまり関係のない話かもしれません。いや素粒子レベルだ生だと、生もなければ死もないのかもしれません、空即是色かもしれません。

 

生に執着してというか、懸命に生きようとあらゆる手段を駆使する生き方も大事でしょう。とはいえ、抗がん剤で骨や細胞がボロボロになってしまうこともあったといいますが、高額な薬価の薬だと大丈夫なのでしょうかね。私の場合は骨になんの意味も認めないという見方をするような人間ですので、そのような治療を受けることもないと思いますし、治療の結果を悩むこともありません。ただ、それに多額の費用をかけることは、社会経済的な意味合いでも、私の選択肢にはありません。

 

医療や医薬の世界では、私のような生き方は無視されるのでしょうから、それはそれでよいのですが、3分の1が借金財政の中で、将来の世代の負担増を考えないで、この状態を持続することには責任の一端を感じます。ましてや医薬品・医療分野の廃棄物処理はライフサイクルの視点で全面的な見直しを考えてほしいと思うのです。

 

今日も片づけとごみ処理に追われてようやく一息ついた後、遅いブログ書きとなりました。それでもまた一日続けることができました。感謝、感謝です。

 

今日はこれでおしまい。また明日

 

(なお、これは調子のよくないラップトップで書いていまして、普段より誤字脱字が多いと思いますが、いつものように校正まで手が回りませんので、ご寛容ください)

 

                                                                                                                 

                                                              


海から見た日本 <『宮本常一講演選集8日本人の歩いてきた道』をちらっと読みながら> 

2017-12-29 | 日本文化 観光 施設 ガイド

171229 海から見た日本 <『宮本常一講演選集8日本人の歩いてきた道』をちらっと読みながら> 

 

今日は中央構造線の橋本から紀ノ川沿いを西に走り、南海フェリーに乗って徳島からは吉野川沿いをさらに西に走りました。

 

吉野川は、神武東遷のときから、熊野から吉野を経て吉野川を渡ったと言われているとおり、古い歴史を持ちますね。ま、伝承と受け流せばそれですみますが、それでも天武・持統朝にはよく訪れた由緒あることは万葉集にもあるので確かなのでしょう。

 

その吉野川が五條から橋本(当時はおそらく別の地名でしょうね)当たりで紀ノ川に名称が変更になったのはいつからでしょうか。紀伊の国ができたころでしょうかね。では、四国三郎といわれる吉野川はいつからそう呼ばれているのでしょうか。なにか吉野川はずっと繋がって一本の川であったということがあったのではと思いたいところですが、地形学的にはありえないのでしょうね。紀ノ川と徳島・𠮷野川を分断する紀伊水道が生まれなかったらどうなっていたのでしょう、なんてことをフェリーの中でふと考えてしまいました。

 

そのフェリーの乗船時間は2時間余り。高速道路を走れば時間は短くなりますが、私のように首・腰痛持ちだと、耐えられません。このフェリー乗船時間は最高の骨休みです。いつも横になっています。外国でなんどもフェリーに乗りましたが、こういった横になれる場所は経験がありません。まさに日本人の伝統的な生活様式が生んだものでしょうか。むろん

日本でも長距離の場合は寝室付きですので、これは別ですね。

 

こういったフェリーに乗ったことがない方のために一言付け加えますと、大部屋のような座れる場所ですが、たいていの人は横になっています。年末年始の時は込み合いますので、雑魚寝状態ですね。ま、山小屋風でしょうか。庶民的といえばそうだと思うのです。

 

お金に余裕のある方はフェリーを使わない?、あるいはフェリーに乗ってもグリーン券?を買って有料の椅子席で休むのでしょうか。

 

私はこの雑魚寝的空間が割合平気です。小さなお子さんは泣き叫んだり、人の寝ているところをまたいでどんどん歩き回ったりします。外国人はめったに見かけません。仰天するかもしれませんね。アジア的雰囲気でしょうか。アジア人なら大丈夫かもしれません。

 

さてその雑魚寝的雰囲気の中で、一寝入りもしますが、それ以外はだいたい本を読んでいます。今日は冒頭の書籍でした。

 

喧噪な雰囲気ですが、宮本常一の体験的な話、コクのある話、日本人の本質に近づくことができるような話に、埋没しました。

 

いま寝る前にこのブログを書いていますので、正確に内容を再現できるわけではありませんが、いくつか興味を覚えた点を書き記したいと思います。といっても睡眠時間もあったので、実際のところ1時間程度くらいしか読んでいませんから、300頁あまりのほんの一部しか読めていませんので、ほんのさわりです。

 

宮本氏は、日本は海に囲まれた国だから、海からこの国、人を見ることが大切だというのです。そのとおりですね。記紀を含め日本の歴史書には、どうも海からの視点が十分でないように思うのです。

 

それは海人には文字を必要としない生活があり、文字を残していないことも大きな影響があると思います。文字を残さなかったとはいえ、その海の民が伝えた、形成した文化・文明は多大なものがあるように思えますね。

 

宮本氏は、多くの鋭いまなざしをもって各地でヒアリングを重ねて、彼独自の見方を低k評してくれているように思えます。その中で面白いと思ったのが筏です。古代の海の民はどのような乗り物で海洋に出たのでしょうか。宮本氏は道具がない時代、筏をうまく組み立て、時には2層に重ねることで、大海原でもわたることができたのではないかと指摘していたと思います。これまで世界各地で多くの人が古代人の海洋航海に素朴な船でチャレンジしてきたと思いますが、筏も結構有効なものだったかもしれません。

 

筏は底が平たいですね。そこが西洋船との違いだと宮本氏は指摘します。東南アジアでは、

船底が平らなのが普通で、その平坦な船底だからそこで生活もできる、現在もそういった平底の船で生活している人は各地にいることからもいえるのでしょう。技術の進展で巨大化する船でも、平底を起点に板を重ね、天井に大きな梁を渡す構造が和船の基本スタイルとして長く発展してきたというのです。

 

で、ここからが生活文化に関係してくるのですね。平底船の日本への導入は、男女が海で共同して働くことが漁民の中でも一つのグループとして成立したというのです。それに対し、別のルート、これは男性だけが海に出て漁をし、女性は決して海に出ないという方式、琉球あたりからの南方ルートでしたか、ずっと北上していくのですが、なぜか瀬戸内海では両者が併存していたというのです。

 

この海の民は、海で魚を獲るだけでなく、交易やさらに海賊行為も行ったというのです。

 

そして生贄ということが象徴的な意味合いで語られています。記紀の中にも、「 持衰(じすい)」という存在が期されていますが、航行の安全を祈願する、祈祷するそういう祈祷師的な存在が必ずいたというのです。持衰は船の舳先に立ち、船の安全を祈祷する神的尊大だったといのです。しかし、海難にあったときは、持衰は海の神を鎮めるため、生贄として海に投じられる危うい存在でもあったのですね。

 

そういえば、記紀の中に、日本武尊が関東を征伐するために赴く際、東京湾を渡ろうとして、嵐に遭遇して危うい状態になったとき、弟橘媛が身を捧げ海に飛び込むシーンがあったと思うのですが、それもこのような伝承を踏まえた話でしょうか。横須賀の走水にある伝承記録ですね。

 

で、話が落ち着きませんが、今日のお題のポイントは、元々は血を捧げる、生贄が重要な儀式であったのが(これは南米など世界各地でも見られますね)、ある時点から血から水に変わったという点です。それまでは動物の生贄に血を神に捧げることが行われていたのが、血は汚れたもの、忌み嫌うものになり、水になったというのです。それは米作、しかも水田で作られる米栽培が普及したことによるというのです。

 

陸稲の方は焼き畑耕作がかなり早い段階から導入され、血をささげることとも両立したのでしょうが、水田の場合は水こそ貴重なものとなり、水を呼び込むことと雨水の予想というか祈願こそ求められるようになったということでしょう。

 

それにかかわったのが海の民というのです。

まだきちんと理解していない中で、記憶の中でいろいろ断片的に残っていることを適当に書きました。さらに興味深い話があったのですが、どうも脈略がはっきりしません。

 

中央構造線の断層付近を走行したので、頭の中にも断層というか断裂が生じて、せっかく宮本氏がきちんと整理した開設をしていたのを、目茶目茶にしてしまったかもしれません。

 

もう一時間を優に超えたようです。そろそろ時間となりました。また明日。


農道のリスクと説明責任 <台風21号 県の農道整備「崩落誘発」>などを読んで

2017-12-28 | リスクと対応の多様性

171228 農道のリスクと説明責任 <台風21号 県の農道整備「崩落誘発」>などを読んで

 

もう年の瀬ですね。今年一年の出来事もいろいろありました。昨今は貴乃花親方の処遇をめぐる報道が過熱気味ですね。私の方はしばらく新しい車シートにどう自分をなじませるかで日々悪戦苦闘していて、痛みをどう軽減するかという小さな悩みに難渋しています。

 

とはいえ今日のお題をと思ったら毎日の和歌山版で<台風21号県の農道整備「崩落誘発」 紀の川市被害、検討委が中間報告>という記事内容が気になりました。

 

台風は毎年のように異常さが目につきますが、温暖化が進むと、アメリカのハリケーン並に巨大化するとかの情報もありますね。時間雨量100mm超えも珍しくなくなった気がしますし、従前の安全基準の見直しが必要ではないかと思うこの頃です。

 

そんなとき、上記の毎日記事では、<10月の台風21号で住民1人が亡くなった紀の川市西脇の土砂崩れについて、県が設置した有識者らによる調査検討委員会は27日、県による農道整備が斜面崩落を誘発したとする中間報告を明らかにした。設計や工法に問題はなかったが、想定以上の大雨で土台部分の排水が追いつかなかったとして県の責任を認めた。>と稲生陽記者が報じています。

 

この記事は報告内容を簡潔に要約したためか、意味がよくわかりません。<設計や工法に問題はなかった>というのに、<県の責任を認めた>というのは責任をどう考えているのでしょうか。

 

<想定以上の大雨で土台部分の排水が追いつかなかった>ことが県の責任ということであれば、結果について無過失責任を認めたような説明ですね。大雨で、それが想定以上となれば、そのままとれば回避不可能な自然災害ともとれます。

 

検討委の説明自体が曖昧に聞こえます。<検討委は、通常の想定雨量通りなら問題はないが、史上最大レベルの大雨に対しては排水能力が足りず、地下水の圧力や流れが変わったとみられるとした。検討委の大西有三会長(京都大名誉教授)は「農道を造ったことで地下水の流れが変わったことは確か。これほどの雨は通常の設計では想定しないが、県にも責任がある」と述べた。>

 

ただ農道について、<史上最大レベルの大雨に対しては排水能力>を要求するのだとすると、一体いかなる技術基準なり法令根拠によっているのか、ここではわかりません。原子力発電と同じでないことは確かでしょう。他方で河川水害より高い安全基準が求められることは判例上確立していると思います。しかし、この検討委の説明だけでは一体いかなる根拠に基づいているのか不明です。

 

それで少しネット情報を調べてみたら、和歌山放送の記事が少し詳細でした。まず<斜面崩落事故で仁坂知事が謝罪>では、<仁坂知事は会見で「暫定的な結論が出た。さらなる調査が必要だが、盛り土の存在が斜面崩落につながった」と県の責任を認めました。>

 

この会見内容からは農道建設のための<盛り土の存在が斜面崩壊につながった>と因果関係を認める内容ですが、問題は国家賠償法2条1項にいう「道路の設置又は管理の瑕疵」があったことまで認める趣旨に読めますが、その内容は明らかでありません。

 

前日の記事<紀の川市西脇斜面崩落・調査検討会「農道の存在が斜面崩落を誘発」>にはその点少し具体的です。

 

<協議会会長の大西有三(おおにし・ゆうぞう)京都大学名誉教授は・・「いろいろな要因は考えられるが、農道の存在は少なくとも影響があったとみていて、一番の原因が大雨で、想定の130ミリを超える200ミリ以上の雨量に盛り土がもたなかったのではないか。通常、盛り土の部分には十分な排水システムが整備されるが、西脇は不十分だったと思われる。農道を作ったことで斜面の中の雨水の流れの変化に伴い、土中の圧力も変化したと考えられる。地元の方の意見が非常に役に立った」などと話し、今後も、盛り土の排水の整備を含めて検討を続ける考えを示しました。>

 

どうやら大西氏(別の記事では調査検討会会長とされています)の説明は発言内容をそのまま掲載されいるようですので、少なくとも大西氏が説明したのでしょう。ただ、中間報告なるものが和歌山県のホームページでも、担当部署と思われる県土整備部や農林水産部農林水産政策局などにも見当たりませんでした。和歌山県のホームページ自体がかなり簡素なもので、内容も充実しているとは言いがたいですね。予算がとれないのでしょうか。

 

ともかく記者会見の写真では文書化されたものが大西氏の前にあるわけですし、中間報告といえば暫定的でも、おおよそ最終報告書になりうる可能性が十分あるのですから、最近ではほとんどがネットで開示していると思います。これは改善してもらいたいですね。

 

大西氏の説明は少しわかりにくいです。大雨が想定外であったことを指摘しています。<一番の原因が大雨で、想定の130ミリを超える200ミリ以上の雨量>と発言しています。設計基準を超えるわけですから<盛り土がもたなかったのではないか>との推測は合理的なものですね。だからといって責任問題に直結するとは言えませんね。

 

しかし、次の発言は瑕疵を認める趣旨となっています。災害が発生した西脇地区は排水システムが不十分というのです。<通常、盛り土の部分には十分な排水システムが整備されるが、西脇は不十分だったと思われる。>もう一つの原因に関わる発言があります。<農道を作ったことで斜面の中の雨水の流れの変化に伴い、土中の圧力も変化したと考えられる。>

 

この2つの点は、定性的な判断と言えるかと思いますが、いかなる科学的な根拠に基づいているのか、ここでは明らかでありません。とくに後者は地山に盛り土・切り土を行えば通常生じる可能性があり、こういった一般論がいかなる意味をもつのかよくわかりません。

 

最後の言葉が気になります。<地元の方の意見が非常に役に立った>という大西氏の発言です。それはこの記事の最初に指摘していますね。<今日の検討会では、死亡した住民の50代の長男と60代の農業の男性1人の西脇地区の住民2人の意見聴取が初めて行われました。そして「県が整備した農道の斜面の土台となる盛り土の中の排水が不十分なため、大量の雨水の逃げ場が無くなって斜面の崩落を引き起こした」と指摘したということです。>

 

調査検討会はこの日、地元のヒアリングを行ったようです。たしかに遺族の方や農業者は農道開設による土砂流出や排水の変化などは定性的に把握しているでしょうから、体験に基づいた発言として貴重であることは確かです。しかし、そのことから農道の設置・管理に瑕疵があったと言えるかは別の話ですね。

 

ここで災害内容を確認しておきます。和歌山放送の記事<紀の川市西脇土砂崩れ・県が調査委員会設置へ>では、以下のように報道されています。

 

<崩れたのは、県が紀の川南岸の紀の川市北涌(きたわき)から荒見(あらみ)にかけて、来年度(2018年度)の完成を目指して整備中の「広域農道・紀の里(きのさと)地区」6・4キロの一部で、22日の午後8時半ごろ、紀の川市西脇の民家から14~15メートルほど上の部分が崩れて土砂が民家を直撃し、住民の82歳の男性が死亡しました。>

 

この農道についての情報自体あまりなく、ちょっと検索しただけですが<紀の川フルーツライン(広域農道紀の川左岸地区)の高野山関連区間の開通について>くらいでした。たしかに上記記事にある「紀の里地区」の記載がありますので、この広域農道であることは確かでしょう。

 

ところで、農道も道路ですので、こういった場合国交省の道路構造令や具体的な施工基準を示している日本道路協会作成の「道路土工要綱」などに基づいて(あるいは準じて)設計・施工しているのかもしれません。ここはまだ確認がとれていませんが、一般に農道(といっても広域農道などのような大規模なもの)のそういった基準を示したものを見たことがありませんので。

 

この要綱に依拠して、以前道路の瑕疵をめぐる裁判を担当したことがあります。計算がややこしいというか、裁量的な部分が結構ありまして、その具体的な当てはめはより専門性を要するかなと思っています。

 

さて、農道と道路法が適応となる国交省管轄の道路はかなり違う印象があります。前者は後者と比べ、法面養生や排水設備などが十分とは言えないように感じるのです。

 

たとえば道路の構造要素となる砂利などが下方に容易に流れ出すことが普通に見られるように思います。むろん私が農道をたくさん見ているわけではないので、具体の農道はしっかりと整備されているのが大半かもしれませんので、ここは私が見た体験のみの発言です。

 

ところで、道路についてはこれまで多くの災害が発生しており、裁判例も少なくありません。といっても瑕疵を認めた例はそれほど多くないと思います。著名な裁判例の一つは、地附山地すべり国賠訴訟(平成9年6月27日長野地裁判決・判例タイムズ956号58頁など)は、TV放映もずいぶんあった事件ですね。

 

そのほか、平成13年12月25日仙台高裁判決(出典ははっきりしませんが判例秘書データベースかもしれません)は、あまり有名ではないですが、女川原発に通じる道路災害で、道路瑕疵を比定した一審判決を覆してこれを認めたケースで、私が参考にしたケースです。

 

ここでそれぞれの判決解説をするだけの気力は残っていませんのと、一時間が過ぎましたので、ここらで打ち止めとします。要は、調査検討会も県知事も、当該農道が「通常具有すべき安全性」を欠いていたとまでいうのであるかどうかをはっきりさせる必要があるし、その根拠をも示す必要があると思うのです。おそらくは報告書の中でその当たりはきっちり説明するのでしょうから、それを早急に開示することが必要でしょう。

 

今日はこれでおしまい。また明日。


人が持つ高い適応力 <社会環境要因の解明を 認知症、10年で2割減>を読みながら

2017-12-27 | 人間力

171227 人が持つ高い適応力 <社会環境要因の解明を 認知症、10年で2割減>を読みながら

 

私の首痛・腰痛は、わずかながら緩和傾向にあります。痛みや痺れを久しぶりに感じるようになり、早速アマゾンでクッションを入手したら、ある程度痛みが和らぐようになりました。

 

そしてふと押し入れ中にあったいろいろなクッションなり、肘痛・頸椎痛などのためのさまざまな痛み緩和装備が眼に入りました。以前どれだけこの種のものを購入して少しでも痛みを和らげようと懸命になっていたのを思い出しました。車シート用はすでに処分して残っていませんので、相当前に車を乗ることでの痛みは薄らいでいたのだと改めて思いました。痛みが遠のくと、忘れてしまうのですね。

 

痛みを感じているくらいがちょうどいいかもしれません。それに対応できる頭の働きが多少残っていることも大事ですが。認知症患者についてさまざまな報道を見ていると、ときに無感情というような状態が取り上げられたりしますね。このブログでも書いた記憶があります。

 

無感情と思える人でも、認知症の患者の特質を理解し、たとえばその視野が極めて狭いことから、上から目線で話しをしても通じないけれど、車椅子の患者に膝をついてその目と目のコンタクトをしっかりして話しをすることで、その人の感性を開く一歩になるとかありました。

 

ところで、今朝の毎日記事では<くらしの明日私の社会保障論 社会環境要因の解明を 認知症、10年で2割減>との見出しで、千葉大予防医学センター教授・近藤克則氏が最近の認知症者(患者とは書かれていませんが、そうかもしれません)の興味深い実態を解説しています。

 

<日本では認知症者の数が増え続け、やがて700万人を超えると予想されている。では同じ80歳における認知症の発症率は昔より上昇しているのだろうか。同年齢で発症率を比べると、実は下がっている。認知症者の数が増えたのは高齢者の数が増えたからなのだ。>

 

いろいろな調査の結果、2割前後減っているというのですね。

 

まず、減らす要因として、近藤氏はまず、<歴史と権威を誇る医学雑誌ランセットに今年、認知症の危険因子に関する論文が掲載された。それによると高血圧の治療で2%、肥満で1%、2型糖尿病で1%の認知症が予防可能だ。>というのです。でもこの比率は決して高くないですね。

 

近藤氏はより重要な減少要因を挙げます。<それ以上に運動不足3%、喫煙5%などの生活習慣の影響の方が大きい。この10年ほどで、運動する高齢者は増え、体力テストの成績は、15年前に比べると、およそ5歳分は若返っている。>

 

運動と禁煙はさまざまな疾病予防策として取り上げられますが、当然と言えば当然でしょうか。ただ、近藤氏はさらにこの点を突っ込み、内在的要因より外在的要因(環境条件)ではないかと指摘します。

 

<これらが本人の自覚と努力次第かというと、それだけではないようだ。スポーツの会に定期的に参加する高齢者割合は地域間で実に4倍も違う。一つの理由として、近くに公園などがある人ほど、運動頻度が高いことが分かってきた。つまり、運動するかどうかは、運動しやすい地域環境かどうかの影響を受けている。たばこ代の値上げや公共空間の禁煙など、禁煙を促す環境づくりで喫煙率が下がるのと同じだ。これらの環境づくりによって、喫煙率が低下し認知症発症率を下げただろう。>

 

近藤氏はそれ以外の社会的要因をも重要視しているようです。

<ランセットの論文によると、疾患や生活習慣よりも影響が大きい予防可能な要因がある。社会的孤立をなくすことで2%、うつ対策で4%、中等教育の未修了をなくせば8%など、心理社会的な要因の影響の方が大きいのだ。日本でも高卒、大卒の人が増えてきた。高齢者の自殺率も低下しているが、その背景には年金制度の成熟によって将来の経済不安が減ったこと、それらによってうつが減ったこともあるだろう。

 10年間で2割も認知症の発症率が低下した理由は、遺伝子や老化メカニズムの変化では説明できない。着目すべきは、社会環境要因の変化ではないのか。そう考えて研究を進めている。>と。

 

そしてこのエッセイの結論というか意図というか、が最後に表明されています。予算配分をその要因解明にもっとシフトするようにということです。

 

<医学や健康に関わる研究といえば、今は生物医学的な研究に多額の研究費が投入されている。せめてその半分くらいは、10年間に2割も認知症発症率を下げた、社会環境要因の解明に配分してもらえないか。研究費さえあれば認知症が少ない社会作りに向け、役立ちそうなアイデアはたくさんある。>

 

そうですね、「iPS細胞」とか、このような研究は極めて重要であることは確かですが、全体として比重が近藤氏が指摘するような生物医学的な研究に巨額の予算が投じられていることは否めないですね。

 

社会環境要因の研究というとなにか地味な印象があり、あるいは医学的な研究ではないとまではいわなくてもマイナーな印象を持たれる傾向があるように思えるのです。疫学的な調査・研究は、医学の基礎であり、エビデンスを獲得したり明確にするには不可欠なわけですし、それを疾病発生後の治療という面だけでなく、疾病予防の面でより重点的な予算配分があると、実のところは費用対効果が極めて高いものとなるのではないかと思うのです。

 

認知症者を認識すること、理解することが、早い段階であればあるほど、その進行を遅らせることができるでしょうし、発症そのものを回避することもできる可能性が高まるのではないかと思うのです。

 

私自身は、高齢者の家族間トラブルを当地に来る前には結構事件の依頼を受けて対応していました。私自身、当初は認知症を理解できておらず、認知症者との意思疎通も、その家族との意思疎通も十分でなかったと思います。次第に注意深く見るようになり、両者のわずかながらの橋渡し役をしてきたこともあります。でもご本人自身が自分でその症状を理解するのは容易でないですし、家族の人も簡単ではなかったですね。

 

そういった認知症を家族間で理解して、どう対応するのが望ましいかを試行錯誤で努力を積み重ねる必要がありますが、信頼される医師がいればよりスムーズになるように思います。医師だけにたよるわけにもいかないでしょう。社会のさまざまな支援が必要ではないかと思うのです。

 

近藤氏が指摘する社会的要因の解明という点では、報道が果たす役割も大きいと思います。いずれこういった健康・医療・介護などに特化した番組放送チャンネルが終日、またいつでも特定のテーマのものを見ることができる、そういう時代になって欲しいと思うのは私だけではないように思うのです。

 

3割借金体質の財政で、医療費・介護費などが飛躍的に増大していることに対して抜本的に有効な施策が講じられているとは言えない状況です。他方で、NHKは公共放送を担うということで、受信料請求の合憲性が最高裁大法廷で認められたわけですが、健康長寿、医療費・介護費削減などの効果が十分に期待される、そういった情報提供を行うことが社会的な使命ではないかと思うのです。

 

そして私たちは、認知症という実際を知ることにより、自分で、あるいは家族なり知人の協力を得て、その発症を回避したり、軽減したりする高い適応力を持ち合わせていると思うのです。それにはまず、きちんと整理された合理的な情報提供が大切だと思います。

 

そろそろ一時間となりました。簡潔に終わろうと思ったら脇道にそれたりして一時間もちました。今日はこの辺でおしまい。また明日。