たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

橋本市というまちについて 隅田八幡神社人物画像鏡などから

2016-12-29 | 地域力と多様な価値

161229 橋本市というまちについて 隅田八幡神社人物画像鏡などから

 

今朝の毎日は、一面に「安倍首相 オバマ氏と慰霊 真珠湾、和解の地に 不戦の誓い堅持」の見出しで、真珠湾慰霊について取り上げ、安倍・オバマ両氏の演説全文を掲載しています。沈没した戦艦アリゾナが相当数に船員とともに海底に横たわったまま75年間も保存されていることに驚きを感じます。その上に建つアリゾナ記念館を背後に両首脳が演説した内容は、改めて戦争による影響の甚大さを感じさせ、今日はまだ触れないこととします。

 

<「原発で数千億円損失?」東芝またも債務超過の危機>との毎日記事も、その会計不正に匹敵するかそれ以上に問題が大きく、原子力事業の海外展開や海外子会社の統治能力など多くの懸案事項を含んでおり、無視できないと思いつつ、もう少し様子を見てから言及してみたいと思います。

 

他方で、今年もいろいろな大きな話題がありました。トランプ氏の大統領選勝利も驚きですが、なにか私にはレーガン氏のときと似たような印象を感じています。天皇退位のお言葉も大きいですね。いずれも私の日常には直接関係しませんが、後者は今日とりあげようかと悩みつつ、いずれは口火を切ろうとしていた隅田八幡神社人物画像鏡の解釈と関係するかもしれません。素人の私がまだ勉強のとば口にいる身として、あまり斟酌するような事柄でもないので、とりあえず書き始めようかと思います。

 

さて和歌山県橋本市という町、首都圏に居住し仕事をしてきた身としては、まったく知らない場所で、こちらに移ってくる際も、だれもどこにあるか知らない有様でした。相模原市にある橋本(駅)は、私がよく利用していた横浜線でも八王子に次ぐ大きな都会のイメージで、首都圏ではよく知られていますが、和歌山の橋本だと、どこという返事がきそうです。

 

しかし住めば都、至る所青山あり、云々は別にして、ここ橋本はいいところだと思います。心の開拓、日本(人)の文化歴史を考えるのに、なにかと参考になるものが隠れ潜んでいるようにも思うのです。といって私がこの地を特別研究したわけではないので、ほんの足がかりをみつけ、今、第二の人生を歩む気持ちで一歩ずつ不確かな道を進んでいるような気持ちです。

 

そのきっかけは、一つは江戸時代橋本から和歌山での潅漑用水を開設するなど畑地を水田に変え、米増産による藩財政の建て直し、藩主吉宗が将軍になる大きな一助となった、当地の庄屋で農業土木者であった大畑才蔵です。もう一つは隅田八幡神社人物画像鏡にかかわる諸説の解説、とりわけ最初に手に取った林順治著「隅田八幡鏡」です。人物画像鏡については橋本市で唯一?の国宝程度しか知らなかった私には、分厚いこの本は一体、何が書いてあるのだろうと興味本位で読み始め、理解できないところが多かったのですが、驚愕するばかりでした。

 

林氏は、石渡信一郎氏を師として、その理論を基に、編集者としての視点から、議論を展開しており、著名な考古学者や歴史学者の議論とは異なる斬新な見方ではないかと思うのです。記紀に記載された天皇の系譜は見事に否定されています。これには当然、いろいろなところから反論があるかと思いますが、とりあえず、人物画像鏡の銘文をどう読むことができ、それがどんな意味をもつのかを林氏の解説(石渡説)を援用したいと思います。

 

〔隅田八幡鏡銘文〕

癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長奉遣開中費直穢人今州利二人尊所白上同二百旱所此竟

 

〔石渡信一郎解読文〕

癸未年(五○三)八月、日十(ソカ)大王(昆支)の年(世)、男弟王(継体)が意柴沙加宮(忍坂宮)に在(いま)す時、斯麻(武寧王)は男弟王に長く奉仕したいと思い、開中(辟中)の費直(こおりちか)(郡将)と穢人今州利の二人の高官を遣わし、白い上質の銅二百旱を使って、この鏡を作らせた。

 

斯麻が贈ったこと、斯麻が武寧王であることは、かなり明確になってきたのではないかと思うのですが、といって断定はされていないようです。問題は、男弟王とその前の日十大王が誰(何)を意味しているかは百家争鳴?では。

 

で、この解読がどういう意味を持つかが、それこそ重大な話です。林氏によれば、

①古墳時代に朝鮮半島から多数の渡来者があったとする人類学者の新しい学説

②応神陵の年代を五世紀末から六世紀の初めとする地理学者日下雅義氏の学説

この①②に基づいて日本古代史の謎の解明を試みた結果、日本古代国家を建設したのは、朝鮮から渡来した古墳人だと考えるのが自然であるというのです。

 

そして人物画像鏡銘文の「昆支(こんき)」が百済から渡来した応神天皇であり、「男弟王(おほどおう)」は応神の弟である継体であり、「斯麻」は応神の子というのです。

 

また、応神陵(誉田陵)は五世紀~六世紀初めの倭国王の墓であり、応神が比定されるとしています。仁徳陵(大仙陵)は応神の弟である継体の墓に否定されるというのです。それを裏付けるのが人物画像鏡というのです(応神の諱も、天皇呼称も記紀による後付けですね)。

 

それを上記の著書を含め、いろいろ論証を書かれているので、読み出すと興味津々です。

 

で、それを今回語るのが本題ではありません。いずれ私なりに考えてみたいと思いますが、それよりは、橋本市という町の歴史と現状について触れてみたいと思うのです。

 

隅田八幡人物画像鏡は、橋本駅の東方にある「妻」の古墳?の中から発掘されたという伝承があります。妻という地名は、古くからあり、万葉集にも歌われたとも林氏は指摘しています。紀ノ川北岸の河岸段丘上にある小さな地域です。なぜここでというのが不思議です。

 

他方で、隅田八幡神社では記紀に名高い神功皇后から下賜されたという伝承が伝わっています。神功皇后は、卑弥呼にも比定されるように記紀が作り上げた人物と言われることもありますが、ともかく日本各地にさまざまな伝承が残っており、興味深い人です。記紀にでてくる天皇には存在感のない人物が多くいる中で、何本かの指に入るほど快刀乱麻というかすごい活躍をした人物として描かれており、その皇后からの賜り物ですので、それだけ人物画像鏡の価値がめちゃくちゃ高いはずですが、あまり注目されていないのも不思議です。

 

というのは仮に神功皇后ないしはそれに匹敵する天皇家あるいは百済王朝の人物から当地の誰かに下賜されたのだとすると、当時、当地はそれだけの何かがあったのではないかと推測することも一つの考えです。

 

そこに橋本駅の裏山、丸山という丘陵地の末端に、陵山古墳という和歌山県最大の円墳があり、それに注目している日根野氏という方もいます。名称自体、天皇陵を臭わすものですが、それはそれとして、古墳時代には一定の評価がされる勢力がこの地にあった可能性を感じさせます。

 

少し離れますが、橋本市の隣、かつらぎ町中飯降の和泉山脈麓で、縄文中期の西日本最大の大型建物遺跡が発見されたニュースが最近報道されました。三内丸山遺跡の巨大建築物ほどではないですが、これはこの地方に有力な勢力が古くからあったことを証明しているように思えます。

 

少なくとも紀ノ川上流に位置する橋本市やかつらぎ町の北岸には、相当高い文化をもつ人々が5000年の古い時代から居住していた可能性を感じています。

 

そして、かなり話は飛んでしまいますが、紀ノ川の南岸には、高野山に続く山並みが見事なほど整然と広がっています。高野の奥にも延々と連なる紀伊半島の森が広がっています。9世紀初めには空海がなぜか高野山に真言密教の拠点として開山し、その後の当地の発展の基礎を作ったように思います。

 

12世紀半ばからは西行法師が高野山に庵を設け、30年近く拠点としています。高野山では壇上伽藍の一角に西行桜と看板を立て、そのそばにある三昧院あたりが庵ではという説明もあるようですが、私は白洲正子説の、はずれに位置する櫻池院あたりが裏山に櫻があったということで、当たりではないかと愚考しています。西行が賑やかな壇上伽藍の一角に庵を設けるとはどうしても考えられません。

 

でその西行は、高野山を行き来しているわけですが、当然、紀ノ川を渡った、それはどこかというと、登り坂は慈尊院のそばを通る町石道だったと思われるので、その対岸、小田付近から渡し船で九度山・慈尊院へ渡ったのではというのが白洲説です。小田付近は氾濫原でどちらかというと少し低地で、大坂や奈良から来るとしても、うまく渡れたか気になりますが、多少上流になるし、川の流れに沿って下るのには都合がよかったかもしれないと思ったりしています。

 

その後16世紀末、応其上人が現れ、秀吉の高野山攻めを防ぎ、その功績で橋本当たりに知行地をもらったように記憶していますが、ともかく彼が紀ノ川を渡る橋を作り(すぐに流れてしまったそうですが)、橋本という名前の由来になったそうです。この上人も土木技術が優れ、紀ノ川沿いのため池を多く修復して、その活躍ぶりが記録として残っています。

 

そして次に現れたのが17世紀後半、高野弾圧に調査役として活躍した後、17世紀末の元禄期から18世紀初めの享保ころまで、潅漑事業などに奉仕したのが大畑才蔵です。

 

でこういう話をするつもりでなかったのが、なかなか終わりません。現在の橋本市に若干、触れて整理できないまま、この次に回します。

 

橋本駅を出ると、駅前はロータリー的に車の動線が割合うまくできていて、駐車場もあり、駅前広場とまでいえないですが、かなり開放的なスペースとなっています。最近まで神戸市内のある駅前開発について助言を求められ、計画内容について検討していましたが、それに比べると駅を出た瞬間の周りの様子は一見、整備ができているとの印象を受けます。

 

しかしながら、なんとも魅力のないというと失礼だが、この駅周辺を散策したくなる雰囲気は残念ながら感じません。サラ金の看板が林立する首都圏のいくつかの駅に比べれば、それがほとんどないのはまだいいですが、塾の看板がなんの統一感もなく、ただ開放的な空間に目立つばかりで、これでは他の地域から訪問した人にとってはこの町に魅力を感じることは容易でないでしょう。

 

しかし、ちょっと駅の広場からのぞく、山並みは魅力にあふれます。坂を下りると、紀ノ川が悠然と流れています。ほんとうは長良川などのように、滔々とした水量があるとより魅力が増すのではと思うのですが、か細い流れです。私が以前、川岸でフォールディングカヌーを組み立てていると、(この浅瀬で)漕げるんですかと不思議がられた、あるいはおもしろがられた?のですが、カヌーイストにとっては、日本の川では今のところ仕方がない状況ですので、それでも漕いだり担いだりして、川下りは可能なのです。

 

言い忘れましたが、この駅からの坂道沿いは、古い大和街道が東西に走っていて、そこにはぎっしりと古い家並みが詰まっていたのですが、いわゆる危険な木造密集地帯として、再開発の対象となり、現在、大きな変貌を遂げつつあります。残念な思いと、新たな町並みに再生の息吹を感じてみたいと思ったりしています。

 

この山の木々、森や川を上手に使って、魅力的なまちづくり、そして歴史豊かなまちの再生を通じて、心豊かな町になれないかと期待しています。やはり思いつきで書いているので、脈略のないまま終わりになりそうです。今年はこれでおしまいになるかもしれません。明日からしばらく冬季休暇で、PCをたたく環境でなくなりそうです。ではとりあえず今年はおしまいとします。

 

 

 

 


建築規制のあり方 地下室マンションの建築確認取消判決を見て

2016-12-28 | 都市のあり方

161228 建築規制のあり方 地下室マンションの建築確認取消判決を見て

 

今日の日経アーキテクチャ・ウェブ情報に、<東芝襲った「原子力」の負の連鎖>というタイトルで、会計不正後建て直しを図っていた東芝が従前より指摘されていた原子力事業の闇というか不正会計ともいうべき状態が明らかになったことをクローズアップされていました。各紙朝刊も取り上げていたようですし、私も気になっていましたので、この内容を読もうとしたら、もう一つの地下室マンションの裁判例が昨日の記事で掲載されていて、担当した弁護士が以前も一緒にやったことのある呉東さんだったので、懐かしさもあり、この問題を取り上げてみることにしました。

 

呉東さんは、サラ金問題や原子力空母入港問題など重大な訴訟事件をたくさん手がけ、さらにはまちづくりなど幅広く活躍しており、とくに横須賀地域では頼られる存在だと思います。その彼から、地元の地下室マンション事件について協力依頼があり、それから4年くらいでしょうか一緒に住民・業者双方の仮処分事件、建築確認取消の審査請求、その取消訴訟、業者からの損害賠償請求訴訟など一連の事件を闘い、後の2つの訴訟ではいずれも勝訴しました。

 

当時、呉東さんは、建築確認取消審査請求や、その取消訴訟については初めての経験でしたが、鋭い感覚と貪欲なまでの熱心さで、建築確認取消という行政訴訟分野では極めて希な勝訴判決を得ました。私自身、当時は常時510件程度の建築・開発案件を抱えていて、いずれも他の弁護士と共同していましたが、呉東さんの熱心さは舌を巻くほどの印象でした。

 

で、私は、この訴訟を含め横浜市や川崎市等での多数の地下室マンション事件で、地盤面設定の問題提起を行い、わずかな例外を除き多くの訴訟では残念ながら敗訴が続いていました。私が手がけた事例では、地下6階地上3階といった信じられないような地下室マンションが、第一種低層住居専用地域で高さ制限10m、しかも風致地区で立地されていました。そのほか横浜山手地区は、これらの規制に加えて、市認定歴史的建造物が見事に建ち並び、また、歴史的要綱に基づく景観風致の保全地区指定を受け、とりわけ風致や景観の保全が要請される地域でしたが、その環境に適合しない地下室マンションが建てられていましたので、マスコミ報道もかなり取り上げていました。

 

しかしながら、これらの訴訟を通じて、横浜市が、たしか中田市長の時代だったと思いますが、それらの事件検討を内部で行い、地盤面設定の意図的な加工を制限する条例を制定したところ、川崎市や横須賀市も同様の条例を作りました。その結果、その後は上記のような極端に悪質な地下室マンションはなくなったと思っています。

 

しかし、これらの条例は、いずれも地盤面を自由に設定すること自体や一定の加工を認めているので、基本的な問題の解決にはなりません。ことの本質は、現行建築基準法や都市計画法に問題があり、それ自体を改正しないと、切り土盛土を自由にしたうえ、開発規制を骨抜きにしつつ、建築物は別個独立に審査する制度設計ではこの問題に適正に対処できないのです。そして地盤面設定を巧妙に加工して、高さ制限規制の趣旨を実質に逸脱する建築物を計画することは容易ですので、今後も程度の差はあれ、地下室マンションはなくならないと思っていました。

 

で、日経アーキテクチャ情報によれば、当該マンションは、横浜市金沢区に立地しているのですが、東京地裁で判決されています。以前は建築確認を行うのは立地場所の行政庁でしたので、横浜地裁で審理されていたのですが、建築基準法の改正により指定確認検査機関が行えるようになり、多くの大企業はこちらに建築確認申請しているため、その本社が東京にあるので、東京地裁になったのだと思います。地元住民にとっては不便なことになります。このような事態は、仮に当該指定確認検査機関の本社等が遠く離れた場所、たとえば大阪市などであれば、そちらの管轄地裁本庁に取消訴訟を提起しないといけなくなるので、これも大変です。

 

ただ、余計な話ですが、建築物が完成した後は建築確認取消請求が訴えの利益なしということで審理されないため、違法を理由に損害賠償請求に訴え変更する場合がありますが、この場合の被告は行政機関となり(これは私が担当した最高裁判決で判例となっていて姉歯事件でも援用されています)、おそらく横浜市になるのではないかと考えます。すると管轄は横浜地裁になるのか、と余分なことまで頭に浮かんできました。

 

さて本題のどこに違法があったかについて、この情報では、高さ制限違反があったといのです。建築物の高さはどのように算定するか、普通の人は道路など建築物が接している地点が地盤面で、そこからの高さと考えるのではないかと思います。私も97年頃にこの種の訴訟を手がけた最初はそんな意識でした。それが常識だと思うのですが、この建築行政訴訟分野で長年活躍する業者側の高名な弁護士は、審理の中で、建築規制は常識とは違うんだとのたまいました。

 

建築物の高さについて、建築基準法施行令216号は「地盤面からの高さ」としています。そこまでは誰もが理解できるでしょう。その「地盤面」とは何かについて、同条2項が「建築物が周囲の地面と接する位置の平均の高さにおける水平面」としている点も一応、納得できるかもしれません。問題は、これを斜面地に適用する場合です。同項は、続けて、「その接する位置の高低差が3mを超える場合は、高低差3mごとの平均の高さにおける水平面」と定めている点が問題になります。

 

そもそも斜面地においてどのような開発(切り土・盛土)が許容されるかが検討されるべきなのですが、それは都市計画法の開発許可制度によっており、そこでは景観的な配慮規定はありません。ここがおそらく欧米の開発・建築行政との大きな違いではないかと思っています。北米などでは各地で高層ビルが乱立したり、都市域がどんどん広がっていますが、現況地形自体は割合、保全されていて、大きな改変がないのが普通ではないかと思います。

 

これに対し、わが国では、上記の高低差3m基準の平均地盤面構想は、斜面地開発についてなんらかの景観配慮がないと、山全体を巨大建築物に改変させることもできるものです。そのため、熱海や鎌倉などで、多段階の山の麓から頂上まで続く多段階マンションも当然可能になります。それでもまだ、本来の地形はわずかながら原形を偲べるものでした。

 

しかし、この斜面地開発に新たな動きが始まりました。90年代後半以降から飛躍的に大規模化し増大した地下室マンションなどです。これらは第一次分譲開発では開発不適として残されていた斜面地が対象となっています。本来開発対象とならなかった箇所が、バブルがはじけ、公共事業が大幅に削減する中で、コンクリートや重機・トラックなどの利用先として斜面地開発が狙われたという別の側面も感じています。

 

斜面地開発自体に規制がかかっていないという都市計画法上の緩い規制に加えて、このような特異な開発が可能になったもう一つの要因は平成6年の建基法改正で導入された住宅地下室容積率緩和制度です。ただ、この制度導入の際の政府説明は、一戸建ての地階の活用で(当時は)高い地価を有効活用できるとのことで、国会議員もそのような理解でほとんど反対もなく成立させています。そのため改正当初はさほど大きな地下室マンションはありませんでした。

 

しかし、建築規制をいかに巧妙に解釈して実質的な使用容積率を高めるかが腕の見せ所、あるいはノウハウかと考える建築士や企業が、わが国の緩い規制の中でも最も規制の厳しい第一種低層住居専用地域の高さ制限10mという低層住宅地、そのほとんどが一戸建ての高級住宅地において、(高層)地下室マンションを首都圏各地で競うように高さ・容積をアップし、中には実質高さがその2倍とか3倍とかになるような大規模マンションまで作り出したのです。

 

それは「建築物が周囲の地面と接する位置」を人工的に加工して切り土・盛土することにより、いくらでも地盤面の位置を作り出せ、それぞれの人工的な地盤面から高さ10m未満にさえすれば、地面と接していない建築物の外形の高さが10mを優に超え、20mでも30mでもそれ以上でもなんら差し支えないのです。斜面地は地下が割合低くて、そこで実質・高層マンションを低層住宅地にランドマーク的に立地させるのですから、販売側としてはとても魅力的な存在にもなり、他方で、容積率が実質アップする分(地下室なので)床面積が広がり価格的に割安な、消費者に受ける商品となるわけです。しかし、それは本来の都市計画や建築規制の趣旨を逸脱するものです。

 

その後この容積率不算入制度は、平成16年に地下室マンションについて地盤面にかかわる条例規制を認め、また、容積率緩和を制限する法改正がなされ、若干の歯止めができました。

 

しかしながら、今回取り上げる地下室マンションのように、いまなお問題のある建築が横行しているのが現状です。

 

日経アーキテクチャ・ウェブ情報を参考に以下のように考えます。斜面地の開発で切り土・盛土が行われるわけですが、当該地下室マンションでは、切り土後に一部だけ高さ約3m1m四方の突起状の部分を残しています。なぜここだけ残したか、その必要性・合理性が明らかでありません。こういう場合高さ制限を回避するため意図的に偽装したと認定される場合と考えます。

 

その突起部分以外は約84mの区間あり、高さ約3m下の位置で周囲の地面と接しているにもかかわらず、その1mしか接していない突起部分の頂点を地面として扱うので、高さ算定の基点が約3m底上げできるわけす。つまり建築主は、この突起状の部分の上部を、平均地盤面を算定する際の基点となる、「建築物が周囲の地面と接する位置」、つまり地面に扱い、そのわずか接している地面の平均地盤面からの高さが9.93mと算定したわけです。

 

原告は、突起状の部分は「意図的に偽装された」ものであり、正しく算定すると、当該敷地の建築物は高さ10mを超えるから違法であると訴えた部分が認められ、建築確認を取り消す判決となったのです。

 

地下室マンションの問題はほんの一例です。このような建築規制を実質的に逸脱することがノウハウとされ、商品価値を高めるという現状は、都市計画法および建築基準法の基本的な見直しなしには、近隣住民との軋轢や紛争をこれからも発生させることになることを懸念します。


差別とどう向き合うか 相模原事件から障害者差別解消法を考えてみる

2016-12-27 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

161227 差別とどう向き合うか 相模原事件から障害者差別解消法を考えてみる

 

相模原市の知的障害者施設で、死者19人、負傷者26人という大量殺傷事件が発生してすでに5ヶ月が経過しました。献花台も先日施設から取り除いたニュースがありました。そして12月初めには、4ヶ月近くかけて調査を行った第三者委員会による事件の検証・再生防止に向けた報告書も発表されました。

 

これまでもこの事件に若干、触れてきました。今日は、4月に施行された、「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(いわゆる「障害者差別解消法」)と、上記の報告書を踏まえながら、少し立ち入って考えてみたいと思います。といっても仕事に追われて、今日ざっと読んでの感想的な考えに過ぎないので、相変わらず粗雑な議論であることをご容赦下さい。

 

中身に入る前に、私自身のわずかな経験を書いておいた方がいいかなと思います。筆者がどのような経験・立ち位置でものをいっているか、少しはこのつたない文の意図を理解できる手助けになるのではないかと愚考する次第です。

 

私自身、障害者に対する意識は、どうかと質問されると、差別を嫌うという基本的なスタンスから、できるだけその障害の内容・程度に自分が寄り添えるようにしたいと思っています。その意味で、あの事件の容疑者のような差別的意識には嫌悪を覚えます。そしてそれに同調する人に対しても。とはいえ、私自身が施設の職員のように、また、家族のみなさんのように、あるいは障害をもつ方のように、その気持ちにほんとうによりそえるかと言われると、自信があるわけではありません。

 

これまで私は、成年後見人として、知的障害の方、視覚障害のある方、精神障害のある方などのために仕事をしてきました。その限りで、私なりに懸命にその方々の気持ちを理解しようとしてきましたが、実際はどこまでできていたかは自信がありません。

 

施設の職員や家族の方が親身になって世話をするように、自分がほんとうに継続的に日常的に対応できるかといわれると、まったく自信がありません。そんな私が差別するのはおかしいと言っても、表面的で言葉だけのきれい事をいっているようにしか映らないでしょう。実際そうかもしれません。

 

ただ、私の叔母が精神を病んでいて、わが家で世話をしていました。私の幼い頃でした。私は幼いながら、叔母が外を歩いていると少し恥ずかしい思いをしたことがあります。しかし、母は懸命にその世話をしていました。それは私自信の中にある恥ずかしいという思いを恥と感じさせるに十分でした。いま母のような立場になったときできるかと言われると、自信があるわけではありませんが、それは親族か否か関係なく、私の差別を憎む心こそ私の存在価値と思うので、やり遂げたいと思っています。

 

いつものように余談が長くなり、しかも自分のちいさな経験を吐露してしまいました。それぐらい、この問題は重い問題だと思っています。

 

障害者差別解消法は、意識的あるいは無意識的に社会の中で障害者が差別されている現状を変革する必要を訴え、差別の解消を行政・事業者を含むすべてが不当な差別的取扱を禁止し、他方で、障害者から社会的障壁の除去を求める意思表明があれば、合理的配慮の提供を積極的に求めています。とくに地域での関係する多様なメンバーの連携による協力体制の確立を求めています。

 

このような障害者差別の禁止とその社会的障害除去により共生する社会を目指す法律が施行されたばかりの本年に、大量殺傷事件が敢行されました。容疑者は、その施行直前に、わざわざ国会に出向いて障害者差別というより障害者そのものをなくす立法を訴えていました。この容疑者自身の特異な考え方ともいえますが、とはいえその考えに賛同する意見が相当数ネットで表明されていることが報じられています。

 

事態は同じではありませんが、アメリカでは白人たちが黒人、ヒスパニックへの差別からイスラムなど信仰・民族による差別を公然と発言し、行動にも移しています。白人も本来移民であるのに、新たな大量の移民(不法移民とレッテル張りをしていますが)に強烈な拒絶反応を示しています。それはEU各国でも同様の現象が増大しています。

 

わが国にも、以前よりアイヌ先住民や在日朝鮮人・韓国人などに対する差別的言動は根深い物があり、ヘイトスピーチとしても増えています。障害者への差別は別の意識なり背景からだと思いますが、いずれにしても人を差別すること、それに同調したり煽ったり、徒党を組んで暴力的になり得ることは似ているようにも思えるのです。

 

なぜ人は差別するのか。人が成長していく中で自我を芽生えさせるうちに、差別意識が自然に生まれるものでしょうか。そのような気持ちに対峙し、自由で平等な生き方を求める意識も目覚めるはずですが、その相克の中で、前者が凌駕する場合が少なくないようにも思えるのです。私自身もその闘いの中で生きているようにも思えるのです。

 

で、相模原市の障害者支援施設における事件の検証及び再発防止策検討チーム、一応、ここでは第三者委員会としておきますが、その報告書が公表されています。

 

ちょっと時間がなくなってきたため、今日のところは簡単に触れ、後日、補充したいと思います。

 

この第三者委員会のメンバーは、専ら医療関係者で構成されており、その意味で、内容自体も精神保健福祉法に基づく措置入院制度、とくに退院後の対応について主に検討し、再発防止策を講じています。その限りで、その内容自体はもっともな面が多々あると思います。

 

しかし、本来、当該容疑者の症状・言動を考慮すれば、措置入院の決定自体のあり方という入り口部分について検討される必要があったと思いますし、それ以前の警察の対応をも含めて考慮されるべきではなかったかと思うわけです。

 

そうであれば、メンバーとしても、法曹関係者の参加は不可欠ではないかと思うのです。それは容疑者自身の犯罪性という面と精神障害者性という面、薬物被害者性などを多面的検討するにはそのような体制が必要ではなかったかと思うのです。

 

ちょっと時間切れとなり、またいつか補充します。

 

 


教育現場について 最低賃金違反の記事を見て

2016-12-26 | 教育 学校 社会

161226 教育現場について 最低賃金違反の記事を見て

 

今朝の毎日(残念ながらウェブ情報で見つからない)では、「柏原でも最低賃金違反」という見出しで、東大阪市で発覚したのと同様な学校の警備業務で最低賃金違反があったことを取り上げています。

 

概要は次の通りです。①小中学校の用務員について、大阪府柏原市から市立小中学校・幼稚園の用務員業務を請け負った警備会社が13年から16年まで、最低賃金を下回る給与しか支払っていなかったこと。②しかも市教育委員会は、今年4月中旬、用務員が相談していた市教職員組合から対応を求められたにもかかわらず、「委託契約のため、用務員の勤務時間や賃金を指定できない」と応じず、その後同月末にあった用務員業務の入札に当該警備会社が入札参加し、業務を請け負っています。③警備会社は、当初は府の最低賃金と同水準の賃金で雇い入れていたが、最低賃金が引き上げられた後も給与を据え置いたため、13年秋から違法状態が継続していたとのことです。④警備会社はその後、請求のあった用務員について差額を支払い、それ以外については社会保険労務士に任せているとのこと。

 

この問題は、学校教育とは直接、関係ないことと見過ごしていいでしょうか。用務員は、学校警備も含めさまざまな業務を、ある意味で教師が担うことのできないが学校業務の中で必須の仕事を、担う重要な一員だと思うのです。生徒の中には、教育現場の周辺で、日常的に自然のふれあいをする大人の一人かもしれません。教師は教育者の顔を持ち、閉鎖的な学校という中で校則を含め一定の規律で動いてるでしょう。教師の顔という、普通の大人と違う面を出しているのではないでしょうか。それに比べ、用務員や警備員はそのルールの外、あるいは境界上にいる大人ではないかと思うのです。その大人が見せる対応は、生徒にとって身近に感じる普通の大人でしょうから、知らない大人とふれあえる数少ない場かもしれません。

 

その用務員に対して、最低賃金違反を継続的に行っていた業者に委託していたことは、無視できないと思っています。しかも教育委員会は、委託しているから、用務員の勤務時間や賃金を問題にできないとの弁解は疑問です。民間では場合により許容の範囲との理解(これも間違っていると思いますが)もありうるかもしれません。しかし、市教育委員会が委託しているのです。委託者として、労働者の勤務時間が長時間労働になっているかとか、とりわけ最低賃金違反になっているかどうかは、確認すべき事柄ではないでしょうか。

 

子どもの教育は、周囲の大人が適法な労働条件で働いているかどうかを学ぶことも、これからは重要な事柄だと思います。というのは、10代からアルバイト、あるいは仕事に就く若者は少なくなく、そして若い世代の非正規労働者は極めて大きな比率を占めます。そういう若い世代の労働者の中では、最低賃金が都道府県毎に決まっていること、それが毎年のように変更されることを知らない人も意外と多く、最低賃金違反の労働を強いられる状態を続ける人も少なくないのが現状ではないでしょうか。

 

こういった労働条件と同様に、消費者被害の問題も、生徒が社会人になるために、多くを学ぶことは、現代社会における病的体質の中で子どもたちを守るため、また、社会の健全化を図るため、必須の事柄になっているように思うのです。

 

最近、あるTVでちょっとだけ見たのですが、社会保険労務士が授業に参加して、子どもたちにブラック企業のやり口を、企業側、労働者側、それぞれを生徒に役割分担させて、その意識や問題性をリアルに感じる取り組みをしているのを見て、参考になりました。もしかしたら高校生だったかもしれませんが、小中学生でも理解可能だと思います。

 

現代社会を教科書だけで理解しようとしても、いくら公民とかの内容を充実させても、生身の人間としてその問題に直面したとき、対応できるか疑問です。

 

その意味で、学校教育の中で、教師に多くを求めることはできないと思います。外部からさまざまな実務家が現代社会の問題、むろんすばらしい取り組みも、子どもの未来や夢を育むために、さまざまな方の参加を検討してもらいたいと思っています。

 

他方で、これはより重要なことですが、教師の現在おかれている状況への配慮が喫緊の課題だと思います。すでに教師の長時間労働精神疾患の多さは長く問題が指摘されながら、あまり有効な方策がとられてこなかったのではないかと思うのです。

 

教師のこのような劣悪な条件は、教師による生徒への体罰、差別的言辞、いじめ黙認、さまざまなハラスメントなどの背景にあるとも思えるのです。むろんモンスターペアレントや上司である校長、教頭などからのパワハラなども適切な対応策がとられているとは思えません。文科省の調査でも、教師が上司に相談する比率が極めて低い現状は異常ではないかと思うのです。

 

また、教師の中にも、非常勤講師を含め次第に非正規的な立場の人が教育現場に登場するようになっていますが、それはある意味で多様な現代社会を子どもたちが身近に感じることで、それ自体を疑問視するつもりはありません。しかし、それら多様な教師形態について、適切な労働条件が確保されているか、気になっています。それは用務員という立場の人だけの問題でないことから、ここまで関連として書いてきました。

 

これらを管理・監督する立場の教育委員会は、戦後民主化の要請が強い時代もあったと思いますが、形骸化した民主化ではなかったかと感じています。現在の状況は、教育委員会自体、地域の市民とも、PTAとも、また、教師とも、少し離れた位置にあり、相互の情報交流が十分になされていないような印象を持ちます。

 

教育委員会の独立性を保証されたかのような制度設計ではあるものの、民意の反映があってこその独自で公正な権限行使が可能になると思うのですが、その前提を具現化するシステムが構築されないまま、今日に到っているように思えます。

 

きちんと整理して論理立てて考えたのではなく、用務員の最低賃金違反問題からここまで問題を広げることに少し躊躇を覚えながら、心優しい、しかし、しっかり世の中を生き抜く力を養って欲しい、子どもたちのための教育現場を期待して書いてみました。


心の安らぎ 小池都政のこれからと電通問題を触れながら

2016-12-25 | 心のやすらぎ・豊かさ

161225 心の安らぎ 小池都政のこれからと電通問題を触れながら

 

今朝は冬晴れ?のぽかぽか陽気。新報道2000を横目に見ながら、毎日朝刊をざっと見て、柿畑に向かいました。昨日は一枚の畑の草刈をやりとげ、今日は別の一枚をと思っていましたが、いろいろやることがあり、途中で切り上げました。それでも柿の木の一列は、ツルがまきつき、セイタカアワダチソウなどの雑草に覆われていたのを、刈り取り、その後、かなり剪定したので、坊主頭とまでいかなくても割合、きれいな枝振りになったと自画自賛です。

 

その後、前庭の竹垣が枯れて壊れそうな状態だったので、以前に伐採した竹や新たに幹のできるだけまっすぐなのを切り、シュロの縄で結んで、簡易な竹垣を新しく作りました。わが国の先祖の皆さんは、竹だけではないですが、とりわけ竹は見事に使い切り、たとえば竹垣はほんとに素晴らしい工芸品としても立派なものを作ってきたと思います。素人が適当につくっても、まともな物はできません。じっくりと時間をかけ、自分が「気に入る」ものになるまで形状も、個々の竹の細工もしっかりやり遂げた結果なのですね。

 

今日はクリスマスですか、あまり意識もなく、草刈、竹垣づくりに専念し、その後、囲碁番組を見で井口名人の見事な打ち回しについて行けないものの見事な勝ちっぷりに気持ちよくした後、懸案の問題についてなんとか穏やかな着地点を見いだす状態になったと心の安念を感じています。

 

で、新報道2000で今日取り上げた、小池都政のバトルについて、小池都知事のコメンテーターとの間でのやりとりを見ながら、小池都政に改めて期待をしたいという思いになりました。たしかにこれまでのさまざまな問題について、小池都政がやってきたことは、満点とは言いがたいのは当然です。小池流の、問題提起や議論のやり方、小池氏自身の手法もそういった方向性があったかもしれませんが、マスコミが小池劇場とはやし立てて、番組の視聴率をかせぐかのようなあり方も問題なしとはいえません。

 

しかし、小池氏の主張は、常にぶれない軸があるように思えるのです。たしかに表現方法は、昔の番組で見せたように見事です。東京五輪施設の問題について、「大山鳴動して鼠一匹」ではないかと言った疑義があれば即座に、「大きな黒い頭のネズミがいっぱいいることが分かったじゃないですか。入札の方式はどうなんですか。これから頭の黒いネズミをドンドン探したい。」と見事に切り返しています。この黒い頭のネズミこそ、闇を作り上げ潜んでいるアンシャンレジームであり、その改革の必要を的確に指摘しています。

 

さまざまな批判に対して、怒りを抑えつつ、巧妙に、かつ、問題の本質を捉える発言は、期待されてよいと思うのです。と同時に、小池氏は、都庁職員について、しっかりやっていることを強調し、これから彼らを改革の手足として率先して働いてもらうことを示唆する発言も忘れていません。この点は、たしかに都庁職員は優秀ですし、まじめであることは確かです。しかし、批判精神が、また、縦割り的な意識が、かなり強いようにも思っています。そのような都庁職員、とりわけ幹部クラスは、ある意味エリート意識も高いので、従来のアンシャンレジームを構成した一角ではないかとも思える部分があります。当然、小池氏はそのことを承知しながら、たとえば幹部女性を集めて女性だけの会合を開いたり、新たな旋風や、見える化を進めて言っているように見えます。

 

オリンピック会場、豊洲問題に加えて、さまざまな問題を東京都は抱えています。全国の先進モデルになるよう小池氏は意識しているようにも見えます。たとえば、広尾病院移転計画について、白紙で対処すると明言しました。これは番組参加者にも驚きだったように思えます。私自身、すでに指摘されている移転先の現子どもの館周辺の地域性・道路環境など、将来の救急医療の中核場所としては疑義があるにもかかわらず、もう予算がついていたと言われていました。たしか猪瀬氏のときも、医療施設の拡大を図る徳洲会から資金提供されたことが問題となりましたが、東電病院入札をめぐり話題となっていました。舛添氏もこの広尾病院移設について、どの程度議論が公開され、適切になされたか、大きな疑問が出ています。これらも氷山の一角と思います。小池氏が情報公開の徹底を強調していますが、それだけで十分か、今後の対応を注視したいと思っています。

 

話変わって、毎日一面の記事、「電通過労自殺1年『働く人全ての意識変わって』母が手記」に注目しました。すでにこのブログでも触れた事件ですが、今回は少し見方を変えてみたいと思っています。

 

電通は博報堂を凌駕して広告業界の第一位の地位を長く独占してきたのではないかと思います。もう四半世紀前でしたか、東京弁護士会で広報を担当していた頃、当時、コーポレート・アイデンティティ(CI)というのどこもかしこもはやりでやっていました。東京都なんかは膨大な費用をかけて鈴木都政が東京都を変えると囃し立てていたと思います。で、私自身は、それ自体のコンセプトは悪くないと思っていて、弁護士、弁護士会も意識・体制をチェンジしないといけないと考え、電通のこの分野の専門家に来ていただき、講演してもらったり、アドバイスを受けて、東京弁護士会のCIを検討していました。もう昔のことなので、どういうことで挫折したかは記憶が定かではありません。ただ、その担当者の熱意や思いは、CIのやり方次第で、弁護士会という古い体質(表現は悪いですが小池流に言えばアンシャンレジーム)を変えうるのではないかと思っていました。

 

なぜかそのときの担当者のことを思い出しました。世評では、個性豊かなクリエーターの博報堂、集団行動で力業で邁進する電通とも言われるかと思いますが、私が受けた印象は、クリエーター的存在感でした。だいたい、昭和40年代くらいまでは、広告業界は社会的にはあまり高い位置ではなかったと思います。さほど広告価値を評価されておらず、取引においても当時は、社交界というか夜の世界での接待がかなりの比率で、交渉や締結に結びついていたのではないかと思います。そしてこういった交際費の経費計上が大きく税務上も許容されていて、銀座・赤坂など最もお金が落ちていたのではないかと思います。

 

それがTVなどの広告が洗練され、広告技術の高度化が電通・博報堂を中心に進み、商品も取引も広告を通じて行われる比率が格段に高まったのではないかと思うのです。それはIT時代に入っても、競争相手が増えたことはあっても、広告・広報が格段に重視される時代になっているかと思います。

 

それは単に商取引の増大と言った面に限らず、リスク管理においてとりわけ重大になってきていると思うのです。はたして電通・博報堂が、多様なリスクについて適切に広報対応できるかは、私自身よくわかりませんが、すくなくともリスクコミュニケーションの分野では相当活躍しているのではないかと思うのです。

 

長々と書いてしまいましたが、要は、現代の情報化の時代、トップの電通は、業務の拡大がとどまらず、当然、社員は、会社の中に適切なコンプライアンスのシステムが確立し、実効性が伴っていないとき、違法残業や過労自殺は必然となり得るのではないかと思うのです。

 

母親の手記は、子を持つ親なら誰もが抱く考えではないかと思います。企業は、いくらいい商品を世に提供しても、それを作り出す社員、メンバーが精神をすり減らし、病気になるような事態を招くこと自体、社会的存在として失格だと思います。どんなに感動的な広告や広報をしていたとしても、それは感動に値しない、非難されるべきものではないかと思うのです。

 

北斎が、広重が、いや芭蕉が、一茶が、個人として無茶苦茶な生活を送ったとしても、それは彼個人が自分で覚悟を引き受けたのであり、その作品の価値も決して評価を下げるものではないと思います。しかし、企業という組織の場合、企業を構成するメンバーに長時間労働を強いたり、差別的扱いをするようなことは許容されるべきではないと思うのです。

 

最後に、これまで書いたこととは趣旨が異なるかもしれませんが、生き方として、私自身、救われるというか、現代の不条理をみるにつけ、心のやすらぎを感じさせてくれる文を引用したいと思います。

 

千日回峰行は、私が京都北白川で暮らしていた頃、酒井阿闍梨がちょうどその途中でした。実際の行程はよく知りませんでしたが、私が住んでいた家の前の通りを通るとか聞いたことがあり、一度お顔を拝見したいと思っていましたが、それもできず、結局、酒井大阿闍梨は、2度も比叡山延暦寺の千日回峰行を行っています。テレビで拝見すると、ほんわかしたお坊さんという感じですが、すごいですね。

 

で、私がいま注目しているのは、吉野山金峰山寺で得度し、大峰千日回峰行など数々の苦行を成し遂げた、まだ若き大阿闍梨、塩沼亮潤さんの言葉です。

 

『人を相手にせず、天を相手にせよ』という言葉をあげて、これは「『人を相手にすることではなく、自分自身を相手にせよ。』ということで、「忘れて、捨てて、許して、そして人には微笑みをもって生活する。些細なことでも情熱をもって、こつこつ努力する。」だと言っています。

 

今日の話題とはまったく違うのかもしれません。でもどこかで通じるものがあると思うのが、今の私には心の安らぎとなっているのです。