たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

+補筆

2019-04-23 | 災害と事前・事後

190423 避難対策と多様な価値 <天路山城跡 日高町、一部破壊 位置把握せず造成工事>などを読みながら+補筆

 

今日はようやく花言葉、再開です。リビングストーンデージーという花です。デージー(雛菊)という名前がついていますが、デージーとは異なる品種のようです。<3月12日の花リビングストンデージー(紅波璃)>によると、花言葉は<瞳の輝き・気前よく与える・華やかさ・賑やかな人>前2者はともかく、後の2つはなんとなく納得でしょうか。<南アフリカケープ地方原産の非耐寒性の一年草>と、異国情緒たっぷりです。私が興味をひいたのは花弁ではなく茎のところの少し光り輝くような部分でしょうか。写真ではとげとげがあるように見えていまいちですが・・・

 

 

さて今朝の毎日新聞を見て驚きました。<天路山城跡日高町、一部破壊 位置把握せず造成工事 /和歌山>との見出しで、昨日取り上げた「湯川氏」が登場していたのです。あまり城郭には関心がないのですが、ついつい読んでしまいました。

 

記事の冒頭では<日高町は19日、同町比井にある戦国時代の山城跡「天路山(てんじやま)城跡」の一部を公共事業の造成工事で誤って破壊したと発表し、陳謝した。担当者が城跡の正確な位置を把握しないまま工事を進めていた。県教委は文化財保護法に違反したとして埋蔵文化財の保護に努めるよう町を指導した。【山成孝治】>と城跡跡地の一部を公共工事で破壊したことが取り上げられていました。

 

紙面記事では、去年10月に町が謝罪(誰に?)したそうですが、城郭愛好家のブログでしょうか<紀伊 天路山城>では昨年1月(投稿)にはすでに大きく削られています。

 

私自身、ようやく紀ノ川沿いの地形や地名に少し馴染みが出てきた程度で、県西部とりわけ海岸付近はまったくの不案内です。それで早速、グーグルアースで見たら、小浦崎と馳出の鼻という左右に突き出た岬に両手で囲まれたような内湾の中に、ある小さな港の一つ、比井という漁港を間近に守るような唐子崎という岬部分の頂上部内側が大きく削り取られています。

 

地形図アプリでみると頂上部が標高56mですね。ところが国土地理院の地形図だと、双子の頂があり手前が64m、先が69mとなっていて、先の頂上部がおそらく城跡なのでしょうか。

 

もう少し記事を引用します。

<天路山城跡は、戦国時代に日高地方を中心に権勢をふるった湯川氏の拠点の一つ。標高約70メートルの天路山にあり、規模は東西約300メートル、南北約120メートル。戦国時代の紀伊を代表する領主だった湯川氏を研究するうえで貴重な遺跡という。>

 

この<東西約300メートル、南北約120メートル>というのは斜面地形状を保持した形での山城だからその規模として比定できるのでしょうね。平坦部はグール具アースで見るとわずかしかない感じです。

 

町の工事ということですが、その目的はというと<産業建設課が2014年、津波襲来に備えた避難場所2カ所と集落道の計2660平方メートルを整備するため、予定地内に遺跡がないかどうか町教委に問い合わせ、「ない」との回答だったため15年度に工事を始めた。>

 

南海大地震への対策はこのような海岸周辺では当然の措置ではないかと思います。安政の大地震津波のときに村人を救って高台に避難させた濱ロ梧陵は、隣の広川町ですね。日高町も避難対策を真剣に考えてやってきたのでしょう。

 

とはいえ、本工事で<本丸や二の丸、「土居」と呼ばれる主屋跡の一部、城の周囲に巡らせた「曲輪(くるわ)」と呼ばれる土石の囲いが破壊されていることが分かった。>ということで、問題になったわけです。

 

<県内の考古学に詳しい日本考古学協会の冨加見泰彦・地区委員は取材に「天路山城跡は地域の歴史を語るうえで貴重で、破壊されたのは極めて残念。保全に努めるだけでなく、専門職員を配置するなど対応すべきだ」と指摘した。>と厳しく町の姿勢を批判しています。

 

なぜこのような事態になったかについて、<町教委によると、これまで埋蔵文化財の専門職員の採用実績がなく、遺跡の確認が十分にできていなかった。さらに、城跡があるとみられる範囲を示した地図を2002年に作っていたが、実際より狭く表示されていたという。今後は遺跡の確認を複数の職員で行うなど態勢を強化する。>とのこと。

 

学芸員といった専門職を採用していなかったとしても、それだからこそ、県教委など専門家に問い合わせするべきであったのではないかと思うのです。町の歴史的遺産の保全をきちんとやってこなかったと批判されても仕方ないかもしれません。

 

ところで、この問題を取り上げた理由として、この歴史的文化的価値の保全策の問題とともに、グーグルアースの写真を見て気になった点があります。

 

当該場所は結構な急傾斜地です。手前の傾斜地を削っていますが、これは急傾斜地保全工事のようにも見えます。今回の城跡破壊となった工事箇所も、相当な傾斜で、法面保全工事が相当大変だと思われます。ここを津波避難場所2カ所とするようですが、避難場所としてそれだけの面積を確保するとなると大規模な人工地盤になるのではと思うのですが、そのような大規模工事をするだけの費用対効果が認められるのか心配です。だいたい、津波がやってくる岬に向かって避難するといった避難方法自体、住民の意識として自然かどうか気になります。

 

この比井港には奥に小高い標高70m級の山があります。いや頂上部を平坦にすれば50mくらいになりそうです。少しくらい高いかもしれませんが、その他の山も含め他の選択肢はなぜ排斥されたのか不思議です。

 

南海大地震津波は一挙に海岸線を襲う分けですから、こういった高台の避難場所の準備は各自治体の優先課題だと思います。でも場所選択に問題はないでしょうか。今回は文化財的価値を見逃して一部破壊したということで問題になりましたが、それ以前に場所選択が適切であるか、部外者ですが気になります。

 

仮に今問題となっている山林所有者の所在が不明、あるいは一部に反対があるといったことで、他の選択肢が排除され、この場所が選ばれたのだとすると、改めて山林所有者不明・所有者意思の確認方法など、新たな立法措置での対応を今後より進める必要があるのではないかと思うのです。現行の法制ではとても間に合わないでしょう。

 

最後に、「湯川氏(湯河氏)の城―その歴史と魅力」という歴史講座が今年3月に開催され、大勢が参加したそうですが、私も参加したかったですね。残念。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。少しずつ元気を取り戻しつつあるようです。


補筆

 

避難場所について、300m×120mという4.2haの大きさから、人工地盤と言った指摘をしましたが、斜面を掘削して平坦にすれば標高4050mの場所でそのくらいの面積を確保できるかもしれません。

昔、経済成長真っ盛りのころ、私が子どものころ遊んだ「ぎょんさん」という小高い山が全部、掘削され海浜の埋立用の土砂として利用されました。山がなくなり、平坦な土地になりました。風林火山ということばとは裏腹のような体験でした。山が動かないどころかなくなること、ふるさとの原型をなくすような経験をしてしまったのです。そんなことを思い出してしまいました。60年代というのは脅威の列島改造だったかもしれません。負の遺産も大きかったように思います。

今回の計画が城跡の一部破壊に加えて、場所の選定が妥当かという点、さらに大規模土砂の行方も気になります。



 

 

 

 

 


勝敗と生き方 <葉桜>を見ながら、<国連の「幸福度」><WTO逆転敗訴>などを読んで

2019-04-13 | 災害と事前・事後

190413 勝敗と生き方 <葉桜>を見ながら、<国連の「幸福度」><WTO逆転敗訴>などを読んで

 

満開の桜が春爛漫を謳歌しているかのようだったのは、たしか数日前のこと。さっと多くの花弁が落ち桜の小道ができています。そしていつの間にか若葉の新芽が顔を出しています。そこで一枚パチリ。実はがく片だけになった桜もなかなか清楚で、なんどかパッシャッとシャッターを切ったのですがピンぼけばかりでした。

 

桜の花言葉は<花言葉辞典>では<「優れた美人」「純潔」「精神美」「淡泊」>とのこと。葉桜に魅了される人も多いと思うのですが「花」ではないためか花言葉はなさそうですね。

 

子規の

葉桜に人千人のさわぎかな

葉桜や昔の人と立咄

十日早くばと思ふ葉桜の道もあり

など、多くの俳人が題材にしていますね。

 

葉桜は夏の季語ですか、わが家から見える桜木は満開を過ぎると葉桜のスタートですよと頼もしいです。そういえば当地の小高い丘というか谷間というか、あちこちが若葉の新緑がまぶしくなりました。冬枯れの木々で埋まっていたのがとても軽やかな気分にさせてくれます。

 

桜の花言葉の中で「優れた美人」というのは有名な桜の木なんかはそうかなと思いますが、一般的には「精神美」がいいですね。

 

ところで、毎日の昨夕記事<特集ワイド日本58位、国連の「幸福度」って何? 生き方考えるたたき台>では、<国連が3月に発表した「世界幸福度報告書2019年版」で日本は156カ国・地域中58位(前年54位)と過去最低だった。>という結果を踏まえて、日本人にとって(というか一人ひとりの人間として)幸福って何を石塚孝志記者は問うています。欧米と日本との尺度の違いを指摘する学者や、国連が尺度にしている個別の指標に疑義を述べる学者などが紹介されています。

 

石塚記者が最後にあげた<京都大こころの未来研究センター教授の内田由紀子さん>のことばが割合腑に落ちました。

<「幸福とは個人のものなのか、社会で考えるべきことなのかがずっと問われてきましたが、その両方を大事にしながら、人々との関わりの中で、どう自分の生きる意味を見いだしていくのかというように移り変わっています。幸福の研究とは人々が求めていることを正しく知り、議論するためのたたき台みたいなもの。私たちが次の世代に、どういう国を残そうとするのかにもつながる大切なことなのです」。>

 

幸福って主観的なようで、周りとか、社会とかの見方と相互に触れ合いながら形作られていくのかも知れません。葉桜というものに感じる私の感覚なんかも、先達や他の人、社会の見方に影響されつつ形成されてきたのかも知れません。

 

話変わって、今朝の毎日記事<東日本大震災福島第1原発事故 日本敗訴、水産輸出に逆風 韓国に協議要請 WTO>はなにか落ち着かない気分にさせられました。

 

原発事故による福島県産の水産物は国内で水揚げできない状況(正確ではないですが)が続いているということはある程度分かっていますが、福島県以外の宮城県など日本産水産物が多くの国で現在も輸入規制されているということも漠然とした認識しかなったのです。韓国については話題になっていたのでちょっと知っている程度でしたが、大変な事態が続いているのですね。

 

それにしてもWTOの紛争解決制度について理解できていないので、記事を読む限り、その判断に一定の合理性を認めつつも、政治性も感じさせる印象をもちました。

 

事実経過は、<韓国は2013年、東電の汚染水流出問題をきっかけに規制を強化。青森、岩手、宮城、福島、茨城、栃木、群馬、千葉の8県産の水産物の禁輸対象を一部から全てに拡大した。>のが始まりです。この韓国の措置に対して、<日本は「科学的根拠がない」と15年にWTOに提訴。>

 

<1審の紛争処理小委員会(パネル)は昨年2月、韓国による輸入規制は「差別的」かつ「必要以上に貿易制限的」でWTOルールに違反するとした日本の主張をおおむね認め、韓国に是正を勧告した。>

 

この一審の判断については、もう一つの記事<クローズアップWTO逆転敗訴 政府誤算、復興に打撃>では、<原子力の専門家らも審議に加わっており、水産庁と外務省の担当者は10日、「専門家が検討した1審の事実認定が覆ることはほとんどない」と楽観的だった。>とされています。

 

ところで、二審の判断で覆った理由について2つ指摘されています。まず、<上級委は「パネルは製品サンプル中の(放射性物質の)実測値のみで安全性を調査しており、潜在的な汚染の可能性を説明できていない」と指摘。>これに対し<日本は放射性物質のモニタリング調査などデータを示し安全性を説明してきたが、上級委は放射性物質の影響が将来、顕在化するかもしれない潜在的リスクを考慮しなかった1審の判断を問題視した。>となっています。

 

サンプル実測値とモニタリングで安全性を科学的に証明したとする日本側の主張に対し、二審では、潜在的リスクが考慮されていない判断したのです。原発被爆によるリスク一般については、国内でも潜在的リスクが問題になっており、ただ、医学的知見なり科学的知見の多数は否定してきたのではないかと思います。

 

私のように高齢者になると、世の中一般に潜在的リスクがあるので(一緒にはできませんが)、できれば福島産のものを食べたいと思うのですが、身近にはないですね。それも困ったものです。他方で、潜在的リスクに不安を感じる人たちの気持ちは大事にしたいと思うのです。

 

他方で、二審の判断が合理的であったかというと、疑念が残ります。記事によれば、第一の争点について、<韓国は、放射性物質のレベルが今は低くても将来、影響が現れる潜在的リスクを訴えてきた。上級委は、1審はこの潜在的リスクについて検討が不十分だったと指摘。>というのです。第二の争点については<韓国の措置が貿易制限に当たるかどうかについても、1審は韓国と日本の地理的な事情などを十分考慮していなかったとした。>というのですが、この論理は理解に苦しみます。

 

福島県産については一定程度、合理性があるかもしれません。でもそれ以外の7県についてはどういうデータの基に、地理的関係を考慮して、潜在的リスクを持ち出したのでしょう。

 

また、一審が考慮していないと指摘する<韓国と日本の地理的な事情>って何でしょう。むろん実際の報告書には具体的な記述があってより説得的なのでしょうね。不思議な根拠です。

 

で、有識者の見解として、法律論で覆ったとか、人員不足で十分審議されたか疑問と言った指摘がありますが、どこが法律論なんでしょうね。

 

他方で、<「日本産食品は科学的に安全で、韓国の安全基準を十分クリアするとの1審の事実認定は維持されている」(菅義偉官房長官)>ということですが、潜在的リスクという科学的でもあり曖昧さも残る問題をしっかりとらえていないと、今後も問題の解消につながらないおそれが高いと思うのです。

 

また、記事では宮城や福島の漁業関係者の不安を訴える声を掲載しつつ、<岩手県の達増拓也知事は「WTOの判断は残念だが、むしろ漁獲量の減少が大きな問題」と水産業が抱える構造的な課題も指摘する。「きちんと検査をしていて、我々も韓国からの旅行者もおいしくいただいていることをアピールしていけば、悪いことにはならないと思う」と訴えた。【百武信幸、柿沼秀行、小鍜冶孝志】>と多くの韓国旅行者が口にすることで(実際そのようですね)自然に理解が深まることを地道に、また広報を通じてやっていく熱意を示しており、期待したいと思うのです。

 

葉桜の心は、桜の花弁を見て純潔さにのみ心ひかれていると、その散り落ち次の段階に進む移ろいに自然の妙がある、あるいは本質があるということを見失うおそれを気づかせてくれているようにも思うのです。

 

そんなことを思いながら葉桜の季節を堪能しようかとも思うのです。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。

 

 


災害保険の多忙 <損保会社編/上 続く災害、休む暇がない>を読みながら

2019-02-04 | 災害と事前・事後

190204 災害保険の多忙 <損保会社編/上 続く災害、休む暇がない>を読みながら

 

今日は急に暖かくなりました。いつもは朝、事務所で萎えてきた花を庭に植えるとき、寒さに怯むのですが、今日はのんびり気分でした。

 

昨日は井山裕太 NHK杯と結城聡 九段の熱戦を見てつい、私もがんばろう(なにを?)と思って、ブログを4つも書いてしまいました。井山氏の読みは天真爛漫のようで深く素人には参考になりませんが、碁盤全体を捉えて有機的に連係する(わかっていませんが)美しさを感じます。ところが最期の今日の一局について解説するとき、素人的には奇妙な覗きは相当考えた手でしたが、それでもその先は読めていなかった、運がよかったというのですね。果敢に挑戦する姿は国際囲碁大会でも発揮して欲しいと思う次第です。結城氏はまだ井山氏くらい若い時代、解説をしていましたが、論理的でわかりやすく好ましい青年と思っていたら貫禄がでてきましたね。

 

今日も早めにブログを書き出そうと思っていたのですが、電子内容証明サービスを利用して作業を始めたら、途中で分からなくなり、最期は日本郵政のアドバイスを得てうまくいきました。でも原稿はとっくに完成していたのに、複数人宛てというのが初めてだったため、その作業方法がわからず、四苦八苦してしまいました。そんなわけで気づいたら6時半を回っています。

 

簡潔にブログを終わらせようと思います。今朝の毎日記事<はたらくα現場、再び 損保会社編/上 続く災害、休む暇がない>は、少し関連したことを思い出せてくれました。

 

昨年の自然災害はいまなお各地に爪痕を残し、仮設住宅暮らしを余儀なくされている方もおられるでしょうし、住宅被害から農作物被害、森林被害など多方面に影響を及ぼしたと思います。

 

むろん国の救済措置や都道府県なども一定の措置を講じていると思いますが、最期は自分で対応しないといけないことがほとんどかもしれません。そんなとき保険は頼りになるでしょうね。

 

損害保険会社がその対応で大忙しということで、はたらく現場の様子を取材しています。大手の一つの執行役員が活動する現場というのですから、興味深いです。

 

<昨年9月の台風21、24号を中心とした火災保険の保険金支払い対応を集中的に行う拠点は、休む暇がないほどだ。>

 

その作業の一端です。

<フリーダイヤルの電話を受けたり、手続きが進んでいない保険加入者にコンタクトを取ったりする電話班。三宅さんが、おもむろに受話器を取る。(被災生活が)長いところ大変ですね、現状で何かお困りの点はございませんか?--。相手は、屋根の波板などが風に飛ばされた大阪市内の女性。雨漏りとベランダで洗濯物を干せない状態が続いているが、支払いに必要な書類が三宅さんの手元に届いていない。聞けば、修理業者待ちだという。災害規模が大きすぎて対応が追いついていないのが現状だ。>

 

私のようなところにも、隣家のベランダが飛んできて倉庫が壊れたとか、カーポートの屋根が壊れて隣家の車を損傷したと訴えられているとか、いろいろ相談があります。あの暴風ですからね、具体的な事例によっては例外はあるとしても基本は不可抗力となるでしょうね。

 

そんなとき保険をかけていれば、むろん支給要件を満たす必要があるでしょうけど、ある程度救済されるでしょう。保険をかけている人は、損保会社に必死にすがるでしょうね。そうなると損保社員は大忙しと言うことでしょう。

 

その数は今回膨大なもののようです。

<大阪市を拠点とする保険金支払い部門のカバー範囲は、大阪府と奈良、和歌山の両県。100人弱の態勢で月に約3500件を扱う。昨年9月の二つの台風だけで約11万件の支払い請求がある。>

 

保険関係の書類は基本、紙ベースで手書きでしょうね。それも一件当たりでも結構な量でしょう。それは次の作業内容からしても大変さが分かるような気がします。

<加入者から届いた書類一式を整え、書庫に保管されている保険契約資料などと一緒に損害調査班(査定担当)に回すのが仕事だ。保険金請求書、見積書、写真、事故状況説明書などが入った封筒を開け、決められた順番に並べ替えて左上をホチキスで留める。右下に一枚一枚、日付入りの受領印を押していく。保険法に基づく約款によると、請求完了日から30日以内に保険金を支払わないと、遅延損害金が生じる。その有無を明確にするための印だ。今は1日約400件を処理するが、ピーク時はその4倍。書類到着日に処理するためには、大人数で取りかかるしかない。>

 

全体の量は推して知るべしですね。

<書庫にある加入者情報の入ったフォルダーとセットにする。現在、3万5000件分が番号順に並ぶ。部外者は立ち入り禁止。並び順が少しでも乱れれば、探したい資料は永遠に見つからない。1万件規模なら50音順だが、数が多いので数字で管理することにした。でも、データ管理はできない。この後の査定でこれらの紙資料が必要になるため、紙ベースでやらざるを得ないのだ。>

 

これを読みながら、これAIで対応可能ではないかとつい思ってしまいます。人間にとってこの量は膨大ですが、AIであればたいした量ではないでしょう。むろん昨日紹介した銀行が開発した手書き認識ソフトも含め損害保険に特化したAIを開発すればさほど難しいことにならないのではと、つい思ってしまいます。

 

いまは人海戦術ですが、それもそう遠くない時期にAIが多くをカバーするのかもしれません。

<損害調査班は内務班から回ってきた書類を基に、鑑定人らが算出した保険金額が妥当かどうかなどを最終確認する。営業職などでも携われるように作られたチェックシートの前。三宅さんが赤ペンを持ち、電卓を打つ。口は真一文字。1件当たり30分近くかけてチェックする。男性社員が声を掛けた。「今は1日400件あるので、1人で40件やってほしいんです。要員10人だと計算しやすいし」。三宅さんが目を丸くした。「これは大変だよ!」>と嘆いているくらいの現代はまだ働きやすいのかもしれません。

 

実際、損害査定のための写真が大量にあっても、損害認定のソフトを学習させれば、かなりの物件は即座に分析、査定することはAIの得意場面かもしれません。

 

すでに<比較的単純な事務をコンピューターに記憶させて自動化するRPA(ロボットによる業務自動化)の導入は大幅な業務削減につながった。>ということですが、現場で仕事をすれば、よりAI化が可能な領域、ソフトの開発領域を発見できるでしょう。今回の主人公、三宅信一郎氏もそういうヒントを得たのかもしれません。

 

30分で仕上げました。今日はこれにておしまい。また明日。


ボランティアと費用負担 <災害ボランティア 公費支援、兵庫県検討>などを読みながら

2019-01-16 | 災害と事前・事後

190116 ボランティアと費用負担 <災害ボランティア 公費支援、兵庫県検討>などを読みながら

 

ボランティアということばはいつごろどのような用語として使われるようになったのでしょう。というのは私自身、弁護士になってしばらくして無給の活動をすることが仕事の中心になりました。当時、そのことをなんと言っていたか思い出せませんが、仕事というのが収入を得てやることであれば、仕事ということばは不適切になりますね。

 

当初は弁護士会の仕事が中心でしたが、その後はNGOとかNPO成立後はNPOを含め多くの団体活動に参加してきました。私の仕事全体の多いときで3分の2以上、平均しても半分以上でしたか。これは仕事の時間量でおおざっぱに計算したのですが、タイムカードもないので、実際はもっとだったかもしれません。なんとか生活できれば後は無給の仕事をすることが生きがいみたいに感じていたのかもしれません。最近はほとんどそういった無給の活動をしていませんが、このブログを書くことと才蔵ネットワークの活動に参加することくらいでしょうか。前者は仕事とは思っていないので、これを含めるとややこしいことになりますね。

 

といって、このブログでも紹介した尾畑春夫さんのように災害現場で汗水垂らして働くといったことは経験がありません。せいぜい荒れた森の間伐作業に参加するとか、里山の保全活動の一部に参加するとか、で後は調査をして報告書を公表したり、シンポジウムを開催したりなど現場に行っても当事者みたいに入り込むことはなく、第三者的な立場で活動してきたように思います。

 

ところで、ウィキペディアの<ボランティア>を見ると、<日本において、ボランティアとは一般的に、自発的に他人・社会に奉仕する人または活動を指す。ボランティア活動の基本理念は、公共性、自発性、無償性、先駆性である。>とされています。無償性は基本でしょうね。私も多くの団体会員になり活動しましたが、基本というか、すべてにわたって、どこも無償です。会員同士で一杯やるときも自分の財布から払います。当然ですね。交際費なんてものはボランティア団体、メンバーであるはずがないですね。

 

ただ、わたしが深く関わった団体では、ボランティア参加の旅費、日当を出すことにしました。ある時期から一定の活動について、出すことにしたのですね。また事務局の常勤者は生活もあるので給与を出すことにしました。なぜ実費を出すようにしたかは20年以上前で定かではないですが、機微に渡ることもあり、ここでは触れないことにします。他方で、理事は全員無給でした。

 

ですので、会創設当初から参加したこの団体において、私はいくら法律上の紛争について調査し回答したり、交渉しても、顧問料とか相談料とかなんらかの報酬を受け取ることはありえません。ただ、ある時期から旅費とか宿泊費はいただいていました。

 

長々と私の経験の一端を書きましたが、ボランティアに一定の金銭支援をすることは、尾畑さんのような崇高な考えからするとどうかと思われそうですが、私は賛成です。

 

この点、先のウィキペディアでは語源の中で、<聖書の副詞形ヴォルンターテ「自ら進んで」の語源は動詞「volo(ヴォロ)」(「欲する」「求める」「願う」の意)である。ラテン語ヴォルタースから英語の volunteer が誕生した[2][3]。>とされています。そして<ボランティア活動において、交通費や実費、その他経費を受け取る活動を有償ボランティアと称する例も存在する[4]。>と何か経費を受け取ることがボランティア精神に反するかのような言及をしています。

 

このような話題を提供したのは、今朝の毎日記事<災害ボランティア公費支援、兵庫県検討 被災地復旧後押し>を読んだからです。そこでは<兵庫県の井戸敏三知事は15日、県内の団体が災害ボランティア活動をする際の交通費や宿泊費の一部を助成する制度の来年度創設を検討していることを明らかにした。>というのです。

 

その制度は興味深いものです。<県によると、地方自治体が公費で災害ボランティアを支援するのは全国初。財源として「ふるさと納税」も活用する考え。「ボランティア元年」と呼ばれた1995年1月の阪神大震災を経験した県として、経済的に市民活動を支え、全国の被災地での復旧を早める意義があると判断した。【井上元宏】>

 

具体的な制度骨子は<県によると、5人以上の県内の団体が、地震や豪雨などの発生直後、がれきや土砂の撤去に向かう交通費などを助成する。参加者数や移動距離に応じて金額を決める。災害救助法が適用された地域で、現地のボランティアセンターに登録したことを証明する書類を求めるなど、手続きや枠組みを今後詰める。>とのこと。

 

私はボランティアに旅費などを支援すること自体が経済的に有効というより、地方行政が支援制度を設けることで、よりボランティア参加することが精神的にやりやすくなることを期待したいと思っています。

 

ボランティア活動は多様で、また自主的なものが本質でしょうけど、多くの人が参加するにはまだまだ意識的に高い壁があるように思われます。他方で、自然災害は気候変動の影響もあり、今後ますます増加し甚大な被害を与える可能性が高いと思うのです。

 

地域の行政主体は、災害予防、災害後の復旧・復興の最先端に位置づけられていますが、実際は日常の業務で手一杯でしょうし、災害時は被災者でもあるわけで、自治体相互の協力体制も効果的な役割を果たしますが、それも現場での作業となるととても間に合わないと思います。

 

これからの災害対応は、全国各地からのボランティア参加を増大するため、より参加を容易にしたり、必要な現場に必要な人材を投与できるようにシステムの効率化を図る必要があるでしょう。その場合AIの活用など先端技術の導入はもちろんですが、まずはボランティア参加をいかに容易にするかの仕組みを作り上げる必要があると思うのです。

 

わが国では阪神大震災がボランティア元年と言われるようですが、私の記憶ではアメリカでもエクソンバルディーズ号の油漏出事件が契機であったように思います。私はその現場バルディーズに調査に出かけましたが、事故当時、油汚染の中大勢の若者が油に覆われた水鳥などを助けようとしている画像がとても印象的でした。

 

その後わが国でも、ナホトカ号重油流出事件が起こり、多くボランティアが油汚染の除去活動に参加していましたが、このとき船主に損害賠償請求がいろいろな法的手段で行われています。当時としては相当な金額ですが、上記の賠償額に比べれば極めて低いもので、とくに自然損害に対するものはほぼ無視されたのではないでしょうか。同様にボランティアの費用も。

 

私の記憶では、ボランティア費用を請求した最初の事件ではないかと思うのですが、高橋大祐氏の<海洋汚染事故における損害賠償実務と企業の法的・社会的責任>によれば、否定されたようです。

 

まだ法制度としては、油汚染などの法的責任というレベルでは、ボランティアの費用を負担させる段階にはないと思われます。他方で、自然災害について行政は、予防・事後救済措置について、一定の責任(法的と言うよりは政治上でしょうか)を負っていると思うのです。わが国は災害列島ですので多発甚大化する被害を免れないと思うのです。しかし、予防策も事後救済も、予算に限度がある以上、地域行政としては、十分に対応できないとしたら、国民というボランティアに協力を仰ぎ、その支援措置を講じることも役割の一つかと思うのです。

 

いま奈良時代の行基といったカリスマ的存在の出現を待つのは適切とは思えません。兵庫県のように、座して待つのではなく積極的に災害に立ち向かう姿勢をとることに、エールを送りたいと思うのです。そういう動きが行政だけでなく、企業も団体も新たな支援策を生み出すことにつながるでしょう。

 

長くなりました。今日はおしまい。また明日。


災害と福祉 <北海道地震 特養被災者に「福祉仮設住宅」>を読みながら

2018-11-11 | 災害と事前・事後

181111 災害と福祉 <北海道地震 特養被災者に「福祉仮設住宅」>を読みながら

 

アメリカ中間選挙後のトランプ政権の行方がいろいろ話題になっています。基本は大きな変化はないものの、再選に向かってよりトランプ旋風が吹き荒れるような感じですね。

 

NY株式が再び上昇気流に乗りそうな気配ですし、その結果でしょうか東証含め各国の株式市場も好調な兆しがあるのでしょうか。アメリカ経済の実態が好況だというのですが、ほんとうなんでしょうか。私はどうやら疑い深いせいか、トランプ政権が舵を取る政治経済の動きに危うさを感じしてしまいます。

 

たまたま最近のニュースで、トランプ大統領が武器輸出を大規模に拡大し、国内雇用の創出を自慢そうに話している姿が取り上げられていましたが、つい昔の名前ででていますといった軍産複合体と呼ばれた時代を思い出してしまいました。

 

現在は冷戦が終わったわけですが、新たな緊張の種がまかれたり、膨らんだりしていますね。どうも背後には経済対策が見え隠れするように思うのは私だけではないと思うのです。アメリカ経済が活況を呈して、雇用も拡大しているのであれば、なぜ大規模な武器輸出取引をすすめ、雇用拡大効果を喧伝するのでしょうか。私はこれまでのNY株式市場での値上がりは景況の裏付けのない異常な状況にあるのではと思うのです。リーマンショック救済のために行われた異常な金融緩和を土台に、アメリカ国民による極端な不動産投資や法人税の大幅減税が株高の主要な要因ではないかと思っています。素人感覚ですが、トランプ政権の経済政策が有効だったとの検証があるのでしょうか。

 

トランプマジックともいえる新たな策が、禁じ手ともいいうる極端な武器輸出の拡大ではないでしょうか。経済的利益を得れば、国内分断も国際社会の不安定化も、意に介さないトランプ大統領のスタンスのように思えるのです。

 

その結果は、各国の軍事力拡大競争、緊張拡大となり、本来、格差是正のために講じるべき予算がなかなか思うように配分されないことになっていく懸念が高まります。

 

まるで風が吹けばの話のようですが、災害対策と福祉対策においても、重要な国家の役割であるはずなのに、どうも後手後手になっている要因の主要なものが安全保障という名の脅威がわが国の政治においても、アメリカからの風のせいで、右往左往するからではないかと思うのです。

 

さて今朝の毎日記事<北海道地震特養被災者に「福祉仮設住宅」 全国初整備へ>は、災害時、特別養護老人ホームなどの福祉施設に入所している人たちが極めて厳しい状況下におかれることだけでなく、災害後の復旧過程でも劣悪な環境に置かれていること、その改善策がようやく動き出したことが取り上げられています。

 

福祉対策に活用するという、消費税増税も、軽減税率などかえって別の緩和策ばかりが話題になって、なかなか本筋の福祉対策の充実がクリアになっていないように思うのです。

 

そんな中、<北海道胆振東部が震源となった9月の地震で、道は、被災した特別養護老人ホームや障害者施設の入所者全員が震災前に近い形で共同生活を送ることができる大型の「福祉仮設住宅」を整備する方針を決めた。>そういえば、これまでの大規模災害でも、大型の「福祉仮設住宅」というのは聞いたことがないように思います。

 

特養施設はバリアフリー浴槽をはじめさまざまな特別仕様があり、災害時および災害後は入所者にとってはそのような利用に支障をきたす結果、介護職員ともども大変な苦労を重ねていたのではないかと思うのです。

 

入所者の多くはさまざまな病気や障害を少なからずかかえており、新たな環境変化に順応するのも大変な中、設備が整っていないと、災害弱者として、より精神的、肉体的に厳しい状況に置かれることになるでしょう。

 

その意味で道の新たな方針は、福祉関係の災害対応の先駆けとして、高く評価されてよいと思うのです。

 

具体的な中身は

<道は特養施設の基準では必要な特殊なバリアフリー浴槽なども設置する方針だが、災害救助法で定める応急仮設の想定外で、国と費用負担などの最終調整をしている。>

<建物は、いずれも同法に基づく軽量鉄骨造りの応急施設で、構造上、大規模な建物にはできない。このため、介護の程度などによってグループに分けた上で、入所者が一緒に生活できるよう小規模の居住棟を複数建設し、食堂や浴室などのある共有棟と屋内廊下で結ぶ。車椅子やストレッチャーに乗ったまま施設内を移動でき、職員の介護負担も減らせるという。>

 

ただ、現行法が想定していない対応のため、法改正などにより全国的対応が求められています。

<道は、寝たきりの人も入浴できるバリアフリーの浴槽など特養の基準を満たした設備とする方針。担当幹部は「現在の災害救助法は想定が限定的だと感じる。今後の大規模災害で同じ状況に陥る可能性は十分あり、国が全て補助する良き先例をつくってほしい」と話した。【日下部元美】>

 

話は変わりますが、今朝の毎日記事<アクセス糖尿病って自己責任? 麻生氏「不摂生で病気に医療費 あほらしい」 貧困層ほど発症率上昇>では、その国の財務を長く統括する麻生財務相の発言が問題にされています。

 

上記の健康格差はすでに問題提起され、多くの研究発表で示されているようです。その一人、<金沢市の「城北診療所」所長で糖尿病が専門の莇也寸志(あざみやすし)医師は・・・人工透析につながる腎症や失明の危険がある網膜症など、糖尿病の重い合併症の若い患者が次々と訪れるようになった・・・と問題提起し、・・・、全日本民主医療機関連合会が11~12年に全国の20~40歳の2型糖尿病患者782人を調べたところ、年収200万円未満の世帯の人が57・4%と半数を超えた。

 「子供の頃から栄養バランスを欠いた食事で肥満となり、その後は非正規雇用や長時間労働を強いられる。不規則な食事やストレスで、さらに体重が増加して糖尿病を発症するが、健康診断も受けられずに重症化する。それが若年患者の典型的なケース」と、莇医師は指摘する。>

 

福祉・貧困・医療の現状に、政権担当者は日々、心して取り組み、発言も真摯なものであって欲しいと思うのは私だけではないでしょう。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。(マンネリ化していますが、もうしばらくこの状態が続くでしょう?)