たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

アップサイクルはあなた次第 <広がるアップサイクル リサイクルの一歩先へ>を読みながら

2017-12-12 | 廃棄物の考え方

171212 アップサイクルはあなた次第 <広がるアップサイクル リサイクルの一歩先へ>を読みながら

 

リサイクルという言葉が人口に膾炙し出したのはいつ頃でしょうか。70年代初頭でしょうか。判然としませんが、そのころは学生は日米安保反対闘争でまだきな臭い状況でしたか。そんな学生ばかりでなく、60年代後半にわき上がってきたフォークソングが若者の心をとらえていたようにも思えます。でも東京都のゴミ戦争の中でもリサイクルやゴミの分別による排出抑制を考えるほどの若者は少なかったように思います。

 

80年代でしたかね、次第にリサイクルという言葉が生活の中に定着するようになったのは。でも実際は大量生産、大量消費、大量廃棄が堂々とまかり通っていました。私が熱帯林問題に関わりはじめたときも、原木はそのシステムの歯車というか、使い捨ての一つでしかなかったように思います。

 

それが今日ではリサイクルからリユースと、私たち一人一人が生活中で自然と意識化して、選択するようになってきたように思います。とりわけ子どもや若い世代は、学校教育の中で身につけてきたように思います。意識化されていない大人の方が喫煙問題と同様に問題かもしれません。

 

さて今朝の毎日では<衣・FASHION広がるアップサイクル リサイクルの一歩先へ>というタイトルで、野村房代、川畑さおり両記者が、主にファッションを念頭に、「アップサイクル」なる新たなワイズ・ユースが広がっていることを紹介しています。

 

なんだろうと思ったら、これまでのリサイクルやリユースは使用後の対応でしたが、<製造過程で生じた廃棄物や余剰在庫を材料に、価値の高い商品を生み出すことを指す。>ということです。

 

そのフィロソフィーというか理念的な意味は少し深いようです。<任意団体「エシカルファッションジャパン」代表の竹村伊央(いお)さんは・・・「実は使用済みの衣類より、製品化までに廃棄される布の方が何倍も多い。そうした廃棄物を逆に価値の高いものに変えるのが本来の定義」と説明する。>

 

さらに<米国や北大西洋条約機構(NATO)の軍服をリメークし・・・>それを<今夏から日本で販売を手がける「ワンオー」のディレクター、大坪洋介さんは「軍服に手を加えることで戦争を否定する狙いもある。社会的に意義のある活動に賛同した」と話す。>とよりメッセージ性を持つ形でクリエイティブになっているようです。

 

いろいろなそのアップサイクル商品を写真等で紹介していますが、興味深いと思ったのが次のもの。<名古屋市のバッグブランド「モデコ」は、消防服やフローリングの端材、車のシートベルトといった産業廃棄物を生かした商品を展開する。>

 

この制作者の意図がなかなか魅力的です。<10年にブランドを設立したデザイナーの水野浩行さんは「耐火性や強度があり、バッグの素材として非常に優秀」と言う。消防服のバッグは、市消防局から「交換のため廃棄する消防服を有効活用してもらえないか」と相談を受けて13年に発売。現在は川崎市や広島市など6自治体と提携している。それぞれ色やデザインが異なり、しみや傷の付き方もさまざまで味わいがある。水野さんは「ファストファッションが生まれ、誰もが気軽にファッションを楽しめる時代になった一方、生産者や環境に対する配慮が十分ではない。デザインや安さだけではない魅力に気づいてもらえる商品を届ける責任は我々にあるが、消費者にも変わってもらえたら」と語る。>

 

このような傾向の背景については<震災を経て、ファッションにも人や環境に優しい視点が求められるようになった>といった見方も示されています。

 

さらにより先を見通して、<竹村さんは「ごみの活用はいわば後手の対応。今後は無駄のない裁断や3Dプリンターの活用といった、ごみ自体を出さないものづくりが必要になる」と課題も提起する。>

 

ファッションに誰しも興味を持ち追求するというか、追随するというか、そのためにはどんな犠牲も払うことに頓着しない人は少なくないでしょう。それもまた生き方かもしれません。しかし、ファッション追求がもたらす裏側の面、その分廃棄物が排出され、また再生可能でないもの、有害なものが環境に出回っていることも忘れて欲しくないですね。ま、それは私にも言えますが。

 

ところで、このアップサイクルは、別にファッションに限りません。あらゆる分野で見直しが必要でしょう。いや、すでに多様な分野で実施されてきたのではないかと思います。とりわけ生産分野では。トヨタなど自動車産業では製造過程でその配慮を徹底してきたのではないでしょうか。第一次産業においても、たとえば林業では枝葉などは廃棄されていましたが、少なくともバイオマスとして活用する方向が定着しつつあると思います。

 

ビル建設などでも、意匠のすばらしい建物ほど、まったく新しい素材でも意匠上不要とされれば廃棄物となり、建築現場はその量がどれほど多いか驚かされます。3D設計・施工がビルなど大規模なものについても可能になれば、もしかしたら廃棄物も相当減少するかもしれません。アップリサイクル、改めて多面的な活用の智慧をさまざまな分野で試して欲しいと期待したいです。

 

30分程度で書き上げましたが、昨夜少し考えるところがあったためか?睡眠時間がわずかだったため、今日は早めに仕事を終わらせようかと思います。

 

そんなわけで、今日はこの辺でおしまい。また明日。


「山のきもち」考その3 <林業の課題~山林、人、道具、林産業・森林のあり方を考えてみる>

2017-12-12 | 農林業のあり方

171212 「山のきもち」考その3 <林業の課題~山林、人、道具、林産業・森林のあり方を考えてみる>

 

昼休みを利用して、再び山本悟氏著『山のきもち』を取り上げ、今回はその課題の章を私なりにアプローチを試みてみたいと思います。

 

林業、林産業の課題はというと、あげだすと長い間の鬱積のようなものがどんどん噴出するかもしれません。私自身が体験したのはほんの一部ですので、山本氏が取材した内容は非常に参考になります。

 

日本の森林面積2510ha、人工林面積1035haは、いずれも世界に誇る規模ですね。ここで山本氏は、その森林の成長により年当たり7000m³としています。これに対し、木材の需給表を基に、国内総需要量7581万m³、うち国内生産量が2306万m³、他方で輸入量が5215万m³と圧倒的に輸入に依存している状況を指摘しています。

 

木材の需給でいえば、国内年間成長量(換言すれば利息的なもの)で、年間需要に応えられるのに、外材に依存し、国内材は蓄積されるまま(放置されている!)ことが示されています。

 

ここで、山本氏は「現状では、成長量の7割の5000万m³を集めるのが精一杯との見方があり」として、なぜ7割かを問題提起し、その原因を探っています。ただ、5000万m³を伐採・搬出できるという趣旨であれば、そのような実現可能性があるのか、林野庁の目標かもしれませんが、実効性ある計画があるとはなかなか信じがたい数字です。いずれにしても現在の実数が2300万m³程度であることは間違いないのでしょう。ここが問題であることは誰もが認めることでしょう。

 

山本氏が「構造上の問題として、①小規模林家、②就業者の高齢化、③技術者不足」をあげています。いずれも人の面から問題提起しています。しかも林業生産現場に限った問題として。山本氏が指摘している具体的な数値はいちいち引用しませんが、深刻な数字であることは確かで、林野庁がさまざまな施策を次々と送り出してきましたが、常に大きな壁になっていると思われます。

 

農地の零細錯圃とその農家構造と似たような関係にあるかと思います。農地の場合は遊休農地といった問題が、林地であれば荒廃地という問題が、長年にわたって懸案事項とされてきたものの抜本的な解決の糸口が見えない状態でしょうか。

 

高齢化については、「緑の雇用」制度などである程度若い世代が参入しつつあるように思うのですが、技術力不足という側面は多様な側面で本気で検討する必要があると思われるのです。チェーンソー利用時の事故は相当数起こっています。それは環境条件の変化や厳しい条件による影響もあるでしょうが、基本的には伐採等に関する安全衛生規則を習熟している人が少ない、あるいはこれを軽視する作業現場の状況も影響すると思うのですが、やはり基本的な技術が継承されていないことではないかと思うのです。

 

時折話題にでますが、昔は木守というのか、杣人のような専門技術者が必ず森林にいてその生態系をも含め熟知、当然使う道具や木々の種類・性質を理解しつつ、林業を行い、森林を守ってきたそういう伝統が、その担い手を失い、優れた導き手が森の中にいないことが問題ではないかと思うのです。

 

緑の雇用制度でいろんな職業を経た人、あるいは若い世代が林業に入ってきています。多くは短期間の林業訓練で現場に出て継続的な研修で基本的技術を学ぶ制度設計になっているようですが、これでは新たな林業づくりの担い手に育つことは容易でないでしょう。

 

この点は、欧州並みに、林業大学校がようやく少しずつ各地で生まれ、真の林業技術専門家が育ってきているようですが、期間も短いですし、その資格自体がまだ林業界で評価される状況にはないように思われますし、その能力を十分発揮できる現場が少ないように思われます。今後に期待したいところです。

 

山本氏は、高性能林業機械の導入に一つの光明を見ているようです。たしかに私も従来の建設機械をベースにアタッチメントだけを林業用機械にするような、「 」付き高性能というのはどうかと思っていましたが、最近はコマツでしょうかヨーロッパ仕様のようなベースも含め林業用に一体化した、そしてネット通信やAIなどを導入した、ネット時代に即応するような機械の導入もわが国で始まったようですので、それは期待したいと思われます。

 

それにしてもこのような最新鋭の機械はもちろん、従前型のハーベスターやプロセッサでさえ、わが国の森林所有構造・小規模林家の集まりでは、なかなか大規模・継続事業が行える状況になく、宝の持ち腐れというか、コストパフォーマンスがかえって悪いことになりかねませんね。

 

しかも注意しないといけないのは、農地の錯圃と同じように、森林も散在しているのが実情です。小規模の上、あちこちにさらに小規模面積に別れているのですから、零細農家の所有面積1~5haというのも、作業できる面積は筆ごとになり、別れているため、いわば「林家」に分類されない面積しか所有していないのと実質的には変わらない面があります。

 

そしてよりやっかいなのが、境界が不明、所有者不明という、増田元総務大臣が主導している問題がここでも大きな壁になります。それは以前は木守(各地でいろいろ呼称が違うようです)といった専門技術者が、そういった小規模林地所有者のために、集積して管理していたのですが、外材輸入や非木材利用が進み、コスト倒れになると言うことで、所有者が管理から離れていき、そういった専門家も山にいなくなったことが問題ではないかと思うのです。

 

この解決を60年経過しても遅々として進まない地積測量を待っていては、一向に光明が見えてこないように思うのです。GPSGISなどの技術をより森林にあうような境界確定の仕組みを使うことも必要かもしれません。さらにいえば、思い切って一定の範囲について、境界は概要だけで、全体として管理して、収支をその中で調整するような抜本的な仕組みをも検討して良いのではないかと思うのです。

 

山本氏は、より詳細なデータや事例を紹介していますが、またこのシリーズの中で取り上げればと思います。

 

山のきもちとは何か、にちっとも近づいていないように思う向きもあるかもしれません。いつかそれに近づきたいと思っています。

 

ちょうど一時間くらいとなりましたので、中途半端になっていますが、この辺でこのテーマは今日はおしまい。