たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

見えないリスク <西鉄バス元運転手 石綿労災認定「点検で吸引」 昨春死亡>を読んで

2017-09-30 | リスクと対応の多様性

170930 見えないリスク <西鉄バス元運転手石綿労災認定「点検で吸引」 昨春死亡>を読んで

 

いつの間にか9月も終わりです。紅葉シーズンで内外各地への旅行も盛況でしょう。いやそれどころではない、というのは選挙関係者でしょうか。それはともかく旅行に行く手段が多種多様になりました。それもバスや電車も高級化の動きがすごいですね。他方でバス業界はコスト競争が激化しているので、運転手の労働条件は適正化の動きと労働強化・賃金抑制とのせめぎあいが続いているように思えます。

 

地方に住んでいると、バスの車体や内装を豪華にしたりして、盛況なのは、所得格差の一つの表れかなと思ってしまいます。路線バスにしてもコミュニティバスにしても、公共交通機関の利用が進むことが望ましいと思うのですが、人気が今ひとつもあって、厳しい経営と労働条件にあるように感じます。

 

そんな中、今朝の毎日記事<西鉄バス元運転手 石綿労災認定「点検で吸引」 昨春死亡>は驚きです。会社が西鉄ということですから、路線バスなのでしょうか。路線バスの場合、昔は収入も少し高めで安定していて、勤務条件も緩やかだったと思います。だいたい運転手の中でも特にまじめな方が採用されていたのではないでしょうか。ところが、最近はいずれも厳しくなっているようですね。

 

バス運転手の作業環境という面では、有害排気ガスで充満していた70年代と違って、その後の規制強化で90年代後半以降は、交通状態があってもさほど厳しいものではなかったように思うのです。とはいえ、私などは、バスが従前ほとんど有害性の高いディーゼルエンジンだったので、その後を走るのは基本避けるか、相当距離をおいて走ってきました。最近はバスも以前ほど有害な排ガスを出していないようには思いますが。

 

それはともかく本筋に戻します。<石綿労災認定「点検で吸引」 昨春死亡>の記事によると、<西日本鉄道(本社・福岡市中央区)でバスの運転手として30年あまり勤務し、アスベスト(石綿)関連疾患の中皮腫を発症して死亡した佐賀市の男性について、佐賀労働基準監督署が今年5月に労災認定していたことが分かった。>

 

事実の詳細は見出しの記事が取り上げています。

 

<西日本鉄道でバス運転手として働き、石綿関連疾患の中皮腫になったとして労災認定を受けた佐賀市の河野志喜男(しきお)さん=昨年4月に83歳で死亡>

<河野さんは長崎県平戸市出身。国民学校卒業後、家業だった農漁業の手伝いなどを経て、1964年に西鉄に入社し、退職する97年までバスの運転手として勤務した。真面目な性格で無事故、無違反を続け何度も会社から表彰を受けるなど優秀なドライバーだった。>

 

死亡年齢から推測すると、33年生まれでしょうか、31歳頃から64歳頃(65歳?)まで勤め上げた方のようですね。

 

<退職から18年後の2015年8月、胸に水がたまるなどの体調不良に突然襲われ、石綿関連疾患の中皮腫と診断された。>というのですから、まさにアスベストの「静かな時限爆弾」性が如実にでていますね。恐ろしい危険物質です。

 

<長女は労災を疑い労基署に相談したが、「バス運転手の石綿労災は前例がなく、認定は難しいだろう」と言われたという。>そうですよね、労基署でなくてもほとんどの人にとって、バス運転手に石綿労災の労働条件があるとは想像できないでしょう。

 

でもアスベストに長年取り組んでいる人にとっては常識の一つだったかもしれません。

 

<長女らはインターネットで知った被害者団体「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」(東京)に相談。同会からかつてはバスのブレーキなどで石綿が使われていたことを教えられた。>たしかにバスのブレーキに石綿が疲れてきたことは確かですが、それなら他のバス運転手も相当曝露する可能性がありますね。ほかでそのような症例がないようだということも大きな壁になったでしょう。

 

この点、<同会の聞き取りに対し、河野さんは「毎朝、乗務前にバスの下に潜り込んで点検していた」と証言した。>

 

より具体的には<河野さんは生前、「毎朝運行前に作業用のつなぎに着替え、バスの下に潜り込んで約10分間、タイヤハウスやマフラーの周りをハンマーでたたいて点検していた」などと家族らに話していたという。河野さんの元同僚も同様の証言をした。>というのです。

 

バスの下に潜り込んで10分間も点検なんて信じられないと、私のような車の点検もいい加減な人間にとっては想定できないものです。しかし、鉄道系のバス運転手は、昔はそういう鉄道マンと同じくらい安全管理に自負をもち、しっかりやっていたのではないかと、この記事を見て思いました。この河野さんという方が、毎日、バスの下に潜り込み、冷たい床に横たわり、10分間もかけてタイヤハウスやマフラーの周りをハンマーでたたいて点検している姿を想像するだけで、これが本当のまじめで勤勉と言われた日本人の姿ではないかと思ってしまいます。適当に表面だけ見て大丈夫とか、見過ごしにできない実直な方だったのでしょう。

 

そうでなければ、毎日10分程度で、外気の触れているのに、アスベストを吸い込むはずがないです。真剣な眼でハンマーをしっかりたたいていたのでしょう。アスベストという見えない物質が飛散することも知らされず、そのまじめさがとても切なく感じます。

 

でもこの方の真摯なバス自体の安全管理の徹底という基本があるからこそ、無事故、無違反運転を続けることができたのでしょう。運転手の鑑とも言うべき人であり、人の生き方と誇るべき人生を歩んでこられたのではないかと思うのです。こういう方に、退職後おそった中皮腫の苦痛は気の毒です。

 

<西鉄は同労基署の調査に対し、バスのブレーキやクラッチなどに石綿含有部品が使用されていたことを認めた。同労基署は「1日の作業時間は短いものの、間接的に石綿ばく露を受ける作業に(病気休職の2年を除く)約31年間従事し、その結果、中皮腫を発症したと考えられる」として、労災認定した。>

 

西鉄も当時気づかなかったとは言え、今回の調査に誠実に答えたのは評価してもよいでしょう。ただ、この問題は河野さん一人だけではなく、アスベスト含有部品が現在残っているものはないか、また、アスベスト含有部品が使用された車両を運転等していた人への、診断の要否を検討するために、注意喚起、広報が必要ではないかと思います。今回のニュースは5月の労災認定についてですが、むろん西鉄は記者会見ないしそれに代わるニュースリリースもしていないように思われます。企業のコンプライアンスとして適切であったか、検討してもらいたいと思うのです。誠実なバス運転手の死を無駄にしないためにも。

 

ちょうど一時間となりました。このへんでおしまいです。


異質の合体の未来は <東芝 売却契約を締結 半導体子会社、日米韓連合と>などを読みながら

2017-09-29 | 企業運営のあり方

170929 異質の合体の未来は <東芝 売却契約を締結 半導体子会社、日米韓連合と>などを読みながら

 

今日は和歌山まで出かけ、帰りはこのブログを書くために高速を利用して帰ってきましたが、やはり疲れます。和歌山では大阪講演内容をライブ放映するということで出かけました。第一東京弁護士会の佐藤泉弁護士が大阪弁護士会館で、近畿弁護士連合会主催研修セミナー「廃棄物処理法のコンプライアンスについて」と題する講演をされたのです。佐藤さんはたしか20年くらい前、日弁連公害環境委員会にニューフェイスで参加したような記憶で、どこか地方で会合があったとき初めてあったと思うのです。しっかりされていて当時から廃棄物問題に強い関心をもっていたと思います。

 

その後の日弁連会合でもしっかりした見識を示され、なかなかの人だと思っていたら、すでに環境省だったか、厚労省だったか(昔は廃棄物は厚労省所管でした)、審議会の委員をされていて、その後も継続してつとめられているようです。ほんとは大阪まで出かけていって久しぶりに挨拶をしたいとも思いましたが、最近は電車に乗るのも億劫になり、環境によくない車で和歌山まで行ったのです。佐藤さんの話は、残念ながら途中寝入ってしまったのですが、起きているときは、なかなか流ちょうな話しぶりで(そういえば初めて講演を聴きました)、内容も基礎から応用まで充実していたように思います。いつか機会があったらこのブログでも取り上げたいと思います。

 

ところで、政治の世界は一緒になったかと思えば離散するの繰り返しのようにも思えます。希望の党の動きは今後どうなるのでしょう。でも人間世界の常かもしれませんし、だいたい、地球自体がそうなんですからね。おもしろいと思ったのが、東芝メモリの売却をめぐって新しく生まれた会社の名前、「パンゲア」です。一時的に合体したものの現在の五大陸等に分裂する暫定的に存在した超大陸の名前ですね。

 

希望の党もややこしい組織に映りますが、この「パンゲア」という会社自体はもちろんのこと、東芝メモリの今後、さらには東芝本体がどうなるか、ほんとややこしや、ややこしやです。

 

ともかく昨日から今日にかけて毎日ウェブサイトに何本か関連記事が掲載されていますので、それを見ながら、ちょっと考えてみたいと思います。

 

東芝 売却契約を締結 半導体子会社、日米韓連合と>では、東芝メモリ売買契約を簡潔にとらえていますので、引用します。

 

<経営再建中の東芝は28日、半導体メモリー子会社「東芝メモリ」について、米ファンドのベインキャピタルが主導し、韓国の半導体大手SKハイニックスが参加する「日米韓連合」に売却する契約を結んだ。>

 

具体的にはまず<日米韓連合は、東芝メモリ買収のための特別目的会社 (SPC)「パンゲア 」を設立。>次に、<パンゲアに対し、東芝が3505億円を再出資するほか、ベインが2120億円、東芝メモリの取引先の光学ガラスメーカー、HOYAが270億円、SKハイニックスが株式に転換できる社債などで3950億円、アップルなど米IT企業が議決権のない優先株で合計4155億円を拠出する。このほか、銀行団が6000億円を融資し、買収額は合計2兆円になる。>

 

つまり、東芝が東芝メモリを日米韓連合に単純に売却するのではないのですね。特別目的会社というのは、私が会社法問題から離れた後19986月に成立した「特定目的会社の証券発行による特定資産の流動化に関する法律(通称SPC法)」に基づいてできるようになった会社で、私には初耳でしたが、金融界では結構使われているようです。

 

ウェブ情報で調べると、特別目的会社の<特別な目的とは、資産の流動化や証券化などを指し、利益の創出を目指した通常の企業活動の目的とは異なる。企業は、保有する資産を特別目的会社に譲渡することで、資産を企業本体から切り離すことができ、特別目的会社は、譲渡された資産を証券化して資金調達に協力する。これにより、企業の財務体質の改善が期待できる。>とのこと。

 

SPC法をチェックしないと、なんともいえませんが、パンゲアがそういった会社だとして、今回設立した方式はちょっと逸脱していないのか気になりますね。東芝が出資してパンゲアという特別目的会社を作るのはいいとしても、他の会社はどうい位置づけになるのでしょう。

 

他方で、東芝がパンゲアに出資するという形で、東芝メモリを買う、しかも買収代金2兆円のうち3500億円超も出費してですから、蛸が自分の足を食べている感じになりませんかね。

 

むろん経産省の意向が入ってのことだと思うのですが、米韓の会社に主導権を握らせないように、過半数をわずかに上回る0.5%を日本企業側で握るという戦略でしょうか。本来なら、官民ファンドの産業革新機構と日本政策投資銀行が出資して議決権者にならないとおかしいのですが、WDとの仲裁判断や仮処分などで敗訴して売買がご破算になるリスクを回避しようと言うことでしょうか。

 

とはいえ、<官民ファンド・・は当面は出資しないが、東芝が議決権を行使する際に指示する権利を持つ。>というのですから、この複雑な契約構造の中に、さらに開示されていないさまざまな条件が組み込まれているのでしょう。そして<東芝はWDとの係争解決後、株式の一部を革新機構と政策投資銀行に譲る計画だ。>というのですが、その場合の譲渡条件も決まっているのでしょうかね。そのときもめなければいいですが。

 

韓国企業の位置づけも判然としません。<SKハイニックスが取得できる議決権は10年間は15%以下に制限し、経営関与を抑える。独占禁止法審査を通りやすくする狙いで、SKは東芝メモリの情報から遮断される。>とされています。しかし、<SKハイニックスが株式に転換できる社債などで3950億円>と同社が最大の資金拠出者です。独禁法審査を通りやすくするということで、こんな厳しい制約が課せられてもSKは参加したいのでしょうかね。それに議決権割合も、出資額と全然整合性がなく(まそれ自体はありうるでしょうが)、なんだか契約書の内容がどうなっているのか気になります。

 

ベインがSKの約半分程度の拠出にかかわらず、議決権割合49.9%ときわめて優遇されているように見えるのですが、なぜでしょうね。

 

半導体売却、日米韓連合と契約 WD係争、独禁法審査…再建なお課題 足並み乱れ? 記者会見中止>の記事は、上記の資金拠出の内訳を図表でわかりやすくしていますが、それ以上に、見出しの通りベイン1社が会見しようとして、キャンセルとなった経緯を見ると、どうも内情は固まっていないのかもしれません。

 

この「パンゲア」の未来予測は簡単ではないですが、<半導体メモリー市場では、世界シェア首位の韓国サムスン電子が巨額の設備投資を継続して攻勢を掛けている。東芝メモリが対抗するには本来「巨額投資を果断に進めることが不可欠」(東芝幹部)だが、足並みがそろわない日米韓連合の下、スピード経営を行えるかは分からない。>というのが実態のように思えます。

 

WDとの紛争は容易に解決できる状況にはないと思われるのです。お金のない東芝が債務超過を回避するために、打ち出の小槌になるはずの東芝メモリを売却して2兆円を獲得しないといけないはずなのに、その前に3500億円も出さないといけないのですから、これで債務超過を回避できると考える方が不思議です。WDとの紛争解決のあかつきには、官民ファンドに株式譲渡するのでしょうか、その可能性が乏しいから官民ファンドが参加しなかったのではないかと思うのですが、形勢逆転の見通しがあるのでしょうか。それに資金力がありそうなSKが転換社債の行使を制限され、10年間も議決権15%以下で、しかも情報から遮断されるのであれば、サムソン電子に対抗するような巨額の投資を継続するとは思えないですね。パンゲアもたしかに一瞬に分裂したわけではないのですが、地球時間と人間時間、しかも瞬時を争う企業競争の世界では分裂は一瞬に起こるかもしれません。

 

と不安な話ばかりでは困るので、希望の党の言葉のように、「希望」をもって合体の行方を見守りたいとは思います。

 

今日はこの辺で終わりです。


景気回復と貧困 <NHK<けさのクローズアップ>“食糧支援”で人生が変わる!?>などを見ながら

2017-09-28 | 政治 経済

170928 景気回復と貧困 <NHK<けさのクローズアップ>“食糧支援”で人生が変わる!?>などを見ながら

 

今朝のNHKのニュースでは、政治の話題が多かったのですが、以前からよく話題となっていたフードバンクの話が出ていました。フードバンクは60年代から始まった大量消費大量廃棄の一方で、生活困窮者の救済を図るなどの趣旨で始まった運動とされています。

 

ウィキペディアの定義だと<包装の傷みなどで、品質に問題がないにもかかわらず市場で流通出来なくなった食品を、企業から寄附を受け生活困窮者などに配給する活動およびその活動を行う団体。>とそういった活動団体を示す言葉として定着しているようです。

 

ウィキペディアによると、わが国では<元アメリカ海軍の軍人で、上智大学の留学生のチャールズ・E・マクジルトンが20023月に日本初のフードバンク団体を設立[3]、同年7月に東京都から特定非営利活動法人の認証を受けた。>のが嚆矢のようです。その後全国的に広がっていて、農水省なども<フードバンク>のPRにつとめていますね。

 

NHKでも2012年に<生活保護 一歩手前の支援を>とか、14年にはクローズアップ現代プラスで< 緊急調査・子どもの貧困 「食」すらままならない>と繰り返し取り上げてきたようです。

 

で、今朝の放送を見ながら、私自身がこれまで担当してきた母子の例をつい思い出してしまいました。地方では結構お子さんをたくさん授かり、子だくさんの夫婦もまだ時折見かけますが、夫が育児放棄や仕事嫌いで、勝手に家を出て、母一人で大勢のお子さんを見ている場合も少なくないように思います。

 

地方で生活費はあまりかからないとはいえ、仕事先を2つも3つももって稼いでも月20万円にも満たないのが普通かもしれません。夫は養育費も払わず逃げてしまうというよくあるパターンです。それも夫は自分の負債があって借りられず、妻名義で借りたりして逃げてしまうので、残った妻だけが借金返済の負担を課されるという悲劇的状況ですね。

 

NHKニュースでは、子どもにまともな食事も提供できないため、子どもが学校にも通わず、すべてにやる気を失う状況にあったというのです。それがフードバンクのおかげで食糧支援を受け、三食をしっかり食べさせることができるようになり、子どもたちにも明るさが戻ってきたのです。そして学習支援の教室に通うようになり、子どもに勉学の意欲が湧いてきて、成績も向上してきたという、なんともハッピーな結果でした。

 

ただ、こういた食糧支援をうけるのは、フードバンクの組織が把握しているのではたしか0.1%とか、あるいは0.01%?とかきわめてわずかな比率です。生活困窮家庭が多くいる中で、日本に導入されて10数年経過し、農水省も啓蒙活動を行い、NHKなども放映を繰り返しているのですが、ほとんどの人に知られていないというギャップがあるのですね。

 

その意味で、より適切な啓蒙の仕方を考える必要があるのでしょう。

 

ただ、このシステムが大量消費・大量廃棄の制度にあまりというか、ほとんど抑制効果がない点は十分配慮しておく必要があるかと思います。そうはいっても緊急対策としてはフードバンクの役割は大きいでしょう。

 

他方で、気になる放送を昨夜プライムニュースで見ました。これは経済専門家の視点では当然と言えば当然かもしれません。でも触れておきたいと思います。

 

安倍首相は突然解散することを非難され、その大義の一つとして、消費増税の使途を一部教育無償化に変更することを訴えました。そのことと関連して、プライムニュースが<経済3賢人景気展望>ということで、議論していました。政府は景気拡大が戦後最長となる可能性があるとか、指摘していますが、インフレ率2%と掲げた目標の期限を延期に次ぐ延期をしています。

 

その景気拡大というのが本物かについて、宅森昭吉(三井住友アセットマネジメント理事・チーフエコノミスト)、松野利彦(SMBCフレンド証券チーフストラテジスト)、永濱利廣 (第一生命経済研究所首席エコノミスト)が議論していますが、上記の食事にも窮する貧困状態が増えていること、所得格差の拡大で年収200万円以下の数が増大していることなどは、とくに取り上げられていませんでしたが、彼らには問題にならないのかもしれません。

 

株価が上昇していることや企業収益が拡大していることを取り上げていますが、一人が指摘しているように、投資している2割の人がその恩恵を受けている、他方で投資していないから利益を受けていないかのような見方ともとれる発言があったかと思いますが、疑問です。投資するだけの余裕のある家庭はほんの一握りではないでしょうか。2割というのは大きな比率のように思えますが、多くは少額投資で、実際に多額の利益を得ているのはやはり巨額の投資資本をもつほんの一握りではないでしょうか。結局、株価上昇による景気の拡大は富めるものが富を拡大しているだけではないでしょうか。

 

安倍首相の消費増税の使途を教育無償化にという方針自体は一つのバランス策ともいえますが、その増税すら怪しい雲行きです。所得の再配分なり、貧困で困っている人を助けるという政治の役割をどう果たすのか、納得できる政策を明確にして実現するのでなければ、この解散も批判されているように、責任逃避解散などの指摘が打倒することになりますね。

 

今日はこの辺でおしまい。


第2回大畑才蔵歴史ウォークを開催

2017-09-28 | 大畑才蔵

今朝事務局からニュースが入っていました。

昨年行った歴史ウォークの第2弾です。その日は10月21日(土曜)です。

昨年は紀ノ川上流域に設置された小田井堰も特別枠で用意し、メインコースは少し下った昔、桛田荘(かせだのしょう)といわれたところの河岸段丘の高い位置に作られた小田井について、交差する多数の河川をサイフォンや伏越、渡橋(渡井)というさまざまな技法で貫流させた才蔵の土木技術を学びました。最終地点の龍之渡井では、現在の水準器を使って、才蔵が開発した水盛り台の正確性を体験することもできました。

さて今年は小田井の西方、紀ノ川護岸に近い低い位置を通した藤崎井と小田井を歩いて両者を一度に体験し、また、会力の事務所ではジオラマでより地形的な意味も体験できる内容となっていて、とくに水量不足で水戦争も絶え間なかった名手や粉河などに多大の受益効果があった意味合いを実感できることになると思うのです。専門家の解説が楽しみです。

関心のある方は是非参加申し込みを。

 

また、大畑才蔵ネットワーク和歌山のHPをちょっと覗いてもらうと、いろいろ新しい情報が魅力的となりました。才蔵の用水路(現状)をドローンで撮影した動画もリンクで見えます。世界灌漑遺産登録も近々期待されています。

 


脱所有は? <そこが聞きたい シェアリングエコノミー >などを読みながら

2017-09-27 | 不動産と所有権 土地利用 建築

170927 脱所有は? <そこが聞きたい シェアリングエコノミー >などを読みながら

 

今朝出かけにNHKのニュースが目にとまりました。早朝から地震情報があり、ついFMのバロック音楽を聴いた後、ニュースも雑用の合間に見ていました。ここのところたびたび取り上げられる所有者不明の空き家問題などでした。ちらっと見ただけなので、中身はあまり理解するところまで言っていませんが、画像からは今にも倒れてしまいそうなほど傾いている家、そして大量のごみの山。それを自治体職員などがゴミ袋に詰めているのは見たのですが、家の方は解体したのでしょうか。いずれにしても自治体の条例に基づく代執行なのでしょうかね。その費用は行政負担となるでしょう。所有者がわかれば費用徴収ができるでしょうけど、所有者がわからないからこんな事態になったのでしょう。

 

私もこのブログで耕作放棄地、森林の荒廃地に空き地・空き家が全国至る所で問題となっていることを繰り返し取り上げてきました。これらの問題の多くは所有者の所在不明と、判明している所有者の無責任さが主な原因かと思います。

 

そして所有者が不明になることは今始まった問題でなく、少なくとも公地公民制をとった律令時代から始まっているということも指摘してきました。この点、公地だから私有でないので、直接関係ないとみる向きもあるかと思います。しかし、村上一博ほか著『日本法史』でも指摘されていますが、この公地公民制で6歳以上の公民に提供される口分田は、土地公有主義を示すものではなく、私有主義を示すものとの理解が有力ではないかと思うのです。負担付きの口分田は、ときに農民に過酷となり、逃散が絶えず、休耕田・放棄地は、当時はもちろん、その後も長く続いていると思うのです。

 

なぜこのような過去のことを持ち出すかというと、私有制というのは古代や中世・近世と現代ではそれぞれ内容が相当異なりますが、それにしても個々人にとって扱いやすい場合もあるでしょうけど、扱いきれないことが当然のように生じていたことを少し指摘しておきたかったのです。

 

所有権は個人に帰属する、それゆえ所有権者となった個人は自由にこれを扱うことができるという建前は、常に基本的な前提がありますね。法令の規範と社会規範による制約といったものですね。

 

こういった規範は、私が時々取り上げている大畑才蔵のように、所有者の規範意識がその人の努力と社会秩序によって形成されていれば、きわめて個人としても社会としても有効に機能するように思うのです。

 

しかし、現代の複雑な、そして自由奔放な社会の中では、容易に所有者規範を個々人の中に育むのは容易ではないと思われるのです。といって直ちに私有制の基本構造を変更しようと言った話にはなりませんが、新たな利用秩序を形成する必要を感じるのです。

 

その中で見出しの毎日記事<そこが聞きたいシェアリングエコノミー 早稲田大ビジネススクール教授・根来龍之氏>は少し気になっていましたが、この記事の日は別のテーマを取り上げたので、脇に追いやっていました。今朝のニュースを見て思い出したのです。

 

シェアリングエコノミーといった観念は、類似の概念として縄文時代以降わが国でも、いや世界中で実態生活に使われてきたのではないかと思います。ただ、根来龍之氏が取り上げた「シェアリングエコノミー」は<時間単位のレンタルや個人と個人との間(Peer to Peer)の「シェア」のことです。>とりわけ<後者の場合、企業は仲介的存在にすぎず、所有権の移動もありません。代表的な例が米サンフランシスコで始まった二つのサービス、「Airbnb(エアビーアンドビー)」と「Uber(ウーバー)」=1=です。>とのこと。

 

<いわゆる「民泊」を世界中に広げたAirbnbは2008年に、個人が自家用車を使ってタクシーを代替するサービスを行うUberは09年に始まりました。>と、ある意味自動車や部屋が対象のように見えますが、実は個人と個人の利用契約を企業が媒介するもので、対象物なりサービスはいくらでも広がる普遍性のある企業活動でしょう。

 

<どちらも、部屋の貸手も借り手も、運転手も乗客も、基本は個人同士を信用して短期の契約を結ぶことで成立するサービスで、企業は間を取り持っているだけです。「使われていない資産や能力、時間を一時的に市場化する『個人間の取引仲介サービス』」と言っていいでしょう。>というのですから、これをシェアリングエコノミーと評するのが正確かといった疑問もありますが、そんな概念論をしても意味がないでしょうね。

 

ここでは「使われていない」資産、能力、時間を一時的に市場化するというシステムといった総括していますが、それは暫定的な見方ではないでしょうか。おそらくこのシェアリングエコノミーに適合するような商品化が進むのではないかと思うのです。その意味では使われていない現在のもの・サービスから、新たに生み出すもの・サービスが対象にもなるのではと思うのです。

 

使われていないもの・サービスを有効活用のためにこのサービスが始まったというのは、発祥地がサンフランシスコというエコロジー思想の強い土地柄の性もあるかもしれません。むろん根来氏が指摘するように、SF特有のIT産業が起爆剤となったことも確かでしょう。スマホにSNSという新しい個人識別媒体は、<「実名主義」=2=を原則としています。つまり、ネット上で取引(契約)しても相手が誰なのかが分かるため、利用者同士に「信用」が生まれます。そこが基盤にあります。>というのも理解できます。

 

わが国での普及について、根来氏は<駐車場のシェア>や<空いているスペース、例えば、お寺とか廃校になった学校、企業の会議室などを使ってイベントや研修、会合に使うサービス>、さらに都市近郊の農地も揚げています。残念ながら、農地については、農地法の規制緩和で緩やかになった賃貸借でも、現行法ではここまでは無理かなと思うのです。

 

ただ、この「シェリングエコノミー」は個人の履歴や特性をある程度情報管理して行えば、農地法の厳しい規制をも一定の条件でさらに緩和しうるヒントを提供してくれていると思うのです。

 

いずれにしてもこれは使われていないさまざまなもの・土地・サービスの活用化をはかるノウハウであり仕組みですので、これが有効に機能すれば、また、私たちの意識の中に定着すれば、過度なものやサービスの創出を抑制し、「足をもって知る」という日本人が培ってきた貴重な資産とも言うべきものを復活できるかもしれません。

 

他方で,不用意にもの・サービスを購入し、貯めてしまったり、積んでおいたり、使わなくなったら放置してしまうことに対する、サンクションといったことも、次第に容認できる社会になるかもしれません。

 

土地は先祖伝来だから手放せないといいながら、放置しているような場合、そもそも先祖伝来などという実態がどこまで本当に成立するのか疑わしいのが多くの土地所有の実態ではないかと思うのです。人間の歴史の長さを考えれば、ほんのわずか、場合によって明治維新後、あるいは農地改革以後といった程度が普通ではないでしょうか。

 

1時間を少し回ってしまいました。今日はこの辺でおしまい。

補足

 

所有はある種、独占的であり、最後は個人的な枠内に留まります。他方で所有概念がなくなる、あるいは形骸化すると、人と人との新たな関係が中心となり、その中でもの(土地も含め)やサービスが活用される、そういうあらたなコミュニティーの場になるのではと期待したいと思います。それは現在のSNSなどがより実在的な関係性を持ちうるのではとも思うのです。所有は投資や金融という飛躍的な経済の増大をもたらしましたが、他方でひとのこころは疲弊していないでしょうか。シェアリングエコノミーにはその新たな光を見いだしますが、まだ欠けているものを感じてもいます。