たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

市場と政府の役割 <『欲望の資本主義』>を斜め読みしながら

2018-09-03 | 政治 経済

1808903 市場と政府の役割 <『欲望の資本主義』>を斜め読みしながら

 

厳しい自然、灰色の世界のように映るアイルランドからやってきた孤独の青年ラフカディオ・ハーンは、19世紀末の日本がまだ残していた美しい面影を日本人以上の繊細な感覚で五感を通して現在に引き継いでくれた恩人かもしれません。彼は産業改革で勢いづく帝国主義的資本主義(こういういい方が妥当かは別として)を一歩退いた位置から冷静に評価し、経済的価値を超える、より人間味豊かな世界を紡ぎ出しように思うのです。

 

ハーンは視力が相当悪かったようですね。他方で、そのぼやっとした視界を見事に描写しつつ、音風景を活写したように思うのです。

 

ハーンは、彼がとても好んだ松江の風景、とくに宍道湖にはその移ろいの豊かさに魅力されたのではないでしょうか。刻々と変わる湖水の様子は大きく変化し、自然の妙と脅威を味わう場面であったかもしれません。

 

こんなことをふと思ったのは、今朝の窓から見た高野の峰々からずっと東西に延びる連峰が、夜明け前のわずかな山と空を識別できる程度の薄明かりに映る山容か、少しずつ朝日が延びてきて、その色合いの変化を十二分に楽しましてくれたからかもしれません。一つひとつの山容の有り様を描写することができるようになるのはいつだろうかと思いつつ、今朝はブルースカイと薄緑の山容の変化だけにとどめておきます。

 

そんなのんびりした気分でいると、今朝はホオジロが3,4羽でしょうか、楽しそうにヒノキの枝を上下左右に行ったり来たりして、遊んでいるように見えました。ホオジロもたまにわが家までやってきますが、やはり森林の方がいいのでしょう。囀りがちっちゃい体にもかかわらず、遠くまで響いています。

 

さて今日の本題は市場と政府の役割というなにか堅い話のようでもあり、ハーンがヴィクトリア朝の覇権主義には肌が合わなかった背景みたいなものに迫れればいいのですがなどと思ったりしています。

 

最近読み出した丸山俊一ほか著『欲望の資本主義 ルールが変わるとき』は、NHKで放映された同じタイトルを編集したものかと思います。TV放映はちらっと見た程度でしたので、ほとんど覚えておりませんでした。本書を読んで、現代経済の本質に迫ろうと世界的な有識者との対談が割合うまくいっているのかなと感じました。

 

経済学の父といわれるアダム・スミスが『国富論』で、市場経済の有効性を説き、見えざる手によって成長することを訴えたことについて、ノーベル経済学賞受賞のジョセフ・E・スティグリッツ氏と24歳でチェコ初代大統領の経済アドバイザーとなり、ベストセラーとなった『善と悪の経済学』の著者でもあるトーマス・セドラチェク氏の二人は、いずれもその考えを否定します(もう一人対談者がいますが、未読なので取り上げません)。

 

アダム/スミスは市場の役割を過大評価したのでしょうか。保守主義者が好むように、企業・事業者の自由こそ成長という豊かさにつながると考えたのでしょうか。

 

市場の力によるか、あるいは政府の力に頼るか、いずれにしてもどちらかを極端に強化するような考えは現在ではないでしょう。

 

最近の例でいえば、リーマンショックの要因と対策をどう考えるかが問われるかもしれません。GDPの増大という、成長戦略の当否も問われるのかもしれません。債務を増やしても成長を求めるという考え方の当否でしょうか。また、成長の中身こそ問題にされるのでしょうね。

 

スティグリッツ氏は、GDPを成長の指標にすることに疑問を投げかけます。「環境の悪化や資源の枯渇、富の分配方法、その持続性などを考慮に入れていないなど、多くの問題点がある」と現在では多くの共通認識を示しています。

 

他方で、市場経済の持続可能性については、同氏は肯定します。ただ、「問題は政治です。政策は市場経済の形作りに大きく関わっているからです。」と政治によるコントロールに期待をよせているようです(現実はどうあれ)。

 

現在の市場は「長期的な投資ニーズと大きな貯蓄があるのに、金融市場は目先のことに躍起になって機能不全に陥っている。」として、その原因は「三十数年ほど前からアメリカをはじめ各国で市場経済のルールの書き換え」がはじまったことに求めているようです。このルールの書き換えだけが中心的な要因といえるのか、私には解説ではよくわかりませんでした。

 

金利の投資調整機能については、同氏の考えは近代経済学者ほど評価しないものの、一定の条件の下で有効とみているようですが、それはどんなことはここではよく分かりませんでした。

 

で、成長を肯定し、市場経済を肯定する同氏は、結局のところ、「アメリカだけでなく世界にとって必要なのは総需要の拡大です。その方法の一つが投資なのです。人、インフラ、テクノロジーへの投資、そして地球温暖化対策にともなう構造転換への投資です。」と投資の選別を主張し、とりわけお金を追求しない?そういう投資が必要と言っているようにも見えます。真のイノベーションはお金を求めないとでもいうように。

 

短いインタビューではその本音というか、本質まで語り尽くせないようにも思え、これだけで同氏の見解をあれこれいうのもどうかと思いつつ、適当に私が気になった部分を引用しました。

 

他方で、セドラチェク氏は、本書では一番長くインタビューが記録されていますが、その考えは斬新です。経済学を少しかじった程度の私には、最近の分けのわからない高度な数式で解説されてもちんぷんかんぷんですが、彼は違います。古今東西の古典から最近の映画などさまざまな媒体を経済現象として扱う、というか哲学的、宗教的、文学的などさまざまなアプローチで解説して、それが経済の本質につながるような説明なのです。

 

そのいくつかを引用しましょう。

「人類の“原罪”は過剰消費」とのタイトルでは、誰もが知っている旧約聖書を引用しています。まったく斬新ですが、本質をついた解釈で。

「過剰消費を戒める寓話は旧約聖書の最初に出てきます。アダムとイブが創造されたエデンの園の物語です。原罪は、中世の教会ではなぜか性的な罪と解釈され、今でもそのように人々の記憶に刻まれています。」私もそう思っていました。

 

「ですが、聖書には性的な記述はないんです。聖書のわずか1ページの短い物語の中で繰り返し出てくるのは「消費」文言です。「この果実を消費してはならない」など、消費という言葉が20回も出てくる。」そうなんですね。昔読んだことがありますが、消費なんてことに気づきませんでした。

 

その原罪とは何でしょう。

「彼らが禁断の果実を食べたからです。空腹で仕方なかったのではない。善悪を知りたい誘惑に負けた。つまり、欲望に負けた。「過剰消費」の典型的な例です。」

 

セドラチェク氏は、社会主義の国チェコにおいて、資本主義制度を導入したときに、大統領の下で関与したから、相対的に資本主義・市場経済を見ています。

 

当時、物資が不足したチェコで、飢餓に苦しんでいたが、資本主義という成長メカニズムを導入することにより、生産効率が上がり、需要を満たす以上に供給が増えたけれども、過剰な需要創出のため、導入以前より豊かさを感じることができていないというのです。

 

過剰な需要のために、必要以上に働き、日本では過労死が増大しています。資本主義は本来、自由を追求するシステムであるはずなのに、欲望の追求に余裕がなく、かえって自由を喪失しているといっているように思えます。

 

それは映画マトリックスで、作られたシステムの中で、無意識の中でその網の目にとらわれたメンバーのように、そのシステムから自由になれないまま、無意味に追求をやめることができないのと同じとも言うのです。欲望という資本主義が作り出す仮装需要に翻弄されているというのでしょう。

 

ここまできて、基本、わが国の多くの人が豊かさを保持できていたときに、多くが抱いていた考え、「足るを知る」ということを、彼は語ってくれているようにも思えます。

 

ところで、最後に、この話題と直接関係しませんが、市場のあり方という現実世界の問題が今朝の毎日クローズアップ2018で<東京・築地市場、来月豊洲移転 曲折30年、役割揺らぐ>とあります。

 

たしかに全国一の水産物を取り扱う築地市場は、長い間、東京だけでなく全国の市場価格や取引を牽引してきたのでしょう。しかし、記事の中で指摘されているように、流通・運輸改革などで、取引形態は大幅に変化して、多様化しており、その市場形成力などはすでに限定的になっていると思われます。

 

他の物資で言えば、すでに問屋や卸売りといった形態は従前通りでは成り立たず、ITAIを活用した多様な取引形態が、自由で公正な「市場」を形成していくのではないかと思います。それは本日のテーマとどう関係するか、うまく説明できませんが、欲望とイノベーションや多様な価値との、小池知事流に言えばアウフヘーベンなのでしょうか(これははやりませんね)。

 

今日はこのへんでおしまい。明日は台風がやってきそうです。どうなることやら。ともかくまた明日。


景気回復と貧困 <NHK<けさのクローズアップ>“食糧支援”で人生が変わる!?>などを見ながら

2017-09-28 | 政治 経済

170928 景気回復と貧困 <NHK<けさのクローズアップ>“食糧支援”で人生が変わる!?>などを見ながら

 

今朝のNHKのニュースでは、政治の話題が多かったのですが、以前からよく話題となっていたフードバンクの話が出ていました。フードバンクは60年代から始まった大量消費大量廃棄の一方で、生活困窮者の救済を図るなどの趣旨で始まった運動とされています。

 

ウィキペディアの定義だと<包装の傷みなどで、品質に問題がないにもかかわらず市場で流通出来なくなった食品を、企業から寄附を受け生活困窮者などに配給する活動およびその活動を行う団体。>とそういった活動団体を示す言葉として定着しているようです。

 

ウィキペディアによると、わが国では<元アメリカ海軍の軍人で、上智大学の留学生のチャールズ・E・マクジルトンが20023月に日本初のフードバンク団体を設立[3]、同年7月に東京都から特定非営利活動法人の認証を受けた。>のが嚆矢のようです。その後全国的に広がっていて、農水省なども<フードバンク>のPRにつとめていますね。

 

NHKでも2012年に<生活保護 一歩手前の支援を>とか、14年にはクローズアップ現代プラスで< 緊急調査・子どもの貧困 「食」すらままならない>と繰り返し取り上げてきたようです。

 

で、今朝の放送を見ながら、私自身がこれまで担当してきた母子の例をつい思い出してしまいました。地方では結構お子さんをたくさん授かり、子だくさんの夫婦もまだ時折見かけますが、夫が育児放棄や仕事嫌いで、勝手に家を出て、母一人で大勢のお子さんを見ている場合も少なくないように思います。

 

地方で生活費はあまりかからないとはいえ、仕事先を2つも3つももって稼いでも月20万円にも満たないのが普通かもしれません。夫は養育費も払わず逃げてしまうというよくあるパターンです。それも夫は自分の負債があって借りられず、妻名義で借りたりして逃げてしまうので、残った妻だけが借金返済の負担を課されるという悲劇的状況ですね。

 

NHKニュースでは、子どもにまともな食事も提供できないため、子どもが学校にも通わず、すべてにやる気を失う状況にあったというのです。それがフードバンクのおかげで食糧支援を受け、三食をしっかり食べさせることができるようになり、子どもたちにも明るさが戻ってきたのです。そして学習支援の教室に通うようになり、子どもに勉学の意欲が湧いてきて、成績も向上してきたという、なんともハッピーな結果でした。

 

ただ、こういた食糧支援をうけるのは、フードバンクの組織が把握しているのではたしか0.1%とか、あるいは0.01%?とかきわめてわずかな比率です。生活困窮家庭が多くいる中で、日本に導入されて10数年経過し、農水省も啓蒙活動を行い、NHKなども放映を繰り返しているのですが、ほとんどの人に知られていないというギャップがあるのですね。

 

その意味で、より適切な啓蒙の仕方を考える必要があるのでしょう。

 

ただ、このシステムが大量消費・大量廃棄の制度にあまりというか、ほとんど抑制効果がない点は十分配慮しておく必要があるかと思います。そうはいっても緊急対策としてはフードバンクの役割は大きいでしょう。

 

他方で、気になる放送を昨夜プライムニュースで見ました。これは経済専門家の視点では当然と言えば当然かもしれません。でも触れておきたいと思います。

 

安倍首相は突然解散することを非難され、その大義の一つとして、消費増税の使途を一部教育無償化に変更することを訴えました。そのことと関連して、プライムニュースが<経済3賢人景気展望>ということで、議論していました。政府は景気拡大が戦後最長となる可能性があるとか、指摘していますが、インフレ率2%と掲げた目標の期限を延期に次ぐ延期をしています。

 

その景気拡大というのが本物かについて、宅森昭吉(三井住友アセットマネジメント理事・チーフエコノミスト)、松野利彦(SMBCフレンド証券チーフストラテジスト)、永濱利廣 (第一生命経済研究所首席エコノミスト)が議論していますが、上記の食事にも窮する貧困状態が増えていること、所得格差の拡大で年収200万円以下の数が増大していることなどは、とくに取り上げられていませんでしたが、彼らには問題にならないのかもしれません。

 

株価が上昇していることや企業収益が拡大していることを取り上げていますが、一人が指摘しているように、投資している2割の人がその恩恵を受けている、他方で投資していないから利益を受けていないかのような見方ともとれる発言があったかと思いますが、疑問です。投資するだけの余裕のある家庭はほんの一握りではないでしょうか。2割というのは大きな比率のように思えますが、多くは少額投資で、実際に多額の利益を得ているのはやはり巨額の投資資本をもつほんの一握りではないでしょうか。結局、株価上昇による景気の拡大は富めるものが富を拡大しているだけではないでしょうか。

 

安倍首相の消費増税の使途を教育無償化にという方針自体は一つのバランス策ともいえますが、その増税すら怪しい雲行きです。所得の再配分なり、貧困で困っている人を助けるという政治の役割をどう果たすのか、納得できる政策を明確にして実現するのでなければ、この解散も批判されているように、責任逃避解散などの指摘が打倒することになりますね。

 

今日はこの辺でおしまい。


都議選結果と安部首相 <首相インタビュー 「安倍改憲」なお強気>を読んで

2017-07-04 | 政治 経済

170704 都議選結果と安部首相 <首相インタビュー 「安倍改憲」なお強気>を読んで

 

昨夜は寒いかなと思いながらも窓を開けて網戸越しの涼風の中、いつの間にか眠ってしまいました。案の定、夜中に少し寒さを感じて目覚めてしまいました。暦では4時半頃が日の出のようですが、それよりはずっと早い時間でした。

 

田舎生活の良さは、こういう自然の涼風を感じながら夜を過ごせると言うことでしょうか。帰宅時間だとまだ暑さが残っていますが、少し経つと気温も下がり、278度くらいで田んぼや川の流れ、スギ・ヒノキ林のおかげか、暑さを感じません。そんなわけでクーラーも買っただけで一度も使っていませんし、ま、調度品みたいなものでしょうか。扇風機を使ってみようかと思うこともありますが、すこし暑さに慣れると、必要を感じないため、これも使わないままです。

 

花への水やりをしていて、一旦花が全部枯れて落ちた後、再び花が咲き出したり、葉っぱも枯れてしまっていたのが次第に葉っぱが鮮やかな緑色を取り戻し、どんどん大きくなるのを見たりしていると、こちらまで元気になります。自然の輪廻再生とまではいかなくても、その一端を間近に感じるようにさえ思えるのです。

 

今日はある遺産分割調停の申立書や、借地契約書などを用意したりして、形式的な事柄に気を遣いすぎ、少々ぼっとしています。とりわけ申立書は裁判所の書式でワード文に書き入れるだけで、便利と言えば便利なのですが、なぜか文字の大きさが固定していて、一向に思うような大きさにならず、簡単な内容にもかかわらず、手間ばかりかかってしまいました。

 

裁判所の書式でなく、自分流の書式でやればいいのですが、途中であきらめるのがなんとも気に入らず、長時間かけてなんとかおさまりがつく文字の大きさにでき、完成です。柔軟さの欠けたやり方はあまりおすすめできないですが、性格に加えて高齢化の影響もあってこもったものだと自省しています。そしたら失礼ながら、安部首相の姿勢を思い出してしまいました。

 

一昨日の都議選の結果は予想外の自民党の自爆的大敗退でした。昨日の新聞・TV・ウェブ情報はこの異常事態で満載です。責任の所在を求めたり、いろいろでしたが、私自身はあまり興味がなく、とりあげませんでした。

 

今日も取り上げるつもりがなかったのですが、いろいろ情報を見たり読んだ書籍を考えたりしても、すでに6時近くになっているというのに、興味のわくものがなく、頭も回りそうにない、困ったなとおもっていたら、見出しの記事を思い出したのです。

 

その前に都議選にさほど興味がなかったのは、都民自身の投票行動自体にどれほどの意味があるのか、まだ見定めるものがないからです。だいたい、投票率が51%強ですね、平成に入って低調気味の中で今回もその基調のままで、特別の意識改革があったようにも見えないのです。たしかに自民党議員の対応は不謹慎で議会でのやりとりも恥ずかしいかぎりですから、彼らを選ぶ選択はなかったのかもしれません。といって都民ファーストの議員がどんな人でどんな意見・能力をもっているのか、よくわからない中、大勢選ばれたからと言って、この段階でその是非を論じるほどでもないかと思っています。

 

だいたい、これまでの都議選自体があまり感心しませんし、都知事選にしても、青島氏や石原氏を選んだのはいいとしても継続的な監視を怠った結果、都政事態がますます悪化していったようにも思えるのです。鈴木都政がよかったとも思っていませんが。

 

都議選の話はこの程度にして、安部首相ですね、インタビューが大きく掲載されていました。毎日ですので、安部首相の発言を引用しながら、辛辣に批判する内容です。それでも応じた点は評価してよいかと思います。

 

しかし、内容は頑なに見えてしまいました。むろん都議選の結果は地方選挙で国政とは違うと強弁することはできるでしょう。しかし、とりわけ今年に入ってからの安部首相にかかわる問題は、立て続けに起こっていますね。森友学園、加計学園、そして安部氏が任命した、あるいはそのチルドレン、あるいは一体となって働いてきたメンバーが次々と問題言動となっています。

 

だいたい安部氏の言動自体が、一国の総理、与党総裁としての品位、品格を問われているように思うのです。彼を引き立てた小泉元総理はたしかに問題発言もあったでしょうし、その自由奔放のような行動、とりわけ私的な活動は人間味の豊かさを感じさせてくれたり、思考の柔軟さを訪仏させてくれたように思うのです。橋本元総理は、滅多に感情をあらわにしない印象を受けていましたが、忍耐強さを示してもらい、そこに信頼感を生んでいたようにも思うのです。むろんいずれも私の考え方とは大きく違いますが、総理総裁としての人格は尊重できるように思いました。

 

でも安部首相がこのインタビューで固執している憲法改正は、彼の強い思いかもしれませんが、自衛隊を憲法に規定することがどれだけ意味があるのでしょうか。彼の元々の持論である、押しつけ憲法の立場とは矛盾しないのでしょうか。憲法改正という名目だけを狙った姑息な姿勢ともとられかねないのではないでしょうか。

 

だいたい、多くの国民は自衛隊の存在を認めています。存在自体を憲法違反だと思っている人は憲法学者と一部の人たちだけではないでしょうか。むろん自衛隊の権限拡大については憲法抵触の疑いが強いとの考えは相当数いると思いますし、私もそのような考えに近いと思います。強いて言えば、憲法論はともかく、自衛隊にはできるだけ軍事兵器を持たすべきでないとの立場ですから、きわめて少数派の一人かもしれませんので、私見は一応おいておきます。

 

他方で、国政の責任を負う場合に、国際情勢の悪化を踏まえて、現実的な施策をとること自体は、国民の支持があればやむを得ないと思っています。

 

では自衛隊員の立場を考えてといった安部首相が主張する改正理由の根拠は妥当性があるのでしょうか。むろん自衛隊員は、稲田防衛大臣のように憲法の基本理念・規定もわきまえない無責任な発言をしないでしょう。彼らの心の内は簡単ではないと思います。いま国民の誰もから支持されているのは、自衛隊による災害救助など公益活動ではないかと思います。これが海外派遣にはじまり、昨年の改正で始まった駆けつけ警護などになると、その支持は大きく分かれるでしょう。

 

それは憲法に十分な議論もなく、自衛隊を規定することによって、自衛隊員やその家族にとって、自分たちの活動が支持されるものになったとの意識をもてるようになるかというと疑問です。安部首相の考えは、このような重大な問題について、期限をきって発議して国民投票で改正しようというのですから、いくら慎重にとか、丁寧な説明でとか、いっても何の説得力もないでしょう。

 

この憲法改正議論のような唐突で、自民党改正論者にとっても論理矛盾と理解されるような代物を平気で改正議論のまな板にのせて、特別多数決の議席をもつ与党リーダーの権威を振りかざす姿勢は、どうも「自由民主」な政党総裁として期待される人格・意識・考え方とは大きくかけ離れているように思うのです。

 

なぜか多くに自民党の閣僚経験者やベテラン議員も唯々諾々としてまるでカメレオンのように一挙に方向転換する姿勢に驚きます。しかし、それは自民党だけでなく、官僚国家と言われ、議会での不毛な論争にとらわれず、行政としての理念を追求してきたかのようにいわれる官僚たちも、右へならえという状態が、先に挙げた問題などを通してクローズアップされています。

 

安部首相を旗頭にいつの間にか監視統制化された、政党・官僚になってしまっていないか、ここでしっかりと自省してもらいたいと思うのです。

 

小池都知事がガラス張りの都政と言って躍進したのであれば、安部首相もまけずそれぐらいの気構えで、対抗してもらいたいと思いますが、現在の安部体制ではだれもそのような助言をする人もいないのかもしれません。ちょっと気になったのは、森友学園で園児が安部首相万歳でしたか、素直な子どもたちが応援してくれたことで、昭恵夫人が涙したということだったかと思いますが、この夫婦、そのようにしてまで支援されないと自分の心に響かないのかな、そして心が安まらないのかなとつい、思ってしまいました。

 

そろそろ雑ぱくな話は終わりにします。1時間半も使ってしまいました。

 


貧富の差の現実 <プライムニュース 『・・実感なき“景気拡大”』>を垣間見て

2017-06-30 | 政治 経済

170630 貧富の差の現実 <プライムニュース 『・・実感なき“景気拡大”』>を垣間見て

 

今朝はいつもよりさらに早く目覚め、うとうと気分が続かないため、4時台から読書の時間になりました。どうも地形の成り立ちがりかいできないものの、その形状が面白く感じるものですから、地形にかかわる書籍を読んでいるのですが、代表的な地形についての解説はあるものの、どこにでもあるような山岳地形や河川周辺の地形についての詳細な解説をしたものが見つからず、前者の解説書でいまのところ我慢して読んでいます。 

 

今日はのんびりと思っていたのですが、打合せや会議があったりで、もう6時過ぎています。本日のトピックといってもなかなか思いつかず、一昨日のプライムニュースが若干、記憶に残っていたのと、毎日記事のいくつかがなんとなく腑に落ちるものがあったので、鳥下手見ようかと思います。

 

さて、プライムニュースの話題は、以前からときどき取り上げています。毎回ゲストが違う立場で議論し、反町キャスターのリードというか突っ込みというか、切れ味がなかなかなので、お気に入りの番組の一つでしたが、最近は少し遠ざかっていたように思います。

 

今回はたまたま途中から少しの間見たので、正確ではないのですが、プライムニュースはウェブ上で、放映内容を見ることができますから、<『甘利明前担当相に問う 実感なき“景気拡大”』>をしっかりフォローすれば、私のあいまいな指摘も是正できます(なかなかこれを見るだけの気持ちの余裕がないのですね)。

 

で、ゲストが専門家である早川英男氏と中原圭介氏でしたが、それぞれテーマとなっている景気拡大しているという政府の評価に疑問を呈している点では共通していました。そして株式相場が2万円台を突破して景気の上昇を感じるような風潮に対しては、株価は景気とは関係ない、実態を表さないのが現実だと言った趣旨でも共通の認識だったと思います。アメリカの歴史的な株高を踏まえて、その経済がよくなっていないことを白人中間層などの不満が示しているといった趣旨の発言もあったかと思います。

 

どうも昨日でも言及しておけば記憶ももう少し鮮明でしたが、どんどん曖昧になります。いずれにしても株式や景気指標は正確に経済の実態を表していないといったことだったように思うのです。それは私もそのように感じているので、納得できました。これに対し、途中から甘利さんが登場して発言する内容は、表面的な数字を並べ、型どおりの政府の政策を説明するものの、内容が伴わないものばかりで、まだTPP交渉をしていた頃の甘利さんの力強い発言とは異なり、空虚ささえ感じてしまい、途中で見るのを断念しました。

 

で、毎日朝刊記事<健康狂想曲第2章・広がる格差/1 治療費払えぬ「限界層」>には驚くとともに、それが現実だと思わざるを得ませんでした。

 

<医療貧困>という言葉があるんですね。

 

記事はその実態を取り上げています。<「医療貧困ですね。生活には不安しかない」。首都圏の糖尿病の男性(33)は入院中のベッドで寂しげに話す。血糖値がうまく管理できず、インスリン注射を勧められても、金銭的な負担が重いことを理由に拒否。入院も拒んでいたが、右足に壊疽(えそ)が出てきたため、設備業の現場監督の仕事の合間を縫って入院した。

 

月の手取りから借金の返済、光熱費、家賃を引けば残り7万~8万円。医療費が1万~2万円で食費3万円を引くと残りはわずかだ。体に悪いが1日1食で済ませる。

 

借金は糖尿病で全盲となった親から自身が失業していた時に借りたもので着実に返さないと親の暮らしに影響する。生活保護にならない給与水準のため、公的な支援策は何もない。

 

「今の医療は私のような層から金をむしり取る。倒れてみろと言わんばかりだ」と話す。>

 

<健康限界層>という言葉も飛び出してきました。

 

<ワーキングプア層が医療にアクセスしにくい「健康限界層」になっている。伊藤所長は「(医療費が低額な初期に)受診できず、最後は高額な透析治療を受けざるを得なくなる。重い自己負担がかえって医療費を膨らませる」と矛盾を指摘する。>

 

<健康格差>という国民皆保険制度だけでは対応できない状態になっていることも知らされました。

 

<全日本民主医療機関連合会(民医連)が生活習慣病で起こる「2型糖尿病」について2011~12年に全国の40歳以下の782人を調査したところ、年収200万円未満が57・4%、中高卒が62・1%、無職やパートが多く正規雇用が少なかった。合併症の網膜症は中高卒、非正規でより起こりやすいことも判明。経済格差が健康格差を生む実情が明らかになった。>

 

景気拡大という表面的な数字の裏では、その成果をほとんど受けられない貧困状態がスパイラル的に拡大している現状と安倍政権の三つの矢はいずれも届かず、対策も弥縫的でしかないことが問題を悪化しているように思うのです。規制緩和の実効的な策とされる、国家戦略特区も加計学園問題だけでなく、すべてにわたって根本的な構造改革に結びつくようなものでなく、地方や大多数の貧困層には有効策とはなっていないことが示されています。

 

<経済格差が拡大する中で、健康を維持し病気を予防できず、治療にアクセスできない人が出ている。社会の中に「健康格差」が生まれ、広がっている。健康狂想曲第2章では医療、労働、地域の現場で健康格差の実情を明らかにし、解決策を探る。>という毎日記事を期待したいと思うのです。

 

もう一つ毎日記事は<給付型奨学金 来春から本格導入>という見出しで、返済不要の給付型奨学金制度が導入されることによる学校の混乱を取り上げています。残念ながらウェブ情報として掲載されていないので、簡単に概要を指摘します。

 

従来の貸与型の奨学金の場合長期の返済負担のため大学に進学しても経済的困窮が続き、貧困状態から抜け出すことが困難な状況を改善するため、給付型奨学金制度が与野党全会一致で導入された点は評価できます。ただ、対象は一学年約2万人に限定されているということで、その選考が大変なわけですが、それを学校に任されたため、その基準が明確でないこともあって、学校現場では混乱しているというのです。

 

経済的理由で進学をあきらめることがないよう支援する目的ですから、対象は生活保護家庭や住民税非課税世帯、児童養護施設出身者らということですが、それでも候補者は膨大な数になるのでしょう。大阪府の場合貸与型の採用候補者数が約42000人というのですから、全国一とはいえ、全国では相当な規模の候補者数となるのでしょう。

 

それを学校現場で選考するとなるが、教師の役割になるのかもしれませんが、毎日新聞が連載してきた<ドキュメント高校教師という仕事/1 今夜も退勤打刻せず>ではすでに過重労働の域を超えた超長時間勤務状態なわけですから、とてもそんな難解な新たな業務をこなす余裕はないと思わざるを得ないですね。

 

なにか政府の施策は表面的な対応で、現場の困窮した実態に対応できていない対策が空回りしているように思えてしまうのですが、それはうがった見方なのでしょうか。むろん前者の健康限界層もそれぞれの自覚と努力で対応すべき面もありますし、教育現場も教師・生徒・家族も現状を見直す必要があると思いますが、景気拡大という上辺だけの施策に固執するような政府の姿勢が問われているように思うのです。

 

今日はこの辺で終わりとします。


首相の品格 <首相「私の姿勢、深く反省」 閉会後も説明>を読んで

2017-06-20 | 政治 経済

170620 首相の品格 <首相「私の姿勢、深く反省」 閉会後も説明>を読んで

 

最後に関係ないですが、<岡山・加計学園獣医学部新設問題 首相「私の姿勢、深く反省」 閉会後も説明>の記事を少し取り上げます。

 

安倍首相の会見、総理として、自民党総裁として、その品格のなさといっちゃ失礼かもしれませんが(ご本人は品格を大事にされていると思いますので)、残念な思いです。最初に謝罪するのはいいとしても、なにか表面的にしか見えないのは偏見でしょうか。問題を起こったら、心から誠実に謝罪しないと、かえって反発を受けるのは、これまで事故や不祥事が発生したときの企業リーダーの発言・態度によってであることはリスク管理の問題として繰り返されたことですね。

 

「印象操作」といった言い方をあえて取り上げて、その反論に問題があったといった説明の仕方では、謝罪の意思はうわべだけとしか思われないのではないでしょうか。たしかに野党の追及の仕方にも問題がなかったとはいえないかもしれません。しかし、過半数、あるいは32以上の与党を要する総理総裁として、本来、余裕を持って対応できるはずですし、野党の質問の揚げ足をとってみたり、あるいは自ら印象操作といった発言までして、国会の議事進行を愚弄したのは誰でしょう。ただ、官僚が用意した資料を読むだけでは困ります。問題となっている国家戦略特区の施策自体の内容をただ読み上げるのでは国会で議論する意味がありません。野党の質問に対して真摯に答える度量と誠実さを持つべきは、日本国の首相としての識見ではないでしょうか。首相の品格の問題でもあると思うのです。

 

ま、大勢の人がそう思っていると思いますので、私がわざわざ言うこともないのですが、安部首相が官房副長官か長官にデビューした頃は、なかなか歯切れがよくて、説明も割合的確で、期待していたのですが、政権運営に至っては、第二次政権でも簡単な第一と第二の矢は放たれたのですが、第三の矢がもたついている状態で、それはがんがん一方的にやっても効果が上がるとは思いません。

 

安部首相の記者会見や、国会での答弁を見ていると、自分の意見に疑問を差し挟むような人に対しては徹底抗戦をするように見受けられ、そうなると、閣議や内閣官房では、もしかして唯我独尊状態になっていないか、不安になります。

 

この話はこの程度にして、いつの間にか2時間以上経過してしまい、7時になりそうなので、今日はこの辺で終わりとします。