たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

閲覧と採掘? <マイニング不正 他人PCで仮想通貨「採掘」無罪>を読みながら

2019-03-28 | AI IT IoT

190328 閲覧と採掘? <マイニング不正 他人PCで仮想通貨「採掘」無罪>を読みながら

 

私がPCを使い出して、というか本格的に使い出したのがウインドウズ95発売の少し前、アップルPCですので四半世紀経過しています。ネットサーフィンをよくやるようになったのが96年くらいからですから、20年以上でしょうか。いまもってよく分からないPCオンチのうえ、ネットとなるとよけいわかりません。

 

今朝の毎日記事<マイニング不正 他人PCで仮想通貨「採掘」無罪 無断作動「ウイルス」否定 横浜地裁判決>とあっても、まず「マイニング」がわかりません。ウイルスも怖いものという程度で、セキュリティソフトに頼りきりです。なるべくよらぬ触らぬで、メールも知らないのはもちろん、知っているのでも、友人か既知の人、依頼者以外は開けません。ネット情報も怪しいものには近づかないという程度で、危うい対応をしています。

 

そんな私には、この刑事裁判での事実と争点は難解でした。少しは現代の動きを知るため、勉強がてら、記事を追ってみました。

 

事案は、コインハイブというプログラムが不正指令電磁的記録(ウイルス)保管罪に当たるかどうかが争われています。

 

刑法ではどうなっているのでしょう。

(不正指令電磁的記録作成等)

第百六十八条の二 正当な理由がないのに、人の電子計算機における実行の用に供する目的で、次に掲げる電磁的記録その他の記録を作成し、又は提供した者は、三年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。

一 人が電子計算機を使用するに際してその意図に沿うべき動作をさせず、又はその意図に反する動作をさせるべき不正な指令を与える電磁的記録

二 前号に掲げるもののほか、同号の不正な指令を記述した電磁的記録その他の記録

2 正当な理由がないのに、前項第一号に掲げる電磁的記録を人の電子計算機における実行の用に供した者も、同項と同様とする。

 

この「不正指令電磁的記録」をウイルスと呼んでいるようですね。で、上記の条文では「意図に沿うべき動作をさせず、又はその意図に反する動作をさせるべき不正な指令を与える」という、PC利用者の意図を基準にして判断する立て付けになっています。この意図は個人の意思というのではなく、PC利用者の社会通念、まあ常識的な意思を基準にするということでしょう。

 

ところで、記事では、「保管罪」という犯罪となっていますが、上記の条文では「作成または提供」となっていて、保管というのは明記されていないので、再度読み直してみても違いますね。たしかにPC上というか、ネット上にプログラムを作成したことは間違いないわけで、作成罪ないしは提供罪でもいいように思うのですが、マイニングの名称と符合する?ように保管罪と呼ぶようになったのでしょうか。余談ですが・・・

 

起訴された事実は<東京都のウェブデザイナーの男性(31)は2017年10~11月、自身のサイトにコインハイブを埋め込み、サイト閲覧者のパソコンに無断で仮想通貨の「モネロ」をマイニングさせた>ということです。

 

そのサイトに問題のプログラムを埋め込む、という表現ですが、これは閲覧者がそのサイトを閲覧すると、そのプログラムが作動して、閲覧者に気づかれないで、<仮想通貨を獲得するマイニング(採掘)>という作業?に閲覧者に参加させる仕組みのようです。その参加?によって、コインハイブを設置した彼には、モネロでその分報酬を得られるという構造になっているようです。

 

それは<ウェブサイトを閲覧した人のパソコン(PC)の演算機能を無断で動かす>プログラムであるから、違法なコンピューターウイルスかという問題のようです。

 

<男性は同罪で>略式起訴され、横浜簡裁が<罰金10万円の略式命令を出した>のですが、<横浜簡裁の判断を受け入れず、正式裁判を申し立てていた。>そして昨日、<横浜地裁は27日、ウイルスと認めず無罪とした。>

 

その理由について、まず、<本間敏広裁判長は、コインハイブは「人の意図に反する動作をさせるプログラムに該当する」>とウイルス性の一部を肯定したのです。そうですね、この点は私も同感です。といっても<弁護側は「CPUを使うのは他のプログラムと一緒」と訴えた>というのですから、そんなプログラムが普通にあるのかと驚き半分、そうかなが半分です。でもいまのところ、裁判所の判断を支持したいと思います。

 

しかし、ウイルス性のもう一つの要素、「不正な指令」かどうかについては、<有益性や閲覧者に対する影響などを総合的に考慮し、プログラム内容が社会的に許容しうるかどうかで検討すべきだと指摘。>して、次の事実を基に、本件では否定したのです。

 

まず、社会通念の基礎であるネット利用者の意識・評価について<当時はネット利用者の評価が賛否両論に分かれていたこと>として確立していなかったことを指摘しています。次に<運営者がコインハイブで利益を得てサイトが充実されるなら、閲覧者の利益になるとも述べた。>とこの仕組みが閲覧者の利益にもなるというのです。これはちょっと驚きですね。この推論は少し飛躍がありませんか。最後に閲覧者の負担増については<コインハイブにより閲覧中の消費電力が増加しても、同様の仕組みを持つ広告表示プログラムと大差はなく、影響は少なかったと判断した。>として大きなものではないとしています。そして最後に、最初の評価が確立していないこととあいまって、<事前の注意喚起や警告などがない中で立件し、いきなり刑事罰に問うのは行き過ぎだ>として、無罪としたのです。

 

この判決については、<技術者を中心に反発する声が噴出し、社会通念自体が世代やIT知識によってかけ離れている実情が明らかに>になったようです。

 

識者はというと、<高木浩光・情報法制研究所理事・・・は「ウイルス罪が守ろうとしているのは、プログラムに対する社会の信頼なのだから、誰にとっても不正なものだけが対象となるべきだ。今回のように使う内容を個々に判断することになれば、新しい技術が出る度にウイルスだと言われかねない」と影響を懸念した。【林田七恵】>

 

また、<坂村健・東洋大情報連携学部長の話>では<今回の判決はインターネット社会の常識を支持したまっとうな判断だと言える。ネット社会では、無料のサービスは広告収益やマイニング収益に支えられているものだというのは普通の感覚だ。今回の判決で、何を不正とされるかについて開発者の不安がなくなればいい。それによりイノベーションが進むことを期待する。>と全面支持です。

 

他方で、ネットには掲載されていませんでしたが、毎日大阪版記事では園田寿・甲南大法科大学院教授の話として、「知らないうちにパソコンを無断使用されたら不信感を抱くのは当然で、一般ユーザーの感覚を基準とすべきだ。」と判決に批判的です。私もこの一般ユーザーに当たりますので、この意見に近いでしょうね。

 

でも坂村氏の指摘する開発者の不安が、この犯罪の構成要件では曖昧ということにあるのであれば、こういった摘発の前に事前告知を丁寧にする必要があるでしょう。ここがそうなのかどうか、プログラム作成者にとってグレーなのか、いや分かっているけど、乗り越えないと競争に勝てない、のかどうか、それがわかりにくいのも一般ユーザーの立場でしょうか。

なお、たとえば<不正指令電磁的記録に関する罪>などで、警察はこれまでそれなりに啓発活動をやってきたのかもしれません。たぶんネット社会で活動している人には縁遠い情報だったのかもしれませんが、それでよいのかどうかでしょう。また、このじょうほうだけでは、明確なルビコン川となるのか少し疑問です。

 

そんなあれこれを少し考えてみました。余分な話でしたかね。

 

今日はこれにておしまい。また明日。


自動運転 <ある広告を見てちょっぴり自動運転を考えてみる>

2019-02-08 | AI IT IoT

190208 自動運転 <ある広告を見てちょっぴり自動運転を考えてみる>

 

今日も報道の話題が暗く、あまり展望が見えないものが多かったように思えます。児童虐待については毎日記事も<クローズアップ2019 児童虐待 増え続ける通告・相談>と現状の体制と問題点を取り上げています。こういった体制の効果の上がる整備が求められるところですが、現実は遅々として進んでいない印象です。高齢者虐待だけでなく、DV、さまざまなハラスメント、そして児童虐待と、行政も悲鳴を上げているのかもしれません。

 

病根はむろん問題を起こす個人にあるのは間違いないでしょう。その異常な言動に対して、児童相談所や学校・教育委員会は毅然とそして児童の立場に立って対応しないといけないことが理解されていなかったようです。

 

他方で、問題の親個人も心の悩み苦しみ、葛藤を抱えているかもしれません。社会の中に病巣のようなものがあるかもしれません。経済成長という上辺だけで修飾されたものの裏には当然潜んでいる病原体かもしれません。虐待児童問題については、法制度としても、虐待する側にも支援なり、相談対応が求められていたような記憶です。

 

さて話変わって、昨夜でしたか、あまり見ない宣伝シーンが鮮明に残っています(昨日かどうかがはっきりしないのは認知症の前駆症状?)。それはどこかの高級車を取り上げていたのですが、私は運転の快適さなどはあまり関心がなく、その車の全面横に取り付けられていたコーナーカメラに注目したのです。このカメラで、運転席から死角になる車の前方角付近が、まさにもう一つの目があるので、はっきり分かるのです。

 

車庫入れなどでは、私が鎌倉に住んでいたころ、超人技かと思うような入れ方で、狭い空間にぴったりと車を駐車しているのをよく見かけました。地下鉄はどうやって地下にいれるのかといった漫才の話題が昔はやりましたが、それ以上にこの車庫入れはいつも不思議に思っていました。

 

私はいまもって前方の死角部分はまったくあてになりません。また助手席側全体も苦手で、狭い道路や法敷の上の河川道路を走るときは下に落ちないよういつもびくびくしています。

 

ところがこのコーナーカメラがあれば、死角がなくなる(おおよそ)わけですから、ちゃんとその画面を見ていれば接触したりする危険は大幅に減りますね。ちゃんとしていればなくなるでしょうね。

 

ところで自動運転の車両の目はどこについているのでしょう。現在のドライブレコーダーと同じ配置であれば前方も後方も広角でだいたい見通せますね。でもさっきの死角は見えません。いくら自動運転と行っても認識できなければ事故回避のためにハンドル操作することはできないでしょう。

 

というのは車を買うとき、ディーラーからドライブレコーダーの装着をすすめられたのですが、結構な値段でしたので、止めました。以前の車で装着していたのですが、初めは面白くて見ていましたが、記録すれど見ない、事故にも遭わない、今回はいいかとおもったのです。

 

前方と後方があれば、たしかにあおり運転対策になるのでいいのですが、まあ、私のようにそれほど乗らない、乗っても短い区間といった場合、それに急ぐこともないので、あまりその遭遇するリスクは大きくないと高をくくっています。

 

それでもコーナーカメラがついたものであれば買ってもいいかなと思っています。というのは買ってから1年余りですが、何度も擦っています。ほとんど止まるようなスピードで、角に当たっているのです。死角部分がわかっていないのに、山勘でやるため擦ってしまうのです。あまり気持ちのよいものではないですね。

 

それでコーナーカメラがあれば、死角がほぼなくなるので大丈夫かなと、その売り出しを期待しているのですが、むろんバックカメラ用をコーナー付近に取り付ければいいかもしれませんが、やはり目立ちますし、かっこが悪いですね。

 

それがあの宣伝していた車(それ自体には関心がなかったのでどんな車かも覚えていません)についていたコーナーカメラ、車体にぴったりの感じでつけられていました。

 

そんなことを思いながら、現在の自動運転車はおそらくそういったカメラを車体のあちこちに相当数装着しているのかなと一瞬、思いつつ、いやあまり多いと混乱するおそれもあり、やはり前方と後方の2つくらいではないかと私の頭では落ち着きました。

 

ではわが国の道路のように、狭い道があちこちにあり、どこから歩行者・自転車が飛び出すかわからない状況で、対応できるのだろうかとか、その道に入れるのだろうかとか、少し悩みましたが、今のところは高僧道路用としてしか開発されていないようですから、必要ないのでしょうというところで、落着したのです。

 

将来、自動運転車をどこまで普及させるかによっては、人間の目となるカメラをどの程度装着するか問題になるかもしれません。おそらく自動車の材質もカメラの材質も今後は自由な形状を可能にするでしょうから、どこにでもつけられるのでしょうね。後はビッグデータを処理するくらいのAIですからどんなに画像が多くて複雑でも瞬時に解析・対応できるのでしょう。

 

もう一つ、視力?とは少し違う観点で、自動運転の場合当然、車間距離を自動的に守るでしょうから、あおり運転はなくなり、ほぼ等間隔で車が数珠つなぎのように並ぶかもしれません。むろん交通渋滞の程度や状況は瞬時に各自動車に情報伝達されるので、自動運転車は混雑の少ないところを勝手に選んで、最短時間のコースを選択するのでしょう。そうなると人の心も穏やかになるかもしれません。これは夢のまた夢かもしれませんが。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。


AIと銀行の現在 <大手銀 システムも売れ 手書き伝票AI解読、貸出先財務分析>を読みながら

2019-02-03 | AI IT IoT

190203 AIと銀行の現在 <大手銀 システムも売れ 手書き伝票AI解読、貸出先財務分析>を読みながら

 

AIの認識力・分析力は、少し以前にNHKAI超入門?でしたか、その番組で、すでに相当な領域に達していると知りつつ、なかなか私たちの実生活に役立つところまで実感することが少ないと思うこともよくあります。

 

たとえば、スキャナーとOCRは、私が90年代後半利用し始めたのですが、たしかに印字されたものは相当進化したと思うのですが、手書きとなるとまったくダメという印象です。まあ、私の悪筆は私自身が時折、難渋するくらいですから、それは例外としても、事務系の人が手書きしたものなんかはとても整った文字になっていますが、これでも再現力は確率性が実用的でない印象です。

 

とはいえAIの進化を遅れて認識している私のような、田舎のおっさんが現状を理解しているはずもないので、今朝の毎日記事<大手銀システムも売れ 手書き伝票AI解読、貸出先財務分析>は興味を持ちました。

 

まず<大手銀行が自社で開発したシステムを、地銀に販売する動きが広がっている。ITを使った新サービスの開発競争が激化する中、早期にシステム開発コストを回収したい大手行と、自前の開発力に乏しい地銀との利害が一致した。従来の親密行の枠組みを超えた大手行間の勢力争いが激しくなりそうだ。【古屋敷尚子】>

 

都銀は、これまで合併の連続で、私自身、元の名前がどうだったか、現在の名前がどうだか、時折判然としなくなることがあります。その合併の要因の一つは、ビッグデータ活用の構築とか、AIシステム開発など多額の投資を必要とするところ、資本力のある都銀でも世界的に太刀打ちできないのでしょうね。

 

その都銀(記事では大手銀行と呼んでいますので、都銀という名前はもう使わないのでしょうかね)について、これまでの都銀系列を越える2つの動きが紹介されています。

 

一つは<みずほフィナンシャルグループ(FG)は1月30日、手書きの口座引き落とし書類を自動で読み取る人工知能(AI)システムを、来年度から地銀に販売すると発表した。読みにくい文字でも、崩し方のパターンや文脈から類推し、正確に電子データ化できる。>です。

 

たしかにNHKの超AI入門では膨大なマンガコンテンツ・データを瞬時に解析し、瞬時に一定の価値基準で多様な表現を示すことができる超能力?が証明されていましたので、手書きのくせなどAIの認識力なら簡単かもしれません。

 

<これまでは電気料金やクレジットカードなどで手書き書類の形式が異なるため自動化が難しく、行員が手入力していた。作業時間や人員を大幅に削減できるという。>

 

それは相当な費用カットになるでしょうね。また筆跡鑑定も、以前は警察の鑑識課のプロが経験を生かしてその筆跡の特徴を分析していましたが、科学的には今ひとつ説得力がない場合もあったかと思います。その意味ではこういう分野もAIの活躍場面かもしれません。

 

ただ大手銀行の新システムとしてはちょっと軽い印象です。それだけこれまで手書き書類を必須化していることで、その電子化に多大な時間とコストがかかっていたということですか。手書きが必須かどうかも、今後検討されるかもしれません。電子取引が当たり前になれば、これも暫定的な取扱の便宜にすぎないかもしれません。

 

といって現在の若者世代は別にして、450代以上は結構手書きにこだわるかもしれませんね。その間はすべての電子取引化は無理でしょうね。他方で、ペン入力が代替手段としてより高性能化、普及するのかもしれません。私が最初に使い出したのは20年近く前だったように思いますが、その後なんどか挑戦しましたが、これも結構認識力が伸びません。そうですね、音声入力の方がかなりの精度になってきた感があり、これが暫定的な代替手段かもしれません。この話はこれで終わります。

 

で、もう一つの、財務状況分析は興味深いですね。

<三井住友銀行は来年度から、預金口座の入出金をAIで分析し、貸出先の財務状況の悪化や改善の変化を捉えるシステムを地銀に販売する。既に10行の導入が決まっており、事業会社への販売も視野に入れる。>

 

預金口座の入出金だけで、財務状況の悪化・改善の変化を捉えることができるとしたら、それこそ願ったり叶ったりですね。でもそんなことがどの程度有効なものか気になります。たしかにビッグデータで、預金の入出金状況と、過去の倒産例とかについては、ビッグデータ化して、その傾向を解析できるような気もしますが、預金の入出金は企業にとって重要な資金繰りの動きではあるものの、資金ショートの可能性は見えても、確実性の点ではどうでしょう。たいてい取引先銀行はいくつかかかえているでしょうし、競合銀行はお互い情報をださないでしょうから、不完全な情報になりませんかね。まあ、そういう偏見はおいておいて、どのような財務分析を行うのか、チャンスがあれば見てみたいものです。

 

だいたい商工中金やスルガ銀行の事例も含め、銀行の貸付審査・管理は、改めて見直しが必要なところが少なくないかもしれません。この件はここでおしまい。


音の不思議とAI <音声合成ソフト もう一度、自分の声で・・がん、ALS患者に光>と<NHK 超AI入門「発想する」>を見聞して

2019-01-26 | AI IT IoT

190126 音の不思議とAI <音声合成ソフト もう一度、自分の声で・・がん、ALS患者に光>と<NHK 超AI入門「発想する」>を見聞して

 

私は仕事柄、知的障害の方や視覚障害の方など、様々な障がいの方のお手伝いというか、成年後見という立場で仕事をしてきました。ただろう者の方については、会議などで手話通訳の方をお願いしたり、速記官によるタイピングでスクリーン表示するといった配慮をしてきましたが、直接お会いする機会はほとんどありませんでした。駅など公共の場で手話をして会話しているのを見かけることはあっても、その人たちの状況はわかっていません。

 

音を聞き取れない、発声することができないとか、困難であるとか、その大変さは情報としては知っていても、あまり実感がわかないというのが本音です。自分の声が以前より弱々しくなることがあったり、ときに音になりにくいことがあっても、一時的であるため、将来発声できなくなったらといった不安もなかなか現実味がありません。

 

しかし、喉頭がんや筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症すると、声がでない、あるいは出にくくなるようです。それはいつわが身に起こるかもしれません。そうなったら慌てふためくのか、絶望するのか、人間なかなか絶望の域に達しないかもしれません。それなりにがんばるでしょうね。

 

そんな人間の気力にいま大きな支えとなっているのが音声合成ソフトのようです。

 

昨夕の毎日記事<音声合成ソフトもう一度、自分の声で 事前録音した本人の声で再現 がん、ALS患者に光>は後天的な失語の場合、事前に準備していると、声が復活する可能性がでたことを取り上げています。

 

<病気や手術で失った声を、音声合成ソフトで再現する取り組みが広がっている。事前に録音した本人の声をつなぎ合わせる仕組みで、喉頭がんや筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者らが活用。話し方を本人に似せるソフトもある。親しみのある声がよみがえり、周囲とのコミュニケーションも豊かになると好評だ。>

 

そのソフトは「ボイスター」という名称です。ではどう準備して利用するのかを記事から引用しましょう。

 

<ボイスターの利用者は、病状が悪化したり、喉頭摘出などの手術を受けたりする前に400~1000の文章を録音しておく。ボイスターは録音を基に話し方の特徴を分析し、パターン化する。パソコンに文章を入力すると、その人の話し方に最も近い音を選んで再生する。>これは簡単ですね。

 

ただ問題もあります。値段がまだお高いのです。<

口コミで利用者が増えているボイスターの価格は、録音する声のデータ量などに応じて約36万~95万円。渡辺さんは「もっとリーズナブルに、その人らしさを再現できるよう改善したい」と研究を続けている。>

 

他方で、ネットで無料ソフトが公開されていて、<東京都立神経病院の作業療法士、本間武蔵さん(56)と、長崎県佐世保市のシステムエンジニアで、自身も言語障害がある吉村隆樹さん(53)が手掛けた「マイボイス」だ。・・・ 本間さんは「録音を通じて、病気に立ち向かう気持ちが湧く人もいる」と、精神面のプラス効果にも期待している。>

 

では先天性のろう者の場合はどうでしょう。最近、ウェブ文字情報は、音声を選ぶと、勝手に朗読?してくれますね。まあ機会音声のような感じで、人の声のような暖かみを感じることはできませんが、最近のAIの発展からすれば、すでに多様な人間の声を再現することが可能ではないかと思ってしまいます。

 

それは124日放送のNHK人間ってナンだ?超AI入門 シーズン2 3回「発想する」>を見て、十分可能というか、すでに相当な段階にあるように思えるのです。

 

番組では、人間とは何かを問いつつ、AIの機能がもつ最近の実情を紹介しています。今回はマンガという創造的な作品を取り上げつつ、その発想をAIではどのような過程を経て行うかを次々と繰り出すのです。マンガの描き方は素人的にはすでにプロと同等で、しかもどのような作者の絵でも生み出すことができるのはもちろん、新たな作品も可能です。

 

彩色は、一瞬にしてバックやディテイルも調和のある変化をつけて行うのです。それは漫画家がこの場面で設定したイメージに合う彩色を長い時間かけて作り出すのに比し、一瞬にして漫画家もある程度腑に落ちるものを生み出すのです。

 

ちょっと余談が長くなりましたが、この番組では、音風景を考案しているAIエンジニアも登場しました。その方はさまざまな建築物や景観に応じて、それに似合う音を的確に生み出すのです。それはAIが膨大なデータを蓄積していて、個々の建築物の室内空間や材質などを認識してそれにあった音楽を提供するのです。

 

人の声もAIによって調整して、容易に生み出すことが可能ではないかと思うのです。

 

レンブラントの絵でしたか?たとえば著名な画家の絵画、生涯に何百点かありそれをマイクロ単位かそれ以下のレベルですべて質感、彩色、構成など必要とされる要素を分解、データ化し、それぞれの絵画の再現だけでなく、新たな作品も仕上げることができる段階に来ているそうです。それは囲碁や将棋AIの驚異的な発展をみれば不思議ではありません。

 

そうなると美空ひばりや吉永小百合(いずれも少し古いですか)の音声・歌・朗読も自由にAIで生み出すことができるかもしれません。

 

むろん先天的なろう者の方は、自分の声の識別はできないかもしれましれませんが、聞く人の表情を見て自分が好みの音声を選ぶことができるような時代になるかもしれません。

 

そんなことを少し飛翔した思考で思いふけっていると、悪用のリスクもあるなとつい思うのは悪い癖かもしれません。とはいえ変化はいい面だけ見ていると大きな副作用的な悪影響が生まれるのも、人の住む世界の断りかもしれません。

 

このへんでおしまい。またあした。

 


AIと未来人 <NHK マネー・ワールド 仕事がなくなる!?」>を垣間見て

2018-10-09 | AI IT IoT

181009 AIと未来人 <NHK マネー・ワールド 仕事がなくなる!?」>を垣間見て

 

一昨日夜、<NHKスペシャル マネー・ワールド~資本主義の未来~第2集「仕事がなくなる!?」>を少し見ました。爆笑問題が司会?で、ゲストが孫正義氏と新井紀子氏ということで、それぞれのキャラが出ていて面白かったです。録画していたのでいつか見ようと最初しばらく見ましたが、結局、まだ全部見ていません。

 

で、今日はとくに話題も思いつかないので、中身を理解していないながら、適当にAIと未来人について考えてみようかと思い本日の話題にすることにしました。似たようなテーマはこれまでも何回か取り上げてきたように思います。

 

たしか番組では機械的な作業が取って代わられるということで、ラスベガスのホテル従業員のAI反対のデモとか、商品の配送現場で、単なる商品の選別搬送から仕入れまで、ほぼ全面的なAIロボットによる状況が放送されていたかと思います。そしてAI・ロボットによって仕事が取って代わられる職種が、代替率をランク付けされて表になっていました。ま、機械的な作業は90%を優に超えて100%近くになっていたかと思います。取って代わりにくいのはというのはちょっと見落としたようです。

 

たしか孫氏はAIプログラムのクリエイターが将来性のある仕事?みたいないい方だったように思います。新井氏はわかりやすい数学者?として少し反発していたように思うのですが、忘れてしまいました。数学者も場合によっては射程範囲に入るのかもしれません。

 

私はこれまで医師や弁護士、裁判官なども、相当なレベルでAIに代替される可能性を指摘してきました。たしか税理士や行政書士は代替率が極めて高く、公認会計士や不動産鑑定士も相当な高さにあったような記憶です。ま、これまで国家試験資格者として活躍できたりした職種も、安泰な状況ではないのかもしれません。

 

他方で、いま大変な介護職なんかはAI・ロボットにとって苦手な領域のようですね。ほんとにそういえるかは?です。もし介護職の多くがユマニチュードのような対応をしていれば、そうかもしれないと納得できます。しかし、現在の介護職の多くは、あるマニュアルにしたがって行っているのではないかと思われます。そういう方法であれば、訪問介護は別として、施設内であればAI・ロボットにチェンジされてもおかしくないように思うのです。

 

ところで、話は横にそれますが、スポーツ選手なども、場合によっては代替される未来があるのかもしれませんが、それでは面白くないということで、やはり選択の問題として、AI・ロボットが進出できないのではと思うのです。

 

たとえば、ボクシングの井上尚弥選手のKOは神業でしたね。実は私が見たときはもうお祝いの挨拶をしていました。えっと思いましたが、記録的スピードKOでした。その後何回も再放送でKOシーンを見せてくれましたが、なぜあのパンチであのように倒れるのか不思議な思いでした。それを今日のNUMBER WEB井上尚弥の衝撃KO、何が起きたか。「あの60秒で凄く駆け引きをした」>で、わかりやすい解説をしています。KO以前の状況は見ることができませんが、この解説で合点がいきました。これがAI・ロボットが闘ったのであれば面白くもないですね。ボクサー同士の緊張したつばぜり合いが60秒の間に積み重ねられていたのですね。

 

もう一つ、昨日のシカゴマラソン、大迫選手が日本新記録の2時間5分台を出して3位になりましたが、これも途中少し見たものの、どうせだめかなとすぐ読書に変えてしまい、すばらしいランニングを見るチャンスを逃しました。このランナーの名前も知りませんでしたが、日本人でも5秒台で走れるとはと驚くばかりです。挫折とチャレンジしていく精神・肉体は人間だからこそもてるわけですし、そこに魅力を感じるわけですね。

 

で、AIによって仕事を失ったとき人間はどうするかといった場合に、例としてギリシア市民の話がでることがあります。ギリシア市民は働かないで自由と平等を大事にして文化芸能などを大切にしていたとされています。ただ、スポーツでは最高を極めようと競争するものの、働くことは奴隷や外人(ポリス以外の地域からやってきた人)がします。そういったギリシア市民のように、未来人も仕事をAI・ロボットに任せて、人生をエンジョイすればよいとかいった話です。

 

ギリシア市民のように働かなくてもよいということは素晴らしいことでしょうか。人間は働くことにより人生の苦楽を享受できる要素が大きいと思うのです。私の好きな大畑才蔵は、懸命に働くことを求めました。自分が働けば、それだけ人、世のためになり、安楽を得られるというのです。儒教思想的な背景があるのかもしれませんが、江戸中葉の農民が抱いていた働くことの意義を自認し、近代市民の誕生を彷彿させるものです。

 

ギリシア市民は、奴隷にきつい仕事、嫌な仕事をすべてやらせ、自らは働かないで、その奴隷の生産性によって生活・文明を維持していたのですから、それが望ましい人間像かどうかですね。AI・ロボットは奴隷ではないから、いいではないかという議論も一理を否定しませんが、私はどうも好みではないです。

 

機械的仕事にも得る物があると思うのです。ホテルサービスなどもそうです。いまAIに取って代わることができるとされる仕事をされている人も、いずれは代替されるかもしれませんが、その仕事で充実した一生を送れればそれこそ最高でしょう。仕事に尊卑もないですし、AI・ロボットに代替されなければならない必然もないでしょう。

 

その選択は未来人に託されるのではないかと思うのです。孫氏のように必然のようにAI社会にしか道がのこされていないとは思いません。旧態依然という言葉は、仕事のあり方としてある分野に残ることも人間の選択としてあっていいと思うのです。

 

あ、そういえば、昨日でしたか映画「アイ,ロボット」がTVで放映されていて、少し見ましたが、見事なAI・ロボットで、ほとんどの仕事が彼らがになっていましたね。ついには感情や独自の判断力まで持ったという設定であったかとおもいますが、なんとま、アメリカ映画は10年以上前にその世界を描いていたのですね。

 

ま、未来人の社会はそうならないと思いますが・・・

 

今日も、まとまりがありませんでした。これにておしまい。また明日。