たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

抗がん剤と廃棄物 <抗がん剤 廃棄738億円 年間推計、残薬活用が急務>などを読みながら

2017-12-30 | 医療・医薬・医師のあり方

171230 抗がん剤と廃棄物 <抗がん剤 廃棄738億円 年間推計、残薬活用が急務>などを読みながら

 

今日はとても気持ちの良い澄み切った空、しかも穏やかで暖かく感じるほどでした。年の瀬とは思えない感じです。とはいえ行動はまさにそれ。実家の片づけを手伝い、粗大ごみがわんさとでてきました。認知症の母親も、以前は絶対に捨てないという大正時代の申し子?みたいでしたが、認知症が進行してからは明確な意思表示がなくなり、物がなくなっていくとも気にならないようです。クリーンセンターも今日が最後の受付日ということで、門前には家庭用廃棄物を入れた乗用車がずっと並んでいました。みなさん考えることは同じでしょうか。

 

おかげでかなり片付きましたが、まだまだという感じです。新車のトランクに入れるにはどうかと思いつつも、ま、いいかと粗大ごみを入れて2度運び込みました。

 

物資不足の戦前戦後に青春を送った母親は、なかなか気持ちの転換ができず、捨てるということができなかったようです。代わりに私が終活をやっています。日常的な介護世話はできませんが、この程度なら多少は役に立ちたいと思うのです。

 

こういった廃棄物はそれぞれの家庭がそれなりの努力をすれば、商品選択やリサイクルなどで廃棄物の発生・処理を減少することができるわけですね。最近はそういった意識や知識が普及してきたことはいいことだと思っています。とはいえ、なかなか廃棄物になることを考えて商品選択をしている人、廃棄物にならないようリサイクル・リユースなど再資源化に配慮する人、といった人たちはまだまだ多くないように思っています。

 

さて、医療廃棄物については、一般に有害性に注目され、その処理に適切かつ安全に処理される方向が確立して長いですが、そのコスト増大について着目されることはさほど多くなかったように思います。

 

今朝の上記毎日記事は、下桐実雅子記者によるもので、医療廃棄物の一部である抗がん剤に着目していますが、そういった側面の一端に新しい視点で光を当てるもので、当を得たものではないかと思います。

 

<使い切れずに廃棄された抗がん剤は、2016年7月からの1年間で738億円に相当するとの推計を、慶応大の岩本隆特任教授(経営学)らがまとめた。社会保障費の抑制が課題となる中、医療費削減のため残薬の活用が急がれる。>ここでは抗がん剤で未使用のまま廃棄された分が金額ベースで年間738億円相当というのですから、信じられない金額ですね。

 

具体的な内容に身を落とすと、腑に落ちる部分があります。

<慶応大は国立がん研究センター中央病院と共同で、同病院の抗がん剤の平均投与量を基に、抗がん剤ごとの廃棄率を算出した。さらに各抗がん剤の市場規模のデータから廃棄額を計算すると、抗がん剤の廃棄額は合計738億円に上ると推計された。廃棄額が大きかったのは、アバスチン(99.3億円)、オプジーボ(90.7億円)など。>

 

具体的な廃棄量や金額というよりは、抗がん剤の平均投与量から抗がん剤ごとの廃棄率を算出、そのうえで各抗がん剤の市場規模のデータから廃棄額を計算ということで、一つの推計手法でしょうか。

 

いずれも高額の薬価であるのに、未使用のまま廃棄される理由については<瓶入りの液体の抗がん剤は患者の体格によって投与量が異なり、1瓶を使い切れない場合もある。しかし1回開封した瓶は、細菌が混入する可能性があるとして、薬が残っていても廃棄するのが一般的だ。>

 

ほんとに開封した瓶だけの廃棄物と特定されたものなのか、これだけではわかりませんね。もう少し具体的な検証が必要ではないかと思いますね。このような高額なものをポイ捨てのように扱っていいのかですね(ポイ捨てとは違いますが)。

 

この点は、すでにこの取り扱いに批判的な立場で改善策が提示されています。

<瓶の残薬を別の患者に活用した場合、細菌の混入を防ぐ器具のコストなどを考慮しても、560億円の薬剤費を減らせると試算した。廃棄額が年間10億円を超える16薬剤に限定し、規模の大きい病院のみで実施しても528億円の削減効果があるとしている。>

 

そんな簡単に改善策があるのであれば、これまで<細菌の混入を防ぐ器具>のアイデアとか開発がまったく検討されてこなかったのかと疑問に感じます。

 

それも「廃棄額が大きい」とされるのが、あの高い薬剤ですね。

オプジーボについては、その薬価が以上に高いということで問題となり、一挙に半額になりましたね。

 

商品名オプジーボについては、ウィキペディアで<ニボルマブ(Nivolumab)>は、悪性黒色腫治療を目的とし、後に非小細胞肺癌・腎細胞癌に適用拡大された分子標的治療薬の一つで、ヒト型抗ヒトPD-1モノクローナル抗体医薬品であり、当時の京都大学医学部の本庶佑博士の研究チームが開発に貢献した[1][2]。日本においては2014年7月4日製造販売が承認され[3]、2014年9月小野薬品工業から発売が開始された[4]>とされています。

 

またその特徴は<ニボルマブは、癌が免疫から逃れるためのチェックポイント・シグナルPD-1を抑制することにより、リンパ球による癌への攻撃を促進する[2][3]。>とされています。

 

ただ、その値段がべらぼうに高いのですね。

<オプジーボの薬価は、100mgで72万9,849円であり(2014年)[19]、1年間使用すると3,500万円になる[20]。>

 

ところが世界の薬価に比べてわが国は極めて高いことが指摘されました。

<100mg当たり、イギリスでは約14万円、ドイツ連邦では約20万円、アメリカ合衆国では約30万円となっている[24]。>

 

これは当然批判の対象となり、昨年<11月16日に開かれた中医協において、2017年2月1日からの50%の薬価引き下げが了承された[25]。>わけですね。

 

でも、この問題は根が深いように思います。薬価がきわめて高額に維持されつつ、他方で未使用のまま廃棄される、ますます手に入りにくい状態をこの業界を作り出してきたともいえるのではないかと思うのです。というとうがった見方との批判もあり得ましょうが、高額の薬価と未使用廃棄を維持してきた医薬の一部にはそういう問題を潜在的に抱えているとの疑惑に適切に答えてもらいたいと思うのです。

 

人は健康で長生きしたい、そういう場合にがんは降ってわいたような突然の不幸(とりわけ抗がん剤による苦痛と倦怠などは生き地獄ともいう人もありますね)と感じる人も少なくない、それに効果的に対処する抗がん剤ならいくらかかってもよいと考える人もいるでしょう。

 

私の場合、人の命は自然の寿命に任せるのがよい、命尽きたところにはなにも残らないと思っているような人間にはあまり関係のない話かもしれません。いや素粒子レベルだ生だと、生もなければ死もないのかもしれません、空即是色かもしれません。

 

生に執着してというか、懸命に生きようとあらゆる手段を駆使する生き方も大事でしょう。とはいえ、抗がん剤で骨や細胞がボロボロになってしまうこともあったといいますが、高額な薬価の薬だと大丈夫なのでしょうかね。私の場合は骨になんの意味も認めないという見方をするような人間ですので、そのような治療を受けることもないと思いますし、治療の結果を悩むこともありません。ただ、それに多額の費用をかけることは、社会経済的な意味合いでも、私の選択肢にはありません。

 

医療や医薬の世界では、私のような生き方は無視されるのでしょうから、それはそれでよいのですが、3分の1が借金財政の中で、将来の世代の負担増を考えないで、この状態を持続することには責任の一端を感じます。ましてや医薬品・医療分野の廃棄物処理はライフサイクルの視点で全面的な見直しを考えてほしいと思うのです。

 

今日も片づけとごみ処理に追われてようやく一息ついた後、遅いブログ書きとなりました。それでもまた一日続けることができました。感謝、感謝です。

 

今日はこれでおしまい。また明日

 

(なお、これは調子のよくないラップトップで書いていまして、普段より誤字脱字が多いと思いますが、いつものように校正まで手が回りませんので、ご寛容ください)