たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

地球大変動の受け止め方 <NHK 列島誕生 「奇跡の島は山国となった」>を見ながら

2017-07-31 | 災害と事前・事後

170731 地球大変動の受け止め方 <NHK 列島誕生 「奇跡の島は山国となった」>を見ながら

 

今日は夕方前から会議が続くため、その後にブログを書く余裕がないと思います。というわけで、後一時間しかありませんが、本日のお題を決め、昨夜見たNHK番組を感想を交えながら、いろいろな思いと交錯させて、少し書いてみようかと思います。

 

昨夜は<NHKスペシャル 列島誕生 ジオ・ジャパン 第2集「奇跡の島は山国となった」>が放送されました。先週が<第1集「奇跡の島はこうして生まれた」>で、その完結編でしょうか。

 

基本的なストーリーは、プレートテクトニクス論を基礎に、日本列島の形成を4つの段階に構成して、うまく映像表現していたと思います。

 

まず第1フェーズは、大陸プレートの端が太平洋?プレートの衝突で、大亀裂が生じ、大陸から離れていく、誕生初期です。私も書籍で、この離れていく過程が観音開き説とか諸説合ってまだ統一的な意見はないというのを知ったばかりでした。ただ、日本列島がそのまま東に大陸から晴れていったのではなく、亀裂した箇所が概要2つあり、それぞれがある基軸から大きく回転して、開いていったといのは興味深く感じつつも、そのエネルギーの源はよくわかりませんでした。たしかNHKではそういったところまで放映されていなかったように思います。

 

次の段階は、まさにフィリピンプレートが南洋から北上し、伊豆七島など連綿する火山帯が西日本の塊の東端と形成されつつあった東日本の島嶼の西橋のちょうど真ん中に押し込まれて伊豆半島ができあがったことを示していました。

 

今回の第3段階では、それまで成立した列島は平原・湿地といった平らな形状でしたが、日本の地形の特徴であるが山岳地帯を形成した仕組みを示すものでした。場所はなんと紀伊半島が舞台。これまたフィリピンプレートが沈降し、マグマだまりに衝突し、大規模な連綿とする火山爆発が起こり、火山灰を世界中にまき散らし、世界の温度を10度も下げたというのですね。その結果巨大カルデラ地形ができあがったといのです。その後1000年いじょうかけて地下のマグマだまりにたまったのが固形化し花崗岩(その大きさは神奈川県程度)となり、沈下圧力でその花崗岩自体が隆起した結果、紀伊山脈が生まれたというのです。その他の山岳も同様の経過をたどったようです。

 

これで紀伊山脈の広大な山地形状ができあがった大筋がわかった!?ような気がしつつ、まだようやくひかりがおぼろげに見えた状態でしょうか。その理由は後で述べます。

 

最後の第4段階、まだ東日本のほとんどは島嶼のように散在していましたし、山地も存在していませんでした。千葉県が最後に登場するのですが、それはやはりフィリピンプレートが北上していたのを太平洋プレートによって北西方向に押されて傾き、その分、海底にあった千葉をはじめとする東日本が海底から陸地に押し上げられたというものです。

 

ここまでが1000万年前くらい?でしょうか(ちょっと聞き落としてしまいました)。これだけでも大変な変動ですね。しかし、それからも沈下・隆起・圧縮など地球変動は繰り返されているわけで、ここ100万年の間でも大変なものですね。

 

ギリシアの哲学者がたしか止まっているが動いている、動いているが止まっているとか、そんな風な哲学的な言辞を残しているというのを半世紀ほど前にならったような気がします。

 

地球は常に動き続けていますね。私たちの知覚では静止しているように見えるのですが。日常生活のレベルで言うと、火山、地震や津波、地滑りといった自然災害でも起こらないと、地球の動きはあまり意識にのぼりませんね。でもNHKが取り上げた列島誕生自体、フィリピンプレートを中心にプレート衝突を経て起こっていることを繰り返し指摘しています。そのプレート活動は、また地下のマントルの動きは止まっていないですね。

 

私たちの知見は、せいぜい2000年か最大1万年程度ではないでしょうか。そのレベルで、科学技術の将来の発展や、そのことによる自然への制御能力を推し量ってみても、はなはだ危ういものではないでしょうか。

 

ちょっと当地の問題に目を向けますと、中央構造線が間近に走っています。ではこの構造線はどのようにして生まれ、現在のような地形が形成されたのか、先のNHKのストーリーの射程外ですが、これも定まっていないように思うのです。中央構造線ができる前は、NHKで成立したはずの西日本は海底に沈んでいたのでしょうか。そして最初に構造線の北側が隆起し、その後に南側隆起する、そして横ずれが起こったと言うことでしょうか。こういった事象を整合性のある理論で解明できるのかは、期待したいと思いますが、それにしてもNHKが説明したのはほんのさわりですね。

 

地球変動の複雑怪奇さはまだまだ探索しがいがあるのでしょう。他方で、今朝のNHKニュースで報じられていましたが、たしかグリーンランドの永久凍土の厚さが最大で3kmあり、とても強固ということです。ところが、その固く熱い氷塊が急激に溶け始めていることがわかったと言うことです。ほとんど真っ白の中に、藻がはえ黒くなると太陽光を吸収し、

どんどん溶ける勢いが早まっているとのこと。

 

映画The Day After Tomorrow は、気象変動が逆に急激な異常低温に向かい、北半球が氷に閉ざされる恐ろしいストーリですが、(この内容はいつか触れたいと思います)地球は生き物です。私たち現代人は、地球という生命体に不可逆的な変更をもたらす活動を続けているという、懸念は多くの人に享有されていると思いつつ、実際の活動では必ずしも意識下されていないように思うのです。

 

私自身も自戒の念を抱きながら、このNHKストーリーを見ました。

 

そろそろ一時間経過しました。会議に出かけるため、この辺で終わりとします。


所有者不明の背景 <「縮小社会」を生きる=増田寛也>を読みながら

2017-07-30 | 不動産と所有権 土地利用 建築

170730 所有者不明の背景 <「縮小社会」を生きる=増田寛也>を読みながら

 

深夜、突然の轟音で飛び起きました。窓は開けっ放しなので(いなかのよさ?)、この豪雨が家の中に入れば水浸しとまでは行かなくても大変です。眠気も吹っ飛び家中の窓を閉めて回りました。時計を見ると午前1時すぎ。これはすごい豪雨なので、NHKを見て警報を見ても何もない。当地の予報は曇りマークで降雨量ゼロ。ゴロゴロ鳴り響く雷の警報もなし。これぞ局地的突発性雷雨でしょうか。一時間くらいは大量の雨だったと思うのです。時間雨量でどのくらいか今度調べてみようかと思います。

 

それでもかなりの量の雨は10分間も継続してない印象で、少し休んでは繰り返す漢字でしょうか。そのあたりも観測所のデータを見ればわかります。ただ、最寄りの観測所といっても隣のかつらぎ町と、河内長野市なので、こういった局地的降雨はなかなか実態を反映するとはいえないように思うのです。

 

そんな思いを抱きつつ眠ってしまうと、今日の目覚めは7時少し前となりました。空は快晴を期待できそうで、猛暑を予感させるのに十分です。花植をしたのですが、どうやら降雨は風がほとんどなかったせいか、垂直方向に落ちていて、今朝植えようとした場所はあまり湿っていないのです。土も腐葉土などをいれているのですが、元の分譲当時の盛り土のためなかなか土壌生態系が育つ状況にならず、花の方もすぐ枯れてしまいます。かわいそうと思いつつ、生きやすい環境になんどかしようと努力している最中です。

 

さて、深夜ばたついたせいか、今日は一日からだが重く、本日の話題もなかなか思い浮かびませんでした。結局、これまでも何度か取り上げた見出しの増田氏が指摘する問題の一部について少しだけ法制度的な視点でアプローチしてみようかと思い、この記事<時代の風「縮小社会」を生きる=増田寛也・元総務相>を選びました。

 

増田氏は「縮小社会」という造語でしょうか、これをキャッチフレーズにして<「縮小社会」と表現すればよいのだろうか。これから経験する人口の急減は日本の歴史上初めてのことといってよい。どんな社会問題が生ずるのか、影響はどこまで拡大するか、想像するのも難しい。>と述べて、その問題のいくつかをここで言及しています。

 

私はその一つ、「所有者不明の土地問題」を取り上げたいと思います。増田氏はこの問題の切り口として登記を俎上にのせています。<土地神話の崩壊と人口減少で地価が下落し、管理が重荷になって、不動産の登記をしない相続人が多い。>

 

問題の土地面積についても、<筆者が座長を務める「所有者不明土地問題研究会」での調査が進み、その面積が全国では九州を上回る約410万ヘクタールに達することが判明した。>この調査方法や算定方法が妥当かは一応横に置いても、相当な面積の土地があるということは想像できます。

 

この解決策の一つとして、増田氏は<既存の所有者不明の土地について、所有者探索の円滑化策や公共的な利活用策を実現するとともに、これ以上増加しないよう、登記の義務化を実現したい。>と述べています。

 

もう一つ増田氏は根本的な対策として<わが国独特の「強い土地所有権」を見直す必要もあるのではないか。所有者の責務を明確化したり、放棄された土地や寄付された土地の受け皿を整備したりするなど、民法(物権法)の所有権概念の抜本的な検討が不可欠だと思う。>と指摘されていますが、具体的な処方箋については言及されていません。

 

実はこの問題は久しく議論されてきていますし、一部は最近の森林法や農地法の改正で、実際に制度化されています。宅地分野では空き家対策法が一つの例でしょうか。

 

ここでは森林法と農地法の改正の内容と、その運用実態について、少し取り上げたいと思います。登記義務化という点は、婉曲的な相続届け制度ができましたが、これさえさほど大きな効果が上がっていないようにも思えますので、相続についてはより実効的な登記代行措置といった制度を検討する時期に来ているのではないかと愚考しています。この3点についてそのアウトラインを書いてみようかと思います。

 

所有者不明の土地の中で、森林地と農地はその比率が高いのではないかと思います。前者は林野庁が、後者は農水省が、それぞれ長年にわたり取り組んできましたが、最近の法改正を紹介したいと思います。

 

まず森林法は平成234月改正で、<森林の土地の所有者届出制度>を設け、新たに土地所有者になった場合、その日から90日以内に管轄市町村長に届出を義務づけました。個人、法人を問わず、売買や相続等により森林の土地を新たに取得した方は、面積に関わらず届出をしなければなりません。

 

残念ながら、この届け出制の実施状況は林野庁の情報からは入手できませんでした。法制度の運用実績については農水省は割合丁寧に報告している(たまたまウェブ情報が手に入りやすいだけかも?)と思います。

 

この改正の大きな柱の一つは、「森林・林業再生プラン」の実効性を確保するために、制度化した3つがありますが、所有者不明問題と関係するのは<所有者が不明の場合を含む適正な森林施業の確保>です。

 

これによると

<① 路網等の設置のために必要な他人の土地について、土地所有者等が不明の場合でも使用権の設定を可能にするため、意見聴取の機会を設ける旨を公示すること等により、手続を進められるよう措置する。

森林所有者が、早急に間伐が必要な森林(要間伐森林)の間伐を行わない場合に、所有者が不明であっても、行政の裁定により施業代行者が間伐を行うことができるようにするなど制度を拡充する。>

 

ということで、路網等の設置のために必要な土地を対象に、使用権の設定を可能にする、公示等の措置を設けています。もう一つは要間伐森林で間伐が行われていない土地を対象に(いまば農地の遊休農地に類似するものですね)、行政の裁定による施業代行者の間伐を認める制度です。

 

これは画期的な制度ともいえます。しかし、これらの運用実績を公表しているのかわかりませんが、いまのところウェブ情報では見当たりません。私自身、林業事業にかかわってきましたが、この事業の実施を寡聞にして知りません。

 

路網整備は森林・林業再生の骨格とも言うべき事業ですが、その事業実施の壁となっている一つが所有者不明の土地があることは容易に理解されると思います。それが一定の手続きで使用権設定が可能となると、まさに増田氏が指摘する所有権制限の実効的措置の一つとなりえるのですが、どうもこの制度が活用されているようには思えないのです。

 

この使用権の設定は、知事が行うことになっていますが(森林法第50条第2項)、それ以上に詳細な内容は省令で定めているようです。知事が担い手ということは、大規模な路網整備を前提にしているのでしょうか、林道整備自体が環境保全の見地から容易でない状況ですので、どの程度活用できるのか疑問です。

 

もう一つの要間伐森林ですね。これはその対象を絞り込むというか、認定することが簡単ではないと思うのです。遊休農地や耕作放棄地はかなり具体的な要件を設けて対象を明確化できるようにして、担当する農業委員が判断できるように相当程度はわかりやすいと思います。しかし、この要間伐森林というと、日本の大規模造林政策で植林され間伐されないで、すでに樹齢50年を超える針葉樹がどのくらいあるか、統計数値があると思いますが、膨大です。他方で継続的な間伐が行われているのはさほど多くないのです。すると、どのような基準で「要間伐森林」とするかによっては、ほとんどの森林が当てはまるかもしれません。

 

私はこの要間伐森林の定義規定というか、その要件を定めた指針的なものなりを見たことがないので、なんともいえませんが、基準設定はある種線引きですので机上ではできるでしょうが、基準があっても現場で運用するのは大変なことだと想像できます。

 

それよりなにより、この行政主体は市町村長ですが(森林法第10条の102項)、全国各地の自治体で、この林業業務を主体的に取り組めている割合はどのくらいあるのでしょうか。そのような状況で、仕組みは、市町村長が当該森林と認めて通知し、所有者不明の場合知事が裁定するのですが、第一段階の市町村長の認定自体が容易でないと思います。新たに実効的な組織を設置しないと絵に描いた餅なるおそれが高いと思うのです。

 

もう一つ、昨年改正された<森林法等の一部を改正する法律案(概要)>では、共有林について、<共有林の立木の所有者の一部が所在不明であっても伐採・造林ができるよう、所在不明者の持分の移転等を行う裁定制度を設ける。>となっています。

 

これは要間伐林という対象の限定はないのですが、共有林を対象にして立木所有者の一部が所在不明の場合他の共有者が伐採・造林しようと思っていてもできない不便さを補うものです。

 

とはいえ、これも行政の裁定制度を使うのですが、まず市町村長が共有者の一部が不確知であることを公告することになっていますし、その上で知事に裁定申請する建て付けになっていますが、これを担うだけのスタッフがいるか心配です。それと平成23年改正法の制度運用がどのような結果となっているのか、十分な検証を踏まえたものなのか懸念されます。

 

次に農地法の対応ですが、農水省の<遊休農地の解消について>で解説されています。農地法も平成の大改革という制度改革をしたものの、あまり大きな実績をあげれていないように思います。

 

それで今回は平成25年改正ですが、

まず、<平成25年の農地法改正により、耕作放棄地対策が強化されました。>として、

 

<【対策強化のポイント】

•既に耕作放棄地となっている農地のほか、耕作していた所有者の死亡等により、耕作放棄地となるおそれのある農地(耕作放棄地予備軍)も対策の対象となりました。

•農業委員会は、所有者に対し、農地中間管理機構に貸す意思があるかどうかを確認することから始めることとする等、手続の大幅な改善・簡素化により、耕作放棄地状態の発生防止と速やかな解消を図ります。

•農地の相続人の所在がわからないこと等により、所有者不明となっている耕作放棄地については、公示を行い、都道府県知事の裁定により、農地中間管理機構が借り受けることができることとなりました。>

 

最後の所有者不明の対応がほぼ森林と同様の取り扱いでしょうか。ただ、農地については、農業委員会委員が最近は積極的な働きかけを農地所有者に行っている実情が見られるように思いますので、森林ほど放置されたままではないように思えます。

 

農水省は、運用実績を報告しているので、ある程度その実態が浮かび上がりますが、問題の所有者不明への対応についてはわずかに2つの事例が挙げられていて、その大変さが窺えます。ほかにもあるのかもしれませんが、この事例を見る限り、容易に裁定が行われるとは思えません。

 

上記の事例1では静岡県東伊豆の農地が対象となっていますが、1889㎡です。これを大きいとみるか、ですが、1反にも満たない土地ですので、それでも大変な作業量・時間を要していることが窺えるのです。所有者は70年前に死亡し、関係者も全員死亡して、隣接農家への病害虫や鳥獣被害など悪影響も大きかったことがこの手続きに至ったことが推測できます。第2の事例5反未満ですが、耕作条件がよいというのが、利用権設定までうまく進んだのではないかと思われます。

 

この制度自体は、けっして悪いものではないと思いますが、現在の所有者不明の土地問題を解決する抜本的な策とはなりえないように思うのです。

 

最後に、登記問題について、私なりの大ざっぱな意見を述べますと、要は地籍調査と同様にというと語弊がありますが、相続については、登記代行制度を設けることを検討する必要があるという考えです。その場合所有者不明を前提に、一定期間内に相続登記が行われていない場合、登記を管轄する法務省と戸籍を管轄する総務省などの連携で、新たに設置する登記代行システムで、一定の資格ある者が戸籍・除籍等の徴収管理を行い、登記申請を行い、これらデータ資料は一元管理を行うといった大ざっぱな流れです。その費用は、一応は税金で賄うとして、一定以上費用がかかる場合で、土地に資産価値があるときは換価処分して換価金で費用に充当するといったことです。

 

ま、思いつきですので、所有権と登記および戸籍に関わる重大な問題ですので、多くの人が関心を持ち議論して、さらなる検討を期待する次第です。

 

さて今日は1時間半が過ぎています。この辺で終わりとします。

付記 所有者不明の背景を書くつもりが、制度説明をしているうちに、失念しました。これはまたの機会に


 


核ごみを考える <核ごみマップ 適地は国土の65% 政府が公表>を読んで

2017-07-29 | 原子力・エネルギー・地球環境

170729 核ごみを考える <核ごみマップ 適地は国土の65% 政府が公表>を読んで

 

先ほど和歌山市から戻ってきました。少々疲れ気味です。それでもちょっとした連絡をしたり雑務整理をしたら6時半を大きく回ってしまいました。今から今日のテーマを考えるのですが、シンポのそれにするか少し悩みつつ、これはちょっと触れる程度にして、上記に決めました。

 

今日は近畿弁護士連合会公害対策・環境保全委員会主催の夏期研修で、「災害からの復興と都市・自然環境の保全~南海トラフ巨大地震に備えて」というテーマのシンポジウムがありました。東日本大震災後の復興が6年以上経過して、わずかに進みつつある一方、帰還者がどんどん減っていく状況、あるいは巨大防潮堤建設や高台移転や地盤を高くかさ上げして人工地盤をつくるといった事業がはたして住民意思を適正に反映したかとか、自然環境・生態系への配慮に欠けていたのではないかとか、そういう視点で問題を探りつつ、「事前復興」という取り組みや90%が他へ移転し10%のみ残ったものの、全員参加で元の状態に近い復興を進める地区の紹介などがあり、興味深いものでした。

 

他方で、さまざまな課題も取り上げられました。次々と災害ごとに成立した災害法制の継ぎ接ぎ的な制度の現状には統合的な仕組みが必要とか、行政の縦割りの仕組みが災害時も障害となり、復興事業の遂行に大きな支障となったことの改善とかですね。

 

ただ、私自身としては、所有権の問題に切り込んでもらえたらなと思ったのですが、これこそ岩盤ともいうべきものですので、難しいのでしょう。災害時の所有権保障を緩和する仕組みですね。たとえば、登記などで容易に現在所有者が明らかにならないとき、その土地を外すと事業が大幅に制約されるといったいくつかの条件の下、登記による公示が不完全な所有者についてはその限りで不利益な扱いも可能といったことですね(これは相当大変ですが、問題提起すればなにかいい提案が浮かぶと期待します)。

 

私がいまやっている相続登記だと、50以上の戸籍謄本や除籍謄本を集めてもまだ不足する状態です。まだ日本国内でとどまっているので、全国に散在していてもなんとかなります。なかには江戸時代に生まれた人までの戸籍を追っかけるわけですので、時間もかかります。こういうことをやっていると、一つの土地でも大変なわけですから、この種の問題がいくつもありばあきらめてしまうでしょう。それでは復興事業はなかなか進まないのではないかと思うのです。

 

また巨大防波堤や海岸付近の地盤をかさ上げする大規模事業や高台分譲地建設などは、規模によっては環境アセスメントの対象となるべきですが、災害時は適用除外となっています。そのことによる自然環境や生態系といった基本的な生存条件や地球との共生の観点がないがしろにされてしまうおそれを心配します。災害時に特有の弾力的な環境アセス制度を検討することも重要ではないかと思うのです。

 

最近少しずつ普及しつつあるハザードマップは、それなりに効用があると思うのですが、簡易であったり、地形図を基に作成しているため、より実態にあったシミュレーションとなっていない場合が少なくないのです。それは住民の主体的参加で実態にあうようなものに変えていく必要があるでしょう。また、災害は多様です。津波対応はあっても最近の豪雨や地滑り対応にはなっていないといった、複合的なシミュレーションが必要ですが、これからだと思います。

 

また、こういったシミュレーションにおいて、ハザードによって保護する対象をできるだけ多様にする必要があります。たとえばさまざまな障がい者に応じてとか、歴史的文化的価値の保全とか文化財保護とか、ときとして一般の人の命のみがクローズアップされ、軽視されたり、無視される価値にも配慮をしてもらいたいと思うのです。

 

こうなると常時、災害対応を検討するようなまちづくりをみんなで考える。それは現在のまちを活かすことにもつながるのではないかと思っています。

 

講師の話は実体験を踏まえたもので興味深いものでした。いつか紹介できればと思っています。

 

このシンポでは、日弁連の昔からの仲間も参加していて、10何年ぶりの人もいたり、なつかしい限りでした。その一人が大阪に帰るというので、南海和歌山市駅まで送ったのはいいのですが、あまり行ったことがなかったので、帰り道がよくわからず、ナビが古いため、高速に乗るつもりが、下道を通ることになり、結構時間がかかり、それで余計疲れてしまったのです。余分な話はこの程度にして、本題に写ります。

 

すでに30分過ぎたので、残り30分で書きたいと思います。

 

今朝の毎日は一面で<核ごみマップ適地は国土の65% 政府が公表>と日報隠蔽問題と二本立てでした。敵地が国土の65%と聞くと、地震国日本だけど、半分どころかなり広範囲にOKだなんて思ってしまいます。しかし、その内容は<核のごみ最終処分場 選定基礎資料「科学的特性マップ」 塗り分けた適・不適 地下300メートルに埋設、完了まで100年>とその事業完了までの期間と安定するまでの10万年という地球年齢に至る重大性を感じさせます。また、<核のごみ最終処分適地 住民対立、記憶消えず 調査受け入れ巡り 高知・東洋町>という10年前の大騒動はどこで起こってもおかしくない不安も生まれます。そして、<核のごみ適地地図公表、広がる波紋 地元二分の議論再燃も>と適地の広がりが逆に分断への不安につながるおそれも指摘されています。

 

<科学的特性マップの色分けの基準>については

<政府は核のごみを地下300メートルより深い地層に埋設処分する方針。マップは最終処分場選定に向けた基礎資料で、既存の地質学的なデータから処分場の適性度合いを4種類に塗り分けた。

 「火山から15キロ以内」や「活断層付近」など地下の安定性に懸念があったり、「石炭・石油・ガス田」があったりして「好ましくない特性があると推定される」地域は、国土の約35%を占めた。

 これら以外の地域は「好ましい特性が確認できる可能性が相対的に高い」地域で国土の約65%に及ぶ。このうち、海岸から20キロ以内の沿岸部は、廃棄物の海上輸送に便利なことからより好ましいとされ、全体の約30%を占めた。>とされています。

 

資源エネルギー庁の<科学的特性マップ公表用サイト>には詳細な内容が書かれています。

 

この科学的特性マップを見ると、海岸線の多くは輸送に便利なこともあってか、大半が敵地なんですね。これには驚きです。東日本大震災被害があった東北や、東南海大地震が予想されるすべての海岸線(室戸岬は除外)が敵地なんです。火山から15km以内でないことは確かかもしれません。また、津波や地震は直接影響しないのかもしれません。しかしですね。「隆起や侵食が大きい」ところはないのかもしれませんが、巨大プレートの衝突や大陸プレートの剥がれなどでできあがった日本列島なんですから、その「大きい」という物差しが有効なんでしょうかね。

 

敵地は科学的な基準で選ばれたということですので、これからその科学性は検証される必要があると思います。それは科学的知見を別の角度から、実際に適地を絞り込むとき十分議論すればよいかもしれません。

 

問題は住民意識です。その前提に、核のごみがもつ10万年といった影響力の残存に対して、これを受け入れるか否かについて住民が対立するのは当たり前でしょう。いくらガラス固化体に入っているからと言って大丈夫というわけにはいかないのですから、適地というだけで選択されると困惑というより、不安でいっぱいになるのが自然です。

 

このやっかいこの上ない核のごみは、<これまでの原発の運転で出た使用済み核燃料をすべて再処理すると約2万5000本のガラス固化体ができ、早ければ2020年代には4万本に達するとの試算もある。>というのですが、<政府の計画では、最終処分場の地中施設の広さは約6~10平方キロで、ガラス固化体を埋める坑道の総延長は約200キロに上る。ガラス固化体を約4万本以上保管することを想定し、総工費は3兆円に上る。>というわけで、このまま原発再起動を進めていけば、この最終処分場も当然、100年、場合によってはそれよりも短い期間で満杯になる可能性もあるように思うのです。

 

この危険きわまりのない核のごみを生み出す、原発によるエネルギー供給に歯止めをかける必要は、未来の地球のため、将来の世代のため、早期に検討していく必要があると考えるのは、すでに日本国民の過半を十分に超えているのではないでしょうか。適地率よりも高いかもしれません。

 

この科学的特性マップは、逆に問題の深刻さを浮き彫りにしたと思っています。

 

もう30分を十分すぎてしまいました。今日はこれでおしまいです。


筆跡の意味合い <最新の筆跡鑑定ソフト・・>などを見て少し考え見る

2017-07-28 | AI IT IoT

170728 筆跡の意味合い <最新の筆跡鑑定ソフト・・>などを見て少し考え見る

 

久しぶりに寝苦しい夜でした。最近はずっと湿気があって温度も28度を超えているようです。でも暑さは扇風機をかけるとさほど気になりません。最初の眠気はすぐやってきます。ところがなにかの拍子で一度目が覚めると、なかなか寝付けないのです。

 

今朝はとりわけそうでした。なにかゴーッというような音のようにも、ザッと言う雨音とは違う、少し遠くになにかうねりのような大きな音が海鳴りのように聞こえてくるのです。まだ寝ぼけているのでなんとも判断できないのですが、気になってか眠りに入らないのです。その音は最初は雨音が異様に聞こえているのかなと、最近の異常気象でもありますし、昨日は当地も大雨警報が突然出たので、夜中に何か異変があったのかなと思っていました。

 

でも雨音とは違うような印象が次第に生まれてきました。カエルの鳴き声もなく、蝉の声もない。とても静寂の中、その重みのある音が遠くから聞こえるのです。そしてついに起き上がりました。目の前は雨一滴も落ちていません。ただ、庭の土を見ると相当湿っています。昨日降った雨で、夜中のものではなさそうです。ではどこからこの音が来るのか、しばらく考えて、紀ノ川の水嵩が増えて堤防一杯に近い状態で流れているために聞こえてくるのではないかと思ったのです。

 

少し早めに事務所に向かい、堤防添いを走る河南道路に入ってみたのですが、いつもよりは相当水量が多いのですが、一段上の河川敷にはまだ余裕のある状態で、とても氾濫するような危険な状態ではありません。そういえば音も聞こえません。ではあの音は一体何だったんだろう。音に対する感受性の鈍さを改めて感じてしまいました。

 

昨日はDNA型鑑定について少し触れましたが、いまある事件で、ある人物の署名とされた筆跡が誰によって書かれたものかを多くの文書、それぞれについて検討する作業を合間合間にやっています。それで少し筆跡鑑定というか、筆跡について考えてみたいと思うのです。

 

 

私はこれまで筆跡鑑定士による鑑定書をなんどか作成してもらい、その結果、訴訟に勝利をもたらす重要な要素となったケースがあります。そういうこともありますが、筆跡は日頃から気にしています。というのは、私自身の筆跡を経験的に見ていて、同一性が自分で判断できるものとそうでないものとがあるのです。筆跡は人柄を表すとも言われることがありますが、私の場合どうも安定していないと思うのです。

 

まず、書き道具で当然変わりますね。昔は万年筆が中心でしたが、この万年筆もものによって違ってきます。割と気に入っていたモンブランだとこんな感じ、時々使うパーカーだとあんな漢字と、相当数もっていたので、それぞれで微妙に違ってくるのです。よくいうハネがるかどうかとか、右上がりか左下がりかとか、それもそのときによって違いますね。いまは万年筆はどこかにしまってあって何十年も使っておらず、もっぱらボールペンです。これも100円くらいのものから1万円近いものまでありますが、普通は前者。でも一本一本微妙に感触が違い、現れる文字も違うのです。

 

あと道具と言えば、毛筆ですね。下手の横好きで、毛筆をしばらく独学で学んできたのですが、結局、まったくだめで、長続きせず、それでも拙い文字を書いて裁判所に郵送するときに宛名書きにします。最近のラベルや印刷もいいのですが、練習するのにちょうどいいと毛筆で書いています。これがまた違うのですね。

 

でもこういった道具の違いは、文字に現れてもたいした差ではないですね。むろん筆跡鑑定などでは簡単に同一性・異同性が判別されるでしょう。

 

むしろ書く媒体ですね。そしてその媒体が置かれている下の材質が大きく影響するように思うのです。同じような紙でもやはり下の材質によっては、文字が違ってくるのです。おそらく私は軽く握っていることも関係するのでしょう。相当異なるイメージの文字になります。一見すると同一人物の文字とは思えないと感じます。

 

複写式のカーボン用紙などもそうですね。別の紙に書いた文字とは大いに異なる印象を与えます。筆跡鑑定士が識別の基準に、文字の全体、一部の方角とか、肉厚とか、いろいろ検討しますが、どうもそれでは判別できないのではないかと自分の文字に関して感ずることが少なくないのです。これが一般化できるかどうかは他の人がどの程度、そのような違いを示すのかあまり多くを検討したことがないので、なんともいえません。

 

ただ、事件で暑かった限りの筆跡だと、年齢による違い、老齢化・認知症などによる違い、メモ的に書いた場合と丁寧に書いた場合との違いとか、一般に想定されるような違いは、個人の筆跡鑑定ではさほど悩むことはないと思われます。それにもかかわらず、私の筆跡はほんとに同定できるかしらと時折感じるのです。

 

むろん丁寧に書いたときは、大きな違いがあっても、基本の骨格的な部分にはほぼ同一性が簡単に見つかるように思いますので、自筆の遺言書も識別は用意だと思っています。

 

上記に述べた以外に、感情的な起伏があるとき、筆跡に現れて、かなり文字の外形に違いがでてくるようにも思います。

 

さて長々と自分の筆跡に関する雑な感想を述べてきましたが、それはこれまでの筆跡鑑定がどこまで合理性を担保してきたかについて疑念をもっているからです。

 

そして最近のIT技術などの進展がどうかを見たくなり、ちょっと古いウェブ情報ですが、<最新の筆跡鑑定ソフト 運筆状況や字画形態を数値化して比較>というのを見つけて、どんなものだろうと興味をもったのです。

 

記事では<話題の映画やドラマの監修も務める日本最大の民間鑑定会社「法科学鑑定研究所」を取材した。ここでは筆跡鑑定の最新事情を紹介する。>とのこと。

 

<ここでの主役はコンピュータだ。専用に開発された筆跡鑑定ソフトで文書を読み取り、一文字ごとに運筆状況や字画の形態を数値化して比較するのだ。しかし、字を似せて書けば、コンピュータも騙されるのではないかという疑問が湧く。

「人によって、書くたびに字の形が異なる、ブレの大きい字があり、そのブレも数値化されます。字を似せて書くと、ブレがなくなってしまうので、偽造だとわかります」(法科学鑑定研究所・三崎揮市氏)>

 

やはり私のように、文字の形が一様ではない人も少なくないわけですね。それがブレをも数値化することで、逆に、字を似せて書くと(これもよくあることですね)、偽造と判別できると言うことでしょうか。

 

ただ、この記事の説明だけでは、なんともPC能力がよくわかりません。DNA型鑑定に技術進化があるように、初期段階はかなり杜撰でしょうし、手法が拙いと合理的な解析データが生まれない可能性もありますね。

 

別の筆跡鑑定の情報<筆跡のマクロ撮影・デジタル補正>はアナログの発展段階のようにも思えて、説明自体はわかりやすい印象です。

 

マクロ撮影の技術力が優れていればデジタル化して有効な情報がとれるというのはわかりやすいですね。

 

<筆圧、筆順、等の運筆状況を確認する為には、原本の証拠そのものをデジタル化する必要があります。一度高解像度でデジタル化した筆跡データは加工や保存形式を「jpeg」等の、非可逆圧縮に変更しない限り劣化する事が無いため、デジタルデータに変換した画像処理の高い専門知識が筆跡の鑑定にも役に立っています。>

 

ただ、デジタル化したからといって、それによって一定の法則性をどのようにしてデジタル情報から解析するのか、そのあたりもどこまでこの分野で確立しているのか気になるところです。

 

筆跡鑑定が元々捜査手段として閉鎖的なレベルで活用されてきたきらいがあるように思うのです。より公開の議論でデジタル情報などを合理的な基準で人の識別情報になり得ることを科学的に確立する必要があるようにおもうのですが、私が知らないところでもう大丈夫という風にいえる状況でしょうか。

 

こう私が愚見を披露するのは、これまで筆跡鑑定となると、双方異なる鑑定士による鑑定結果を出し合い、それぞれの議論に必ずしも普遍的な合理性を見いだすことが容易でないことを感じているからです。

 

最後に<近未来の筆跡鑑定①>を取り上げたいと思います。ま、これは最近は情報自体がデジタル化している中で、そのデジタル情報の内容から作成者の同定を判断しようというものでしょうか。う・・・ん、こうなると、本日のテーマから離れすぎてしまうことになりました。ただ、ここで指摘されている文章の内容というか、特徴とかから本人を識別するというやり方は、筆跡鑑定士は通常行わないと思いますが、弁護士の場合は当然のこととして議論の中核に据えていますね。その人の人格と異なる文章表現とか、いろいろありますね。

 

さてそろそろ一時間です。今日はこのへんで終わりとします。


DNA型情報の取り扱い <超高精度、DNA型鑑定 作為や先入観の排除が課題>を読んで

2017-07-27 | 科学技術

170727 DNA型情報の取り扱い <超高精度、DNA型鑑定 作為や先入観の排除が課題>を読んで

 

日本各地で豪雨が頻繁に起こっていますね。当地でもついに雷豪雨警報がさきほどでました。それも私が出かけた直後でした。わずかな距離でした傘を持っていなかったので、ずぶ濡れとまではいかなくても、豪雨の一端に出会いました。

 

ともかく仕事がなかなかスムーズに進まないため、今日もその事務処理に追われて次の仕事ができないまま、もうすぐ5時になろうとしています。夕方から会議なので、簡単にでもブログを仕上げようと、テーマを考えていました。

 

仕事で経験はありませんが、<科学の森超高精度、DNA型鑑定 作為や先入観の排除が課題>は長い間自白中心の捜査のあり方が問題にされる一方、科学的、客観的な裏付けに基づく捜査が求められてきた中、まさにエース級存在として、最近脚光を浴びているようにも思えるこのDNA型鑑定について、その功罪を取り上げているので、簡潔に後30分程度で書き上げようかと思っています。

 

まず荒川涼子記者は、<捜査現場や刑事裁判で活用されているDNA型鑑定。最近では容疑者特定とは反対に、冤罪(えんざい)の救済に役立てようとの動きが広がる。ただ、鑑定の精度は高く「究極の証拠」と言われる一方、使い方次第ではもろ刃の剣にもなり得る。>とそのポイントを要約しています。

 

そして<DNA型鑑定はどのような仕組みなのか。>について、<人の体細胞には遺伝情報を含む染色体があり、デオキシリボ核酸(DNA)と呼ばれる物質で構成されている。DNAは二重らせんの形状で、DNAを構成する4種類の「塩基」約60億個が二つずつの対になって並んでいる。この並び順を比較して個人を識別する。DNAは容疑者が残したたばこの吸い殻や封筒の切手についた唾液のほか、皮膚片、毛根、血液などから採取できる。>というのです。

 

ここからが問題の一つが取り上げられます。<だが事件現場に残されるDNAの保存状態は必ずしも良くなく、鑑定できない場合もある。限られたDNA型を効率よく分析するために開発されたのが、ショート・タンデム・リピート(STR)型検査法という方法だ。塩基が200~400個になった断片的なDNAでも鑑定可能だ。

 少ないDNAを増やすポリメラーゼ連鎖反応(PCR)法という方法も活用されている。DNA溶液を加熱すると、二重らせんが解けて1本ずつの鎖に分かれる。それを特殊な酵素と反応させ、分かれた1本鎖を基に、対になる鎖の部分を繰り返し複製し、数十万倍に増幅できるとされる。>

 

以前であれば、わずかなDNAの残存だと鑑定できなかったのが、最近の技術開発で上記の通り鑑定が容易になり、最近では、<足利事件(90年)や、東京電力女性社員殺害事件(97年)>、<1966年、一家4人が殺害された袴田事件>も再鑑定により従来の鑑定結果が覆っています。

 

しかし、DNA型鑑定が万能かといえば、それは一定の限界があると言うべきでしょう。

記事では<しかし、鑑定結果が決定的な証拠となりやすいため、都合に合わせて捜査や裁判に利用したりしなかったり、人間の作為が入り込むことが課題となっている。>と作為的な操作を問題にしています。

 

 その結果えん罪事件が発生しています。<鹿児島地裁で問われた12年の強姦(ごうかん)事件では、鹿児島県警はDNAを採取したが、微量で正確に鑑定できないとした。1審で男性が別の証拠から実刑判決を受けたが、控訴審段階で行った鑑定でDNA型が別人のものと判明した。県警が残りのDNA溶液や鑑定メモを捨てていたことも分かり、男性を有罪にするために意図的に鑑定結果を隠したとの疑いが浮上。男性は16年に逆転無罪判決を受けた。>

 

それだけではありません。<東邦大の黒崎久仁彦教授(法医学)は「一般に鑑定を過信するのは禁物だ」とも指摘する。試料に異物が混じったり、手法を間違ったりすれば誤った結果が出る可能性もある。>人間が結局、実施するわけで、その方法が検証可能で、科学的に合理性を担保しているか常に問われるでしょう。

 

そして結果について評価するというのが鑑定ですが、まさに人の判断に関わることで、そこに問題が生じうるわけですね。<正しい手法で結果を導いても、型が容疑者と一致するかしないか人間が評価するため、先入観などで判断を誤る余地もある。救済センター副代表で、甲南大の笹倉香奈教授(刑事訴訟法)は「鑑定結果は客観的で公正、完璧だとは限らない。手法は適切か、結果は正しく評価されているかを検証する中立的な組織が必要だ」と訴える。>というのは当然でしょう。

 

で、ここまでが前置きです。

 

実はこの記事を見たとき、先月の「日弁連委員会ニュース」の中にあった記事を思い出したのです。タイトルは「DNA採取は拒否できる?」というものです。人権擁護委員会第二部会特別委嘱委員の小関員氏が投稿したものです。

 

上記記事では、捜査側が犯行現場に残されたDNA資料の取り扱いを問題にしていますが、実はそれ以外の場面で、いま急速にDNA型資料の収集が「任意」という形で捜査側によって行われ、ビッグデータの一つになりつつあるようです。

 

小島氏によると、<警察庁は、2005826日から、事件現場の遺留物や容疑者本人から得たDNA型情報を各都道府県警が警察庁に送り、警察庁でデータの整理や保管を一括 して行うというデータベースシステムの運用を開始しています。>とのことです。この制度は、「DNA型記録 取扱規則(国家公安委員会規則)」など法令に基づかない運用で行われているとのこと。

 

ところで、DNA型情報については、小島氏によると<最新のDNA研究では、 これまで遺伝情報とは関係がないとされていた部分にも病気などの遺伝情報が含まれていることが明 かとなっており、データベース に登録される DNA型情報が単なる数字の羅列であり、遺伝情報とは関係がないといえるのか、という疑問が提起されています。したがって、遺伝情報とは関係がない部分としてデータベースに登録された DNA型情報にも遺伝情報が含まれている可能性が否定できないのです。また、 DNA型情報には親子や兄弟姉妹、血縁についての情報も含まれているのであり、指紋と同等の個人情報であるとの評価は当たらず、より慎重な取扱いがなされるべきです。>

 

まいえば、一般の個人情報と言われているものと比べ、DNA型情報は個人その人以外の情報やその人自身も知らない病気などの情報も含まれていて、個人の判断で任意の求めに応じて提供できる性格ではないともいえるわけです。基本的には令状主義に則り、身体検査令状等によって法的手続きにより採取すべきと言うのです。

 

興味ある議論です。いずれにしても、捜査側も安易に提供を求めて同意をとって採取するという方法については、慎重に行われるべき事は確かでしょう。

 

ちょうど30分となりました。今日はこれでおしまいです。