たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

養育費支援と自治体の役割 <明石 養育費の受け取り保証>を読んで

2018-09-30 | 家族・親子

180930 養育費支援と自治体の役割 <明石 養育費の受け取り保証>を読んで

 

台風24号の猛威が当地にも及んできたかのように、雨風も強まってきました。ま、まだそれほど強いものではないですが、ニュースでは四国が暴風に襲われています。紀伊半島も間もなくでしょうか。

 

すでに今日のブログは終わったのですが、少し気になっていた毎日記事があり、ウェブ上で見つかったので、紹介しておこうかと思います。

 

昨夕の記事で<兵庫・明石 養育費の受け取り保証 11月からモデル事業>というものです。これまで養育費について日弁連の新算定基準を紹介したりしてきましたが、問題はいくら算定基準額が上がってきても、それが履行されないと絵に描いた餅になるという点でした。

 

そこに明石市がメスを入れたのです。これは素晴らしいことなので、紹介したいと思います。

 

<兵庫県明石市は11月から、ひとり親世帯の子育てを支援するため、養育費の受け取りを保証するモデル事業を始める。離婚の相手方とあらかじめ決めた養育費が未払いになっても、年間で60万円を上限に受け取れる。>

 

自治体が受け取りの保証をするとは驚きですが、全国初だそうです。外国ではさまざまな履行確保制度が充実していて、わが国のその点の遅れは、子育てと仕事を両立しようとするシングルマザーにとっては厳しい現実となっていました。

 

ただ、<1年間の実施後、本格的な導入の可否を検討する。>ということで試験運行ということのようですが、ぜひ持続的な事業化を実現して、全国的な運用の先駆けになってほしいものです。

 

養育費受け取り保証制度の内容は次のように説明されています。

<制度の対象となるのは、離婚した際に、家庭裁判所の調停調書や公証役場の公正証書などで子供の養育費を決めている明石市民。1カ月分の養育費と同額の保証料(上限5万円)を、市が業務委託先の総合保証サービス会社に支払う。養育費が支払われない場合、会社が月額5万円を限度に、ひとり親世帯に立て替えた上で、支払い義務のある相手方から同額を債権として回収する。>

 

総合保証サービス会社が養育費を支払われない場合に、代わって立て替え支払い、その債権に基づき相手方に直接請求して回収するという制度ですね。これは画期的な内容で、これにより離婚で一人で子育てする母親(ま、父親の場合もゼロではないでしょうが・・・)にとっては恵みの雨ですね。これで若い人たちが明石市を住居として選ぶことも考えられますし、また、他の自治体に移ろうかと思っていた人も住み続けることになるかもしれません。

 

ただ<市の今年度予算は90万円>ということですから、いくら会社が債権回収を行っても、結構予算的には厳しいという印象です。とはいえ最初は厳しくてもその成果が上がれば、より持続性のある事業となるでしょうと期待したいです。

 

<厚生労働省の調査(2016年度)によると、母子世帯の場合、離婚した父親からの養育費は、受けたことがない56%▽受けたことがある15.5%▽現在も受けている24.3%--となっている。市は「養育費の必要性は高い。官民の連携で子どもの健全育成を進めたい」としている。【浜本年弘】>

 

この養育費支払いの実態、それを放置している司法・行政・立法、それぞれが責任を感じないといけないことでしょう。

 

明石市はこれまでも<養育費確保に向けた支援策の実施について>など、さまざまな支援措置をとってきたようですね、市長が女性弁護士ですが、これからも注目したいです。

 

今後は他の自治体、国が本格的に養育費支払い確保の問題に向き合うことを望みたいです。

 

今日はこれでおしまい。また明日。


国際結婚破綻と子の扱い <ハーグ条約 子の引き渡し実効性強化>を読みながら

2018-06-27 | 家族・親子

180626 国際結婚破綻と子の扱い <ハーグ条約 子の引き渡し実効性強化>を読みながら

 

今日は今年初めて蒸し暑さを感じました。いえ、そんなことはないという声もあるとは思いますが、昨晩から今朝まで結構な蒸し暑さでした。普段は4時台か5時頃には目が覚めるのですが、6時を回っていました。まだ年寄りになりきれていないなと思ってしまいます。

 

ま、北斎先生からすると、70代、80代でもひよっこ同然?でしょうから、まだ60代でとどまっている私の場合はそれ以下です。若いというのか未熟というのか・・・ま、最近の世情では、少しでも若い方がいい、いや若く見えたらいいということですが、これまた変わった意識ですね。

 

それと同じようなことを少し感じるのは国際結婚の破綻をめぐる問題です。結婚自体は、日本人同士でも外国人とでも、十分に法令や社会規範を意識して、あるいは結婚後の生活などを予想してすることはあまりないでしょうね。そういうと失礼というか、私たちは違うという人もいるでしょうけど、それはそれでいいのです。

 

問題は、結婚が破綻したとき、生まれた子供はどうなるかについて十分検討していないことが多いように思うのです。

 

といっても、私自身、とくに離婚に関わるような家事事件は、当地にやってくるまで、友人の精通した弁護士に事件をお願いしていたので、基本的に関わってこなかったのですから、最近ビギナーから初めてある程度事件を取り扱うようになったくらいです。

 

ただ、東京で仕事をしているとき、事務所の後輩弁護士が離婚調停中に、夫が引き取っていた子供を母親が連れ去った事件を担当していて、事件の内容そのものは知りませんが、大変だな、私には向かないなと思ったくらいです。当時は企業法務を担当していたように思います。

 

また脇道にそれましたが、今日は、というか今日も簡単にまとめて7時前には事務所を出ようと思っていますので、このテーマを選んでいます。

 

昨夕の毎日記事<ハーグ条約子の引き渡し実効性強化 実施法見直し 法相方針>は、今後国際結婚・破綻した当事者にとっては大きな変化になるように思います。いや、場合によっては国内での日本人同士の婚姻・離婚を取り扱う実務にも影響を与えるかもしれません。

 

記事は<上川陽子法相は26日の閣議後記者会見で、国際結婚の破綻により一方の親が無断で母国へ連れ帰った子の扱いなどを定めた「ハーグ条約」について、国内の実施法を見直す方針を示した。日本は2014年に加盟したが、日本に子を連れ帰った親が引き渡しを拒む事例が相次ぎ、実効性が疑問視されている。法制審議会(法相の諮問機関)の民事執行法部会は、月内にも返還の強制執行手続きの見直し試案をとりまとめ、今秋の答申を目指す。【和田武士】>とハーグ条約に適合するように国内法を整備しようとする動きを報じています。

 

これまでもなんども議論されてきたと思いますので、まだ簡単に方向性が固まったとは思えませんが、国際的な潮流というべきか、ハーグ条約の趣旨に沿うことが求められるのはやむを得ないかもしれません。

 

ハーグ条約の解説では<正式名称は「国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約」。主に国際結婚で破綻したケースが想定されているが、同じ国籍の夫婦にも適用される。残された方の親が子の返還を求めた場合、相手国の裁判所が元の国に戻すかどうか判断する。また、海外に連れ出された子との面会を求めた場合、相手国の支援を受けられる。>

 

<条約は、一方の親が断りなく16歳未満の子を国外に連れ出した場合、残された親の求めに応じて原則として子を元の国に戻さなければならないとしている。元の国に住む親から子を帰すよう申し立てを受けた裁判所が可否を判断する。>

 

ここには男性・女性の区別はありません。実際は、女性が国外に連れ出すケースが多いのではないでしょうか。母親の場合とくに子供が幼いと自分が育てる意識が強いでしょうし、子供も母親により親しむというか居心地がいいと感じるのではと思うのではないかと考えます。というのはわが国の常識であっても国際的に通用するかどうかですね。

 

いや、わが国でも最近は男性側も単に昔ながらの家を継ぐためといった意識から、子供を育てる意識が高まってきているように思えます。とはいえ、実務上は、一定の年齢以下だとよほどでないと父親に親権が付与されることはない、あるいは少ないという印象です。

 

しかし、海外の多くの先進国では共働きが普通で、ともに育てる意識が高いのですから、母親がとくに優れているといった観念はあまりないのではという印象です(これは別に調べたわけではありませんので)。

 

海外で結婚して破綻した後、帰国する際子供を連れて帰るということは、国内での離婚の事例では普通であっても、ハーブ条約というか国際法の世界では許容されないわけです。

 

その裁判所の判断は原則的に元の国戻すということですが、多くは素直に従わないですね。そのときの引き渡しの実効性をより強化しようと言うことです。

 

<その判断に従うことなく引き渡しに応じない場合は、制裁金が科される「間接強制」を経て、裁判所の執行官が子の居場所を訪ねて親に引き渡しを求める「代替執行」を行う。ただ、子を力ずくで引き離すことや、同居する親がいない場所で子を連れ戻すことはできない。>

 

ところが、これまでのわが国の実情は、国内離婚実務に影響してか、代替執行といった方法はなかなかとらないわけですね。それがハーグ条約の義務「不履行国」という不名誉な評価を受けたので、対応に取り組んでいるわけです。

 

<法制審の民事執行法部会の試案は、(1)間接強制の手続きを原則、不要とする(2)子の返還を求めている親が立ち会えば、同居する親と子が一緒にいなくても代替執行ができる--との方向で検討されている。>

 

しかし、わが国の子供の引き渡しについてはそのような強制執行手続を規定した法律がないので、実務の世界ではなかなかうまくいかないというのでしょう。

 

<そのため試案には、ハーグ条約の国内実施法の見直しと同様の強制執行手続きの規定を盛り込む方針。>

 

こうなると、国際結婚の破綻と言った海外事案だけでなく、国内破綻でも、実家に連れて行った子供の引き渡し問題がクローズアップしてくる可能性が増えるでしょうね。

 

夫婦・子供が住む自宅から、いずれかが子供を他方に無断で連れて実家かどこかに住むということは、他方にDVがあるとか連れ出すことに合理的な理由があれば別ですが、そうでないと引き渡しを求められる可能性が高くなるかもしれません。

 

わが国ではまだそういう状況にはないと思いつつ、いずれはそうなるかもしれないとふと思った次第です。

 

今日はこれにておしまい。また明日。


お金の管理 <家族間と企業における財産管理をちょっと考えてみる>

2018-06-20 | 家族・親子

1808620 お金の管理 <家族間と企業における財産管理をちょっと考えてみる>

 

今日は久しぶりの市役所での法律相談を担当しました。雨の降り方が激しいので、今日は結構キャンセルが多いと思っていたら、連続で次々とやってきました。見事に外れました。担当者の話だと、最近はいつも予定が満杯になるそうです。それに比べて弁護士会の有料法律相談だと激減して、時々予約がないということで担当日がキャンセルになる逆転現象が起こっています。

 

わたしが横須賀で仕事をしているときは、毎月県、横浜市、横須賀市、三浦市などの行政主催の法律相談で毎月数件というか毎週に近いくらいあったように思います。ところが、和歌山に移ってからは当初は毎月か隔月に一回くらいありましたが、最近は年何回くらいに減っています。弁護士の数が激増したからでしょうかね。あるいはネットで調べればだいたいわかることが多いということで相談しなくて済むようになった?とまではいえないのでしょうね。

 

ともかく、今日も忙しく法律相談に応じましたが、いつもあるのが金銭にまつわる相談です。企業の相談というのは市役所主催ですからありませんが、個人の場合、家族間ですね。とりわけ親の面倒を見た子がいた場合に、その親が亡くなった後、親の財産が思ったより残っていないということで、それをめぐってきょうだい間でトラブルになることが少なくないのです。

 

たいていは金銭管理について記録として残していないことが問題になります。預金取引の明細は最低でも5年間は残っていますので、入出金の一部は明らかになりますが、誰のために何に使ったかまではわかりません。そこから推測や憶測、妄想?まで入って、問題になることが少なくないのです。

 

ご本人が使っている場合は、所得税の確定申告でもしていれば別でしょうけど、その金銭出納帳のようなものは書きませんね。家計簿もさまざまなソフトがでてきているようですが、たいていは長続きしないようです。それはご本人であれば、当然でしょうし、それでいいのではないかと思うのです。しかし、これが家族といえども本人以外が管理するとなれば、別ですね。

 

やはり紛争を避けるため、あるいは公私混同を疑われないためにも、李下に冠を正さずのごとくに振る舞い、財産管理の記録は将来の紛争を回避したり、少なくするためにも必要かと思うのです。

 

こんな話をしたのは、このブログを書き始めた7時過ぎまで、法律相談をはさんで、その金銭管理に関わる作業をして疲れ果てたことから、ついこのことに言及してしまったのです。昨夜のサッカーワールドカップ・ロシア大会での、日本代表の快挙?を取り上げるほうがよっぽど面白いと思いますが、私が言及するまでもないので、これは外すことにしました。

 

さて、私が難渋したのは、家族間で本人以外の者が本人の財産を管理しているとき、多額の預金を引き出し、大半が使途不明となっている事案です。その人に何に使ったか、その使い道を裏付ける領収書その他代替する資料の提出を求めたところ、それがすごいのです。最初は段ボールを持参して、いろいろ雑多な資料が乱雑に入っている状況で、領収書等を探そうとするものですから、きちんと整理して使途明細を明らかにしてもらいたいと依頼して、再度来所してもらいました。

 

すると今度はたしかに使途明細が明らかにされ、また、領収書が白紙に貼付された状態で提出されました。やればできると思ったのですが、それは勘違いでした。使途明細はいい加減ですし、領収書は、押印のないもの、途中でカットして支払先も年月日もわからないもの、途中で継ぎ足された借用書など、その内容に驚くばかりでした。

 

昔、映画“Class Action”で、自動車事故により重傷を負った依頼人のためにメーカーを相手に車両欠陥を理由に起こされた訴訟がテーマとなって、原告側が有利な証拠得るため、大企業がもつ証拠の開示請求という有効な戦略を使うのですが、大企業側は有利な証拠を隠すために、見つからないように大量の段ボール箱に入った資料を原告代理人に送りつける場面があり、これはたしかburyという業界用語を使っていたかと思います。

 

なぜこの映画のメーカーの戦略を思い出したかというと、問題の相手は、まさに領収書を出しておきながら、上記のような工作をしたばかりか、年月日があるものもばらばらで、適当に貼り付けたりしているものですから、また、原本と写しを別のところに並べて貼り付けているものですから、一見すると、合計金額が相当な額になるのですが、ま、本当に工作する意図だったのか、あるいはいい加減な人だったのか、判断しかねますが、こちらは頭を抱えてしまいました。

 

とにかくすべての領収書(反対に張られたり、横に張られたり、欠けていたりと、それぞれ特徴のあるものです)にナンバーを振って、年月日順に並べて使途や支払先などを記載した一覧表にして、整理しました。言葉では簡単なのですが、時間がかかってしまいました。

 

相手はこちらをこまらせようとしているのかはわかりませんが、こまったものだと思いつつ、気長につきあうしかないかなと諦念の気持ちでようやく整理を終えたのでした。

 

ということで疲れましたから,この辺でおしまいとします。企業の財産管理に振れるつもりが力尽き、一時間という切りのいい頃合いとなりましたので、それは別の機会とします。

また明日。


家事は舵取りが必要 <「名もなき家事」の不満 夫も家庭運営を>を読みながら

2018-06-06 | 家族・親子

180606 家事は舵取りが必要 <「名もなき家事」の不満 夫も家庭運営を>を読みながら

 

今日もいろいろな用事をしていると、いつの間にか業務終了時間になっています。さてブログはと話題は浮かばず、ふと不比等について少し書いてみようかと頭の中で構想を練ろうとしたのですが、ちょっと考えただけでなかなか見えてきません。

 

少しだけ着想の一旦を書いておいて、いつか中身が熟してきたら書いてみようかと思います。不比等という人物は、藤原家という日本最大の長期政権?を最初に作り上げた人物ではないでしょうか。その不比等の生涯のうち、20代前半くらいまではほとんどわかっていませんね。小説的には面白い部分で、この辺のストーリーはいくつか波瀾万丈の一端を展開するものがあり、そこに踏み込むのも面白いと思っています。

 

私は彼が低級官吏の地位にあったとき、どのようにして右大臣まで上り詰めたかの出発点に着目したいと思うと同時に、その家族形成をどのようにしてすすめ、その家族関係はどうだったのかを掘り下げると面白いかなと思ったりしています。

 

父親は中臣鎌足といわれたり、天智天皇皇胤説もあったりで、やはり生まれから不思議ですが、やはりこの両名が倒した蘇我氏との関係がとても不思議に感じるのです。

 

最初の妻は、蘇我連子の娘、蘇我娼子というのですから、いわば敵方に属する家系の娘を政略結婚で嫁にしたともいえるかもしれません。連子は馬子の孫で、蝦夷・入鹿親子と伯父・従兄弟の関係ですね。むろん蘇我本家は一人頂点にあって、他は反発があったとも言われていますから、天智・鎌足と完全に敵対関係にあったかはわかりません。とはいえ、蘇我家の娘を、それも当時没落気味の連子の娘をもらったのはどうしてでしょう。

 

当時天武天皇の皇后は一応夫婦仲はよかったといわれていますが、馬子の子で蝦夷の弟・倉山田石川麻呂の孫ですから、そういった蘇我一族に連なることを頭に入れていたのかもしれないと思うのです。不比等は。そうでないと、天武天皇死亡後の空白の期間、その後の持統天皇擁立という流れをつくる立役者になれなかったのではと思うのです。

 

ただ、不比等が娼子を政略のためにだけ妻にしたかというと、長男武智麻呂、次男房前、三男宇合と藤原4兄弟という大黒柱の3人まで生んで、かれらを朝堂の中心に据えるといったことからすれば、結構愛情深い関係であったのかなとも思うのです。このあたりはさらに複雑な女性関係を含めていつか整理してみたいと思うのです。

 

で、不比等は家庭人であったかというのがここでのテーマで、私は肯定的に考えています。おそらく長く不遇の人生を歩み、ほぼ孤独の生活を送る中で、家族愛・親子愛に植えていたのではないかと考えるのです。長女宮子を文武天皇の夫人にさせ、聖武天皇を生ませただけでなく、妹を光明皇后として人間愛あふれる慈母のような子に育て上げていることに私はとても不比等の深く・強い愛情を感じるのです。

 

余談はこの程度にして毎日昨夕の記事<特集ワイドゴミ分類、献立作り……やるのはいつも妻!? 「名もなき家事」の不満 夫も家庭運営を>を基に、家事論を少し考えてみたいと思います。

 

「名もない家事」という見方自体に違和感が少しあります。だいたい家事と仕事を選別することもどうかと思いつつ、実態がそうであることを無視することもできません。しかし、家事も仕事も、すべて大事なことです。家事をおろそかにするような人間は仕事も満足にできるとは思えません。

 

それを女性が家事を、男性は仕事をといった硬直した見方には疑問があります。脱炭素社会がパラダイムチェンジを要求しているのですから、仕事も生活も、全面的にこの観点で見直されないといけないことでしょう。

 

そのとき舵取りをするのは、妻とか夫とか、子とか、といった基準で誰かに任すというのではなく、すべてが意識を持ってそれぞれの役割を担う必要があると思うのです。

 

廃棄物の分類などはもちろん、いかに脱炭素社会にするか、あるいはプラスチックの排出抑制を図るかということになると、生活の全要素が対象となり、それは一人で解決できないことであることは間違いないのです。不比等が家族全員で体制構築を図った以上に、個々の家庭で脱炭素革命を実践的に担う意識改革と行動が必要でしょう。

 

ロジスティクスをどう考えるかも重要ですが、より求められるのはフード・マイレージ (food mileage)とか、脱炭素社会に向かうためのそれぞれの家庭での明確なメジャーを打ち立て、実践することではないでしょうか。そのときだれかが家事を主として担うなんて話は通用するはずがないと思うのです。こんなことを言うと、実態をわかっていないとの声が聞こえてきそうですが、世の中、事情変われば、意識も変わるのが自然です。

 

家づくり一つとっても、同じ事でしょう。そういう意識が一人ひとりに生まれれば、子供は社会に出ても、詐欺商法や消費者被害に遭わないだけの力量を自然に培うことができるでしょう。夫婦は自然に相互理解が生まれ、私は作る人、私は食べる人といった、どこかのCMに使われてきたような文脈から抜け出て、自由な個々と家庭を形成できるのではと夢物語のような考えをもっています。

 

ちょうど一時間になりそうです。また明日。

 


親と子 <30歳の息子の自立望む両親、自宅退去訴訟で勝訴>を読みながら

2018-05-24 | 家族・親子

180524 親と子 <30歳の息子の自立望む両親、自宅退去訴訟で勝訴>を読みながら

 

フェニックスという名前は、アメフトの放映をあまり見ない私でも、昔から記憶に残っています。たぶん日大がとっても強かった時代のイメージが強烈だったのでしょうか。最近起こった日大選手による相手の関学QBに対する悪質危険行為をめぐる騒動でわかったのですが、長い冬の時代が続いていたのですね。

 

ここ最近のこの問題に対する報道についてはとくにコメントするつもりはありません。日大の対応にあきれるばかりなので、その危機管理能力のなさ、関係者の言動の粗雑さ、誠意のなさにコメントする気にもなれません。むろん一方的非難をするだけの材料をもっているわけではありませんが、動画放映と記者会見等を見る限りの話です。

 

ただ、ちょっと脱線するかもしれませんが、この騒動を見ていて、親子、監督と選手といったものについて少し考えさせられました。被害者の父親が記者会見して、強く日大側の責任を追及していました。被害選手はまだ未成年なのでしょうかね。加害選手は3年生ということですから、成年であることは確かでしょう。原稿があり、弁護士も関与していたとはいえ、一人で堂々と記者会見し、記者の質問にも答えていましたね。

 

日本では学生といえば、成人してもたいてい大目に見るというか、親が子を代弁することが自然に受け止められる傾向があるように思えます。社会人になるまで、経済的に親がかりという従来の社会構造だと、なんとなく理解できなくもないですが、いまは相当様相が変わってきて、親の経済的支援が受けられず、奨学金で大学に通う人の割合も相当高くなっているのではと思うのです。

 

それでも全体的には学生は社会的には未熟と理解されていないか、そんなことを日大問題で感じました。大学スポーツの監督、コーチ、選手のあり方においても、あくまで選手は擁護され、教育を受ける立場として捉えていますが、それでよいのか気になりました。

 

むろん日大のような、一方的指導で、選手とのコミュニケーションがほとんどないといったあり方自体、時代錯誤のやり方というか、古い時代であっても決して望まれる合理的なものではなかったと思います。

 

その意味では、青学の駅伝チームを率いる原監督のようなスタイル(これも中身をよくわかっているわけでないですが)に近い形、つまり選手の自主性・自律性の発揮をコミュニケーションを通じて養うことこそ肝要ではないかと思うのです。

 

それは家庭内の親子であっても同じではないかと考えます。私が一時学生を教えていた頃、その学生の意見(講義はディベート方式を基本としていました)について、厳しい指摘をしたところ、そのような批判を浴びた経験がなかったのか、色をなして憤慨しました。私は、法律はもちろん社会に起こるさまざまな出来事は意見の対立が当然のように生じ、その相手の違いを認めつつ、相互に意見交換することが大事だと思うのですが、それまでそういったことを親からも教師からも言われたことがなかったようでした。

 

大学の役目の一つとして、そういう異なる意見に対して、それを尊重しながらも自らの意見を醸成し、意見を述べ、相互に違いを理解し合い、あるいは意見の修正・変更を図ることも大切な場ではないかと思うのです。そのようなことも一つ自律する重要な要素になるのではと思っています。

 

その意味で、加害選手は、アメフト選手としては素晴らしい才能を持っているのでしょうけど、あの加害行為をしたときまでは、自立できないまま、成長してきたのではないかと懸念します。しかし、この事件を通じて、飛躍的に成長したのではないかと感じます。他方で、被害選手はどうでしょうか。たしかに父親の態度は正論でもあり、的確な言動が多かったとおもいます(会見の一部しか見ていないので正確ではないですが)。しかし、被害選手もまた自分の意見をいえるようになって欲しいと思うのは偏見でしょうかね。

 

たしかに大学スポーツであり、大学アメフトという組織同士の問題ともいえるので、組織間でこの問題に対処するというのはわかりますが、これほどルールを逸脱した行為が行われた場合、当事者の意思も尊重されて良いと思うのです。それはかれらの今後の成長にも重要な問題だと感じるからです。

 

これは飛躍かもしれませんが、このような大学、家庭の学生、子に対する対応が、社会的に当然視されている状況が、学生時代を終えて社会に入っても、自立できないままでいる子が相当数いることの要因の一つではないかと考えるのです。むろん、長い経済的不況期間があり、就職難であったともいえますが、発想を転換すれば、たとえば一次産業であればどこでもその時代でも受け皿は十分あったと思います。昔は日本に仕事がなければ、海外に仕事を求めていました。それだけの気力のある、自立心のある人が少なくなかったのでと思うのです。

 

さて取り上げた毎日記事に移ります。<世界の雑記帳 30歳の息子の自立望む両親、自宅退去訴訟で勝訴 米NY州>です。

 

私の北米における学生に対する意識は、自立心を培うような土壌で育っているように感じてきました。ロースクールの学生の場合、わが国の法科大学院だと講義日程が厳しいためか、アルバイトする余裕はないでしょうけど、私の知っているロースクールだと、結構アルバイトしながら講義を受けている人がいたという印象です。両親から経済的支援を受けていないのが普通という感じでした。それは経済的に裕福な両親がいても、そういう支援を受けることをよしとしない風習というのか、考え方があるように感じました。

 

それは大学でも同じように思いました。一旦、就職して一定の資金を貯め、あるいは専門知識を学ぶ意欲が生まれたとき、大学に進学するという人が少なくないからではないかと思うのです。これも州によって、大学によって傾向が違うのかもしれませんが。

 

それで、多くの親子の関係は、高校時代くらいまでは親が経済的支援をするけれども、それ以降は子が自立する生き方をするように思えるのです。ですから、大学を出て就職したがドロップアウトして、就職口がないとか、引きこもりで自活できないとかで、親の収入で暮らしている人は極めて少ないのではないかと思っています(移民とかは別かと思います)。

 

ところが、上記の記事は懸念する自体が裁判沙汰として現れています。

 

<米ニューヨーク州の夫妻が、家計にお金を入れず家事も手伝わない息子に自宅からの退去を求めて起こした裁判で、州裁判所が訴えを支持した。夫妻は、息子に仕事を見つけてほしいとしている。>

 

裁判に至る経緯については<裁判所の記録によると、夫妻は2月2日から5回にわたってロトンドさんに文書で退去通告を送付するなど、数カ月にわたって退去させようと試みた。

 一通には「話し合った結果、あなたは即刻この家から退去しなければならないと決定した。14日の猶予期間を与える。帰宅は許さない」と記述。別の通告には、求職や部屋探しのため1100ドル(約12万円)を与えると提案している。さらに、「あなたのような貧弱な職歴の人にも仕事はある。就職しなさい。あなたは働かなければならない」と記したものもあった。>とのこと。

 

非常に短期的なやりとりで、裁判もわずか4ヶ月の審理での結論ですね。

 

親が子に退去を求める裁判というのもすごいと思いますが、実際、北米の親子は少なくとも成人になるくらいで、別世帯となり、その後はずっと別々に暮らす方が普通ではないでしょうか。

 

両親も介護や世話を子に頼るといった気持ちをお持ちの人がいるといった話はあまり聞いたことがありません。それぞれ独立して生活をエンジョイする、しかし、クリスマスとか行事の時は家族全員が集まるといった風なクールな関係を作り上げているように思えるのです。

 

それがいいかどうかは別にして、私もそんな意識の持ち主の一人であることは確かです。

 

さてそろそろ一時間になりそうです。30分で終わらすつもりが脱線しすぎて長引きました。これにておしまい。また明日。