たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

都市問題の解決策は妥当か <建築基準法等の一部改正法律案>などを読みながら

2018-03-15 | 都市のあり方

180315 都市問題の解決策は妥当か <建築基準法等の一部改正法律案>などを読みながら

 

国交省はいま、森友学園事件の書き換え(ねつ造?)問題に絡んで、財務省理財局の傍らで、飛び火が来ないかと懸念している一部官僚がいそうな雰囲気もうかがえます。朝日報道の後、国交省がいち早く問題文書の写しを財務省に送ったようにも映ります。責任転嫁されないよう対応したのではないかと邪推してはいけませんが、つい外野はこぼしてしまいます。

 

ま、国交省としては、本来の課題を丁寧に解決していく問題が山のようにあるわけですから、国会にはきちんとした法案をできるだけ提出して、国会でその多くを審議成立してもらいたいと思っているでしょうね。

 

その一つが今日の日経アーキテクチャからのメール便にあった<建築基準法改正案、大規模火災対策を強化>であり、ついでに見つけた<新しい用途地域「田園住居地域」の規制内容>かもしれません。

 

改正法案は、いつもその背景・必要性があり、それに対処する内容であることが望ましいわけですが、こういったことについて丁寧に国会で議論を尽くされることを期待したいところです。でもそうなっているか、国民の多くは疑問をもっているように思います。私はその一人ですが。

 

日経の記事は<大規模火災対策を強化>を強調して取りあげていますが、私自身は既存建築ストックの活用や木造建築の推進により関心があります。

 

空き家問題は全国に広がっていて深刻です。他方で介護・福祉施設の建築は都市部では容易でないですね。その解決策となるかを内容から検討してみたいと思います。またわが国の山林の蓄積量は膨大で、伐期となっているものが放置され荒廃しています。建設用材としての利用が萎んでしまって需要が少なく、原木価格が下落する一方です。その解決策となり得るかを見てみたいと思います。

 

と同時に、都市緑地の活用策でしょうか、<「田園住居地域」>という新しい用途地区を四半世紀ぶりくらいでしょうか、新設する取組も興味深く感じています。

 

田園住居地域という名称は、他の用途地区名と比べ、異色で割合響きがいい感じですが、名称通りに内実が伴うか、少し検討してみたいと思います。

 

まず、建築基準法の一部改正案から取りあげてみようかと思います。国交省の36日発表の<「建築基準法の一部を改正する法律案」を閣議決定>によれば、大別すると3つの類型があります。

 

 (1) 建築物・市街地の安全性の確保

 (2)既存建築ストックの活用

  (3) 木造建築物の整備の推進

 

(1)  は<糸魚川市大規模火災(H28.12)や埼玉県三芳町倉庫火災(H29.2)などの大規模火災による甚大な被害の発生>を背景にしています。

 

たしかに大規模火災対策は、遅くとも昭和30年代後半から言われ続けてきたと思いますし、これまでも多くの改正により対策をとってきたと思いますし、都市再開発の多様な手法も加わって相当程度改善されてきたと思いますが、糸魚川市のような木造密集地は今なお全国に多数残っていると思います。それが今回の法改正でどの程度実効性があるものか法案概要ではさほど期待できないように感じています。

 

維持保全計画や既存不適格建築物の所有者等への指導勧告制度新設、延焼防止性能の高い建築物の建蔽率10%緩和で、具体的にどのくらい改善を見込んでいるのでしょう。私には、なぜ既存不適格建築物が多数残っているかについて、どのような実態調査が行われ、その中で所有者等(たいてい複雑な利用関係が背景にあります)の意識をどこまで把握できているのか、懸念します。だいたい10%の建蔽率緩和で建て替えが進むような状況がどの程度見込まれるのでしょうね。それにいくら延焼防止性能が高くても、たいていの課題対象地は密集しているのですから、ますます息苦しい状態になるように思います。はたして都市のあり方としてよろしいものか、その当たりの手当をどう配慮するのか、具体的な制度を見てみたいと思います。

 

(2)  は問題の空き家を解消し、福祉施設等に活用するという考え方はごもっともと思うのです。ただ、空き家で問題になっているような建築物の多くは、倒壊の危険や景観上問題があるような建築物だと思いますが、それはそのまま、あるいはリフォームで別の用途に利用できるような状態にはないと思われるのです。むろんこの制度では<戸建住宅等(延べ面積200㎡未満かつ3階建て以下)を他の用途とする場合に、在館者が迅速に避難できる措置を講じることを前提に、耐火建築物等とすることを不要とする>という緩和措置を提供することなので、一定のメリットがありますが、建築確認不要とするのが100㎡から200㎡に拡大しても(その程度では)、そのような活用が可能な建築物は極めて限られるように思われます。新築を規制するか、リフォーム利用を促進する制度を充実させないと、商業施設はもとより福祉施設としてもそのような活用は期待薄ではないでしょうか。

 

(3)  は木造建築物等に係わる制限の合理化と銘打っていますが、やはり抜本的な制度改革とまでは言いがたいように思うのです。

 

次のような対象の拡大は一歩前進ですが、やはり大規模はもとより中規模建築物でも耐火性に問題ありとの見方が強いと思われます。しかし、地域性や環境条件次第で、西欧のようにより柔軟に中規模・中高層レベルまで問題なしとすることを検討する時期にきているようにおもうのです。すでに集成材などでは高度な技術で構造材としての能力がアップしていることを踏まえた抜本的な改革を検討することを期待したいです。

 

[1]   耐火構造等とすべき木造建築物の対象の見直し(高さ13m・軒高9m →高さ16m超・階数4 以上)

 [2]   [1]の規制を受ける場合についても、木材をそのまま見せる(あらわし)等の耐火構造以外の構造を可能とするよう基準を見直し等

 

 

すでに一時間が経過してしまいましたが、もう一つの田園住居地域についても頑張ってみたいと思います。

 

「都市緑地法等の一部を改正する法律案」を閣議決定>で発表されたものは、言い尽くされた内容ですが、それでもその指摘は評価したいと思います。

その背景として<公園、緑地等のオープンスペースは、良好な景観や環境、にぎわいの創出等、潤いのある豊かな都市をつくる上で欠かせないものです。また、災害時の避難地としての役割も担っています。都市内の農地も、近年、住民が身近に自然に親しめる空間として評価が高まっています。>

 

そのために次の3つの類型で新たな制度を用意するというのです。

(1)  都市公園の再生・活性化(都市公園法及び都市開発資金の貸付けに関する法律関係)

(2)  緑地・広場の創出(都市緑地法関係)

(3)  都市農地の保全・活用(生産緑地法、都市計画法及び建築基準法関係)

 

(1)  は都市公園の活用ですね。さらに具体的な内容として次が上げられています。

 [1] 都市公園において保育所等の社会福祉施設の占用を可能とすること

 [2] 民間事業者による公共還元型の収益施設の設置管理制度の創設

 [3] [2]の制度に基づく施設整備への都市開発資金の貸付け

 [4] PFI事業に係る公園施設の設置管理許可期間の延伸(10年から30年に)

 [5] 公園運営に関する協議会の設置

 [6] 都市公園の維持修繕に関する技術的基準の策定

 

保育所等の使用を認めるというのはいいとしても、いずれも施設中心の考え方にこだわっているように思えるのです。もっと都市公園のあり方の多様性を検討してもらいたいと思うのですが、それはまた別の機会にでも少し掘り下げてみたいと思います。

 

(2)  は都市緑地の活用を促進しようというのでしょうか、次の3つが具体的な制度としてあげられています。

 [1] 市民緑地設置管理計画の認定制度の創設

 [2] 緑地保全・緑化推進法人(緑地管理機構からの名称変更)の指定権者の見直し(知事から市区町村長に)、指定対象の追加(まちづくり会社等)

 [3] 緑の基本計画の記載事項の拡充(都市公園の管理、都市農地の保全の方針)

 

ただ、誰のための制度かという切り口で、利用者サイドに立って、市民参加の手続きや公開性の担保とかにもう少し充実を図って欲しいと思うのですが、都市公園以上に都市緑地が活かされていないように思える現状の原因分析がどこまでされたのか注目したいと思っています。

 

(3)  は都市農地を対象にして、以下の4つの制度を準備しています。

 [1] 生産緑地地区の一律500㎡の面積要件の緩和(一律500㎡から条例で引下げ可能に)

 [2] 生産緑地地区内で直売所、農家レストラン等の設置を可能とすること

 [3] 生産緑地の買取り申出が可能となる始期の延期(30年経過後は10年ごとに延長可)

 [4] 田園住居地域の創設(用途地域の追加)

 

最後にようやく田園住居地域が出てきました。生産緑地の活用策を充実しようということでしょうが、なぜ農家がこの制度を十分に活用できていないか、このような制度で対応できるか、私にはあまり期待できない印象です。

 

とくに田園住居地域は、ネーミングはいいとしても、最も良好な住宅地として設定された第一種低層住居専用地域が、風致地区制度を兼ね併せていても、西欧の田園都市とは似て非なる状態のわが国では、大きな期待はむずかしいですね。その地区設定の条件自体、「田園」という命名に似つかわしい内容でないと、羊頭狗肉になりかねませんので、しっかりと吟味してもらいたいものです。

 

今日はこのへんでおしまい。また明日。


米企業と自治体の行方 <アマゾンの巨大化と疲弊するアメリカ各地の自治体の誘致合戦がもたらすその自治崩壊の懸念を考える>

2018-03-14 | 都市のあり方

180314 米企業と自治体の行方 <アマゾンの巨大化と疲弊するアメリカ各地の自治体の誘致合戦がもたらすその自治崩壊の懸念を考える>

 

今朝も朝日が高野の峰峰をシルエットにしながら東方から天空を青空に染めていきます。すぐそばの杉と檜の混交林?ごとき小さな林では、野鳥の声が元気です。ウグイスの軽やかな鳴き声がうれしいです。

 

最近ヒノキの梢に小さな野鳥が飛んできてはしばらくたたずみ、私がのろのろとその姿を見ようと100倍の倍率のあるビデオ機を持ち出そうともたついていると、ビデオを向けた瞬間いつも飛び去っていきます。私のメガネの度はPC用にも使えるように緩くしているため、あまり遠くは見えないのです。スズメよりは小さいのはわかるのですが、なんだろ。スズメ目アトリ科だろうとは思うのですが、色もくちばしも、さっぱりわかりません。

 

今朝ようやく概要を突き止めることができました。といっても安物のビデオで10年以上前のものですから、解像度はイマイチと機械のせいにして、完全な同定は次の機会にしたいと思います。

 

当初はノビタキだと思っていたのですが、嘴とお腹の色合いからみてアトリ科のおそろくカワラヒワかなと思うのですが、今回は久しぶりの高倍率でうまく調整ができず、作業中に、飛んで言ってしまいました。それでもアトリの特徴的な嘴だけは確認できましたので、もう少し顔から尾羽や腹部などの形・色をよく見極めたいと思います。40年近く前はバードウォッチャーとして?首都圏各地を飛び回っていたのですが、すっかり忘れてしまいました。

 

またまた前口上が長く伸びすぎてたるんでしまったベルトかソバのようになってしまいました。

 

今日は和歌山地裁まで出かけるのですが、京奈和高速が和歌山市まで接続するようになり、少し時間の余裕ができたのと、朝のニュースで少し驚きもありましたので、見出しのテーマでちょっと書いてみようかと思います。

 

NHKニュース おはよう日本>では、ウェブ情報としては<「おはBiz」は、アマゾンがアメリカで始めた新サービス「アマゾンGO」。レジを通さずに買い物できる”未来のコンビニ”を豊永キャスターが現地リポート>しか取りあげていませんが、これは私は見ていません。

 

私が見たのは、途中からですが、アマゾンが本拠地にしているシアトル市の土地価格がバブル的に急上昇し、家賃も倍々になっている状況です。アマゾンはウォールマートを買収?と提携?して直接販売事業に参入したほか、他事業にどんどん進出する状況で、社員の賃金も超右肩上がりのようです。その結果、私が見たのはあまり広くない部屋の家賃が月50万円余と東京都内より高い印象。あり得ない?!

 

私の知っているシアトルは、落ち着いた住みやすい都市として、全米でも長くトップクラスを維持していたと思いますし、とりわけ郊外住宅地は海と森に囲まれて風光明媚なところです。それに南部と違って、おそらく武器使用や携帯は市民の中では嫌悪感があるような印象で、安全な町でもあると思っていました。

 

ところが、この高家賃の結果、取材された中学教師は、年収400万円くらいの半分が家賃でなくなるということで、生活の危機に直面しているというのです。

 

さらにアマゾンの一人勝ちに近い独占的支配力が、第2の本拠地を物色し始めたところ、こんどは疲弊した全米各地の都市に過当競争を呼んでいるのです。ある都市は、8000億円の減税案を出すとか、さらには議会の議決権をアマゾンの許可を得て行使する、アマゾンと共同して市政運営を行う案とか、市の名前を変えてアマゾン市にするとか、極端な企業支配都市を演出しようとしているのです。

 

私もアマゾンのサービスを利用している一人として、アマゾンの市場戦略の巧みさを評価するものですが、アメリカが建国以来培養してきた市民自治(それは銃所持よりも重要と思っています)を奪うような状況は、アメリカという国の根本を脅かすことになると危惧します。

 

ついでにいえば、シアトル市は、日弁連のまちづくり調査で、936月に訪れ、ダウンタウンを中心とした都市計画を学ぶために、市の職員(実は担当は多くの弁護士で構成)、高層ビル計画を取り扱う法律事務所の担当弁護士などから、多くの有益な情報を得ることができました。そのときはもっぱらダウンタウンをもっぱら対象としてましたので、住宅地での厳格なゾーニング条例については学ぶチャンスがなく、その後カナダで長期に体験的に学びました。

 

90年代流行したCAP(Citizen' Alternative Plan)は、80年代に乱立した超高層科による外部不経済・環境悪化に対応するため、容積率・高度制限を課すものですが、他方で、公益的な利用が一定程度すれば緩和するという政策とのアメとムチの政策でもあったと思います。

 

当時日本では何百人といった弁護士を抱える法律事務所はなかったですが、アメリカではすでにそのような多くの弁護士で多様な専門分野に対応するチームで事案に取り組んでいました。プレゼンも事務所内の大会議室で、高層化の景観上の影響をビジュアルに軽減する内容や、公益的利用の内容を説明するものでした。

 

他方で、こういった高層ビルはほとんどすべてが環境アセスメントの対象となっていて、膨大な環境影響をチェックするようになっていて、それを法務部だったか、大勢の市役所所属弁護士が担当していました。

 

ちょっとまた脇道にそれましたが、こういったダウンタウンでの都市計画は特殊で複雑ですが、住宅地の都市計画は、居住者の利益を守るため、極めて保守的で、地域の自治を体現するものでした。むろん低層住宅地(これは場合によっては数10100以上に細分してゾーニングされています)で、高層化するようなことはゾーニングの変更ですから、議会の議決を必要としますし、公聴会での議論を経ないといけません。そういう都市自治は、市民自治によって確立していたと思われるのです。

 

それが一企業によって、公共投資やゾーニングという自治権の本質が歪められるおそれが生まれたとすると、とても危険な兆候です。それは強ければ良い、自分を支持する国民・団体の希望に添えば良いという、トランプ大統領の姿勢になにか通じるおそれも感じます。

 

だいたいツイッターで、最も重要なポストの一つ、国務長官を更迭するなんてことを平気で行う大統領がアメリカを、世界をリードしていく体制は、今後に不穏の影を漂わせているように感じるのは私だけではないでしょう。

 

トランプ政権を支えている株式市場、金融投資システム、ほんとうに大丈夫でしょうか。株価や不動産価格の上昇がほぼ止まらない傾向は、とてもいい兆しとは思えません。この一年でも学校での銃乱射事件は右肩上がりに上昇しています。精神の不安定にとどまらず社会全体の不安定を象徴してませんかね。

 

私たちは、便利になれば良い、欲望が達成されればいい、といった個々の自由・欲求をあまりにとらわれてきたのではないでしょうか。アマゾンは有益なサービスを提供してきたかもしれません。でも宅配便の従業員に過酷な労働を課してきたのも事実です。ようやくわが国では対策をとるようになりましたが、それは弥縫策にとどまっているように見えます。

 

わが国は元々、自治体の力が脆弱ですから、アマゾンのような企業が進出したら、どうなるかと思いつつ、侵されるほどの自治力もない、あるいは中央で守ってくれているので、大丈夫という見方もあるかもしれません。でもいまこそ逆に、自治体の力を発揮する時代ではと思うのです。

  


ドイツの魅力 <NHK旅するドイツ語で懐かしい人を発見>

2017-11-28 | 都市のあり方

171128 ドイツの魅力 <NHK旅するドイツ語で懐かしい人を発見>

 

そろそろ寝ようかと思いながら偶然、NHK2放送の画像が眼に入りました。登場人物に見たことのある女性が映っています。はてと見るとキャプチャーに「ラプシュ 麻衣」さんの名前が出ていました。

 

そう、10年前、日弁連の調査で、欧米を訪問した際、ドイツ・ミュンヘン調査で、通訳と事前準備をしていただいた魅力的な方でした。たしか当時は大学生でした。

 

もう一人ドイツ在住の有能な日本人通訳がいましたが、彼女もサポート的な役割を果たしてくれたのです。調査は欧米の都市計画の現状と市民団体の関与と言ったことが対象でしたので、普通の通訳ではなかなかコミュニケーションがとれない中、二人のマッチングでいい調査になりました。ミュンヘン市都市計画局のトップや地区で行政と協働して活動している団体の活動など、ドイツ特有の制度を理解していないと通訳が困難でしたので、ほんとに助かりました。

 

とりわけ麻衣さんの笑顔と巧みな日本語、さらには伝統的な日本女性の配慮を、異国の地で堪能させていただき、参加メンバーみんなが感動しました。麻衣さんのお母様が日本人と言うことで、家庭では日本文化をしっかり身につける環境にあったそうです。

 

むろんドイツ人女性も魅力的ですが、やはり日本人女性の古き良き伝統を備えた日系ドイツ人の魅力は異国では格別でした。

 

その麻衣さん、どうしているかなと思っていたら、NHK番組で活躍しているので、驚きました。当時の雰囲気とはまた違っていましたが、普段ほとんど見たことのない語学番組、しかもドイツ語番組でしたが、ついつい最後まで見てしまいました。お元気で活躍しているようで、安心しました。

 

私も三日坊主の各種語学勉強の過去がありますが、久しぶりにドイツ語の勉強を続けてみようかと一瞬、思ってしまいました。人の魅力で自分の心の中に新たな意欲を生み出させるものかもしれません。さて続くかどうか。

 

それとは別に、麻衣さんの笑顔を見ながら、10年前の都市計画の調査研究した報告書のことを、なんとなく不憫に感じてしまいました。400pくらいになり、出版を検討したのですが、結局断念したまま、メンバーや関係者の本棚の奥深くに埋もれていることでしょう。

 

 

できれば、細切れでも、連続でその一端を紹介するブログを書いてみるのもどうかと思っています。

 

私自身、長く都市景観問題に取り組んできて、いまはあらゆる対象を漠然と気の向くままブログで取り上げていますが、過去の一時の成果の検証も大事かなと思いつつ、果たしてはじめることができるか、明日以降の天候次第かもしれません。

 

今朝は麻衣さんの思い出を忘れないうちに一言。


容積率は何のため <大阪万博 協力で容積率緩和・・関経連構想>などを読んで

2017-07-13 | 都市のあり方

170713 容積率は何のため <大阪万博 協力で容積率緩和・・関経連構想>などを読んで

 

昨夜から扇風機を使うようになり、やはり快適です。わが家も30度を超える状態になっています。でも階下にいくと、扇風機がいらないくらいですから、微妙なところでしょうか。

 

で、朝方というか、まだ夜明け前、早暁には少し早い4時前に、目覚めました。寒さです。温度を見ると25度を少し切っているくらいでしょうか。それでも谷底からの涼風が寒く感じて目覚めてしまいます。

 

体のあちこちに痛みに敏感になっているというか、老化による劣化も要因でしょうか、寒さに敏感になっているのかもしれません。では暑さはどうか、多少鈍感になっている?かも。わけがわからない話になりましたので、この程度にして。

 

今日も事件現場に行ったり、相談対応したりで、もう6時をまわっています。本日のテーマ、「電通 正式裁判」、「九州北部豪雨」「東芝半導体売却に暗雲」など、これまで取り上げたテーマの展開なので、興味がそそられたものの、なぜか見出しのテーマを選びました。

 

宇都宮裕一記者が<大阪万博 協力で容積率緩和 費用負担企業優遇 関経連構想>という見出しで取り上げています。昨日は<大阪万博 誘致「夢洲、大きな強み」 経団連会長視察>という、ま、宣伝的な記事でしたが、今朝は一面では淡々とした扱いながら、7面の解説では宇都宮記者が<万博協力・容積率緩和 前例なく課題山積み>と問題ありとの視点で切り込んでいます。そこで、久しぶりに容積率制度について考えてみたくなり、一時間程度でうまく扱えるかわかりませんが、頑張ってみようと思います。

 

大阪への万博誘致は、関西圏の経済的な低下現象を巻き返すには有効な策であるかのように、行政・経済界一体になって取り組んでいるようですね。

 

大阪万博誘致「夢洲、大きな強み」 経団連会長視察>では、<経団連の榊原定征会長は11日、大阪市内で記者会見し、2025年大阪開催を目指す国際博覧会(万博)について、「環境、エネルギー、健康・医療など世界が直面する課題に対して日本が先進的に取り組む姿を示す場にしたい」と意欲を語った。誘致委員会会長として「日本経済にとって重要なので、国内の機運醸成にも力を入れたい」と強調した。>ということで、課題解決型の展示を考えているのでしょうか、毎年どこかでやっているような気もしますが、総合的に取り組むというのであれば、意味があるかもしれませんね。

 

<会場候補地の人工島・夢洲(ゆめしま)(大阪市此花区)>について、「きちんと整備された100ヘクタール超の更地がある。他の立候補国と比べて大きな強みだ」と評価。>していますが、それだけ広大な敷地が使われないまま、今日に至っているのは、何が原因かにも言及して欲しいと思うのは余分な事でしょうか。

 

<候補地の北隣に大阪府・市がカジノを含む統合型リゾート(IR)誘致を目指している点には、「万博とIRは別物だが、経済面だけ見れば二つが共存することで補完効果、相乗効果が期待できる」と指摘した。>との点は、関西圏の中では自発的な開発が望めないことの裏返しでしょうか。東京お台場もそういう時期がありましたが、地道な努力であそこまで行ったのは、こういった巨大プロジェクトが採用されなかったことかもしれません。他方で、この2つのプロジェクトはどうも事業自体の危うさを内包していると思うのは私だけではないでしょう。

 

大阪万博協力で容積率緩和 費用負担企業優遇 関経連構想>は、まさにそのことを裏付けているような構想に思えます。

 

<関西経済連合会は、国際博覧会(万博)の2025年大阪誘致が実現した場合の会場建設費を集める方法として、費用負担に応じた企業に対し、大阪市中心部などに所有する建築物の容積率を緩和する優遇措置の検討を始めた。高さ制限の緩和にもつながり、企業側は建て替えの際の自由度が増すメリットがある。対象地区を特区に指定するなど規制緩和が必要なため、関経連は今後、政府や大阪府・市と協議する。>

 

会場建設の費用を集めるための方策ということですが、なぜ企業は費用負担にこぞって応じないのでしょう。70年万博とは違うでしょう。もう万博の時代ではないというひともいます。そうとはいいきれないと思いますが、魅力あるものであれば、事業採算がとれる見込みがあれば、企業としては費用負担に躊躇しないでしょう。株主の声が厳しいといいますが、それは投資の効果が見込まれるかどうかと言う合理的な見方なのですから、それは泣き言にすぎないでしょう。

 

結局、いまだそれだけの魅力ある万博構想ができていないからではないでしょうか。それを容積率緩和して財産価値を高めるから、費用負担をというのは、容積率規制の基本を損ねていると思うのです。

 

<関経連が参考にしているのは、JR東日本が12年に実現した東京駅丸の内駅舎の復元だ。東京都が国の制度を活用して、駅周辺の約1平方キロを特例容積率適用地区に指定>ですが、これは解説でも<万博会場候補地の夢洲(ゆめしま)から約10キロ離れた大阪市中心部など需要のある地域で容積率を緩和する仕組みは全国的にも前例がない。さらに、関西財界の中には「住民にはメリットがなく、(日照権などの問題で)反対が起きかねない」と指摘する意見もある。>と問題にしています。

 

だいたい、丸の内地区は東京を代表する景観規制が長年にわたって形成・維持されてきた地区です。東京駅と丸の内地区は一体的な景観保全が図られてきています。その中で、東京駅の上空占拠率を抑えつつ、空中権として譲渡し、その費用を捻出するわけですが、その場合、空中権利用も一体の景観保全に適するよう配慮しているはずです。容積率規制やその緩和をもって日照権問題に歪曲するような考えは誤解を招きます。

 

そもそも容積率規制は、先進各国の中ではわが国の制度自体と運用は異例だと思います。商業地域(ダウンタウン)などを中心とする<7.海外の制度の状況(1)各国の土地利用規制制度の比較>が参考になるかと思います。この解説はいつか考えたいと思います。

 

ところで、国交省のウェブサイトで容積率を探ると、<容積率緩和の取組 国交省><地域の創意工夫による容積率特例制度の活用例 国交省>しか見つかりませんでした(わずかな時間での検索ですのであしからず)。

 

要は規制緩和だけが国交省の役割のような印象です。では現行容積率制はなんのために、どのようにして決められたのでしょうか。

 

参考になる文献は、いろいろありますが、私は少し古いですが<容積率規制の理念と展開の方向性>がきわめて的確にこの制度の基本を解説していると思って(むろん具体的な面では賛同できない部分もありますが)、昔、裁判でよく引用させてもらいました。

 

大方氏は、<3. 容積率規制の特質>で次のように述べています。

 <容積率規制とは、建築形態の自由度、特に建物高さの自由度を確保しながら、土地利用密度が無制限となることを回避するため、最も単純・簡便な規制手段として導入された規制手法である。>

 

では、その数値はなんらかの合理的な根拠を持って指定されたものかですが、大方氏は明快に否定します。

<土地利用密度が無制限では、市街地の環境が極端に悪化し、道路・鉄道・駅・歩道等の交通施設をはじめ各種インフラが破綻する恐れが生ずるので、何らかの限度を設ける必要があるわけであるが、その限度を示す指定容積率の数値そのものは必ずしもインフラストラクチャーの現状に応じた各地区の適正容量を示したものではない。>と。

 

<規制の枠組みの総量が将来の都市成長を受け入れる必要があり、枠組みの下でゆっくりと成長する都市活動が一方で徐々に進むインフラ整備を極端に追い越すことがないようにする必要があり、かつ局所的に見た市街地の環境が市街地の性格に応じた社会的通念に照らして妥当なものに納まるようにする必要があり、しかも土地利用の権利の制限として妥当かつ安定的なものである必要がある。これらを総合的に勘案して設定されたものが、限度としての指定容積率の数値である。>

 

とされていますが、たしかにインフラ整備との整合性が重要な点では反対する意見は少ないと思いますし、正当性があると思いますが、その具体的なデータ根拠を示すことは不可能に近いですし、実際の指定容積率はそのようなデータを踏まえた合理的な指定とはなっていません。

 

大方氏は、<インフラ整備を予定しない安定的な都市の場合は適正容量を示した容積率規制を設定することもあり得るが、少なくとも、東京の容積率規制とは、インフラストラクチャーの現状に応じた各地区の適正容量を精密に算定し、それを容積率として指定したものではない。これは既成市街地内部においてもインフラストラクチャーを整備しながら、広く土地利用密度を上げていくことを想定した開発途上大都市に容積率規制を導入したことの必然的結果でもある。>これは東京都だけではなく、全国各地の指定容積率を検証すればすぐにわかることでしょう。

 

問題は、インフラ整備をどうとられるかですが、たとえば東京のようにあれだけのギュウギュウ詰めの電車での通勤・通学を余儀なくされていても、容積率緩和が当然のように声だかに主張されています。それが所有権の価値、地価を押し上げるという、まさにマネー資本主義に牛耳られた容積率制度に成り下がっているように思うのです。

 

大方氏は、改善策をいろいろ提案されており、傾聴に値するものと思いますが、その後こういった議論が幅広くなされたということを聞いたことがありません。

 

その中で、大阪万博誘致のために大阪市中心部の容積率緩和が当然のように議論されるのは残念なことです。万博を誘致し成功させたいのであれば、万博自体を魅力あるものに知恵を絞ってもらいたいものです。

 

そろそろ1時間となりました。今日はこの辺で終わりとします。


他人の宿 <民泊 営業停止求め提訴 マンション組合・・>を読みながら

2017-06-17 | 都市のあり方

170617 他人の宿 <民泊 営業停止求め提訴 マンション組合・・>を読みながら

 

今朝も早暁前に目覚め、明るくなってからも昨日の疲れか床の中で何をするでもなく、やっと起き上がったときはもう6時近くになっていました。

 

やはり一昨日の深夜に及ぶ談論奮発とまた一杯が体全体に休みを促しているのかもしれません。私は他人の家でゆったりと飲みながら談話するのが好きでした。日本ではあまりそういう機会がなく、ついつい居酒屋、レストランなど外が多いですね。ましてや宿泊となるとホテル・旅館でしょうか。

 

外国生活の中で、他人の家で飲食談話することが普通だったり、泊まったりする経験があったのですが、私の場合自然に溶け込んでしまいました。日本ではなかなかそういう機会はなく、私の依頼人で友人的つきあいをするような人の中で、別荘に誘ってもらったり、その自宅でいろいろなタイプの客人と一緒に食事を楽しんだりというのは例外的でした。その方は長くアメリカ生活をされていたことから、大先輩でしたが家族づきあいをしていただきました。

 

先日わが家に泊まった依頼人も、少し若いですが、独自の考え方をもち、既存の価値観にとらわれない点で私も共感するところがあります。私も先方まで遠出すると泊まらせていただき、もちろん仕事の話もしますが、話題はなんでもありとどこまでも広がります。

 

で、こういう他人を家に泊まらせるというのは、現在では珍しいように思うのですが、昔からそうだったのかなと思っています。

 

先住民の集落を訪れたことが何度かありますが、むろんホテルなんてありません。たとえばロングハウスという、長屋的な長い木造の集団が暮らしている家で、各家族の空間は独立の仕切りがあり、そのリーダー的な人の部屋の一画に泊めさせてもらいました。といっても、下は板張りの床一枚、さすがに慣れるまで寝付けませんでした。布団なんてありませんが、仕切りのない一角で一緒に行った男女のメンバーが雑魚寝です。ま、山小屋よりはましですが。なんせゆったりしているのですから。

 

そのような宿泊施設の中身は別にして、彼ら先住民は、よそ者であっても危害を加えるのでなければ、安心して家に招いて泊まらせてくれるように思うのです。それは縄文時代もそうだったのではとふと思ってしまいます。いや江戸期のお伊勢参りや出雲参りなどでも、お金のある人は宿に泊まったでしょうけど、そうでない人、道に迷った人は、ついつい普通の農家の家に助けを求めたのではないでしょうか。

いま思い出せませんが、明治10年頃、東北・北海道を一人で旅したイザベラ・バードもまた、そういう経験をしたような記憶があります。

 

宮本常一著「イザベラ・バード」(講談社学術文庫)194pでは次のような一説があります。

 

「北海道は歩いてみるととても平和で、駒ヶ岳のふもとの小沼までイザベラ・パードは一人

で行っているのです。

 

『〔この夕方の少なからぬ魅力は、〕私が函館から一八マイルの旅を、伊藤も他の誰もお供させずに、馬に乗ってやって来て、まったく私一人でいることである。私は馬の荷物を下し、日本語の名調をなんとかうまく用いて丁寧に頼んだので、良い部屋と夕食を確保することができた。・・・』

 

つまり女一人が来て日本人だけの村へ泊まることができたということ、また、立派な馬に乗っているということで信用されるわけです。」

 

ここでは宿泊施設が整備されていること、女性一人の旅でも安全が保証されていたことが指摘されていますが、それは伊勢や、出雲などの名所旧跡までのるーとだけではなく、日本中至る所だったのです。会津戦争やその影響で飢餓状態であった東北の奥地ではとても不潔で食べるものもないような状況でしたが、たいていは古い時代からの駅逓制度が長く存続していたのだと思います。

 

そのような環境は、あるいは縄文や弥生の生活文化の影響からか、人里離れたムラで、宿泊先もないとき、普通の百姓も旅人が困っていると泊まらせていたのではないかと思うのです。イザベラが農家に頼んで馬小屋の隣かどこかに泊まらせてもらったことがあったように記憶しています。アイヌのでもそれに近いことがあったのではと思うのです。

 

イザベラは、見知らぬ文化・生活などに貪欲なほど関心を抱き、注意深く洞察し、また質問をしています。宿泊を通じてアイヌにいろいろ尋ねるのは当然ですが、そういった百姓にも文化の交流をしていたように思うのです。

 

余談が長くなりましたが、見出しの記事を読みながら、旅と宿、文化や生活の交流と、その場所としての条件を少し考えてみたいと思います。

 

毎日朝刊は、<民泊営業停止求め提訴 マンション組合が所有者に 東京・目黒>の見出しで、いまはやりの民泊をマンション区分所有者が自宅で経営していたことが問題となり、管理組合が当該所有者に対して損害賠償請求の訴訟を提起したというのです。

 

さてマンションを購入する人で、どれくらいの人が管理規約を熟読する人がいるでしょうか。というか、マンションの集団的共同所有という所有形態について、マンションが一般化して半世紀以上経過していると思いますが、さほど意識が高まっているとは思えないのです。

 

ところで、管理組合側は、<「居住目的以外の使用を禁じる」とする規約に反している>ことを理由にしているわけですね。これに対し、所有者側は、<旅館業法の許可がないことを認めつつ「近く住宅宿泊事業法(民泊新法)が施行され、届け出制になることが決まっており、旅館業法上の実質的な違法性は失われている」>と反論しているようです。

 

この住宅宿泊事業法については、後で少し取り上げたいですが、行政法違反だけで違法といえるかは一つの争点です。とはいえ、所有者側の主張する届け出制になったからといって、後で触れるように届け出制といっても一定の条件を整備する必要があり、はたして具備するかどうか疑問が残りますね。

 

それよりも根本的な問題、管理規約違反かどうかですね。まず、「居住目的以外の使用を禁じる」という条項は多くのマンション管理規約で採用されているものではないかと思います。規約といえども、公序良俗(ま、社会常識で規範性のあるものでしょうか)に反していたり、合理性を欠いているとき、そのまま適用できるわけではありませんが、この条項自体は穏当なものではないでしょうか。

 

すると居住目的以外の使用に該当するかどうかですね。通常の居住用に賃貸することは禁止されていないと思います。では民泊といった多様な旅行者に宿泊施設として利用させることはどうでしょう。居住というのは、基本的には定住を予定(むろんいろいろな理由で途中解約はあり得るでしょうけど)しており、まさに生活の場としての利用ではないかと思うのです。事務所や事業所、施設は、規約上、例外要件が定められていてその要件に適合すれば別ですが、アウトでしょう。と同様に、旅館業法違反はなんとなく筋違いのようにもおもうのですが、違法な事業であれば違法性が補充されるかもしれませんね。でも本質論ではないように思うのです。

 

実態として、このような民泊が一般の生活の場として居住している区分所有者、あるいはその借り主にとっては、外国人を含め多くの見知らぬ人が出入りするといった事態は、マンションがもつ居住空間という基本的な条件を侵すことになるかと思うのです。

 

とはいえ、これもベーシックな見方であって、これですべて解決する基準かというとどうかと思っています。このマンションが<分譲ワンルームマンション(46室)>という点にすこしひっかかります。こういったワンルームマンションの場合、居住性がどこまで厳格に求められているか、これはケースバイケースかもしれないとの見方もあり得ると思うのです。目黒のどういった地域か、地域性との関係もあるでしょう。商業地域や近隣商業地域内といった場合に、その居住性要件が規約上厳格に求められているかどうか、利用実態によっては、違法性がない、あるいは弱いこともあるかもしれません。

 

この話はこの程度にして、住宅宿泊事業法について、最後に少しだけ触れておきたいと思います。これをネットで調べると、<民泊の教科書>などと行政書士がホームページで懇切丁寧にその内容を紹介し、この届け出制という事務を業務にしようと営業展開がなかなかのものですね。民泊の事業化も競争が激しいでしょうけど、行政事務の競争もなかなかのものですね。

 

で、<住宅宿泊事業法案の概要>は、やはり国交省の報道を参考にした方がいいかと思います。<その閣議決定>の中にいろいろ掲載されています。

 

民泊が同法の成立を促した背景には、さまざまな問題を起こしたことが大きな要因の一つだと思います。その対応としては

 

     住宅宿泊事業(民泊サービス)を行おうとする者は、都道府県知事への届出が必要 (年間提供日数の上限は180日(泊)とし、地域の実情を反映する仕組み(日数制限条例)の創設)

    家主居住型の住宅宿泊事業者に対し、住宅宿泊事業の適正な遂行のための措置(衛生確保措置、 騒音防止のための説明、苦情への対応、宿泊者名簿の作成・備付け、標識の掲示等)を義務付け

    家主不在型の住宅宿泊事業者に対し、上記措置を住宅宿泊管理業者に委託することを義務付け

    都道府県知事は、住宅宿泊事業者に係る監督を実施 都道府県に代わり、保健所設置市(政令市、中核市等)、特別区(東京23区)が監督(届出の受理を 含む)・条例制定事務を処理できることとする

 

と届け出制と、住宅宿泊事業の適正な遂行のための措置(衛生確保措置、 騒音防止のための説明、苦情への対応などですが、はたしてこれで問題に対処できるか疑問を感じる人は少ないでしょうね。

 

他方で、地方で、周囲の人たちといい関係を作りながら、いわゆる民泊を独自にやってきた人たちにとっては、手続き的に煩わしいだけとしかうつらないかもしれません。

 

法律全体に、民泊の魅力を打ち出すものになっているとは思えないのです。いや法律ではそんなことは関係ない。経済性を追求するのも条件さえ満たしていれば結構ですというのでしょうね。

 

そこには先住民が長い歴史の中で培ってきた、他民族との交流と融和といったものが入る余地がなさそうです。旅人を心からもてなす、江戸時代までに培われた日本のよき風習といったものも、蘇りを期待することは考え違いなのかもしれません。

 

そんな不平を言っても仕方がありません。国家戦略特区の運用、共謀罪を取り込んだ改正法など、そこには公正な内容や手続き的な適正さについて国民の信頼を失いつつある現政権の問題があるように思うのです。この民泊法には日本のよき伝統、オリンピックで招致のうたい文句となった「おもてなし」の思想のかけらもうかがえないように思うのはうがった見方でしょうかね

 

いつの間にか1時間をとっくに超えてしまいました。この辺で終わりにします。