たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

意思とは <記者のこだわり 準強姦無罪判決のなぜ>を読みながら

2019-03-31 | ものの見方・考え方

190331 意思とは <記者のこだわり 準強姦無罪判決のなぜ>を読みながら

 

今朝、メールでこのブログサービス会社から契約終了の通知がありました。そういうわけで、今日がラストになりそうです。別の会社に移行するほど元気がないので、今日でこのブログはおしまいです。現在掲載されているブログはすべて消えるようですから、まあ、ネット上なくなるということなんでしょうね。

 

そもそも人の存在自体、そんな存在するようで、しないようなものでしょうから、誰かの認識に入った限りで存在してるかもしれないものかもしれません。生と死の狭間も夢幻のようなものかもしれません。

 

そんなことを思いながら、このブログで自分という独自の存在がありうるのか、試作的な(思索ではなさそうですね)ほんの思いつきを綴ってみましたが、日々ニュースで報道される情報への反応を即時的に書いてみました。それは自分というものがありうるのかを試す一つの試みでしたが、有ると言えばあるかもしれませんが、無いといってもおかしくないかなと思いました。般若心経の世界にわずかでも近づけたかなと思いつつも、まあ、三蔵法師の掌の中で蠢いているだけでしたか。

 

明日から一休みということで、とくに決まりをつけることもなく、いつものように今朝の記事を見ての思いを少し述べて、おしまいとしようかと思います。

 

毎日記事は<記者のこだわり準強姦無罪判決のなぜ その経緯と理由は?>として、<無罪に波紋>と事案の内容と判決理由、それと同種事案の場合の各国の法制度を紹介しています。

 

準強姦罪(改正刑法で準強制性交等罪)というのは、性行為という男女の営み(最近はこういう限定ができなくなってきていますが)という根本的な行為についての社会通念や個々の意識の変化が、社会事象としても、裁判事例としても、反映しやすいかもしれません。

 

この犯罪は、客観的な要件として<「人の心神喪失もしくは抗拒不能(抵抗できない状態)に乗じ、または心神を喪失させ、もしくは抗拒不能にさせて、性交等をした>(刑法178条)ことがまず、ないといけません。この要件自体、認定が容易ではないですね。それに加えて男性が女性がその状態にあることを認識しているという主観的要件、故意が求められます。ですので、通常、<争点は(1)女性が抵抗できない状態にあったかどうか(2)女性が抵抗できない状態にあったことを男性が認識していたか>ということになります。

 

で、事案は、<福岡市内の飲食店で・・20代の女性は友人と一緒に午後11時ごろに来店。・・「罰ゲーム」でショットグラスに入ったテキーラを数回一気飲みさせられたり、カクテルを数杯飲んだりした。その後、中央フロアのカウンター席で眠り込んだまま嘔吐(おうと)し、仕切り扉によって区切られたソファフロアに運ばれた後も眠り込んでいた。>この状態が<抗拒不能>だったかが問題となります。

 

次に<40代の男性は午前0時ごろに来店。女性とは初対面だったが、午前540分過ぎにソファで女性と性交し、少なくとも4人以上が様子を目撃した。>というのです。

 

で、<福岡地裁久留米支部の西崎健児裁判長は、争点(1)について、・・・女性は抵抗できない状態にあった」>と認定しています。他方で、<争点(2)については、「女性は目を開けたり、大きくない声で何度か声を発することができる状態にあり、それほど時間がたたないうちに別の人物から体を触られた時に『やめて』と言って手を振り払ったことから、飲酒による酩酊から覚めつつある状態であったといえ、外部から見て意識があるかのような状態だったと考えられる」と指摘した。>まあ、抵抗できない状態としつつ、歯切れの悪い認定ですね。

 

この女性の意識レベルを前提に、判決は①<「サークルのイベントではわいせつな行為が度々行われていたことが認められる。>、②<男性はこの飲み会で安易に性的な行動に及ぶことができると考えていたとうかがわれ>としたうえ、③<女性から明確な拒絶の意思が示されていなかった」>として、結局<「女性が許容していると男性が誤信してしまうような状況にあったということができる」と判断。>つまり男性には故意がないとしたのです。

 

これに対し、<ネットでは「こんな判決がまかり通るのか」「男性が『レイプだ』と思っていない限り、罪にならないってこと?」などと批判や疑問が相次いでいる。>そして後先になりますが、毎日記者は<どんな理由で今回の判決は下されたのだろうか。【安部志帆子/久留米支局、平川昌範/西部報道部】>と上記のように争点と事実認定を掲載しています。

 

たしかに刑法犯として責任追及する場合、厳しい要件が必要でしょう。ただ、本件では、記事が指摘する事実関係を前提とすると、裁判所の認定に疑問符がつくのではないでしょうか。上記の判決が男性の誤信を根拠づける①②③の事実は、誤信を根拠づけるには薄弱だと思うのです。

 

    のサークルの過去の事例としても、<わいせつな行為>であって性行為そのものではありません。またそれも度々ということで、常態化していたとまでいえません。それに女性がサークルの恒常的メンバーかどうかも、遅れてきた男性がには把握できていないわけです。①を重視するだけの合理性が乏しいと思うのです。

    は男性の意識と言うことですが、<わいせつな行為><性的な行為>と<性行為>が峻別されていません。これは人の意識を判断するときに少し杜撰ではないでしょうか。

    は女性の明確な拒絶意思を求めるものですが、そもそも争点(1)で抗拒不能と認定しているのに、このような女性の意思を求めること自体論理矛盾ではないでしょうか。

 

すでに識者の中には、諸外国の例を参考に、<同意確認>とか、<過失も罪>とか、といった動きがあるようですが、この事案の解決としては、少し飛躍があるかなと思うのです。むろんそういった考え方に異論があるわけではありませんが。

 

さてここまでが序論というか、前置きです。私たちは人の意思というものを理解するために、縄文人から始まって1万年以上の蓄積を重ねてきていますが、AIまでその認識が可能となる時代を迎える一方で、ますます混沌といえるような状況にあるのではと思うのです。

 

ことばが生まれ、意思疎通の手法が格段に広がり、多様ですさまじいスピードで情報・文化・分明が変動していますが、人の意識・意思はそれに順応できるかどうか、また人による格差の拡大とそのブリッジ機能の脆弱化で、危うい状態に陥っていないか気になります。

 

昨日、「ひきこもり」を取り上げたのも、あるいは度々取り上げたいじめや虐待問題も、関係する人たち(被害者だけでなく)の意思と意思疎通の問題を感じてきたからです。

 

性行為をめぐる男女それぞれの意思と意思疎通の問題も、どうように難解な問題です。答えは簡単に見つかるものではないでしょう。それでも問題の所在とその解決の道を探ることは、私たちに求められているように思うのです。

 

本論はこのブログを閉じた後、ゆっくりと考えていこうかと思います。日々少しずつ考えていこうかと思うのです。

 

そしていつか再びブログなのか、何かでそういったことについて表現できればと願っています。ではさようなら。いままで読んでくれた人、今日偶然訪れた人、ありがとうございました。

 

 


地上資源の再生 <市民がつくる「捨てない未来」 日本環境設計会長・岩元美智彦氏>などを読みながら

2019-03-14 | ものの見方・考え方

190314 地上資源の再生 <市民がつくる「捨てない未来」 日本環境設計会長・岩元美智彦氏>などを読みながら

 

人は考える葦ですか。考えると言ってもいろいろですが、楽しくできるといいですね。というか、考えること、考えた結果がそうだといいという趣旨です。

 

今朝の毎日記事<PICKUP スケトウダラから医療用接着剤 かまぼこの廃材を原料に>も楽しくなる話に思えます。考えた人は四苦八苦したでしょうけど。いろんなものを実験して人間の臓器穴を塞ぐ接着剤にスケトウダラ由来のゼラチンを元に開発したというのですから、不思議でもあり、面白くもありです。スケトウダラというと鍋料理とか、かまぼこしか思い描けない凡人には驚くばかりです。しかもカマボコの廃材利用というのですから、楽しくなる話です。画像も記事にあります。

 

そういうのを<地上資源のリサイクル>と名付けた人が、前日の毎日夕刊記事で<毎日21世紀フォーラムから 第179回例会 市民がつくる「捨てない未来」 日本環境設計会長・岩元美智彦氏>と取り上げられていました。

 

私の知り合い友人連中?は、半世紀以上こういった問題に取り組んできたのかなと思うのです。こういった仲間たちは面白い造語を次々と繰り出しますね。私も遅ればせながら、のろのろとナメクジ並のスピードでフォローしていますが、意識が低いのかなかなか先が見えてきません。

 

ともかく岩元氏の言葉はしなやかで新鮮です。タイトルの<市民がつくる「捨てない未来」>もなかなかしゃれています。しかも<エコ(経済)とエコ(環境)楽しく循環>といった掛け合い漫才みたいでいいです。またこれまでの資源利用を<地下資源>と呼びその争奪戦争を招いたと指摘します。そして、これからは<地上資源>のリサイクルを訴え、みんな(仲良く?)参加型の持続可能な循環社会をつくると、わかりやすいです。

 

しかもこれを3つの考えで事業をすすめていると、3つの基本を提示しています。

一つ目が<技術>、二つ目が<リサイクルの仕組みづくり>とここまではありきたりかもしれません。三つ目は<「正しいを楽しいに」と本質を突いているかもしれません。

 

一つ目の技術について、岩元氏は、人の意識に着目し、<「一番リサイクルしたいもの」についてアンケートを取ると、着ている服でした。>というのです。実際、<国内で廃棄される衣類は年間約170万トン、カーテンなどを含めた繊維製品は約200万トン>ということですから、いかに廃棄されてきたか驚きます。リサイクルとして回収されるものでも実際にリサイクルとして循環されている比率は低いのではと思うのです。

 

岩元氏は、繊維リサイクルに着目し、世界の衣料品の材料は、綿が30%、ポリエステルが60%ということで、それぞれ技術開発に取り組んだのです。綿については<愛媛県今治市の工場では衣類を糖に変換し、発酵させてエタノールを製造しています。>とのこと。

 

ではもう一つは、<ポリエステルの衣服から再生ポリエステルを作る技術を採用した工場を完成させました。変換率は95%以上で、1着の服からほぼ1着を作ることができるポリエステルをリサイクルで作ることができます。>とのこと。

 

私の友人の国家議員が20年くらい前、循環社会を築こうと、再生ポリエステルの背広を着ていましたが、当時は着心地がいいとはお世辞にもいえないようでした。さて岩元氏の場合この間の技術開発で問題をクリアしたのでしょうか。

 

岩元氏の技術目標は高いようで、<「水平リサイクル」と「ほぼ1対1」、そして「半永久的リサイクル」です。水平とは服から服へ、玩具から玩具へのように同じモノを作ること。水平で、変換率を1(いち)から1(いち)にして、これを半永久的に回していくことが目標です。>とのこと。

 

再生ポリエステルから携帯電話のリサイクルも展開しているようです。

 

二つ目のリサイクルの仕組みがユニークというか、目から鱗かもしれません。いや他のリサイクルのシステム、紙パックやプラスチック皿などの仕組みを真似たともいえます。

<みんな参加型のリサイクルインフラを構築しようと考え、店舗に回収ボックスを置いてどんどん広げました。>

 

三つ目の楽しいというのは、だれもが期待しますが、結構厄介ですね。

岩元氏は<米映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に登場する車型タイムマシン「デロリアン」>に注目したのです。ゴミを燃料にしていることと、人気があるということでしょうか(私の年代だと映画自体が子どもと楽しんだのでなければ、ちょっと思いつかないかもしれません)。

 

岩元氏のリサイクル頻度が多い方により価値を認めるといった発想は、期待したいと思います。商品化次第、あるいは表示の仕方などで可能かもしれません。

 

さらに大きな夢?を抱いているようです。

<地上資源の経済圏を作ると、CO2の排出は減り、地球への環境負担を軽減させることができます。経済と環境が両立する、持続可能な循環型社会を形成できます。一つ買ったら一つリサイクル、一つの平和を。1(ワン)バイ、1(ワン)リサイクル、1(ワン)ピースです。>それぐらいの気持ちでないと、新たな市場が生まれたり、革新的な社会が生まれないかもしれません。

 

そういった捨てない未来で、争わない平和な社会に近づくことを期待したいところです。とはいえ、この資源循環でエネルギー消費はどのように考慮されているのか気になるところです。その前提には大量消費がどうも変わっていないのではといった不安も残ります。いやいや、リサイクル回収頻度に価値がでるのだから、地下資源を使った新製品は減少の一途を辿り、逆に絶滅危惧種なみの状況になるといったことは夢のまた夢かもしれませんが。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。

 


190220 枯山水の秘技 <NHKおはよう日本 日本庭園驚異の技術>を見て+<産廃不法投棄><京都市が適法>

2019-02-20 | ものの見方・考え方

190220 枯山水の秘技 <NHKおはよう日本 日本庭園驚異の技術>を見て+<産廃不法投棄><京都市が適法>

 

京都を訪れたのは何年前でしょうか、もう20年以上は行ったことがないような記憶です。まあ京都に滞在しあちこちと散策していたのは40年前ですので、どのお寺塔頭を訪れたかも記憶が曖昧です。

 

今朝のNHHKおはよう日本では、日本庭園・秘められた技術ということで、相国寺と真如寺が紹介されました。いずれも訪れたことがあるようなないような曖昧さですが、なんとなくなつかしく感じながら見ました。枯山水の庭園です。人が大勢訪れる時期や時間帯を避け、のんびりと佇む機会をねらってあちこちの寺社仏閣を訪れたものです。その中に枯山水に魅了された一人でした。

 

ところが、NHKが取り上げたのはその枯山水の禅的な風情というか神髄とは少し次元の異なる隠された高度な技術でした。

 

枯山水ですから、雨の日に行っても、水が貯まっているといったことほぼ見ることがないでしょう。でも豪雨のときは?たいていの人は外出も避けますね。ましてやお寺を見学するような人は希というかほとんどいないでしょう。そこに隠れた秘密がかくされていたのですね。

 

相国寺の場合は枯山水の庭全体で大雨が降っても累積で850mmまで排水能力があるとのことだったと思います。他の用事をしながら見ていましたので、排水構造も説明していたと思うのですが聞き逃しました。たしか鴨川の砂礫を下部に敷き詰めているとか、そういった透水性に配慮した構造にしているとかの話だったと思います。

 

もう一つ、真如寺の場合、小さな溝が帯のように庭の一部になっていますが、大雨になるとそこが川水のように貯められ、小さなダム機能をもたすようになっているそうです。

 

前者の排水構造と、後者の堰止め湖構造とは、両立するものではないかと思います。いずれも二つの構造・機能をもっているのではと思うのです。

 

枯山水の神髄が禅的世界を示すと行ったことだけでなく、京都の地形の脆弱性を補う現実的な貯水・排水機能をも考えた高度な土木技術の成果であったとは驚きであるとともに、当然かなとも思うのです。

 

鴨川の氾濫は平安時代から頻繁に起こっていたわけですから、その氾濫源ともいうべき場所に境内をつくる以上、洪水対策をしっかり念頭において設計施工されたのでしょうね。

 

相国寺は夢窓疎石、真如寺は無学祖元が開山で、当時の最高レベルの臨済宗僧でしょうから、中国の最高レベルの土木技術をももっていたのでしょう。いずれも京都だけでなく当時の中心地・鎌倉の寺でも大きな足跡を残していますね。

 

枯山水という表面的な?景観だけを見て理解した気分でいると、当時の本当の技術の妙を見落とすことになることを示唆する報道でした。それは新たな開発をするときに肝に銘じておかなければならない風土の故事来歴を知り、それを踏まえることと言う基本を教えてくれているようにも思うのです。

 

話は飛びますが、いまちょうど澤田瞳子著『若冲』を読んでいて、若冲がいろんな煩悩をかかえつつも、「動植綵絵(サイエ)30幅などを<相国寺>に寄進するところにさしかかったところでした。若冲人気が高まっていますが、私自身その精緻な筆さばきに驚きつつも、その趣が理解できているわけではないので、この書を読みながら少しは近づけるかと期待しているところです。

 

若冲が相国寺枯山水にどういう思いをもったかは分かりませんが(どうも彼の画風とは相容れない?ような気がするのは皮相な見方でしょうけど)、いずれにしても枯山水にかけた禅僧の高い精神性と真摯な技術力には驚かされます。

 

再び飛躍する話ですが、隠れた技術といってもこれはいけません。今朝の毎日記事<廃棄物処理法違反 産廃、宅地造成流用疑い 埋め立て用販売 京都の業者逮捕>では、<建設現場や解体現場の廃棄物にはプラスチック類やがれき類、金属、ガラス、紙のくずなどが混在する。今回、不法投棄が疑われるのは、この選別処理過程で「ふるい」にかけられた後に残る「ふるい下残渣」。・・・ 逮捕容疑は同社の汚泥処理施設で2016年9月~18年4月、許可されていないふるい下残渣473トンを混ぜて固化処理し、その残渣と汚泥の混合処理物162トンを滋賀県内の2カ所に捨てたとしている。>

 

産廃を「再資源化」した資材として有価物として販売して不法投棄していたようです。

<府警によると、平山容疑者は土地造成の埋め立て資材として取引業者に10トン車1台あたり500円で購入させていた。府警は正規の処分に必要な700万円以上の費用を免れたとみている。>

 

産廃の適正な監視システムがなかなか確立しないことで、こういった不法投棄がなくならないのも困ったことです。枯山水のような高い精神性をもって事に当たってもらいたいものです。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。

 

補足

 

帰宅して夕刊を見たら、毎日記事<「残渣」不法産廃 京都市「適法」 逮捕の業者廃棄物「再生砂」>とありました。京都府警が不法とした行為について、京都市は適法と表明しているようです。

 

記事は<産業廃棄物とされる「残渣(ざんさ)」について、同市は「産廃ではない」として、投棄につながる再利用を認めていた。>として、次のように京都市の見解を示しています。

 

<京都市は同社が汚泥に混ぜたのは「ふるい下残渣」でなく、選別処理し有価物となった「再生砂」だとする。粒子の大きさは5ミリ以下の基準を設け、がれきや木くずなどの割合も5%以下だったとの見解だ。>

 

これに対し、府警の方は<残渣は粒子が細かく土砂に見えるが、府警は埋設物を掘り起こし、がれき類や陶磁器くず、木くずなどが混じっているのを確認した。同社が固化処理したものを土地造成の埋め立て資材として売っていたとみており、捜査関係者は「廃棄物を有価物に偽装するマジックだ。>

 

選別基準や割合比率が産廃かどうかの判断として妥当なものかが問われるのでしょうか。

 

他方で、京都市が府警に疑問を投げかけるのは、<市廃棄物指導課は「週2回の立ち会い検査を実施し、専門機関のサンプル調査でも問題なかった。>としっかりした検査実態をふまえたもののようです。

 

たしかに京都市の対応はそれなりに合理性がうかがえそうです。とはいうものの、週2回も立会検査を実施と聞くと、なぜそんなにするのということと、それ当然抜き打ちではないでしょうねと思うのです。しかもその立会検査がその日の営業時間のすべてとか、作業すべてを検査しているというのは考えにくいでしょうね。当然、事前通知して立ち会うのかなと予想できるのですが(実際は確認しないといけませんが)、そうだとするとその立会に合わせてサンプルを用意することは可能ですね。

 

京都市としては、現場の対応を鵜呑みにすることなく、改めて検査の実態をつぶさにチェックすることが肝要ではないでしょうか。大阪市水道局の事例は同じではありませんが、行政としては他山の石として、これまでの行政検査を見直すくらいの検討はしてもらいたいものです。