たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

登山の魅力とリスク <NHK 親子でHAPPY!百名山・・・>を見て

2017-04-30 | 自然生態系との関わり方

170430 登山の魅力とリスク <NHK 親子でHAPPY!百名山・・・>を見て

 

今朝も暗いうちから目覚めてしまいました。少しうつらうつらしている日の出の気配がししたので、耳を澄ますと、野鳥の朗らかな声が聞こえてきます。時折、鶏かな、甲高い声も混じって聞こえてきます。当地は地鶏がおいしいと銘打っていますし、実際、看板を上げている店で食べるとやすくて美味なのです。

 

高野の山々も濃い緑と淡い黄緑が混じって谷筋に走る稜線もくっきり見えてきます。鎌倉仏教の立役者、栄西、法然、親鸞、道元、日蓮、一遍は比叡山で修行し、いずれも変革を訴え、新しい宗祖となっています。そのいずれもが高野山にも訪れていると記憶しています。高野山には空海が残した深いものがあるのではと思ったりしながら、眺めています。

 

比叡山といい、高野山といい、僧侶にとっては修行の場となる何かがあるのでしょうか。人里離れた山には、何か人が悩んだとき、苦しくなったとき、そこを歩くだけでも、あるいは一夜を過ごすだけでも、救いが得られるという気持ちになるのかもしれません。

 

いやいや、そこに山があるから登るのだというのが、多くの登山家の心境でしょうか。それに加えて花々、荘厳な滝、急峻な崖、頭上高くそびえ立つ針葉樹に木々、そういった山地景観や風景が人の心を誘うのかもしれません。

 

さて、本日のお題は、昨夜見たNHK番組<親子でHAPPY!百名山 ~高尾山・屋久島・大菩薩~ BY 水野・浅井・荒井>を楽しみながら、いろいろな思い出に浸りました。

 

高尾山は何度登ったでしょうか。数え切れないほどということはありませんが、それでも40年近く前から結構登りました。当初はバードウォッチング目的であったり、初日の出をみるためであったりでしたが、四半世紀前に一度東京都の環境アセスメントを調査する中で、高尾山にトンネルと通すという圏央道高尾山ルーツの問題に関わるようになり、ついには「天狗裁判」という名称で長い裁判闘争をしていく中で、高尾山を愛する大勢の人たちと知り合うようになり、その魅力にずいぶん魅了されました。

 

番組でもガイドの女性が裏高尾ルートから入り、多くの花を次々と取り上げて、同行した姉妹は最初きょとんとしていましたが、それぞれの花の魅力、多様性に魅了されて、どんどんはまっていったように思います。

 

番組では高尾山だけで植物種が1600種でしたか、とても多いことを指摘していましたが、標高600mしかない山なのに、イギリス全体よりも多いという記憶です(裁判で取り上げましたがいつの間にか記憶がおぼろげになっています)。種類が多いということだけでなく、固有種が多いのです。そしてブナ種としては南限に近いところに巨木のブナが風雪に耐えた姿を見せています。

 

その表面的な植生の多様性は、まさに日本列島の成り立ちとも関係するとうかがった記憶です。たしか小泉武栄東京学芸大学名誉教授に当時、いろいろお伺いし、証人として証言していただいたのですが、いつの間にかおぼろげな記憶しか残っていません。小泉氏はわが国の地形・地質のレッドデータを収集出版したりされていて、各地の特徴的な地形をも研究されていました。

 

で、高尾山や近くの八王子城跡のある山などは、造山運動で隆起し、地層が縦になっていて、脆い状態になっているそうです。その脆い地層・地形が植物の多様性を育み、昆虫や動物も極めて多く棲息しているといった話しだったように記憶しています。15年以上前にうかがった話しのため、どうもいけません。

 

いずれにしてもこの植生を中心とする生物多様性の豊かさは、現代の首都圏で生活し働く人にとっては、心の救いの場所になっているといってもいいほどです。職場や学校での精神的に追い込まれた日々の中で、高尾山を散策することで癒やされるという人がとても多いのです。都市圏で年間300万人が訪れる山は世界中探してもないと思います。ミシェランの3つ星でしたかランクインしていますね。

 

親子で登るのにも、たくさんの散策ルートを用意していますので、それぞれの運動能力や体調に合わして登ることができます。疲れればケーブルカーやリフトがあるので、これを利用すれば楽ちんです。

 

ただ、私自身は親子登山と言うことでは、この番組で親子登山をガイドされている登山家のアドバイスと真逆のことをしてしまいました。たしかまだ23歳くらいのとき上の子を連れて高野山を登り降りしました。さすがに疲れ果て途中からは私が負ぶって下りました。それ以降、私と一緒に登山をしようとは言いません。その前には、1歳未満くらいで沖縄に連れて行ったときプールで一人泳がせようとしたら、溺れそうになり、それ以降しばらくプールを嫌がっていました。親としては失敗の連続です。「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」とか、アメリカのレポートで赤ん坊は胎内から泳げる能力を持つなんてのを、実際やる親はいませんね。

 

次の屋久島はなかなか行くことが出来ない場所ですが、四半世紀前に一度、日弁連調査で訪問しました。縄文杉は林野庁の所長の案内で訪れ、まだ世界遺産登録もしていないときでしたので、ウッドデッキもなく、まさに直接触れてその鼓動を感じ、大きさを体感しました。ずっと所長の話を伺いながら歩いたので、ウィルソン株とか夫婦スギとかは別にして、あまり風景を楽しまなかったのは残念でした。当時、訪問者が多くなり、登山道の土が削れてなくなっていくというので、地元の小学生とかが土を担いで持ち上げていたという話しを伺った記憶です。その点、番組では小学1年生の子が登っていましたが、ただ登るだけなら、縄文杉まではさほどきつくないですし、とくに保護のために木の根を痛めないように、登山道が木道になっているようですので、安全な登山ができるでしょう。

 

しかし、ウィルソン株の頭上を見上げると、ハート型に開いているというのは、驚きです。忘れてしまったのか、当時気づかなかったのかは覚えていませんが、それよりも株自体に荘厳さを感じて、おそらくそのような形状にあまり関心がなかったかもしれません。

 

屋久杉もたくさん切られてしまっています。固有の価値を的確に評価していなければ、その後も切られ続けたのでしょう。さまざまな保護政策、林野庁は保護林制度を発展させ、森林生態系保護地域に、環境省(当時の環境庁)は原生自然環境保全地域などに指定して、制度的には一定の保護が確立してきたと思います。入山制限や保護施策、ガイドツアーなどを徹底しつつあるかと思います。

 

とはいえ、カナダの国立公園や州立公園などで、屋久島同様の、原生自然のごとき苔むした針葉樹林帯を歩くとき、必ずレインジャーの案内で、一定のルートしか進めない制度と比べると、まだまだの感はあります。

 

とはいえ、目標地点だった、宮之浦岳への登頂は、季節外れの積雪を受け、中止した判断は適切でした。幼い子を連れて、さほどではないとしても積雪の宮之浦岳を登ることはリスクが大きすぎます。まして雪上登山の経験もないでしょうから、適切な判断でした。

 

最後の大菩薩嶺は登山口から深い積雪でしたが、小学1年生でしたか、都会の子どもは雪を見る経験があまりないので、はしゃいでいました。わが子も北海道に連れて行ったとき、初めて1m近くの積雪を見たとき、兄弟が雪の中で我を忘れたように遊んでいました。子どもは、良寛さんの前でも無邪気に遊ぶように、雪は楽しいものなんでしょう。

 

このときも、天候が悪く、登頂を断念していますが、登山は頂に立つことだけが目的ではないですし、リスクを少しでも感じたら、回避するのが適切な判断でしょう。それは一番弱い人の体力・体調を見て、判断することでしょう。

 

その代わり、父親の薪割りを見る機会を得たのは子にとって特上の経験ではなかったでしょうか。元世界チャンピオンボクサー、内藤大助氏が斧を振り上げたときは驚きました。すぱっと丸太を割る姿、腰の据わり方、それはTVの時代劇や映画などで薪割りを見ていて、演出家の不徹底を感じてしまう私にとっては、美しさを感じた瞬間です。

 

私も、昔、薪割りをして風呂を沸かしていたことがあります。だから、斧で薪を割ることは緊張しつつ、すぱっと割れた瞬間は気持ちのよいものだということを体が覚えています。そして日本人は、維新時に異邦人によって撮影されたその体躯は見事に腰の据わった姿であり、体全体を使って働き生活してきた民族であることを示していました。

 

いま薪割りをするような機会はあまりないでしょう。いや腰を使って体全体で作業をするということも少なくなったでしょう。私もその一人です。腰痛に悩まされ、歩く姿勢、普段の姿勢もとても魅力的とはいえないと思います。

 

内藤さんは、がに股ですが、あの薪割りの姿はとても美しく、見事でした。そういう日本人が長い間かけて培ってきた所作の多くは失われつつあるようです。

 

登山という行為は、登り方、降り方で、腰の使い方、膝の使い方が異なると思います。平坦な道を歩くウォーキングでは得られない、体全体の機能を見直す機会かもしれません。そして自然という多くの危険をはらんだ対象と向かい合い、リスクの評価と回避をしっかり判断する、そういう能力を子どもたちも少しずつ身につけていけるのではないかと期待したいです。

 

今日はこの辺で終わりとします。


これからの宅急便 <ヤマト運輸 最大180円値上げ・・処遇改善策>を読んで

2017-04-29 | 企業活動 コンプライアンス 公正取引

170429 これからの宅急便 <ヤマト運輸 最大180円値上げ・・処遇改善策>を読んで

 

今朝はふと目覚めるとまだ真っ暗。雨でも降っているのかと思いましたがどうやら目覚めが早すぎたようです。次に目覚めたときは明るい日差しが一杯で、今度は寝過ぎたかと思ったのですが、まだ6時前。やはり体内時計はまだしっかりしているようです。

 

朝は小鳥の声と、FMを聞いているのですが、当地は和泉山脈のせいで雑音があり、音楽好きの人ならいらいらするかもしれません。私は音楽の才能がないこれ幸い?で多少の雑音は気にしません。それでも最近はインターネットでNHKラジオ放送などが聴けるので、この音声にはまると、雑音の多いところではステレオが使う気にならないでしょう。

 

自宅には光回線を引いていないのでネット利用をしていません。スマホやネットを終日離せない人だと困るかもしれませんが、孤島にでも行ったと思えばそういう環境もいいものです。だいたいネット環境が急速に伸びたのもわずかここ20年くらいでしょうか。それまでは熱帯ジャングルに行けば、外の世界とは無縁というのが当たり前でした。そればかりか、カナダに滞在中は、まだ日本のネット環境がほとんど進んでなく、アメリカの情報量の多さやネット販売も相当普及していました。ネットで当時、カラー画面(これが当時稀少価値でした)ノートパソコンをソフト込みで50万円くらいで買った記憶があります。当時はそれでも安かったのです。もう20数年前の話しです。

 

で、買ったまではいいのですが、配達はあのFedExだった記憶。留守がちでしたので、たしか営業所まで受け取りに行った覚えがあります。再配達といったシステムがなかったのではと思うのです。むろん土日祝日の配達もないですね。それが当たり前と思っていましたし、それでもスピード感がありました。

 

で、今日の本題、クロネコヤマトの宅急便に入ります。いや、アマゾンなどを利用させてもらっているので、ヤマトさんの宅急便の配達員の方は何人かいますが、顔なじみになっています。サービスがいいですね。書籍なんかも、注文したら翌日には届くというのが当たり前になってきました(都内とかは即日ですかね)。プレミアム会員だと多くの品物が送料無料というのがあり、地方だとショッピングセンターまで行かなくてもいいので、とても便利です。

 

でもいつの間にか、この便利にならされて、サービスを提供している配達員の人たちを含む配送システムを担っている背後の多くの人たちの「働く環境」の悪化や負担に気づかなくなっていたかもしれません。

 

私はいくつか注文すると、なるべく一緒に運んでもらおうと思うのですが、どうやら受注店舗によって在庫や配送システムが異なることや、宅配便の配送システムの関係で、個別配送が結構行われているようです。すると余計に配達員の人たちの負担が増すのではないかと懸念します。

 

品物によっては自宅の場合、玄関脇に置いてもらっていいですよといった対応をしてもらうこともあり、このあたりの配達員の個別対応の良さは、フェデックスでは考えにくいのではないかと思います。その意味では、日本の宅配便の配送システム、サービスは、とても顧客満足度が高いと思うのです。

 

だからといって、再配達を何度も依頼したり、あるいは夜遅くに依頼したり、土日祝日にのみ配達指定するといったことは、配達員の生活を考えると、どうかと思うのです。

 

さて毎日記事<ヤマト運輸最大180円値上げ 宅配8000万個削減 処遇改善策>はようやく本格的な体質改善策に一歩踏み入れた感があります。

 

<ヤマトホールディングス(HD)傘下の宅配便最大手、ヤマト運輸は28日、主力サービス「宅急便」の基本運賃(個人向け)を荷物のサイズごとに140~180円値上げすると発表した。値上げ率は平均15%で、増収分をドライバーの処遇改善などに充てる。また、インターネット通販大手「アマゾン」など大手法人との契約を見直し、2017年度の取扱荷物量を8000万個減らす計画も公表。ドライバー不足と取扱荷物量の急増のダブルパンチで経営環境が厳しくなる中、抜本的な構造改革が必要と判断した。>

 

たしかに値上げは高齢者や障がいのある方などで買い物が容易でない方にとってはわずかであっても大きな負担になるでしょう。そのような場合の特例策はどうやら含まれていないようですが、今後配慮する取り組みを検討してもらいたいと思うのです。

 

他方で、顧客側の協力度に応じた値引きを用意しているのは評価できると思います。< ヤマトは、値上げと同時に集配の効率化に協力した顧客に対する新たな割引制度も導入。例えば配送先を自宅ではなく近くの宅急便センターに指定した場合には新たに50円値引きする。ヤマトは「新たな割引制度の利用を考慮すると、平均値上げ率は10%に収まる」と説明する。>それ以外にどんな割引制度を用意したのか、全体を見てみたいですね。

 

大手通販業者との契約の見直しも検討しているようですね。毎日の47日付け記事<「アマゾン即日」撤退…配送負担減へ検討>は労働強化の主要な要因の一つでしょうから、勇気のある決断かもしれませんが、当然でしょう。

 

たしかに注文して即日配達してもらえれば、便利この上ないですが、それほど急を要する品物がありましょうか。いいものがみつかったからといって、その日に使わないといけないものなどほとんどないでしょう。照明器具が切れたとか、いろいろ不便なことはありますが、被災した場合のことを少し考えれば、なんでもない話しではないでしょうか。サービス過剰かもしれません。あるいはもっとゆとりのある生活、考え方をしてもいいのではと思うのです。

 

ドライバーの負担軽減策については、<当日再配達の受付時間を従来の午後8時から午後7時に繰り上げたり、希望した日時に駅や商業施設で荷物を受け取れる「宅配ロッカー」を増設したりする。>というもので、ほんのわずかですが、まずは一歩前進でしょうけど、これにとどまらず、もっと改善策を講じてもらいたいですね。

 

私を含め多くの宅配便利用者にとって、配達員が長時間労働、過労で病気なるといったことは避けてもらいたいものです。ましてやサービス残業で<ヤマトの実態調査では約4万7000人に未払いの残業代があったことが判明し、計約190億円を一時金として支給することにした。>といったことはあってはならないことでしょう。

 

この点、<ヤマトホールディングス(HD)は28日、宅急便ドライバーの労働環境を改善するための対策を打ち出した。基本運賃の値上げや荷物の総量抑制などが柱だ>としていますが、他方で、<インターネット通信販売は増加を続けており、人手不足は深刻な状況だ。今回の対策がどこまでドライバーらの負担軽減につながるかは見通せない。>と具体的な労働条件の改善策が示されていないこともあり、毎日記事でも懸念が指摘されています。

 

実際、<現場のドライバーからは対策の実効性に対する疑問の声も出ている。九州のある地区で働く20歳代のヤマト運輸の男性ドライバーによると、「4月に入って勤務時間内の仕事の徹底を図るよう指示された」という。だが荷物の量は減らず、人手不足も解消されていない。サービス残業なしでは配送時間が十分に確保できず、その分急いで回らなければならなくなったという。「昼の休憩も取れず、ドライバーにとってはきつくなっただけ。膨大な荷物量に追われる状況は何も変わらない」と不満を漏らす。>とあります。

 

たしかに海外の配送システムに比べて、わが国の場合、クロネコヤマトの宅急便をはじめ、いずれも配送サービスが素晴らしい(むろん個別に問題はあるでしょうが)。この状態を取扱量がこれからも増大する中、維持することは容易でなく、IoTやドローンなど新たな技術革新の導入も必要でしょうが、人によるサービスがまだまだ基本でしょうから、より実効的な働き方改革を検討してもらいたいと思うのです。

 

他方で、ヤマトの宅急便約款や、宅急便利用約款などでは、利用サービスについて、必ずしも利用者目線に立って作られているとはいえず、昔の商法規定に則ったような記載にとどまっており、これも検討してもらいたいですね。

 

今日のところはここまでとします。


豊かな機会と自由で贅沢な時間 <『ウォールデン 森の生活』>を読みながら

2017-04-28 | 人の生と死、生き方

170428 豊かな機会と自由で贅沢な時間 <『ウォールデン 森の生活』>を読みながら

 

今朝も薄暗い状態から次第に曙光が広がり自然と目覚めが訪れました。野鳥も早起きもいれば、そのさえずりを聞いて起き出すものもいるようです。空は青く澄み渡るように見えるので、まるで春ではないような気がします。高野の山々の山肌がくっきり見え、西方にはいくつかの形状の山々もそれぞれの姿を鮮明にしています。

 

ウグイスのホーホケキョという囀りも少しばかり上手になってきたようです。その声の中を素早く滑空するのはツバメたち。今日も気になりヒノキのてっぺんにある穂先をのぞいたのですが、鳥の姿はありません。

 

それで庭木の剪定の続きをしました。密集していたため、枯れ葉状態とか、枝がもう枯れてしまってポキッと折れるものもあります。剪定するとよくなるのか、よく分かりませんが、なんとなくすっきりして見栄えがよくなると勝手に判断しています。

 

そういえば柿の木の剪定もしばらくやっていましたが何百本くらいあったのでしょうか、一本の木だけでも大変なのと、剪定ばさみでチョキチョキやっていると、腱鞘炎が悪化するのと、柿が実っても出荷したり、食べるわけでもないのと、そいういった弁解をして、大鎌で「剪定」と称して、バサッと切るのです。ま、気分は佐々木小次郎でしょうか。太い枝でも、密集しているとバサッと一刀両断?です。以前は安物の大鎌を使っていたので、柄の方がボキッと折れてしまうことが多かったのですが、少しいいのに代えると、多少のことでは折れません。でも柿の木遊びも終わりました。

 

今はわずかな庭木を相手に、剪定ばさみでチョキチョキとのんびりやっています。花の方も今年はすでに150苗くらい植えたでしょうか。少しはカラフルになりましたが、花園にはほど遠い状況です。

 

そうこうしていると、出かける時間になったので部屋に入ると、おっと、「一筆啓上仕候」くんが明るく伸びやかに歌っています。今回はゆっくりと三脚を取り出し、100倍ズームのビデオカメラでのぞくことが出来ました。ホオジロは声を出すとき、首から胴にかけてどっと前方に突き出す感じで、テノール歌手ばりに気持ちよさそうに歌っています。時折、頭をかきながら、さっと横切るツバメを意識しつつも、自慢たっぷりに歌っています。

 

眼下の谷戸は柿畑や田んぼがありその両側に川が流れていますが、自然の営みを感じるには遠すぎるかもしれません。桜の花は散ってしまいましたが、藤の花を含め新緑の輝きがとてもまぶしく感じます。

 

さて、私の住処は森の中ではありませんが、背後にすぐ和泉山系が続いていて、広葉樹・針葉樹の混交林の森です。大きな池は見えませんが、あちこちにため池もあります。ウォールデン池や森とは大いに異なりますが、気分はへんりー・D・ソローの『森の生活』を意識しています。

 

座右の書として、時折さっと斜め読みをするばかりですが、彼はわずか2年の森の生活で、その繊細で豊か、深い洞察を存分に発揮して、豊かな空間、心の持ちようを描いてくれています。

 

佐渡谷重信訳と今泉吉晴訳を読んでいますが、微妙に異なり、後者訳がより好みでしょうか。ともかくちょっと春の部分の一部を引用してみたいと思います。

 

「森で暮らしたらどんなに楽しいだろう、と私が夢を描いた理由のひとつは、そうすれば

春がやってくるのを知る、豊かで確かな機会と自由で賛沢な時間を持てることでした。」385頁 春を取り上げているのは、最後の章「春」だけではなく、なんども描いています。それほどに春を細やかにそしてなんとも自然の営みを豊かに描写しているかと思うのです。それこそ彼が言うように、「自由で贅沢な時間」を自然とともに享有していることがわかります。

 

その一部を取り上げましょう。

 

「私は春の先駆けを捕らえようと感覚を研ぎすませます。春の鳥の鳴き声がかすかにでも

聞こえないだろうか、シマリスの地下の食糧庫の蓄えも切れ、あの甲高い鳴き声が聞こえるかもしれない。それにウッドチャックも冬眠用の巣穴を出たくてうずうずしているはず、巣穴を抜け出るところを見られないか、と期待します。私は三月一三日にすでに、ブルーバード、ウタスズメ、ワキアカツグミなどの鳴き声を耳にしていました。でもウォールデン池の氷は、依然一フィート近い厚さでした。この池の氷は、二、三日たまたま暖かかったからといって、川の氷のように水に洗われて急に薄くなったり、割れて流れ去ることがありません。それでも岸辺から半ロッドほどは溶けています。」と続きます。

 

ソローにとって、仕事は最低限の生活の糧を得られれば十分なのです。立派な家も必要ありません。衣服も家具も必要最小限で十分なのです。彼を豊かにするのは、「豊かで確かな機会と自由で贅沢な時間」をいかに日々の生活の中で生み出すかということではないかと思うのです。佐渡谷訳ではこれを「余暇」と訳していますが、これでは彼が『森の生活』で終始、頑強に自分なりの日々の過ごし方にこだわり、それを書き綴ったかが、理解できないかもしれません。

 

私にはソローの才能もなければ、心構えもありません。なぜ仕事をして収入を得ようとしているのか、自らに問い質す必要があるかもしれません。なぜ忙しく庭木の手入れをし花の世話をし、また仕事に時間をとり励むのか、そしてちょっと時間があるとTVや新聞のニュースに聞き耳を立て、あれこれ悩むのか、私自身もわかっていません。北朝鮮の脅威、シリア難民のどん底状態、あるいはDVに脅かされる家族や、原発被災で分断された人々、あるいは辺野古埋立をめぐる対立、その過剰なほどの情報の嵐の中に、自分自身が勝手に身動きできなくなっているようにも見えるのです。

 

私はカナダ滞在中の2年間、わが国の情報から無縁でした。それでも十分生活を満喫でき、また新たな関心の中に埋没していたように思います。このことから私自身、人は考え方によって、情報の取捨選択ができるし、呪縛状態にあるように思える環境や情報・社会からもいつでも考え次第で離脱できるのではないかと思っています。

 

ソローは、そのような心のあり方に一つのヒントを与えてくれているように感じるのです。人の心を豊かにしてくれるもの、それはやはりその人の考え方次第ではないかと。見えないものも見えてくるかもしれません。嫌なものと思っているものも、自分がその呪縛の中に縛られている考え方をもっているからかもしれません。

 

仏教の教えでは、仏は自分の心の中にあるとも言われています。解脱を試みたり、五戒、十戒等をしっかり守りたい、とは思いませんし、思っても出来そうにないです。ただ、こうやって自分とは何かみたいなことを書いていると、自分は無であることがわかるのではとの淡い期待はあります。

 

とはいえ、いずれ私もウォールデンの森に迎えるだけの心持ちを持ちたいといつも思っていますが、いつになるやら。今のところは、ソローの心意気を少しまねて、田舎の田園風景をもう少し丁寧に描いてその息づかいを感じてみたいとは思っています。

 

今日は1時間余りで終わることが出来ました。というか終わらしたのかもしれません。いつかソローの『森の生活』と共鳴できるような内容を書ければと思っています。

 


異常交通事故の原因 <NHKガッテン・交通事故から家族を守りたいSP>を見て

2017-04-27 | リスクと対応の多様性

170427 異常交通事故の原因 <NHKガッテン・交通事故から家族を守りたいSP>を見て

 

今朝も目覚めは軽やかな野帳の囀り。すごく身近に感じたので起きてみると、わが家の庭木ではなく、30mくらい離れたヒノキの穂先でした。囀りを聞いて野帳を識別できるほどバードウォッチャーになれてないため、望遠のビデオカメラを取り出してのぞこうとしたのですが、三脚を取り出すのとカメラの据え付けに時間がかかり、狙おうとした途端、飛び去ってしまいました。高齢化の影響でしょうか、ま、仕方がありません。敏速にというのはもう死語?になりつつあります。

 

だいたい山野断崖絶壁を駆け巡った頑強な空海が入滅した年齢をとっくに超えてしまっているわけですし、長く体調不調が続いていた身ですから、少し体調が回復したからといって油断大敵です。

 

昨日のブログでというかいつも何かを書こうと思っているのですが、メモ書きもせず、思いのまま書き連ねるわけですから、しょっちゅう忘れてしまいます。昨日のブログも肝心なことを忘れていたので、少し付け足したいと思います。

 

日本郵政は、海外企業の買収で巨額の損失を今年度会計で計上したわけですが、当然、損失処理するか悩みつつも、東芝が粉飾会計と非難されている原発企業・WHの巨額損失を先の不正会計処理のときも、その後同社が訴訟相手の建設業者を買収したときも、隠し続けてきたことが多少影響したのか、また、政府出資企業として東芝の二の舞にならないようにと判断したためか、早期に計上したことは評価できると思うのです。

 

で、ここから言い忘れた重要なポイントがあると思っています。いま毎日記事は連載で「変革」を掲載し、現在は大和証券の危機について連載しています。そこで、あの山一証券を含む証券・金融機関などの大型倒産が続いた90年代後半の危機状態の中、大和証券も崖っぷちに立っていた状況を取り上げています。大和証券も隠れた不良債権がバブル期から積み残されてきていました。格付け会社からの質問に対しても適当に答えていたところ、厳しい通告がきました。

 

大和への不信が高まり、企業の信用度を示す「格付け」は、98年6月に銀行から融資を受けられなくなる目安である「投資不適格」の一歩手前「Baa3」まで下がった。米格付け会社ムーディーズは「数カ月後にはさらに引き下げる」と通告してきた。>

 

これに対し、大和証券は、住友銀行との戦略的提携を発表しましたが、結果は変わりませんでした。そこで頼ったのが米国の現・商務長官で投資家のウィルバー・ロス(79)でした。ロス氏はムーディーズ本社に乗り込み、担当者に<「きちんと精査して出している結論なのか。根拠のない不十分な格付けなら訴訟を起こすぞ」。>と脅し上げたのです。他方で、ロス氏は、大和証券には<不動産関連会社など子会社を含めた全ての資産をもう一度、厳しく再評価するよう要求した。>上、すべての情報を格付け会社に出さしたのです。その結果、格付けが維持され、大和証券が立ち直ることが出来たというのです。

 

ま、こういった毎日記事の展開は、企業に情報を隠すな、すべてを開示して格付け会社の適正な評価を得ることが世界市場で生き残る道だとでも行っているような節があります。その中に、倒産王の異名があるロス氏がいたり、絶対の権限者的な格付け会社ムーディーズがいるように見えるのです。そういった背景と今回の日本郵政の対応の評価とが一見、重なるようにも見えます。

 

しかし、私が言いたいのはこの文脈の危うさです。リーマンショックはなぜ起こったのでしょうか。ゴミクズのような債権が証券化され、どんどん投資の対象となり、飛躍的に証券市場も債券市場も沸騰したのはなぜでしょうか。ウォール街を代表する投資銀行のほとんどがこのような不良債権で巨額の利益を計上し、高い評価を得て株価も右肩上がりになったのはなぜでしょうか。

 

そのときムーディーズをはじめとする格付け会社はどうだったのでしょうか。トリプルAといった評価を下したのは外でもないこれら格付け会社です。資産評価はどうだったのでしょう。その後訴訟でゴールドマン・サックスなどはその問題を認め巨額の損害賠償に応じていますが、それは氷山の一角に過ぎないでしょう。

 

私はまだリーマンショックを生み出したアメリカの金融・投資・会計のいずれも信頼の基礎を欠いたままの状況にあるように思うのです。私の知見は、以前も指摘した『強欲の帝国 ウォール街に乗っ取られたアメリカ』 (チャールズ・ファーガソン 著/藤井清美 訳)によっていますので、反証を含め検討する必要があるものの、やはり返済できない人に住宅ローンを貸付けて、不動産バブル、そして株価バブルを生み出した構造は、異常と思っていますし、それを作りだしたアメリカの制度自体を額面通りに評価することはできないと思っています。上記の書籍でも指摘されていますが、制度が立派でも、動かすのはやはり人です。その人、ロス氏もその一員ではないかと思いますが、ほんとうに信頼に値する誠実さは説明責任を含め新たなルールが必要ではないかと思うのです。

 

ちょっと触れるつもりがつい長引いてしまいました。

 

もう6時になってしまいましたので、本日のテーマは簡単に述べたいと思います。

 

昨日のNHKガッテンは面白かったです。高速道路での追突事故がとても多いのだそうです。最近ドライブレコーダーの普及で、その事故状況の再現ができるケースが増えているのです。放映された画像では、事故で止まっている車に、まるで何もないかのように後続車が猛スピードでぶつかるのです。そういった事故がたくさんあるのです。

 

それは運転者が眠っているからと誰もが思うでしょう。ところがそうではないのです。しっかり運転者は目を開けて前を見ているのに、するすると惹きつけられるように被害車両にぶつけてしまうのです。それはシミュレーションで運転した多くの人も経験しています。

 

では眠っていないのに、なぜぶつかるのかと驚きますね。この問題を研究している名前等をすべて失念してしまいましたが、大学の名誉教授でしたか、この方によると、人間の目がもっている本質的な性質によるようです。網膜は中心部分は明確な対象を捉えるのですが、その外の周辺部はぼんやりとしかとらえないそうです。そして高速道路などでは次々と猛スピードで見える対象が変わっていくため、それらにすべて集中していると神経が疲れてしまうので、どうやら関係ないと思われる周辺は見えない状態にして緊張を和らげる、ま、神経の安定作用でしょうか、それが働くようです。すると、前方車両の一点に集中するというところまではわかったのですが、疲れてくると前方を見ているのですが、どうやら距離感とかもつかめなくなるようで、衝突回避の危険信号が視神経なり脳なりで判断できなくなるみたいです(このあたりになると私の推測)。

 

この問題の事故回避策は、当然ながら車間距離をとるというセオリーが働くようです。それを具体的に、前方車両が通り過ぎた目標点から3秒でしたか、4秒でしたか数えるだけ距離をとるといったことでしょうか。

 

次に、逆走の事故です。これも多いようです。ただ、高齢者が特別多いとはいえないようです。一番多いのは30歳未満の世代ですね。なぜ逆走するのかというと、どうやら標識に要因があるようです。たしかにドライバーが見えるように前方に標識を立てていますね。でもこれは有効ではないようです。高速道路に入る、から出るといった状況は、結構緊張しますね。そのときたくさんの標識があって、咄嗟に識別できるかというと簡単ではないように思うのです。解決策は、道路上に出口という表示をすることで、逆走が激減したそうです。

 

私は日本の道路標識があまりに多すぎることを問題と思っています。それは景観的にも望ましくないですし、ドライバーにとっても過度な緊張の機会を増やすことになるように思うのです。たとえばスピード制限の標識もそうです。北米などでは、ほとんど道路上に表示されていた記憶です。それは景観的にも優れていると思うのです。

 

わが国では道路景観アセスメントということがあまり取り上げられないように思いますが、北米では必須のポイントではないかと思っています。それは風景景観に悪影響のある標識・広告などを避けるというだけにとどまらず、道路のルートづくりをするときも、眺望景観のいいところを選ぶとか、あるいは直線道路が長くなるのを避けカーブを設けて、先の高速道路睡眠減少を回避するなどの効果も考えています。この道路景観アセスメントは多様な技法があり、わが国の土地問題もあり、直ちに取り入れられるものばかりではありませんが、検討してもらいたいものです。

 

最後に、アクセルとブレーキの踏み間違いによる事故です。これは歩行者などの死傷事故に繋がり、悲惨な結果を招く、ショッキングな画像がたくさん放映されていました。これは中には、認知症が原因とか、高齢化が原因とか、指摘されることがありますが、データでは明らかにそのような要因を重視すべきではないことが示されていました。私もそう思うのです。安易に認知症のある人、あるいはその疑いがある人に、運転免許証の返還とか、運転するべきでないといった意見が出されていますが、疑問です。

 

この踏み間違いは、実験結果やデータでは、たとえば突然、電話音が車の中で鳴り出すとかの予想外の出来事によって、運転者がショック状態に陥り、アクセルとブレーキを踏み間違うことが証明されています。それは普通にドライブしていた人が起こすのです。

 

その意味では、話しかけも場合によってはよくないでしょうね。たしかバスなどでは、運転手に話しかけないようにと注意書きがあったような記憶です。とはいえ、のんびりしていると、話しながら運転することは睡眠防止にもなり、いい場合もあるかと勝手に思っています。というのはカナダで経験しましたが、ある長距離バスに乗ったところ、ほとんど乗客がいなく、ちょっと運転手に行き先について話したところ、ずっと長時間話し続けたことがありますが、カナダらしいのんびりした運転環境だったかもしれません。

 

今日はこれでおしまいです。


郵便はどうなる? <日本郵政 赤字転落 400億円、民営化後初・・>を読んで

2017-04-26 | 企業活動 コンプライアンス 公正取引

170426 郵便はどうなる? <日本郵政 赤字転落 400億円、民営化後初・・>を読んで

 

今朝は涙雲?でしょうか、辛い気持ちをじっと耐えているような空模様。でもちょっと最近聞き慣れない囀りにふとベランダを見ると、赤い腹で濃紺の衣服をまとった、そうイソヒヨドリが軽やかに鳴いています。ちょっとこっちの様子をうかがいながら、しばらくさえずりましたが、ひょいと一気に飛び立っていきました。

 

あんな感じで空を飛び回れば気持ちがいいだろうなと、人間の勝手な思いがちょっと浮かびました。人間の勝手な思いというので、昨日の夕刊記事、<福島の6年 「それぞれ」の桜>を思い出しました。

 

福島・三春町にある福聚寺(ふくじゅうじ)の住職であり作家の玄侑宗久氏の話が掲載されていました。彼の禅に関する本は結構読みましたし、小説もそれにつれて読みました。彼の言葉には重みを感じます。その彼が<。「これほどまでに、ややこしくなってしまうとは……」>といい、<分断を生み出す。それが原発>と語るのです。

 

<「この6年を、誰もが肯定したいと思っています。福島に残った人には『残って良かった』という気持ちがあり、県外に避難した人も、その決心が正しかったと思いたい。そして双方の立場とも、納得できる材料はたくさんある」。その結果、両者の壁はどんどん厚くなってしまった。そして、同じような「分断」は至る所で起きている。>と。<。「原発の再稼働を推進する人々は、こうした分断から生じる人間関係のややこしさを重大な問題と思わないのでしょう」と。

 

当地にやってきて玄侑宗久氏のある種ファンになりつつあるのです。そんな中で福島原発が起こりました。明確な道筋があろうとは思いません。それでも僧侶として、また作家として苦悩している様子を遠くから受け止めたいと思うのです。そういう僧侶がもっと増えることを期待したいとも思いつつ。

 

その福島の復興がというより、被災の苦悩の中に多くの人が取り残されているというのに、今朝の毎日記事はトップニュースで、今村復興相の辞任と、日本郵政の赤字転落を取り上げていました。前者は取り上げるだけの価値を見いだせないので省きます。

 

後者は<日本郵政赤字転落 400億円、民営化後初 3月期決算>との見出しで、多数の指摘があり、郵政事業のあり方も含め、考えてみたいと思います。

 

赤字転落 復興財源に影響も 政府、株売却へ逆風>の記事では、この赤字転落により、<政府が東日本大震災の復興財源調達のために計画している郵政株売却のスケジュールに影響が出る可能性がある。>といった予測もあります。

 

民営化後初の赤字 甘い海外戦略 豪社買収時、疑問の声 政府、市場「相乗効果薄い」>の見出し記事では、そもそも赤字原因は、海外企業の過大な買収です。トップの経営判断ですが、<豪州物流最大手「トール・ホールディングス(HD)」の買収>はどの程度具体的な企業戦略の基に、決定されたのか、疑問視されていますが、当然でしょう。

 

上記の記事には東芝をはじめ最近の海外企業買収事例の増加傾向と、その失敗例が取り上げられています。東芝の例と類似するのは、両者ともいわば水平的統合ですが、いずれも当該企業実績や海外市場動向をなど、綿密に検討したのか疑わしいのです。相当数の専門家メンバーでその当否を検討したはずでしょうが、買収額がいずれも事業実態に比べて極めて巨額となっていていますが、その判断に過ちがなかったのか、その責任はどうとるのか、調査の必要性が高いと思います。

 

そもそも日本郵政は、収益力が高い金融2社の分社化と、収益力の乏しい残った郵政事業について、明確な戦略を持たないまま、<国内物流事業を強化し、日本郵便の成長につなげることを画策し、佐川急便(SGホールディングスグループ)、日立物流の買収を検討した。だが、いずれも実現が困難だったため、「第3の選択肢だった」(幹部)トール買収に踏み切った。>と思われるのです。

 

国内物流事業の強化は本来の道であるのに、他の競合企業を買収できなかったからと行って、まったく未知の海外市場で、それもその実績も十分把握できたとは思えないトール買収を決定したトップを含め取締役の責任は重大でしょう。だいたい、トールがもつノウハウが国内物流事業の強化にどう役立つのか、はなはだ疑問です。豪州を市場とする企業が、仮に物流事業を効率的・革新的に行っていたとしても、まったく異質の日本の市場で相乗的に機能するノウハウを有しているかどうかを緻密に検討しないと、とても巨額を投じて買収するといった判断に到るとは思えません。

 

しかも政府が80%も株式保有しているのですから、いわば税金で経営している企業です。その企業が6200億円も拠出して買収した結果、4003億円もの損失処理をするわけですから、人様の大切な銭をはなはだぞんざいにあつかっていたかと批判されてもやむを得ないでしょう。それが復興予算にも影響するわけですから、トップたる者、心して欲しいものです。

 

翻って、郵政事業は、1871年前島密が郵便事業の創設し、近代郵便事業の基礎を作った後、長年にわたり、日本全国の隅々まで、低額かつ定額で郵便物を届けるという、日本人にとって情報流通を容易にしただけでなく、心通わせてくれる事業を行ってきたと思うのです。

 

近時のIT革命でメールなどでの情報伝達や、宅配便などによる荷物配達などにより、郵便事業の新たな展開が求められる中、既存システムの抜本的な改革を容易に進められない状況にあったかと思います。

 

とはいえ地方における郵便局の役割は驚くほど人気が高いと思うのです。当地では一番人気のある場所というか、車や人が混雑する場所のように思うのです。ただ、金融子会社2社が分社化し、郵便事業だけで独立して事業を黒字化できるかとなると、容易ではないと私も思います。

 

郵便局のそれぞれのスタッフの営業努力も最近は私のような小さな事務所にもやってきます。でもそれは従来型のサービスの人海戦術に過ぎず、努力は買えますが、より多角化、効率化を目指すサービスが求められているように思うのです。一人一人の職員が経営者的感覚で事業を行うくらいの気構えが求められているように思うのです。

 

そろそろ7時に近づいてきました。中途半端ですが、今日はこの辺で終わりとします。