たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

決死の追求と自然の脅威 <逃走容疑で受刑者の男逮捕>を読みながらふと考える

2018-04-30 | 人間力

180430 決死の追求と自然の脅威 <逃走容疑で受刑者の男逮捕>を読みながらふと考える

 

今朝、庭の手入れを久しぶりにやっていると、隣家からその花はなんて言うのですかと、聞かれました。私は新しく植えた珍しいサボテンの花かと思ったら、その周りに咲いている小さな花でした。

 

去年何種類かの色違いを植えて、長い間咲いていましたが、まさか今年も咲くとは思っていませんでした。今年は土に馴染んだのか、去年より勢いよく咲いています。キンギョソウです。冬の間枯れてしまっていたのですが、3月末頃からどんどん去年植えた一部が今年も花びらを開いてくれるとうれしいものです。

 

バラも去年はなかなか咲かなかったのですが、いまはつぼみが一杯で、これは楽しみです。今年はバラを少し増やそうかと思っています。野鳥も庭までやってきます。蝶や虫がいるからでしょうか。コンポストの中にはダンゴムシがうじゃうじゃいて活発に活躍してくれています。おかげで生ゴミ出しは2月に一度くらいで済んでいるような気がします。

 

ところで、共同通信記事<逃走容疑で受刑者の男逮捕広島駅周辺の路上で確保>という結果は、ようやく島の人々に安心と本来の生活に戻ることができる安堵感を与えてくれるでしょうね。

 

<愛媛県今治市の松山刑務所大井造船作業場から受刑者の平尾龍磨容疑者(27)が脱走した事件で、広島県警は30日、広島市南区にあるJR広島駅周辺の路上で同容疑者の身柄を確保し、逃走の疑いで逮捕した。調べに対し「海を泳いで渡った」と話している。>

 

結局、海に囲まれた向島の中で逃避行を続けていたと思われた脱走犯は、海を泳いで中国側に渡って、広島市まで足を運んでいたのですね。

 

この島での逃避行を続けていた脱走犯と警察の大捕物劇をニュースで見ていて、意外と捜査には穴があるものだなと思いつつ、池澤夏樹著『アトミックボックス』を朧気ながら思い出しました。

 

この脱走犯がなぜ脱走し、警察の厳しい追及を逃れて、広島市(あるいは故郷の福岡方面?)まで逃げ続けたのか、それは今後の捜査で判明するかもしれませんが、映画『逃亡者』のリチャード・キンブルのような正義を求めたわけではないようですね。共同通信記事は<「刑務所での人間関係が嫌になった」と供述

 

『アトミックボックス』は、警察庁(公安調査庁も関与していたような記憶?)が全国規模で捜査網を張り巡らし、一人の若い女性を、名目は父の死亡についての自殺幇助(実際は国家秘密の原爆計画を記録したデータを奪うため)を理由に、スリリングな捕物帖を、瀬戸内の小島から島伝い、さらに太平洋、そして東京と、ジェラード警部のような猛烈なつい急激が展開するのです(実は毎日新聞朝刊でだいぶまえに連載された後読んでいませんので、記憶はかなりいい加減です。でもこれほど面白いと思った小説は数少ないと思っています)。

 

これが田中陽希さんのようなアスリート並というか、プロのアドベンチャーレーサーだったら、従来の小説や映画でもありそうな感じです。しかし、逃走劇の女性主人公は、たしか地方の大学で社会学(民俗学?)の研究員で、これまで研究に没頭していたオタク的存在です。ま直裁に言えば、フィールドワークで野外に出るとしても、自然の脅威にはとても太刀打ちできない外観を醸し出しています。

 

そういえば、今朝の田中陽希のグレート・トラバースでは、津軽海峡をシーカヤックで渡る場面が登場しました。25kmを4,5時間で渡りきるのですから、なかなかの腕前だと思います。少し海が荒れていましたが、あの程度はたいしたことはないですね。といっても報道カメラマンが乗船している船から一時見えなくなっていたので、そのとき波が強かったかもしれません。放映された画面では、津軽海峡としては波は穏やかに近いのではと思います。少しあれれば、カヤックなんかは波間に沈むほど数m以上の荒波に隠れてしまうでしょうから。

 

こんな話をしたのは、瀬戸内ではそんな波はない、と思いきや、暴風雨などのときは当然相当な波があるはずです。東京湾でも港の中は割合べたであっても、ちょっと防波堤を抜けて湾の中まで行くと大変な波に襲われることもあるくらいですからね。

 

で、瀬戸内の名称、瀬戸と灘がありますが、この違いはどんなところなんでしょう。いずれも波が荒い印象ですが、前者は島と島の間で狭まっているため、海流の速度が速くなる場所ですね。灘はというと波が荒いところとされていますが、地形的には島がすくない場所ですね。その波の荒さはどのような要因から来るのでしょう。以前、ジオ・ジャパンの放送を紹介したとき、中央構造線の影響で、九州から愛知まで島や山地が隆起した部分と、沈んだ部分が交互に生まれたといった説明がありました。

 

で、島が多い場所に生まれる瀬戸はいくつもありその急流が東から、西からと灘でぶつかり合い三角波のようなあれた状態になるのではとちょっと想像してみました。

 

で、脱走犯が隠れていた向島と中国本土との間は200mの狭い、いわばキャナルのような形状ですから、当然急流となっていますね。でも干満の中休みがあって静止状態にちかくなるときだったら、たった200m、あるいは目立つところを避けても400mとか1000m未満なので、ちょっと泳げる人だったら簡単に渡れますね。

 

この脱走犯の追撃は、そういった意味ではあまり驚嘆する話と言うより、当然予想の範囲で、その警戒がしっかりできていたかといことが問題になるかもしれません。

 

それに比べアトミック・ボックスの女性は、警察が予想できない行動をとるのです。その内容を思い出さないのですが、とっても泳いで渡れそうもない島まで泳いでいくのです。その他追求劇は、瀬戸内の島々に住む人々の生活を映し出したり、また島々で開催されているアートイベントまで舞台の小道具として使いながら、彼女の全警察の頭脳の先を行く、AI以上のすばらしい発想を披露し、また行動力を示してくれるのです。

 

その能力は、頭脳的にも、体力的にも、女性も男性と変わらない、いやそれ以上であることを池澤夏樹氏は丁寧な描写で示してくれています。しかもその目的がとても純粋です。死ぬまで自分の行ってきた秘密を隠し通し一介漁民として生き続けた父への思慕と、父が守り続けた国家的秘密の処理が自分に託されたと自覚した主人公が、その解明のために決死の追求を行う様は、すばらしいですね。

 

その点、比較してはいけませんが、元財務事務次官のセクハラ発言、そのような人格の持ち主に呼び出されて会食をしなければならない記者の立場、それを容認する報道各社、その構造的問題を、『アトミック・ボックス』で展開されるフィクションは、改めてクローズアップしてくれているように思うのです。いつかもう一度読みたい本です。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。


非薬物的介入原則 <認知症高齢患者の幻覚や妄想 向精神薬、効果は限定的>などを読みながら

2018-04-29 | 医療・介護・後見

180429 非薬物的介入原則 <認知症高齢患者の幻覚や妄想 向精神薬、効果は限定的>などを読みながら

 

今朝も上天気です。野鳥の鳴き声が音楽を聞いているような感じにしてくれます。窓の外を眺めるとツバメが見事に飛翔しています。さっとわが家の方向から緑色した美しい羽根をもった鳥が向かいにあるヒノキの梢に留まりました。あれはなんだろう、オオルリかな、ルリビタキかな、イソヒヨドリとは違うなとかいろいろ考えているうちに、さっと飛んでいきました。

 

こんどはまた軽やかに歌声を響かせる、はっきりはいえませんが、ホオジロらしき姿がヒノキの梢に。そうかと思うと、庭先にはマヒワが一羽、ひょいと垣根に泊まり、しばらくしてさっと飛び立ちました。マヒワは集団で動くことが多いように思うのですが、はぐれてしまったのかしらなんて、つい思います。それにしても五月の季節を迎え、鳥たちもいっそう元気が出て活動的です。繁殖の季節でしょうか。

 

近くのさまざまな木々も、遠くの高野の峰峰も、新緑が鮮やかで、すがすがしい快晴の朝です。こういう自然の宴を体感していると、もしかして認知症にならない?、いや認知症になっても進行がすすまないのではとふと思ってしまいます。聴覚がさまざまな音に反応していると、脳の働きも活発になるでしょう。耳からの情報はとても新鮮で、ビビッドに感じます。脳神経も敏感に反応して、ますます活発になるのではないかとつい思ってしまいます。

 

視覚も大事ですね。自然の営みは日々刻々と変わっていきます。それを繊細に識別して感応することができれば、それだけで脳細胞は衰えを知らないのではなんて思うのです。

 

そんなことを考えたのも、今朝の毎日記事<賢い選択価値の低い医療/上 認知症高齢患者の幻覚や妄想 向精神薬、効果は限定的>を読んだことも影響しているかもしれません。

 

後見人の仕事をしていると、有料老人ホームや介護老人保健施設や特別養護老人ホームなどに訪れる機会がありますが、施設で過ごされている高齢者で元気に話をしているような方を見かけたことがほとんどないのです。多くのこういった施設は、自然環境の豊かな場所に設置されていて、窓からは様々な木々が間近にあったり、潮騒の音が聞こえてくるところであったり、自然を楽しめるはずなのですが、そういう様子は見かけたことはあまりないのです。

 

それだけ元気なら自宅介護で、デイケアを利用するでしょうというのかもしれません。はたしてそうでしょうかとふと考えてしまいます。

 

記事に戻ります。認知症高齢者は増えていますね。

<認知症を患うお年寄りが増えている。厚生労働省の研究班によると、2012年の患者数は462万人。25年には700万人、5人に1人になると推計されている。>5人に一人とは驚きです。私も時間の問題かとふと思ってしまいます。ま、このブログを書いている間は大丈夫か?なんても。

 

その認知症高齢者を介護する立場から問題が提起されています。

<認知症患者の介護で家族や介護者の大きな負担になっているのが「行動・心理症状」(BPSD)だ。幻覚や妄想、抑うつ、不安、不眠など症状はさまざま。認知症の進行によって9割以上の患者に何らかの症状が出るとされ、人によって表れ方はまるで違う。>

 

私の母についていえば、幻覚や妄想はかなり前からありました。まだ私のことがわかる段階でしたので、その妄想なりを電話でしきりに話すのですね。最初はいろいろ説明したりしていましたが、納得しません。

 

私が当時(20年くらい前)、妻に財布を盗まれたとか、息子の嫁が勝手に通帳から現金を下ろしたとか、いくつかの相談を母と同年代くらいの方から相談を受けていて、一生懸命その立場になって家の中を探したり、家族などからヒアリングしたり、あるいは銀行に行って払い戻ししたときの申込書の写しを出してもらったり(本人署名を確認)して、ご本人は納得しませんが、ご家族に話して、心療内科・精神科などの医師に診断を仰いで対応してもらったりしたことが何度かありました。

 

そんなことも経験していく中で、母も認知症になりつつあるなと感じていました。90歳を過ぎる頃には私のことがわからなくなりましたが、妄想や幻覚を言うこともなくなったように思います。むろんこの間そういった向精神薬も服用していなかったと思います。母はいまも耳も目もよく、人の話には耳をそばだて、口出しします。自分で食事もできます。100歳まで生きるかどうかはわかりませんが、そんな勢いで元気です。入所されている高齢者の方に比べて、とても元気なのです。

 

脱線しましたが、記事では<BPSDを治めようと、抗精神病薬や抗不安薬など向精神薬を使うケースは少なくない。だが、効果は限定的で、東京慈恵会医大の繁田雅弘教授(精神医学)は「薬を使わず、まずはBPSDの原因を突き止めて解決することが重要だ」と強調する。>

 

記事で紹介されているものと同じかどうかわかりませんが、<かかりつけ医のためのBPSDに対応する向精神薬使用ガイドライン>は<対応の第一選択は非薬物的介入が原則>と明確に断定しています。

 

このガイドラインの冒頭に挙げている原則は重要と思いますので、そのまま引用します。

<○BPSD には認知症者にみられる言動・行動のすべてが含まれる。

BPSD の発現には身体的およびあるいは環境要因が関与することもあり、対応の第一選択は非薬物的介入が原則である。

BPSD の治療では抗精神病薬の使用は適応外使用になる。基本的には使用しないという姿勢が必要。

向精神薬、特に抗精神病薬については処方に際し十分な説明を行い同意を本人およびあるいは代諾者より得るようにする>

 

はたしてこのガイドラインは、多くの医療関係者や患者家族に理解されているでしょうか。いや、介護施設関係者においてはとくに確認しておきたい気持ちです。

 

とんでもない、このガイドラインは、かかりつけ医に対するものであって、介護施設においては、適用外だというのでしょうか。いやいや、施設長たる医師がこのガイドラインの趣旨にそって対応しているというのでしょうか。実態を知りたいものです。

 

 

しかもこのガイドラインでは薬物使用の前提条件として、まず一定の環境要因などがないことについて<条件を満た>すことを求めた上、<薬物療法を検討する場合には、必要に応じ認知症疾患医療センター等の専門的な医療機関と連携をとるようにする>としています。

 

実際に服用治療を始める場合にも、当然ながら<その症状/ 行動を薬物で治療することは妥当か、それはなぜか。>など基本条件を<事前に確認し、開始後は下記のチェックポイントに従ってモニタリングするようにする>と厳格な手続を求めています。

 

BPSD(Behavioral and Psychological symptoms of Dementia: 認知症の行動・心理症状)>の症状に応じた適切な薬物の選択が必要なのはもとより<低用量で開始し症状をみながら漸増する>ことが基本です。

 

しかも<薬物療法開始前後の状態のチェックポイント>としては、これも長くなりますが、全部引用します。

<○日中の過ごし方の変化の有無

○夜間の睡眠状態(就床時間、起床時間、夜間の排尿回数など)の変化

○服薬状況(介護者/ 家族がどの程度服薬を確認しているかなど)の確認

○特に制限を必要としない限り水分の摂取状況(食事で摂れる水分量を含めて体重(kg)×(30 35)/日 ml が標準)

○食事の摂取状況

○パーキンソン症状の有無(寡動、前傾姿勢、小刻み/ すり足歩行、振戦、仮面用顔貌、筋強剛など)

○転倒しやすくなったか

○減量・中止できないか検討する。減量は漸減を基本とする。

○昼間の覚醒度や眠気の程度>

 

私はこの薬物療法の開始前の基本的検討がどこまでなされているのか、また開始前後の状態のチェックがどこまでなされているのか、介護施設内での状況に少し懸念しています。私自身が、あまり実態を知らないから過大な懸念をもっているのであればいいのですが、単なる杞憂に終わることを望んでいます。

 

監督官庁が定期的に監督しているから大丈夫というかもしれませんが、こういった監督自体が文書報告とチェックが中心で、実態把握としては実効的に行われていないことは多くの分野でありますので、安心は禁物です。

 

記事でも、<特に注意すべきは、向精神薬を使う期間だ。日本老年精神医学会の研究チームによる認知症患者約1万人を対象にした調査によると、BPSDのため抗精神病薬を新たに服用した患者は、開始11~24週で死亡率が上がり、服用しなかった患者の3・9倍になった。「BPSDが非薬物療法で改善せず、向精神薬を使う場合でも、服用開始から3~4カ月で減量が可能か検討すべきだ」と水上教授。>ということですから、安易な使用例が相当あるように思えるのです。

 

代替案が提示される必要がある中で、記事で紹介されているその一つに、<東京都医学総合研究所のチームも、BPSDの頻度や重症度を数値やグラフで「見える化」するプログラムを開発した。訪問介護など45事業所の認知症の283人を対象に検証すると、プログラムを使ったグループは半年後に症状が大幅に改善したが、そうでないグループはほとんど変化しなかった。今年度、都内6区市町村でプログラムを導入する予定だ。>

 

そして<開発者の中西三春主席研究員(精神保健看護学)は「薬物療法も、患者の体を動かなくする身体拘束の一種。減薬につなげていくため、主治医らとの連携が重要だ」と指摘する。>この中西研究の言葉、<薬物療法も、患者の体を動かなくする身体拘束の一種>は正鵠を射た重い表現でしょう。

 

最後に一言。鳥の声を楽しみ、四季の移り変わりを愛で、仲間との会話を楽しめる、そういう高齢者の施設なり介護対応をめざしてもらいたいものです。ユマニチュードは私が一番学ばなければいけないものだと考えています。

 

今日はこれにておしまい。また明日。

 

 

 


新税による新森林管理 <「森林環境税」>と<林業経営体>を少し考えてみる

2018-04-28 | 農林業のあり方

180428 新税による新森林管理 <「森林環境税」>と<林業経営体>を少し考えてみる

 

増税というと消費税論議が注目されますが、現時点では額は小さいものの今後増大する見込みの「森林環境税」を少し考えてみたいと思います。

 

森林環境税といっても、広義と狭義があり、広義では狭義の森林環境税と森林譲与税があります。

 

林野庁の冊子でしょうか<森林環境税(仮称)と森林環境譲与税(仮称)の創設>というタイトルで特集を組んでいます。

 

この新税の背景は多様ですので、詳細は上記を読んでいただき、次のような観点で新設されたことが指摘されています。

 

<① パリ協定の枠組みの下におけるわが国の温室効果ガス排出削減目標の達成、災害防止を図るための森林整備等の地方財源を安定的に確保する観点から、

森林現場の課題に対応するため、現場に最も近い市町村が主体となって森林を集積するとともに、自然条件が悪い森林について市町村自らが管理を行う「新たな森林管理システム」を創設すること>

 

特徴は、市町村が主体になる管理システムです。そういえば、以前からそのような制度化がなんどか行われたように思いますが、計画倒れに終わった記憶です。でも今度は新税が投入されるのですし、きっと実効的な制度になる、と期待したいところです。

 

さてその税の中身ですが、

まず、狭義の森林環境税は<個人住民税の均等割の納税者の皆様から、国税として1人年額1,000円を上乗せして市町村に徴収していただきます。税収については、市町村から国の交付税及び譲与税特別会計に入ります。>その税の規模は600億円くらい。東日本大震災後の防災対策の税率引き上げが平成35年度で終わるため、平成36年度からとのこと。

 

他方で、<森林環境譲与税(仮称)は、国に一旦集められた税の全額を、間伐などを実施する市町村やそれを支援する都道府県に客観的な基準で譲与(配分)します。森林環境譲与税(仮称)は、森林現場の課題に早期に対応する観点から、後述する「新たな森林管理システ

ム」の施行と合わせ、課税に先行して、平成31年度から開始されます。>と来年から先行して課税されるのです。

 

それでこの森林環境譲与税の使途が注目されるわけです。①がメインともいえますが、②③ができていないと森林現場は動きませんので、①から③のいずれも欠くことができませんね。

<①間伐や路網といった森林整備  

人材育成・担い手の確保

木材利用の促進や普及啓発>

 

しかし、こういった施策は、これまでも繰り返し次々と名前を変えながらもやってきたのではないかと、昔の名前ででていますにならないか、少し心配になります。市町村が主体になるから大丈夫ともいかないでしょうね。というのは現在多くの市町村は、森林管理が遠ざかっているのが実態ですから、果たして適切かつ有効に管理できる組織・人材を配置できるか、市町村の今後も問われることになるでしょうね。

 

譲与基準も一定の考慮がされています。

<市町村と都道府県の譲与割合は9:1となりますが、制度発足初期は、市町村の支援を行う都道府県の役割が大きいと考えられることから、経過措置として市町村:都道府県=8:2でスタートし、市町村への譲与割合を徐々に高める、という設計となっています。>最初の段階では、現在になっている都道府県がサポートする形のようですね。

 

 次に<譲与基準は、5/10を私有林人工林面積で、2/10を林業就業者数で、3/10

を人口で譲与することとされています。>

しかも<私有林人工林面積については、それぞれの市町村の林野率で面積を補正することとしています。>条件不利地に対する考慮ということのようです。

 

興味深いのは<使途の公表>です。

これは実効的に行うことができれば、有効でしょうね。ただ、使途の明細を数値的に算定し、検証できるスタッフがいないと、これまた危ういことになりかねませんが、そこは住民がしっかり監視の目を向けることで、緊張感をもってやれるかもしれません。

 

今回の目玉と言っていいのが<新たな森林管理システム>ではないかと思います。

 

それはこれまでいくら林野庁が森林整備の施策を展開しても、現状はあまり変わらず、<森林現場には、森林所有者の経営意欲の低下等の課題があり、森林の手入れや木材生産が十分になされていない状況です。>といったことはよく言われることです。

 

それで、まず<① 森林所有者に適切な森林管理を促すため、適時に伐採、造林、保育を実施するという森林所有者の責務を明確化し、>とまるで農地所有者の責務強化の動向を反映しています。

 

次がその目玉となっています。

<② 森林所有者自らが森林管理できない場合には、その森林を市町村に委ねていただき、

経済ベースにのる森林については、意欲と能力のある林業経営者に経営を再委託するとともに、

自然的条件から見て経済ベースでの森林管理を行うことが困難な森林等については、市町村が公的に管理を行うこととしています。>

 

要は、やる気のないというか、放置している森林所有者に代わって、市町村が主体になって、民間の林業経営体に再委託、あるいは公的管理するということでしょう。

 

後者はどんなことを考えているのかまだわかりませんが、前者は一定の基準で適切な林業経営体に委ねるということは、理解できる制度と思います。

 

ところで、その林業経営体について、本年26日付け林野庁長官の都道府県知事宛の「林業経営体の育成について」と題する通知で、その育成を図るために、その判断基準の設定や選定、登録などを指示しており、全国的にすでに動きつつあるようです。たとえば静岡県の<意欲と能力のある林業経営体」へと育成を図る林業経営体の選定(移行措置)

 

他方で、市町村は主体的な管理組織をどのように作ろうとしているのか、まだその動きがつかめません。頑張ってほしいものです。他方で、林業経営体なるものが実効性ある経営体になるには、はっぱをかけるだけでなく、周辺の環境整備も必要でしょう。

 

今後の動きを注視してみたいと思うのです。

 

ちょうど一時間となりました。このへんでおしまい。また明日。


津波防災と学校責任 <大川小津波 2審判決 「組織の備え」こそ教訓>

2018-04-27 | 災害と事前・事後

180427 津波防災と学校責任 <大川小津波 2審判決 「組織の備え」こそ教訓>

 

今朝も田中陽希のグレートトラバースを見ながらジョギングもどきをやりました。陽希さんの頂上踏破を待ち受ける人が次第に増えてきているように思います。彼の勇気とか驚異的な精神力、肉体的な持続力などに魅せられた人たちでしょうか。彼に握手を求めたり、サインを求めたり、彼の勇姿を一瞥したいといった気持ちの人が遠くからでもやってくるみたいです。

 

それを見ていると、比叡山などの千日回峰行を遂行する行者を敬って近づく信奉者たちのような印象すらあります(少し大げさですが)。私が40年くらい前京都にいるとき、ちょうど酒井阿闍梨が遂行中で、一度拝顔したいと思ったこともありますが、やはりあえてそこまでの気持ちが起こらなかったですね。私の場合、そういう感覚になりにくい性格かもしれません。千日回峰行も、日本百名山一筆書きも、いずれもすごいと思いますし、大変なことをやっているとは思うのですが、その人と会ってみたいとか、、励まそうとか、いや励ましてもらおうとか、そういう感覚にはなれそうもないようです。

 

ただ、NHKの密着報道のおかげ(スタッフは大変でしょうけど)で、陽希さんの人並み外れた能力とともに、普通の若者の姿もあって、楽しく見ています。彼のガレ場での不安定な石の上をすばやく、どちらの足のどの部分に体重をどの程度かけ、その次にどのように体重移動するかを瞬間的に判断する鋭敏さは、やはり空海がなしえたことの一端をやっているようにも見えて、興味深くフォローしています。

 

私自身、若い頃、沢沿いの岩場をどんどん歩いたり、その後は沢登りをしたりして、岩には親しみを感じているものですから、彼のような動きは昔を懐かしむことで自己満足している部分もあるかもしれません。

 

さて本論に入る前に饒舌な関係のない話をしましたが、少々体調が悪いので、元気印の陽希さんの話を紹介していると、このブログもスタートできるかと思った次第です。

 

さて毎日朝刊は、かなりの分量を使って大川小学校津波被害の学校責任を認めた仙台高裁の判決とその関連情報を取り上げています。ちょっと体調が悪いので、簡潔に済まします。記事番号をつけて、その一部を紹介します。

 

1 <クローズアップ2018大川小津波 2審判決 「組織の備え」こそ教訓 浸水予想、誤り指摘

2 <東日本大震災大川小訴訟控訴審 原告全面勝訴 子どもたちの声届いた 学校防災見直しを、力込める遺族ら /宮城

 

記事1では、市側が予見不可能の根拠として、<大川小の周辺地域は市のハザードマップで津波浸水予想区域外だった>などをしゅちょうしていましたが、高裁は<「ハザードマップは結論として誤りで、独自に信頼性を検討することが要請されていた」とし、教職員らに高い安全確保義務を求めた。避難場所も、学校から「三角地帯」経由で約700メートルの距離にある高台「バットの森」が適当と判断すべきだったと指摘した。>

 

最近ハザードマップが全国各地で作成する動きが広がっていますが、残念ながらその正確性には疑問が少なくないものがあると思います。それは単純に標高差を基本にして作図しているため、水害発生地点の地点の標高とその浸水の広がりを標高差だけで機械的に算出して作図されているようなものがあるからです。それにそもそも水害発生地点の貯水量の推定にも現実の堆積物を考慮した検討がなされていないため、無用に過大な浸水被害を想定するものもあります。

 

他方で、津波被害といった場合の想定は、根拠のある津波高の予想を基に、具体的な海岸や内陸の地形などをもとにシミュレーションしないと、かなりずさんな想定になる危険もあります。

 

その意味で、市側が主張するハザードマップを頼りに津波浸水予想区域だったといった弁解は到底納得できるものではないでしょう。

 

では学校側がハザードマップを含め、素人であるのに独自の判断で津波防災計画を立てないといけないか、それは学校現場の教職が過重労働の状態にある中、現実離れしたことで、酷なことではないかとの批判もあります。

 

しかし、それは学校教職員個々が直接的に責任を負うと言うことまで高裁は述べていないのではないかと思います(判決文を読まないと正確には言えませんが)。

 

同記事では<安全確保義務は学校現場だけではなく、市教委にも課されていると判断。大川小が10年4月に避難場所を明確にしないままマニュアルを改定した後、是正・指導すべき義務を負っていたとも述べた。>ということは、むしろ教育委員会側に重い責任を課しているか、少なくとも学校管理者である校長・教頭レベルの責任ではないかと思うのです。

 

この点、<石巻市の代理人を務める松坂英明弁護士は「現場の教職員に対しハードルの高い安全確保義務を求めている。職員らに多大な義務を課すことは不可能なことを求めているに等しい」と話す。>と高裁判決を非難していますが、高裁の趣旨がほんとにそうか、的外れなものではないかと思っています。

 

ただ、教職員個々も、少なくとも事前防災は別にして、大地震の後長時間、津波が来るおそれをまったく考慮せず、多くの生徒を校庭に待機させていたことには、危険意識の欠如を感じるのです。

 

和歌山県でも南海トラフ大地震がいつ発生してもおかしくない状況にある中、相当程度の防災意識をもって、学校立地の場所を考慮し、その場合のハザードマップを独自に検討しておく必要があると思うのです。

 

記事2では<仙台高裁は2016年10月の1審判決に続き、学校側の過失を認め、津波による浸水の予見は「十分に可能」だとして、学校による事前の危機管理マニュアルの作成・改訂の重要性を強調した。>

 この判決について、<村井知事は「いつの時代も危険を予知して備えをしている。それを超える災害が発生する可能性をどこまで予見できるのか、人知を超えたものにどこまで対応できるのかをよく考えていかなければならない」と対応の難しさから精査の必要性を指摘した。>として、 不可能を強いるものとのとらえ方のように見えます。

 また、<学校側に地域の実情を踏まえた上で高い知見の習得と訓練を含めた高度な対応が求められた判決内容については「一定のルールの下、備えを決めて訓練などをするが、今回の津波に対しては、その次元に至らなかったということではないか」と分析。>ということで、ハードの巨大防潮堤の建設や巨大盛土の住宅地建設には熱心な知事の立場がよくわかる考え方を示しているようにみえます。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。


空き家・土石流の解決は <徳島県神山町 空き家に企業で活気>と<長野県岡谷市 だれの山? 防災阻む>を読みながら

2018-04-26 | 農林業のあり方

180426 空き家・土石流の解決は <徳島県神山町 空き家に企業で活気>と<長野県岡谷市 だれの山? 防災阻む>を読みながら

 

今日はこれから出かけて事務所に帰らない予定なので、簡潔にブログを仕上げる予定です。

 

空き家問題は全国で起こっていますね。地方ではその数がすごいでしょうか。空き地もですね。人口減少の影響でしょうか。対応策があるか、どこもいろいろ考えていると思いますが、名案はなかなか簡単ではないでしょうね。

 

また、土石流被害が全国で多発していますね。むろん気候変動の影響もあって異常豪雨がどこで起こるかわからない状態も影響しているでしょう。ただ、森林地が適切な管理をされないまま放置されているという、空き家・空き地問題に類似する所有者責任の問題も重要な要素でしょう。

 

それぞれ毎日記事が連載で特集していますので、それを紹介しながら、考えてみたいと思います。

まず空き家問題。今朝の毎日記事では、<縮む日本の先に地方はいま/10止 徳島県神山町 空き家に企業で活気>と、元気の出る話が紹介されています。

 

<標高1000メートル級の山々に囲まれた徳島県神山(かみやま)町。高齢化と人口減に悩まされる中で、NPO法人が進める空き家を利用した企業移転が、町に活気を与えつつある。>

 

その担い手は< 移転に携わるのはNPO法人「グリーンバレー」。大南信也理事長(64)は米スタンフォード大大学院を修了後、実家の建設業を継ぐため帰ってきた。>というのです。

 

スタンフォード大の大学院まで出て田舎の建設業を継ぐのはもったいないといった考えは、現代では通用しないでしょうね。別の毎日記事では<幻の科学技術立国第1部 「改革」の果てに/4 将来が見えぬポスドク 不安定な就職事情 正規研究職、不採用40回>と研究職の悲惨な就職事情を紹介しており、おそらく日本だけでなく、アメリカでも似たような状態ではないでしょうか。

 

それはともかく、働く場所が都市部である必然性はないでしょう。さまざまな先端技術が地方でも自分のやりたいことが可能な条件が整備しつつあり、それを発見したものが充実した働き方を、生活を送ることができるのではないでしょうか。

 

<過疎地は「仕事がなく、移住者が定住しない」という同じ悩みを抱える。>という点を逆手にとって、そこに創造的価値を生み出すことをしているようにみえる事業でしょうか。

それは<大南さんは既に仕事がある人を呼び、空き家という空間を提供する「ワーク・イン・レジデンス」を打ち出した。>

 

その結果、

<東京のIT企業「Sansan」が古民家を改修してサテライトオフィスを置いた。「周囲の話し声がうるさい東京と違い、仕事に集中できる」。そんな評判が広がり、現在はIT企業や情報番組配信会社など16社が、空き家に入居。起業者の共同スペースも建てられ、一昨年には省庁地方移転の一環で、消費者庁長官が試験的に町で執務した。町には光ファイバー網が整備され、通信に支障はない。>

 

仕事空間は、多様で生きた自然環境が周りにあれば、オンとオフを仕事をしながらでも簡単に切り替えが可能でしょうし、都市空間の雑多な環境から解放されることによる、精神的なやすらぎは代えがたいかもしれません。仕事を移転すればいいだけですからね。

 

そうなると<企業の転入とともに、フランス料理店、オーダーメード靴店なども次々とオープンし、インターネットで発信される情報に興味を持った海外の観光客も、町を訪れるようになった。>

 

私は以前、近く?の上勝町を訪れたことがありますが(葉っぱビジネスで全国版になった町)、やはりさまざまな気の利いたお店が結構有りましたね。そんなものでしょう。いい店は都市部なんかのごった返したところより、人間とっては好かれるように思うのは私の勝手な解釈でしょうかね。

 

町の中を流れる川の水量が減ってきた、それは山の手入れができていないためと気づいた移住者は、村の人たちが気づかなかった視点で木の扱い、利用を考えたりしています。

 

<大阪市から移転し、ホームページ制作などを手掛ける「キネトスコープ」は、間伐材で作った製品を販売する「神山しずくプロジェクト」を進める。>そして<廣瀬圭治代表(45)は13年、間伐されない神山杉の利用方法としてタンブラーを考案し、地元の職人に製作を依頼した。赤と白の模様が強い特徴を生かしたデザインと保温力などが評価され、今年からパリでも販売される。>

 

木材は切った後、適切な価値で売られ、付加価値のある商品として利用されれば、国内はもちろん、世界を市場にもできるわけですね。その意味で、さまざまな移住者の視点がものの見方を変えてくれ、創造的な村づくり、森作り、社会づくりの担い手になり得るのだと思うのです。

 

それは移住者と、村の住民の相互関係が創造的思考と実現を生み出すのでしょう。

 

ところで、< 国は大都市から地方に本社機能などを移転した企業に税制優遇措置をとることで、企業の地方移転を進めている。>

さらに<ITを使って都会の企業の社員が地方で働けるテレワークを補助する国の「ふるさとテレワーク」事業では、16、17年度で全国の計33件に補助金を出した。今年度も対象を公募している。>

 

しかし、このような制度がどの程度認知され、使われているのでしょうか、それは行政だけの責任ではなく、国会議員、地方議員の意識もしっかり自分たちの施策を実現できるよう働いているか、自省してもらってはいかがでしょうか。いや私はしっかりこういった施策の実現に尽力している、弊害を除去しようと努めているというのであれば、それをもっと強く主張してもらいたいものです。

 

次の<縮む日本の先に地方はいま/9 長野県岡谷市 だれの山? 防災阻む>は、<2006年7月19日未明、諏訪湖の西に位置する長野県岡谷市・・・湊花岡(みなとはなおか)区・・近隣を含めた西山地区では、小規模な河川沿いで次々土石流が起きた。累積降雨量は400ミリ。91カ所計2・39ヘクタールの山腹崩壊が発生し、8人が犠牲になった。>土石流による甚大な被害への対応をとりあげています。

 

<08年1月に間伐徹底や地質に合った樹木への植えかえなどを掲げた「災害に強い森林づくり指針」を策定した。小口さんらも、間伐や植林に励み、「西山里山の会」を結成。>森林の保全活動を進めたわけですね。でも問題が生じたのです。

 

所有者不明で間伐が進まなかったというのです。よくある問題ですね。

 

<東京財団政策研究所の吉原祥子研究員(47)>は次のような対策を提言しています。

< 一つは手続きの手間を減らすなど相続登記の促進策だ。自治体職員や司法書士による相談体制の確立を訴える。

 二つ目は利用価値のある早い段階で、土地を寄付したり、NPOなどに預けられるようにするなど受け皿の確保。

 三つ目は所有者を確認する情報基盤の整備だ。不動産登記は義務ではなく、所有者が不明になることを防ぐため、登記簿、林地台帳、固定資産課税台帳など各書類の情報を共有できる仕組みづくりを求める。>

 

それぞれ林野庁をはじめ考えてきた内容でもあるわけですが、森林の管理なり所有のあり方について、大きな意識変革が問われているのかもしれません。吉原氏が指摘しているように、<公共財産としての管理>といったパラダイム変革ですね。いや先祖返りかもしれません。

 

さて時間がやってきましたので、終わりにします。また明日。