たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

ルールはなんのためか <日本部活動学会 強制ない部活へ と 髪染め強要訴訟>を読みながら

2017-10-31 | 教育 学校 社会

171031 ルールはなんのためか <日本部活動学会 強制ない部活へ と 髪染め強要訴訟>を読みながら

 

いま産業界で起こっている不正事件の頻発はさまざまな背景事情があるでしょう。それを社風とか、過剰な形式上の規制とか、いま一つ一つを取り上げて、これが原因だと論ずるのは正鵠を失するでしょう。

 

ただ、ルールがあるからとか、周りもやっているからということが、学校教育の中で自然に培われて、それぞれの意義をその存在理由から自分の頭で考えないでやり過ごしていることが多くないか、気になります。その中には、ルールがあっても意味がないから形式だけ整えればいいやというのも、そのルールについて必要性・合理性が問われないまま、みんながそうしているからやっているというのもあるかもしれません。

 

そんなことを二つの教育をめぐる記事を読みながら、ふと考えてしまいました。

 

今朝の毎日記事<日本部活動学会強制ない部活へ 教員、学者ら設立へ 長時間労働、ブラック化>は、小国綾子記者が取り上げています。

 

<学校教員に過重労働を強いる部活動が問題視される中、現役教職員や教育学者が年内にも「日本部活動学会」を設立する。>というのです。

 

なにを目的とするかは<「ブラック部活動」とも言われる実態についての議論や調査、政府への提言で現状を変えることを目指している。>とのこと。

 

たしかに部活は私立・公立問わず、熱心です。いや、やり過ぎと思われるものも少なくないと思っていました。土日もなく、平日も夜遅くまで活動する部活もあります。教師も大変ですが、生徒も大変です。子どもは部活が好きだから続けるのかもしれませんが、それには限度があるとか、といったことを指導者に対して批判できるほど自立した精神がまだできていないことが少なくないように思います。

 

他方で、教師はこれだけ一生懸命やっているのだし、生徒のためにやっているのだから、保護者だろうが上司だろうが、批判される筋合いはないとくらいの感覚で、邁進している人もいるようです。

 

むろん小国記者の記事のように<文部科学省の教員勤務実態調査結果(2016年度速報値)では中学教諭の6割近くが国の「過労死ライン」である週20時間以上の「残業」をこなす。10年前より週5時間以上も増えた。その一因が過熱する部活動だ。>という部活動の過当競争的なものもあるでしょう。

 

しかし、記事が指摘するように<部活動はそもそも教育課程に含まれず、学習指導要領も「生徒の自主的、自発的な参加により行われる」と定めているにすぎない。>のですから、ある意味、部活動の根拠がないというか、ルールが明文化されていないのかもしれません。

 

とはいえ実態は<「だが、実際には教員も生徒も強制されています」と、学会の発起人代表で教育学者の長沼豊・学習院大教授は指摘する。教員全員が一つ以上の部活動の顧問か副顧問を担当する「全員顧問制」と呼ばれる慣習を9割の中学校が採用。生徒全員に加入を強いる中学校も地域差はあるが全国平均で4割近い。>というのですから、見えない強制化のルールがあるようにも思えます。

 

生徒は、一人で、あるいは学校外で、自由に思索や活動をしてもよいはずですし、部活動するかどうかは、まさに自立心を養うためにも自分で選択できる環境条件が必要でしょう。

 

しかし、最近の受験競争の激化と部活動の評価も影響しているのか、上記のように、まさに教師も生徒も強制化された状態で部活動を強いられているのではないかと危惧します。

 

他方で、世の中には様々な誘惑が次々と生まれています。ゲームやよからぬ遊びがその例です。育ち盛りの子にとって、甘い誘惑に惹かれるのも自然かもしれません。それに比べれば、部活動をすることにより、その子の成長が一定の軌道に乗ってくれると教師側・保護者側も感じるかもしれませんし、子どもも共通する目的をもつ仲間をもつことで安心できるかもしれません。

 

とはいえ、根本に戻れば、教師も適切な労働条件で勤務できなければ、生徒に対して、適切な自立心を指導することもできないでしょう。生徒もまた部活動が過大だと、本来自分で選択すべき行動ができなくなります。両者にとって望ましくない状態だと思います。

 

部活動によって集団的規律を養うことができるかもしれませんが、他方で、その中で支配するルールについて、それぞれが自分で判断する機会を狭めているかもしれません。むろん長時間の部活動でも指導が適切であれば、個人の判断が尊重されると思いますが、教師自体が過労死ラインを超えるような状態であれば、そのような自由な発想を生み出すことは困難ではないかと思うのです。

 

続いて、少し前の記事になりますが少し気になっていたので取り上げます。遠藤浩二記者が1028日付けで<髪染め強要訴訟「人格侵害」生徒側訴え 大阪地裁初弁論>との見出しで記事にしたものです。

 

記事によると<生まれつき頭髪が茶色いのに、学校から黒く染めるよう強要され不登校になったとして、大阪府羽曳野(はびきの)市の府立懐風館(かいふうかん)高校3年の女子生徒(18)が約220万円の損害賠償を府に求めた訴訟は27日、大阪地裁で第1回口頭弁論が開かれた。>

 

女子生徒の主張は、訴状記載した事実ではとんでもない人権侵害が行われていることを取り上げています。記事をそのまま引用します。

 

<生徒は生まれつき髪の色素が薄く、2015年4月の入学時、教諭から「その色では登校させられない。黒く染めてこい」と言われた。生徒はそれに応じて黒く染めたが、色が落ちるたびに「不十分だ」などと注意され、2年の2学期以降は4日に1回は指導を受けるようになった。

 <自宅には常時、10個ほどの髪染め剤を置き、度重なる使用で生徒の頭皮はかぶれ、髪はぼろぼろになった。教諭から「母子家庭だから茶髪にしているのか」と言われたり、指導の際に過呼吸で倒れ、救急車で運ばれたりしたこともあった。文化祭や修学旅行には茶髪を理由に参加させてもらえなかった。>

そして最後には<生徒は昨年9月、教諭から「黒く染めないなら学校に来る必要はない」と言われ、不登校になった。>とあります。

 

ところで、頭髪については明文のルールがないといえます。<校則には頭髪の規定がないが、入学時に配る「生徒心得」には「パーマ、染髪、脱色は禁止する」と記載。学校側はこれを指導の根拠としており、生徒の代理人弁護士に「たとえ金髪の外国人留学生でも規則で黒く染めさせることになる」と説明したという。>

 

校則になく、生徒心得にはあるというのは、よくあるパターンかもしれません。この生徒心得とは何なんでしょう。こういった硬直した決まりが多くの学校でいまなお通用しているようですが、なんのためにあるのでしょうか。

 

頭髪の色を黒色と決めてかかるのは、なぜでしょう。日本人は黒髪でないといけないのでしょうか。たしかに「君がみどりの 黒髪も」という惜別の歌は私の年代以上の多くが心にしみる歌詞ではないかと思うのです。でも黒髪でなけばいけないなんてことは人間の多様性を否定するもので、教育としてあってよいのでしょうか。

 

たしかに人工的に「パーマ、染髪、脱色」することや、さまざまな化粧をすることは学生の場合避けて欲しい気持ちはありますが、強制すべきものでしょうか。私自身は、自然な姿が一番と思っていますが、人それぞれでしょう。

 

それをルールとして生徒の自由を奪ってしまい、それを指導という形で、強制するのは、真の教育とは言えないのはでないでしょうか。

 

ましてこの生徒は、自然の地毛が茶色というのですから、それを否定して黒髪に変えさせるなんてことは、「生徒心得」の趣旨を逸脱するものでしょう。黒髪以外禁止ともされていません。

 

こういった学校指導が全国に蔓延しているにもかかわらず、放任していること自体、文科省のあり方も問題視されてしかるべきです。それは学校側の指導方針の最良の範囲を超えていると思うのです。文科省が指導要領で学校・教師を「指導」している以上、その行き過ぎをしっかりコントロールする役目を負っていると思うのです。

 

むろん、まだ本件は訴訟になったばかりで、当事者双方が主張立証をはじめた段階ですので、訴状だけで一方的な議論をするのは妥当ではないことは認めます。ただ、黒髪でなければいかえないといった指導はどうもあったように思えることから、多少、その立場で立論しました。

 

さらにいえば、校則や生徒心得の多くが、学校側だけで作られ、その改定とか見直しが、生徒や保護者の意見を反映する形ではあまり行われていないと思われることも問題だと考えています。

 

このような現在の学校教育の実態は、現在の企業不正に直ちに結びつくわけではありませんが、60兆の細胞の中に、深く染みついているのではないかと考えるのは杞憂でしょうか。

 

今日はこの辺でおしまい。

 


ベース上の美 <フジの120台カメラが勝敗分ける 今宮の“神の手”6分間にわたり映像検証>の画像を見ながら

2017-10-31 | 人間力

171031 ベース上の美 <フジの120台カメラが勝敗分ける今宮の“神の手”6分間にわたり映像検証>の画像を見ながら

 

今朝は底冷えするような寒さでした。温度は8度以下でしたか。それに生ゴミをコンポストのボックスに入れて少しかき混ぜ、手を洗ったのですが、これが少々痺れました。

 

昨夜の民放番組の血圧サージをテーマにした放送、ちらっと見たら、アスリート的な男女の血圧が普段は正常なのに、運動負荷を加えた後は、極端に、収縮期・拡張期いずれも急上昇していたのが明瞭。私もなんどか経験しているので、これは当たり前と思いつつも、今朝の冷水で受けた体感は、血圧上昇を如実に感じました。案の定、高齢者に必須?の定期的血圧測定の結果は、明らかに大幅にアップしていました。ま、すぐに戻るだろうと、人間の60兆の細胞が微妙に調整している一面を感じました。

 

ところで、上記の記事で取り上げた今宮選手と戸柱捕手のベース上でのある種アスリート芸はいずれも見事でした。私はこの場面を見ていませんでしたが、偶然、その後の審判団が判定した後の放映を見ました。

 

ライトの梶谷選手の捕球後の本塁返球もスーパービームほどではなくても、矢のようなほぼ直線を描いていました。戸柱捕手もダイビングのようにベース上で今宮選手の左手を押さえたかのようにも見えましたが、しかしその指先とグラブの関係と言った微細な部分は、上からの映像を含め、判然としませんでした。これが4Kから8Kになるともっと明確になるのでしょうかね。

 

ところで私がなぜこのテーマをとりあげたかというと、「今宮選手の神の手」について少し触れてみたいと思ったからです。彼はショートストップとして素晴らしい体幹をもち、大リーグでも通用するような守備範囲、捕球技術、それに瞬発的に投じる体の切れた肩がすばらしいですね。その全身が鍛えられたバネのように伸縮自在に動き、それがどこでも軸にして四肢を、その指先まで瞬時に操れる瞬発的能力をもっているように思うのです。

 

それがまさにこの画像ではないかと思うのです。今宮選手のホームベースにタッチした左手に注目されていますが、私はそれを導いた両足の跳ねに加えて、着地した右手を軸に、見事に左手の手首・指先を動かして、すでに捕球後ジャンプした戸柱捕手のグラブが一定方向・角度にしか進むことができない中、それをかいくぐることができたと思っています。それは強靱な右手の軸があるからできたのではと推測しています。

 

それがこのホームベース上での華麗な美を生んだのだと思うのです。


宝石に隠れた闇 <東南アジアの零細金採掘 危険の隣、夢みつめ 死に至る、水銀蒸気>などを読みながら

2017-10-30 | 心のやすらぎ・豊かさ

171030 宝石に隠れた闇 <東南アジアの零細金採掘 危険の隣、夢みつめ 死に至る、水銀蒸気>などを読みながら

 

「美しいものには棘がある」というのはだれが言ったのでしょう。人が魅了されるたいていのものは、人間の大変な苦悩と努力で生まれるからこそ、輝くのでしょう。でもそれが効果に取引されるとなると、なかには非人道的な行為によって生まれるものもあるのでしょう。

 

以前見た映画Blood Diamondは、アフリカで政府軍と反政府軍が抗争する中で、紛争の資金調達のため不法に取引されるダイヤモンドが一つのテーマとなっていました。そして反政府軍に略奪され少年兵となって狂気の手先となったわが子を必死で取り戻そうとする親と、不法取引の一味でもある主人公が相対立しながらその親が強制下で川で発見し隠した大ダイヤモンドを、適地に潜入して取り返すという、スリリングな話を思い出しました。

 

いずれにしても、ダイヤモンドが不法な条件下で産出され、取引され、それが反政府軍などの戦費となるとともに、欧米で高値で取引されて、貴婦人?に提供されている問題を取り上げたものともいえるでしょう。その舞台は、平穏に暮らしている集落を襲い、人を略奪して、少年は麻薬などで支配して凶暴な少年兵に仕立て上げ、大人は金採掘に従事させるというものです。水銀精練は直接描かれていなかったですが、ありうると思います。

 

さて毎日朝刊は、両面記事で<輝き探す闇 2017世界子ども救援キャンペーン~東南アジアの零細金採掘>とのタイトルで、<危険の隣、夢みつめ 死に至る、水銀蒸気>や<貧困の坑道抜けたい>などに加え<写真集(採掘・精練等の作業)>を掲載しています。畠山哲朗記者と写真は川平愛記者によるものです。

 

わが国では大企業が水俣病という有機水銀による深刻な健康被害を大々的に発生させましたが、世界各地では水銀汚染の危険がほとんど知られていない地域が少なくなく、とくに零細小規模金採掘の問題が長年取りざたされたまま放置されてきました。今年8月に発効した水俣条約による対策が実施されてることが期待されています。

 

記事では<少人数で金を採掘・精製する零細小規模金採掘(ASGM=Artisanal and Small-scale Gold Mining)。従事者は世界で最大1500万人とされ、東南アジアでは貧困家庭の子どもらが、有毒な水銀を使った精製作業や金鉱山での重労働で家族を支えている。一方で、水銀使用を国際的に規制する水俣条約が8月に発効し、問題解決の取り組みも始まっている。>

 

ASGMで働くのは、危険な作業にもかかわらず、多くは10代の子どもたちです。<家族を楽に 僕が>とまじめな少年がある種自分たちの意思でやっているのです。でも金の精練過程で水蒸気となった水銀を吸い込むことの危険性を知らないのです。

 

ようやく<学校で意識改革>をはかるため、金精練の危険性を教えてるようになったようです。記事の詳細は、上記の他、連載記事があるので、関心のある方はこれらを見てください。

 

<~東南アジアの零細金採掘/1 8歳から金採掘、16歳で体に異変

<~東南アジアの零細金採掘/2 息子の死、私の責任

<~東南アジアの零細金採掘/3 不安抱え生活優先

<~東南アジアの零細金採掘/4 地中6メートル、死の危険

<~東南アジアの零細金採掘/5止 父倒れ、川底の穴へ

 

私たちは、身近な問題でもなかなか対応できないのですから、世界各地の問題、それは東南アジアというところで起こっている問題についても、なかなか自分のものとして考えることが容易でないと思います。

 

私自身、四半世紀前、東南アジアの問題を自らの問題と考え、日弁連調査に参加して、自分なりに取り組んでみましたが、なにか意味があったかはわかりません。

 

それでも「エシカル・ジュエリー」という意味合いは理解できますし、それぞれが選択し実施できることではないかと思うのです。

 

<広島大の布施正暁准教授(環境工学)らは「エシカル(倫理的な)ジュエリー」制度の導入を研究する。宝飾業者がASGM側と協定を結び、水銀を使わず精製した金を高額で買い取り、社会や環境に配慮した貴金属として売る仕組みだ。「途上国では水銀や児童労働で金が生み出される。日本の消費者も金の宝飾品を買う際には、出所を意識する必要がある」と指摘する。>

 

私は、ダイヤモンドや金などにはあまり関心がないというか、お金もありません。そういうものに関心のある女性は私に興味を持たないでしょうし、私もそういう女性に魅せられることはないのです。ま、女性からは嫌われるかもしれませんね。

 

ともかく金なりダイヤモンドなり、宝石といったものを求めるのであれば、その適正な入手ルートを確認して、選択してもらいたいと思うのです。私が関与した調査が、その後の違法伐採木材の輸出入規制にどれだけ役立ったかはわかりませんが、90年代の世界情勢は、現地の労働条件の安全性・適法性を高めたり、適法な伐採基準の樹立に向かったのは確かです。

 

この金の精練に見られる、危険な環境を早期に改善し、そのようなことがなくなるよう、消費者側で、全工程を監視するくらい、チェックする体制づくりに協力する意識が必要ではないかと思うのです。

 

今日はこの辺でおしまい。


懲戒と自省 <アディーレ「手段の悪質性際立つ」と認定・・>を読んで

2017-10-30 | 司法と弁護士・裁判官・検察官

171030 懲戒と自省 <アディーレ「手段の悪質性際立つ」と認定・・>を読んで

 

台風一過青空を期待したものの、どんよりした天候ですね。体調や気分が悪くないと、これもまた素晴らしく感じるのが人間の感性かもしれません。

 

さて、見出しの記事、産経記事ですが正確には<アディーレ「手段の悪質性際立つ」と認定 東京弁護士会の懲戒委員会 処分理由の詳細判明>ということで、処分を受けた法人の悪質性の観点で問題を取り上げています。これに対し、毎日記事では<東京弁護士会 アディーレ処分で混乱 相談8000件>として、むしろ依頼していた利用者や就職希望を予定していた修習生からの困惑が取り上げられています。後者の記事(ウェブ上でなく紙面も)からは同法人が過払い金処理で依頼者に不評をかっていたとか、働く弁護士の労働条件が悪いというより、どちらかというといい印象でとらえられていた印象です。

 

産経記事では、<懲戒委は、アディーレの報酬総額が21年10月から27年7月までで約268億5400万円に上り、「取扱件数も桁外れで社会的影響は極めて大きい」と判断。広告が複数回更新され、サービス内容の変更も3回にわたることなどから、こうした広告を利用した集客行為には悪質性があるとした。>と取扱件数や違反広告の長期継続性が悪質とされています。

 

ただ、この取扱件数は驚くべきもので、しかも後発の若い人中心の弁護士法人としては破格の報酬を獲得していた、ある種の成功モデルを提供しているともいえます。

 

以前、ブログでこの問題を取り上げたとき、平成28216日付けの消費者庁より広告禁止の措置命令>を受けて、東弁も審査して処分したことを触れました。では、消費者庁の措置命令は、当然、何度も指導・勧告を経て行われるのが通常で、本件でも同様です。消費者庁には東弁はじめ弁護士会の消費者委員会の主力メンバーが関与してきたと思います。

 

当該法人の問題は当然、産経の記事で指摘されたれ広告掲載一覧の当初、あるいはそれ以前から問題にされていたのではないかと思います。ところが消費者庁がようやく出した措置命令まで、なんの対応をも講じなかったのは、だれあろう自治権を持つ弁護士会です。

 

懲戒申立事例が増大する中、対処が困難だったという理由はある程度理解できると思いますが、それは弁護士以外の国民・関係者に理解されるでしょうか。より迅速な対応をしておれば、長期間問題を放置したのは弁護士会でもあり、それが悪質だとして、業務停止処分という法人や関係者に多大な影響を受けるような処分を下すのは、果たして妥当性があるか、日弁連で検討してもらいたいと思います。

 

東弁のその間の会長は私の知り合いや仲間みたいな人なので、あまりこの問題を取り上げたくないのが半分、他方で、弁護士会が独立した公正な立場で社会に警告や提言を発する役割を担うことが期待されている中、懲戒手続きについて再考を検討してもらいたいと思うのです。

 

おそらくは消費者委員会で問題とされていたと思われる当該法人の広告がなぜ見逃されてきたのか、綱紀・懲戒制度になにか問題がなかったか、社会の声を聞くことに十分でなかった点がなかったか、また、迅速・的確な処分となっているかを、調査検討してもらい、改善をも視野に入れて欲しいと思うのです。

 

むろん委員のメンバーはボランティア的に懸命に長時間にわたって大量の作業をしていると思います。ただ、日産・スバルなど多くの不正(東弁の対応が不正ではありませんが)は、一生懸命作業していても起こりえます。システムに見えない欠陥があるかもしれません。それを自省の意味でチェックしてもらいたいのです。

 

今日の話題というわけではないのですが、つい身内感覚でとりあげました。


不正を生み出す構造 <偽りの危機対応 検証・商工中金不正・・>などを読みながら

2017-10-29 | 企業・事業・研究などの不正 適正な支援

171029 不正を生み出す構造 <偽りの危機対応 検証・商工中金不正・・>などを読みながら

 

紀伊地方も台風22号の影響で、昨日から各地で洪水警報や避難勧告・指示がでていて、大変です。当地はそこまでの事態になっていませんが、一部では同様の被害が発生していると思われます。部屋の中にいると、雨風が少し強くなったと感じる程度、意外と静寂な時間を過ごすことができます。

 

ところで、昨日のブログでタイトルだけ引用した<プライムニュース『日産・神鋼…不正続発 日の丸大企業に何が?』>ですが、ここで弁護士でもある野村氏が指摘していたことについて、まったく同感と思ったのです。野村氏は、繰り返される日本を代表する企業の不正について、過剰なコンプライアンスを問題にしていました。

 

たしかに不祥事は繰り返されてきましたが、その都度、コンプライアンスの追加規制といったものが全企業に課せられてきたように思います。そもそもコンプライアンスは企業それぞれが独自の企業文化を形成し、それに応じた対応をしてきたのですから、他の企業が不祥事を起こしたからといって新たなコンプライアンスの規制が、別の企業に当然に必要とされるわけでもないわけです。仮に一定の追加規制が必要としても、逆に既存の規制に代替する場合もあり、それはなくすか、減らすこともできるでしょう。そういうことにより、より的確で実効的なコンプライアンス制度が企業運営に地となり肉となるのでしょう。

 

ところが、紙ベースで、コンプライアンスの遵守事項を増やし、それをチェックするために、そのための書類作業だけが増えていく一方、その中身というかその本来の趣旨が意識化されてないで、紙ベースでチェックすれば終わりということで、コンプライアンスの仕事は増えるだけで、なすべきコンプライアンスの実態が伴わないといった問題が生じているのではないかと思うのです。

 

もう一人のコメンテーターとして登場した町田氏(経営コンサルタントでしたか?)も、大企業の製造部門では二層構造があり、現場サイドは自分たちで独自に安全性・効率化をチェックする一方、事務部門・経営部門は現場の実情を知らないで経営戦略やガバナンスなどを行ってきたため、両者に大きな齟齬が生じているといった趣旨の意見であったかと思います。ガバナンスの空洞化的な面を強調していたように思います。

 

とりわけ神鋼の問題は、製造部門の素材を扱っていますので、多方面に影響しますし、何よりも安全性に影響しますね。日産・スバル以上に深刻かもしれません。

 

でもこの問題を世界ではどうとらえているのかという点は、今後さらに調査が必要と思いますが、NHKのたしかNYで取材しているとても面白い方(名前失念)が地元で通りがかりの人に、この問題をどう考えるか聞くのですが、異口同音に一部の企業の一時的な問題で、日本企業への信頼は揺るぎないというのです。今後どうなるかはわかりませんが、長年培った日本企業の信頼性は、そう簡単には揺るがないかなとは思っています。しかし、きわめて残念な問題です。

 

いま毎日では稲盛和夫氏の自伝的な内容が連載されていますが、稲盛氏は必ず現場にでかけ、直に現場の人と話をして、問題に対応してきたように思います。そういうことは、当たり前だったのではないかと思うのですが、最近の不祥事を見ていると、どうも怪しい状態が少しずつ蔓延しているのかもしれません。

 

さて本日の話題に入ります。上記の不祥事以上に問題だと思うのです。なにがというと、商工中金という企業自体の問題は当然ですが、忘れてならないのはそれを監督すべき、また、監督できる金融庁・経産省がどうだったかという問題です。いや、この問題は国の何兆円規模の制度融資であり、国会で融資の必要性・環境なども含めて、適切に議論しておくべきことですし、その後の融資実態についても検証されるべきであったのに、なんともお粗末な状況ではないでしょうか。

 

まずは、毎日記事を見ましょう。<偽りの危機対応検証・商工中金不正/上 日常的に改ざん、捏造 組織ぐるみで営業攻勢>は、この問題を長く追求してきた小原擁、小川祐希両記者の2回連載記事の第一弾です。

 

問題が発覚して第三者委員会が急遽、一部の支店を調査した結果はその<調査報告書>として今年425日に公表され、さらに全店調査が必要となり、今回自主的に調査した結果が1025日付け<調査報告書>として公表され、2度目の行政処分を受けています。

 

これを受けたのが上記の記事で、<ほぼ全店にあたる97店、4802件の不正が発覚し、25日に2度目の行政処分を受けた商工中金。>というのです。

 

その不正の内容も耳を疑いたくなるというか、目から鱗ではなく、これが特別法(株式会社商工組合中央金庫法)に基づく特殊会社で、日本の政策金融機関というのですから、恥ずかしい話です。

 

その内容は< 現場では、書類の改ざん、捏造(ねつぞう)がほとんど「日常化」。上司は見て見ぬふりをし、危機対応融資の実績が少ない職員は叱責を受けた。危機対応融資以外でも、手間を省くために顧客の印鑑を偽造して押印したり、経済統計調査で調査票を捏造したりと、「通常では考えられない」(金融庁幹部)不正行為が続々と発覚した。>というのです。

 

具体的な例としては<東京都板橋区の中小企業幹部は「制度融資の手続きを任せたら、条件を満たすために自社の社員数が水増しされていた」と証言する。危機対応融資を使った営業は、実質無借金の優良企業にまで及び、融資後にクレジットカードの契約や機関誌の購入を迫る強引な営業もまん延していた。>ということまであがっています。

 

しかもガバナンスの面ではないに等しい状態ですね。<2014年12月に池袋支店で不正の疑惑が経営陣に報告されたにもかかわらず、監査部門が「問題ない」と結論付け、当時の杉山秀二社長らも追認したことだ。>というのですから。

 

<不正をした職員の動機>を表にしていますが、公共業務を行うとか、適正な事務を執行するといった心構えがいかに欠落しているかがわかります。

 

次にその第二弾は<生き残りかけ暴走 政界、融資枠増で「後押し」>で、私が上記の指摘をしたのは、この記事に依拠しています。

 

<金融危機が去り、東日本大震災関連の危機対応融資もピークを過ぎていた2012年度。商工中金は「円高の影響で業況が悪化した中小企業への支援が必要」と新たな名目を掲げ、1兆5000億円規模の危機対応融資の予算を国に要求した。それが認められると、翌13年度はさらに1兆6500億円に要求を増額。不正件数は予算とともに膨らみ、12~14年度に全体の8割弱が集中した。>

 

つまり危機対応融資の必要性を裏付ける実態がなくなっているのにも関わらず、仮装された数字操作で予算が生まれ、増大しているのです。これだけの予算を必要とされる社会福祉や少子化対策などに振り向けられていれば、「幼稚園落ちた 日本死ね」でしたかこんな劣悪な言葉が横行することもなく、山尾議員の鬼の首でも取ったのような追求も必要なかったかもしれません。

 

それは政府の問題がそこにあるのです。<商工中金の暴走を、政治も後押しした。「長引くデフレや円高が、社会の信頼基盤を根底から揺るがしている」。13年1月、安倍晋三首相は第2次安倍政権発足後初の所信表明演説で、デフレ脱却のための「機動的な財政政策」をぶち上げた。12、13年度の補正予算で盛り込んだ経済対策の目玉になったのが、「円高対策」や「デフレ脱却・原材料高騰対策」と銘打った危機対応融資の大幅増額だった。>

 

野党も適切な国会議論を怠り、<チェックすべき野党にも異論はなかった。>というのですから、与党だけの責任とはいえないでしょう。

 

ここからは少し余談に入りますが、選挙運動をみていて、いつも感じることの一つは、多くの候補者は名前を連呼して名前を覚えてもらったり、握手を求めて汗だくだくになるほど走り回ることが選挙運動の常道と思っているようですが、これにはがっかりします。そして旗印になる人の応援演説に頼り、自分の政策や信念が伝わってきません。

 

だれでしたかちょっと忘れましたが、そういう中に、自分はミニ集会を毎週のように重ねて、自分の意見と支持者の意見を交換したりその意見を聞いて政策に反映しているので、特別新たな選挙活動をしていませんといったような発言をされた方がいましたが、これこそ基本ではないでしょうか。こういう地に着いた民主主義の実現の生の世界で実施しようとしている候補者こそ、国会の場で的確に問題を取り上げ、数の力や一人の大きな声の力になびかない、民主主義の基礎作りができる人ではないかと思うのです。

 

最近の報道は(前から特に変わったとは思っていませんが)政党の動きばかりを追っているようで、政策論議がなかなか見えてきません。プライムニュースは民放ですが、割合、政策論議がなされているかと思っています。それでも全体として、見えない問題への追及がいまの報道大手にできているか、それがまた民主主義の基礎を危うくしている要素かもしれません。

 

いまトランプ大統領の動向は、かなりの割合でフォックステレビなど特定の情報源が中心に流れている印象を受けますが、その支持層から受けているようですね。大手マスコミ報道がトランプ支持層からは偏向に映るという実態があるのでしょう。わが国でもそういう事態にならないよう、NHKを含め報道各社には鋭く、かつ、公正さをもった視点で追求してもらいたいと思います。

 

私の情報源はNHKや毎日新聞を中心に、報道各社のさまざまな情報ですが、やはり一面的な見方かもしれません。なにせ情報源そのものを確認できていないわけですから。せいぜい調査報告書程度でしょうか。それも時間がなく読み込みだけの余裕がないので、力不足は感じていますが。

 

なにかあちこち飛んでしまいましたが、改めて10.25調査報告書と同時に発表された<業務の改善計画>は、ガバナンス・コンプライアンスなどの充実に向けた立派な項目立てをしているものの、有効に働くのか、今後の検証こそ肝要ではないかと思うのです。屋上屋を架す改善という名の計画かどうかは、実際にその計画がどう働いているかにかかっていると思います。いろいろコンプライアンスやガバナンスの規定を加えたり、新組織を作ったり、制度化したり、役員を変えても、魂が入っていないと、張り子の虎になりかねません。

 

いまわが国の企業は、商工中金ほどひどくなくても、そういう業績という数字だけを追う状況に陥っている危険を感じています。それに対応するのに、紙にいくら厳格な管理システムを書いてみても、それを実際に職場で勤務の中で言動に表す職員・社員が変わらないと、絵に描いた餅になり得ます。チェックの判子は押されても、形だけのものになり、こういう江戸時代のある種の悪弊みたいなものがはびこっていないか注視する必要があるように思うのです。

 

ただ、このような調査報告書による原因追及、それに改善計画は、それ自体、日本の企業統治がまだ立ち直りできることを示すものかもしれません。ここに書かれた内容自体、ざっとしか見ていませんが、おおむね妥当なものと思いますし、期待したいと思っています。

 

他方で、行政および政治の分野での改善にも、目を向けて欲しいと思います。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日