たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

強い組織と人 <「“全員リーダー”の組織論~帝京大ラグビー9連覇」を見て

2018-02-28 | スポーツ

180228 強い組織と人 <「“全員リーダー”の組織論~帝京大ラグビー9連覇」を見て

 

先ほどまで会議に出ていて、いま事務所に帰ってきました。これから本日の話題を考えてと思って、ニュースを見ましたがどうも冴えません。何かないかと思案して、昨夜見た<BS1スペシャル「“全員リーダー”の組織論~帝京大ラグビー9連覇」>について、少し書いてみようかと思います。

 

私自身、学生時代、たぶん一度もラグビーの試合を見に行ったことがなかったと思います。最初に見たのがもしかして、同志社大の平尾選手が国立競技場で活躍した試合だったのではないかなと思うのです。京都で知り合った同志社大の女学生が平尾選手のファンで、平尾選手を追っかけて上京するというので一緒に見たような記憶です。京都時代、写真にこっていて、仲間内でモデルになってもらって協力してもらった女学生だったので、あまり関心がなかったのですが、観戦しました。

 

ところが、そのとき初めて見た平尾選手は華奢で、こんなん体格で大丈夫かと思ったら、とんでもない華麗なフットワークというかステップで相手の防御陣をすり抜けてトライするのには、痺れました。その頃平尾選手の同志社大は強かったですね。それまでは早大、明大が図抜けていたように思いますが、このころの同大は見事でした。でも3連覇でしたか。

 

その後はいろいろな強豪チームが現れましたが、でもたいてい一年か二年の天下に終わっていました。やはり中軸となる4年生が卒業し、新しく1年生が入るといった大学チームの場合、優勝を連続することは極めて困難だと言うことはよくわかります。

 

それに比べて実業団の場合は中軸のベテランがずっといて(プロ野球みたいに移籍することはあまりないですから)、強い組織ができると連続優勝は可能性が高まるのかもしれません。松尾選手がいた新日鉄釜石がそうでした。松尾選手の頭脳プレーはいつまでも目に焼き付いていますし、スクラム陣の強固さも凄かったですね。

 

新陳代謝とも言うべき入れ替わりが組織の宿命とも言うべき大学チームであるにもかかわらず、帝京大学はなんと9連勝を果たしたのですから、これは脅威です。たしか最初の1勝も初めての優勝だったのではないでしょうか。関東大学ラグビーチームの中で、毎年割合強い実績を残していたと記憶しているのですが、頂点とか、それに近い位置まではなかなかいけなかった記憶です。もう40年以上前の話ですが。

 

最近の帝京大の試合を見ていると、負ける気がしないくらい、まるで大鵬みたいと思ってしまいます。でも今年の明大戦は勝負では負けていた印象を感じています。明大選手のキッカーがゴールキックをずいぶん失敗した運があったように思います。なぜ明大がここまで強くなったのかはわかりませんが。

 

元に戻ると、この明大戦を除き、大学チームとの闘いで負けるおそれのあるような展開は、おそらく9連勝の中で一度もなかったのではないでしょうか。それくらい強い帝京大、何が変わったのか、なぜそうなったのか、NHKはどのようにその要因にメスを入れるのか楽しみでした(偶然、チャンネルを回したら画面に出たのでしたが)。

 

でも、あまりよくわかりませんでした。技術的な部分、体力増強的な部分など、中核的な内容はもしかしてノウハウとか機密事項ということで、明らかにしなかったのでしょうかね。

 

ただ興味深い点は、岩出監督が選手全員に求めるのが、ラグビーをうまくなって優勝することではなく、彼ら一人一人が自立して自分で考えて社会に出て幸せになる人間に育っていくことといったことであったと思います。やはり優れた監督は、一人一人を大事にして、個々の人格的成長を見守り、幸せになる力を育てるという、人格形成を中軸に据えているのですね。

 

いや、そんなきれい事ではなく、絶対勝つことだ、連覇だといったことがないはずはないというかもしれません。しかし、大事な子どもたちを預かり、練習に参加する選手は150人もいるのに、選手登録されるのはわずか24人でしたか、チーム内での競争もとてつもなく厳しいわけですね。ほとんどが公式試合に出場できない補欠となるわけですから、そういう選手たちに気持ちを込めて対処しないと、有能な選手も生まれないでしょう。

 

高校時代は日本代表になったような優秀な選手が、当然、連覇を続けている強いチームに憧れて入ってくるわけですが、必ずしも選抜されるわけではないわけですね。そのときの挫折感は相当なものでしょう。でもしっかりと選抜選手をサポートする、そういう組織力、団結力がないと、連覇を9回も継続できるはずがないでしょう。

 

監督の明確な方針、一人一人の幸せになる力の強化は具体的にはさほどめいかくとはいえませんが、わかりやすい一つの例が紹介されていました。

 

たしか全員寮生活で、1年生から4年生まで一緒です。ここで思い出すのは、いまでいうパワハラ、先輩のしごきです。いやそうでなくても体育会特有の先輩至上主義的な風潮は、最近、相撲界でも問題になっていますが、大学ではよく事件となったように思います。明大、関東学院大などなど。とても強い時代に、大きな落とし穴となり、いずれも長い間弱体化していたと思います。

 

ところが帝京大では、4年生が、新入生に対して、荷物運びをやったり、グランド整備をしたり、たいていの体育会系の上下関係が逆転しているのです。脱体育会系というようです。スポーツにおいて、年齢や先に入会したかどうかではなく、技能が優れているか、チームプレイが優れているかどうかといった、能力こそ適正に評価され、それ以外は平等に取り扱われるべきでしょう。おそらく欧米のスポーツ界ではそれが当たり前ではないでしょうか。

 

それを岩出監督がラグビー界ではじめて?やったのではないでしょうか。そうなるとどこに大学に入ろうかと悩んでいる高校生は、先輩のしごきもなく雑用をさせられることのない、人間らしい大学生活を送れる帝京大を選ぶのは当然でしょう。

 

というか、学生として、あるべき生き方を学ぶことができる場を提供してくれているように思えるのです。ある意味で、大学生は自由すぎるくらい自由ですが、社会人としてのルールを、チームワークという形で自然と学ぶこともできるのかもしれません。

 

先輩がグランド整備をしたりしていれば、なにがチームに求められるかを自分の頭で考えることができるようになるチャンスでもあるでしょう。逆に、先輩からあれやれ、これやれと言われるままにしていれば、自主的な発想は生まれませんね。

 

帝京大の強さの秘密は、この放送だけではあまりわかりませんでしたが、学生相互や監督、さらに支援するスタッフたちとの間の意思疎通といったコミュニケーションはうまく図られている印象を持ちました。

 

ぼっと見ていたのでしょうか、あまりその秘密を理解できないまま、適当に書いてしまいました。青学の原監督のようにずばずばとはっきり話す方だと、わかりやすいような気がしますが、岩出監督は奥が深いのかもしれません。

 

今日はこのへんでおしまい。また明日。


オリンピック考 <五輪壮行会、非公開・・・機運損ねる過剰な抑制>などを読みながら

2018-02-27 | スポーツ

180227 オリンピック考 <五輪壮行会、非公開・・・機運損ねる過剰な抑制>などを読みながら

 

平昌五輪は、日本としては冬季としては過去最大のメダルラッシュもあり、かなりの盛り上がりがあったようですね。開幕前は北朝鮮との緊張状態や、韓国内での人気が今ひとつで切符の売り行きも悪く、施設整備もどうなるかと不安が随所に聞かれていましたが、TV放映はとくに日本選手の活躍もあってわが国ではかなり熱狂したようです。

 

私自身は、TVはほとんどNHKを見るのですが、それがオリンピックムード一色みたいで、録画番組をほとんど見ていて、たまにニュースで選手の活躍を見る程度でした。とはいえスピードスケートなど一部の選手の放送は結構しっかり見ていましたが。とはいえ開幕式も閉会式もスルーしました。全体としてまるでTV放映のためにオリンピックがあるかのような演出が随所にあり、興ざめを感じてしまうからかもしれません。

 

それにしても放映権を中心に知的財産権をめぐるオリンピック運営のあり方には、疑問を投げかける人が少なくないですが、私も同感で、仕事が一段落した5時になったので、少し書いてみようかと思います。

 

アスリート・ファーストという言葉がなんどか聞こえてきました。私がたまたま見たスキー・ジャンプ競技の女子選手のとき、私も高梨沙羅選手を見ようと、かなり早い段階から見ていましたら、途中でなんどか競技がストップするのですね。風が強いとか、弱いとか、向かい風があると有利とか(私は前のブログで逆を書いてしまいました、よくわかっていないのです)。競技開始時間が結構遅いのですね。平昌はかなり寒さが厳しいところであるのに、深夜に実施するというのはなぜかと思うのと、放映権者の都合なのですね。深夜帯が欧米のちょうどよい視聴時間帯になるようで、それに合わして競技時間も設定しているそうです。これは東京オリンピック・パラリンピックも同じですね。今度は真夏の酷暑の中に競技させられるのです。

 

まるで、古代ローマの競技場で闘わされる戦士のように思ってしまいます。だいたい見たければ録画すればいいのですし、なぜ生放送を視聴することにこだわるのでしょう、なんてことを言うと、放映権者だけでなく視聴者の多くから袋だたきにあいそうでしょうか。

 

むろんアスリートは、どのような厳しい条件でも、選手同士は平等の条件で闘うからそれ順応するように訓練してきたのでしょうけど、ちょっとやり過ぎではないでしょうか。

 

でも、メダルをとった選手たちの、個々の口から出る言葉は、力強く、逞しく、そして多くの人への感謝を告げる、優しさ、気遣いの心など、多くの人に感動を与える物であったかなと思うのです。厳しい条件だからこそ、それに耐え抜き生まれる精神力、力強い個々の発言力でもあるのかもしれません。

 

だいたい、羽生結弦選手も、渡部暁斗選手も、ひどい骨折をかかえて、痛みに耐え抜いて競技に参加しメダルを獲得するのですから、こういった精神力・肉体力は、やはり多くの人に見てもらい感動を与えるだけの高い価値があることを否定する人はいない、あるいはほとんどいないと思います。

 

ただ、他国のアスリートたちの活躍や発言までフォローすると、時間がいくらあっても足りないでしょうね。

 

前口上が脱線して戻ってこれそうもなくなりそうになったので、この程度にします。

 

本題は上記の放映権の巨大化、オリンピック運営に対する支配力と関係することです。

 

毎日記事は、この点本日のクローズアップ2018で大きく取りあげています。<五輪壮行会、非公開 「応援」「宣伝」違い不明確 機運損ねる過剰な抑制>と。

 

それは壮行会から始まっていました。<五輪壮行会報道公開中止相次ぐ JOC指針が背景に>では先月18日の記事で、<各地で開かれている平昌五輪代表選手の壮行会で、報道陣への公開が直前に急きょ中止されるなど混乱が相次いでいる。壮行会の開催告知すら満足にできず、人が集まらないケースもあり、関係者に困惑が広がっている。なぜ、こんな事態になっているのか。【平本泰章、福田智沙/東京運動部】>と問題提起しています。

 

<フィギュアスケート女子代表の坂本花織選手(シスメックス)が通う神戸野田高校は、9日に壮行会を開いた。報道各社には事前に案内を出していたが、直前に非公開とした。法政大も15日にアイスホッケー女子代表の3選手の壮行会を開いたが、当日朝に公開中止を決め、報道各社に連絡した。選手の記者会見だけ公開し、続いて行う壮行会は非公開にした例もある。>

 

ここでJOCの指針が取りあげられています。

<背景には、国際オリンピック委員会(IOC)の規則に従ってJOCが定めた五輪の知的財産保護の指針がある。五輪のマークや名称などを宣伝目的で利用できるのは、日本国内ではIOCのスポンサー13社と、2020年東京五輪のスポンサー47社に限られる。>

 

つまり、ポイントは、五輪のマーク・名称利用の制限をJOCが独自の方針を示している点で、それは次のような内容のようです。(ここで電話連絡があって、30分あまり中断し、ちょっと脈略があいまいになっています)

 

<それ以外の企業や学校が壮行会を開く場合、内部の関係者のみの参加で非公開とする条件で許されている。一般や報道陣に公開したり、写真や動画をホームページやソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)に掲載したりするのは、五輪の商業利用でスポンサーの権利を侵害するとみなされ、認められていない。競技団体や選手の出身地の自治体が主催する場合には公開できるが、「企業色、商業色がない」という条件付きで、所属企業や学校のロゴなどは見せてはいけない。指針に違反すると「選手の大会資格剥奪につながる恐れがある」と記されている。>

 

この指針は以前からあって、いままでは壮行会は把握できていなかったか、黙認されてきたようです。

<問題の指針は以前からあり、JOCから各競技団体を通じて選手の所属先に伝えられている。JOC広報・企画部の担当者は「浸透度に差があると感じている」と漏らす。JOCも一つ一つの壮行会の実情を把握しきれず、これまでは黙認したケースが多かった。しかし、20年東京五輪を見据えて指針の徹底を図っている。また、ある選手の所属先が昨年末に開いた壮行会が大きく報じられたことなどを機に、指針の再確認を呼びかける競技団体もあり、公開を控えるところが増えたようだ。>

 

この方針では壮行会だけでなく広範囲に利用制限が及ぶことが明らかです。

<五輪期間中に選手の所属企業や学校が開く応援行事や、五輪後の報告会も同様の扱いとなる。選手の五輪での結果や様子をホームページなどで発信することにも制約がある。>

 

で、再び本日のクローズアップ2018を取りあげますと、このJOCの指針について、<東京五輪・パラリンピックに向け、全国約800校の短大・大学は大会組織委員会と連携協定を結び、盛り上げに一役買っている。東京五輪・パラリンピックに向け、政府に非公開の改善を要望する日本私立大学協会の小出秀文事務局長は「公立、私立問わず、大学は連携して東京五輪に向け機運をもっと高めていきたいとしている。JOCの規制には義憤を感じる」と語る。>と不満があがっています。当然ですね。

 

で、JOCの方針はどのような位置付けなのでしょうか。

<JOCの指針はIOCが五輪憲章で定めた「五輪競技大会はIOCの独占的な資産」に基づいている。1984年ロサンゼルス五輪で商業化路線にかじを切ったIOCが規制を強化した。しかし、IOCのマーケティング責任者のティモ・ルメ氏は毎日新聞の取材に「ルールの目的はスポンサーの権利保護であり、非商業的、教育的な利用は合法だ。こういう事柄は各国に任せている。東京五輪に向けては、JOCの責任で判断して、何がベストか考えるべきだ」と柔軟な姿勢だった。>

 

では、JOCのガイドラインはどうなっているのでしょうか。JOCのホームページを探したのですが、<オリンピック等の知的財産の保護について>のみで、これではガイドラインになりませんね。結局、見つからなかったので、毎日記事がコンパクトに整理した表を引用します(表はコピペできませんでしたので省略、毎日記事を参照ください)。

 

上記の3段目に、<選手の所属企業による壮行会、報告会などの外部への公開の禁止>が上げられていますので、これに該当するということでしょうね。

 

しかし、その上の<マークの使用など五輪をイメージさせる広告やPR>とは明らかに異なる形態ですね。むろん知的財産権の専門家からのアドバイスを受けて、異なる類型を取りあげたのでしょうから、当然ですが、このマーク使用などは知的財産権の核心ですから当然ですし、それを含む五輪をイメージさせる広告やPRは、まさに知的財産権の保護に抵触するものとして、だれもが異論ないと思うのです。

 

ところが、壮行会とか報告会などが外部に公開されることをもって知的財産権の不正な利用と言えるのでしょうか。便乗商法とレッテル貼りできますかね。疑問です。

 

<日本オリンピック委員会(JOC)が所属先の学校、企業の壮行会やパブリックビューイング(PV)などが宣伝目的にあたると指導していた。>

これも方針に則った指導でしょうけど、おかしくないでしょうか。「宣伝」の定義を拡大しすぎていませんか。たしかに選手事態がオリンピックをイメージしますし、ユニホーム姿であれば、まさにオリンピックのマークなども表示されているでしょう。それを所属先の学校、企業の宣伝と断じるのはいかがなものでしょう。裁判で争ったとき勝てますかね。

 

オリンピックが商業化し、巨額の費用でしか実施できなくなってきた状況の中で、その支援団体のよりどころとなる知的財産権を保護する姿勢は、半分わからなくもないですが、極端すぎませんかね。

 

<五輪マークや名称を使用できるのは、IOCスポンサー13社と東京五輪・パラリンピックのスポンサー47社となる。スポンサー料は選手強化や大会運営費に充てられており、アンブッシュマーケティング(便乗商法)の規制は過去の五輪でも課題だった。>

 

この問題提起自体どうでしょう。マーク・名称の使用という概念の一人歩きではないでしょうか。「使用」という場合、やはり中核はマーク・名称であって、選手個人は知的財産権の対象ではないはずです。むろん壮行会や報告会で、たしかに五輪マークを掲げて、それを明示的に示すといったことになれば別ですが、あくまで選手個人が主体の壮行会であり、報告会ですから、それをルール違反というのはいかがなものでしょう。

 

<組織委も昨夏、超党派のスポーツ議員連盟にアンブッシュマーケティングの制限について法制化を要望している。規制と機運醸成の両立のため、鈴木俊一・五輪担当相は「みんなが納得できる基準を示さなければいけない」と指摘している。>

 

結局、現在のガイドライン中、少なくとも壮行会や報告会については、原則自由として、仮にどうしても制限するというのであれば、マークや名称を利用することを禁止すれば足りると思うのです。垂れ幕ではマークなどは使わないでやればいいのです。五輪の宣伝にはなりませんが。そんなけちくさいことをやめて、壮行会や報告会、パブリックビューイングくらい、自由にやらせてあげる度量が欲しいですね。

 

私個人は、アスリートの素晴らしさを感じますが、そういったものに参加するつもりはありません。でもそういう感動を一緒にしたい人のために、知的財産権の不当な行使は、そのあり方として疑問です。

 

とくにマイナー競技といわれるパラリンピックの選手の場合、こういった制限は中小規模の支援が多いと思われる中で、厳しい事になることは予想されますので、そういったアスリート・ファースト、障害者ファーストのパラリンピック支援のためにも、新たな前向きのガイドラインをつくってもらいたいと思うのです。

 

本日はこれにておしまい。また明日。


大畑才蔵考その16 <紀州流><川上船><吉野杉筏流し>をちょっと考えてみる

2018-02-26 | 大畑才蔵

180226 大畑才蔵考その16 <紀州流><川上船><吉野杉筏流し>をちょっと考えてみる

 

今日もいろいろ雑用をしていて、体調がいまいちのせいか、ボッとしていたらもう業務終了時間になっています。といって本日の話題を考えるのに材料は特になしということで、困ったときの才蔵さん頼みで、思いつきをまた書いてみようかと思います。

 

才蔵やその上司で吉宗の命を受けて関東で活躍した井沢弥惣兵衛の河川工法について、紀州流と称され、それまでの関東流に対峙して紹介されることがあり、現在も多くの公刊物やネット情報でも当たり前に取りあげられています。

 

この点は、過去のブログでも取りあげましたが、治水技術として連続堤防により水流を科船内に閉じ込めて一気に海に流すといった趣旨で紀州流というのであれば、そのような工法の実例は(一部の小規模な例外を除き)基本的には見当たらないと思いますので、適切でないと思うのです。

 

私自身は、才蔵の名著『積方見合帳』の解説を書かれた林敬氏が簡潔明瞭に指摘されている見解が最も腑に落ちる解釈ではないかと思っています。

 

それは「かりに『紀州流』農業土木技術の存在を認めるとするならば、①用水堰築造が困難であった河川中流域における微勾配の長大な用水路設定とそれに伴う新田開発、②その前提となる精密な測量技術と用水の補給と洪水の排除を可能にした井筋設定技術、③漏水を抑える用水路築造技術にあると考えられるのである。」

 

この微勾配というのは、ほんとうに超が付くほど勾配がわずかしかないのですね。「小田井は丘陵地帯六六か村の土地に通水する延長約三三キロメートル、井口から井尻までの勾配約二二・三メートルの用水路である」というのですから、1万分の6ないし7ですね。以前、取りあげた江戸の玉川上水は延長43kmで標高差約100mですので、1000分の2くらいですから、やっぱり才蔵の測量・土木技術はすごいですね。

 

井澤が行った「吉田用水は鬼怒川中流域右岸の下野国河内郡曽田村現(栃木県河内郡南河内町吉田)に用水堰を設置して'飯沼新田までの丘陵地帯八八か村の土地に通水する延長約五七キロメートル、勾配約三・九メートルの用水路である。」というのですから、10万分の7くらいということで、才蔵より一桁小さい超々微勾配ですね。しかし、勾配が小さすぎるなどのため、結局、末端まで完工できなかったようです。

 

で、これまでが前口上でして、別に才蔵の土木技術の優れた部分を今回とりあげようという趣旨ではありません。

 

紀ノ川の特徴をこの緩勾配というか、まるで西欧の平坦なゆったりした流れで有名なドナウ川やライン川など、日本の滝のような河川群と異なるタイプとして紀ノ川が滔々と流れていたことを少し取りあげたいと思ったのです。

 

この平坦に近い流れは、ある意味では手こぎや帆船時代では、運行に便利だったことを推測してもいいのではないかと思うのです。ここで再び、神功皇后の東遷が紀ノ川を上っていったことに一つの材料を提供できるのかなと思うのです。よくこの神功皇后・応神天皇母子の東遷は神武天皇のそれと類似する点が多いことから、両者は一つで、後者が架空のものと言われることもあります。その議論は別にして、少なくとも神功皇后については各地での伝承記録がありますので、軽視せず、心にとめておいても良いのではと思うのです。

 

実際、江戸時代の紀ノ川はまさに川上船が頻繁に上ったり下ったりして、荷物の運搬に活躍していたと思うのです。それは19世紀初頭に描かれた紀伊国名所図会でも描かれています。

 

で、ここでちょっと心配になったのは、享保期に小田井を開設して大量の河川水を引き込むと、河川流量を減少させることになって、運行に支障を来すことがなかったのだろうかという点です。実際にそうでなかったから、小田井用水がその後今日まで用水として利用されてきたわけですが、通常、船舶仲間たちが自分たちの業務に影響があると心配して反対したのではないかと愚考するのですが、どうもそれらしい話しはありません。

 

これは、一つには藩財政立て直し策として、新田開発、コメ増産事業は成し遂げないといけないという吉宗の一大方針だったからかもしれません。いや、そうではなく、かんがい用水の引水ではさほど河川交通に影響しないものであったのではないか、それは当時の紀ノ川の河川構造からいえるのではないかということです。

 

明治35年の地形図があり、当時の紀ノ川、とくに上流の橋本から下流の九度山までを見ていますと、川幅が100mかせいぜい150mくらいしかないように見えるのです。水が流れている河と両岸との境には明確な堤防は作られていない様子で、すこし後退したところに、おそらく土堤らしきものが間断的に設けら得ている程度です。

 

現在の紀ノ川は、大雨でも降らない限り(その場合は両岸の堤防まで300mかそれ以上全面水につかりますが)、多くのダムにより貯留されているため、同じ箇所では水流のある川幅は50mかせいぜい100m未満で水深も数10cmと、カヤックで川下りもできないところがほとんどです。

 

ただ、現在水が流れているところは、昔の河川が流れていたところと大きな違いはないように思えます。とりわけおもしろいのは、五条の上流から渓谷を通って、橋本に入り、西に向かって真っ直ぐ進んでいた河が大きく左に曲がり、次には右に曲がり、小田に向かい、そこを過ぎると、再び右に曲がるのです。その最初の曲がりは岸上という岸壁のような高台があり、次には才蔵が居住していた学文路(かむろ)の岩盤にぶつかり、そして、その後に真田庵などがある九度山の岩盤にぶつかるのです。

 

江戸時代の川上船は長さが10m、幅が2.3mくらいの小さな船でしたから、平坦で曲がりくねっている紀ノ川を上ったり下ったりするにはちょうどよい大きさだったのかもしれません。カヤックで下ったらとても楽しめたと思います。

 

ただもう一つ問題があります。江戸時代頃から始まった吉野杉の筏流しです。通常、吉野付近の上流で、筏流しをするときは、堰き止めて水をためて、一気に流す方法をとっていたようですが、小田井の取水堰はこの筏流しに支障がなかったのでしょうか。

 

むろん現在の小田井堰のように川幅一杯に堰を設ければ、筏組から猛反対を浴びたでしょう。彼らは相当な利権を持っていたようで、彼らの筏流しに支障があるようなことは難しかったと思われます。彼らはまた紀州藩ではなかったでしょうし。

 

しかし、当時の小田井の堰はあまり長いものでなく、極めて短いものでしたから、筏流しに支障を来すことがなかったと思います。あるいは灌漑期を回避して流していた可能性もありますが。

 

と勝手な推測を交えて、紀ノ川と小田井を少し検討してみました。次はもう少し文献を読んだ上で、きちんと考証して言及してみたいと思います。

 

一時間を過ぎてしまいました。ちょうどよい頃合いとなりました。また明日。


家庭内・性的虐待 <消えない傷 性的虐待に遭って1~5連載記事>を読みながら

2018-02-25 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

180225 家庭内・性的虐待 <消えない傷 性的虐待に遭って1~5連載記事>を読みながら

 

人間の行いというものはわからないものだと思います。善人のような振る舞いをしている人が、組織内部ではパワハラ、あるいはセクハラをしていることもありますね。本人自身がその2重のような人格を自覚していない場合もあるのかもしれません。そういう悪行に抗議したり責任追及する道はいまなお狭い門ですね。アメリカで起こったMeToo運動自体、それを証明しているように思えます。

 

それが社会だ、それが人というものだという割り切り方もあるかもしれません。その悪行によって一生苦しみ地獄のような苦痛から離れられないでいる人に思いを抱けないことに問題があるように思うのです。とりわけ親子間・親族間といった家庭内で起こった場合は極めて深刻ですね。そのことを毎日連載記事<消えない傷 性的虐待に遭って>はかなりの程度リアルに迫っています。

 

少し話しが飛んでしまって申し訳ないですが、この話題を取りあげるのに躊躇しつつ、昨夜録画していた映画『チャイナタウン』を見て、私なりの視点で考えてみようかと思うようになりました。

 

実はこの映画、日本での封切りが75年ということですので、その頃映画館で見たのかもしれません。まったく内容もキャストも覚えていませんでした。ただ、私立探偵が何か水利権をめぐる不正を発見したり、殺人事件の真犯人を追い詰めるとか、サスペンスアクションとして優れた作品だったような記憶でしたので、再び見ることにしたのです。

 

私立探偵役がジャック・ニコルソンで、最近はユニークな老人役ばかりを好演していますが、彼の若々しい、それもしっかりした体格で、ま、やり手の私立探偵、あの作家レイモンド・チャンドラーが生み出したフィリップ・マーロウにぴったり(ハンフリー・ボガートが演じていますがあまり似合わないと思っています)でした。実はこのチャイナタウンもマーロウが活躍する内容だと勘違いしていたのです。

 

ともかく映画の内容をあれこれ書いていると本題に入れませんので、内容は省略して、最後の圧巻こそ、この中身の不条理を見事に表しているように思えました。それはLAで巨大な権力をもつ父親にレイプされ子どもを宿した娘が、その粗暴な父親から、自分と子どもを守るため、隠れ家で子どもを育てていましたが、父に発覚されることになり、さらに私立探偵の協力を得てチャイナタウンに一時避難しましたが、結局、父の一味に捕まりそうになり、逃れようとしたところ、誤って警官に射殺されるという酷い顛末でした。

 

あまりきちんとしたストーリーの説明になっていませんが、要はジョン・ヒューストン演じる父親が傲慢で、暴力的、市の水利権事業を私物化して、砂漠化した土地を安く買取り、その後にダム建設をさせて用水させて高価な土地に化けさせるような事業を行う悪徳業者です。さらに脱線しますが、これは1930年代のLAを舞台にしていますが、この暴力的で、家庭内虐待、場合によっては性的虐待が、いまなお起こっているように思えるのです。

 

それはいまアメリカで起こっている小学校から高校、大学内での銃乱射事件の増大について、トランプ大統領は、教師に銃の訓練をさせて銃を携帯させればいいというのですね。このような暴力的な解決しかないと、少なくとも相当数のアメリカ人が考えていること自体、私には家庭内暴力の温床となっていると思われるのです。むろん飛躍はありますが、言論による解決をという、言論の自由より、銃所持の自由に固執する態度を見る限り、アメリカ人という多くの人に、そのような懸念を感じています。

 

その意味では家庭内の性的虐待や暴力などに対して、アメリカではかなり早い時期から警察を含めて取り組んできたと思います。それくらい家庭内に深刻な問題があり、自分たちだけでは解決できなかったからでしょう。

 

ではわが国はなかったのか。む、これは難しい問題ですが、渡辺京二著『逝きしの世の面影』では、異邦人の目で両親とも子どもをかわいがる姿がリアルに描写されています。たぶん多くはそうだったのだと思います。明治期の西欧化によるストレスや、戦後の経済成長のストレスなどがない時代は、性的虐待はさほどなかったのではないかと思っています。むろん古代から人身売買があったわけですから、とりわけ厳しい経済的条件の下にあった両親の場合子どもを物のように扱った人もいたと思いますが、性的虐待まではあまりなかったのではと推測します。

 

家庭内の性的虐待は、もしかしたら明治時代に提唱された大家族主義、過度に父親の権限を認めた、あるいは勘違いした家制度の誤った理解で増大したのかもしれません。

 

戦前の古い戸籍の中に、複雑な人間模様が記載されていますが、私生児といった言葉も、婚姻できなかった男女の間の子だけでなく、そういった親族間で生まれた子も含まれていたように思うのです。むろんそこに二人の真摯な合意があればそれはそれで、たとえば中大兄皇子が妹と恋仲だったと言われるように、昔からあることですので、私なんかはあまりどうこういうつもりはありません。しかし、通常は、親子や伯父姪といった関係は戦前のわが国では明確な支配服従に近い関係にあったように思われます。その場合は平等な関係での合意が成立しないもので、いかなる性的接触も許容されないでしょう。

 

ところが、すでに家制度がなくなったにもかかわらず、わが国では常に年齢が話題となり、長幼が意識されます。長男次男とか、長女次女とか。伯父と叔父とか。欧米ではファーストネームを呼び、あるいはブラザー、シスターと呼ぶだけで、エルダーをつけないように思います。私が親しくした家族もそうでした。狭い範囲の経験ですが、わが国にはまだ若い人の間にもそのような意識が残っているように思えます。

 

むろん年齢差を意識してもいいですし、性差も意識しても良いですが、それが婚姻し夫婦となった途端、家に嫁いだ「嫁」と呼ばれたり、子どもは自分の稼ぎで育てているといった意識になる人もいます。

 

毎日記事は、詳細に「消えない傷」をどうケアしていくか、その傷をどう癒やしてかいふくさせていくかという点でとても有益な情報を提供しています。私自身、とても参考になりました。それは末尾にタイトルだけ掲げておきますので、参考にしていただければと思うのです。

 

他方で、私が饒舌に一つの見方を書いたのは、その原因をなくすことこそ、予防策こそ、最も有効な方法だと思うからです。それは関係する人ならだれも思っているでしょう。ただ、その方策が見えていないのでしょうか。

 

連載3で指摘しているように、保護者の父らは無意識に(むろんそういう事実を認めない場合が多いと思いますが)性的虐待を行っている場合もあるでしょう。他方で、児童ポルノを含め、いま世の中はポルノを賛美ないし助長するような情報が満ちあふれています。これまた取り締まりが追いつかない状態ですね。

 

学校現場で、早い段階からこの問題を取りあげ、父親などの言動に問題があれば異議を言うことが大事だと言うこと、それこそ子どものけんりであることを学ぶ機会の提供を真剣に考える必要を感じます。この危うい性的誘惑情報が氾濫して、しかも家制度の残滓を抱えた男性がいまなお相当数いる状態を看過できないように思うのです。

 

児童に対する虐待については、保護者に原因があることが多いわけですが、性的虐待については、他の外部に現れる身体的虐待や、経済的虐待、遺棄などはそれなりにわかりやすいのに対し、性的虐待についてはより難しいことが毎日記事でも指摘されています。

 

最も卑劣な行為をしているにもかかわらず、見逃されているおそれが少なくない点に私たちも注意する必要があるのでしょう。

 

今回は連載記事のタイトルだけ上げておきます。

消えない傷性的虐待に遭って 第3章/1 風呂は恐怖の時間

消えない傷 性的虐待に遭って 第3章/2 改正刑法でも「救われない」

消えない傷 性的虐待に遭って 第3章/3 罪の意識ない加害親

消えない傷 性的虐待に遭って 第3章/4 「少し変な話」は大事なサイン

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とりとめもない話しとなりましたが、この記事の内容自体は重要な情報が含まれていて、一度は読んでおく必要があるように思うのです。

 

本日はこれにておしまい。また明日。


文化財・観光と経営・文化 <「日本の文化財を守れ~アトキンソン社長の大改革~」>と<廃仏毀釈を問い直す>を見て読んで

2018-02-24 | 日本文化 観光 施設 ガイド

180224 文化財・観光と経営・文化 <「日本の文化財を守れ~アトキンソン社長の大改革~」>と<廃仏毀釈を問い直す>を見て読んで

 

実は一昨日の毎日夕刊に<廃仏毀釈を問い直す/下 今残る仏像が示す人間の愚>という記事が掲載されていて、その一週間前に<廃仏毀釈を問い直す/上 権力者や英雄、神格化の起点>と、明治150年を別の角度から見直す指摘がありました。

 

前者の記事がウェブにアップされれば、取りあげようと思ったのですが、なぜかアップされていません。ときどき不思議な記事漏れがあるように思うのです。普通、上があれば、下があるわけで、両方とも紙面記事になっているのですから、上がウェブ記事にアップされれば、下もなっておかしくないと思うのですが、なにか理由があるのでしょうか。ただ、毎日紙面ビューという、紙面と同じ体裁だと読めるのですが、コピペができないので、残念です。

 

昨日そう思いながら、帰宅してふと以前録画していた番組を思い出しました。というか録画のタイトルを見ていてふと見たくなったら、少し関連がありました。それが<NHK ETV特集「日本の文化財を守れ~アトキンソン社長の大改革~」>です。

 

今日はこの番組で紹介された、イギリス人で、元ゴールドマン・サックスのアナリストで、その後300年の歴史を持ち、国宝・文化財修復を手がけてきた日本を代表する小西美術工藝社の社長となった異色の経営者の言動に注目してみたいと思います。名前はデービッド・アトキンソンで65年生まれですから、番組放映当時は51歳でしたが、現在は52歳でしょうか。

 

いや、凄い人ですね。金融アナリストは、TV番組とか、著作でしか知りませんが、企業経営、しかも文化財の修復という特殊技能を持つ職人集団をもつ企業を経営するというのですから、それだけで驚きです。しかし、アトキンソン氏は、自然体で見事に職人であろうと、企業目標を明確にして、その目標に向かって企業経営の合理化を、しかも単に財務諸表といった収支計算にのみ注目するのではなく、その核心である修復作業の一から十まで詳細に現場で監督していくのですから、まさに本来の経営者の姿ではないでしょうか。

 

番組で取りあげたのは、春日大社、日光東照宮陽明門と二条城(これは修復そのものより観光事業としての見直し)が主なものだったと思います。

 

で、後で触れるかもしれませんが、廃仏毀釈で春日大社と興福寺が分離され、後者は多くの仏像が破壊されましたが、残された仏像の修復におり現在人気を取り戻しつつあるようです。前者は20年ごとの遷座が行われてきたものの、職人の高齢化や本来の材料が減少し、また職人の技能の継承も難しくなった状態にあるようです。

 

アトキンソン氏が社長を引き受けたとき、職人の平均年齢が50代~60代で、若い世代が入ってこず、ほとんどいない状態で、技能の継承が困難な事態におちいっていたというのです。まるで農林漁業のようでもありますね(むろん若い世代が意気軒昂な地域もありますが)。

 

その要因の一つについて、金融アナリストらしさを発揮しています(ま、そうでなくてもたいていの経営を担う人なら意識はありますが)。アトキンソン氏は、65歳定年制にして、給与をそれまでの半分にしたのです。彼曰く、ベテランの職人がいくら腕が良いといっても、若い職人の何人分もの給与をもらっていたら、若い世代を雇うことができないというのです。それはそのとおりです。それをわかっていて、実践するかどうか、それが普通の経営者とアトキンソン氏の違いでしょうか。彼は断固実践します。

 

当然、年配の職人は怒りますね。事前に説明を受けていて65歳になった途端、受け取った給与が半分だったことに驚き、怒りを覚えたという人もいました。でもそれは若い世代を育て文化財修理事業を維持するのに必要だと、適切に説明を受けていたこともあって、受け入れたというのです。アトキンソン氏の経営スタイルは、大胆な組織改革ですが、常に詳細に一人一人に理解してもらうよう説明を尽くす点です。

 

創業者経営者ならともかく(しかし、稲盛和夫氏もとことん社員と議論したというくらいですから、本当に経営者ならみな同じスタイルではないでしょうか)、雇われ経営者としては、徹底した経営合理主義を、アトキンソン氏は発揮するのです。

 

この結果、職場は、若者が一杯、画面ではほとんどが20代、30代くらいの職人に見えました。また女性職人も少なからずいたように思います。

 

もう一つの重要な問題として、修復技術の施工管理が彼が就任した当時杜撰になっていたようでした。一年前に修理した住吉大社の天井の梁でしたか、朱塗りしたものが剥げて垂れ下がっているということで、苦情がきていました。それは相当数あったようです。こういった場合、新たな注文をとるため営業に走る経営者もいますが、アトキンソン氏は、あくまで負の遺産を放置せず、謝罪にあちこち出向き無料で問題のある箇所の塗り直しなどをさせて、会社の信用回復に努めたのです。その結果、徐々に営業に走らなくても注文が増えていったというのです。これまた商いの本道をいくものでしょう。渋沢栄一も常に強調していたと思います。

 

この技術的な面で注目するのは、彼はベテラン職人が行った春日大社の白壁に描かれた絵馬の塗り直しについても、わずかの線にこだわるのです。彼は観光客の目線で、その狩衣のシワを示した線の濃さ・太さを問題にしたのです。神宮の守り人の力強さを表すために、そのシワは明確でないといけない、淡い下地の白が見えていると指摘するのです。

 

その職人(副社長でもある)は、彼なりに、日本人好みの淡いグラデーションを独自につけたかったようで、そのことに自負を持っていましたが、アトキンソン氏の観光客の目線という視点からの変更申出を、受け入れました。この二人の対立はどちらがいいかは私にはわかりません(ま、私の好みは職人さんに軍配ですが)。しかし、このように現場で一つ一つの作品について、微細にこだわり、職人と議論することにより、作業を進めていく姿勢は見事と言うほかありません。

 

若い職人さんも、最初は素人が何を言うかと、内心馬鹿にしていたようですが、アトキンソン氏の細やかな質疑という会話のやりとりを通じて、何を目的にして修理・修復するかを、それぞれの箇所で、彩色、部材などを目的に適合するかを話し合うことにより、お互いが具体の目的を明確化して、それにあった作業を進めていくことが自然に、組織全体で理解されていっているように思えるのです。これまたすばらしいです。

 

それはこの中では、金融アナリストの数字ばかりを追っているといった姿は一切みえないのです。

 

むろん経営合理性として、収支計算で黒字化をする必要がありますが、アトキンソン氏の視点は多様であり、短期・長期のバランスを見ながら、しっかりとした計算の下に費用をとうじていることを納得させられてしまいます。

 

神社・大社の色は朱に決まっていますね。でも本朱というのがあるのだそうです。多くの神社では、本朱を作る鉱物が限られていて、普通の朱の10倍くらいの値段があるとか、この塗り方が乾きやすく塗り直しが困難とかで高い技量を擁するため、本朱を使わないそうです。でもアトキンソン氏は、春日大社では本朱をあえて使い、多額の費用をかけています。それはむろん神官の理解を得ないといけませんが、未来に向かって国宝の価値を継承してもらう、伝統技術の継承の必要性を理解してもらい、実施するのですね。

 

こういった修復の話しの他に、二条城の修理保全を依頼されたとき、その費用確保のための観光事業のあり方を、アトキンソン氏は力説するのです。

 

阪神大震災で、二条城の一部の屋敷壁が傾いてしまい、多くの丸太で支えて暫定的な措置をとっています。また鬼瓦の一部でしょうか、いくつか落ちてしまったままでいます。熊本城ほどひどい破損状態ではないですが、それでも修復には100億円かかり、国と京都市で半分ずつ負担するということですが、その費用をどのようにして工面するか審議会らしきもので議論するのです。

 

ここでアトキンソン氏は、世界的な視点で、わが国の国宝や文化財の保全・維持費用が少なすぎることを問題にします。たしかに国を含めて累積赤字で出せるものはないというのが国でもあり京都市でもあるのでしょう。

 

しかし、アトキンソン氏は、入場料が少なすぎるというのです。600円というのは、文化財を破壊している(といったような記憶です)と激白するのです。私も賛同です。

 

私自身、それほど世界各地の文化遺産などに行ったわけではありませんが、基本的に立入制限を設け、他方で入場料はかなり高いものだったと思います。アトキンソン氏はイギリスの場合だったか、世界平均だったか不確かですが、入場料は2000円近くするということでした。彼は数値に明るいので、1円単位で話しを進めますが、私は田中角栄みたいな頭脳とは違いますので、大ざっぱな記憶の数値で勘弁ください。

 

私の各国の施設入場料の記憶もそんなくらいかなと思っています。ただ、イギリスはナショナル・トラスト制度が庶民の間で普及し確立していて、私がお友達になった家族もトラスト会員で、年会費いくらか払っていたと思いますが、そういう会費による収入も文化財保護(もちろん自然遺産もあります)に役立っているようです。

 

日本の場合ナショナルトラストというと、知床の保全が端緒になったと思いますが、イギリスに比べるとその普及度は微々たるもので、とくに建築物といった文化財については管轄もあり、極めて限られている印象です(ここは確認していませんので誤解があるかもしれません)。

 

アトキンソン氏は、従来の文化財行政の立場からするとびっくり仰天するような議論を熱心に行っています。入場料は庭だけ見るのなら600円、建物内に入る場合は600円を付加し、さらにイベントに参加する場合はさらに600円とか、といった入場料の付加価値を高めるというのです。個別の案内人が付く場合はそれだけ観光の価値が高まるのだから、その分余分にいただくというのです。現在の入場料は、修学旅行生を相手に設定した、「修学」のためのもので、「観光」のために合理的に設定されていないというのです。私も賛成です。

 

むろん、これまでの文化財のように単に展示物を見せるというだけでなく、案内板も単に名前を記載した表示だけでなく、その歴史的意義や背景、建築的・美術的価値の解説などを記載した表示を掲示することを提案して、すでに二条城では実現されています。また、当時の天皇が行幸されたときに行われた式典の再現など、その場所にあったイベント企画を行うことも進めています。これらも次第に実現されているようです。

 

国宝や文化財は、単にそのものを見るだけで理解できる面もありますが、やはり多くは長い伝統芸術・技術の蓄積が随所に含まれていて、また歴史的な場所の意義も重畳的にあると思われるのです。そういったサービスを提供するとすると、北米などで通常ガイド役として登場する、インタープリターが不可欠だと思うのです。私などは英語のヒアリングが十分でなくても、その説明があることでずいぶんと違った印象、そうですね対象の価値の重さを、そして観光の価値の深みを感じさせてもらいました。

 

そういうインタープリターを育てる状況は、最近の新観光戦略で醸成されつつあるというか、すでに一定部分が具体化しているようですが、まだまだ地方では目に見えた変化は感じられないのです。

 

入場料無料にするとか、低額にするとか、が当たり前という考え方がまだまだ岩盤としてあるように思えます。むろん国民だれもが文化財にアクセスできることは大事なことです。しかし、一方で少なくとも景気上昇期間が戦後最大とか、ベースアップ3%とかいうのであれば、文化財を守り活用するために、この入場料を相当額に設定する必要があるように思います。むろん低所得者対策は当然、別の形でしっかりとるべきでしょう。

 

スマホにしても、いろいろな興業にしても、興味を惹けば、いまは小学生から若者まで、多額のお金を出してもいいと思っています。文化財の価値を魅力あるものにする努力が求められていると思います。アトキンソン氏の提案は、まだ緒についたばかりで、より具体的に各地のそれぞれについて競争してはどうでしょう。インスタ?というのでしょうか、よければスマホであっという間に流行するでしょう。悪ければ無視されるでしょうけど。それは仕方がないですね。

 

ま私のブログもそんな感じで、少数の方は多少は賛同していただけているのかなと思いつつ、独り相撲のようなものですから、勝手な言い放題というところもありますが。

 

問題の廃仏毀釈の話しに入る前に、5000字を超えてしまったようで(饒舌すぎました)、少々疲れてきましたので、今日はこれにしておしまい。また明日。