たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

共同漁業権の性質とは <諫早湾干拓事業 開門命令「無効」「漁業権は消滅」福岡高裁>などを読みながら

2018-07-31 | 海・魚介類・漁業

180731 共同漁業権の性質とは <諫早湾干拓事業 開門命令「無効」「漁業権は消滅」福岡高裁>などを読みながら

 

今日は酷暑を感じる一日になりました。久しぶりに和歌山地裁まで行ったのはいいのですが、高速道路(まだ正式ではない)に乗った途端に、交通事故トラブルで渋滞に出くわし、仕方なく地道を走ったのですが、余裕を持っていったのに30分の遅刻となりました。

 

普段いつも和歌山地裁に行くときは余裕をもっていき、裁判所で一休みするのですが、高速で渋滞に出くわすと、遅れは10分、20分でききませんね。今回の裁判は裁判所に近い事務所の代理人とかでしたので、事前連絡して待機してもらえ、大きな迷惑をかけずに済みました。しかしそうとばかり限りません。遅刻は厳禁ですし、とくに刑事法廷では絶対ですね。今後はさらに余裕を見ておく必要がありそうです。

 

往復のドライブも熱くて疲れまして、事務所に帰ると着かれてぼっとしていました。すると別の会議を失念していて、連絡が来ました。そしてようやく帰るともう7時です。今日の話題はというと、いろいろありそうですが、やはり諫早干拓事業の裁判でしょうか。一体全体、毎日はいくら紙面を割いていたでしょう。それだけ大きい事件かとふと思いつつ、当事者にとっては当然ですし、漁業者が訴えた裁判とその後に営農者が訴えた裁判ではまったく異なる判断がでていたのですから、司法判断としても異様でした。

 

私自身、日弁連の調査で諫早には一度行ったことがあり、仲間の堀さんが弁護団で頑張っているので、注目してきました。堀さんは同期で、彼とは日弁連の湿地シンポジウムで一緒に各地の湿地に出かけていき、とりわけ彼の本拠地、和白干潟などを案内してもらったときなど、クロツラヘラサギやさまざまな水鳥の生態を解説するときは、ほんとに惚れているんだなと思うほどでした。

 

私が湿地問題に関わるようになったのが90年代初頭でしたが、彼はすでに知られた存在だったように思います。この漁業者側の弁護団は優秀な人材を集め、精力的に訴訟を展開し、02年の提訴以来画期的な判決を勝ち取ってきたと思います。他方で、営農者側も負けずに真逆の裁判を勝ち得てきましたね。

 

ところで、本日の毎日記事の多数をすべて取り上げることができませんが、一面記事<諫早湾干拓事業開門命令「無効」 「漁業権は消滅」 国が逆転勝訴 福岡高裁>では<国営諫早湾干拓事業(長崎県、諫干)を巡り、潮受け堤防排水門の開門を強制しないよう国が漁業者に求めた請求異議訴訟の控訴審で、福岡高裁(西井和徒裁判長)は30日、国の請求を退けた1審・佐賀地裁判決(2014年12月)を取り消し、国に開門を命じた福岡高裁判決(10年確定)を事実上無効化する逆転判決を言い渡した。>というわけですね。

 

西井裁判長の履歴を見ると、昨年裁判長になったのですが、高裁裁判長としては早い抜擢ではないかと思うのです。優秀なのかもしれませんが、他方で国寄りの判断をする出世街道を進んできた人なのかもしれません。それは偏見といわれるかもしれませんが、おそらく彼の期では早い就任ではないかと思うのです。それは本来、判決の内容と関係ないですけど、どうもこの判決、気になります。

 

三面にも大きく<クローズアップ2018諫早湾 開門命令無効 国のごね得、司法追認>とあり、<主要争点 判断せず>と指摘しています。それは当然ですね、原告である漁業者の訴えの基礎となる共同漁業権を消滅したと否定したわけですから、これまで長い間大変な主張立証を重ねてきた論点に答えなくていいわけで、簡潔明瞭な判断となりますね。

 

この点<漁業者側弁護団の堀良一弁護士は「有明海荒廃の原因などの論点を判断せず、これ以上の肩すかし判決はない。裁判所が司法の役割を放棄した」と強く抗議した。>というのは当然でしょう。

 

ただ、福岡高裁としては、これまで開門しないことを前提に和解を推し進めてきたようですので、この和解の中で、判決の結論は暗黙に示していたのかもしれません。

<「堤防閉め切りから21年の間に開門を前提としない周辺者の生活が営まれ、開門すれば多大な影響を与える」。福岡高裁が3月に示した和解勧告には、国が開門に応じない現状を追認する姿勢が垣間見えていた。

 背景には諫干を取り巻く状況変化がある。国は開門の代わりに100億円の漁業振興基金創設を提案したが、運営を担う有明海沿岸4県のうち最後まで開門を求めた佐賀県の漁業団体が今年3月、非開門受け入れに転じた。漁業者側弁護団は「国は100億円をちらつかせて切り崩しを図った」と批判するが、福岡高裁は5月、漁業団体の非開門受け入れを評価し「重い決断に考慮を」と漁業者側に基金案受け入れを迫った。>

 

西井裁判長は、100億円の基金を前提に和解を迫ったのに、拒否され、安直な?共同漁業権消滅という冷徹な刀でばさっと切り捨てた印象です。見事という評価は国や営農者にはされるかもしれないけれど、これまでなんのために闘ってきたのか、その是非をしっかり判断しないこのような判断は正義なのかと問われそうです。

 

<漁業者側弁護団の馬奈木昭雄団長は「誰ひとりとして『有明海再生の道が見えた』とは思えない」として、最高裁で争う姿勢を示した。諫干を巡る問題は、解決に向かうどころか、混迷を深めている。>というのが実態ではないでしょうか。

 

では西井裁判長の判断根拠はなんだったのでしょう。

開門命令無効 異議訴訟、国が逆転勝訴 控訴審判決 要旨>によれば、<現行法の内容や趣旨を総合考慮すれば、漁業協同組合などに許された共同漁業権は、法定存続期間の経過により消滅すると解すべきだ。>

 

共同漁業権の存続期間が過ぎれば消滅し、新たに認められたものは別の新しい権利だというのです。その解釈は漁業法を次のように解釈するからです。

<現行漁業法は、共同漁業権について10年を存続期間と定め、延長を認めていない。これは漁業権の主体や内容の固定化を防ぐために、都道府県知事が一定期間ごとに漁業権の内容と主体を再検討する機会を設けたものと解される。これにより水面を総合的に利用し、漁業生産力を発展させることを図ったと解される。>

 

たしかに免許制で、存続期間を定めつつ、免許の更新規定はありませんので、西井裁判長の漁業法の文理解釈は間違っていません。しかし、それが実態に適合するのでしょうか。共同漁業権が10年の存続期間で、それが過ぎると消滅するといったことが、漁業者、漁業組合の意識とマッチするのでしょうか。

 

私にはそのような理解は実態を反映しているとは思えない、机上の議論に思えるのです。ただ、そのような漁業法の運用が行われ、それも民主的公開性をもって免許がされるならばという立場です。それは漁業組合といくつかの事件で争った立場としては、既得権を必要以上に主張する場合が少なくないと思うからです。

 

それは本件に当てはまるとは思えません。漁業法の勉強は久しくしていないので、知り合いの熊本一規さんに教えを請うた方がいいかもしれません。彼から著作の『海は誰のものか』などを頂いているのですが、なかなか読めないままでいるので、こういう機会にしっかり読んでおくことを考えたいです・・・

 

そろそろ1時間となりました。また明日。


便利と環境倫理 <プラスチック危機 ケニアの挑戦 ポリ袋使用、まさかの逮捕>を読みながら

2018-07-30 | 廃棄物の考え方

180730 便利と環境倫理 <プラスチック危機 ケニアの挑戦 ポリ袋使用、まさかの逮捕>を読みながら

 

私たちは常に快適さを求めてきたように思うのです。それが最大多数の最大幸福につながる、美しい?見えない糸があると幻想しているわけでもないのに。

 

便利さを追求するのが人間であり、企業であるかもしれません。それを辞めたら発展、進化はないのかもしれません。しかし地球の歴史は一歩前進二歩後退してきたかもしれません。

 

昔であったら神を怖れぬということで、自然災害やたたりという事象が時折、人間の傲慢さを自省させるような事態が起こったのかもしれません。

 

毎日新聞が連載している「プラスチック危機」も、プラスチックの普及とともに、なんども繰り返された警告かもしれません。化学物質などの毒性について閾値が取り上げられますが、社会としての許容能力も似たような目安があるように思えるのです。そろそろ危うい状態に近づいていないでしょうか。

 

先進国といわれる中で、EUはかなり以前からプラスチック使用に自主的に抑制するスタンスをとってきたと思います。わが国はたとえば、東京ゴミ戦争といわれた70年代にはすでに大きな問題とされていたのに、効果的な対策がとられないまま、適当な分別処理・リサイクルでごまかしてきたように思います。

 

途上国はというと、私が80年代後半訪れたボルネオ島で見た光景は、先住民の集落ですらポリ袋をはじめプラスチック製品が出回り、集落のはずれには捨てられたプラスチック容器などで埋め尽くされていました。集落の人数も数十人程度ですので、それほど環境に影響を与えるほどではないですが、こんなへんぴなところでもと驚いた次第です。

 

それからすでに30年が経過しました。わが国も、途上国も、プラスチック製品、そのゴミ化はさらに急速に拡大しています。ほんとにこれでいいのと思うのです。

 

私自身、便利なもの、きれいにするもの、それは反面で、環境に多大な負荷を与えるものと思ってこの30年あまり生活を送っています。その両天秤をどのようにバランスをとるか四苦八苦しつつ、ときに忘れてしまうこともあります。

 

それでもいくつかは実践してきたように思うのです。きれいにする一つ、クリーニングはできるだけ利用しません。30年以上前、クリーニング店で利用しているトリクロロエチレンなどの処理が適切に行われていないことを知ってからです。ワイシャツにシワがあることの方がよいと考えるからです。化粧品はもともと使わないのですが、女性にはできるだけ利用を控えめにしてもらいたいと思う一方、それはだめ出しを受けるかもしれませんね。

 

さて本題のプラスチックです。どんどん増えてきて、いつの間にか私も相当量使っていて、いくら容器包装プラスチックとして分別排出しても、わが国の現状では適切なリサイクルが行えているとは言えないのですから、やはり排出抑制というか、使用を控えるべきでしょう。

 

スーパーでもコンビニでもどこでも、マイバッグを持ち歩いていると、少なくてもポリ袋はいりませんね。私は有料で良いという立場です。これも消費者の中には猛チャージする方もいるでしょうね。ま、私個人には力がないので、相手にはしないでしょうが、行政がそのような企てを考えていれば、それこそ目の敵にされ、消費税増税並の反撃を食らうでしょうか。

 

プラスチック製品は多様で、その中には医療用具などとても有益なものもあるでしょう。問題の多いプラスチックですが、いずれも功罪相半ばするのが真相に近いと思う中、有益性の高いものに限って利用促進する一方、ポリ袋を含めあまり必要性の高くないものは使用制限を考えてもよいのではと思うのです。

 

むろん最終的には個人の選択にかかる部分も少なくないと思いますが、行政、企業、研究者の指向性として、一定の基準を検討する機会を設けてはどうかと思うのです。

 

そのような思いは、途上国と言われるケニアの新たな実験で、先進国と言われるわが国も考えてもらいたいと思った次第です。そのケニアの挑戦は、毎日朝刊記事<プラスチック危機ポリ袋「ノー」 ケニアの挑戦(その2止) ポリ袋使用、まさかの逮捕 厳罰立法、市民の怒り後押し>で驚きと怒りの現状を伝えています。

 

ポリ袋禁止新法による逮捕です。

<「まさかと思ったよ。路上で果物を売っていただけなんだから」。南東部モンバサで昨年10月、マーティン・マシラさん(27)ら4人が警官に現行犯逮捕された。警官はマシラさんが売ろうとしているリンゴが入ったポリ袋を指して「禁止されたのを知らないのか」と詰問し、連行した。マシラさんは翌日裁判所に出頭。初犯のため情状酌量を認められて釈放されたが、裁判官からは「次からは収監か高額な罰金を覚悟するように」とクギを刺された。>

 

消費者の苦情と業者の嘆きです。

<「レジ袋は無料だったのに、なぜ金を取るんだ」。首都ナイロビから約30キロ離れたキテンゲラの大手スーパーでは、商品の持ち帰り用に再利用できる袋を10~40円相当で販売したが客の不評を招き、当初、苦情が殺到した。

 ナイロビの青空市場でトマトやタマネギを売る女性(35)は、持ち帰り用の繊維でできた薄い袋を店に置くが、仕入れ代はポリ袋の6倍高い。客が逃げるので売り物の値上げはできず、1日600円ほどだった利益は半減。「ポリ袋の禁止には反対しないが、安価な代用品がないと商売にならない」と嘆息する。>

 

賛否両論あるものの、禁止法は着実に社会に浸透している様子です。

<法施行に反対する立場の人たちからは、ポリ袋禁止に伴う経済的損失を指摘する声もある。ケニア製造業者協会(KAM)によると、ポリ袋製造業者が廃業に追い込まれ、数千人が失業。関連業界など「間接的な影響」も含めると10万人の雇用に影響が出たと試算し、政府はさまざまな弊害を考慮し、段階的に導入すべきだと訴えてきた。

 こうした声に対し、政府顧問を務める環境専門家ピーター・オデンゴ氏は、社会的なコストは多様な側面から検討されるべきだと「反論」する。「プラごみによる汚染は人々の健康を脅かし、ケニア経済の多くを占める観光収入の減少を招いてきた」>

 

新法のビフォー・アフターは<プラスチック危機ポリ袋「ノー」 ケニアの挑戦(その1) 「世界で最も厳しい」禁止法>によれば、

 

新法施行前は途上国で見かける悲惨な実態がありました。

<禁止法ができるまでケニアのスーパーでは年間1億枚のレジ袋が無料で配布され、使用後には無造作に路上などにポイ捨てされていた。この結果、大量のごみが川や水路などにたまり、水の流れをせき止めてたびたび洪水が発生。また、家畜が誤ってポリ袋をのみ込むことも問題となっていた。「食肉処理場では10頭に2~3頭の割合で牛の胃袋からポリ袋が見つかっていた。街の景観はもとより、食の安全を脅かし、災害を引き起こしてきた」。国家環境管理庁のゼファニア・オウマ副局長(監視指導担当)は、プラごみの不法投棄がもたらしてきた深刻な被害をそう語る。>

 

それが見違えるような美人?のまち景観となったのです。

<だが、この1年で景観は見違えるようになり、家畜の誤飲も減ったという。当初は戸惑っていた市民も布製のエコバッグなどを持ち歩き始めた。>

 

むろん一国だけでは解決する問題でもないですし、ポリ袋だけの問題でもありません。これから持続性あるプラスチックゴミ対応を消費者、事業者、行政のいずれもが真剣に検討していかなければならない問題です。

 

そろそろ1時間となりそうです。この辺でおしまい。また明日。

 


大量殺傷事件と司法 <村上春樹氏 寄稿 胸の中の鈍いおもり 事件終わっていない>などを読みながら

2018-07-29 | 刑事司法

180729 大量殺傷事件と司法 <村上春樹氏 寄稿 胸の中の鈍いおもり 事件終わっていない>などを読みながら

 

昨夜は逆走台風が東方から東海、近畿、さらには中四国に向かうというので、めずらしく雨戸を閉めて寝ました。最近、眠る前はまだ嵐の前の静けさ状態でした。すぐ眠りについてしまいましたが、夜半、ガタゴトという音でぼんやりした状態でやってきたなと思いつつ、それほどひどい轟音でもないので、再び熟睡となりました。

 

今朝薄明かりの中、静けさと野鳥の鳴き声で目が覚めました。雨戸を開けると、高野の峰々が鮮明に見えています。もう台風が遠ざかったな、結構早かったなと思ったのです。台風一過、やはり空気が澄んでいるのでしょうか、日の光に照らされた屋根瓦の黒と蔵の白壁がツートンカラーで一帯の和風建築群がとてもすてきに見えました。

 

雨に濡れたプラスチックカバーから毎日新聞朝刊を取り出し、ひょいと目に飛んできたのが<村上春樹氏寄稿 胸の中の鈍いおもり 事件終わっていない オウム13人死刑執行>でした。オウム事件の死刑囚の執行では毎日のように報道されていましたが、私自身は地下鉄サリン事件やその逮捕事件当時、海外に滞在していて、ほとんど情報を身近に感じていませんでした。帰国後裁判が始まっても当時は刑事事件をまったくやっていなかったこともあり、知り合いがTVに頻繁に出演してたようですが、TVもほとんど見ていませんでしたので、自分が関わっている事件処理で他に目をやる余裕がなかったのかもしれません。

 

ただ、90年代後半の坂本堤弁護士家族事件に不審を抱いたり、オウムの選挙運動の奇怪さに、単なるバブル世相の反映と言えない不安を覚えていたことは確かです。それでも日本を離れると、ほとんど日本の情報が入ってこなかった時代、日本のことに関心を抱く状況になかったことも確かです。

 

死刑執行に関わりさまざまな報道がありましたが、ぼんやりと見ていました。そういえば地下鉄サリン事件の被害者の遺族の方がその都度記者会見で、その心の奥にある深い悲しみを押し隠すかのように、淡々と発言している場面からは、この間の裁判および執行という司法の役割は、国民の期待に応えたものであったのか、問われているようにも感じました。隣に知り合いのNさんが座っていましたが、私がたまたま見たニュースでは発言は報道されていませんでした。被害者弁護団事務局長であったように記憶していますが、被害者遺族の発言こそ重視されるべきとの立場だったのでしょうか。

 

弁護士にとっては、被害者および亡くなった場合の遺族の立場にたったときと、他方で、日弁連を筆頭に各地の弁護士会、弁護士の多くが死刑反対の決議を長年繰り返してきていることとの関係で、難しい判断を求められるのかもしれません。私も微妙な心の揺れを感じます。そんなとき、村上春樹氏は、自己の立場とこのオウム事件死刑執行という事件経過について、日本を代表する小説家として、また現代を生きる知識人、あるいは人間として、悩みを抱いた寄稿文を発表したのですから、これは取り上げたいです。

 

記事では<1995年の地下鉄サリン事件に衝撃を受けた村上さんは、被害者や遺族へのインタビューを著作にまとめ、裁判の傍聴を重ねるなど、深い関心を寄せ続けてきた。「胸の中の鈍いおもり」と題する寄稿で、刑の執行への複雑な思い、裁判での印象、残された課題について率直につづっている。>と紹介しています。

 

村上氏は死刑制度反対の立場です。

<一般的なことをいえば、僕は死刑制度そのものに反対する立場をとっている。人を殺すのは重い罪だし、当然その罪は償われなくてはならない。しかし人が人を殺すのと、体制=制度が人を殺すのとでは、その意味あいは根本的に異なってくるはずだ。そして死が究極の償いの形であるという考え方は、世界的な視野から見て、もはやコンセンサスでなくなりつつある。また冤罪(えんざい)事件の数の驚くべき多さは、現今の司法システムが過ちを犯す可能性を--技術的にせよ原理的にせよ--排除しきれないことを示している。そういう意味では死刑は、文字通り致死的な危険性を含んだ制度であると言ってもいいだろう。>

 

他方で、この事件は違うというのです。

<「アンダーグラウンド」という本を書く過程で、丸一年かけて地下鉄サリン・ガスの被害者や、亡くなられた方の遺族をインタビューし、その人々の味わわれた悲しみや苦しみ、感じておられる怒りを実際に目の前にしてきた僕としては、「私は死刑制度には反対です」とは、少なくともこの件に関しては、簡単には公言できないでいる。「この犯人はとても赦(ゆる)すことができない。一刻も早く死刑を執行してほしい」という一部遺族の気持ちは、痛いほど伝わってくる。その事件に遭遇することによってとても多くの人々が--多少の差こそあれ--人生の進路を変えられてしまったのだ。有形無形、様々(さまざま)な意味合いにおいてもう元には戻れないと感じておられる方も少なからずおられるはずだ。>

 

ただ、遺族のインタビューを通じて本を書くことを通して、自分の何かが変化したという村上氏、その遺族の気持ち次第で、司法判断が変わっていいのかとも問いかけるのです。

<そのように「遺族感情」で一人の人間の命が左右されるというのは、果たして公正なことだろうか? 僕としてはその部分がどうしても割り切れないでいる。みなさんはどのようにお考えになるだろう?>

 

村上氏は、冷血で残酷な犯行を行ったオウム真理教信者の裁判を傍聴して、その彼らを知ろうとするのです。<とくに林泰男(元死刑囚)の裁判には関心があったので、そちらを主にフォローした。>しかし、その心の奥にある真意には到底届かなかったようです。

 

そして村上氏が裁判当事者に対して、痛烈な言葉を発していることに注目したいと思います。

<正直に申し上げて、地裁にあっても高裁にあっても、唖然(あぜん)とさせられたり、鼻白んだりする光景がときとして見受けられた。弁護士にしても検事にしても裁判官にしても、「この人は世間的常識がいささか欠落しているのではないか」と驚かされるような人物を見かけることもあった。「こんな裁判にかけられて裁かれるのなら、罪なんて絶対におかせない」と妙に実感したりもした。>

 

これは私も人ごとではなく、自省を促されているように思うのです。ただ、一人の裁判官が村上氏の目にもほっとする姿勢、言動、そして判決であったようです。

<担当裁判官であった木村烈氏がとても公正に、丁寧に審理を運営しておられたことだ。最初から「実行犯は死刑、運転手役は無期」というガイドラインが暗黙のうちに定められている状況で(林郁夫=受刑者・無期懲役確定=という例外はあったものの)、審理を進めていくのにはいろんな困難が伴ったと思うのだが、傍聴しながら「この人になら死刑判決を出されても、仕方ないと諦められるのではないか」と感じてしまうことさえあった。>

そして<判決文も要を得て、静謐(せいひつ)な人の情に溢れたものだった。>というのです。

 

見方によるかと思いますが、おそらくどの裁判官が担当しても大変な事件だったと思います。弁護士については、ある弁護人はさまざまな脅迫があり、私が事務所の別の弁護士と仕事をしていてそこを訪れると、大変な防犯装置をつけていました。むろん、法廷ではしっかり弁護を行うのが当然ですので、かりに村上氏やあるいは一般の傍聴者から、世間的常識を欠落しているのではと思われることがあっても、それが弁護の必要上やむを得なければ、後日なんらかの形で説明するのが望ましいのではと思うのです。

 

それにしても事件は、死刑判決と確定で厳粛な結論がくだり、そして死刑執行により事件が終局するかのように思える節があります。

その点、村上氏は

<今回の死刑執行によって、オウム関連の事件が終結したわけではないということだ。もしそこに「これを事件の幕引きにしよう」という何かしらの意図が働いていたとしたら、あるいはこれを好機ととらえて死刑という制度をより恒常的なものにしようという思惑があったとしたら、それは間違ったことであり、そのような戦略の存在は決して許されるべきではない。>

 

そして最後に

<我々は彼らの死を踏まえ、その今は亡き生命の重みを感じながら、「不幸かつ不運」の意味をもう一度深く考えなおしてみるべきだろう。>と。

 

村上氏の言葉は含蓄に満ちています。実は村上文学を一度も読んだことがありません。いつか「アンダーグラウンド」を読んで見ようかと思います。

 

最後になりましたが、今週の本棚の書評<渡辺保・評 『言葉の魂の哲学』=古田徹也・著>では、言葉の選択という、人にとって最も本質的な部分で、倫理性が問われること、そこにその人の生存価値があるということを感じさせてくれました。

 

それは

<カール・クラウス・・・が言葉の選択を唱え、「倫理」を唱えたのは、言葉を選択するという行為の核心こそ「倫理」だと考えたからに他ならない。「倫理」・・・は人間の行動の規範というべきものであって、言葉を選ぶという行為は人間の存在の根本だからである。言葉を選ぶ時の人間は、その「場」を相対化し、そのなかで自分にどの言葉がピッタリくるかどうかという判断に責任をもたなければならない。>というのです。

 

そして最近、言葉が力をなくし、張り子の虎のように情けない状態にあると感じます。その点、筆者は

<「自分でもよく分っていない言葉を振り回して、自分や他人を煙に巻いてはならない。出来合いの言葉、中身のない常套句で(言葉への)迷いを手っ取り早くやりすごして、思考を停止してはならない」>と警告するのです。

 

今日はこれにておしまい。また明日。


ブラジル・トメアス考 <眞子さま アマゾン訪問 皇室としては初>を読みながら

2018-07-28 | 日本文化 観光 施設 ガイド

180728 ブラジル・トメアス考 <眞子さま アマゾン訪問 皇室としては初>を読みながら

 

昨夜は台風の影響か?深夜なんどか起きました。といっても外は穏やかで、蒸し暑いというより涼やか、あるいは少し寒さを感じるくらいでした。ともかくぐっすり眠れませんでした。そのため朝食後もぼっとして、最近ほとんど座ったことのないロッキングチェアに腰を下ろした途端、ぐっすりと眠りにつきました。

 

目覚めた後台風の備えをしようかと思いつつ、ま、今夜か明朝当たりが紀伊半島かなと思い、それより事務所に置く花を購入に出かけました。毎週取り替えていますので、花屋さんとはなじみになったはずですが、いわゆる個人の花屋さんではないので、あまり会話が弾みません。事務所で花を取り替えた後、台風の様子を見ようとネットでNHKを見ると、<眞子さま アマゾン訪問 皇室としては初>と出ていました。たしかNHKTVニュースでも取り上げられていたのですが、なにか気になりました。

 

今日は台風がいつやってくるか分からないので、早めにブログも書き上げておこうと思い、その?の眞子さまニュースに注目して書こうかと思います。

 

眞子さんが訪問された、トメアスといえば、私が四半世紀前に仲間3人で訪れたところです。眞子さまニュースで取り上げられたトメアスのイメージと、私たちが半日ばかり過ごしたトメアスとは雲泥の差を感じたのです。同じところとは思えませんでした。

 

だいたい眞子さんが映った映像なり写真では、小型機といえどそれなりの立派な飛行機で、降り立った姿でした。え、トメアスに飛行場があったのと思ってしまいました。それに立派な講堂とか、町並み、墓地などなど、これはずいぶん開けた「都市」といってよいですね。

 

たしかにNHKの記事でも<ブラジルを公式訪問している秋篠宮ご夫妻の長女の眞子さまが、日本の皇室としては初めて、アマゾン地域のトメアスを訪れ、日系開拓者の慰霊碑に花を捧げたほか、現地の日系人が経営する農園などを見学されました。

眞子さまは27日、ブラジルのアマゾン地域の都市トメアスに到着されました。>とあり、冠名で、「都市トメアス」とありました。

 

えっと驚きました。私が見たトメアスと同じなのかと二度びっくりです。でグーグルマップをみると、確かに街路が縦横に走り、住宅地が整備されています。レストランもありますね。

 

でも私たちが経験したトメアスは、私が幼い頃の日本の田舎の農村風景か、それ以上に前時代的でした。だいたい、アマゾン川河口最大の都市、ベレンでも、私たちが宿泊した地区は整備されていましたが、その外は治安がよくない状況でした。で、トメアスまでの交通手段はというと、車しかないと思っていました。実はこの旅程は、先輩のOさんがほとんど全部決めていて、わたしともう一人後輩のKさんもそれに乗っかっただけでした。それに当時は、ネット情報もなく、Oさんが現地ガイドと連絡してガイドの情報を頼りに決めたのだと思います。

 

この3人の珍道中はとても面白くて次々と事件が起こり、その顛末をいまのようにネットに載せると結構面白かったと思います。当時は日記を書く習慣もなく、その後も次々と調査旅行があり、ときに話題にしても新たな事件などで忘れてしまっていました。それにOさんとKさんはとても饒舌で、二人で話題が尽きないほどずっとしゃべっていて、私にとってはうるさいくらいで、さまざまな体験があまり心にしみこまなかったかもしれません。

 

この二人の面白さは簡単に言い尽くせないのでこの程度にして、思い出したトメアスまでのこと、トメアスでの出来事を書いてみようかと思います。

 

車で行くと言っても、大変な悪路で、あれほどの悪路を長時間高速で走ったのは経験ないほどです。むろん舗装してなく、でこぼこ道で、砂埃が走った後に満ち一杯になります。ということは対向車があれば、まったく見えないことになります。幸か不幸か、長時間のトメアス往復で、対向車があったことを覚えていません。あったら怖かったでしょうね。

 

というか、ガイドによると、この道は強盗が出るのでということで、拳銃を携帯していましたから、対向車なりがあると、強盗の危険もあり、こちらも怖かったのです。

 

とはいえ、無事トメアスに到着してほっとしたのはほんの一時、また大変なことが分かりました。たしかトランクのドアが開かなかったのだと思います。荷物は全部そこにはいっていますから、ガイドも含めみんなで四苦八苦したように思います。陸の孤島と聞いていたので、JAFのような救援隊もありません。あきらめ気分になったとき、Oさんだったか、なにをしたのか分かりませんが、ドアが開いたのです。

 

そのとき農家の方からいただいたドリアンのジュースがとても美味しくて、その後ドリアンを飲むときこの思い出と重なることがあります。

 

農家の方は日系人で、その方にコーヒー畑を案内してもらいました。素朴な作り方でした。ジャングルの中に少し開けた感じで、手作業で畑作りをしている印象でした。

 

その後住宅が多少あるところまで案内してもらいましたが、人影も少なく、店舗もないか、あっても簡易なものだった記憶です。印象としてはわずかしか人が住んでいないのでは、それに移民したもののうまくいかなかったのかなと思ったのです。ほんと全体の一部しか見てなかったのです。ま、それも事実ではありますが。

 

私自身、事前知識もなく、Oさんの計画にのって動いていたこともあり、ほとんど疑問らしいものも沸いてこなかったのでした。もう一つは日本から安い航空便で40時間近くかかり、さらにひどい悪路で、疲れ果てていたのかもしれません。トメアスについての予備知識もなく行くのですから、適当この上なかったです。というかそれまでリオサミットの準備などで追われていて、旅先のことまで関心が及ばなかったのです。

 

いくつか事件が起こりましたが、もう一つ取り上げると、ベレンへの帰路、アマゾン川の支流、川の名前は覚えていませんが、平底のフェリー渡しがありました。そこを渡ると、検問があり、往きのときは無事通過できたのですが、帰りの時、止められたのです。そしてガイドが検問所に連れられていって、話をしていたのですが、それが一向にらちがあかないのです。たしか1時間ではきかなかったように思います。どうも行かせてくれないようなのです。へんな日本人と思ったのでしょうか。結局、お金で解決したように記憶しています。

 

そんな思い出が残るベレン往復でしたが、眞子さんの場合、そんな怖い道路を使うはずもなく、快適な空の旅で、しかも成功したトメアスの日系人たちに歓迎され、日本人のお墓参りをされたようで、なによりです。

 

なお、私たちも、ベレンでは、日系人の結構えらい方から、美人コンテスト?とかの祝典に来賓で招待され、結構な接待を受けました。日系ブラジル人は各地で活躍され、人望もあり、日本人が訪れると、ほんときもちよく接待していただいた、思い出があちこちでありました。

 

いま東京オリンピック・パラリンピックで「おもてなし」と標榜していますが、私たち日本人が忘れてしまったことを、日系移民の方々は現地で大切にその心を残されているのではと思い、むしろ私たちが学ばなければならないことも少なくないと思うのです。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。明日は異常な台風が襲ってくるのかしら、各地で大きな災害が起こらないことを祈っています。


地域人口の好い加減 <美の基準が守るもの>と<ウォルマート、日本撤退の動き 人口減る国、魅力なし>を読んで

2018-07-27 | 地域力と多様な価値

180727 地域人口の好い加減 <美の基準が守るもの>と<ウォルマート、日本撤退の動き 人口減る国、魅力なし>を読んで

 

人口がどのくらいだと適当なのでしょうかね。それこそ人それぞれかもしれません。それが政治経済、あるいは事業経営(それは八百屋さんから大企業、学校などいろいろ)をになう人によっても異なるでしょう。

 

私のような人間は、どんな超一流のオペラ観劇や最高のスポーツ鑑賞ができ、高級料理店やすてきなブティックが並んでいようが、あるいは高給が保証されようが、電車や自動車、人の混雑の世界では生活する気にはなれません。過疎がなぜだめなのか私にはわかりません。

 

住宅は周りに住宅がない方が私には向いています。ま、今は分譲地にいますので、それは現実と違うじゃないかと言われたら、いつかと答えておきますが。

 

情報媒体にしても政治にしても、経済にしても、そのトップが常に人口減少を問題にします。増やすためにカジノIRなんてものまで平気で推奨するのが現状です。生き方の基本は何なんでしょうね。たしか自治体消滅とかセンセーショナルな指摘も時々紙面を賑わせますね。いくら人口が減っても自治体がなくなるとは限りません。自治体がそれに応じて変容すればいいのです。実態に応じて自治体の殻や仕組み、職員をあわせればいいのです。自治体はこうでなければいけない、なんて中央の模範というか標準で、机上の論理を繰り出すからおかしくなるのではと思うのです。

 

さて、はじめに経済の動きからとりあげましょうか。昨夕の毎日記事が<特集ワイドウォルマート、日本撤退の動き 人口減る国、魅力なし 変革期、飛躍への好機か>と米小売業最大手のウォールマートの日本撤退という雲行きをかぎつけて、人口減が魅力なしというのでしょうか。ま、たしかにウォールマートならそうかもしれませんね。アメリカ小売業の大規模化の象徴みたいな企業ですからね。

 

私も四半世紀くらい前、はじめてウォールマートの店に入ったとき、これはなんだと驚きましたが、よくみれば店舗の大きさ、商品の多さは桁違いであっても、中身はたいしたことがないという印象でした。一時的には大規模店舗で人口増を呼び込むことができたとしても、持続性の戦略があったかというと、どうでしょうね。ましてや日本市場がアメリカ消費者のおおらかさと比べて厳しい中、よほどの商戦略を生み出さないと生き残れないと思っていました。

 

だいたい西友を買収しても、西友を利用していたことがありますが、昔はともかくある時期からはスーパーとしての魅力を欠いていたのですから、単純に既存店舗を安易に利用しようとするのでは、うまくいかないのが当たり前ですね。買収後どう変わったかは私も利用しておらず知りませんが、あまりいい評判は聞きません。

 

そのようなウォールマートが人口減で魅力なしといって、日本から撤退しても、おそるに足りないと理解するのが賢い消費者、あるいは小売り事業者ではないかと思います。

 

人口減はとっくに想定されていたことで、それに応じた店舗経営を改革するのが事業者の才覚のはず、ウォールマートの北米型では日本にそのまま通用するとは思えません。

 

それは他の既存スーパーも人口減に応じた戦略を講じないと、コンビニのみが勝ち残ることになるでしょう。コンビニはすでに大幅に事業の多角化という形でサービスの多様化、そして他業種、役所との連携など、どんどん進化していますね。この話はこの程度にして、ウォールマートの撤退自体は、取り上げるに値しないくらいにかんがえてもいいのかなと思うのです。

 

ところで、もう一つの記事<花谷寿人の体温計美の基準が守るもの>は上記記事の隣に並んでいたのですが、ここも神奈川県で初めて過疎地域に指定されたという、真鶴町が取り上げられています。

 

懐かしい名前もでていました。まちづくり担当の<卜部(うらべ)直也さん(45)>です。一昔前、美の条例、美の基準が問題になった事件で、私と友人のHさん、そしてこの基準作りの立役者の一人、I教授が町から依頼されて担当したとき、まだ若い熱心な職員として登場したのが彼でした。

 

占部さんが書いたエッセイを見つけました。<美の基準が生み出すもの-生活景の美しさ->です。ついでに美の基準そのものを皆さんにも読んでもらいたいなと思うのです。

 

94年に「まちづくり条例」を策定し、独自の土地利用計画をつくり、さまざまな開発圧力に抗して、真鶴の町の保全に精力的に活動した三木町長は、すでに引退していました。それでもその意欲を引き継いだ当時の町長が美の基準を守ろうと努力されていました。

 

ただ、残念ながら議員の多くはそういった美の基準の高く掲げた、繊細でさまざまな町の構成要素にあった具体的な指針を理解しようとしていない印象を受けました。それでも問題の開発は、その後無理強いはしなかったと思います。法廷闘争を準備していましたが、結局、そこまでに至らなかったのです。

 

で、改めてこの美の基準は、できれば多くの人に読んでもらいたいと思うのです。私は日弁連で調査した93年頃でしたか、三木町長とお会いして、まだ原案段階のものを頂き、その素晴らしさに感動しました。それはどの地域でも内容は微妙に違っても、美の基準を地域にあった形で作れるはずですし、それこそわが町の自慢になるはずです。あるいは改めて気づくことも少なくないと思われます。

 

過疎化することに不安を抱く必要はないと思います。過疎化という概念自体、相対的なものであり、その地域自体、どのくらいの人口がちょうどいい具合かは、それぞれの時代でそれぞれの住民が決める、考えればいいのです。それよりも自分の住むまちの美の基準を自分たちで考える、取り上げることこそ、より生きがいを感じるのではないでしょうか。それは人口減についてあれこれ考えるよりも、より根源的な価値を見いだす有益な行為ではないでしょうか。

 

ちょうど1時間となりました。今日は2つの和解実践で忙しくして、少々疲れた中、美の基準を思い出し、少し癒やされた期分になりました。また明日。