たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

カジノについて ギャンブルの是非と将来

2016-12-02 | 欲望の追求・賭博、娯楽の是非と経済性

161202 カジノについて ギャンブルの是非と将来

 

日経新聞は、今朝、カジノ法案、衆院委で2日採決 与党方針との見出しで、わが国初のカジノが実現する方向で舵を切ったことを報じています。昨夜のニュースでも、大阪市長が大阪府、大阪市が大阪湾の人工島・夢洲(ゆめしま)(同市此花区)への誘致を目指すIR構想を熱く語っていました。

 

他方で、ギャンブル依存症の家族の人からは、現状でもギャンブル依存症を抱えた多くの人が貧困・家庭破壊・犯罪・破産などで苦しむ中、何の抜本的対策も講じない政府・行政への不満・不安を訴え、抗議があるのは当然でしょう。

 

私自身、こういったギャンブルを楽しむ心境はほとんど理解できていないので、ある意味、嫌煙権運動に似た印象を感じることもあります(この話はいつか別の機会にしたいと思います)。自らの経験も40年以上前にラスベガスで一度、若気の至りで興味本位にさわりをやった記憶しか残っていませんが、それ以降、シンガポールなどを訪れても、そういうものに関心を抱く気持ちにはなれませんでした。

 

ただ、わが国には、パチンコ、競輪・競馬、宝くじと、いろいろギャンブルがあり、闇の世界ではさらに野球賭博を含めさまざまな賭博が行われていることも現実です。田舎に住んでいると、なぜかある場所だけが賑やかです。パチンコ店です。朝早くから夜遅くまで駐車場が満杯状態になっているのです。そして少なくないドライバーがそこに行くのに、結構、荒っぽい運転をしているのを見かけます。田舎の人はよく他に楽しみがないとも聞かれます。実際にやっている人の話をあまり聞いていないので実態は分かっているわけではありませんが、私には不思議です。

 

私の仕事柄、窃盗犯や破産申立をする人の中に、こうしたギャンブルをやった結果、転落したという人も結構います。相当まじめな人でも、やみつきなり、パチンコしていると無我の境地になれ(ある意味精神療養?)、最後は負けて、お金に困って、窃盗を繰り返したという人もいますが、なぜなんでしょうね。宝くじは、ギャンブルかというと不思議に思いますが、破産手続きでは、そのような位置づけなので、あまり極端な買い方をしていると問題になります。普通は現金で買っているためなかなか把握できないですが、中には銀行口座から振替で買っている人もいて、口座取引で詳細に判明し、その改善とか破産との関係が問題にされることもあります。

 

少し脱線しつつあるので、軌道修正したいと思いますが、パチンコはよくて、カジノはだめというのはなぜでしょうか。立法案の議論をきちんと調べてないので、よくわかっていませんが、これからは想定です。

 

パチンコ店(これは諸外国にはまずないと思います)は、すでに庶民に定着していて、庶民の重要な娯楽の面が強い。他方で、そのかける金額も極端に大きくなく、借金したり破産したり、犯罪に走るケースは限られている。また、パチンコ店からの売上げも一定程度社会貢献に当てられている。といった弁解がありそうです。競輪・競馬なども似たような議論でしょうか。

 

他方で、カジノは一大娯楽施設で、たしかに家族連れで遊べる面もある一方、家族全体を含め、身内や企業関係その他、団体的に多くが影響を受け、ギャンブル意識への抵抗が鈍磨し、広がってしまう危険がある。しかもその掛け金は、莫大な額になる危険が高く、その損失は個人の家庭の破壊にとどまらず、企業や行政などの資産も大きく失う危険も潜んでいる。といった議論はありうるように思うのです。

 

いつの間にか過去の話になりましたが、あの大王製紙前会長による子会社からの巨大融資を受けてマカオやシンガポールでカジノ賭博につぎ込み、多額の損失をだしたケースは、いかに危険が潜んでいるかを示すよい例でしょう。むろん大王製紙のコンプライアンス・企業統治があまりにお粗末というか、ないに等しい状態が背景にあったことは確かです。ただ、この事件で、第三者委員会の調査に対し、合計106億円以上(実際は165億円)貸し付けたにもかかわらず、いずれの子会社も使途も返済方法も確認していないことが明らかにされ、また、前会長の弁解がFX取引や株式投資などとするものでした。結局、特別背任罪で告発され、55億円の被害を与えたとして、4年の実刑判決となったわけです。

 

ここで注目したいのは、FX取引や株式投資なら多少は理解されるとの判断で前会長が使途内容を回答した点です。多額の他人の資金を取り扱う企業トップが、このような理解で、個人的にFX取引や株式投資をすること自体、問題でしょう。その感覚でカジノ賭博に160億円を超える大金を投じているわけです。そのようにカジノ賭博は、底なし沼になる危険があることを示している一例ではないでしょうか。いや、これは大王製紙というあまりに酷い独裁的ファミリー企業だからできたのだ、と言う人もいるでしょう。

 

カジノ賭博は、仮に少額と言ってもパチンコと違い、100万円、1000万円、いや1億円程度はすぐに賭け金となるのではないでしょうか。その場合最近話題の、政務活動費といった費用がまったく政務活動と関係ない費用に支出されてきた多くの政治家の実態がクローズアップされていますが、政治家も支出に関して適正なコントロール・ガバナンスがないですね。なんらかの名目で、たとえば観光誘致といった名目でカジノ利用につかわれるかもしれません。

 

いま、ギャンブル的要素の高い、金融取引も、金融工学といった一見、科学的な裏付けのあるような装いで、企業だけでなく、年金、さらには宗教界にも及んでいます。高野山金剛峯寺がかかる取引をして大きな損失を出し、主務総長が交替したのはつい最近の出来事です(このケースはいずれ話題にしたいと思います)。

 

また脱線しそうなので、ここで引っ返して、カジノ賭博に戻ります。賭博は、ある意味、人類の文明が始まって以来、ある種の形態で始まったと言われています。占いがその例で、世界各国で、さまざまな形態が記録されています。他方で、宗教ではギャンブル禁止をうたいます。しかしながら、人は禁止されるものを好むのも人でしょう。

 

わが国の記録では、日本書紀で天武天皇が紫宸殿で諸官を集めて博戯を催したとあり、持統天皇の頃には賽六(すごろく)が禁止されているとのことです。そういえば、昨日紹介した『国銅』でも、大仏造立現場で働く末端の人の楽しみは博打で、それが描かれていた記憶です。

 

カジノは避けられるものなら、避けた方がいいと思います。しかし、もしIRなどとして大規模に始めるのであれば、それがとめられないのであれば、一定の代替措置を講じることを検討することが必要のように思います。

 

むろん、まずは、ギャンブル依存症の人に対する、医療措置を含む社会的な支援措置を講じることに収益から多額の資金を拠出することが必要だと思います。現在、そのような拠出金がパチンコ業界やその他競輪・競馬業界には課せられていないように思います。

 

もう一つ、私がカナダで経験したのですが、多くの環境保護団体は資金不足で困っていて、ある放牧地跡地の生物多様性回復のための施設を支援する取り組みでは、ボランティア職員がカジノで働いて、その賃金の一部を資金源にしているといった話しをうかがったことがあります(20数年前で記憶が明確でありませんが)。環境保護団体の意識の問題もあり、わが国でそのような取り組みは容易ではないと思いますが、収益金の使途については、単に

地域の経済的発展といった産業育成にのみ偏るのではなく、公益性のある活動に支出する枠組みを用意することも検討されてよいと思うのです。

 

今日は、ある仲間が勝ち取った山岳救助国賠訴訟事件勝訴事例を取り上げようかと思ったのですが、判決文が結構長いため、読むのに時間がかかりそうなので、もう少し先に話題提供します。