たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

第三者委員会考 <『日大“悪質タックル” 大学スポーツの光と影』>を垣間見て

2018-06-07 | 委員会制度の多様性とあり方

180607 第三者委員会考 <『日大“悪質タックル” 大学スポーツの光と影』>を垣間見て

 

昨夜もプライムニュースを少しだけ見ました。テーマは『日大“悪質タックル” 大学スポーツの光と影』で、いま話題の日大アメフト問題を中心により幅広い視点で大学スポーツのあり方が問われていました。

 

ゲストは、<馳浩 元文科相 自由民主党衆議院議員、玉木正之 スポーツ評論家、安田秀一 株式会社ドーム代表取締役>と、いずれも実際に大学スポーツを経験されたうえ、社会でもこの分野に精通した第一人者として活躍されている方ばかりでした。

 

ちょっと笑ってしまったのですが、安田氏が自分が学生時代は練習が終わるまで水を飲ませてもらえなかったといったことです。彼は私なんかに比べずっと若いのですが、それでも彼の時代でもそうだったのかと思いつつ、練習中の水分・栄養補給が当たり前になったのはずっと後だったんだなと変な感想を抱きました。

 

私は半世紀前の高校時代にそういう苦行?を強いられていましたので、大学では誘われても決して体育会には入りませんでしたが、正解だったかもしれません。学生時代から弁護士生活を通じて、スキーやヨット、テニス、射撃、ボクシング、柔道、合気道など、思い出すだけでもいろんなことに取り組んだわけですが、すべて下手の横好きでした。カヤックやゴルフもそうでした。それでも苦しみながら練習に励んで、それなりに精神も肉体も鍛えられたと思います。

 

玉木氏は大学スポーツを通じて心身の鍛練、形成をすることを強調していましたが、それはそのとおりですが、別に大学スポーツだけがベストでもベターでもないかもしれません。それぞれの個人にあったあり方があってよいと思うのです。

 

それにしても3人のゲストがほぼ共通して強調していたのは、現在の大学スポーツのあり方に根本的な問題があるという点でしょうか。試合や練習中心のプログラムで、学業をおろそかにしてもよい状況が容認されていることや、特待生制度の問題もあるでしょう。

 

私はカナダの大学で2年ほど、そのスポーツの一面を見てきましたが、実際はどのような制度があるのかまで関心がなかったので、仲間に聞くこともなかったため、正確な知識はありません。ただ、学生それぞれが主体的に練習に取り組み、その施設もカリキュラムも相当整備されているように思えました。もう20年以上前ですが、アウトドアに関するプログラムが総合的に構成されていたように思います。といっても日本と比較する意味での各スポーツの制度やコーチ・スタッフ・選手や指導体制がどうなっているかは、わかりません。最近話題となっている科学的なトレーニング指導といったことは、カナダでも導入されていたのではといったイメージです。

 

余談はその程度にして、この番組の中で、気になったのは、大学スポーツがボランティアで行われていて、今回日大アメフト問題では、第三者委員会をようやく設置して調査されることになり、それ自体は評価されるものの、費用が巨額で到底、ボランティア組織ではまかなえないといった発言があった点です。他方で、委員が弁護士(あるいは公認会計士も?)で構成されていて、大学スポーツに通暁している人がいない点に疑問を投げかけていました。

 

まず、第三者性ということをどのような基準でこれが担保されるとみるべきかが問題ではないかと思います。むろん弁護士だけが適任とは思いません。カナダや外国では裁判官が担うこともありますね。いや司法を構成する人が適任者かと言えば、それも検討されて良いと思います。

 

第三者性は、そこに公平性・客観性・公開性といったものが求められているのではないかと思うのです。しかし、費用を出して依頼するのは企業や組織です。そのクライアントの意向を無視できるか、そのバランスを自分たちだけで判断するのでは信頼を得られないと思います。むろん企業・組織からの依頼は、調査対象や調査方法に一定の条件をつけてくるでしょう。それに対して、自分個人の判断で、公正と思われる調査対象・方法を提案して、受け入れられれば応じるというのが通常ではないかと思います。それは個々の良心なり職業倫理に委ねられている部分があるでしょう。

 

それでよいかです。やはりその条件は公開し、調査結果もできるだけ公開することで、さまざまな批判に耐えるだけのものでなければならないと思うのです。

 

このような観点から?か、日弁連は2010年に<企業等不祥事における第三者委員会ガイドライン>を発表し、第三者委員会のメンバーに委嘱された弁護士の多くは、このガイドラインにそって業務を行ってきたのではないかと期待しています。

 

しかし、残念ながら、その実態は第三者委員会とは名ばかりのようなものもあれば、相当な内容の調査・報告を行ったと評価されるものもあります。その点、ボランティア組織である<第三者委員会報告書格付け委員会>の格付け評価は、よく頑張っているのではないかと思うのです。

 

このような評価がさらに世の中で支持されることが大切ではないかと思います。と同時に、その費用の適正さ、合理性について、多くは発表されていないこともあり、闇の中にあり、この点にメスが入っても良いのではないかと思うのです。

 

ボランティア組織であっても、低廉な費用で依頼できるような制度化も検討されて良いと思うのです。いま、世の中は、さまざまな不可解な事件・事故・問題が頻繁に発声しており、そのとき真に公正な第三者機関による迅速な調査・報告を求めているのでないでしょうか。

 

むろん、大岡裁きも、鬼平も現実社会にはありえません。人間というやっかいな生身のチームで、さまざまな難題に立ち向かうのですから、すべてよしはありえないわけです。少しでも前進する仕組みの構築を考えていき、試行錯誤でよいものに仕上げていくのではないかと思うのです。

 

この場合、事案によっては、その分野に通暁している人もメンバーになることも一つの方策でしょうし、あるいは補助者に参加したり、あるいはそういった専門家から広範囲にヒアリングを重ねることも調査仕組み、あり方としては、多彩であって良いのではないかと思うのです。

 

そろそろ一時間が過ぎました。ここまで書いてきて、以前にも何か書いたなと思い出しました。この辺でおしまい。また明日。


百条委員会について <豊洲移転問題 百条委証人喚問と石原氏会見>を考える

2017-03-05 | 委員会制度の多様性とあり方

170305 百条委員会について <豊洲移転問題 百条委証人喚問と石原氏会見>を考える

 

今朝もほど気持ちのよい天候で、筋肉痛であちこちに痛みと緩慢な動きを意識しながらも、少し遅めに作業して、昼過ぎまで気持ちのいい汗とまではいかないけれど、体中に活性化された感覚が蘇ってきました。

 

本題に入る前に、こちらをテーマにしようかと思いつつ、調べる必要があるので、後日、取り上げようと思ったTV番組放送がありました。NHKのぷらタモリで、昨夜は奄美大島が取り上げられていました。関ヶ原の敗戦直後に薩摩藩が琉球を攻めて、「付庸」として、貢納を収めさせたこと、維新政府になり、今度は琉球処分により琉球王国を廃止して沖縄県と支配したことは、先住民族の歴史を学ぶ中で知っていましたが、その実態は分かっていませんでした。

 

ぷらタモリでは、いかに過酷な強要があったかをその特産物や地形的な残影で明らかにしていました。実は途中から見て、10分か15分くらいしか見ていないので、正確ではないかもしれません。私はアマミノクロウサギとかの絶滅危惧種の保護のため訴訟活動をしている仲間たちの活動から奄美大島を意識する程度で、まだ訪問したこともないため、よくわかっていませんでした。

 

タモリさんたちが見せられたのは、米を作るために無理に平地をつくった場所でした。薩摩藩から年貢としての米の提供を求められたのですが、平地のない奄美では水田の場所がありません。それで海辺の浅瀬に土堤をつくり、しかも干満の流れで土堤が崩れないように岩盤に穴を掘って貯水池まで用意したというのです。ところが土壌が適せず折角つくった米は評価されず、代わりに全島にサトウキビを作らされたというのです。そういえば沖縄本土でもサトウキビ畑だらけです。そしてサトウキビを利用して黒糖を献上品として提供したようです。琉球王国の人にとっては、まるで植民地支配に等しい状況だったのではないかと思うのです。薩摩が維新時に経済的に豊かで軍備も十分な備えができた理由の一つに、属国的扱いをした琉球という存在があったのではないかと思った次第です。

 

とりわけあまりに酷い仕打ちの残滓がありました。一つは写真で、切り立った山の頂上まで、わずかしか幅がない状態で段々畑がつくられ、すべてサトウキビということでした。もう一つは、ある山全体がソテツなのです。むろん植栽したものです。たしかに東南アジアにも輸出用にアブラヤシなどを広大な面積の熱帯林を伐採して植栽していますが、それとは違います。これらは食料として利用されたというのです。ソテツの実は毒性があり、注意して加工しないといけないそうで、デンプン状にして食べていたそうですが、これほど酷い仕打ちを受けていたとは知りませんでした。

 

たしか津軽藩も、やませが吹き、当時は米作には不向きなのに、江戸幕府の施策のため、無理につくって餓死者や人を食べたり、間引きしたりしたとの歴史があるとされ、司馬遼太郎が為政者のあり方を問うていました。しかし、琉球王国は、王朝の責任ではなく、薩摩藩の執政の責任でしょう。ただ、薩摩藩の立場からの見方もあるので、もう少し検討してから、この点は改めて議論したいと思います。

 

さて、本題に入ります。都政の問題は、長い間に膿が溜まった状態ですから、開ければパンドラの箱状態だったかもしれません。築地市場の豊洲移転問題もその一つ、氷山の一角に過ぎないと思います。とはいえ、最近あまり事件の推移をフォローしていなかったので、事実経過については、手元に資料もないため、調べる余裕もなく、とりあえずの記憶で、百条委員会の設置、証人として石原氏などを3月下旬頃に喚問、そしてその石原氏が昨日記者会見でしたか。

 

もう一つ、土壌汚染に係わる土地売買の問題としては、豊中市にある国有地の森友学園への売却に係わる多種多様な問題について、国会において自民党が会計検査院の調査に委ねる賭しているのに対し、野党は証人喚問を求めています。

 

いずれも土地売買と土壌汚染処理、そしてその後の土地利用(一方は魚介類を含む生鮮食料品市場、他方が小学校用地)という重要な問題を抱えているにもかかわらず、担当したのが前者が都知事を含む都庁職員、後者が財務省職員など、重要な職責を担っている人たちです。かれらがいずれも本来的な行政ルール、土地取引ルール、廃棄物処理ルールに則っていない疑いが強くもたれるような事件を引き起こしているのですから、適切な調査をして事件を解明し、問題点を明らかにして、是正措置を含む改善策を講じる必要があります。

 

ところで、いま話題の百条委員会は、どの程度その問題に対応できるのでしょうか。そのような権限なり、制度を有しているのでしょうか、そこを少し考えてみたいと思います。

 

私自身は、一度、ある市で行われた百条委員会で喚問された証人の依頼で、補佐人となって、その調査という、証人尋問をずっと立ち会いました。その狭い経験と、百条委員会の権限の由来となったのではないかと思われる国会の国税調査権に基づく証人喚問制度(議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律)については、時折、TVで見る機会があるので、そういった限られた経験から言及してみたいと思います。

 

まず、百条員会の法的根拠ですが、名前の由来となった地方自治法の100条に規定があります。

 

第1項をまず取り上げましょう。

議会は、当該普通地方公共団体の事務に関する調査ができ、いわゆる証人の出頭や証言や記録の提出を請求することもできるとされています。

 

で、国会の場合は「議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律」があり、有名な証人出頭、証言拒否や虚偽証言に刑事罰の規定があるほか、一定の証人尋問の規定ある一方、証人には弁護士の補佐人をつけることができると一定の防御権を認めています。

 

第一条の四  証人は、各議院の議長若しくは委員長又は両議院の合同審査会の会長の許可を得て、補佐人を選任することができる。

○2  補佐人は、弁護士のうちから選任するようにするものとする。

○3  補佐人は、証人の求めに応じ、宣誓及び証言の拒絶に関する事項に関し、助言することができる。

 

他方で、地方自治法100条には、上記の前段の規定があるものの、補佐人の規定がなく、証人尋問の手続きについては、民事訴訟法令に委ねています。

 

でこの種の法令の規定を取り上げて何を言いたいかというと、民事訴訟の規定は、司法手続きであり、公正な審理に基づき事実の有無を審理する、長年の法廷慣行を下に、各国制度を参考にしながら、つくられ、現在の司法制度において重要な機能を有しています。現行の司法制度では事実の解明はできないというかもしれませんが、それでも裁判官、双方の弁護士の努力で、ある程度まで合理的に納得しうるに近い?状態に達しつつある(まどろっこしい言い方であることは否定しません)と思っています。

 

それに対し、百条委員会における証人尋問は、一つの経験だけで断定することは避けるべきですが、適切な事実解明の場とはほど遠いと感じています。それはどういうことかと言うと、まず、百条委員会の議員が、その行使の根拠をほとんど理解していないのではないかと思われる節があります。

 

では、民事訴訟法(私も長いこと読んでいないので偉そうなことはいえません)では、対立当事者構造となっているので、そもそも主尋問と反対尋問という、方式で質問を行います。ところが、百条委員会では、証人ですから、だれもその立場で質問してくれる人はいません。一方的になる危険があります。それは議会という選挙で選ばれた議員による行為として、公共のためにということで一応、尊重しておく必要があると思います。しかし、ここに場合によっては偏向的な議論の場となる、まかり間違えば、その手続きの公正さを担保しつつ行わないと、魔女裁判的な状況になるおそれがあることを自覚しておく必要があると思うのです。

 

民事訴訟規則という手続きの細則を定めた最高裁規則には、上記の順番を定めた後、以下のように書いています。

 

第百十五条 質問は、できる限り、個別的かつ具体的にしなければならない。

2 当事者は、次に掲げる質問をしてはならない。ただし、第二号から第六号までに掲げる質問については、正当な理由がある場合は、この限りでない。

一 証人を侮辱し、又は困惑させる質問

二 誘導質問

三 既にした質問と重複する質問

四 争点に関係のない質問

五 意見の陳述を求める質問

六 証人が直接経験しなかった事実についての陳述を求める質問

 

尋問というのは、質問であること、個別的かつ具体的でなければならないとしています。そして質問の制限事項を定めています。侮辱したり困惑させる質問、誘導質問や意見陳述を求める質問などです。

 

ところが、百条委員会では、議員は、事前に議会が相談する弁護士にそれなりに助言を得ているとは思いますが、多くはこの規定を無視するか、よくわかっていないのか、滔々と自分の意見を開陳したりします。侮辱的な発言に等しいことも行ったりする場合もあります。そこには真実発見と言うより、日常行われている議会での行政当局への質問と同様の姿勢が見られることが少なくないと感じます。

 

重複質問も、異なる党ということでしょうか、平気で行われたりもします。先の質問に答えたことを踏まえて質問するのであればともかく、同じことを繰り返し聞く、たしかに質問であって意見ではありませんが、それを意見とともに話すといった議員もいます。

 

こういうやり方では、百条委員会も、国会の証人喚問も、有効に機能しないおそれがあります。単に偽証罪の制裁だけを矛にして攻めるのでは、有効な証言を得るというより、上滑りの議論に終わる危険があると思わざるを得ないのです。

 

なお、議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律の補佐人制度については、地方自治法が援用する民事訴訟法に次の規定があり、これが根拠となっているのではないかと思っていますが、制度的には、証人の防御権規定としては不十分と思います。

 

(補佐人)

第六十条  当事者又は訴訟代理人は、裁判所の許可を得て、補佐人とともに出頭することができる。

2  前項の許可は、いつでも取り消すことができる。

3  補佐人の陳述は、当事者又は訴訟代理人が直ちに取り消し、又は更正しないときは、当事者又は訴訟代理人が自らしたものとみなす。

 

さて、そろそろ百条委員会制度のあり方論に入らないといけないのですが、もう少し整理した後、また、石原氏の証人尋問などの報道の後でも、できればやってみたいと思います。


第三者委員会について 東芝の米原発事業の損失額が最大7000億円の可能性

2017-01-22 | 委員会制度の多様性とあり方

170122 第三者委員会について 東芝の米原発事業の損失額が最大7000億円の可能性

 

今朝も穏やかな天候なれど、昨日の作業で筋肉痛が残り、少し躊躇しつつ、昨日の作業中に気づいたヒノキの倒木ともうすぐ倒れそうな腐食木を放置できないと思い、えいやと出かけていきました。いずれも以前、枝打ちして少しはこぎれいになったヒノキでしたが、一つは風で倒れていました。もう一つはまだなんとか立っていますが、外観の胸高径が20㎝以上あるものの、檜皮の下はすかすかで、しっかりした部分は10㎝もない状態で、ちょっと押しても揺らいでいます。

 

それでまず倒れそうな木をロープで引っ張って倒そうとしたのですが、これが意外としっかりしていて一向に倒れそうもありません。最後はあきらめてノコで受け口、追い口を切り、そしてロープで引っ張って伐倒しました。倒れなかった理由の一つは、10㎝の径でも割合しっかりしていたのと、上部のところで、隣のヒノキから張り出した枝に巻き付いたツルで確保されていたためです。そのため今度は隣のヒノキに登り、そのツルを切ったり、ついでに枝打ちしたりして、結構時間がかかりました。

 

というか、ぶり縄で登ればよかったのですが、以前枝打ちしたときに、次に登るときに登りやすいように枝を足がかかる程度に残していたので、これを利用としたのが間違いでした。その残した枝に飛びついて上に上がっていこうとしたのですが、年齢でしょうか、手の引っ張り力、足と太ももの抑えが効かないのです。ずるずるとすべってしまい、年には勝てないなと自覚してしまいました。とはいえ、昔から木登りは特異と勝手に思っているものですから、なんどか挑戦してようやく登り切りました。

 

その後倒木をノコで運びやすい大きさに切って、枝打ちした枝、倒木、伐倒した木を集めて、焼きました。これが約2時間でしょうか、まだ半分も焼けていませんが、家から見えるところなので、炎が大きくならないよう注意しながら、家で食事をしました。そうこうするうち、雨が降ってきて、煙も小さくなり、自然に消えてしまいました。

 

おかげでゆっくりと囲碁戦を鑑賞することができました。ほとんどわかりませんが、たまに河野九段の打つ手が予想と当たるとまんざらでもなくなるのは素人の浅知恵まるだしです。素人目には中盤で河野九段が完全に有利と思っていたら、黄八段も巧みに?打って逆転したのではなんて思っていたら、黄さん石をふいに置いてしまい、拍子抜けでした。素人の岡目八目ではなにがなんだかわかりませんが、やはり面白いです。カジノなどに関心が高い風潮にはなかなかついていけない自分を感じてしまいます。

 

さて表題のタイトルを取り上げる前にもう少し、別の話をしておきたいと思います。昨日見たNHKのプラたもり、四国の金刀比羅宮を取り上げましたが、その立地の所以(テーブルマウンテン的形状)とか、ある種のエンターテインメントを活用したり、興味深い話でした。ただ、祭神について説明がなかったのではと思い、確認したところ、ウェブ情報では、大物主神と崇徳天皇とされていることにびっくりでした。私は海上交通の安全を祈るということですから、てっきり底筒男命、中筒男命、表筒男命と、神功皇后ではないかと思っていましたので、意外でした。大物主神はまだ理屈はわかりますが、崇徳天皇となると、なにがなんだかといった感じになります。崇徳天皇はこの近くに流され、最後は後白河上皇などを祟って狂った状態でなくなったと思います。その祟りで京ではさまざまな災難があったと記憶しています。こういう場合、たとえば菅原道真のように祭神として祭り、怒りを静めるために天満宮を建立するといったことはありますね。でも崇徳天皇(上皇)については、あまり聞いたことがないので、いつも不思議に思っていました。西行法師も崇徳崩御後にその地を訪れ、しかも近くに西行庵を設けて一年間も滞在してその逝去を悼んだわけですが(これは以前、少し触れています)、その西行がこの金刀比羅宮を訪問したというのはたぶんなかったのではと思っています。

 

そして金刀比羅宮が日本各地からの参拝者で賑わう仕掛け?は、お土産のアメや、富くじ、そして歌舞伎といった具合で、なかなかの戦略と思いますが、崇徳天皇は話はあまり取り上げていないように思います(和歌とか文芸の神様とか)。そこも不思議に感じてしまいます。

 

もう一つ取り上げようとしたNHKサキどりの「まろやか紅茶で地域をひとつに!」も水俣病がいまなお、地元の人にとって風評被害が重くのしかかっている、逆に言うと日本各地で水俣病への理解がまだ十分できていないことの裏返しでもあり、他方で、水俣病で苦しんでいる人がいまなお救済されないでいる状態にあることを背後にしながら、地元の農家を中心に未来志向の創造的な取り組みは取り上げたいと思いつつ、また別の機会にしたいと思います。

 

で、ここからやっと本論に入りたいと思います。まず毎日朝刊120日付け記事は一面で、<3年連続赤字…半導体新社株、入札へ 3月期見通し>と題して、まず「東芝の米原発事業の損失額が最大7000億円に上る可能性があり、2017年3月期連結決算で最終(当期)赤字に陥ることが確実となった。」として、東芝の事業分割・譲渡や銀行支援について先行きの不安を指摘しています。

 

ここでは東芝自体の存亡はテーマではないので、そういった現在東芝が検討している事項についてはこの程度にして、15年に起こった同社の会計不正事件について、第三者委員会が行ったことに焦点を当てて、問題点を探りたいと思います。

 

ところで、最近の企業不祥事では、第三者委員会という組織が調査し、その事実関係を調査し、その原因及びその処理対応ならびに再発防止策を報告するというスタイルがかなり一般化してきたように思えます。

 

その第三者委員会の構成メンバーとして、弁護士が他の専門家とともに選ばれる場合が多いかと思います。この第三者委員会は、法制度上の組織ではないので、その行動原理や、組織体を規律する特段のルールもありません。ではそのような組織に「第三者」委員会という呼称が与えられたのか、その所以は私自身、分かりません。

 

思うに、企業不祥事が発生したとき、マスコミをはじめ長期間にわたりその企業、そのトップの対応が問題とされますが、従前は適切な対応システムがなかったように思うのです。なにせ、80年代、あるいは90年代初頭くらいまでは、秘密裏に何事も処理されていて、株主総会では総会屋対応が中心で、総会屋から文句を言われないように裏で、あるいは対抗する総会屋を雇って対応してきたのではないかと思うのです。

 

そういった総会屋による株主総会の運営とか、株式持ち合い制による株主総会の運営が商法改正、会社法の成立等で、次第に困難になったことも、このような不祥事がマスコミにさらされたりする一因かなと思ったりします。

 

それはともかく、企業不祥事が発生したとき、企業をとりまくさまざまなステークホルダー、株主はもちろん、従業員、取引先、消費者などが、企業トップの言動により、多大な影響を受ける状況が次第に増大し、その意味でリスクマネージメントの視点から、このような第三者委員会による調査報告を待って、対応することが説明責任のあり方として妥当と思われるようになったのかなと思うのです(そこまで断定するつもりはありませんが)。

 

つまりは、企業不祥事の実態解明、その原因および責任追及、ならびに再発防止策といったことは、企業内の統御能力だけで対応することでは公平性や客観性を保てない、かえって問題を悪化させることにあるという判断がいつのまにか醸成されてきたように思うのです。

 

それで、そういった企業なり法人なりに不祥事が発生すると、第三者委員会に登場してもらう、まるで白馬の騎士のごときです。しかし、これまで登場した多くの第三者委員会の調査報告は、期待に応えたものであったでしょうか。残念ながら例外的なケースをのぞき、期待を裏切るものであったと思います。

 

この点、日弁連は、弁護士が関与することが多いことから、10年に「企業等の不祥事における第三者委員会ガイドライン」を発表し、個々の第三者委員会の指針となることを期待しています。

 

そのガイドラインの内容は基本的には正しい方向性を示しており、これに準拠することが望ましいと思われます。しかし、このガイドラインの実効性を担保するものはありません。

 

と思っていたら、今月の「自由と正義」で、國廣正弁護士が「第三者委員会の実際とあるべき方向性」と題して、日弁連ガイドラインと、上記に類する役割を持つ「第三者委員会報告書格付け委員会」(以下「格付け委員会」と呼称)の評価などについて、報告していました。

 

格付け委員会は、そのホームページで、144月に有志で設置し、これまで11の報告書を格付けしており、なんとほとんどが問題があり、委員個々の評価ですが、一部委員の評価として不合格が大半を占めています。

 

私自身、すべての報告書を読んだわけではありませんが、これまで読んだものには同趣旨の感想を抱いています。

 

で、問題のあるケースでは、通常、内部調査で、特定の弁護士が関与する調査が行われ、不十分ということで、さらに特別調査が行われ、それでも疑問視され、ようやく第三者委員会による調査が行われるといった場合で、これはいずれも調査対象、方法、内容などに問題が残るケースが多いのではと思います。

 

で、見出しの東芝の原子力事業の損失は、ウェスチングハウス(WH)の工事発注先の原発建設会社CB&Iストーン・アンド・ウェブスター(S&W)の買収について、その減損評価が上記のような巨額となる可能性がでたというものです。

 

東芝の会計不正にかかる第三者委員会の報告書について、格付け委員会は、8人の委員中、5人が低い評価、3人が不合格としています。当然でしょう。

 

第三者委員会は、調査対象を限定しましたが、その合理的な根拠を示していませんでした。152月に証券取引等監視委員会の検査で工事進行基準案件について指摘を受けたことから、社内調査をし、その後に第三委員会を設置して調査依頼していますが、この指摘事項と関連する数点の事項に限定しています。そもそも会計不祥事が発生した可能性があるとき、その調査内容を限定すること自体、問題への適切な対応とは思えません。

 

たしかに弁護士も含め、依頼者の意向は基本です。しかし、格付け委員会も指摘しているとおり、企業不祥事が発生している疑いがあるとき、その依頼者の意向を限定的に捉えることは、その制度目的に反することになりかねないと思います。さきに述べたステークホルダーの利益を第一に考え、あるべき調査対象を検討すべきではないかと思います。調査開始から限定してしまうと、調査中になんらかの疑いがありうる会計不正があっても、調査を行うことができません。それがステークホルダーの利益になるかです。

 

で、この会計不祥事が問題になったとき、WHの買収時に高く(1兆円とも言われる)評価したそののれん代について疑問が投げかけられていたのですから、このような限定的な調査依頼だけで足りるとしたのは、合理的な根拠がないとその姿勢に疑問が投げかけられてもやむを得ないと思いますし、日弁連ガイドラインの趣旨との適合性が疑われます。

 

東芝がWH買収時に巨額ののれん代を計上したことは妥当としても、少なくとも福島第一原発事故後は米国原子力規制庁が厳しい規制を課して、その事業採算性に大きな減損が生じたのですから、その評価損を適切に計上すべきであったと思われます。

 

実際、東芝は163月決算で、WHの「のれん代」減損処理として2600億円損失を計上しているのですが、このこと自体は15年の段階では自明のことだったはずです。

 

しかもそのWHが原発事業のコストをめぐり大きな訴訟を抱えていたことからも、見過ごしてはならない問題だったはずです。

 

で、東芝の第三者委員会だけが問題ではないのですが、もう少しこの第三者委員会の立場について言及したいと思います。それは格付委員会でもどのような議論がされているか分かりませんが、重要な問題だと思っています。

 

だいたい、調査期間があまりに短すぎるのです。これが特定の問題に絞ることに合理性があり、その調査に必要な時間であればいいのですが、東芝事案はそれに該当しないと思います。設置から2ヶ月程度で調査報告書を完成していますが、東芝から問題を限定し、少額の(本来の不当ないしは不正な会計処理に比べて)不正だけで問題の本質を糊塗することに荷担したと疑われる余地を残したと考えます。

 

むろん原子力事業、しかも米国会社ということで、のれん代の評価は容易でないと思います。しかし、原子力事業は、当時、東芝の中核となる2本柱の一つですから、その会計処理について調査する以上、原子力事業、とりわけ米国の原子力事業の規制実態やWHの事業実態を把握できる人材がスタッフにいなければ、到底有効な調査ができないと思います。

 

仮にこの調査が有効になされていたとしたら、報告書発表の後に、WH社による買収という事業損失の増大を招くことを防ぐことができたかもしれません。

 

もう一つ、日弁連ガイドラインで指摘されている調査手法の一つについて少し触れておきたいと思います。関係者へのヒアリングです。これはある意味、最も効果的な手法となり得るのですが、その実効性を担保するものがありません。

 

よく第三者委員会が記者会見などで弁解気味に、任意の調査ですからと、調査協力が必ずしも得られないことに言及します。税務調査のように反面調査ができないというのはある程度理解できます。しかし、実際は、企業内部においても、第三者委員会に対して積極的に調査に応じるということが意識として確立しているか疑問です。それは個別の企業統治の問題といえる場合もあり得るでしょうが、第三者委員会への信頼性自体、調査される企業等の役員・従業員が持ち得ているか疑問を感じています。

 

まだこのような新たな制度ですので、試行錯誤の連続だと思いますが、調査方法のあり方も含めモデルケースを提供することも大事かなと思うのです。事案によって異なるでしょうが、ヒアリングと言っても、集団的に行うことも場合によっては有効なこともあるでしょう。

 

カナダでは法制度として独立行政委員会が各州などでかなりの数があり、それぞれ特有の調査・審査・決定機関となっています。公聴会方式もあり、それも日本で行われているものとは異質です。ただ、わが国でも将来的には公聴会方式も一部に導入することも検討してもよいのではと愚考しています。

 

いずれにしても格付け委員会の評価が普及し、現在行われている「第三者委員会」がステークホルダーにも、またマスコミにも、評価されるようになることを期待したいです。

 

一昨日割合検討していて、そのときは少しはまとまっていたのですが、今は記憶中で書いていますので、またおおざっぱな議論となりました。


日本版SEC委員長退任を考える IRと民主制の異なる視点

2016-12-13 | 委員会制度の多様性とあり方

161213 日本版SEC委員長退任を考える IRと民主制の異なる視点

 

三題噺のような、いや、もっと多重弁当のような展開になりそうで、私の頭の中の継ぎ接ぎを理解していただけるか?ですが、ともかくスタートを切ってみます。

 

今朝の毎日に、小さな記事で、証券取引等監視委員会の委員長を歴代最長の約9年5カ月務めた佐渡賢一氏(70)の退任が報じられていました。佐渡氏が。「証券市場は無法者がはびこる世界だったが、今や証券監視は飛躍し、実力を備えた」と監視委の成長を喜んだ。とされ、さらに札幌、福岡の両高検検事長などを歴任して20077月に就任したこと、後任には長谷川充弘・前広島高検検事長が13日付けで就任とありました。

 

ここで気になったのは、佐渡氏が当委員会の実績を自画自賛したことと、委員長がいずれも検事長という検察官出身者であることです。この点は後で述べるとして、次の話題に移ります。

 

ただ、その業績に少しだけ触れると、巨額の年金消失が明らかになったAIJ投資顧問の事件や、巨額の損失を「飛ばし」という手法で長期にわたって隠し続けた上、負債を粉飾処理したオリンパス事件では、告発して責任者に刑事処分がされていますが、これらを含め全体として、刑事罰は低く、また課徴金額もさほど大きなものでありません。とりわけインサイダー取引などでは少額事件といっていいものしか摘発できていない印象です。やはりスタッフや予算が不足していることも関係するでしょう。なお、東芝の巨大不正会計事件については、告発等がされないまま、引き継がれ、後任も消極的な様子がうかがえます。米国SECの課徴金額や摘発の規模と比べると、それだけみると物足りなさを感じます。

 

ところで、最近、IRという言葉が突然のようにもてはやされ、カジノ解禁法案の名称に対抗する形で使われています。IRIntegrated Resort(統合型リゾート)の略称で、今回の法案でも家事の施設は全体敷地の数%だから、IR法案というのが正確だとか。なにか変な理屈づけに聞こえるのは野党だけではないように思います。ただ、私が強調したいのは、IRといえば、Investor Relationsの略称として、企業が投資家に向けて経営状況や財務状況、業績動向に関する情報を発信する活動として、アメリカでは半世紀以上の歴史をもち、最近日本の企業でもほとんどがIRとして、格付け情報とともに非常に神経を払っていると思います。

 

さて、リーマンショックが発生したのは20089月でした。私が首都圏から片田舎に移り、世情の大きな動きも上の空で、雑木林や休耕田の手入れを始めた頃でした。後から振り返ると世界経済はてんやわんやの大騒ぎだったわけですね。私自身は、90年代初頭に日本版バブルを経験していましたので、21世紀初頭前後から続くアメリカの住宅バブルはまっとうな金融市場ではありえないと思っていましたので、いずれはバブルがはじけると思っていました。ただ、サブプライムローンと言ったクズのようなものがなぜ証券化でき、買い手がつくのか不思議でした。お金や収入がなくてもどんどん貸してくれる、不動産の価値がうなぎ登りに上がる、ありえないことでした。それがIRInvestor Relations)や格付け基準の確立されているアメリカで起こっていることがわかりませんでした。

 

他方で、IRはカジノの比率がほんのわずかでギャンブルをイメージする施設ではない、といった理解は、アメリカの証券・金融市場におけるIRと格付け情報はきらびやかな品格基準であるかのようにもてはやされていたのにもかかわらず、サブプライム問題で明らかにされた虚偽性・投機性・詐欺性で充満していたこととなにか通じるとことがあると感じるのは私だけでしょうか。

 

幸い、和製SECの証券取引等監視委員会は、検事長出身者と弁護士・公認会計士という、ウォールストリートの実業者でなく、法律と会計の専門職業人である点は、佐渡委員長が自慢するほどの功績をあげたといえるかはさておき、基本的には業界との癒着は考えにくいといえると思います。

 

この点、米国証券取引委員会(SEC)を含め、証券・金融行政のトップは、レーガン大統領以降、歴代大統領は、ウォール街の実力実業者や側近をあててきたと言われています。今回の大統領選でクリントン氏がその癒着を指摘されたウォール街は、いくらアメリカの法制度が証券・金融取引の公正さを保つために制度設計をされてきたと言われても、どんどん骨抜きにされる運用が行政のトップによってなされてきたのではないかと思うのです。

 

サブプライム問題(映画「インサイド・ジョブ 世界不況の知られざる真実」)も、その劣化したシステムで生まれた一つの現象とも思われます。お金もない収入もない人が銀行から金を借りて返済できない不動産を買い、その価値のないといってよい金融機関の債権をすべて集めて複雑な債権内容を証券化して中身をわかりにくくしつつ、その格付けを3Aと格付けさせて、いわば隠蔽された超危険な投機証券として、全世界の投資家に販売したわけで、世界的な詐欺と評されてもいいでしょう。

 

これだけ世界中の経済や生活を震撼させた事件にもかかわらず、関係者で告発されたり、報酬の返還や損害賠償を請求されたケースはわずかではないでしょうか。そのうち、下落をみこんでいた住宅ローン担保証券を優良商品として顧客に販売して証券詐欺で訴えられていたゴールドマン・サックスは、55千万ドルの罰金を支払うことで証券取引委員会(SEC)と和解しました。日本では驚異的な金額ですが、同社にとっては2週間で稼ぎ出すと言われています。市場の反応も、ゴールドマンの株価は和解発表後5%も上昇し、時価総額の増加分だけで和解金を上回ったということです。

 

この事件を暴いたマット・タイビ記者によると、つぎのような実態があるとのことです。

ゴールドマン・サックスは、この20年のあいだ繰り返し投機バブルを作り出し、責任を追及されることなくバブルのたびに儲けを拡大してきました。ITバブルでも、住宅ローンバブルでも常にゴールドマンが投機の中心にいたのに、いつも刑事責任を免れています。ゴールドマンには、米国のほかの銀行には見られないような政府との強い結びつきがあるからです。

 

GS副会長ロバート・ルービンは、クリントン政権の財務長官に就任し、次々と規制緩和を進めました。その仲間や部下が常に政権内の要職についています。ブッシュ政権末期の金融危機でいち早く銀行救済措置を取ったヘンリー・ポールソン財務長官も元GS会長です。オバマ政権では、ティモシー・ガイトナー財務長官はルービンの元側近、財務省ナンバー・ツーのパターソン氏は元GS社員で、商品先物取引委員会のゲーリー・ゲンスラー委員長もGS出身で、ルービン元財務長官の部下でした。商品先物市場は、GSが考案した商品インデックスファンドが穀物投機バブルを引き起こし、2008年の食糧危機を引き起こしたと言われています。

 

これでは証券・金融の適正化に向けた規制や、報酬規制など到底無理でしょう。そして金融危機を招いた証券会社や銀行には巨額の税金が投じられて救済され、多額の報酬を得たトップから末端トレーダーまでだれも報酬を返還した人はいないようです。他方で、税収が削減された結果、公立大学は学費を値上げし、経済的弱者は大学にもいけず、富の偏在がより拡大したという構図です。それが今回の大統領選でわき上がった、癒着した政財界への批判であり、クリントン氏への批判です。

 

ではトランプ氏は、ウォール街を批判していましたが、変わるでしょうか。すでに閣僚人事などでウォール街などと調整を図っているように見えます。オバマ政権の気候変動対策で取り上げたCO2排出権取引のカーボンクレジット事業には暗雲が漂っていますが、経済的な感覚の鋭い、しかも不動産王でもあるトランプ氏が、ウォール街の上を行く可能性すらあり、とても楽観できる状況ではないと思います。

 

元に戻ってSECが期待されている役割や、金融証券市場のあり方について、どの程度知見があるのか明らかではないトランプ氏、巨額の株式投資や金融商品への投資をしていても、課税回避が得意なように、規制逃れの動きは得意かもしれませんが、適正さに向かっての改革に人材や予算を充てるとはあまり期待できないように思うのは穿った見方でしょうか。


小池知事について(その2) 調査委員会の功罪

2016-11-15 | 委員会制度の多様性とあり方

161115 小池知事について(その2) 調査委員会の功罪

 

今朝は小糠雨模様。やはり年齢か日曜日やそれ以前からの打撲の痛みが作業に出かける足をすくませるようです。一度竹藪に入ると長袖・長ズボンでも様々な切り傷や、打撲は日常茶飯事。素人故、斜面での作業はとりわけ危険を感じます。でもそれがなにか生を感じることもあるのです。空海のような飛び抜けた才能のある人は山野を跋扈していたとき、その感性を研ぎ澄まし、虚空蔵求聞持法を修得したり、真言密教の秘技を体感することができたのかもしれません。

 

ともかく普通に年齢を重ねた私は、今日も作業中止。といって日々のブログも少しずつ持病の腱鞘炎の兆候が出始め、これからが正念場かもしれません。さていつまで続くか、今日も挑戦です。なお、最近はPC画像をきちんと(文字がはっきりしない)読めないこともあり、文字変換ソフトがWindows10になってどうもうまく機能せず、変換ミスがとても多いのですが、校正するだけの余力もないため、書き殴り状態で失礼しています。このブログを読んでいる方は忍耐強い人だと思います。感謝。

 

話は変わり、昨日始めた小池知事について、なんとも間が抜けた形で終わった記憶です。読み返していませんが、何を書こうとしたのか、はっきりしないまま、別の仕事で出かけてそのままになりました。

 

今日は、小池知事に期待する立場で、少し言及してみたいと思います。いま一次的に賑わった報道記事が手元になく、ウェブ情報を渉猟する気分でもないので、記憶が残っている範囲で触れてみたいと思います。

 

その前に、小池さんを初めて知ったのは、たしか90年代前後か80年代後半の、東京テレビの深夜、内外の政治経済ニュースを扱っていた番組のキャスターをしていたときだったと思います。それまでの女性キャスター像にはない、理論的できちんとわかりやすく解説していたことから、とても興味を持ちました。報道ステーションの久米さんとは切り口が異なり、取り上げる問題も異なっていて、新たな女性キャスター像の嚆矢と感じていました。その後政治家になった後は、あまり発言にも着目することはなかったように思います。

 

しかし、今回の都知事になって行ったことは、私なりに、鈴木、青島、石原の各都政とある意味さまざまな訴訟で闘ってきたり、弁護士会として都政のあり方に意見を述べてきた立場からすると、巨大ブラックボックスと言われる都政の一部に光をあてたことは間違いないと思っています。

 

その一つは、東京行政の意思決定過程について、オープン化を目指していることです。上山氏を含め調査委員会の選任方式や運営の仕方、委員長の発言等に民主制に反するとか、それこそブラックボックスだとか、批判の声も聞こえます。あるいは単なる小池劇場で、大騒ぎしたけど適当な内部調査結果の報告に止まり、真の行政改革を示すものがないとか、本質的な批判もあります。

 

しかしながら、過去の都知事は、いずれも伏魔殿化した都政について、本格的に行政改革を行った人がいたでしょうか。鈴木都知事は、当時大企業で盛んだったCorporate IdentityCI)運動を進めましたが、ほとんど広告だけに終わった感が否めません。

 

その点、小池氏が採用した調査委員会方式は、特定の事業について、とりあえずこれまでの事業決定過程を横断的・時系列にそって、一定程度、透明化を図ってきたように思います。そして問題は重要な意思決定過程がクローズドで、匿名の不明確な意思によって、たとえば盛土をしないという重大な判断変更が行われ、それが記録にも残っていないということが解明されたことです。

 

話は変わりますが、北米の行政における意思決定方式として、独立行政委員会方式が極めて多いのですが、わが国では極めて希です。たとえば土地利用で言えば、農業委員会、開発委審査会、建築審査会といったものがありますが、その委員選任の民主制、意思決定の独立性、判断根拠の合理性・手続きの公開制などに問題があります。労働委員会、教育委員会は、とくに後者はさまざまな問題を抱えていてここでは割愛します。

 

で、北米の独立行政委員会は、膨大な数がありますが、それぞれ制度設計が異なっていて、一概に論ずることができません。ただ、私が経験したいくつかの委員会の審査、決定方式は、非常に参考になりました。とくにある自然保護委員会委員長の話を聞く機会があったのですが、審査過程はむろん公開で、決定は審査手続きで提示された資料、証言を基に、委員会の委員それぞれが外部を遮断して、良心にしたがっって判断するというのです。

 

また別のエネルギー開発審査委員会では、公聴会において、事業者側が各種の専門チームを専門分野毎、審議に参加させ、審査に参加する利害関係者およびそのアドバイザーからの質問に詳細に答える必要があり、あるガスパイプ敷設事業ではおおよそ2ヶ月半毎日審理を継続し、それを踏まえて決定するのです。

 

このような方式は、いまのわが国に導入することが直ちに有効かは検討の余地がありますが、少なくとも調査委員会方式で、現行の意思決定過程、ひいては事業遂行過程での検証を行う、新たな民主的な方式が必要ではないかと思っています。

 

民主制について、首長制や議会制での議論では、個別の事業について、十分な検討がされないまま(需要と供給の調査や代替方式の検討や費用対効果など)行われていることを少なくない住民、国民が認識していると思います。

 

それを改善するのは容易ではありませんが、たとえば現在の議会の質疑が事前調整型であったあり、議員側に調査能力・立法能力(これが本来不可欠であるのに)を欠いていることから、このような不完全な実態を補う、あるいは代替する制度が構築される必要を感じています。首長や議会の総合調整能力という、曖昧模糊とした、予定調和を期待することはそろそろ終わりにすべきではないでしょうか。

 

その意味で、小池知事の改革姿勢は、第一歩としては、明るいものを感じています。

 

なお、余談ですが、五輪施設のうち、ボート・カヌー競技場を東京港内に設ける案が競技団体を含め、レガシーをつくりたい層から熱い支持を集めていますが、一言。

 

私はカヤックで、90年代前後その周辺を一人ブラブラとパドリングしていました。波は荒川河口が東京湾の波とぶつかる地点は三角波がひどく、大変です。しかし、埋め立て地の運河を漕いでいるときはさほど波を感じることはなかった記憶です。ただ、海風は強く、仮に競技場とする運河を遮断して大波の流入を防げたとしても、果たして観衆が長時間我慢できるか疑問に感じています。恒久施設として会場を立派にすることは果たして将来的に利用可能か、疑問です。競技者はなんとかするかもしれませんが、観客はそうはいきませんね。

 

近くの若州ゴルフリンクスも、プレーヤーは(私はほとんど見かけたことがなかった)多少いるかもしれませんが、観客になるとほとんどいないでしょう。

 

もう一つ、東京都の埋立処分場がすぐそばです。一度でも行くと、やはり悪臭が継続的に排出されています(むろん異臭は日時による変動は激しいことは前提です)。メタンガスの排出は常時です。競技場予定地は海風の通り道になりそうです。私自身、カヤックではあまり処分場近くを通過したことがありませんが、なにか臭ってくる思いで、遠ざかっていた記憶です。