たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

不動産所有のあり方 <TV放映で見た歩道を塞ぐ空き家・廃屋のリスクと対応>

2019-04-14 | 不動産と所有権 土地利用 建築

190414 不動産所有のあり方 <TV放映で見た歩道を塞ぐ空き家・廃屋のリスクと対応>

 

今日の花は何にしようかと迷ったものの、枯れてしまいそうなミニカトレアを選びました。花言葉がいいですね。<弥生おばさんのガーデニングノート「花と緑の365日」>によると<「殊勝」>ということです。カトレアだと「優美な貴婦人」とか華麗さが表に出ていますが、「ミニ」がつくだけちょっと控えめなのでしょうか。たしかにカトレアと比べるとそんなイメージをもちますかね。

 

ところで、不動産の所有者というと、その権利性だけが強調されるこの頃で、権利がある一方で節度をもつという点が見失われたかのような事案がときに目立つようになりました。殊勝さなんてものが感じられないわけです。

 

木庭顕著『新版ローマ法案内』では、「そもそもコモン・ローにおいて、所有権概念は本来存在しない。」そして「所有権は完全に大陸法独自のものであり、そこでまさに、それはローマ法から来る、と言われる。」と述べて、そのローマ法について、詳細に解説されているのですが、なかなかぼんくら頭ではついていけません。

 

それで最近、塩野七生著『ローマ人の物語I』を読み始めました。以前から気になっていたのですが、とても難解な内容ではないかおもって尻込みしていました。ところがその語り口はナレーション風でわかりやすいのです。まあ、法的概念については割合、あっさりしていますが、木庭氏の見解の背景を理解できる資料としてはとても参考になります。といっても読み出したばかりですが。

 

そこには所有者には義務が伴うことが具体的に書かれています。この内容はいずれ機会を改めて書いてみようかと思います。

 

前置きはこの程度にして、本題の不動産、とくに放置された不動産、そして所有者不明に絞って、少し考えてみたいと思います。

 

今朝の民放でたしかさいたま市でしたか、幅員4mの歩道を塞ぐように、空き家が出っ張っている状況を放映していました。その建物は、長年風雨にさらされて今にも壊れそうな危険な状態で、廃屋に近いといってもいいでしょう。その建物が張り出しているため、歩道は⑷mの幅があるのに、そこだけ0.9mに狭まっています。歩道を利用する人はとても危険です。隣地にはマンションが建っていて、その駐車場からの出入り口になっているため、その建物によって視界が遮られ、交通事故の危険にさらされています。

 

空家等対策の推進に関する特別措置法(便宜、空き家法と呼称)は、こういう空き家に対処するために14年に成立したはずですね。

 

取材班は近隣の苦情を聞き取り、たしか行政にも取材に行ったと思いますが(全部見ていませんのではっきりしません)、どうやら空き家法で認められている行政措置がとれないようです。前提として、その処分等の対象を特定する必要がありますから、所有者が判明していている必要がありますが、その建物については、そうでないようです。

 

取材班が調べたところ、当該不動産の登記は明治時代のものだそうで(建物は映像からは戦後のように見えましたし、そうでなくても昭和の時代でしょうね)、当然、当時の方はお亡くなりになっているので、相続が発生しているわけです。取材班によると、相続人が40人を超える?とか。まあ、それは普通でしょうね。私も最近の事案で、30人弱の相続人を調査したことがありますが、戦後の登記であっても、これくらいですから、明治時代の登記であれば、驚くに値しません。

 

相続人らしき人を発見したようですが、取材を拒否されていました。明治時代の登記であっても、家督相続が戦前まで行われているので、そこまでは容易に相続人が特定できるでしょう。でも戦後は共同相続ですし、すでに相続人が亡くなっていたり、代襲相続人も亡くなっていたり、中には結婚されずお子さんもいないままなくなった方もいらっしゃるかも知れません。それに海外に居住されている方などいらっしゃるかもしれません。所有者を解明し特定するのは容易でないでしょうね。

 

たしか不動産評価では数億円とかということですから、相続放棄される方は少ないかもしれません。他方で巨額の担保権が設定されている可能性もありえませので、躊躇されている方もいらっしゃるかもしれません。相続人が特定できても、大勢だと遺産分割も容易でないでしょう。いろいろ問題が内在していそうです。

 

こういった相続に関係する所有者不明の問題は、わが国では権利変動に登記義務を認めていないことが要因の一つです。とりわけ相続の場合に登記しないままで長い間放置することが少なくないですね。使用者がいる場合はまだいいのですが、使用者が亡くなったり、どこかに行ったりすると、途端にその使用をめぐって問題が起こりますが、対処する法制度がありません。

 

ようやく成立した空き家法でも、所有者の探索については、10条で「空家等の所有者等に関する情報の利用等」として、情報利用を少しだけ容易にする程度で、これだけでも以前に比べれば行政としては利用しやすくなったとは言えるかもしれません。しかし、これだけで所有者の解明・特定につながると考えるのは早計でしょう。

 

たとえば、転籍したり、結婚・離婚したり、養子縁組・離縁などしている等で、その追跡自体できますが、かなりな作業となるでしょう。しかも最近のように印字されたものでなく、手書き(それも達筆な筆など)だと判読が容易でないものもあり、その作業は大変手間がかかること請け合いでしょう。それが一人くらいならさほどの負担ではないでしょうけど、数10人となるとなかなかです。そうそう最近は相続放棄も増えていますので、厄介なことに巻き込まれたくないと思われる相続人もいますので、家裁で調べる必要もありますが、どうもそこまでの手当はこの種の法制度ではなさそうです。

 

空き家法に比べて、農地法や森林経営管理法は、調査方法としてはより突っ込んだ内容になっています。

 

改正農地法は遊休農地(たしか法律の中で定義規定がない)について、森林経営管理法については集積計画対象森林について、それぞれ似たような所有者不明の場合の探索法を定めています。

 

農地法32条(利用意向調査)3項で「相当な努力が払われたと認められるものとして政令で定める方法により探索を行つてもなおその農地の所有者等(括弧書省略)を確知することができないときは、次に掲げる事項を公示するものとする。」として公示して遊休農地について措置できるようにしています。で、農地法施行令は18条(不確知所有者の探索の方法)で、次のように「探索方法」を定めています(探索という表現はなにか違和感を感じますが)。

一 当該農地又は採草放牧地の登記事項証明書の交付を請求すること。

二 当該農地又は採草放牧地を現に占有する者その他の当該農地又は採草放牧地に係る不確知所有者関連情報を保有すると思料される者であつて農林水産省令で定めるものに対し、当該不確知所有者関連情報の提供を求めること。

三 第一号の登記事項証明書に記載されている所有権の登記名義人又は表題部所有者その他前二号の措置により判明した当該農地又は採草放牧地の所有者と思料される者(以下この号及び次号において「登記名義人等」という。)が記録されている住民基本台帳又は法人の登記簿を備えると思料される市町村の長又は登記所の登記官に対し、当該登記名義人等に係る不確知所有者関連情報の提供を求めること。

四 登記名義人等が死亡又は解散していることが判明した場合には、農林水産省令で定めるところにより、当該登記名義人等又はその相続人、合併後存続し、若しくは合併により設立された法人その他の当該農地若しくは採草放牧地の所有者と思料される者が記録されている戸籍簿若しくは除籍簿若しくは戸籍の附票又は法人の登記簿を備えると思料される市町村の長又は登記所の登記官その他の当該農地又は採草放牧地に係る不確知所有者関連情報を保有すると思料される者に対し、当該不確知所有者関連情報の提供を求めること。

五 前各号の措置により判明した当該農地又は採草放牧地の所有者と思料される者に対して、当該農地又は採草放牧地の所有者を特定するための書面の送付その他の農林水産省令で定める措置をとること。

 

結局、登記事項証明書と戸籍謄本、原戸籍、除籍謄本、住民票といった一般的な相続資料の入手を容易にする内容にほぼとどまっています。農水省令も特段、新たな方法を認めるものではありません。

 

同様に森林経営管理法も24条(不明森林所有者の探索)で、25条(所有者不明森林に係る公告)前に、その探索方法を政令に委任して、「確知することができない森林所有者(以下「不明森林所有者」という。)の探索を行うものとする。」としています。森林経営管理法施行令1条(不明森林共有者の探索の方法)で、上記とほぼ同様の方法を定めています。

 

結局のところ、相続で登記手続が行われていないような不動産については、相続しない、できない事情がいろいろある中で、相続人の探索について少しだけやりやすくなったので、少しでも所有者不明土地について、適切な対応がなされることを期待したいです。

 

ところで、所有者不明不動産については、抜本的な対策が検討される必要があることは、繰り返し報道で取り上げられてきました。所有のあり方が根本的に検討されるべき時がきている、いやそもそも十分検討されないで所有権観念が導入されてしまった弊害ではないかと思うこともあります。

 

そんなとき、ドイツの所有権放棄の登記制度などを紹介して、不動産財産権放棄について、示唆に富む議論をされている平瀬敏郎氏の論考<空き家の現状とそれをとりまく制度の状況について(その2)>は興味深いものでした。

 

今日はこれにておしまい。また明日。


所有権って何? <所有者不明土地の増大とその利用をめぐる動き>を垣間見て

2018-08-31 | 不動産と所有権 土地利用 建築

180831 所有権って何? <所有者不明土地の増大とその利用をめぐる動き>を垣間見て

 

日弁連から毎月、月刊誌「自由と正義」と「日弁連委員会ニュース」が送られてきます。以前はほとんど読まなかったのですが、最近は置いてきぼりにされそうなので、時折ざっとは目を通すように、できるだけつとめています。

 

情報量が多岐に別れ、専門化してきたので、やはりなかなか読むのが億劫になるというのが本音でしょうか。専門的なのに、誌面の関係であまりに簡潔すぎて中身がよくわからないという感じも拭えません。その点、刑事弁護の分野は長い歴史があり、実践的でたいていの弁護士が関与しているので、やはり取っつきやすいでしょうね。

 

今回のニュースの中に、所有者不明土地問題等についてB42頁にわたって、政府の動きも含めて現状を担当者が解説しているので、ちょっと私も目を通してみました。

 

3つのテーマに分かれています。一つは、政府・法務省がたちあげた「登記制度・土地所有権の在り方等に関する研究会」が6月に発表した「中間取りまとめ」の内容と今後です。

次に、66日成立の「所有者不明土地の利用の円滑化等に関する特別措置法」の概要説明です。最後に、昨年8月、自治体、事業者、専門家が参加する全国的組織「全国空き家問題対策推進協議会」が設立し、その活動の一部を紹介するものです。

 

私もこのブログで、なんどか所有者不明土地問題、とくに農地・山林について取り上げてきましたので、法的対応については多少関心を抱く一人です。

 

ところで、本日のタイトルにある「所有権って何?」はいつも思うのですが、答えはどうもはっきりしないように感じています。よく近代的所有権うんぬんが語られ、まるで確立した概念があるかのようないい方が当たり前のように使われているように感じますが、ほんとでしょうかね。

 

近代的という言葉があるのですから、中世的、あるいは古代的とか、いやいや本源的とか始原的な所有権があるのでしょうねとふと思ったりしますが、ネットの情報ではなかなかそういうものは得られません。

 

ちょっと気になったのでえいやっとタイムトラベルして、この方面の専門家とおぼしき木庭顕著『新版 ローマ法案内』(副題が「現代の法律家のために」となんとも魅力的なキャッチフレーズです)を手に取りました。残念ながら、まったく基礎知識のない私には手に負えませんでした。昔、少し学んだような記憶もあったのですが、これは万歳です。

 

本の目次を見る限り、現代の民法用語がずらりとならんでいて、なんとかなるかなと思ったら、なんともならなかったです。民主主義と法の関係はなにか現代におけるなにかを示唆するようにも思えました。

 

有名な占有概念と民事訴訟が成立する背景やその結びつきと、まだ所有権概念が必要とされなかったこともなにかを暗示しているようにも思えました。

 

で、本の中盤以降に位置づけられている、「所有権概念の登場とその帰結」は期待したものの、ざっと目を通した程度ではさっぱり分かりませんというのが本音です。

 

ただ、最初の段落は興味深い内容なので、そのまま引用します。

「そもそもコモン・ローにおいて、所有権概念は本来存在しない。19世紀以降大陸法の影響下に立つ制定法等によって導入されたとしても、依然基幹にとっては異質なままである。「契約」の概念もまたコモン・ローには存在しないに等しいが、これは要式ないし要物性が維持されているためで、「契約」以外の名においてbonafides(ボナフィーデス)の実質はいたるところに見られる。これに反して、所有権は完全に大陸法独自のものであり、そこでまさに、それはローマ法から来る、と言われる。その延長線上に「近代的所有権」なるものが位置づけられることがあり、何故ローマが近代なのか判然としないが、混然としたまま所有権というモンスターは概念というよりイデオロギー(「絶対的」「観念的」「使用・収益・処分の自由」等々)として19世紀以降荒れ狂った。」

 

コモンローの英米法では所有権概念が存在しない。ローマ法においてもそうなんでしょうか。大陸法は勝手にローマ法に起源があると権威づけて擬製したのでしょうか。

 

ともかくこの本を全部通読するほど元気がありませんので、かってな解釈として、所有権概念が近代に、近代国家として作られることにより、ローマ法制で確立していた占有を中心とする、民事訴訟はもちろん、債権法や身分法、さらには刑事訴訟法や信用も大きく変貌したとみているのではと思うのです(まだ読んでいませんが)。

 

ひるがえって江戸時代の所有概念に相当する、さまざまな所持形態が重層的に成立していたかと思います。それでも占有概念がキーポイントとして権利性をうらづけていたのではないかと私見では感じています。

 

ときにはそれはムラ社会共同体という大きな枠組みの中で、農地・山林の売買が成立しても、そのとき名主などの立ち会いの下でなければならず、村外の者に売り渡される危険があるときは、ムラの誰かが買い戻す形をとっていたのではないかと思うのです(なお、よく言われる幕府の永代土地売買禁止令なるものは必ずしも諸藩で実効性があったものではないと思います。実際の売買証書をいくつも見ています)。

 

所有権が民主主義社会の中でどう位置づけられるのか、あまり議論されてこなかったように思うのです。それをここで少し考えてみたかったのですが、どうも曖昧なままになりました。

 

そのはっきしない所有権概念で問題となる所有者不明土地問題について、日弁連ニュースを参考に、ウェブ情報を引用しながら、勝手な持論を少しだけ述べます。

 

まず、「登記制度・土地所有権の在り方等に関する研究会 中間取りまとめ」ですが、第1の登記制度のあり方については、相続登記をやり玉に挙げています。たしかに未登記原因の大きな要因だと思います。しかし、その対応策を単に登記の義務化を図ったり、職権登記で対応するということで、問題の本質的な解決になるのか、少なからず疑問を感じます。

 

なぜ登記しないのでしょう。民法の遺産分割制度が有効に機能していない分野でこの未登記問題が起こっていないのでしょうか。むろん、登記の義務化ないし職権登記で法定相続の登記は多くは用意でしょう。しかし、それでも高齢化の急速な進展で、配偶者・子のいない人の相続の場合、相続人の発見だけでも大変な作業となります。職権登記ということで簡単にできる話ではないと思います。

 

第2の土地所有権のあり方については、所有権放棄が検討されていますが、なかなか容易ではないのでしょう。しかし、相続放棄は認められていますし、兄弟や甥姪が相続人になる場合、割合多いかもしれませんね。さらにいえば、農地・山林での利用責務を強化する制度がさらに実効性を持つようになれば、占有という実質的な利用が当然視されることになれば、将来的は放棄構成も工夫の余地があるかと思うのです。土地利用の公共性をどう捉えるかは民主主義がどう実現されているかにもよると思いますが、現時点ではなかなか無理でしょう。

 

他方で、土地利用の円滑化を図る仕組みとして、相隣関係の規定や、共有地管理のあり方、家裁の財産管理制度の活用など、いくつか検討されています。着実ですが、大きな変革には結びつきにくいところでしょうか。

 

ちょっと時間がオーバーしてきたようで、後、「所有者不明土地の利用の円滑化等に関する特別措置法」については<概要>で大筋分かりますが、それ自体は一定の円滑化といえますが、あまりに公共事業、ないし的なもので、それでは従来の枠組みを超えるものではなく、また(2)所有者の探索を合理化する仕組みとしてあげられている次の制度も、それほど効果的か疑問があります。

 ○ 土地の所有者の探索のために必要な公的情報について、行政機関が利用できる制度

 ○ 長期間、相続登記等がされていない土地について、登記官が、長期相続登記等未了土地である旨等を登記簿に記録すること等ができる制度

 

(3)所有者不明土地を適切に管理する仕組みも、これによってどの程度自治体が使うのでしょうかね。財産管理人もそれほど有効な策を持ち得ない状況ですからね。

 

空き家問題はまた別の機会に

 

今日はこれにておしまい。また明日。

 

 


空き家を活かすには <空き家 地域のニーズで変身>を読みながら

2018-08-11 | 不動産と所有権 土地利用 建築

180811 空き家を活かすには <空き家 地域のニーズで変身>を読みながら

 

ブロック塀の地震による倒壊で通学中の小学生が亡くなった痛ましいニュースは、地域住民の声はもちろん、政府や自治体の積極的な対応もあって、あっという間に全国の耐震性に疑いのあるブロック塀の解体ないしは補修が実施されたようです。ま、学校などの公共施設が中心でしょうけど。

 

さて空き家問題は長い間懸案事項とされてきたものの、ようやく自治体条例や国の法令で一定の対応がなされるようになりましたが、あくまで解体に向けた法制度でしょうか。空き家そのものをどう活かすかといった視点では、個別には昔からさまざまな努力や工夫がなされてきたと思います。

 

今朝の毎日記事では、これまでになかった取り組みともいってよい事例が紹介されています。まったくなかったとは思いませんが、いくつかの点でユニークでもあり、さらに押し広げてみて欲しいと思い紹介させてもらいます。

 

くらしナビ・ライフスタイル空き家 地域のニーズで変身>では空き家を新しいまちづくりの主要構成要素の一つとして、共通目的で利用する空き家と既存社会をつなぐ取り組みが紹介されています。

 

<千葉県松戸市のJR松戸駅西口。・・・ある民間プロジェクトが進んでいる。名付けて「MAD City」。駅から徒歩約5分の場所に構えた事務所を中心に、半径500メートル圏内が主な活動エリアだ。一帯に点在する空き家には全国各地から多種多様なアーティストが移住し、地域住民とともに「クリエーティブな自治区」づくりに挑んでいる。>

 

アーティストが活動拠点にする空き家利用ですね。<仕掛け人の「まちづクリエイティブ」社長、寺井元一さん(40)>が企画を進めています。

<活動9年目の現在、約90戸で所有者と契約期間を決めた貸借契約(定借)が成立し、延べ270人ほどのアーティストが移り住んだ。近くの飲食店の壁画を描く人や、古刹(こさつ)で音楽イベントを企画する人。移住者たちの活動が街に新風を吹き込み、以前からの地域住民もまちづくりに意欲的になっているという。>

 

90戸の空き家に270人のアーティストですから、それは起爆剤となり得るでしょう。松戸ではしばらく事件を取り扱っていたのですが、どうも駅西口のイメージが浮かんできません。歩いているはずですが思い出せないのです。東口になると特徴のある地形・まちなみなどの景観に映っていたのですけど。

 

寺井さんの極意は<「『マイナス』の物件ほど安く借りられる」と強調する。定借した物件は原則、ゴミの処分といった最低限の手入れしかしない。工事費をかけないことで家賃を安く設定できるからだ。入居者は壁を壊して間取りを変えるなど自由に改修している。賃貸物件は通常、契約終了時に原状回復を求められるが、「改修で物件の価値が上がるので、原状回復を望む所有者はほとんどいない」という。>要は、利用者が自由に作り直すということでしょうか。賃貸借のあり方を根本的にチェンジするものですね。

 

定期という限定した期間が少し問題かもしれませんが、それでも建物内部を利用者本位に自由に作り替えることができるというのは、まるで中古物件を購入した感じになりますね。とりわけ経済的に余裕のないアーティストには飛びつきたくなる話ですね。

 

といっても、飲食店の賃貸借では従前から類似のやり方はあったと思いますし、造作費をかけてもそのまま別の経営者に買い取ってもらう形で賃借権の譲渡も普通にあったと思いますが、このような形態とは大きく違うのはやはり空き家として利用されず放置されてきた地域性・物件条件を巧みに活用している点でしょうか。

 

空き家所有者も、高い収益を望まない、望めない前提があるでしょうし(飲食店のような場合とは違いますね)、そのため空き家を維持する管理の負担を軽減・解消する程度の意識が所有者側にもあることが必要でしょうね。

 

とはいえ、共通のというか、アーティストといっても多様ですし、ある意味では従来のまち空間が見いだせなかった新たな価値を創造する、あるいは復活することで、新たな入居者が既存住民と交わりながら、活気を生み出していくのでしょう。

 

この「つなぎ役」は柔軟な発想をもっておく必要があるでしょうね。もう一つの例はそういうことを強く感じさせてくれます。

<空き家活用ビジネスを手がける「ジェクトワン」(東京都渋谷区)も、「つなぎ役」を務める民間企業の一つ。相談が入ると、空き家所在地周辺の住民へ聞き取り調査を重ね、「地域が必要としているもの」を洗い出す。空き家が飲食店になったり、バイク置き場になったりと、活用方法は多岐にわたる。>地域のニーズにあった空き家、あるいはそれを土地として活用するということでしょう。

 

このようなことは、従来、宅建業者が担ってきたはずですし、現在も主要な担い手であることに変わりがないと思います。ではここで取り上げられた事業者たちは何が違うのでしょう。

 

やはり、地域全体の要望をなんとか掴もうとしているのでしょうか。従来の宅建業者はどうしても所有者の意向を大事にすることを前提に、地域の実情を踏まえるという間接的な対応が意識としてあったのではと思うのです。むろん例外はあるでしょうけど。

 

不動産業者の中で、なかなか地域作りの中心的な担い手があまり育たなかったのは、そんな意識あるいは業界の体質も影響したのかもしれません。

 

とはいえ、ここで紹介されている事業体がどこまで空き家を地域のニーズにそって活用しているのかは、紙面の関係でしょうけど、あまり明らかではありません。

 

ちょっと話が飛びますが、北米などのまちづくりを見ていて、とくに感じるのはたとえば19世紀後半とか19世紀初頭などのヴィクトリア朝の建築様式の建物群を利用して、多くのアーティストが間仕切りして全体を統一的なまちにして、そこに多くの観光客が訪れるというのを見て、歴史的建造物を残しながら、まちづくりに活かしているなと感嘆したのを思い出します。その例の一つがカナダBC州の州都ビクトリア市のある一画です。

 

また、同じ市には昔は大富豪が居住したような大邸宅が貧乏学生などの共同住宅として活用されているのを、友人が借りているので訪れたことがありましたが、古ぼけたあまり修理が十分行き届いているとは言えないけれど、家賃が安くて活かされていると感じたものです。そういう感じで、あまり空き家というものに遭遇した経験がなかった記憶なのです。

 

このような賃貸借利用の手法については、税制や建築規制などさまざまな支援措置があり、空き家にならないよう事前工夫がされてきたようにも思うのです。

 

それと思うのに、20年以上前だと、北米でもカナダでのネット情報は、日本よりはましでしたがあまり芳しくなく、こういった情報も十分ではなかったように思います。

 

わが国は現在、ネット環境がとても便利になって、情報もどんどん出せるのですが、ごった煮状態で、適切な情報が十分とは言えないですね。たとえば空き家情報、むろん個人情報ですので、簡単にネット情報に掲載できませんが、地域の安全で快適なまちづくりのために、最初にあげた寺井さんのような共通の価値観で、空き室ネットワークを作り上げるといったこともあってよいのではと思うのです。

 

それはその地域をどのようによくしていこうかという青写真を作り上げていくような気持ちでさまざまな人が関与すれば、空き家所有者の心も打ち解けてくるかもしれませんね。

 

このことはもう少し書いてみたかったのですが、いま思いつきなので、また別の機会にしましょう。

 

最後に解体について、記事ではいくつかの情報提供があります。

解体費は一戸建てで150万円とかいわれることがありますね(実際は規模や道路環境、やり方次第でいろいろです)。その一部を自治体が費用助成しているのですね。

 

<14年度に独自の空き家緊急総合対策事業を始めた群馬県高崎市。毎年1億円以上の予算を投じ、「管理」「活用」「解体」の空き家対策全般の費用助成を行っている。市建築住宅課によると、16年度までの3年間で、助成実績は計676件(5億264万円)。高齢者向けサロンに改修する費用といった活用のための助成もしているが、解体費助成が最も多く、全件数の6割超を占める427件(3億8752万円)に上る人気ぶりだ。

解体費助成の対象は空き家状態がおおむね10年以上で市内の業者に発注する場合に限るが、100万円を上限に工事費の5分の4を補助。さらに、解体後1年間は更地化による固定資産・都市計画税の増額分も全額手当てする。>

 

他方で、コンサルの「新築権」といった独特の発想は、都心のデベロッパーには好都合ですね。昔流行した空中権的な発想でしょうか。

 

<空き家問題に詳しい野村総合研究所の榊原渉・上席コンサルタント(45)に話を聞いた。

     ◇

 「1戸新築する権利を得るには1戸解体しなければいけない」をルール化した新築権を創設してはどうか。

 権利の売買も認め、たとえば、100万円かけて空き家1戸を解体して生じた新築権を分譲マンションのデベロッパーなどに100万円で売れるようにすれば、空き家所有者は解体費を回収できる。>

 

新築マンションや新築住宅への支援に熱心なこれまでの住宅行政のあり方を、中古住宅やこの「空き家」問題に対しても本格的な支援策を講じるようなパラダイムシフトが必要になってきていませんかね。

 

今日はこれでおしまい。また明日。

 


山林所有のあり方 <明治政府の山林所有制度を少し考えてみる>

2018-08-06 | 不動産と所有権 土地利用 建築

180806 山林所有のあり方 <明治政府の山林所有制度を少し考えてみる>

 

日本人は戦国時代や幕末期の激動が好きなようです。大河ドラマでも繰り返し取り上げられても、人気が落ちないようです。刷り込まれているのでしょうか。いや、日本人の感性にあっているのでしょうか。ま、どちらでもいいですが。

 

維新政府が行ったさまざまな改革も話題になりつつも、庶民レベルではさほど舞台としては登場しないように思います。地租改正といった大改革についても、その影響をめぐる庶民の生活をリアルに取り上げられることは上記に比べれば格段に少ないように思います。

 

それでも田畑の場合は、大地主と小作の分化が急激に増大し、小説などの舞台にもなってきたように思います。他方で、山林はというと、それほど注目されてこなかったと思うのは私の狭い了見でしょうか。入会林野が山林の所有利用形態として維新前と維新後、さらには戦後まで、長く続いてきた、と同時に戦いの歴史が刻まれてきたのですが、それほど多くとりあげられていないように思うのです。

 

最近の山林問題は、所有者不明、境界不明、管理されない意味での荒廃状態が話題となっています。しかし、おそらく維新までは使い尽くされて荒廃するリスクが懸念されたりしても、所有者不明とか境界不明といったことはあまりなかったのではないかと思います。

 

わが国では入会林野、あるいは入会権といわれるものが、英連邦ではコモンズ、北欧ではアッレマンスレット(スウェーデン)、ヨカミエヘンオイケウス(フィンランド)などと呼ばれているもの、あるいは熱帯地方や北極圏など先住民世界でのカスタマリーライトといったものも共通の山林などの所有に代わる共同利用概念が根底にあるように思えるのです。

 

ところで、現代の山林所有問題を考える上で、明治政府の山林所有制度の推移を考えておくのも参考になるのではと思っています。というのは渡辺尚志著『百姓たちの山争いの裁判』の中に、「明治時代の林野政策の流れ」がコンパクトに整理されており、私も今後の頭の整頓のために、ここで引用させていただき、考えてみようかと思います。

 

わが国の農山村社会の基礎は林野の入会利用であったように思うのです。それは最後の命綱のように強固なものであったように思うのです。幕藩体制が崩壊し、武士が刀をとられても、人口の大部分を占める百姓はそこに安定的な基盤があったので、江戸幕府が倒れてもびくともしなかったのではないかと思います。

 

地租改正で、地券の交付を受け、地価の3%の租税を納付することになっても、それほど大きなショックもなく、所有権というものの意味合いも漠然としか感じていなかったのではなかったでしょうか。

 

しかし、明治政府がはじめはゆるりと、そして急速に拡大した、山林の民間払い下げ制度は、次第に山林に対する農民の意識を変えていくことになったのではと思うのです。渡辺著作を私なりに簡潔に記述してみます。

 

明治3年(1870)9月、「開墾規則」 払い下げ制度は、まず所有関係の明確でない山林原野からスタートしました。紛争の起こりにくいところからという常套策です。興味深いのは所有者不明ともいうべきところを、政府が払い下げたのです。私有制度が確立していなかったのでできたのでしょうか。

 

明治4年8月の「荒蕪不毛地払下規則」 次は村中入会・村々入会となっていた林野の一部が対象となりました。

 

明治5年 官林の払下げが認められ、わずか2年で民有化を拡大しています。

 

明治7年11月「地所名称区別改正法」 よく意味の分からない法律名ですが、これが大変革の制度と言って良いでしょう。というのは私有であることを証明できないと、公有となるのです。「全国の土地を官有地と民有地の二種に区別したが、この時点で存在した入会地は「所有の確証」がない限りすべて官有地に編入されることになった。」

 

明治9年1月「山林原野等官民有区分処分方法」 上記の大変革をさらに実効生あるものにしたのがこの法律です。「これが、地租改正にともなう、山林原野の「官民有区分」である。具体的には「官有地と民有地の区分の具体的な基準が示された。そこでは、文書等による人民所有の確証が得られない土地は官有地とするものとされた。総じて民有地の認定基準はたいへん厳しく、その結果入会地の相当部分が官有地とされてしまったのである。」

 

これと同じような法令に遭遇しました。私はボルネオでの熱帯林調査の中で、先住民が何世代にもわたって行ってきた焼き畑耕作が英連邦化で導入された法令(名称を失念)の中に、いくつかの条件を定め、その条件に当たらないものは国有地とするというものでした。その一つにたしか排他的占有支配の継続があったように思います。ところが、焼き畑耕作は、土地の栄養を持続的に保持するため、20年周期で焼き畑地を変えていく移動耕作でしたから、ある土地を焼き畑すると(たとえば50haくらい)、20年間は放置するのですから、その土地利用が認められないことになるのです。

 

他方で、明治政府は当初、「江戸時代以来の入会慣行についてはあまり問題にしなかった。そのため、農民たちの、なかにも、たとえ入会地が官有地にされても、従来通りの山野利用が許される、ならばそれでもよいと考える者が多かった。むしろ官有地となったほうが、租税を払わなくて済むと考えた者もいたのである。」そこで悲劇が生まれたのです。

 

最近、森林窃盗とか、盗伐といった言葉を聞くチャンスはほとんどありませんね。でも私が刑法を学んだとき、この言葉がすぐ頭に残りました。戦前はもちろん、戦後もしばらく相当数の事件があったのです。

 

それは明治政府が入会慣行を取り締まるようになり、刑法犯として処罰するという厳罰主義に変わったからです。

 

明治10年 官林監守人制度 「監守人に官林を管理させた。」

明治19年 大・小林区制 無許可で官林に入山した者は森林窃盗の容疑で起訴

明治21年 鑑札(利用許可証)制度 官有地を利用するには鑑札が必要

明治23年 官民有区分に起因する紛争(盗伐)の裁定機関として行政裁判所を開設

しかし、行政裁判所は政府側を追認することに終始して、紛争は収まらなかったのです。

 

明治32年 「国有土地森林原野下戻法」農民に国有地の払い下げを認めたものの、ほんの一部だけだったので、問題解決にはならなかったのです。

 

以上、渡辺著作を引用して私見もすこし書いてみました。

山林所有の官有化がかなり一方的に行われ、農民たちの慣行的利用に対して盗伐という刑罰で対処するという強引な施策が行われてきたことを記憶しておいて良いと思うのです。

 

山林の所有・利用形態は、地域で相当異なり、地域特性を意識しながら、考える必要がありますが、山林特有の所有のあり方というものも考えておくべきかと思うのです。

 

今日はこれにておしまい。また明日。


不動産どうする? <論点 急増する「負動産」>を読みながら

2018-01-24 | 不動産と所有権 土地利用 建築

180124 不動産どうする? <論点急増する「負動産」>を読みながら

 

増田元総務大臣が所有者不明の土地の急増を指摘して、政府においてもその対策の検討が本格化しつつあるようですが、どのような方向に向かうのか、ここで議論されているそれぞれの話しは一面を見ているように見えて気になり、今日は少し書きすぎと思いながら、ついタイピングの指が動いてしましました。

 

「負動産」というネーミングは誰が考えたのでしょう。その内容・定義はまだはっきりしていないように見えつつ、ここで取りあげられている課題が所有者不明に集中しているようにおもえますので、その辺りをいうのかなと思ったりしています。

 

まず所有者不明の土地が問題であることは確かでしょう。ではその問題は相続制度やそれに関連する登記制度の問題と片付けて良いのでしょうか。

 

私も土地の有効利用が望ましいと思います。しかしながら、「大化の改新」という括弧付き改革で公地公民制度を導入して以来、国の制度および指導によって土地を有効に利用することができてきたでしょうか。少なくとも、個人は利用困難と思えば逃散などしたりして、常に利用されない土地が歴史的には常に存在してきたように思います。

 

それは国家・行政が一方的に、あるいは事業者が一方的な判断で開発したり、土地利用を強制した場合、起こりうるデメリットの一つではないかと思うのです。

 

野田毅氏が指摘する「土地は利用するためにある」とか、所有権絶対の見方の行き過ぎは、基本的に賛成です。問題はその中身です。

 

たとえば、通常国会に新法案として提出予定の案は、次の内容を骨子にするようですが、一定の合理性は認められても、疑問が少なくないように思うのです。

 

<「中間とりまとめ」には(1)所有者不明の土地に公的機関が関与し、公共的事業による利用を可能とする(2)相続登記が長期間なされていない土地に法的措置を取る(3)登記簿情報のオンライン化を進め、マイナンバーの利用も見据える(4)小規模市町村の要員不足に対して国や都道府県が支援する>

 

さらに<登記の義務化><所有権の時効>を所有者不明土地に適用とか、森林地区に新たな制度を準備しているようです。

 

基本的な流れ自体は、私もこれまでこの問題で採り上げてきた中で指摘している部分と重なる点もあり、必ずしも反対の立場というわけではありません。

 

しかし、たとえば、公的機関が関与し、公共的事業による利用を可能としている点は、それが土地がもつ公共的側面を活用する意味では意義のあることと思いますが、残念ながらその公共機関、公共事業の内容に、これまでの多くの問題性を抱えたままでは望ましいとは思えないのです。

 

公共事業が道路、防波堤、護岸工事、などなど、いわばハードなインフラ整備を中心とした土地利用を対象にしているのだとすると、過去の蹉跌を引き継ぐことになりかねません。

 

そして現行の都市計画法など計画法制や事業法制では、適格な担い手、民主的な手続保障、可視化が不十分です。これを改めないで、所有者不明の土地だからといってこの新制度で利用を促進することは危険だと思うのです。

 

野田氏が指摘する圃場整備の場合、今後そのような整備手法が有効かも検討されてしかるべきでしょうし、また分譲地計画であっても同じ問題を抱えていると思います。

 

中間とりまとめの②以下は基本的には賛成です。ただ、登記されれば本質的な問題が解決するかというと、それは違うと指摘しておきたいと思います。

 

次の吉原祥子氏の見解も、相続登記に中心が置かれていて、それは喫緊の問題だからということで、公証人に関与による相続を提案するのでしょうけど、はっきりいえば現状を理解されているのか心配です。たしかに公証人が関与すれば登記はスムーズに進むかもしれません。しかし、遺産分割の紛争がある事件では公証人には手に余ることが多いでしょうし、紛争がない事件でわざわざ公証人の手を経なければいけないというのも(登記代理権もないわけですから)、いわば帯に短したすきに長しといった印象をぬぐえません。

 

それに吉原氏が指摘する土地制度・法令の複雑さ多さについて、その問題はだれもが承知していてどう解決するかが問題なのであって、それについての意見は残念ながら見当たりません。

 

また、売買規制の問題を指摘していますが、問題は現在の土地利用が放置され、荒廃している点です。それについて問われているわけですが、答えがありません。それはこの論点で登場する三者の共通する問題です。私がこの記事を取りあげようと思ったのは、あまりに所有者不明というピンポイントに問題を集中させ、異論も取りあげない、しかも実践的な対策にも疑問があるということから、あえてテーマにしたのです。

 

渋谷幸英氏は不動産業者らしく、土地取引や利用で困っている状態を踏まえて、登記法や農地法を含む土地利用(規制)法制の問題を指摘し、相続登記の義務化を求めています。

 

それ自体は私も基本的に賛成です。しかし、これから相続のある方は新法制である程度実現できるかもしれませんが、現在相続登記が未了の土地について、遡って規制できるかの問題もありますね。

 

それよりも相続登記が簡単にできる場合、たいていやっているのではないでしょうか。法務局の窓口にいけば、素人でも登記官が親切丁寧に教えているので、相続登記くらいだったら司法書士に依頼しないでも簡単にできるでしょう。

 

しかし、現行相続制度では、子どもがいない相続人の場合、それだけで戸籍謄本・除籍謄本などを大量に収集しないといけません。そうでなくとも海外などに滞在したり、外国籍になっていたり、身分関係や居住関係がどんどん複雑になっています。そのような場合に簡易化する制度的手当はありません。

 

一つは公正証書遺言ですが、この普及はまだまだですね。こういったことも終活の最低限度としてサービス提供が必要でしょう。

 

しかし何よりも重要と思うのは、利用です。耕作放棄地、森林の荒廃地などは、いずれも所有者が確定しても、容易に解決できない問題です。たしかに農地法は遊休農地対策で農業委員をその改善の実戦部隊として活動させていますが、大きな成果を上げているとは言いがたいと思います。

 

空き地・空き家問題も都市空間だけでなく、地方でも深刻な問題です。すでに先進的な自治体は、各種条例で対応してきていますし、新たな後者は一応前進しているようにも思えます。

しかし、どこを見てもその大きな改善はまだ緒についたばかりでしょう。これらの問題への取り組みはより急がれると思うのです。

 

最近、関東で仕事をしているとき長くお世話になった教授から贈呈いただいた書籍があります。北村喜宣著『空き家問題解決のための政策法務~法施行後の現状と対策』です。

 

これを読んで少し紹介したいと思いながら、気持ちだけでなかなか読めないでいます。いい加減な紹介をすると申し訳ないので、ここは少しまじめに読みたいと思うのですが、そうなると、最近の法律書への関心度の低さから、頭も回りませんし・・・いいわけはそのくらいにして近いうちにできればと思っています。

 

なお北村氏は、その処女作ともいうべき92年発行『環境管理の制度と実態』ではアメリカ水質浄化法を実務レベルまで調査して、見事に描いていて、それ以来著者のファンになっています。

 

また、04年発行の『分権改革と条例』も、各地の自治体法務担当者にとってバイブルになってもおかしくないほど、優れた内容です。

 

今日はこのへんでおしまいとします。また明日。