たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

歩きたくなる社会 <地方暮らしの「足」どう確保?>を読みながら

2019-04-11 | 事故と安全対策 車・交通計画

190411 歩きたくなる社会 <地方暮らしの「足」どう確保?>を読みながら

 

今日の花は「雲間草(くもまぐさ)」です。<雲間草(クモマグサ)の花の写真・花言葉・名前の由来>によれば、花言葉は<「活力」「自信」「愛らしい告白」「深い愛情」「活動」「可憐な瞳」「遠い思い出」>と盛りだくさんです。人間の複雑な感情の賜物でしょうかね、花言葉ですからそもそもそれぞれのことばに関連性を見いだそうなんてことは考えない方がいいのでしょう。この中で自分が気に入ったら、選べばいいのでしょうか。

 

といいながら、今日の見出しのテーマになにかと関連づけしてこれから書いてみようかとふと思ってしまいました。

 

さて記事410日付け毎日夕刊<特集ワイド進む高齢化 地方暮らしの「足」どう確保? 車を持たず、助け合いで 運転はリスク>です。このブログでも以前なんどか取り上げた車を持つか持たないかについて、地方での暮らしの中でその問題と各地の対応策を取り上げています。

 

奥村隆記者は<地方都市での生活には自動車が欠かせない。「移動の足」としての利便性は疑う余地がないが、超高齢化社会に突入し、運転はリスクでもある。「地方創生」が提唱されて久しい今、あえてマイカーを持たずに生活する方法を考えた。>と切り出します。

 

東京を含む首都圏での生活が長かった私自身、長く車を持たない、乗らない生活をしていました。車を持つようになってもたまに乗るくらいでした。ところが、当地にやってきてからは乗らない日がないというくらいのヘビーユーザーになりました。といっても運転の危険と腰痛などのため長距離運転はよほどのことがない限りとしません。10分、20分程度のリスクの少ない、のんびり運転です。

 

ところで奥村記者は、まず、社会のあり方として、<藤井聡・京都大大学院教授(都市社会工学)の持論>である<地方創生には「クルマ依存症」からの脱却しか道はない>を持ち出します。

 

その理由が明解です。<モータリゼーションの進展で鉄道が寂れ、駅前商店街はシャッター通りになり、地元商業に大きな打撃を与える。一方、郊外に建てられ、広い駐車場が整備された大型ショッピングセンターには地元の住民らが集まるが、「地域外の大資本」によってつくられた店であり、利益の大部分は地域外に流出する。つまり住民の金が大都市に吸い上げられる構図で、地域経済はさらに疲弊する。地元自治体への納税額も減り、行政サービスは劣化する>というのです。

 

このこと自体は、90年代から2000年代にかけて一部で(あるいは多くが?)言われてきたかと思います。私も、日弁連の07年の人権シンポではそのような視点から、脱車社会を取り上げた一人でした。LRTやコンパクトシティなど各地の取り組みを調査したものでした。

 

ただ、藤井氏のように、<「クルマに乗らずに歩きましょう」>とまでは言えませんでした。ただ、たぶん当時ならまだ地方の車依存社会の実態を知らなかったので、つい言ってしまったかもしれません。藤井氏もKBS京都のラジオ番組で訴えているということで、京都は最近地下鉄も普及していますし、歩くにいい環境ですので、いいやすいですね。私もずいぶん京都の中を歩き回りました。どこを歩いてもとまでいいませんが、とても歩くのに風情のあるまちなみです。とはいえ、京都のまちなみ景観、自然景観は発展進化の名の下に、壊される一方で、それを見るのも疲れますが。

 

ところで、藤井氏が<次世代型路面電車(LRT)を導入した富山市や、ローカル鉄道を再生して地域の足を確保した和歌山市など、各地の成功例を紹介している>そうですが、和歌山市が出ているのには驚きです。ローカル鉄道というのは和歌山駅から貴志駅までを走る和歌山電鉄貴志川線のことでしょうか。たしかにローカル鉄道としては頑張っていると思いますが、それでも日常生活の足としてどのくらい利用されているかとなると、それほどではないような印象です。私自身、数回しか利用したことがないので実際のところわかりません。だいたい、和歌山市中心街にはいわゆる路線電車がありません。バスだとやはり不便です。橋本から和歌山までJR和歌山線が走っていますが、のんびりしていてよいものの、通勤というレベルだと少し遅すぎ、本数も少なすぎます。そして和歌山駅から中心街に行くにはバスを利用すると、乗換も含めとても時間がかかりなかなか利用する気になれません。長くなりましたが、藤井氏の成功例という表現をどうとらえたらよいのか悩むところです。

 

また富山のLRTも一定の評価はできますが、これも以前指摘したことですが、そもそもLRTは単に段差がないといったこと以上に、車掌がいない、改札がないなど、利用ルールがとてもフリーなのです。私もカナダ・カルガリーで滞在中、車依存であっても利用の便利さを感じさせて、LRTの気軽さを楽しむことができ、よく利用したものです。そういったソフトの改革がなされてなく、またLRTにあうような都市計画づくりをしているかといえば、遠い道のりという印象です。それでも他に例がない導入ですから、市長のやる気はほんものでしょうけど、最近話題になった市議の不正支出など議会改革も必要でしょうね。現行の都市計画(藤井氏が指摘する郊外開発の制約がない)でつくられた町では、なかなかLRTを有効に活用することができないように思います。

 

また、藤井氏の指摘する経済的リスクということでしょうか、興味深い計算が紹介されています。

<年間5000人が交通事故で死亡している現状を前提に、ドライバー1人当たりの事故発生率を割り出し、50年間運転し続けると仮定すれば、確率的には125人に1人が事故で人を死なせる計算になる。>この確率論というか、計算は私にはどうも理解できません。でも、50年間運転し続けるという仮定自体、ちょっと無理筋かなと思いつつも、自分の運転で事故死を招く可能性は無視してよいといった甘い理解に立ってはいけないという渓谷としてはよくわかります。

 

ともかく自動車運転のリスクは若年層(保険料率が示していますね)だけでなく、高齢化すると高くなることはまちがいないわけですから、車依存症から脱却する方策を考える必要がありますね。

 

<東北工業大名誉教授の山下三郎さん(84)>が<依存症からの脱却を試みたが諦めた人>として紹介されています。地方暮らしでは無理というようです。<「コンパクトシティーとかスモールタウンにして、徒歩圏で暮らしが成り立つようにする必要があります。でも地域ごとに事情が違うので難しいでしょう」と浮かぬ顔だ。>とあきらめ気味ですね。

 

私のいとこも今年80才、神戸で暮らしていますが坂の多いところで、免許証返納を悩んでいます。コンパクトシティを掲げる都市の一つとして神戸市があげられていますが、高齢者は認知症のリスクもありますが、足腰が弱ったり、重い病気を抱えていて坂道を上り下りすることは容易でないといった人も少なくないのです。神戸の坂は有名ですね。どんなコンパクトシティを考えているのでしょう?

 

戦後自由奔放に開発が促進されてきていわゆるスプロール化して膨張した各地の都市構造は、なかなか車依存を脱却することができにくいのではないかと思います。

 

歩くことが困難になってきた人には、カーシェアリング思想にAIを活用した仕組みを活用しやすくするとか、車依存を緩やかに脱却できるような仕組みの構築が急がれると思うのです。いまから隣の人は何する人ぞといった都市内で、物理的な地域コミュニティを構築する以上に、AIを活用したコミュニティが使い勝手がよいのではと思うのです。

 

また遠い将来は別にして、この遠く離れた位置にあるさまざまなインフラを利用するのに、物理的な移動に代えて、医療、介護、行政サービス、さまざまな領域でAIITによるサービスが受けられるようにできれば、歩行圏内ですべて処理できるようになるかもしれません。

 

といいながら、他方で、歩くという人間にとっても最も本質的な動作を、誰もが少しでも多く行うよう、意識改革が求められているのではないかとも思うのです。そういう私も、ほとんど歩かない日々を送ってきましたが、最近ようやく、スマートウォッチを携帯し、日々の歩行数を増やそうとする意識が芽生えています。

 

<「国土強靱(きょうじん)化」政策>も大事ですが、なにより一人ひとりの強靱な体力作りではないでしょうか。歩く社会、それが人の「活力」「自信」を生みだしやすい仕組みではないでしょうか。歩いて楽しい社会を作り、積極的に歩きたくなる環境を作ることこそ、必要とされていないでしょうか。歩くのを補助する仕組みとしてカーシェアリングやLRTなどの公共交通機関があってよいでしょうけど、基本を「歩く社会」にすると、見方が変わるのではとふと思ってしまいました。

 

最初の花言葉「愛らしい告白」「深い愛情」以下にはなかなか結びつきませんでした。

 

今日はこのへんでおしまい。また明日。

 

 

 

 


生活道路のあり方 <通学路に可搬型ハンプ>などを読みながら

2019-02-28 | 事故と安全対策 車・交通計画

190228 生活道路のあり方 <通学路に可搬型ハンプ>などを読みながら

 

昨日のNHKおはよう日本で、道路上に置かれた奇妙な形のハンプが取り上げられていました。途中から見たのと、他の用をしながらちらちらと見たので、あまり内容を把握できないままでした。いまどきハンプかという思いと、ようやくハンプかという思いなどが錯綜しつつ、終日仕事で忘れていて、今日も少し長めのミーティングが終わり車で事務所に帰ってくる中、生活道路を走っていてふいに思い出しました。

 

一昨日付の朝日記事<滋賀)通学路に可搬型ハンプ 速度抑制効果を実験>に、概要が掲載されていました。

 

<滋賀県東近江市五個荘地区の旧中山道で25日、路面に設置して段差をつくり、通過車の速度抑制を図る「可搬型ハンプ」の実効性を測定する実験が始まった。>

 

五個荘地区というと聞いた記憶があるなと思ってウェブ情報をみると、<近江商人発祥の地!東近江市・五個荘金堂地区を歩く>では、やはり近世・近江商人が活躍していた他の地域同様、すてきな堀割にまちなみが残っていることがわかります。まちなみ保全への取り組みがしっかりしていることがうかがえます。ちゃんとそれを担う組織もありました。<五個荘地区まちづくり協議会>です。

 

ところが、そんなすばらしいまちなみを残してきた五個荘地区の一画にある生活道路では、<朝夕のラッシュ時には多くの自動車が抜け道として利用する。一帯は制限速度30キロだが、国土交通省などの分析で大半が50キロ以上で走っていることが分かった。>というのですから、こまったものです。まちづくり協議会に交通政策をも担う機能を委ねていないところに一つの要因があるでしょう。

 

北米で私が体験したのは、地域の団体が、生活道路を交通リスク(スピード超過による事故や通り抜け道路化による交通混雑など)をいかに回避するかについて、さまざまな提案をして実現しているコミュニティーのあり方でした。それが90年代半ばの話です。すでにハンプは普通にありましたし、後で紹介します様々な物理的なスピード制御手法を各地で採用していました。当時市議会で問題に話題になっていたのは一旦通り抜けできるような分譲地(90年代に開発される計画ではほとんどなかったと思いますが)で、closing(だった記憶)という道路閉鎖措置を議会で審議して実施することがよく話題になっていて、その審議を傍聴したり、閉鎖した現場を見学したりしていました。

 

北米の道路はフリーウェイで有名ですが、生活道路となると分譲地内に入るには一つだけの出入り口で通り抜けができない構造に90年代のものはなっていた記憶です。A分譲地からB分譲地につながる道も、バスといった公共交通機関以外は通ることができず、大きな迂回をしないといけない交通システムが作られていました。

 

ところがわが国の場合、なかなかそういった生活道路をハードとシステムで守るという仕組みができないまま、今日に至っているように思うのです。

 

ようやく始まったのが可搬型ハンプという奇妙な、まさしく試験的な装置でしょうか。

<今回は、タテ6メートル、ヨコ4メートル、最大高10センチのゴム製のハンプを五個荘北町屋町~五個荘石塚町間(約1キロ)の3カ所に設置。3月15日まで置いて効果をみる。設置場所で観察していると、確かに通過車はブレーキをかけて一定の減速をしているのが分かった。>

 

どおりで、いつでも分解できますし、移動できる構造になっています。おそるおそるやるということでしょうか。残念な思いと、それが日本の現状かと改めて思うのです。

 

ところで国交省はこれまで手をこまねいていたのかというとそうでもないのですね。

 

国交省のウェブサイトでは<生活道路対策における物理的デバイス>と銘打って、平成259月に、いくつかの対策を提案しています。

 

そのうち物理的デバイスとして、<ハンプ、狭さく、シケイン>等の設置をあげています。

 

道路は通常、一定の幅員を維持することが望ましいのですが、スピードを制御するのに、一部狭隘部分をつくるアイデアはときに有効です。次の「シケイン」とは耳慣れない用語ですね。どうやら自動車レースで使われる用語で人工的にジグザクなどの構造にしてスピードを調整するようにしている手法のようですが、カーレースで使われている用語を使うのはどうかと思います。ジグザグ道路という名称があいまいであれば、たしか90年代とか2000年代ころまでに割と使われてい欧州の技術用語があったと思います。ちょっと思い出せませんが、いずれにしてもシケインはいかがなものでしょう。

 

とはいえ国交省が平成25年に提唱し、その後実施した実例を紹介しています。

生活道路対策エリアの取組(具体事例)>によると、物理的デバイスとしてはハンプの実証実験だけのようですね。シケインとか「狭さく」はないのでしょうかね。

 

ここでいろいろ書いてきましたが、私は横須賀で、2000年代初めに、ジグザグ道路に変更した実例を知っています。当時横須賀は、ネット情報を先進的に発信したりなど、さまざまな新しい試みをしていました。こういった交通政策も一つだったのでしょう。また、分譲地ではこれはたしか昭和時代の造成ですが、すでにハンプを埋め込んで一体的な道路として利用していました。多少は米軍基地からの風の便り?にも影響されたのでしょうか?先進的な気風がありました。

 

でも国交省の実証実験の対象外でしたから、具体例には取り上げられていません。

 

他の地域でもいろいろな交通対策を行っているところがあると思います。国交省の取り上げ方は少し先駆け事例に対して失礼な印象を抱きます。対策を提唱すること自体は望ましいことですが、先駆的な事例も丁寧に取り上げながら、各地に啓蒙してもらいたい思いです。

 

ちょうど一時間となりました。この辺でおしまい。

 

 

 

 


公共交通と自動運転 <自動運転 地方の挑戦 高齢者の足確保>を読みながら

2019-01-22 | 事故と安全対策 車・交通計画

190122 公共交通と自動運転 <自動運転 地方の挑戦 高齢者の足確保>を読みながら

 

最近バスに乗る機会がほとんどなくなりました。首都圏で仕事をしているときは結構利用していましたが、当地にやってきて毎日のようにマイカー運転をしているとバスは億劫になります。

 

以前はバスを待つ時間、バスに乗っている時間も当たり前と思い、適当に時間つぶしをしていました。でも当地にやってきてからバスを利用する選択肢がほとんどなくなりました。バスの本数もコースも都会に比べ極めて少ないことも原因かもしれません。

 

ダウンタウンと郊外とが峻別されている欧米のまちづくりと異なり、わが国のようになんとなく都市が傍聴した、散在しているという状況と、田舎ではあまりに狭小の集落が点在していることが要因かもしれません。バスやLRTなどの公共機関の配置が容易でないのはわかります。都市計画制度の問題か、交通政策の問題かなどと議論するより、現在の問題をクローズアップさせて個別のリアルな問題の解消に取り込む方が現実的なのでしょう。

 

とはいえコミュニティバスの配置や高齢者対応の料金無料などいろいろ対策を講じているようですが、通りで見かけるバスはたいていがらがらですね。なぜでしょう。原因は分かっているのでしょうか。コミュニティバスのあり方そのものを見直すのも必要かもしれません。多機能化というか、高齢者とか交通弱者が使いやすい、場の提供が必要かもしれません。

 

たとえばトヨタが新たに打ち出した、車を移動手段から多機能ツールにするといったコンセプトは、コミュニティバスこそ考えてもよいのではないでしょうか。

 

具体的なコンテンツというかサービス内容はいろいろあるでしょう。健康著寿に役立つ、あるいはガンに効果がある、笑いの提供も一つでしょうか。昔都電では即興的に落語漫才を話す人がいたような記憶?です。わざわざ芸人を呼ぶとお金がかかりますが、ボランティア?で音声だけ無料で流していいよといった芸人がでてもいい時代かもしれません。これは一つで、それこそそういったアイデアを競う大会を催すのも一興でしょうか。

 

そんなたわいない夢想をしたのは、今朝の毎日記事<自動運転地方の挑戦 高齢者の足確保/産業育成も狙う>を読んだからです。それと30分強で書き上げる必要があるから、簡単に書けそうな話題を考えたわけです。

 

最近は自動車運転というと、すごい勢いで技術開発が進み、世界の巨大自動車企業ですら単独ではできず、提携して研究開発を行うほど、競争も激しいし、費用も天文学的な?金額になりそうな気配です。それはIT大手なども参入しているからでしょうか。他方でテスラみたいなベンチャー企業は一足飛びで先行している雰囲気もありますね。ただ、未来の車は自動運転だけにとどまらない機能がないと評価されないでしょうからそれこそ想像力が試されるのかもしれません。

 

自動運転というのは、私のようにハンドルをもちたくない、景色を見たり本を読んでいたいなどと考える人間にとっては、ハンドルフリー後の世界が重要になると思うのです。それはまるでコミュニティバスの乗客と似通った部分があるようにも思えます。

 

この点を対比した形で、むろん私のような視点は意識しないで、記事は紹介しています。

< 全国の自治体で自動運転の実証実験が広がっている。国内外の自動車メーカーや米IT大手企業が、高速道路などで人が介在しない「完全自動運転」の実現を目指すのに対し、低速運転で人による「遠隔監視型」が多いのが特徴だ。主に過疎地での高齢者の買い物支援や公共交通機関の人手不足解消を目的とするが、新たな産業育成を狙う自治体もある。【小倉祥徳】>

 

そうあくまで自動運転バスの運営側として、遠隔監視型のあり方をとりあげているのです。

 

でも<1人が遠隔監視した2台の自動運転車が公道を走るという世界初の実証実験が2018年11月に行われた福井県永平寺町の河合永充(ひさみつ)町長は、自動運転実現に期待を示した。>という河合町長は先見の目がありますね。

 

<山間部で少子高齢化が進む同町では、永平寺近くを走る鉄道路線が02年に廃止された。実験はその路線跡地を活用。路面に埋設された電磁誘導線の上を走る方式のため、導入地域が限定され、最高時速も12キロとゆっくりだ。>

そうでしたか、昔永平寺を訪ねたことがありますが、あの電車も廃線となったのですね。だいたい最高時速12キロは立派です。移動できればいいのです。スピードがゆっくりだと安全ですし、車内でいろいろなことができますね。高速をめざすことだけが車の発展とは限りません。

 

ただ、残念なのは、あくまで移動手段としてのみ研究開発、実験を積み重ねていることです。トヨタが目指すように、車の機能は自動運転になった途端、次なる新たな機能が求められます。そしてコミュニティバスはいまその利用客の少ない厳しい現実に直面していて、トヨタ以上に切実な問題です。単に移動手段が安価で、誰でも利用できる時代から次の新しい機能が求められているのだと思うのです。

 

低速運転の社会はある意味、人間らしい移動機会の提供かもしれません。江戸時代、本来なら欧米のように馬車など速い交通手段を導入できたと思われます。基本、歩く世界を構築したことにより、豊かな文化を醸成することができたのではないかとふと思うのです。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。


車の進化とは <あいおいニッセイ同和損保/1 模索(その1)>を読みながら

2018-07-17 | 事故と安全対策 車・交通計画

180717 車の進化とは <あいおいニッセイ同和損保/1 模索(その1)>を読みながら

 

さきほど見出しの会社の担当者から、弁護士特約の事件処理の支払について連絡があり、ふとこの記事について書いてみたくなりました。最近は読書する気力が弱まり、またマスコミ情報への感覚もますます鈍くなり、ざっと読んでもぴんとこない状況が続いています。今回のようなきっかけでもないと記事も素通りしてしまいそうです。

 

さて今朝の毎日記事2面に、<変革第7部 あいおいニッセイ同和損保/1 模索>がシリーズものの企業変革の中で、あいおいが登場したのです。別に私はさまざまな保険会社の弁護士特約で回ってくる交通事故案件を扱っていますので、あいおい(略称)が特にどうのといったことはありません。この記事を見て、そうなんだと驚くとともに、損保会社も最近、ディスカウントのTVコマーシャルが激しく競い合っていますが、そろそろ新たな戦略を考える時期ではないかと思っていましたので、これもその一つかと思うのです。

 

ここでは東アジアにおいてライドシェアの急速な普及と経済合理的な車利用のあり方に注目し、わが国への導入を模索する「変革」の動きを追っています。

 

まず、あいおいの担当者は、その利用の仕方を自ら経験して述べています。

<2017年2月、シンガポール・チャンギ国際空港。あいおいニッセイ同和損害保険経営企画部(当時)の建守(たてがみ)進(44)は、走ってきた自家用車のナンバーを確認し、後部座席に乗り込んだ。行き先は告げなかったが、やがて目的地のホテルに到着。支払いをせずに降りた建守のスマートフォン画面には「25SGD(シンガポールドル、約2000円)」と表示されていた。>

 

決済方法も簡単です。

<利用したのは、一般の人が自家用車に客を乗せる「ライドシェア(相乗り)」。東南アジア最大手のグラブ(本社・シンガポール)が提供するスマホアプリに現在地と目的地を入力すると、近くにいる車が数分でやって来る。料金はタクシーより安く、アプリで自動決済される。>

 

車は所有するのが当たり前の時代が長く続き、レンタカーは旅行などで利用し、タクシーも普段の一時的な利用に便利ですが、免許制と事業参入が容易でありません。車の個人所有を前提とした損保会社の戦略も当たり前のように今日に至っていますが、今後も安定した所有者性が続くかどうか怪しいというのです。

 

<車を持たなくても、必要に応じてスマホで車を呼べば移動できる時代の到来。「我々が主戦場としているマイカー用の保険は減っていく」。>と担当者は今後を懸念したのです。

 

この主人公、建守氏、ライドシェアを支える構成員がどのような人たちでどのくらいいるのか、現場を見て唖然とするのです。

<雑居ビル1階にライドシェア(相乗り)の東南アジア最大手、グラブの「運転手登録場」があり、若者から年配者まで100人を超える人でごった返していた。「すごい熱気だ」。建守は目を見張った。 >運転手登録場という名称は飾り気のない名前ですが、その熱気がすごいのですね。

 

しかもその登録する人たちを構成する層が幅広く、いままでだと車を持てない、乗れない人でも可能となっているようです。

 <スマートフォンで名前や住所などを登録し、安全講習を受ければ運転手になれる。所得が低くて車を買えない人も多く、フロアに並ぶレンタカー会社のブースで借りる。今年6月、登録に来ていた元工場勤務のピーター(69)は「仕事と車を同時に得られる」と笑顔を見せた。>

 

これを見た<建守は「個人が車を買って保険を付ける時代は終わろうとしている」と感じた。>というのです。

 

自動車所有者を前提とする損保の仕組みから脱却する戦略を考える必要があると建守氏は考えたのですね。それは車所有者ではなく、ライドシェアのサービス事業体との資本提携という変革です。

<視察から8カ月後の17年10月。「個人が車を持たなくなり、自動車保険の契約相手は移動サービスの提供者になる。グラブとの関係を強化すべきです」。建守は東京・恵比寿のあいおいニッセイ同和本社会議室で、各部署の部長ら約30人にグラブへの出資を訴えた。>

 

しかし、大企業は腰が重いし、経済的な安定を好むわけですね。

<建守は部長級の会議で2回、出資の意義を強調した。だが、新興企業で赤字のグラブへの出資に、社内は慎重論が大勢だった。>

この状況を打ち破ったのはやはりトップです。

<迎えた11月10日の経営会議。慎重論は依然、根強かったが、終盤で社長の金杉恭三(62)が呼びかけた。「世界では新たなビジネスが急拡大している。挑戦しなければ生き残れない。腹をくくってやろう」。研究開発との位置づけで出資が決まった。>

 

その結果、すでに成果をあげているようです。

<関係強化が実り、あいおいニッセイ同和は今年2月、グループの海外法人を通じ、グラブが運転手に貸し出す4000台の車の保険を獲得した。金杉は4月12日、シンガポールのグラブ本社で経営幹部と握手を交わし、一段の関係強化を約束した。「グラブの保険をすべて獲得したい」。車業界の激変を乗り越えるため、金杉は意気込む。>

 

ま、東芝トップが米原子力企業を買収するような、突拍子もない(経済合理性をしっかり検討したとは到底思えない)判断とは異なり、このシステムは将来性もあり、すでに実績を上げているわけですし、しかも「研究開発」の位置づけですから、あいおいの本体が危うくなるような投資でないことは確かですね。

 

それはともかく、長々とこの内容を引用したのは、特段、この新たな車の共用方式が将来的に王道となるといったことで、取り上げたわけではありません。むしろこれは過渡期の方式であり、少なくとも車の所有という確固としたあり方に意識変革をもたらす点で、参考になるかなと思うのです。といっても、あいおいの今回の戦略も、車ごとに保険を付すことに変わりないようですので、若干の弾力的な運用を試みたものかもしれません。ま、いえば、レンタカーが始まった頃のようなちょっと先を読んだ程度かもしれません。

 

しかも上記の普及状況をみると、東アジアという途上国での事例であって、はたしてわが国にどこまで通用できるかとなると疑問です。わが国は別の意味で車の脱所有が進んでいるように思えます。また、車の安全性が自動運転で進化すれば、保険も必要なくなるのかもしれません(自動運転なんて怖いということが今世紀中に解決されるのでしょうか)。

 

どうも支離滅裂になりそうな雲行きで、そろそろ帰宅の時間となりました。今日はこの辺でおしまい。また明日。


ドラレコの活用と配慮 <橋本市 公用車設置のドラレコ映像、警察に提供>を読みながら

2018-06-28 | 事故と安全対策 車・交通計画

180628 ドラレコの活用と配慮 <橋本市 公用車設置のドラレコ映像、警察に提供>を読みながら

 

映像の威力というか、その効果は相当なものですね。以前、あるタイヤ盗難事件で、防犯カメラに撮影された映像が決め手となって逮捕された事件を担当したことがあります。被害者の方にお見舞いと示談の話のために伺うと、その防犯カメラは買ったばかりで、すぐに効果が出たとのことで、見せてもらいました。たしかに映像にはしっかり被疑者の盗難の様子や被疑者を特定する車両番号が映っていました。動かぬ証拠ですね。

 

それから相当経過していますので、ますますこういった映像はクリアになってきていると思います。むろん関係ない人が道路を歩く姿も映っているので、それを問題にする考えもあるでしょうけど、公共の場での姿は合理的な範囲で撮影も許容されるのではと思います。むろんその映像を利用する場合は犯罪の証拠など必要性・合理性がないとプライバシー保護との権衡を損ねることになるでしょう。

 

さて動く動画、ドライブレコーダーも、飛躍的に増えているようです。私は以前の車につけていましたが、今の車にはつけていません。迷いましたが、最初は時折、後から見ていましたが、すぐに飽きてしまい、その後は一度も見たことがありません。むろんこれは滅多に起こらない交通事故の検証には役立つでしょうと思いますから、人には勧めるのですが、今のところ躊躇しています。全方位カメラでいいのがないのですね。このことは以前にも書いた記憶があるので、これ以上は触れないことにします。

 

今日の話題はそのドラレコの活用です。毎日朝刊和歌山版では<橋本市公用車設置のドラレコ映像、警察に提供 かつらぎ署と協定「動く防犯カメラ」活用>との見出しで、取り上げています。

 

<橋本市は27日、公用車に設置したドライブレコーダーの映像提供に関する協定を橋本、かつらぎ両署と結んだ。市町村と警察署レベルでの提供協定は県内で初めて。【松野和生】>

 

<昨年12月定例議会で議員からレコーダーを「動く防犯カメラ」として活用する提案があり、個人情報保護についても検討した上で協定を結ぶことになった。現在所有する240台のうち200台が設置済みで、19年度末までに全車に搭載する。>

 

<協定では、市は犯罪や事故が起き、警察の依頼があった場合に映像を提供する。併せて公用車を運転中の職員が犯罪・事故情報を知った場合、速やかに警察へ通報する。>

 

なんとなくいいことづくしにも聞こえますが、さてさてどの程度効果が上がるのか、期待しつつ注視してみたいと思います。

 

というのは、まず市公用車搭載のドラレコ映像の提供と言うことですから、仮に全車両としても240台ですから、情報提供が限られているという印象です。また、市公用車は市内各地を回っていると思いますが、それでもあらゆる場所をというよりは割と決まった場所への移動が多いのではないでしょうか。しかも夜間というか、通常の勤務時間外だとさほど運行しているとは思えません。その意味で、場所・時間の点で情報が限られるのは仕方ないでしょうね。

 

犯罪に加えて事故が発生した場合に警察から依頼があれば情報提供する仕組みですから、犯罪に関わる情報がどこまで提供できるかは別として、巡回など回っているだけで犯罪予防効果になることは考えられますね。交通事故を含め災害などの事故の場合も警察権が発動するような場合対象になるのでしょう。

 

ただ、気になるのは、たとえば物件事故のような場合、警察ではほとんど記録として事故原因を特定することができるような情報を収集保管していないので、情報提供は期待できません。ところが交通事故の物件事故ではそういう場合に警察が入手した記録を利用できると当事者にとっては大助かりとなるに違いありません。別に弁護士に依頼しなくても保険会社担当者がドラレコを入手できれば、相当程度決め手になる可能性があるでしょう。

 

他方で、地震・洪水・土砂崩れなどの災害の場合でも、災害事前対応で発生前、発生後に現場にかけつける公用車も少なくないと思いますので、そのとき災害発生の前兆、たとえば擁壁に亀裂があったとか、水位がどの段階であったとか、さまざまな情報を分析するのに有効な情報になる可能性もあるでしょう。それが業務上過失を検討する上で役立つかもしれません。

 

とはいえ、やはり物量的には少ないですね。あまり監視社会になってはいけませんが、公共の場での活動はある程度、撮影されることはドラレコの普及も相まって、多くの方から支持されているように思うのです。そうであれば、さらに進んで、宅配便や郵便車両などより広範な活用を検討してもいいのではないかと思うのです。その場合に警察による利用をすべて警察内部と情報提供者間で決めるのではなく、第三者的な監視機関によるその利用について検証する仕組みも必要かと思います。

 

最近、橋本市管内は刑事事件の件数が減ってきている?のではないか、平穏な社会になりつつあるのではないかと思いながらも、橋本市と各警察署の取り組みは評価したいと思っています。とはいえ、その活用のあり方についてはプライバシーへの配慮をどのようにはかるか制度的担保をしてもらいたいものです。

 

違った使い方では、ドラレコ映像を抽出して、防災的視点、観光的視点などさまざまな角度から行政が検討することも意味があるように思いますし、また、地域懇談会などで活用することも意義があるのではと思っています。これをうまく活用するにはAIの活用が必要かもしれません。人海戦術だととても大変かも・・・

 

と野暮な話をしました。この辺でちょうどいい時間となりました。おしまい。また明日。