たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

古代渡来人 <奈良・市尾カンデ遺跡 ・・渡来人定住、4世紀の可能性>を読みながら

2018-11-29 | 古代を考える

181129 古代渡来人 <奈良・市尾カンデ遺跡 ・・渡来人定住、4世紀の可能性>を読みながら

 

新たな遺跡が発見と報道されると、途端に血気盛んになるほど、古代史や考古学といったものに関心があるわけではないですが、それでもどんな発見かと関心はもっています。

 

今回は毎日の昨日の朝刊記事のようですが、私は見逃していました。タイトルは<奈良・市尾カンデ遺跡国内最古の大壁建物跡か 渡来人定住、4世紀の可能性>というものです。

 

遺跡名も初めて聞く名前で初心者クラスではあまり知られていないのではと思ってしまいます。だいたい「市尾」という地域名も初めて知りました。明日香の遺跡群を訪れる場合でもあまり通らないところではないでしょうか。

 

それでもなんとくなく興味を抱きますね。それはこの遺跡の時代と場所です。

 

記事は<奈良県高取町教委は27日、同町市尾の「市尾カンデ遺跡」で、古代朝鮮からの渡来人特有の「大壁(おおかべ)建物」と呼ばれる建物跡が見つかったと発表した。>と大壁建物遺跡をまず取り上げています。

 

<年代は大壁建物としては国内最古の4世紀末~5世紀初めまでさかのぼる可能性があり>ということで、そのことが<渡来人が朝鮮半島からやってきた時期を巡る議論にも一石を投じそうだ。>ということのようです。

 

その時期については、<近くで見つかった土器の分析から遺跡は4世紀末~5世紀初めの可能性があるという。>土器分析で年代を推定したようですね。

 

そしてやはり建物の形状・大きさが特徴です。<大壁建物は溝に立てた柱の間に土を塗り込めて壁にするのが特徴。町教委は今年7~11月、約1000平方メートルを発掘し、建物跡とみられる幅約50センチの溝や直径30~40センチの柱穴を16棟分確認した。>柱穴の大きさからかなりの規模を想定できそうですし、それが16棟分となると、当時としてはその建物規模をあいまって、あまり類例がないほどの集団性ではないでしょうか。

 

<渡来人が日本に来た時期については、雄略天皇時代(5世紀後半)との見方が多い>ということですが、5世紀後半には朝鮮の王族もやってきて、わが国の大王との関係性も議論の焦点になっていると思います。

 

ところで、今回の発見では、4世紀後半に渡来人が来たことをうかがえるというのは面白いですね。日本書紀や朝鮮に残る広開土王碑から、一つの可能性として倭といわれていた日本の軍が朝鮮半島を攻め、高句麗の広開土王から反撃を受けて撤退し、その際、朝鮮の人の一部がわが国に渡来したかもしれないと思っています。西暦390年代後半でしょうか。

 

書紀では神功皇后が神の託宣を受け、魚か何かに乗って船群を連れ朝鮮半島に一挙に攻め入り、朝鮮の人たちは直ちに降伏したような夢物語になっていますが、前記碑の方が説得力が高いというか、比較するのもおかしいくらいかもしれません。

 

ただ、神功皇后は、少なくとも書記の世界では大活躍しており、しかも各地にその伝説が残っています。なにせその子、応神天皇は、仁徳天皇とか著名な天皇名の父親ですし、その後血縁者がいなくなったときもその五代目の子孫として登場する継体大王にとっては唯一の命綱みたいな人ですから、母としても凄いのです。

 

で、書記では、神がかりで朝鮮征伐?をしたという、神功皇后が朝鮮から何も持って帰らなかったような感じで、今度は倭国内の内戦の話に展開しますが、仮に朝鮮に渡ったとすると、朝鮮からの渡来人も結構来たのではないかと推測するのです。むろん神功皇后かどうかは別にして。

 

だいたい神功皇后については、何人かの皇后(こういう名称も当時は存在しなかったので?ですが)を一人として、また一時にまとめてしまっているとの見解もあり、それも興味のそそる考えです。

 

ただ、神功皇后が紀ノ川上流の隅田八幡宮に国宝となった人物画像鏡を下賜されたという伝承があり、そのすぐ東方には紀ノ川から吉野川に名前が変わり、ちょうど飛鳥やさらに纏向に通ずる道があったと思われるのです。すると高取町市尾付近はその途中ともいえますし、高取町付近は渡来人が住んでいたとされる地域の一つですね。

 

書記には神功皇后が紀ノ川を遡ったとか、五条付近からヤマトに入ったといった記載はありませんが、そもそも書記の内容には信頼性の乏しいものですから(以前にも少し触れましたが不比等が藤原氏の基盤固めのために創作したという見解も魅力的です)、上記の議論もそもそも成り立たないかもしれませんが、ちょっと今回の4世紀後半の渡来人、高取付近に住んだ痕跡という発見で、ふと浮かんだ考えを書いてみました。

 

もう少し突っ込んだ話をするつもりが、どうも頭の整理ができそうもありません。不完全燃焼でした。おつきあいありがとうございます。

今日はこの辺でおしまい。また明日。

 

 


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (omachi)
2018-11-30 19:07:53
もう読まれましたか、
歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めます。北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。 その1からラストまで無料です。夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、 既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレにも最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。平城京遷都を主導した聖武天皇の外祖父が登場します。古代の政治家の小説です。気が向いたらお読み下さいませ。(奈良のはじまりの歴史は面白いです。日本史の要ですね。)

読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
ネット小説も面白いです。
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