たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

奈良公園のあり方 <差し止め求め提訴「歴史的風土と相いれない」>などを読みながら

2018-12-12 | 公園の持つ多様性と活用 管理と責任

181212 奈良公園のあり方 <差し止め求め提訴「歴史的風土と相いれない」>などを読みながら

 

今日の毎日ウェブ記事に<奈良公園ホテル 差し止め求め提訴「歴史的風土と相いれない」>との見出しを見ながら、そういえば奈良公園はいいところだったなと思いつつ、その公園の範囲とか文化施設がいろいろあったように思うのですがはっきり思い出せません。

 

たしかに整った自然が豊かで、ちょっと普通の「都市公園」の範疇に入らない、いい印象が残っています。

 

東京都内に多くの造形美の優れた都市公園がありますが、それとは異なるより自然な印象を感じたものです。こういった印象は大阪ではまず感じません。京都でもそれほど感じません。やはり奈良の特徴でしょうか。

 

さて記事を見ると、<奈良市の奈良公園の南端にホテルを整備する奈良県の計画は都市公園法などに違反しているとして、周辺住民ら56人が11日、荒井正吾知事に対し建設差し止めなどを求めて奈良地裁に提訴した。>

 

都市公園法違反とは珍しいですね。などとなっていますが、他はなんでしょう。<県は土地を貸し出して宿泊・飲食施設を整備することを決め>とされていて、この施設が問題と言うことです。

 

なにが問題かについては<公園の一部なのに施設はごく限られた人しか利用できず、都市公園の目的に反するなどと指摘。>と都市公園の目的に反するというのです。

さらに、<「巨大で近代的な建物は、周辺の歴史的風土とは相いれない」とも主張している。>とのこと。

 

後者は都市公園法自体にはそのような限定がないので、風致地区条例(どうやら指定地区のようです)とか、あるいは古都法の規制地域でその趣旨に反するというのでしょうか。あるいは奈良公園が名勝であり、文化財が多くあって一体として歴史的風土を形成していることから、その本質を脅かすといったことでしょうか。これは風致地区条例とか、文化財法違反ということでしょうか。

 

ところで、都市公園を舞台にした訴訟と言えば、思い出すのは70年代後半の日比谷公園事件です。といってもこれは公園内の施設が問題になったのではなく、公園横に、富国生命ビルや有名なプレスセンタービルなどの日比谷シティ街で、高層建物が計画され(特例措置で容積率・建ぺい率がアップして当時としては超高層建物になりました)、それが公園利用者の眺望・景観を侵害するといった理由で、建築工事差止め仮処分申立をした事件がありました。結局、訴訟適格が問題となり、原審は反射的利益に過ぎないと門前払いしたのです。これに対し、控訴審では、公園管理は管理者の権限で、公園利用者には差止め根拠となるような権利・利益はないとしつつ、一定の場合に妨害排除請求ができるとした点が当時話題になったと思います。この後段部分が里道利用者の妨害排除請求などとともに、環境訴訟では取り上げられる要素をもちつつ、実際に採用された例は残念ながらあまり聞きません。

 

私はプレスセンタービルとか、富国生命ビルとか、建設後よく利用させてもらっていたので、あまり不満はないのですが、公園散策をしていると気になる存在でしょうね。日比谷公園自体、ご存知のとおり明治時代に作られた人工公園ですが、日々の管理員の努力で木々はまるで自然のような力強さを持っています。葉っぱをかき集めて大事にしているのを見ていると、人工による都市公園としてはなかなかのものと思っています。テニスコートとか不似合いと思いながらも、まあ銀座のすぐそば、霞ヶ関街で憩いの場としては許容範囲かなと思ってしまいます。その他都市公園をめぐる訴訟なり保全事件なりありますが、さて奈良公園事件にぴたりというのは知りません。

 

少し前の214日付け毎日ウェブ記事<奈良公園ホテル建設計画県の説明不十分 日本イコモスが提言 /奈良>では、<文化遺産の保存に携わる「日本イコモス国内委員会」(東京都)は13日、市民に十分な説明などを求める提言を発表した。>

 

さらに<計画では、建築物が景観との調和に努めていることなどからおおむね理解できると評価。一方で、県主導のため、一般的な文化遺産の保存活用の事業よりも強い模範性や公共性が求められると指摘した。事業が同公園の保存などにどう役立つのか説明が不十分としたほか、専門家による歴史的建造物の十分な調査なども求めた。>とのこと。

これに対し<県奈良公園室は「真摯(しんし)に受け止めて対応を考えたい」としている。【新宮達】>というのですが、どのような対応をこれまでしてきたのでしょうか。この後がフォローされていないのでしょうかね。

 

その前昨年の1226日付け毎日ウェブ記事<奈良公園ホテル建設計画反対住民意見書 不許可求め /奈良>だと、都市公園法違反の趣旨が少し推測できます。

<意見書によると、都市公園法では高価格の宿泊料を前提とした施設は想定しておらず、許可は公衆の自由な利用という都市公園の目的に反するなどと主張している。>

 

それぞれごもっともな意見です。他方で、都市公園法自体、時代に応じて変化しており、裁量の幅と説明責任、十分に議論したかといった手続き的公正さがどこまで議論できるか気になるところです。また、訴訟では本論に入る前に権利・利益主体の問題が大きな壁となるので、どう闘うか検討をみたいですね。

 

621日付け記事では<県有地、宿泊施設整備にお墨付き 文化庁が現状変更許可 /奈良>で、<国の名勝に指定されている奈良市の奈良公園の県有地2カ所で県が進める宿泊施設などの整備計画について、県は20日、文化庁に申請していた公園の現状変更が許可されたと発表した。>ということで、文化財保護法の名勝指定にされている<奈良公園>の同法43条の現状変更許可がされていますので、この許可の適法性も問題にするのでしょうね。

 

これに対し、<服審査請求へ 文化庁に反対住民 /奈良>では、<整備計画に反対する弁護団が発足し、団長の田中幹夫弁護士(84)らが6日、県庁で記者会見した。田中弁護士は「住民の意向を聞かないなど、県の行為に対して法的に争う」と述べ、手始めに公園の現状変更を許可した文化庁に不服審査請求を行う考えを明らかにした。>とありますが、この不服審査請求の結果はどうなったかウェブ上では分かりません(まあ却下だったのでしょうか)。

 

と続けるとまだ記事がありましたので、この程度にして、最後に計画の概要の部分だけ取り上げます。

 

昨年35日付け記事<奈良公園ホテル建設計画古都の雰囲気、シカと継承>で、<奈良県は14日、奈良公園(奈良市)内の県有地(約3ヘクタール)に、和風の大型宿泊施設を整備する計画を発表した。開発業者に「森トラスト」(東京)を選定。インバウンド(訪日外国人)を含む観光客の取り込みを狙い、東京五輪開催前の2020年春の開業を目指す。>とあります。計画面積とか施設内容が変更したのかもしれませんが、現段階のものが明らかでありません。

 

<提案書によると、開発コンセプトは「奈良らしさを世界へ」。新国立競技場の設計で知られる建築家の隈研吾氏が建築デザインを担当する。庭園や知事公舎などは保存する一方、低層の建物を一部新築し、最高級の国際ホテルやレストランなどを整備。客室には、吉野杉や伝統技術を取り入れる。>と表現はなかなか魅力的ですが、奈良公園というものにふさわしいかとなると、気になりますね。

 

この点、神宮外苑でのオリンピックスタジアム建設とは大きく違うでしょう。絵画館前のイチョウ並木も見事な人工美ですが、基本的にさまざまな人工施設が配置されていて、自然豊かとはとてもいえないところ(というと失礼?)で、大議論になった元の計画の異様さは議論になっていいと思いますが、決定された計画は割合周囲と適合しているのかなと思います。でも奈良公園となると低層であっても、また公園利用の趣旨ともどう折り合いをつけるか、難しい問題があったことはうかがえます。

 

奈良の弁護士は、60年代には古都の文化的価値、景観的価値を守るために立ち上がっていますので、道は険しくても、まあ全国的な先駆け的存在ですので、今後の訴訟活動に期待したいと思います。

 

今日はこのへんでおしまい。また明日。


箱根の今昔 <ブラタモリ 箱根の温泉がNo.1になった理由とは?>を見ながら

2018-10-07 | 公園の持つ多様性と活用 管理と責任

181007 箱根の今昔 <ブラタモリ 箱根の温泉がNo.1になった理由とは?>を見ながら

 

昨夜は久しぶりにブラタモリを楽しみました。場所が箱根と言うことで親しみ深いですし、地質的特性も興味深いです。ブラタモリで学んだ分もありますが、背景の箱根湯本駅などを見ながら思い出すこともありました。

 

テレビドガッチというウェブ情報では放送前日に<タモリも思わず「素晴らしい」連発!箱根の温泉がNo.1になった理由とは?>とアップしています。そこに放送内容の概要が紹介されています。

 

箱根はいま、日本一の温泉地ということで、なにが日本一かというと、<年間温泉入湯客数>という客観的な数値で、なんと<553万人>だそうです。たしか箱根の観光客は年間2000万人とか言われていたように思いますが、ま、ざっと4分の1ですか。温泉に入らない人もいるのですね。実は素通りが結構多いのです(これは番組では取り上げていませんでした)。

 

その問題を箱根町や神奈川県は長年取り組んできており、以前、私自身は国立公園管理の問題(過剰な公園内交通問題)として少し検討したことがありますが、今日は取り上げません。

 

とはいえ、箱根は首都圏の居住者にとっては(とくに年配者?)、格好の温泉地でしょうか。私も毎年12回は家族旅行で通っていたように思います。先輩の弁護士の中には40年以上夫婦で年数回通っているという人もいましたが、熱海・伊豆とは違うよさがありますね。名前が話題になった強羅も、ある研究会でその一画にある企業保養地を利用させてもらいなんどか温泉と研究討議の場として訪れました。

 

ところで、湯本という名前は全国にありますから、箱根湯本と通常言われていますね。ただ、町の名前は箱根町湯本で、駅名としてあるくらいでしょうか。ブラタモリでも紹介されていましたが、駅前にはお土産屋さんが一杯で、温泉はごくわずか、早川と須雲川の合流点のたもとに元々温泉源が古代からあったとか。

 

江戸時代は温泉番付では前頭と、有馬などに比べて格下だったのですね。当時は温泉場というの湯治場だったわけですね。それを改革してある種観光地巡りのようにしたのがブームを呼んだようです。箱根湯本の福住旅館に大切に保管されていた<「七湯の枝折(しおり)」>という巻物に、<枝折は、湯本、塔ノ沢、堂ヶ島、宮ノ下、底倉、木賀、芦之湯という古くからある箱根の7つの温泉、それぞれのお風呂の入り方を書いたルールブック>といった内容が書かれているのです。

 

それが現代版のツアーガイドブックになって全国的な?評判を呼んだようです。描かれた絵には、男女混浴で、隠すこともなく裸のママで入浴、むろんタオルなどは持ち込み禁止だったのでしょう。

 

そのことは幕末期から来日した多くの西欧人が驚いた様子で、それぞれ描いていますね。当時の日本人は、入浴するために裸になることは、公衆浴場で混浴も自然な営みで、浴場外で外国人が訪れたりなにか面白い見物があると、裸のママ外に出ることも、破廉恥ではなかったようです。おおらかだったのでしょうね。

 

登山鉄道のスイッチバックは鉄ちゃん族には興味深いかもしれませんが、地質族?には早川中流域の宮ノ下当たりが噴火で飛んできた火山灰などが滞積した後、河川の浸食でのこったわずかな平地というのは興味深いですね。ただ、宮ノ下もなんどか温泉に入りましたが、たしか旅館のケーブルかなんかで降りていくとても急傾斜地の底付近にあったような記憶です。

 

やはり強羅が面白いですね。目の前にそびえる早雲山が山体崩壊して流れてきた土地ということで、石があちらこちらにごろごろしていたことから、名付けられたとか。で、ここからが今日の本題に入ります。

 

ブラタモリでも解説がありましたが、分譲地として強羅が開発されたのですね。しかも一区画500坪という当時としても大規模な区画です。そのうえフランス式庭園まで備えるというのですから、いくらVIP相手と言ってもやることがすごいですね。

 

この開発前身は地元に人がいたと思いますが、結局は西武王国をつくった堤康次郎氏が、20世紀初頭に世界的流行となった田園都市構想を、強羅分譲地開発を始めた頃、次々と目白、麻布、広尾など山手線内はもちろん大泉学園や国立など首都圏各地で西欧風田園都市開発を繰り広げたのですね。これは神奈川では東急との開発競争となり、熾烈な戦いとなりました。

 

ところで、箱根では道路・鉄道・バスなど交通をめぐる「箱根山戦争」と呼ばれる紛争が、小田急との間で1950年頃から10年余にわたり熾烈な争いとなりました。

 

小田原駅では、両者のバス会社が乗客を奪い合う状態で、さらにバス同士もぶつかるほど接近したりして、物騒な状況があったそうです。

 

でも、最終的には両者ともけんかをやめて仲良く、箱根周遊旅行を楽しめるようにしてくれました。小田急線の箱根湯本駅を見たり、登山鉄道やロープウェイなどを見ていますと、平

 

この箱根戦争は獅子文六著『箱根山』で熾烈な争いを描いているそうで(まだ読んだことはありませんが)、評判になり、映画(なんと加山雄三さんが星由里子さんと共演)にもなっているのですね。

 

そして「戦争」も終わり、平和の中の賑わいという「宴」も一段落した今、箱根は国立公園として改めて、そのあり方が問われているのだと思うのです。いつかかける状況が整ったら取り上げてみたいと思います。

 

今日はこのへんでおしまい。また明日。

 


風と文化 被害と公園管理 <方丈記や風の又三郎>と<公園内落枝被害で判断別れた裁判例>を少し考えてみる+補足

2018-09-12 | 公園の持つ多様性と活用 管理と責任

180912 風と文化 被害と公園管理 <方丈記や風の又三郎>と<公園内落枝被害で判断別れた裁判例>を少し考えてみる

 

台風による被害は予想以上に大きかったようです。TV映像で流れると風の威力を改めて感じさせてくれます。

 

このような風の力、その威力については、古代からあったと思います。最近?では方丈記で鴨長明が次のように被害状況を具体的に取り上げていますね。

 

また治承四年卯月廿九日のころ、中の御門京極のほどより、大なるつじかぜ起りて、六條わたりまで、いかめしく吹きけること侍りき。三四町をかけて吹きまくるに、その中にこもれる家ども、大なるもちひさきも、一つとしてやぶれざるはなし。さながらひらにたふれたるもあり。けたはしらばかり殘れるもあり。又門の上を吹き放ちて、四五町がほど(ほかイ)に置き、又垣を吹き拂ひて、隣と一つになせり。いはむや家の内のたから、數をつくして空にあがり、ひはだぶき板のたぐひ、冬の木の葉の風に亂るゝがごとし。塵を煙のごとく吹き立てたれば、すべて目も見えず。おびたゞしくなりとよむ音に、物いふ聲も聞えず。かの地獄の業風なりとも、かばかりにとぞ覺ゆる。家の損亡するのみならず、これをとり繕ふ間に、身をそこなひて、かたはづけるもの數を知らず。この風ひつじさるのかたに移り行きて、多くの人のなげきをなせり。

 

宮沢賢治は風を「風の又三郎」冒頭で巧みに表現していますね。

 

どっどどどどうど どどうど どどう、

 青いくるみも吹きとばせ

 すっぱいかりんもふきとばせ

 どっどどどどうど どどうど どどう

 

とはいえ、やはり農民にとっては大変だったことを「雨ニモマケズ」で出だしに艱難辛苦の対象のごとく指摘していますね。

 

 雨ニモマケズ

風ニモマケズ

 

でも日本人は基本、昔から風や雨という自然を大切に思い、その名称も多様な表現で、まるでお友だちのように共生して生きてきたように思います。

 

だいたい有名な枕草子でも次のように見事におもしろきものとして描写していますね。清少納言は虫でもなんでも自然を楽しんでいたようですが、風もまた様々に表現して楽しんでいるようですが、その一部だけにします。

 

風は 嵐。こがらし。三月ばかりの夕暮にゆるく吹きたる花風、いとあはれなり。

 

八九月ばかりに、雨にまじりて吹きたる風、いとあはれなり。雨のあし横ざまに、さわがしう吹きたるに、夏とほしたる綿絹の、汗の香などかわき、生絹の單衣に、引き重ねて著たるもをかし。この生絹だにいとあつかはしう、捨てまほしかりしかば、いつの間にかうなりぬらんと思ふもをかし。あかつき、格子妻戸など押しあげたるに、嵐のさと吹きわたりて、顏にしみたるこそいみじうをかしけれ。

 

文学の世界に限らず、<風の名称辞典>のように、ほんとに日本人の感受性の豊かさを風の名称から感じさせてくれます。

 

とはいいながら、人間社会は風による被害があると、そこは漱石の「草枕」冒頭の有名な下りのごとく、なかなかやっかいです。

 

知り合いからこの台風被害について法律相談がありました。隣家の外壁取り付けベランダが台風で飛ばされて自分所有の倉庫を損傷したというのです。それぞれ被害を受けているわけですが、やはり自分所有の物件が被害を与えたとなると、お見舞いというか、一言謝るくらいは礼儀ではないかと思うのです。それを放置されたこともあってこういう相談になったようです。

 

全米オープン大会で優勝した大坂なおみ選手のように、責任がなくても謝罪する心の豊かさが日本人の中に失われつつあるように思うのです。

 

ところで、法的な対応ですが、一般論としては、工作物責任の範疇ですから、「工作物の設置又は保存に瑕疵」があったかどうかの問題となり、通常有すべき安全性があったかどうかが争点となりますが、設置から相当期間経過してこれまでどうもなかったということですので、異常な暴風により外壁からはがされて飛んでいったと一応は考えることができるでしょう。

 

実際、台風の暴風警報が出されていたと思います。当地でも最近経験しないほどの突風だったように思います。とはいえ、地形やいろいろな条件により局所的にどの程度の風速だったかは、はっきりいえないでしょうが、観測地点でのデータは残っているので、その場所での記録は確認できるでしょう。

 

他方で、建築基準法などの法令で、外付けベランダの設置基準なりあるのか、ちょっと調べたのですが、どうもはっきりしたガイドラインもないように思われます。ベランダの素材自体のJAS基準くらいはあるでしょうけど、暴風への耐性などの安全性を担保する基準ははっきりしません。ましてかなり以前に設置されたもののようですので、当時あったとはおもえません。通常有すべき安全性を欠いているということはなかなか主張するのが大変でしょうね。ましてやあの暴風雨が吹き荒れた頃のようですから(むろんその因果関係が問われますが、ま、常識的には争いにくいかなというところです)、これを法的責任の問題にするのは容易でない、ただ具体的な設置状況とか、壊れた物件をみないと確定的なことは言えないといった回答となりました。

 

そんなことからふと、工作物責任の裁判例を調べてみようかと思い、判例データを検索したところ、ベランダの事例は見つからず、他方で、国家賠償責任の事例がたくさんでてきました。おそらく近隣同士だと話し合い解決がほとんどで、裁判まで発展する例はごく希でしょうし、仮に裁判になっても和解解決が多いでしょうから、裁判例としてはなかなかでてこないかもしれません。

 

それで国立公園内の事故で、最近の裁判例として落木・落枝による事故の事例で、まったく異なる判断がでており、それが暴風の影響か否かも一つの要素となっていることから、普通の風と法的責任を免れうる異常な風などを少し検討してみたいと思います。

 

一つは十和田八幡平国立公園内の奥入瀬渓流遊歩道落木(落枝といってよいでしょう)事件で、これは国賠が認められました。もう一つは尾瀬国立公園内の尾瀬ヶ原木道落枝事件です。

 

同じく遊歩道・木道での落枝による被害事件、しかもいずれもブナの枯れ木であるにもかかわらず、前者は国・県に対し約1.9億円の賠償責任を認め、後者は責任を否定したのです。

 

前者の裁判例は東京地裁平成18年判決(出典・判タ1214号175頁)、東京高裁平成19年判決(一審から約4500万円増額、出典・判タ1246号41頁)で、後者は福島地裁会津若松支部平成21年判決(出典・自保ジャーナル1816号181頁)です。

 

私自身、両方の国立公園内をなんどか散策していますので(後者は日弁連調査でも訪れました)、だいたいのイメージはつかめますが、掲載されている判決上は場所が特定されていないので、具体的な事故状況は今ひとつはっきりしません。

 

争点はいろいろありますが、瑕疵に絞って簡潔に取り上げたいと思います。なお、自然のブナ木が工作物かという問題については、民法717条2項で「竹木の栽植又は支持」も工作物と同様に扱われていて、「支持」についても実際に支持する措置があるかないかを問わず、自然に生育する立木は対象となるとの裁判例がほぼ確定していると思われます。

 

ではどこに違いがあったのでしょう。法規制はここでは省略しますが、ほぼ同じ規制がかかっていて、自然林の保護が最も求められる地域となっています。

 

私なりに簡潔に整理すると、次のように言えるかなと思います。

1は事故現場付近への利用者のアクセスが容易であったか否か

2は落枝したブナ木が利用者の頭上を覆っていたかどうか(落下するリスクの範囲内に滞在する場所があったかどうか)

3は暴風など異常な気象条件であったか否か

 

前者の奥入瀬渓流落枝事件では、1について、国道に隣接して休憩所を設置し、そこから奥入瀬に下る階段をもうけるなどしたほか、遊歩道やその近くにベンチを置いて、多くの観光客が容易に立入散策できるようにしていたことを指摘されています。

 

2については、これを肯定しています。落枝したブナ木のそばにベンチを設け、被害者もブナ木の下付近で昼食をとろうとしていたとされています。

 

3については「晴天でほぼ無風状態であった」として、気象の影響はなかったことを考慮しています。

 

他方で、後者の尾瀬ヶ原木道落枝事件では、前者の裁判例を意識してと思われる判断を次のようにしています。

 

1について、尾瀬地域への入山が容易でないことを次のように指摘しています。「入山には登山靴等の装備が必需品とされ、本件事故現場は徒歩による最低数時間の旅程を要する場所に位置している」として、前者の奥入瀬渓流との違いを指摘しています。

 

2については、「本件事故現場付近は特に観光客が休憩等により立ち止まる状況にはない」としたうえ、「本件ブナが本件木道から約6メートルの位置にあり、本件枝が本件木道上にかかっていたとは認められない」として、木道上を歩く利用者に危険の及ぶ状況にはなかったと指摘しているようです。また、枯れ木伐採の必要性がないかのような視点で、「雄大な自然をあるがままの状態で享受することをその目的として訪れるもの」と利用者の目的も配置しています。

 

3については、この風速や天候を極めていろいろなデータを活用して、事細かに言及したうえ、「最大瞬間風速が10メートルを超える状況が長時間続き、最大瞬間風速が18メートルに達する時もあったという通常とは異なる悪天候で、本件枝が本件木道に落枝したのは、本件ブナが枯木であったことも一つの要因ではあるが、その主たる要因はそのような気象状況下での強風によるものと認められる」として、こういう悪天候での落下事故の防止までの安全性を備えることは社会的に期待されていたとはいえないとしてます。

 

この後者の判決については、なにか無理な論理を感じてしまいます。だいたい風速データ自体、本件事故現場から近いところで6km離れていて、地形・環境条件がどの程度一致するのかすら不明で、どこまで根拠にできるか疑問です。環境アセスメントでもよく問題になりますが、このような判断では困ります。

 

それに仮に風速データを判決のごとく認定したとしても、その程度の風速が当該地域でこれまでなかったのか指摘がありません。14kmも離れたデータについては指摘しているにもかかわらず、判示の基礎にしたデータについては言及していません。

 

判決が指摘する上記風速が異常な悪天候といえるのか、それすら吟味されていないように思います。今回の台風21号に比べるとたいした風速とは思えません。このブナ木は高さ20mもある巨木で長い年月を風雪に耐えたことがうかがえます。この程度の暴風はなんども経験したように思われます。

 

気象条件の特殊性に、安全性の基準を緩和するのはどうかと思うのです。だいたい当該地にこの程度の風速の風が吹いたことも明らかでなく、落枝の原因も判示のように暴風を主因とする根拠があるとはおもえません。

 

だいたい、尾瀬に入山する人は特殊とか考えること自体、いかがなものかと思います。むろん奥入瀬渓流よりは容易に立入ができます。しかし、枯れ木の落枝との関係で(これこそがキーポイントだと思います)、その危険性を予見できるかどうかといった観点から言えば、利用者の立入の容易さは重視されるべきでないと思います。

 

尾瀬に入るくらいだと、誰でも可能です。もちろん子どもも、高齢者も。木道を歩く人はほとんどが登山服を着ているかもしれませんが、木を見るというより、水芭蕉とか、湿地やその景観を楽しむ人が大半で、特別、危険を冒す思いで入山する人はまずいないでしょう。観光客といってよいと思います。

 

他方で、どのような場合に、原生自然的環境を保護しつつ、危険を予見して伐採なり、枝払いなりしないといけないかは難しい問題です。私は多くの利用者を立入を認める以上、リスクの回避も、一定程度負うべきと思っています。それには維持管理費用が膨大にかかると思いますが、国立公園の適切な保全保護には本来、多額の費用をかかるのですから、カナダの多くの国立公園のように利用料をとって、対応すべきかと思います。

 

その意味で、前者の奥入瀬渓流落枝事件で国賠の責任が認められたことは妥当と思います。ただ、その賠償額が妥当かというと、当該事件で被害者にはまったく過失がなかったということのようですから、通常の損害額としては問題ないのでしょう。しかし、国立公園で最も自然状態を維持することが求められる地域で発生した落枝事故の場合、立入を無償にしていることや安全管理に多額の費用がかかることを考えると、賠償の範囲として、介護費用は除くことはできませんが、逸失利益や慰謝料について一定の制約があってもいいのかなと思うのです。こういった議論はないでしょうが、オールオアナッシングでは、こういった事故の解決法としてどうかと思うのです。

 

今日は久しぶりに長文となりました。あまり体調がよくなかったのですが、途中である事件の和解成立が確定し、別の事件の報酬支払の連絡が入り(ほんのわずかですが)、気分も少しよくなり、なんとか適当な裁判例の整理を最後までやりとげることができました? 今日はこれでおしまい。また明日。

 

付け足し

 

これを書いて帰りながら、なにか大事なことを忘れていたことが気になりました。

 

一つは枯れ木と生木の違いについて、風力の影響です。

もう一つは事件後伐採されたこのブナ木のことです。

 

簡単にします。樹木の枝を払ったりした経験があれば分かるのですが、生木の重さは相当なものです。人の体はたしか年齢にもよりますが60~70%が水分で高齢化すると50%とともいわれます。木もそうですね。針葉樹と広葉樹で違いますし、樹齢が長いと水分比率も少なくなりますね。針葉樹は普通40%から50%とも言われます。広葉樹、とくにブナの木は水分が豊富ですからきっとそれ以上ではないかと思います。

 

昔ボルネオで先住民が広葉樹の巨木(胸高径1m弱)を伐倒して造林しているとき、水しぶきがどっと出ました。いかに水分をためているかを感じました。

 

私がスギ・ヒノキの枝打ちをしているとき、その枝はたかだか数m、直径5~7cm程度でも、その重量たるやとても持てないほどです。葉っぱがぎょうさんついていて、水分もため込んでいるからでしょう。とても重いのです。

 

でこの枝の重さですが、尾瀬ヶ原(尾瀬沼かもしれません、場所特定がありません)木道そばのブナの枯れ木については、木道からの距離、枝の径や長さは認定しながら、重さはまったく無視しています。それでいて風速については、異常なほどさまざまなデータ、文献で、異常な風速だったとしていることが、最初に違和感を感じたのです。

 

枯れ木はときに無風状態でも折れますし、むろんちょっとした普通の風でも折れます。それに木道からの距離が5,6mといっても、生木の枝だとそこまで飛ぶのは重さから言って、相当の風速を想定でいますが、枯れ木の場合、水分がほとんどないのと、枝に葉っぱがないので、かなり軽量です。ちょっとした普通の風でも十分飛ばされる距離だと思います。まして高さ10mの位置にあったらこの程度の距離は物理的に普通の風速で到達する距離として不思議でないと思います。

 

私はこの視点は無視できないと思っています。判決が科学的データをいろいろ上げていますが、その根拠の観測地点との違いも明確でなく、他の周辺の枯れ木などの枝折れの有無・量も検討されていません。異常な風速だと、生木も含め、幹さえ倒れる被害はどこでも起こります。そういった検討が十分されていないことに審理の不十分さを感じます。

 

もう一つのポイントは、自然の権利です。ま、ここでアメリカの自然の権利闘争史や裁判例を上げるのは遠慮して、このブナの枯れ木の巨木をただ、伐採したことだけ言及しています。

 

枝が折れて人が亡くなったことから、当然視する考え方もあるかもしれません。しかし、それは尊厳死などで高齢者の命のあり方を見直すのと同様(ま、違いますが)、木の命のあり方を、どのような議論で対応するか、もう少し検討してもらいたかったと思います。枯れ木となった木の命を奪う場合にも適正手続を保障するシステムを考える時代ではないかと思うのです。

 

20数年前、カナディアン・ロッキーの国立公園内でキャンプ中に熊に襲われて死亡者が出ましたが、そのときも熊が捕獲され射殺されましたが、大きな議論となりました。対象の特性が大きく異なりますが、そのときも手続が議論されていました。

 

わが国においても、自然生命体に対するさまざまな対応について、その結果と対象の価値のバランスや、手続の公正さを考える必要を感じています。

 

この補足を書き出すと、かなり長くなりそうですし、内容的にもう少し整理しないといけないので、この程度とします。

 

 


公園計画リニューアル <四季の郷公園 再整備、市が計画公表 農業、里山体験施設に>を読んで

2017-12-02 | 公園の持つ多様性と活用 管理と責任

171202 公園計画リニューアル <四季の郷公園 再整備、市が計画公表 農業、里山体験施設に>を読んで

 

今日は大阪からの帰りが遅くなったため、このブログも残り30分程度でまとめて終わりにしたいと思います。

 

さて今朝の毎日は、昨日の天皇退位の時期から新元号、さらに平成天皇がこれまでにされてこられた全身全霊を言葉でなるべく取り上げるようにしています。またこの間にあったさまざまな出来事も。

 

その内容については、ひとそれぞれの思いがあるでしょう。それとは異なる小さな記事を取り上げたいと思います。

 

四季の郷公園再整備、市が計画公表 農業、里山体験施設に 和歌山> 和歌山版で石川裕士記者が取り上げています。

 

和歌山市がこういった取り組みをしているのを初めて知りましたが、興味深く読みました。

 

<和歌山市は、同市明王寺にある市営農業公園「四季の郷(さと)公園」について2022年度のリニューアルオープンを目指し、計画を公表した。既存の建物を生かしつつ、農産物直売所やレストランを広げ、農業体験や里山作りも楽しめるよう体験型観光の拠点として再整備する。>

 

この公園自体は90年代初頭に整備されているのですね。<四季の郷公園は「自然と農業のテーマパーク」として1991年に開園。25・5ヘクタールの園内は「自然観察の森」と「緑花果樹苑」の二つのエリアに大別され、動植物の標本・写真を展示する「ネイチャーセンター」、果樹園、子供向け遊具のある広場などが整備されている。>

 

なかなか意欲的なテーマパークですが、当時はリゾート法で全国各地にテーマパークづくりを各自治体が競って大々的な計画を打ち出し、その後バブル崩壊で、北海道・夕張市よろしくあちこちで閑古鳥の鳴く施設が残っていますね。

 

それに比べると、和歌山市は自然を中心として、農業との融合型という、割と地味ではあるもものの、地域特性を活かしながら費用対効果を勘案する内容になっているようにも思えます。

 

ただ、開設当初の具体的な内容はよくわかりませんが、時代に応じて計画内容を変更していくのが本来ですね。で、<15年には約8万人が来園し、市は「遊具遊びやウオーキングなど公園としての利用がメイン」と分析。「整備当初の農業振興や農家育成を図る交流拠点などとしての活用が十分でない」と判断し、施設の老朽化も踏まえ、大規模な再整備を決めた。>

 

そのような視点自体は理解されるところではないでしょうか。

 

さてその整備計画案ですが、<基本計画では園内を用途ごとに、農業体験ができる「農触れ合い」▽里山の間伐体験を楽しめる「自然体験」▽レストランや農産物直売所がある「味覚」--の三つのゾーンに再編成する。>

 

一見すると、どこにでもあるようなゾーン区分ですが、果たして具体的なものはどうでしょう。

 

<農触れ合いゾーンでは、約6000平方メートルの果樹園を拡充し、収穫体験できる果物も現在のブルーベリーのみから、イチゴ、ブドウも加える。自然体験ゾーンでは、同園周辺が産地となっているタケノコの栽培体験や竹を使った体験型イベントを充実させる。味覚ゾーンでは、郷土料理の提供や地元農産物の販売を予定し、バーベキュースペースも設ける。>

 

これもまた、ある意味ではどこにでもあるような内容のようにも見えます。いや、中身が違いますよと言われるかもしれません。当該計画書自体がどのように公表されているのかわかりませんので、それを見てからさらに検討する必要があるでしょう。

 

ただ、強いて言えば、このような計画案自体、特定の専門家によって作られるのではなく、市民参加をさまざまな形で取り入れながら、計画案づくりをすることこそ、将来の利用増大にもつながるように思うのですが、その手続き自体どの程度公開され、民主的に行われたのでしょうか、気になります。

 

法的根拠はいったい何でしょうかね。都市公園法の制度の中には、基本は施設整備を中心としていて、農業や林業体験なんかは含まれません。90年度から開始した、都市計画区域外で可能な<特定地区公園(カントリーパーク)整備事業>があります。91年開設というのですから、この事業なのでしょうか。

 

和歌山市もウェブ情報などで、より積極的に広報をする必要があるように思うのですが、いまの情報提供状態はかなり消極的な姿勢が感じられます。ザッと見た感想なので、いや他の自治体に劣らず積極的な広報をやっていますよと具体的に指摘いただけると助かります。

 

たとえば、上記の計画書自体、重要であるにもかかわらず、すぐに見つかりませんでした。ちゃんとPDFで提供していますということでしたら、探し方が悪い私に問題がありますが。

 

私が見つけた<「四季の郷公園レストラン及び農産物直売所サウンディング型市場調査」の実施について>も内容自体、あまりに簡素ですね。これで利用者、市民への広報として十分なんでしょうかね。

 

別に和歌山市に文句を言うつもりはありません。ただ、公園事業というのは市民にとってはとても大切なものですし、和歌山市の魅力にもつながるものです。それが魅力的なものになれば、いま話題のカジノ賭博事業などに比べても、宣伝力や県外からの入り込み客数だけでなく移住者数増加効果において、劣らないやり方があると思うのです。

 

でも今回、毎日記事に載った程度だと、同種の事業を行っているのとの差別化というか、より有効性が期待できるのか、わかりません。それは一つにはどのような主体が関わるかにもよるでしょう。行政の場合ノウハウが十分でないですし、これまでの指定管理者もおそらくそういったノウハウをもっていないのではないかと思うのです。各地で実践してきた事業者の知恵を借りるなりして、今後の計画案の詳細化をはかってもらいたいです。

 

30分となり、帰宅時間となりました。今日はこの辺でおしまい。又明日。


国立公園考 インバウンドと公園システムの役割

2016-11-29 | 公園の持つ多様性と活用 管理と責任

161129 国立公園考 インバウンドと公園システムの役割

 

今朝の毎日・オピニオンでは、「インバウンド時代の国立公園プロジェクト」を「地方創生、基幹産業に」といった趣旨の意見が掲載されていました。

 

すでに環境省が、政府のインバウンド施策の一環として、725日、「国立公園満喫プロジェクト」の対象として、日本国内にある33箇所のうち、8つの国立公園を選定して発表していますが、それを受けた意見かと思います。

 

私自身も、国立公園制度には興味を持ち、国内各地を訪問したり、北米ではカナダの東西10箇所程度、アメリカは主に西海岸を訪ねたことがあります。各国の国立公園制度は相当異なり、比較制度論はこれまでも結構議論されてきたかと思います。それは横に置いて、少し私の体験を語ってみたいと思います。

 

とくにカナダの国立公園では、バンフ・ジャスパーは例外ですが、ほとんどが自然そのままのような状態で保全されている印象です。訪問者も個人ないし小グループでその自然の中にすっぽり包まれている様子を感じます。たとえば荒涼たる自然もあれば、潮位の高低差で地球の営みを感じたり、ただただ灌木が続く道をひたすら走るといったある種、単一の生態を経験することもあります。いずれにしても人が多数訪れ、お土産物を買ったり、ホテルで宿泊したりといったことはないと思います。といってもロッキー山脈の東西では、スパが自然の営みのごとく河沿いにこっそりあったり、あるいは大規模な人工のプール状のものがあったり、それなりに日本的な観光もありますが、カナダの国立公園としては例外だと思っています。むろんバンフ・ジャスパーのような高級リゾートホテルやお土産物店などは例外中の例外だと思います。

 

で、基本的に、公園内は、入園料をとり、レインジャーによる案内説明が一般的な体験システムではないかと思います。このような入園料は公園の保護管理に使用されています。で、その保護システムこそ、国立公園の基本的な枠組みではないかと思います。交通計画も重要で、バンフ・ジャスパーのように基幹道路が真ん中を走っている例はないと思います。とはいえ、バンフでも交通が渋滞したりするような入れ込み数が過大にならないよう抑制策も採っています。とりわけ基幹道路以外の道路は少なく、そこへの入り込みは制限されているのが普通ではないかと思います。このような保護と利用はゾーニングを通じて行われ、公園計画に基づきますが、それが住民参加の徹底した議論で行われるところが基本です。

 

わが国の公園計画も基本的にはそのような形式をとっていますが、実態は大きく異なると思います。計画内容自体、一般に理解されにくいようなものと思います。たとえば、普通地域、3種の特別地域、特別保護区その他さまざまなゾーニングは、はたしてどれだけの利害関係者が承知しているでしょうか。まして利用者のほとんどは自分がいるところがどのようなゾーニングで利用規制があるか知らないというのが実態ではないでしょうか。わが国の計画制度は、国立公園はもとより、都市計画、農業振興計画、森林計画その他、多様にありますが、いずれもその内容を知っているひとはわずかではないでしょうか。その計画自体を見たことがない人も多いと思います。首都圏でも自分の宅地がどのような都市計画のゾーニングで規制がどうなっているかを知らない人が大半という印象です。

 

さて、首都圏で身近な冨士伊豆箱根国立公園は、公園指定が36年で、今回のプロジェクト対象となった公園と同時期の老舗ですが、なぜか除外されています。その入り込み数が年間1.1億人(2010年)と極めて多いですね。私も毎年数回はいっていました。しかし残念ながら、車両乗り入れが自由で、しかも単に通り抜けするだけも相当の量で、なんら制限がありません。公園のコアもバッファーも配慮されていないと言わざるを得ません。公園内普通地域には観光ホテルなどが林立していますが、はたして景観的配慮が幾分でも考慮されているか、疑問を感じます。

 

それに比べて、今回対象となった8つの国立公園は、それほどの入り込み数もなく、一定の改善があれば、国立公園の魅力を生かしつつ、インバウンドを増やせるかもしれません。

 

とはいえ、国立公園を拠点的にプロジェクト化しても、いままでの観光スタイルのように、それぞれをルートで回る、観光ツアーでは本来の国立公園の魅力を体験できるか、また保護施策と両立できるか疑問が残ります。

 

国立公園の魅力を体験するには、一定の期間滞在して(場合によって公園外の施設で)、専門のインタープリターによる案内・説明がインフラとして必要と思います。現行の環境省の人的体制では、自然保護官は許認可作業と言った事務処理に追われ、北米のようにインタープリター的役割も、また、違法な自然物の採取・捕獲・破壊を防いだり摘発するといった外部での指導監督的作業がこなされていません。

 

東南アジアやオセアニアでも国立公園制度は、英連邦の制度を導入したところでは、こういったレインジャー制度が確立していて、公園内の行動規制もしっかりしています。インバウンド数の増加を国立公園プロジェクトとして実践しようとするのであれば、地域住民の参加を得て、抜本的な見直しが必要ではないかと思うのです。

 

その場合、国立公園周辺にある魅力あるさまざまな取り組みとネットワーク・連携を行って行くのでなければ、国立公園のみ浮いてしまうことになるでしょう。場合によっては、自然の魅力を増すために、夜間営業を制限し、闇の世界を提供するとか、パークアンドライドをより一層徹底するとともに、電気自動車による走行などを行うとともに、維新時訪問した異邦人が感嘆した、礼節と親切、笑顔といった真の「おもてなし」を含めサービス、日本人らしい凝ったさまざまな食品・商品の提供など、多様な仕掛けを地域全体で取り組むことにより、地域の未来に向けた社会改革にもなりえるように思うのです。

 

国立公園システムは、1872年にイエローストーンが指定されましたが、本来の自然保護的な意味では、ジョン・ミューアが1890年ヨセミテで提唱して産声を上げ、野性的なセオドア・ルーズベルト大統領が確立したものといってもよいかもしれません。わが国はわずか60年ほど遅れて1934年瀬戸内など3箇所が第1号指定されていますが、制度的な確立のないまま、戦後整備されたものは一次産業や観光業の圧力に押されて、保護的な面が後退してきたといわなければならないと思います。

 

そういう意味で、今回のプロジェクトは、世界基準を目指すのであれば、新たな公園システムを再構築するチャンスになるかと思っています。そして日本流の「おもてない」の伝統をうまくベストミックスしてもらいたいと思います。