たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

揺れる嫡出推定 <受精卵無断移植 父子関係を認定・・奈良家裁>を読んで

2017-12-16 | 家族・親子

171216 揺れる嫡出推定 <受精卵無断移植 父子関係を認定・・奈良家裁>を読んで

 

今朝の毎日記事では、来年度予算以外では、奈良家裁の判決が大きく取り上げられていました。たしかに最近の受精卵移植数の増加傾向を見ますと、この種の問題も増えてくるでしょうし、法整備が整わない中、家裁としても判断に悩むことかもしれません。

 

さて毎日朝刊は1面に<受精卵無断移植父子関係を認定 「同意必要」も指摘 奈良家裁>と、社会面に<受精卵無断移植訴訟 「父親だと思えない」 子見かけ揺れる男性>とかなり大きく取り上げています。

 

記事を引用しながら考えを会見ようかと思います。

 

<凍結保存していた受精卵を別居中の妻が無断で移植し、出産したとして、奈良県の外国籍の男性(46)が生まれた女児(2)と法律上の父子関係がないことの確認を求めた訴訟の判決で、奈良家裁は15日、訴えを却下したうえで父子関係を認める初判断を示した。>

 

そして<渡辺雅道裁判長は「移植には夫の同意が必要」と指摘する一方、同意がなくても、妻が婚姻中に妊娠した子は夫の子と推定する民法の「嫡出推定」が適用されるとした。>

 

訴訟技術的には、嫡出推定が適用されれば、嫡出否認の訴えを提起すべきです。その推定が適用なければ、こんどは親子関係不存在の確認訴訟を提起できます。

 

ですから争点は、①受精卵移植に夫の同意が必要かどうか、②それを欠いた場合には嫡出推定が適用されないかどうかという点に集約されますね。

 

<男性側は「別居し、移植に同意していないため適用されない」と主張していた。>

 

で、判決は①について、<体外受精などの生殖補助医療で生まれた子と夫の父子関係が認められるには、夫の同意が必要と指摘。凍結受精卵は長期間保存できるため、「作製・保存に同意したとしても、移植に同意しないことがありうる」として、移植時の同意が必要とした。>というのです。

 

もっともかもしれません。受精卵の作製・保存に同意したからといって、具体化する移植の時点との間に時間的なスパンがありうることから、そのような判断は合理的ではないでしょうか。

 

さてもう一つの嫡出推定について、奈良家裁は<「法律上の親子関係を早期に安定させることが必要」として判決は嫡出推定を重視。男性が当時、妻と旅行をするなど交流があったため「夫婦の実態が失われているとはいえない」とした。>ということです。

 

判決の事実認定では<判決によると、男性は2004年に日本人女性(46)と結婚。不妊治療を受けるために奈良市のクリニックに通院した。10年に体外受精で複数の受精卵を凍結保存し、11年に一部の受精卵を使って長男を出産した。しかし、夫婦関係が悪化して13年に別居。女性は14年、男性に無断で残りの受精卵を移植し、15年4月に女児を出産した。男性は昨年10月に女性と離婚した。>と、別居は破綻状態でなかったとして、上記の判断に導いています。

 

さて嫡出推定はこれでよいのかについては、戦前の家制度の残滓といった批判などもあり、さらに最近の医学の発展、離婚の増加に加えて複雑な男女関係から、廃止を含めた改正への動きはなんどか出てきたかと思います。

 

無国籍問題もこの嫡出推定を前提にして生じている現象ともいえます。私自身もそういう相談を受けたことがあります。受精卵移植の相談を受けたことはありませんが、記事によるとすごい数に至っているのですから、今後同種の問題は起こりうることかと思います。

 

< 体外受精は、2005年には約12万5000件実施され、約1万9000人が生まれた。15年には3倍の約42万件で約5万1000人と過去最高を更新した。

 他にも、▽夫以外の精子を妻の子宮に注入する人工授精▽夫の精子や夫婦の受精卵を使い、妻以外の女性が出産する代理出産--など多様化。新たな課題も出ている。>

 

裁判例も出ていますね。

< 第三者の精子で生まれた子について大阪地裁は1998年、夫の同意がなかったとして夫との父子関係を否定、法律上の父がいない事態が生じた。

 夫の死後に夫の凍結精子を使って妻が出産したケースでは、最高裁は2006年、父子関係を認めず「立法で解決すべきだ」と指摘した。>

 

では現場の医療機関はどうなんでしょう。

<父子関係を認定 意思の把握難しい 久慈直昭・東京医科大教授(生殖医療)の話>では

<判決が、受精卵の移植時にも同意が必要と指摘したことは評価できる。一方で、移植のたびの同意は負担で、医療機関にとっても管理が課題になる。保存期間が過ぎても連絡がない場合があり、移植の意思があるか把握するのは難しい。期間を決め、連絡がない場合は廃棄するなどのルール作りが必要だ。>とのこと。

 

当然、受精卵の移植時に夫の同意を確認するでしょうけど、夫が用でこれないと、第三者が代筆して似たような筆跡で書けば、医療機関としても、筆跡の同一性まで求められるのは耐えられないかもしれません。

 

別居中の夫婦の場合に、離婚届を勝手に出されないように、役場に不受理申出をする扱いが一般ですが、それと同じような感じで、受精卵の保管医療機関に移植不同意の申出を受ける処理も必要かもしれませんね。

 

でもこういった小手先の解決でよいのかという問題でもあるでしょう。そもそも嫡出推定制度は、子どものためにあるといえるのでしょうか。嫡出と非嫡出子の相続分の差別的取り扱いを違憲とした最高裁大法廷決定があるものの、いまなお従来型の婚姻制度・嫡出制度は残存しています。

 

しかし同性婚や事実婚が増えて、程度の差はあれ社会的存在が確立しているともいえるかもしれません。他方で、離婚・婚姻・離婚といった身分関係の複雑さも増してきているようにも思えます。それは江戸時代から普通だったのではないかと思ったりしています。

 

嫡出推定により、子どもの身分関係が安定し子どものために有効といったことは一つの見方であっても、それが常に当てはまるとは思えないのです。

 

おそらく嫡出推定があることで、今後も無国籍の子がでてくるでしょう。それは例外的なこととして、子どもの成長に大きな影響がないといえるでしょうか。他方で、受精卵移植の普及から、受精卵の多様な移植形態が想起でき、従来通りの嫡出推定が働いてよいのか、疑念を起こるのではと思うのです。

 

この事件では04年婚姻時に46歳だった女性が15年に別居中、夫の同意を得ず、57歳で二人目の女児を出産していますが、夫としても別居中ということもあるでしょうけど、高齢化の手前でこれから2人の子を育てるというのはなかなか大変です。

 

夫婦の円満な関係が永遠であればいいのですが、無理矢理に嫡出推定という制度では、別離の危機が潜在するこの時代、子の幸せは、婚姻中の夫婦の子と決めつけるのは、そろそろ遣唐使直す時期に来ているかもしれません。

 

今日はあまり乗り気でないこともあり、簡潔に(少々長くなりましたが)終わらせます。また明日。

 


生死をかけたレース <NHK 世界で最も寒く過酷なレース カナダ・ユーコン700km>を見て

2017-12-16 | 人間力

171216 生死をかけたレース <NHK 世界で最も寒く過酷なレースカナダ・ユーコン700km>を見て

 

このNHKBSグレートレースが好きな番組の一つです。気づけば大抵録画して、後から見ています。どれも素晴らしいの一言。人間の可能性と自然の雄大さ・厳しさを満喫できます。しかもお茶の間で。この年になるともう見るだけですね。一昔前ならもしかしてというきもちも湧くかもわかりませんが。見るだけでエンジョイです。

 

このレースでは基本的には人力のみを頼りにしますが、道具は動力付きを除外するものの、結構多様ですね。むろんカヌーあり、パラグライダーあり、スキーあり、マウンテンバイクありと、それぞれがもつ魅力も味わえます。

 

女性のレースや参加者も強者というか、強靱な精神と忍耐強さ、そしてずば抜けた体力を持っていて、どのレースも素晴らしいです。ただ、強いて言えば、NZのレースではちょっと残念な感じはありました。カヌーをパドリングするのですが、日本人参加者はそれまでのずば抜けた身体能力を発揮しながら、いずれも素人の域をでていないパドルさばきで、ちょっとカヌーを甘く見すぎている印象を受けました。とはいえ、それ以外はすばらしいできで、完走し見事でした。

 

さて、タイトルのレース、そういえば以前にも取り上げています。私自身がユーコンや北極圏に少しこだわりがあるためでしょうか、つい取り上げてしまいますが、他のレースもとても面白いので、今度は取り上げるような見方をしてみます。

 

さてユーコンはなぜ魅力を感じるかですが、やはりカヌーイスト野田知佑さんの影響が大きいでしょう。彼はユーコン川を何度か下っていると思いますが、その津わー体験を著した『ゆらゆらとユーコン』といったタイトルだったと思いますが、とても雄大で、ゆったりした、それでいてグリズリーやサケなどとの触れあいを通じた彼の厳しくも優しいまなざしは魅力溢れるものです。

 

それで20数年前ようやく待望のユーコン川をほんの少し下りました。レンタルのシーカヤックしかなかったので、それで切り立った峡谷を一人でのんびりと下りました。カヤックの楽しみを満喫できる川ですね。

 

ただ、レンタル会社の若い人に連れられて河川敷でカヤックに乗り込もうとしたとき、先住民イヌイットの老人が一人形相を変えてやってきて、なにやら怒鳴り散らし、今にもつかみかかってきそうな勢いでした。訳がわからず言葉もわからず(若い人はすでに当時言葉を失っていたイヌイット語のようでした)、少し当惑しました。しばらくして怒鳴り散らした後、その老人は立ち去りました。レンタル会社の若者にどうしたのか聞くと、どうやらこのユーコン川は自分たちのテリトリーだとして、勝手に入ってくるなといって抗議していたようです。酒を飲んで眼も血走り、ひとりぼっちでした。先住民の少なくない男性は、彼のように酒浸りで、仕事もたとえば猟銃使用を禁止されたりして、病気になっていく人が少なくないようで、何人かの女性イヌイットから聞き取りました。残念な事です。

 

それは20数年前のことで、そのころから先住民にも自分たちの言語教育が始まり、いまはだいぶ違ってきているかもしれません。

 

もう一つ私の体験に触れますと、このユーコン準州の首都ホワイトホースまで、BC州北部西海岸にあるプリンスルパートからたしか泥道を一日1000km走り続け、途中、宿泊先もなく、白夜のような、少し白みがかった夜、車中泊をした記憶があります。道路上ではクマと対面したり、大きな野鳥がいたり、いろいろ遭遇がありました。そしてやっとでてきたパンアメリカンハイウェーはホワイトホースへ一本道でした。

 

ハイウェーというのできちんとした舗装した道路かと思いきや、砂利道で砂埃であまりぱっとしない道路、これはゴールドラッシュ時代にアラスカを目指して一攫千金を狙った人たちが通ったのだから、それらしい雰囲気でいいかと思ってしまいました。

 

ただ、そのハイウェイから遠くを望むと、針葉樹が地平線一杯に広がり、その先に三角形の頂の山がぽつんと浮かび上がる景観は見事でした。

 

そんなユーコンですが、たしか夏場に訪れたので、のんびりした気分しか覚えていません。で、このグレートレースは膨大な流量を誇るユーコン川が凍結した「道」をコースにして、マイナス40度前後の激寒を700kmも走り抜くというのですから、これはもう私などは太刀打ちできるようなものではありません。

 

私はカナダ滞在中、中古車のため時々エンジントラブルに遭遇し、その都度、修理工場で修理してもらっている間、バスで研究所に通っていました。そのバスを待つ時間が脅威なのです。せいぜいマイナス20度から30度、寒風が強いと10度くらい下がります。それでせいぜい対応できるのが私の場合5分か、10分です。なんどか胸を突き刺されたような痛みを感じたことがあります。それまでそのような厳しい寒風にされされた経験を持たなかったためでしょうか。

 

でもこのグレートレースでは、それに近い状態を700kmも続けるのですから、他のグレートレースも厳しいですが、人間の体力の限界という意味では最大レベルではないかと思うのです。ま、私の場合ははじめから降参です。

 

ながながと余談が前置きになりました。さてレース本番に入ります。

 

レースは31名エントリーで、完走できたのは12人。これだけみても厳しさがわかりますね。日本人も一人、柿沢さんという若い方がエントリーしていました。この激寒に耐えるため、冷凍室を借りて訓練までしていましたが、残念ながら凍傷のおそれがあり、途中棄権しました。

 

私はトップ3人の勇者と、2人の女性を取り上げたいと思います。トップはイタリア人の道路清掃を行っている還暦アスリート、エンリコ・ギドニーさん。2番目はエンリコさんと終始トップを争った地元カナダの写真家・デレク・クロウハマクさん(40代?)。そしてイタリア人で弁護士のハノさん。この3者の闘いは壮絶で、それでいてお互い配慮し合いながら、度重なる絶望的な状況を突破して完走しています。

 

ハノさんは、他の二人がマウンテンバイクであるのに、また過去走りでトップを取った人がいない中、ランだけで頑張り続けました。それでも途中で両足のふくらはぎなどがぱんぱんに腫れ上がり、歩ける状態でなかったにもかかわらず、休養を取った後あえて一歩を踏み出しました。

 

その理由は、自らの意思もあるでしょうけど、ワイフに言われてと健気に語る姿がよかったです。日々の練習では、妻に小さい子どもの世話を任して深夜遅くまで行っていた、妻子の思いやりをおもんばかって、ワイフの意見に答えようというのです。そして厳しい寒さの中では、2歳?の娘がようやく発した言葉を自分で発して、勇気を奮い立たせていたというのです。なにかうれしくなる話しです。人の心が自然の厳しさの中でも、あるいは社会の厳しさの中でも耐えうる、支えになるのが何かを示してくれているようにも思えます。

 

デレクさんは地元の写真家で、厳しい条件をよく熟知していることや、若さもあり、最後まで表情に余裕があるので、彼が一番になると思っていたら,途中でそれまでの無理がたたって、動けなくなり、途中泊で予想外の長時間睡眠となり、挽回できませんでした。

 

そしてやはり一番驚いたのは還暦選手・エンリコさんです。とりわけ彼は、バイクのチェーンが凍結して動かなくなり、それでもあきらめず、何十キロも先にある中継点を目指すのです。そこまで行くと、自転車部品メーカーに連絡できるというのです。その中継点にそんな部品があるのかと思っていたら、そこから連絡して、待つこと12時間ようやく部品が到着したのです。え、これからトップを目指して走るのと驚きです。でも彼は自信というか、すばらしいエネルギッシュな、不屈の闘志を持っていました。

 

彼の言葉はいくつも心に残るものでした。いま自分が行っている清掃という仕事に満足していない、しかしそのマイナスエネルギーやストレスがかえってこのレースで集中してプラスのエネルギーになるというのです。ものは考えよう、というどこかで聞いたようなセリフがふと浮かびます。彼のもう一つの言葉、ちょっと失念したのですが、その不屈の精神を支えるような、穏やかな心の中を吐露したような内容でした。

 

さて、最後に二人の女性です。一人はなんと4人の子どもを世話する主婦で、イギリス人のクックロジャスさん(60前でしたか)。年齢的に最後のチャンスとしてこのレースを選んだそうですが、たしか5位くらいではなかったでしょうか。主婦強しです。イギリス人の富裕層の女性は知りませんが、一般の女性は主婦でもパートなどで共働きが多く、とてもしっかりしてるように思うのです。彼女のこの極寒レースに耐えうる体力は並大抵のものではないと思うのです。

 

そして忘れてならないのは、最年少の29歳の女性、地元ガイドをしているジェシーさんです。彼女は、レース開始まもなく、途中で寝袋に入っている男性を見つけ、どうしたのかと声かけるのです。他の選手は先を急いでその脇を通り抜けます。彼女は泰然として、その男性がおなかの具合が悪い、これ以上続けられないというのを聞いて、大会本部に連絡して、レスキュー隊を待つのです。1時間以上でしたか、2時間くらいでしたか。ずっと経って待っているのですから、当然、極寒で体調にもよくないですね。私には到底まねできません。

 

レスキューが来て対応するのを見て、出発した彼女、当然ながら最後尾となりました。その後次第に順位を上げ、完走も遂げ、たしか11位(後ろから2番目?)でしたか。これは立派です。ご両親でしたかゴールで待ち構えていましたね。いい娘さんをもって幸せですね。

 

グレートレース、厳しいですが、人間ドラマもとても興味深いです。

皆さんも機会があったら、たくさんのレースのどれかを楽しんでみてはどうでしょう。むろん見るだけでなく、チャレンジもいいでしょう。