たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

子が育つ環境のあり方 <男性保育士 おむつ替え、是か非か>を読んで

2017-01-31 | 家族・親子

170131 子が育つ環境のあり方 <男性保育士 おむつ替え、是か非か>を読んで

 

今朝も昨日ほどではないですが、次第に冬が遠のいていく風情を感じます。最近まで凍てついた田畑の土と草はホワイトブラウン色か、明るい透き通るシルバー色でした。今朝はダークブラウンになりつつ、あちこちでグリーンの彩りが目立つようになりました。カナダ中部では6月頃にならないと見ることができず、長い冬を感じますが、その待ちに待った鮮やかな変化をとても楽しみにしていました。

 

ところで、兼行法師は春をどうみていたのか少し気になって、徒然草に当たってみましたが、西行や良寛のように、あまりそのようないわゆる日本的情緒感が私にはうかがえませんでした。たとえば第166段では

 

人間の、営み合へるわざを見るに、春の日に雪仏を作りて、そのために金銀・珠玉の飾りを営み、堂を建てんとするに似たり。その構へを待ちて、よく安置してんや。人の命ありと見るほども、下より消ゆること雪の如くなるうちに、営み待つこと甚だ多し。

 

春に雪仏、ま、雪だるまをつくるようなものと、人の何かを一生懸命作り上げる姿を無益だとでもシニカルに批評しているのでしょうか。これでは待ちわびた春を楽しんで興じる遊びも喜びも、兼行法師的にはつまらんということでしょうか。それと同じが世間の文明なり当時での近代化努力なのでしょうか。

 

もう一つ、兼行法師が子どものことを語っていないか確認したのですが、これまたあまりないようで、世の無常を説いた人らしいというか、当時の子どもに対する思いやりがあまり見えてきません。とはいえ、親鸞のように幼くして両親を亡くし、心配した親族が9歳の彼を仏の道に入らせるわけですが、その後天台座主となる慈円に得度してもらっているわけで、やはり親族は子を大切に育てようとしていたことがうかがえます。

 

ところが、兼行法師は、あまり触れていない世の中の子への接し方について、あるいは子の成長についても、上記に類似した無常観を示しているように思えるのです。第188段です。

 

或ある者、子を法師になして、「学問して因果の理をも知り、説経などして世渡るたづきともせよ」と言ひければ、教のまゝに、説経師にならんために、先づ、馬に乗り習ひけり。輿・車は持たぬ身の、導師に請ぜられん時、馬などへにおこせたらんに、桃尻にて落ちなんは、心憂かるべしと思ひけり。次に、仏事の後のち、酒など勧むる事あらんに、法師の無下に能なきは、檀那すさまじく思ふべしとて、早歌といふことを習ひけり。二つのわざ、やうやう境に入いりければ、いよいよよくしたく覚えて嗜みけるほどに、説経習うべき隙なくて、年寄りにけり。

 

これはなんでしょうね。その子は一生懸命、仏教徒の道を歩もうと努力しているのですが、世間との付き合い上、その時々に習い事を研修することに努めていくうちに、仏教そのものを学ぶ機会を失って生涯を終えるという、当時の世慣れした仏教界を皮肉ったのか、子どもの生き方を危ぶんだのか、ふと考えてしまいます。

 

この段で兼行法師は、ではどうしたらいいかという観点で、次のように言っています。

 

されば、一生の中、むねとあらまほしからん事の中に、いづれか勝るとよく思ひ比くらべて、第一の事を案じ定めて、その外は思ひ捨てて、一事を励むべし。一日の中うち、一時の中にも、数多の事の来たらん中に、少しも益の勝らん事を営みて、その外をば打ち捨てて、大事を急ぐべきなり。何方をも捨てじと心に取り持ちては、一事も成るべからず。

 

また、最後にも

 

一事を必ず成さんと思はば、他の事の破るゝをも傷むべからず、人の嘲りをも恥づべからず。万事に換へずしては、一いつの大事成るべからず。

 

たしかに一生の大事を見いだせば、その子はそれに邁進し、充実した人生を送れると思います。しかし、それはほんとに叶うことか、多くの人は一生悩むのではないかと思うのです。悩まないで生きるのもいいですが、悩み続けるのも、人間ではないかと思うのです。

 

千日回峰行を2度行った酒井雄哉大阿闍梨のことばは、なにか一所懸命に大業に精進するときも、終えた後も、同じような気持ちで歩き続けている用事思えるのです。彼の「人の心は歩くはやさがちょうどいい」という言葉と、そのタイトルの著作での発言は、そういう印象を受けます。

 

とながながと前置きを書いてしまい、いつ終わるか自分でも多生不安になってきたので、この辺で見出しのタイトルに戻りたいと思います。

 

毎日朝刊によると、<男性保育士が働きやすい環境を作るとして千葉市が4月から10年計画で実施する「市立保育所男性保育士活躍推進プラン」を巡り、激しい議論が起きている。熊谷俊人市長(38)がプラン作成の背景に「娘の着替えを男性保育士にさせないでという親の声があった」とツイッターで発信したことがきっかけだ。>とのこと。

 

私自身は、保育園に子どもを預けたのは、二児目の出産で里帰りした妻に代わり、長男を一時保育園に入れたときくらいしか経験がないので、あまり保育園の経験がないため、その実態はよくわかりません。そのときの印象は、一度も両親と離れたことがなかった子がはじめて保育園で他の児童と一緒になることの不安を感じているのは分かりました。私が仕事で少し迎えが遅れたときなどは、私の方がとても不安になった記憶があります。それでも長男は泣き出すこともなく、けなげに待っていて、かえって親子の感情を強くいだけたかなと思っています。とはいえ、長男はこのときの保育園の印象が必ずしもよくなかったのか、幼稚園に通うことに躊躇し、4歳児か5歳児になってようやく入園しました。

 

このときの保育園は短期だったので2箇所か3箇所と転園したこともあり、他の園児との親しむ関係が作れないままに終わったことも影響があったかもしれません。保育士や園自体について不満とか感じることはありませんでした。

 

私の狭い経験談ではなんの役にも立ちませんが、保育園開設に係わる相談を受けて対応したことがあったり、他方で、保育士の方で依頼人になった人がいて、仕事上係わったことから、多少は気になっています。また、無認可保育園での死傷事故も時折新聞で賑わったこともあり、最近ではとりわけ首都圏での保育園不足、待機児童の増大が問題になっていること、他方で、女性の社会参画に支障を来している問題も無視できないと思っています。

 

そういう状況で、千葉市の「市立保育所男性保育士活躍推進プラン」は、画期的な企画ではないかと思っています。大きな問題を抱えている東京都や横浜市の対応は、どちらかというと、施設の増加や保育士の給料や処遇の改善といった、どちらかというと物的資源や人的資源の改善にとどまっています。

 

保育士の能力アップや、評価をあげることこそ、重要ではないかと思うのです。むろんその中に、性差による差別は、合理的出ない限り避けるべきです。看護職はすでに看護婦という女性だけから男性が参加する看護師となりました。介護士も昔は女性の仕事と意識されたように思いますが、男性の参加により、より充実した業務サービスがおこなえるようになったと思います。

 

ある職業や資格は、性差による合理的な差別が認められる場合を除き、さのサービスの向上、その能力や評価、給与・報酬をアップするためには、男性でも女性でも自由に取得でき、仕事に就けることが望ましいと思います。

 

保育士の場合、給料が低い、処遇条件が悪いといった問題は、首都圏など保育士不足・待機児童が増大の問題解消策として、一時的に改善が見られているようです。

 

しかし、それは本質的な解決に近づくでしょうか。親が安心して預けられる保育園、あるいは幼稚園、こども園といった、子どもにとって人生最初のコミュニティ環境を子どもの健康で創意工夫や自立心、助け合いの精神などを育む場所として、望ましいあり方として構築していけるか、そのような形式的な改善ではとても覚束ないと思うのです。

 

それは保育士のスキルアップや、資格への評価向上が必要でしょうし、男性の参画も不可欠と思います。

 

幼女や女の子のおむつの交換を男性保育士が行うことに違和感のある親の意識はわかないではありません。しかし、両親のおむつを替える男女の介護士などの存在を、現代社会では必然としています。いやお風呂に入れること自体が両性の協力が不可欠でしょう。

 

むろん児童ポルノや盗撮、わいせつ行為といった現代の性風俗がはびこるネット社会において多様な問題も起こっていることは確かですので、それへの対応は厳正にする必要があります。しかし、医師や看護師が男性であっても、幼女などに対処するのを違和感を感じる人は少ないと思います。保育士の仕事に対する意識や評価を改めていく運動も大事だと思います。それらが現在の保育行政ではあまり具体化されていないように思うのです。

 

千葉市のプランでは、<プランでは、男性保育士も女性と同様、子供の性別にかかわらず着替えやおむつ交換をする▽男性用トイレや更衣室を設置▽男性が孤立しないよう希望があれば2人以上の配属に努める>

 

またおむつ交換もオープンな状態で行うなど、両親の不安や懸念に配慮する工夫も一つの施策だと思いますし、それ以外にも具体化の中で不安な声を吸い上げて配慮する仕組みを期待したいです。

 

いずれにしても、厚労省の保育関係の多様な施策を見ても、保育士がこれから必要とされる業務内容や能力について、あまり議論されていないように感じます。昨年発表の「切れ目のない保育のための対策」も、残念ながら保育児童の安全安心で心豊かな成長を確保するという視点で、それを担う保育士の姿が見えてきません。

 

人生の出発点で、優れた保育士や保育環境で育った子どもは、兼行法師が懸念するような心配の多くは回避され、伸びやかで豊かな人生が送れるのではないかと期待しています。


タンチョウと手話 <混乱、難民ら280人入国拒否>を読んで

2017-01-30 | 海外との交流と安全の道筋

170130 タンチョウと手話 <混乱、難民ら280人入国拒否>を読んで

 

今朝はほんとに初春が突然訪れたような暖かさでした。

 

良寛さんの次の歌のように待ち焦がれた至福の思いを感じている様をふいと浮かべてしまいます。

 

鶯の声を聞きつるあしたより春の心になりにけるかも

むらぎもの心楽しも春の日に鳥のむらがり遊ぶを見れば

 

ところが、毎日朝刊の記事やマスコミニュースによると、トランプ氏の入国停止の大統領令で、たいへんな混乱状態がアメリカ国内はもちろん世界中で起こっているようです。人種や国・宗教を根拠として、ビザやグリーンカードを持つ人でさえ対象とされているようです。

 

トランプ氏はユダヤ人に対する強い親和性をもっているようで、イスラエルの違法な移住を容認するなど、イスラエル政権に対して強力に支援する姿勢が見られます。長い間アメリカは移民の国、多民族のるつぼと言われてきました。とはいうものの、法的にも、事実上も、先住民族のインディアンを含め、黒人やヒスパニック、アジア系に対して、差別的取扱を行ってきたこともアメリカです。しかし、トランプ氏の就任後に誇らしげに次々と署名する大統領令は、保護主義の名目で、協調的な方向に進む世界秩序を破壊し、ユダヤ教徒など特定の人たちを中心にしつつ、イスラム教徒や一定の国の排斥を明確にしているように思えるのです。その点、大統領令の実施に当たってはその方向で簡単に軌道修正しているように見えます。

 

このようなトランプ氏を支える大きな層はアメリカの労働者階級の中間白人層ともいわれます。実態はわかりませんが、そういう層が数的には多いかもしれません。ただ、軍事支出の削減や金融規制強化などを打ち出した民主党政権にノーを唱えた少数で巨額の富をもつウォール街や軍需産業の人たちもいたでしょう。こういう人たちが扇動に荷担した有力な一部かもしれません。

 

それはさておき、私たち人という存在は、意識的に、あるいは無意識的に、いかに人を差別し、またさまざまな生物を虐待するなどして、その健全な生育を阻害してきたか、ときに顧みることも大事ではないかと思うのです。

 

毎日朝刊では、タンチョウが優雅に舞い踊る姿を捉えています。その隣の記事に、<「手話は言語」 73自治体>というのと、聴覚障害者初の弁護士として松本品行氏が取り上げら得ていました。

 

タンチョウについては、思い出すことがあります。90年前後だと記憶していますが、一人で富良野の東大演習林を見学した後、釧路湿原を訪問しました。少し眺望がきく展望台に上って釧路湿原のとてつもない広がりを見せる姿になんともいえない原生自然的な美しさを堪能してしまいました。ところがそのとき集団で観光客が訪れ、ある人がこんな広いところ、農地にすればいいのにもったいないといった言葉が当然のように口に出て、何人かも同調する様子でした。

 

このような意識が当時多くの日本人にあったと思います。実際、釧路湿原の周囲は牧場などで農業排水が入り込んだり、他方で乾燥化も進んだうえ、牧場経営が困難になったところではゴルフ場銀座のように開発にさらされていました。

 

そのとき名前は今思い出せませんが、タンチョウがいるんだから、湿原は守れるといったアメリカの環境保護運動家が言ったことが新聞記事で紹介されていたように思います。当時の私は、たしかに生態系の中で頂点にたつ種が生育する環境があると、食物連鎖などで多くの種の保護が図られるといった理解は頭では分かっても、あの白頭ワシのように、大衆受けするだけの運動ではないかと少し距離を置いた見方をしていました。

 

とはいえ、そのとき湿原そばに立っていたペンションに泊まって、朝食の際、すぐそばで多くのタンチョウがのんびりと食事をしたり、戯れているのを見ると、なんともいえない癒しの気持ちを味わったのを覚えています。

 

ただ、当時は、美しいものだけを保護の対象にしたり、人気のある種だけを取り上げることに抵抗があったのでしょう。その意味では、とても見た目だけでは美しいとかいえない、隠れた存在、菌類をも大事に、その保護の必要から日本初といもいえる自然保護活動を行った南方熊楠の方に惹かれていたように思います。

 

その後アメリカの絶命危惧種法(Endangered Species Act, ESA)を勉強するようになり、90年代、ダム開発や森林開発、宅地開発などなどに対して環境保護団体が数々の訴訟や運動を通じて、その保護対象の種をあらゆる絶滅危惧種に拡大していく中で、生物種の差別というものが少しずつなくなっていく流れをフォローしたように思います。

 

またロデリック・F・ナッシュ「自然の権利」(松沢弘訳)は、環境倫理の文明史を描き、倫理の進化過程を図式化して、家族や部族、地域的な差別の段階から、民族・人種・性差別から解放される現段階に進化し、動物を含む生物の差別からの解放を目指す過程にあるとしています。そして今後はさらに植物、その他微生物も含む生命、さらには岩石、生態系、ついには宇宙まで進化が進むというのです。むろん、トランプ氏の施策でも明瞭ですが、人種・宗教・性差による差別は現代でも解決困難な問題の一つですから、この図式は少しずつよくなっている、解放が進んでいるといった程度で理解できます。

 

ま、ナッシュ的環境倫理やその進化的見方は、実際は中身の濃い内容で、このような図式化では説明できませんし、私も20年近く前に読んだきりですので、今回は名前だけの紹介にとどめます。

 

記憶では、ナッシュは障害者の問題はとりあげていなかったように思います。しかし、障害者差別の歴史は古く、ナチスの優性思想の一端には障害者に対する明確な差別もあったと思います。

 

わが国の障害者差別の歴史がどうだったかをきちんと勉強したことがないので、はっきりしたことはいえませんが、維新後に西欧思想の中で、差別的取扱が顕著になった可能性を考えています。維新時に訪問した異邦人の記録の中では、障害のある人も普通の生活場面で暮らしている姿を描写されているのもあり、また、視覚障害者については、維新前には特殊な階級構造が成立して、ある程度安定した職業に就いていたと思える節があります。

 

しかし、維新後は、たとえば聾唖者(差別用語として現代では使用されない)という立場で、旧民法で行為能力を制限していましたし(79年の民法改正まで維持)、大正期に聾唖学校(現代はろう学校と呼称するが)を西欧流の外形を装うようにごく一部で設けられましたが、手話は言語でないとして、手話教育が否定され、無理矢理発生を強いる教育が長く行われていました。むろん地方では聾唖学校もなく、他方で普通の小学校へ入学もできず、教育から隔離されていたのが実情で、当然、聴覚障害のある方はまったくといってよいほど教育を受ける機会がないわけですから、基礎的な算数も国語も、暮らしの知識も得ることができなかったわけです。家族のサポートなしには暮らしていくこともできない環境にあったといってよいかと思います。

 

戦後しばらくしてようやく手話教育が導入され、次第に聴覚障害者も高度の教育を受ける機会が増えてきたと思います。NHKなどもニュース報道を手話で行うようになったのはいつ頃からでしょう。また、会議などでも手話通訳の人が演題横に立って手話したり、最近では速記者がいてプロジェクターに素早くタイプした文字がアップして読むことができる会場も増えてきたように思います。

 

とはいえ、まだまだ聴覚障害者が自由に社会生活を送ることは簡単ではないです。バリアフリーとはいっても視覚障害者や身体障害者への対応が進んでいる一方で、聴覚障害者に対してはさほど目立った動きを感じないのは私の視野の狭さでしょうか。

 

そういう中で、毎日記事によると、「手話は言語」とする手話言語条例を制定する自治体が増えているようです。条例制定は、第一歩であり、具体的な施策が大事でしょう。とはいえ、周りの人たちの意識が変わる契機になることを期待したいです。

 

ともう一つ取り上げたいのは、聴覚障害者の弁護士がいる、しかも松本氏は現在77歳で、66年に弁護士登録したというのですから、戦後の手話教育の普及初期に身につけて、司法試験まで合格した分けですから、素晴らしいですね。視覚障害者に対する差別的取扱や手話に対する偏見が一般だった時代に、なみなみならない努力と能力で勝ち取ったのでしょう。誇り高い日本人の一人ではないかと思います。

 

そこで思い出すのは、視覚障害者の弁護士の竹下さんという方です。私は司法研修生時代、友人たちの何人かが先輩からの引継ぎで彼の勉強を支援しているのを聞いていましたが、目が見えなくて司法試験を受けるなんて驚きと不可能ではないかと思ってしまい、不覚にも支援活動には参加しませんでした。その竹下さん、弁護士になって生活保護の救済を含めさまざまな福祉的活動をされているようで、あるとき日弁連の理事者会で一緒になったことがありますが、なかなか堂々として発言をされていて、目が不自由な中、大変な努力で今なお素晴らしい活動をされていることに敬服した次第です。

 

それでついでに、いずれも障害者初の弁護士ということは、他にも障害を持つ弁護士が活動しているのかと思い、ウェブサイトで調べると、同期の吉峰さんがいました。そうだ彼は弁護士なりたてから、当時はまだ注目されなかった少年問題を懸命にやっていてリーダー的存在だったことを思い出しました。途中で重い障害を受けましたが、彼の強い熱情と努力でいまなおがんばっているのだと、遠くから応援したい思いで少し書いてみました。

 

タンチョウと手話、そして入国拒否、いずれもまったく関係ないようで、どうも人間が持つ本質的な差別意識と関係するように思い、私というものがどのように考えているか、自らを試す意味でも書いてみました。私は誰か、私は書くことで少し私が分かる、いやそれは仮想の世界かもと思いつつ、ここまで書いてみました。

 

 


森林境界と地籍調査 森林境界の明確化と地籍調査どうするか

2017-01-29 | 農林業のあり方

170129 森林境界と地籍調査 森林境界の明確化と地籍調査どうするか

 

今朝も寒さが和らぎ、日が昇ってからゆっくりと作業に出かけました。寒さが厳しいとまず暖まろうと、枯れ木などで暖をとることから始めますが、少し動けば暖まるので、放置していた枯れ草をどんどこと刈り取っていき、その後燃やします。

 

そこで一段落した後、昨日の続き、崖地の枯れて倒れかかっている竹木を撤去すべく、川に降り、崖地を這い上がっていきました。川をまたぐように倒れている竹木をどんどんノコで切り落とします。ところが崖地の岩盤にへばりついて横になっている竹木が気になり、崖の上の竹木にまたがって、崖下にあるその竹木をなんとか切り落としたかと思うと、根も一緒に落ち、体ももう少しで落ちる状態になりました。そこはなんとか踏みとどまったのですが、竹ノコと鎌を崖の途中に落としてしまいました。崖上の竹木に一本の手をかけ、なんとかそれをとろうとしたのですが、普通の長靴なので、苔むした岩盤では滑り落ちそうになり、一旦、崖上からの挑戦やあきらめました。

 

そして崖下に降りて、落とした竹木を整理しながら、崖途中に落としてしまった竹ノコと鎌を拾おうと、崖をよじ登っていきました。沢登りは昔好きで、専用の履き物を履いたり、わらじをつけたりであれば何の問題もないのですが、長靴では滑ってしまい、なかなかうまくいきません。この年で滑り落ちたら、岩盤なので、大けがになりそうです。用心深く岩盤を見ると、この地に多い緑色片岩でできていて、所々に穴状の隙間があり、そこに手をかけながら登っていくと、ようやく手に届きました。

 

そんな作業を半日しながら、この竹林の所有者も管理ができないで困っているのだろうと思いつつ、横倒しになっている竹木を取り除くと、崖上から周囲を臨むと、なかなかいい眺望で、竹林も含め散策できたり、眺望できたりするようにすれば、結構、いい感じになるのにと思ってしまいました。

 

ところで、森林管理が行われず放置された状態という問題は、長く懸案事項として問題とされてきましたが、なかなか改善の兆しが見えません。いろいろ理由が取りざたされ、材価が低くて間伐しても費用倒れとか、所有者が不明とか関心がないため放置されているとか、森林境界が不明で間伐作業をしたくてもできないとか、多数の理由があげられてきました。

 

今回はとりあえず森林境界の問題について、最近の動きをウェブ情報を踏まえて、少し考えてみたいと思います。

 

森林の境界は、林業が盛んな時であれば、山主も林業従事者も、よく分かっていて、樹種や樹齢などいくつかの指標で明確に境界が分かっていたと思います。20年以上前でしたが、東京の山奥で山主から境界問題で相談があり、境界について親子で案内を受けましたが、作業を継続していたので、第三者が見ても理解できるものでした。

 

しかし、いまでは山主も、山に入る機会が少なくなり、というか何十年も入ったことがないという人も少なくない分けですから、林相の変化や地形や地質、自然林の変化などで、自分の山林かどうかですら分からなくなっている人も多いのではないかと思います。

 

問題は、一度でも下刈りでも枝打ちでも森林作業をした人であれば、あるいは委託している林業従事者と一緒に山に入っている人であれば、それでも自分の山林境界はある程度分かると思います。ところがその山主が亡くなった場合、きちんと承継者に伝えていないと、相続人たちはまるで皆目分からないことになります。

 

とはいえ、里山付近だと、わが国、とくに西日本では、農地の零細錯圃と同様に、山林も見事に小規模にあちこち別れて所有されており、そのことは林業作業にとって生産性などの面でマイナスですが、境界確認の点では、プラスに働くこともあります。大勢の山主と境界を接していることは、他の山主が自分の境界を知っていれば、周辺山主が集まれば、一定の境界線を見いだすことは容易な場合も少なくないと思います。

 

そうはいっても、里山と言っても、傾斜がきつかったり、林道といってもほとんど使われていない作業道が残っているだけといった場合が少なくないので、山主も高齢化していることから、みんなが集まるというのはなかなか大変です。

 

ところで、登記簿があり公図があるのに、なぜ境界がはっきりしないのかと不思議に思う人がいるかもしれませんが、再現可能な客観性のある測量図面として作成されたものがすべての地域にあるわけではないからです。それで国交省が地籍調査を全国的に進めているわけですが、感情的な対立が生じたり、いろいろな理由でさほど進捗していません。とりわけ山林は法務局に備え付けてある公図ではまるで絵のようなものでほとんど境界確認として場所も範囲もまったく分からないものが相当あります。

 

国交省が、地籍調査の現状として、とくに森林をとりあげ、国土の3分の2の面積であるのに、「平成26年度末時点における山村部の地籍調査進捗率は44%であり、全国平均よりも遅れています。」と指摘しています。私の感覚では、この44%は思ったより進んでいる印象で、全国ということでしょうが、西日本のように、小規模山林所有者が多い地域だと、もっと遅れているのではないかと懸念しています。

 

とはいえ、国交省は、高齢化や山村離れで所有者が拡散したり、亡くなったり状況に対応すべく、平成22年度から新たに「山村境界基本調査」を国の基本調査として実施しています。これは、「土地の境界に詳しい者の踏査によって、山村の境界情報を調査し、簡易な測量をした上で、境界に関する情報を図面等にまとめ、保全しています。地籍調査のように土地所有者による立会いや精密な測量は行われませんが、簡易な手法により広範囲の境界情報を調査・保全することとしています。」ということで、将来の地籍調査の際に活用できるようにしようということだと思います。

 

他方で、林野庁は、森林・林業再生プランという、主として、施業を集約化したうえ、作業道を含む路網を張り巡らし、搬出間伐という伐倒して間伐材を搬出して売却するという方法で、コストダウンと生産性向上を図ろうとして、数々の施策を打ち出しています。

 

その中で、施業の集約化を図るのに、まずは森林境界が明確であることが求められるため、補助事業で森林組合を通じて山主の協力を得ながら、さまざまな取り組みを行っています。

 

とはいえ、この林野庁と森林境界を明確にする作業と、地籍調査は、もちろん測量精度や測量士資格のあるなしなど、違いがありますが、行政支出が二重になっているおそれを抱くのは私だけではないと思っています。

 

地籍調査と境界明確化の違いについて、相続の場合立会人が前者では全員が、後者では管理者だけでよいといった説明がされていたりしますが、そのような法的根拠はないと思います。立会人については、むろん共同相続人や共有者の場合、全員の意思の確認が不可欠ですが、そもそも代理人でもいいのですから、現実に所有者本人の、しかも共有者全員の立会が必要と言った理解があれば見直さないといけないと思います。

 

それよりも重要なのは、地籍調査は所有権の範囲を法的に確定し、その測量図面により当該筆の位置・範囲を示す公図も作成され、地積も登記されるわけですから、測量資格を求めたり、測量精度を求めるのは当然だと思います。

 

しかし、山林地で、多くの木々が林立している中で、傾斜がある場合、測量士といえども、精度の高い測量ができるかというと疑問が残ります。私自身の経験では市街地の分譲開発で残された傾斜地で、開発計画があったとき作成された測量図面が問題になったことがあります。測量士側は、開発許可を取った後、その傾斜地に生えている木々を伐採するなどして改めて測量したところ、より正確な図面ができあがったとして訂正しました。

 

たしかに測量士が使用する測量機器は、GPS測量機器、トータルステーション、基準点測量など、精度が格段に違いますが、それ自体、森林組合などが行う場合でも活用可能か、あるいは測量士の補助として、事実上、代替的な測量を行うことができる余地があるのではと考えています。

 

実際、宮崎県の南那珂森林組合などすでに一定の森林組合では、実施主体として地籍調査の実績を積んでいるところがでています。

 

森林組合は、山主が構成員となっており、また、日常的に林業を行っているわけで、起伏が多く、木々が茂っている山林を職場としており、従前より森林経営計画の作成などのために境界確認や測量、その測量図面を作成し、都道府県の認可を得たり、補助を得て作業を行っています。

 

他方で、測量士は、市街地や田畑ならば、さほど作業に支障を来さないと思いますが、山林は慣れていないと勝手が違うと思います。

 

その意味で、山林の境界確認については、林野庁が、すでに各地の事例があるのでそれらを参考にしつつ、新たな地籍調査のモデル・手法を提案して、本格的に進捗を進めていくことを検討してもらいたいと思っています。

 

東日本大震災の復興計画の遅れが指摘される中で、土地所有者が不明とか、境界が不明といったことがかなり大きな要因であったことも指摘されています。国交省は、震災対応として、地籍調査の必要を指摘するほか、森林について森林組合による地籍調査を取り上げていますが、新たな制度提案についてまで検討されていないようです。

 

これは林野庁が国交省と調整して、主体的に取り組む問題ではないかと思います。


豊かさを求める試み <歌う尼僧、教え届け 明るく、伝統とらわれず>を読んで

2017-01-28 | 宗教とは 神社・寺・教会 信仰

170128 豊かさを求める試み <歌う尼僧、教え届け 明るく、伝統とらわれず>を読んで

 

今朝は寒さが緩み、昼頃には作業をしたこともあり、暑く感じるほどでした。午後に仕事をしようと、軽く竹木などの伐採をするつもりが、川の中に入って堆積している木々を取り出したり、斜度60度以上ある?斜面に生えた枯れた竹木が倒れかかっているのを取り除いたり、木の名前は分かりませんが枝が張りだしているのを登って切ったりしていて、いつの間にか5時間近く作業をしてしまいました。もうあちこち傷だらけで筋肉痛もあり、やったという感慨が残りました。

 

えらい長くやったと思ったのですが、振り返ってみると、隣で畑作業をしている馴染みの人が私の作業を見て、やってきて、昔はずっと田んぼだったとか、密集した竹木などの管理が大変だとか、家系が江戸中期くらいまでしか分からないといったので、享保頃に氾濫でもあって過去帳が残っていないのかもしれないとか、次々と話題が展開して、その分、作業時間が延びたので、ま、さほどはやっていないかと思い直しました。

 

見出しのテーマに入る前に、トランプ騒動でずっと気になっていることがあるので、今日のテーマとも関連がないわけではないことから、少し触れてみたいと思います。トランプは選挙中も、就任後も、金融規制改革法(ドッド・フランク法)の撤廃を公約としていて、そろそろ大統領令でも出すのではないかと思っています。

 

しかし、これでいいのでしょうか。リーマンショックはどうなったんでしょうか。サブプライムローンやデリバティブ取引など、まさに裏付けのないバブル以外のなにものでもない金融商品に金融機関が投機的マネーをつぎ込み、結局、リーマンブラザーズの倒産を含め、証券も不動産も資産は一挙に奈落の底に落ちたのは089月でした。それは銀行や所見会社といった金融機関だけが巨額の損失を被ったわけではなく、多くの消費者が踊らされたあげく破産状態になったわけです。ブッシュ政権が行った金融の規制緩和による負の遺産の一つでした。

 

これに対し、新たに就任したオバマ政権は、70兆円を投入して金融機関の救済を図る一方で、上記のドッド・フランク法で銀行の投機的な行為を規制しようとしました。13年放映の「クローズアップ現代」では、銀行の反対でこの法律の施行が頓挫しているとして、リーマンショックの再発防止策が実行されていない点を問題にしていました。

 

トランプは、ウォール街を批判していましたが、結局、経済面を統括する閣僚にはウォール街のトップを起用していて、ウォール街から目の上のたんこぶと批判されてきたドッド・フランク法を廃止するようです。トランプ流の言い分は地方の銀行がどんどん閉鎖しているからということですが、銀行や証券会社、格付け会社に対して危険な投機的取引を許容することは、結局、多くの消費者が被害を被ることになり、リーマンショックの二の舞になる危険を心配します。

 

なぜそう思うかといえば、NY市場ではダウ平均株価が史上初2万ドルを超えたと騒いでいるからです。また再び不動産価格も上昇しているようです。一体、そのような上昇に向かう経済実態があるのでしょうか。リーマンショックの時の、サブプライムローンの問題は解消されたのでしょうか。格付け会社のいい加減な評価が是正されたのでしょうか。私は否とおもっています。そして日本の株式市場も一応、連動して上昇基調です。日本の場合、日銀が買い支えていたり、年金資金など、株式投資運用規制が緩和し、そういった資金が株式市場に入ってきているため、これまた経済実態に適合するものか疑問を感じます。

 

こういった株式や不動産といった物質的豊かさを求める状況は、政府の施策の結果なのか、国民意識の結果なのか、それは一概にはいえないと思います。この点、今朝の毎日、柳田邦男氏の「深呼吸」欄で、いつも意味深い発言に、今朝も賛同する思いになりましたので、少し取り上げたいと思います。

 

柳田氏は、安倍首相が野中兼山のハマグリによる地域活性化策を高く評価しているのに対し、地域創生は経済的豊かさを追い求めることとは限らないとして、「知の地方創生」を具体例を挙げて提唱しています(残念ながらまだウェブ上に掲載されていません)。

 

柳田氏は、ここでの「知」とは、「心、知的生活・・・人のつながり」などをいうとしています。

 

さらに具体的なテーマとして、たとえば①「ふれあう」「つながる」場づくりについては、すでに活動している「がん哲学外来」とか「蜘蛛の糸」などを紹介しています。また②生きがいを語り合うについては、「生きがい療法実践塾」「おらが自慢話塾」などさまざまな連帯の新たな取り組みを紹介しています。その他いろいろな個性的、地域に根ざした取り組みです。

 

そして何よりも柳田氏が言いたかったのは、「自分の財を増やすより、人と人とがつながり合い、笑い合う生き方へ価値観を転換する時代になりつつあるという意識を持つことが求められている」という点でしょうか。

 

そのような観点から、ようやく昨日夕刊に見出しの記事を取り上げたいと思います。なかなか素敵な尼僧さんだなと、ふいと五木寛之著「親鸞」の一場面を思い出してしまいました。私自身、空海を学ぶ?うちに、いろいろな仏僧の生き方を専ら小説で知るようになりましたが、とりわけ親鸞を書いた小説は相当あり、いずれも独特のアプローチで興味深いものでした。

 

が、五木親鸞(私はそれぞれの親鸞像を作家の名前を冠して勝手に呼称しています)は、五木さんの歌というものに対する高度で熟練した感性で、見事に新たな親鸞像や法然像を見いだしているように感じました。詳細は別にして、五木親鸞では、親鸞が法然のいる吉水を訪ねたとき、大勢が念仏や和讃を独特の節でリズミカルに唱和する様子に驚いたのを思い出しました。そしてとりわけ美声の持ち主、遵西(じゅんさい)に対して、五木親鸞では親鸞自身が詠唱音曲の名手である音覚法印から本格的に伝授されていることを指摘して、美しさを評価しつつも、その本質の問題を答えることを控えるという対応を示しています。圧巻はその後の法然との対面ですが、私の下手な引用では申し訳ないので、それは実際に読むのが一番かと思います。

 

法然や親鸞が生きた時代、死は間近に存在し、鴨川には飢えや疫病などで死体があちらこちらに放置されていたと言われます。そのような中で、仏教徒の役割は何か、法然、親鸞をはじめ心ある僧侶は悩み、宗教改革のごとく次々と新しい仏教思想を生み出し、人々の救済に努めたのだと思うのです。だからこそ、比叡山や高野山、奈良の大きな寺にこもって修行にあけくれるのではなく、そこから町に出て、生活し苦悩している人々のために仏教を説き、そして念仏や和讃などで、人々と唱和していたのではないかと思うのです。

 

当時は今様が巷で歌われていたようですから、吉水での念仏・和讃なども、だれもが唱和できるように歌のような感じで行われていたのではないでしょうか。今生きている人のためとなると、一定のリズムをもった歌のようなものこそ、人々に理解されやすいのではないかと思うのです。そしてそこに幸福の気分にしてくれる体感的なものも生まれるように思うのです。遵西の美声にはそのような魅力があったのではないかと想像します。

 

ところが、江戸時代の檀家制度の影響か、いつの間にか、とりわけ戦後ある時期からは、仏教は「葬式仏教」と揶揄的に表されることが多くなりました。いまでは僧侶と出会うのは、葬式・法要くらいと意識している人が多いのではないかと思うのです。

 

むろん心ある僧侶たちの中には、震災復興のために支援活動をしたり、末期がんの患者に対して心の安寧をもってもらうため付き添ってあげたり、さまざまな人の心に寄り添う活動をしている僧侶がいることも確かです。そういう僧侶が今後も増えることを願っているとき、見出しの尼僧の記事が目に入りました。

 

僧侶は、男性・女性を問わず、声の修行をして、日々読経をしているため、多くの方は美しい声をしているように思うのです。そのような僧侶が、仏教の難しいお経を説くだけでなく、歌を歌って、しかも仏教の内容をわかりやすく歌詞にして歌うのであれば、格別です。

 

このような尼僧がこれからも増えてくることを期待したいと思っています。

 

余分ですが、トランプ暴風や安倍施策のように、経済的豊かさにあまりに重点を置く施策は、政権としてはやむを得ない手法かもしれませんが、これからの社会のあり方として、懸念を感じています。


親権と面会交流 <2審は父提案「面会年100日」認めず>を読んで

2017-01-27 | 家族・親子

170127 親権と面会交流 <2審は父提案「面会年100日」認めず>を読んで

 

今朝は昨日ほどではないですが、やはり寒さは厳しく、木々、草、土は凍てついていました。昨夜のBS朝日で、朝日新聞の女性記者が両極を取材した内容が放映されていました。その中で印象深かったのは、北緯78度でしたか、最北にある町、グリーンランドの北西端でしたが、そこからさらに犬ぞりで10数時間かけてようやくたどり着いた場所が、日本人のハンターが最後の狩猟をするのに立ち会うのですね。

 

日本人は大島さんという名前だったと思います。取材時に68才で、25歳の時からそこに移り住んでハンターをやってきたというのです。私自身は北緯70度にあるカナダ本土から少し突き出た半島にある、ツクトヤクツクというイヌイットのを20数年前に訪れたことがあります。イヌイットの人に狩りを見せてもらおうとしましたが、今は狩猟が禁止されやっていないということで、昔銃で仕留めた北極熊の剥製を壁に飾っているのを見せてもらいました。そして今は、氷上からトドならぬ、魚を網で収穫するのがほとんどということで、その収穫場面に付き添わしてもらいました。

 

スノーモービルを少しだけ操縦させてもらいましたが、初めてだとなかなか思うようにいかず、少しぶつけてしまいました。氷上の凹凸もあり、難しさを感じました。

 

番組では、大島さんがトドを氷上から釣り上げたり、ジャコウウシを銃で仕留めたりするのを見ましたが、途中で用ができたので、北極熊を仕留めたかどうかは見ませんでした。ジャコウウシは、だいたいじっとしていて、集団で寒さに耐えるような性行があり、銃で撃つのは難しくないと思います。私自身は、その肉を食べさせてもらいましたが、残念ながら、元々あまり肉食が好みとまでいえないこともあり、変わった肉はどうもいきません。むろんジャコウウシの肉も私は苦手でした。でも北極の激寒では、きっと体温保持や栄養補給の点で有効な肉なんだと思います。

 

と関係ない話が多いですが、見出しの記事、特別、私の関心を惹いたわけではありません。その前にテレビのニュースで見たとき、たぶん司法クラブの記者会見室だと思いますが、映っていた弁護士の一人の顔に見覚えがあり、誰だったかな思い、記事を読んだ程度の関心です。

 

一審が松戸支部なので、きっと研修所時代の同期の女性かなとおぼろげながら思い出しつつある程度で、もう何十年会っていないのか、すると顔も見分けがつかなくなるなといった感慨になってしまいました。

 

とはいえ、折角、話題になったニュースなので、なにが大きく取り上げられた要因なのかを記事やウェブ情報を見ながら、親権指定と面会交流の実務について、離婚が増大していることもあり、いろいろ裁判例も増えてきているのを改めて感じてしまいました。

 

とりあえず記事になった東京高裁は、千葉家裁松戸支部判決が100日の面会交流を提案した父の親権を認め父への引渡を認めた判断を覆し、重厚な面会交流を特別重視せず、「別居前から主に母が長女を監護し、安定した生活をしている。長女の利益を最優先すれば、親権者は母が相当だ」と従来通りの判例で確立している立場に立った判断を示しています。

 

私も一審の判断にはびっくりします。長期間すでに母が監護して母親との間で平穏な生活をしている親子を別離させるなんて、想定できません。

 

しかしながら、以前からそれでいいかは気になっていました。幼いこの場合子の監護世話は母親が最適であるといった観念は、わが国では当たり前のように従前から言われていますが、本当にそういってよいのか、これだけ複雑な社会構造になり、男性と女性もそれぞれ社会の中でさまざまな欲望と期待を持つことが当然視され、家制度を背景とするような男女の役割分担についての考え方は必ずしも妥当しないのではないかといったことです。個別の親子の実態、将来を考えて、親権がどちらが子にとって適切かを慎重に判断されるべきではないかと思うようになっています。

 

そこで少しウェブ情報を見ると、「フレンドリーペアレントルール」という概念が最近では主張されつつあることを知りました。その情報でも指摘されているとおり、従来は、母子優先の原則と監護の安定性、それに子の意向の三本が主軸となり、子の意向はかなり小さな子でも場合によって調査官が聞き取り、できるだけ判断に反映するようになっているように思います。といっても、基本、わが国の労働慣行、社会慣行からすれば、母親が仮に仕事を持っていても、持っていなければ当然、子の世話をほとんどしている場合がまだまだ大半ではないかと思います。そういうと若いカップルでは家事も子育ても5050だと言われると思いますし、そういう傾向も理解しますが、とくに地方ではまだその割合は高くないように感じています。

 

従来の裁判所の取扱は別にして、子の健全な生育にとって、両親が持続的に接することは基本的にはよいことではないかと思います。海外の映画などでは、離婚が当たり前、というか結婚しないで子育てすることが増えている中で、父親と母親の間で、面会交流をいろいろな方法でとりあっているその態様の多様性には驚くばかりです。面会交流が月1回、年20回といったことが平均的とか、いやまったくないといったことが日本の実情と比べれば、参考に値すると思います。

 

しかし、少なくとも、「フレンドリーペアレントルール」といものが、面会交流の日数の増大、たとえば普通の5倍の100日だから、そのような提案をする親こそ、面会を拒否して子に他の親とふれあうチャンスを奪う親より、望ましいという考えだとすると、極めて危険というか、軽率な判断ではないかと思ってしまいます。

 

やはりその観念は、こどもにとって両親との触れあい機会が単に増えるということにとどまらず、親同士がフレンドリーな関係が成立する状況でなければ、かえって子どもの健全な生育にマイナスとなる危険の方が高いと危惧します。

 

とはいえ、そのような観念は、わが国では、一旦どちらかが(多くは母親)親権を持つと、他方はこどもと面会交流する機会がなかなか得られない状況にある現状を改善する一つの重要な提案であると思います。その意味では、法曹関係者や社会のさまざまなサポートシステム(このウェブサイトはそういう役割を担ってくれそうな一つかもしれません、といって私はウェブ情報だけ見ているので、ほんの参考です)がこどものために、「フレンドリーペアレントルール」の内容を充実していくことを期待したいと思います。

 

だいたいどちらが親権を持つかで争い合うこと自体、こどもの健全な心の発達にプラスにならないと思います。また、面会交流が認められたのに、面会交流を拒否し、その違約に対して制裁罰が100万円とする裁判例が最近話題になりましたが、残念なことです。面会交流を罰金という間接強制で相手方に強いることは法的には有効でしょうが、それは本来的なあり方とは思えません。

 

おそらく結婚前に、別れた後のことをも勉強しておく必要があるのかもしれません。これは無理な相談かもしれませんが、わが国は、いま離婚というものを通じて、子育てのあり方を学びつつあるのかもしれません。