171214 原発の危険性その2 <伊方原発差止仮処分即時抗告審決定要旨>などを読みながら
今日は「木のきもち」を休止して、昨日に続いて伊方原発差止仮処分を認めた広島高裁決定を考えてみたいと思います。
興味深いのはNHKの今朝のニュースタイトルです。<伊方原発3号機の安全性高裁で改めて判断へ>とウェブ情報ですが、TVでも同じような見出しだった記憶です。できれば午後にNHKの公共性を書いてみようと思っています。
このタイトルはその点で確かに客観的事実を取り上げていますが、高裁段階で初めて原発の危険性を認定した判断の重要性を掘り下げないまま、「安全性」を改めて判断として、さらに<世耕経産相「政府方針は不変」>と司法判断を軽視するかのような、政府寄りとも思える内容には疑問符を禁じ得ません。
さて本論の伊方原発訴訟と原発の危険性ですが、毎日朝刊は、詳細に掲載しています。まず<愛媛・伊方原発運転差し止め 阿蘇噴火「過小評価」 高裁で初、運転再開困難に 広島>と差止理由を解説的に記事にしています。そして、<愛媛・伊方原発運転差し止め 広島高裁決定(要旨)>などが掲載されています。
なお、<脱原発弁護団全国連絡会>のHPでは、決定文要旨自体、決定文全文(ただし債権者マスキング)がアップされていて、決定文自体は400pを超える仮処分抗告審決定としてはきわめて膨大な量となっています。それだけでもこの仮処分の異例さを示しているといえるでしょう。
ところで、内容に入る前(といっても短時間で要旨のみ読んだだけですのでこの後の見方も概括的になります)、いくつか興味深い点を指摘しておきたいと思います。
伊方原発は愛媛県という犬型形状の尻尾に当たる佐田岬半島の付け根部分に位置します。むろんその伊方原発にメルトダウンなどの重大事態が発生し放射性物質が外部に放出した場合、愛媛県民がもろに影響を受けるわけですから、通常松山地裁での仮処分なり差止訴訟なりが提起されるわけです。それは現在、<愛媛・伊方原発運転差し止め訴訟・即時抗告審 判断、来年5月以降に /香川>の記事で取り上げられていますように、高松高裁で係属中です。
しかし東電福島第一原発事故で明らかになったように、重大事態となれば、その被害は愛媛県民にとどまらないことは実証済みです。その点、原告団(申立人団が正確ですが)・弁護団がよく広島地裁に手続きをしたなと、感心します。これこそある種、住民版・環境戦略訴訟(Strategic Lawsuit Against Public Participation)といってもよいのではと思うのです。通常、スラップ訴訟(SLAPP)と呼ばれ、北米で80年代後半から90年代初頭にかけて頻発するように、その後州レベルで規制する法律できています。それは大企業などが市民参加を抑圧する目的で戦略的に提起する訴訟で、その訴訟コスト負担を忌避して、企業に対抗する運動を抑圧させようとしてきたと言われています。
北米の環境訴訟では、90年代よく言われたことは、裁判所、裁判官を選ぶことが一つの戦略手段と言われていました。環境への配慮がしっかりしている裁判官のいる、配転された裁判所に訴え提起をするという手法ですね。環境法の多くの条項にだれでもが訴えて遺棄できるという市民訴訟条項があったり、自然に原告適格を認める傾向が一時流行したことも一因でしょうか、裁判管轄をかなり柔軟に対応できる制度をうまく利用した訴訟方法ともいえるのでしょう。
わが国ではそのような手法はあまり有効ではありませんでした。ただ、原発が重大事態になったときの影響は少なくとも県境を越えることは確かで、場合により西日本、中部日本、東日本が視野に入るほど広範囲に及ぶ可能性もありますね。そうだとすると、裁判所は原発立地の裁判所に限らない事になります。
伊方原発では松山地裁、高松高裁という一つのルートが常識化して、その判断もある種従来通りのように見えるとき、影響の及ぶ範囲内にある裁判所で、適切な裁判官がいるところを選択することも現実的な選択かもしれません。
今回広島高裁の野々上友之裁判長は、<伊方運転差し止め広島高裁の野々上裁判長、今月退官へ>の記事によれば、過去被爆者手帳交付を求めた集団訴訟で、原告勝訴の判決をしたとのことに加えて、退官を目前にしているとなれば、言葉は適切でないですが、憲法に基づき「良心に従い」思い切った判断もできるともいえますね。
弁護団がそのような選択をしたかはわかりませんが、私の狭い経験上、退官間近の裁判官は見事に良心のみにしたがって訴訟を指揮し判断するように感じています。むろん若手の裁判官も、またベテランで退官を前にしなくても、基本的に良心に従って判断している方がほとんどだと信じていますが。
さて余談が長くなりました。本論の決定理由に移ります。
広島高裁の差止理由は、昨日のブログで書きましたが、火山爆発による影響に対する事業者側や規制委員会の判断を疑問視して危険性を免れないとしているものです。
まず、要旨からその詳細を見ましょう。
広島高裁も原発の立地評価について、独自の判断基準を用いたのではなく、規制委員会の「火山影響評価ガイド」によっています。
ではそのガイドはどうなっているかについて要旨は
<(1)原発から半径160キロ圏内の活動可能性のある火山が、原発の運用期間中に活動する可能性が十分小さいかどうかを判断(2)十分小さいと判断できない場合、運用期間中に起きる噴火規模を推定(3)推定できない場合、過去最大の噴火規模を想定し、火砕流が原発に到達する可能性が十分小さいかどうかを評価(4)十分小さいと評価できない場合、原発の立地は不適となり、当該敷地に立地することは認められない-と定める。>としています。
このガイドを援用しつつ、火山活動の可能性を広島高裁は規制委員会とは別の判断をしています。
<伊方原発から約130キロ離れ、活動可能性のある火山である熊本県・阿蘇カルデラは、現在の火山学の知見では、伊方原発の運用期間中に活動可能性が十分に小さいと判断できず、噴火規模を推定することもできない。>
この<活動可能性が十分に小さいと判断できず、噴火規模を推定することもできない>という判断ですが、微妙な言い回しですね。<十分に小さい>といった数値的なもので閾値的なものを示さない判断がどこまで支持されるかは微妙かもしれません。
より具体的な決定の指摘では<約9万年前に発生した過去最大の噴火規模を想定すると、四国電が行った伊方原発周辺の地質調査や火砕流シミュレーションでは、火砕流が伊方原発の敷地に到達した可能性が十分小さいと評価できない。立地は不適で、敷地内に原発を立地することは認められない。>となっていますが、9万年前といった日本人の起源を優に超える時間軸、火砕流シミュレーションの科学的合理性など議論のあるところでしょう。
この点、<広島地裁決定は、破局的噴火については、原発の運用期間中に発生する可能性が相応の根拠をもって示されない限り、原発の安全性確保の上で、自然災害として想定しなくても、安全性に欠けないと示した。>と広島地裁は、破局的噴火の可能性の立証を申して人側に求めておりますね。それ自体、無理な相談ですが、それがこれまでの裁判所のスタンスだったと思います。また通常の開発案件であればおそらくどの裁判官でも疑義を呼ばないように思われます。しかし、原発となると違うのではないか、それが広島高裁の立場であったように思うのです。それは東電福島第一原発事故があり、その影響が今なお重くのしかかっていることを考えれば首肯できるといないでしょうか。
この点決定要旨は<現在の火山学の知見では、破局的噴火の発生頻度は国内で1万年に1回程度とされ、仮に阿蘇で起きた場合、周辺100キロ程度が火砕流で壊滅状態になり、国土の大半が10センチ以上の火山灰で覆われるなどと予測されている>と指摘しつつ、<そのような災害を想定した法規制はない。>とことわります。現在の法体系の基では規制の根拠とならないことを自認しているようにも見えます。
しかも法令だけでなく社会通念もそうだというのです。<発生頻度が著しく小さく、破局的被害をもたらす噴火で生じるリスクは無視できるものとして容認するのが日本の社会通念とも考えられる。>これはおそらく原発の危険性を知った多くの日本人ですら、同様の意識を抱いているように現代の世相を見ると感じます。
ところが、広島高裁は、ここで思い切った、ま、断崖から飛び降りるような決断をします。<高裁の考える社会通念に関する評価と、火山ガイドの立地評価の方法・考え方の一部に開きがあることを理由に、地裁決定のように、火山ガイドが考慮すべきだと定めた自然災害について、限定解釈をして判断基準の枠組みを変更することは原子炉等規制法と新規制基準の趣旨に反し、許されない。>すごいですね。最後は<原子炉等規制法と新規制基準の趣旨>に根拠を求めているのです。
まだこの広島高裁の判断がよく理解できていませんが、実際の要旨を援用して、もう少し検討してみたいと思います。記号は私が振りました。
「①現在の火山学の知見では, VE 17以上の破局的噴火の発生頻度は日本の火山全体で1万年に1回程度とされている一方,
「②仮に阿蘇において同規模の破局的噴火が起きた場合には,周辺100km程度が火砕流のために壊滅状態になり,更に国土の大半が10 cm以上の火山灰で覆われるなどと予測されているところ,
「③わが国においては,このようにひとたび起きると破局的被害(福島第一原発事故の被害を遥かに超えた国家存亡の危機)をもたらす一方で,
「④発生頻度が著しく小さい自然災害については,火山ガイドを除きそのような自然災害を想定した法規制は行われておらず,国もそのような自然災害を想定した対策は(火山活動のモニタリング以外は)策定しておらず,
「⑤にもかかわらず,これに対する目立った国民の不安や疑問も呈されていない現状を見れば,前記のような発生頻度が著しく小さくしかも破局的被害をもたらす噴火によって生じるリスクは無視し得るものとして容認するというのが我が国の社会通念ではないかとの疑いがないではなく,
「⑥このような観点からすると,火山ガイドが立地評価にいう設計対応不可能な火山事象に,何らの限定を付すことなく破局的噴火(VE 1 7以上)による火砕流を含めていると解することには,少なからぬ疑問がないではない。」
ここまでが地裁決定の「限定解釈」にも一定の理由を認めつつ、結局、広島高裁は、やはりこれを否定するのです。
「⑦しかし,前述したとおり,原子炉等規制法は,原子力発電所の安全性審査の基準の策定について,原子力利用における安全の確保に関する各専門分野の学識経験者等を擁する原子力規制委員会の科学的専門技術的知見に基づく合理的な判断に委ねる趣旨と解されるから,」
「⑧当裁判所としては,当裁判所の考える社会通念に関する評価と,原子力規制委員会が最新の科学的技術的知見に基づき専門技術的裁量により策定した火山ガイドの立地評価の方法・考え方の一部との聞に乖離があることをもって原決定のように火山ガイドが考慮すべきと定めた自然災害について原決定判示のような限定解釈をして判断基準の枠組みを変更することは,原子炉等規制法及びその委任を受けて制定された新規制基準の趣旨に反し,許されないと考える。」
⑥の判断が揺れている印象を受けます。①②は9万年前に起こった阿蘇山噴火との関係でその可能性をどうみるのか広島高裁の判断が判然としませんが、限定解釈すべきでないとの理解に一度でも発生していることから可能性から除かれるべきでないとの結論となるのでしょうか。
⑦は誰もが認める判断と思いますが、結論の⑧になると、そこまでいえるかは価値観にかかわることかもしれません。原発の危険性とその甚大な被害影響を考えると、法解釈の是非は別にして、広島高裁の判断を支持したいと思います。
なお、「影響評価(設計対応可能な火山事象が原子力発電所の運用期間中に影響を及ぼす可能性の評価)」についても、火山学の知見をもとに、地裁決定を覆していますが、これは割愛します。
仕事の打合せがあり、中断して、中途半端になりましたが、中身が濃いので、今日はこの程度にします。