たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

金融リスク二の舞? <CLO ローン担保証券、金融庁が調査>などを読みながら

2019-03-12 | 金融経済と合理性・倫理性

190312 金融リスク二の舞? <CLO ローン担保証券、金融庁が調査>などを読みながら

 

大手金融機関は超低金利政策が長期化する中、IT決済やビッグデータ活用などの世界情勢もあって、支店統合などさまざまな対策を講じてきたようです。他方で、本来の金融商品開発なり投資や金融のリスク管理が進歩したのか疑問を感じるようなニュースを目にしました。

 

今朝の毎日記事<CLOローン担保証券、金融庁が調査 景気悪化時、不良債権化リスク>です。

 

CLOって耳慣れないことばですが、<企業向けローン担保証券>のことです。用語解説では次のように説明されています。

<低格付けの企業への融資を束ねて証券化した金融商品。米国では多額の債務を抱えるなど財務状況に劣る企業が年4~6%程度の高金利で銀行から融資を受けたり、社債を発行したりして資金調達している。引受先の金融機関は債務不履行などのリスクを分散するため、複数の債権をパッケージ化し、CLOとして投資家に販売している。>

 

証券を構成しているのは低格付けの企業への融資の束ですか、その企業というのは米国では財務状況に劣る企業で、年4~6%程度の高金利で融資を受けているといのですから、これあのリーマンショックのとき問題になったサブプライムローンと類似の構造ではと疑いたくなります。

 

米国の株高傾向が変調を示すような動きが昨年来続いています。

<SMBC日興証券などの調べでは、米国でのCLO発行残高は2018年末時点で6200億ドル(約69兆円)となり、リーマン・ショック直後の08年末に比べて約2倍に膨らんだ。>ずいぶん危うい金融商品が傍聴して破裂間近な印象にも見えます。

 

他方で、邦銀はCLOの世界残高の10%も保有しているというのですね。まあ米国に限った調査ではありませんが。

<外資系金融機関の調査によると、3メガバンクなど大手7金融機関グループの昨年末のCLO保有残高は計約11兆円に上る。英イングランド銀行(BOE、中央銀行)によると、欧州での発行分なども合わせた世界の残高の約1割を邦銀勢が保有しているという。>

 

CLOはサブプライムローンとは性質が違うという評価のようですが、まったく同じなら誰も相手にしないでしょう。手を変え品を変えるのがこの膨張する市場の特質ではないでしょうか。本質に違いはないように見えるのですが、その違いを明確にステークホルダーに示してきたのでしょうか。

 

すでにバブルがはける懸念が顕在化しつつありますね。

<CLOも米連邦準備制度理事会(FRB)が利上げ路線の継続を打ち出していた昨年12月には、市場価値が急落し、元本割れする商品が相次いだ。>

 

だいたいわが国の金融庁は後追い行政と揶揄されることもありますが、こののような邦銀のCLO依存率を承知していたのでしょうか。

<こうした状況を受け、金融庁も年明け以降の定例検査で、大手7銀行グループのCLO投資の実態調査に着手。各金融機関のリスク分析・管理体制を点検するほか、リーマン・ショック級の市場危機が再来した場合に想定される損失規模も確認している。さらに3月末からは、国内の金融機関や大手証券会社がCLOを含めた証券化商品に投資する際の自己資本規制を厳格化する。>

 

<大手行などは「邦銀が投資するCLOは格付けが最上位の安全な資産で、現時点で債務不履行の可能性は低い」とする。>ということですが、アナリストが指摘するように、急落のおそれを否定できる根拠をお持ちでしょうか。

 

だいたい低格付けの中で、最上位といっても、それだから安全な資産というのは、相対的評価に過ぎず、この金融商品のもつリスクをどのように自ら判断しているのでしょうか。格付け企業の評価自体、リーマンショックの時信頼性に乏しいことがあることを経験したはずです。格付け自体を前提にしつつも、自らの投資リスクを合理的に審査してきたのか試されていると思うのです。

 

CLOは<証券化商品>の一つです。このネット情報の説明では<ローンやリース、不動産など、将来一定の収益が見込める資産を裏付けとして発行される有価証券のことをいいます。これは、金融機関や企業などが保有する金銭債権や不動産などの特定の資産を切り離し、その資産が生み出すキャッシュフロー(現金収入)を裏付けに発行されるものです。>とのことです。

 

そしてその価値評価については<証券化商品には、個別性が強い商品が多く、通常、流通市場での取引量は限られており、取引価格(時価)の評価は必ずしも容易ではありません。>ということで、大手邦銀といえども、その評価を的確にするのは容易でないでしょう。上記記事で引用されているように、格付け会社の評価に相当依存しているのではないかと思われます。

 

そのリスクについてサブプライムローンでようやく身にしみたわけでしょうけど、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というのでしょうか、「天災は忘れた頃にやってくる」(まあこれは人災でしょうけど)というのでしょうか、リスクについてはあまり考えたくないのが人情というか、人の性でしょうか。

 

それは企業経営ではあってはならないのですが、現実の社会では往々にしておきていますね。

 

上記情報では<今日では、証券化商品の投資にあたっては、高度なリスク管理の必要性が強く認識されるようになっていますが、一方でその対応は必ずしも十分にできているとは言えません(まだ不十分な面も多い)。>と言われていますように、どうも対応が的確に行われているのか心配です。

 

金融庁の検査に期待したいところです。私のわずかな預金に特段、影響はないものの、日本の金融市場が危うくなっては困ります。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。


預金と投資の今後 <日銀「33兆円過大計上」問題で見えた、貧困化する日本>などを読みながら

2018-10-04 | 金融経済と合理性・倫理性

181004 預金と投資の今後 <日銀「33兆円過大計上」問題で見えた、貧困化する日本>などを読みながら

 

台風25号の動向が気になる今度の連休ですね。もうそろぞろ台風・豪雨などの自然災害から今年は勘弁してもらいたいと思うのは、被災地の方はもちろん、多くの人も同感ではないでしょうか。でも日本列島の歴史を遡ると、一度あることは二度あるみたいに災害列島として記録に残っているだけでも相当なものですね。被災を乗り越えてきた先祖のようにへこたれないことが肝腎かもしれません。

 

ところで、今日は珍しくForbesの記事<日銀「33兆円過大計上」問題で見えた、貧困化する日本>に目が点となりました。最近は会計不正(過大計上も含め)も巨大化していますが、33兆円っとは桁違いですし、それがこともあろうに日銀というので、なんたることかと思い、つい記事を読んでしまいました。

 

すると次々の気になることが出てきました。どこまで行くのかと思いつつ、それでも日本は大丈夫?のようでもあり、ほんとかなと半分、これはグレーでしょうか。

 

まず上記記事の執筆者・藤野英人氏は、723日付け毎日記事<投資信託家計保有額、30兆円以上過大計上 日銀>を引用していますので、私もまずその記事から紹介します。このときは見落としていた!わけです。

 

<個人の代表的投資商品である「投資信託」の家計保有額が、日銀の統計作成時の誤りで30兆円以上も過大計上されていたことが判明した。>どうやら天下の日銀の統計が間違っていたようです。

 

その30兆円以上の過大計上の中身は<17年12月末の家計の投信保有額は、改定前の109兆1000億円から約33兆円少ない76兆4000億円まで激減。個人金融資産に占める投信の割合も、改定前は12年の3.8%から17年の5.8%まで上昇していたが、改定後は14年の4.6%をピークに低下し、17年は4.1%まで下落していたことが分かった。>

 

その過大計上があまりに大きすぎるので、投信の個人金融資産比率にも影響して、実際はほんの0.3%としか増えていないのに、2%も急増したといった誤った統計が出回って、政府のトリクルダウン策がうまくいったかのような都合のいい数値になっていたのが、ようやく化けの皮が剥がれたというと言い過ぎですが、ま、この株価上昇には個人はほとんど恩恵を受けていないことが露呈されたことは間違いないですね。これだけバブル期に舞い戻るような勢いの株高ですから、個人の投信が増えていれば、もっと消費に反映するはずですね。トリクルダウンの中間が別の方、実はゆうちょ銀行に落ちたのであって、個人には行き渡っていないのですから、当然と言えば当然でしょう。

 

毎日記事では<これほど大きな修正が生じたのは、日銀が、ゆうちょ銀行が保有する投信を個人が保有しているものと誤って計算していたことが原因だ。>と指摘していますが、そんな誤りがあるのかと不思議な経緯です。

 

また<政府や証券業界は、現預金に偏る家計の資金が、経済成長に資する企業への投資資金として回るような政策を進めてきた。>わけですね。でも<日銀の統計に基づく投信保有額の増加は政策効果の表れとみていた>というのは、誤ることのないはずの計算で、「忖度」があったのでしょうかね。この誤った?結果を受けて<金融庁幹部は「我々の認識以上に個人の投資への動きが進んでいないなら、改めてどうすべきか考えないといけない」と厳しい表情を見せた。【小原擁】>では済まないでしょう。

 

さて、毎日記事を引用した藤野氏は手厳しい。

<、貯蓄から投資なんかまったく進んでおらず、むしろ投資から貯蓄になっていたということである。日経平均株価はこの間、14000円台から24000円程度まで上昇をしている。投資信託をただ保有しているだけでも、70%は増えていたはずだ。増加分を考えると少しだけ売却をしたというレベルではなく、投資信託を”売りまくって”現金に換えたということがわかる。

長期投資は根付いておらず、日本の個人投資家はひたすら株や投資信託を売り、喜んで外国人に所有権を移転したことになる。自分たちの国の資産である日本の会社を外国人に売り渡していた。かなりもったいない。>ま、資産運用の専門家的発想からすると、そうかもしれません。

 

また<いったいこれはどうしたことか。このようなミスではすまされないことがあって、特に日銀の謝罪があるわけでもなく、関係者に処罰が下されたわけでもない。非常に解せない。>そうですね。でもこの誤った数値は政府の政策に都合が良かったので、それを間違っていた、謝りますというと、モリカケと似たような、いやそれ以上の問題になりかねないので、ここは騒がずおとなしく声が上がらないことを祈って暴風雨のような嵐が起こらないことを願っているのではないでしょうか。

 

日刊ゲンダイデジタル日刊ゲンダイDL日銀が33兆円過大計上 安倍首相「家計は豊か」のデタラメ>も相当手厳しいですが、その後他の媒体はフォローしていないようです。

 

ただ、本日付のたばぞうの米国株投資では<個人の投資信託保有残高が実は減っていた件を考える>で、投資信託自体を批判して、少し違った見方をしています。

 

<米国株ETFや個別株に比べて、あきらかな「ぼったくり」が多いのが投資信託でした。ダメな理由は以下に集約されます。

            信託報酬が高い

            トラッキングする指数にロクなものが無い

            そもそもまともにトラッキングできない

            毎月分配型のタコ足配当商品が多い>

 

ま、ここまで言えるかについてはどうかと思うのですが、過去の投資信託の中にはこういった批判を甘受しないといけない例もあったと思います。私は一度くらいしか手を出したことがありませんが、素人ながら上記のような考えに近いかもしれません。

 

たばぞう氏は、投資信託自体を問題にしているのではなく、この商品を扱う会社を問題にしているのですね。それで<投資信託は自分で選ぶ視点をしっかり持とう>とのたまっています。そのとおりかもしれませんが、素人はどうするのでしょうか、簡単ではないですね。

 

さて長い前口上でしたが、ここで少し本論のプロローグ的な話に入ります。

 

結局、増大したという33兆円の投資信託は、個人ではなく、ゆうちょ銀行が保有しているものだったということでした。

 

そこで私が気になったのは、まず、え、ゆうちょ銀行はそんな「投資銀行」になったの?と不思議な感覚です。それがだれも問題にしないことに不思議を覚えています。別に銀行だから資産運用にあたって法令に違反しなければ、さまざまな選択肢をより有利に、そして安全に運用すればいいではないかと思われるかもしれません。

 

たしかにそうですが、ゆうちょ銀行は、他の都市銀行や地方銀行などの金融機関と違います。庶民の貯蓄するもっとも身近な金融機関です。私のように地方の田舎に住んでいると、いかにゆうちょ銀行が多くの人にとって身近な存在であるか日常的に感じます。

 

その庶民はマイナス金利政策の下、普通貯金はもちろん、定期貯金もほとんど利息が付かない状態に置かれていて、タンス預金でもいいはずなのに、たいていの人はゆうちょ銀行の金利なしともいえる状態で(わずかな金利で、が正確ですか)貯蓄しているのに、その銀行が多額の投資信託を保有して、莫大な利益をあげているのはいかがなものでしょうかと思ってしまうのです。

 

それを一応、確認するため、とりあえずゆうちょ銀行のホームページから<単独決算推移>を見ると、163月期、173月期、183月期、と連続して経常利益が5000億円近くあり、営業利益を大きく上回っています。凄いですね。

 

で、この経常利益の中身ですが、最近の<第一四半期報告書>がありましたので、これによると、経常収益が4700億円あり、そのうち、有価証券利息配当金が3400億円であるのに対し、貸出金利息はなんとその1%に満たない31億円です。この後の収支計算はカットします。

 

銀行というと、貸付による収益が中心かと思いきや、いまは時代が変わっていることは確かで、収支構造も大きくシフトしていることは認めましょう。でも、ゆうちょ銀行という庶民の大銀行がこのように投資信託(だけではないですが)依存の収支構造になってよいのかと気になりました。

 

庶民が理解していればいいのですが、どうでしょうか。だいたい上記のような株価上昇の利益を相当得ているにもかかわらず、貯蓄している庶民にはまったくなんの利益還元もなくていいのかと思ってしまいます。(いいかもしれませんが、説明責任くらいあるのではと思うのです)

 

他方で、庶民はいまも金融資産を貯蓄に偏在させていますね。それでいて時折、特殊詐欺の猛威にもさらされています。そのような庶民にとって、株式・債券の相場は素人にはなかなか判断が容易ではないかもしれません。

 

とすると、庶民が貯蓄し、貯蓄を預かるゆうちょ銀行が、専門家のアドバイスを多額の費用を投じて受けて、投資信託などに投資して利益を上げるのは、いまの状況ではやむを得ないのかもしれないとも思ったりするのです。ゆうちょ銀行はじめ各銀行も投資信託を勧誘しますが、あまり信頼性がないのかもしれません。ゆうちょ銀行が自らの責任でやる場合は、リスクを引き受けるので、リスクヘッジもそれなりに対処しているでしょう。

 

と半分、あきらめ気分で、いまの状態を是認するしかないのか、気になったものの、今のところ、いい策は見当たりません。代替案あっての批判が望ましいと思うのです。

 

とはいいながら、先ほどの貸付金利息がさほど大きくないことに注目しています。

というのは929日付け毎日記事<日本郵政スルガ銀と融資、ゆうちょ銀調査 シェアハウス不正>も見過ごしていましたが、<スルガ銀の住宅ローンなどを仲介する際に、窓口業務で不正がなかったかなどを調べているという。スルガ銀との提携融資は年間約350億円に上る>というのですね。

 

貸付業務といったことについて、ゆうちょ銀行にはしっかりした審査ノウハウを身につけた行員があまりいないのではないかと危惧するのです。それで、銀行全体で不正融資をやっていた疑いのあるスルガ銀行と提携して、その住宅ローンの仲介をしていたというのですから、困ったことになりました。

 

<8月末に外部弁護士を入れた調査委員会をゆうちょ銀内に設置>して、不正の有無を調査中と言うことですが、その情報開示もすくないように思われます。すでに<シェアハウス融資で経営が事実上破綻した投資用アパート運営会社「ガヤルド」(東京)の販売協力会社は、ゆうちょ銀が窓口の提携融資でも不正があったことを共同通信の取材に明らかにしている。>ということですので、公開性・中立性の強い第三者委員会でやるべきではないかと思うのです

 

というわけで、庶民の銀行に、襟を正してもらって、運用のあり方を見直してもらいたいと思うのです。現在の株高傾向にも本当に実体経済を反映しているのか疑問なしとしませんので、慎重な資産運用を期待したいところです。

 

今日はこれにておしまい。また明日。

 

 


金融危機の温床か? <リーマンショック10年 金融危機から何を学ぶか>などを見聞して

2018-09-14 | 金融経済と合理性・倫理性

180914 金融危機の温床か? <リーマンショック10年 金融危機から何を学ぶか>などを見聞して

 

リーマンショックは10年前の915日に起こったのですね。NHKはじめマスコミは、10年目を記念して?だいぶ以前からいろいろ取り上げています。

 

私なんかは田舎に住んでいますし、リーマンショックもその後の株式暴落を含め世界経済で起こった激震もほとんど体感できていないかもしれません。私がわずかな株式取引をしていたのはバブル前後で四半世紀以上前ですし、その後は何が起こっても蚊帳の外にいます。とはいえ、資本主義とか株式市場が好不況のサイクルをもち、その影響が社会全体に及ぶことを懸念しないわけには生きません。

 

市場は10年サイクルとも言われますが、そこには株式や不動産の価格が上昇一方のとき、いつか反転に回ることを多くが忘れる、あるいは思いたくないためか、「突然」起こりますね。でもその予兆もあれば、温床もあるはずです。

 

NHKおはよう日本で、ここのところ毎日、リーマンショック10年をテーマに放送していますが、とりあえず昨日の番組を取り上げようかと思います。

 

リーマンショック10年 金融危機から何を学ぶか>では、驚かされました。リーマンショックは、アメリカ人にはショックではなかったのかと思わざるを得ないような状況がもうすごい勢いで進んでいるように思えます。

 

トランプ政権の自国本意の経済貿易政策で株式も経済もおかしくなるのではと思っていたら、あに図らんや、どんどん好成績になっているようです。<ダウ平均株価は、今年(2018年)1月に記録した最高値に迫る勢いです。><「不動産市場も活性化しています・・ニューヨークで過去最大の再開発が進んでいます。」>ということのようです。

 

ところが、ある豪邸(日本ではといえるでしょう)の取引を見ると、こんなのあり?と驚いてしまうと同時に、これがアメリカ経済の絶好調の裏かと合点がいきました。

 

アトランタ郊外に住むヒックスさんが、去年、購入したのは、<プール付き、100坪をこえる豪邸。価格は1億4,000万円>(100坪は建坪だけで雰囲気からは敷地は510倍以上の広さでしょうね)

 

彼はリーマンショックで解雇され、住宅も差し押さえになったというのですから、融資基準が厳しくなった銀行から借入できず、<住宅ローンを提供したのは、銀行の免許を持たないノンバンク。購入価格の8割、1億円を超える融資を受けました。>というのです。

 

世界中の超金融緩和で金余りの中、従来の銀行は二の舞にならないように融資規制が厳しくなった一方、ノンバンクがその穴埋めに急速に拡大して、住宅ローンの50%を占めるようになったというのですから、なんと危うい砂上の楼閣のように思えてしまいます。

 

だいたい購入価格の8割も融資する、その審査基準が明らかでないとなると、まるでサブプライムローンの衣替えのように思えて仕方がありません。日本でもスルガ銀行がでたらめの融資申込者の資料を改ざんし、融資量を拡大してシェアハウス投資を促進させた事件が発覚しましたが、現行の金融秩序ではわが国でも超金融緩和体制の中で危うい企業がさらに出てきそうな気がします。

 

ともかくアメリカの株式投資や不動産投資は、その基盤に実質経済の裏付けがほんとうにあるのか疑問を持たざるを得ません。返済できる裏付があるかどうかといった慎重な手続を飛ばして、資本がババを引かないようにあらゆる市場を狙って動いているように感じてしまいます。

 

<ニューヨーク連銀総裁で、のちに財務長官も務めた、ガイトナー氏>の言葉は至言かもしれません。

 

<忘却は敵>という言葉は、現在のアメリカ市場にうごめいている人たちすべてにいえることでしょう。

 

<「金融システムは非常にもろい。破綻のリスクから人々を守るために強力な保護政策が必要だ。危機の記憶は永遠には残らない。忘却は敵なのだ。」>

 

株式も不動産も常にその価格が上下し、上がれば下がるわけですが、いま上がってる株式市場を前提に、これからも上がると期待、希望、信じ込み、さまざまな投資、費消に金を使っているアメリカ人は、トランプ政権と同様、どこに行き着くのかわからない橋を渡っているような気がしてなりません。

 

金融破綻の場合の対応策はあるのでしょうか。

ガイドナー氏は、リーマンショックによる大恐慌を回避した要因として、<当時、多くの金融機関を破綻の瀬戸際から救ったのは、FRB・連邦準備制度理事会が持っていた、緊急にお金を貸す仕組みでした。>と指摘しています。

ところが、現在は<その後の法律改正によって手続きが必要になり、迅速に対応することが難しくなったのです。いわば、「消火器」が「じょうろ」になったようなものです。>

 

と火事が拡大すること、大恐慌を起こすことを回避する手段を現在持ち得ていないというのですから、アメリカ経済の危うさは深刻です。

 

もう一つの放送<リーマンショック10年 ウォール街の教訓>は、リーマンショックの大激震をもたらした企業トップや社員たちの話です。

 

<リーマン破綻時のCEOリチャード・ファルド氏>は張本人として非難に晒されましたが、その部下であったコーエン氏は<彼は何が起きているか十分に把握していなかった。>と話しています。また、<「会社は大きくなると制御できなくなる。会社に経営者が振り回されてしまう」>とも。

 

同様に、同社の<エコノミストだった、イーサン・ハリス氏>は、目に見えないほど大きな機会の歯車の一つでしかなく、その歯車がどのような結果をもたらすかまったく理解できないでいたことを如実に語っています。

 

<「金融市場では理解できないことがたくさん起きていた。複雑な金融商品がすごいスピードで拡散されていった」>と。

 

<“ウォール街の大物”のコーエン氏は「地下のパイプ」と表現し>、<地下にある水脈がどこでどうつながっているのか。・・すごく複雑で分からない。ひとたびショックが加わればどこから水が噴出してくるのか、プロでもよく分からない状況です。>これは見えないで連鎖反応する時限爆弾があるとも言えるかもしれません。それがまさに教訓であると思うのですが、その教訓がいつの間にか忘れ去られてしまったように思えます。

 

ちょうど一時間となりました。今日はこれでおしまい。また明日。


お金の使い方 <グリーンボンド>と<ESG投資>について

2018-06-14 | 金融経済と合理性・倫理性

180614 お金の使い方 <グリーンボンド>と<ESG投資>について

 

現代はお金の使い方、お金の集め方、いずれもが個人はもちろん、企業や公的団体も悩む事柄でしょうね。いや、それは貨幣経済が始まって以来、延々と続いてきた事かもしれません。

 

こんなことをふと思ったのは、長期の出張(といってもほんの5日間)で、疲労が今日も続いていて、事務所にいても電話や打ち合わせ以外はぼっとしているうちに、もう業務終了時間となってしまったことと関係します。お金は場合によっては独りでに稼いでくれる、あるいは利益を上げてくれる、あるいはやり方次第でいくらでもあつまってくる、玉手箱のようなときもありますね。自分の頭は働かそうとそれなりに努力しても働かないし、努力しないと、あるいは疲れてしまうと動こうとしません。お金は便利なようでもあるとふと思ったからです。

 

でも私の頭と同じで、私のお金の使い方や、集め方では、どうもうまくいきそうなイメージが浮かびません。ま、あまり縁のない世界と考えれば、落着するのですが。

 

しかし、世の中の経済や生活、地球環境や政治といったことを考えたとき、私の財布や使い方とは異なり、大きな問題になりそうです。

 

以前、預金金利や国債利回りがいいとき、そう90年代くらいまででしょうか、相当程度の基金があれば、その利回りなどで財団はもちろん、公益団体、NGO、あるいは宗教法人なども、一定の余裕を持って、経費を補い、事業を営むことができていたのではないかと思います。

 

当時、NPO法などがないころ、任意団体として信頼性を得て安定的に運営するために、財団設立には3億円程度の基金を確保することを求められていたように思いますが、そのため毎年、資金蓄積に努めていたのではないかと思います。

 

でも金融経済を含め世界経済はダイナミックに変貌したように思います。私のわずかな預金は利息収入がなくなり、それまで預金利息を期待して貯めていた多くの人がその将来に危うさを感じるようになったのではないでしょうか。

 

それは個人だけでなく、企業や公的団体も同じでしょう。単に一時的な利回りや株価上昇を追求して、債券や株式に投資することは大きな利益を得る可能性があると同時に、リスクも大きいですね。

 

だいたい、配当利益や利回りなどが少しでも多いところや、あるいは収益の持続的安定だけを考えた投資スタイルは、従前の預貯金に流れるお金の使い方と大同小異に思えるのは私だけではないように思うのです。

 

私は30年近く前、一時的に株式投資をしていましたが、私なりに環境保全銘柄など、企業方針・スタイルを選んでいました。ただ、しっかり理解していなかったため、当該企業がとんでもない事業を営んでいることを後でわかってがっかりしたと言うこともあり、いい勉強となり、数年で株式投資からは脱退しました。

 

そう、お金の使い方は、最後は自分が使うのですが、プロの視点で、その価値観を示して、それを適切に反映する形で、投資の形が提供されれば、地球環境という大きな基盤の保全と将来の産業構造立脚に役立つ可能性を秘めているように思えるのです。

 

それはポートフォリオなど金融工学を活用した投資スタイルとは異なる、一つの明確な価値観の提示と、そこに向かう技術革新や事業展開で利益を生み出す仕組みを提供し、それに賛同する無数の人からの投資を得て、10年あるいは50年、100年先を目指した夢、計画を実効性のあるプランで実現することに参画するような投資構造・市場が生まれるとすばらしいなと思うのです。

 

今朝の毎日記事<グリーンボンド脚光 環境に優しい事業に投資します 民間企業相次ぎ参入>は、そのような可能性のある環境債のはっこうシステムを紹介しています。

 

<再生可能エネルギーなど環境に配慮した事業に調達した資金の使い道を限定する債券「グリーンボンド(環境債)」の発行が活発化している。日本では従来、政府系機関や自治体が発行する例が目立ったが、最近は環境への取り組みをアピールできる狙いもあり、民間企業が活用する動きも広がり始めた。投資を通じて社会貢献を図れるため、大学なども資金の出し手となっており、企業の資金調達先の多様化にもつながっている。【小原擁】>

 

欧州ではすでに起債額が13兆円にも上っているそうで、飛躍的な増加傾向が見られるようです。他方でわが国の現状はいまのところ惨憺たる状態でしょうか。

 

<国内の主なグリーンボンド発行例

 発行体(発行時期)             発行額   事業

東京都            (昨年10月) 100億円 スマートエネルギー都市

鉄道建設・運輸施設整備支援機構(昨年11月) 200億円 都市鉄道利便増進

戸田建設           (昨年12月) 100億円 浮体式洋上風力発電建設

三菱UFJリース          (4月) 100億円 太陽光発電投資>

 

再エネ事業自体が伸び悩んでいる実態とも関係するようにも思えます。一般市民が投資先を選択するメニューが限られ、ましてボンドとなると俎上にも上っていないのではないかと思います。政府がエネルギー政策においても、金融政策においても、なにか従前の方式にこだわり、新たな資金調達方法や事業創造を用意できていないように感じるのです。

 

金利ゼロでも預金から別の金融手段にシフトしないのは、個人や企業、公共団体だけの狭量な判断によるものとはいえないと思うのです。自分でお金の使い道を選ぶ、それも将来を見据えた使い方を考えることを、私たちはおそらく一度も学んでこなかったのではと思うのです。

 

その意味では、いま個々が選択をするために、自分の頭で考える時期なのではないでしょうか。公的年金といった莫大な資金投入を起爆剤にして、株式市場が活況?を呈しているようでは、将来の見通しが暗いように思えるのです。

 

企業は起債を積極的に行い、事業展開でも一定の価値観を体現するようになるには、グリーンボンドのような明確なビジョンをもつ必要が事業体に求められているように思えますし、政府もそのような市場構造にシフトする仕組みを用意する必要があるのではないかと思うのです。

 

少し古いですが、昨年の記事<ESG投資熱視線、生保に広がる 「食料」「女性」使途絞り高利回り>も現代的な流れを示していますが、残念ながらわが国ではさほど明確な動きがあるように思えません。

 

たしかに<環境、社会貢献、企業統治を重視して投資先を選ぶ「ESG投資」が、大手生保など国内機関投資家に広がっている。財務情報だけでなく、環境保全など長期的な企業価値向上につながる情報を重視しながら収益を求める手法で、超低金利下でも比較的高い利回りが期待できることも拡大を後押ししている。【中島和哉】>といった期待感はありましたが、ま、新しい商品の一つ程度にしか、見られず、伸び悩みが現状ではないかと思うのです。

 

<日興リサーチセンターの調査によると、2015年9月時点の日本のESG投資は46兆円で、12年3月時点の27兆円から7割も増えたという。>という大変な成果を訴える結果もありますが、他方で<三井生命は「社会的課題に取り組む企業ほど、長期的には安定的な高利回りを得られる傾向がわかってきた」として、今年度中にESG関連で計230億円を積む方針だ。日本生命、住友生命、明治安田生命もこれまでESG関連に約1000億~1500億円の投資を行った。>と、大手生保の多額投資を取り上げ、その巨額の調査結果を裏付ける一つのようにも見えるのですが、<ESG関連>というのが怪しさを含んでいるように思えます。

 

最初に一覧表にしたESG投資事例では、各社数10億円レベルにとどまっているのですから、ESGに適合する投資といえるのは実質的には極めて少額とみた方が正鵠を射ているのではないでしょうか。

 

なお、ESG投資の解説にあるように、世界の潮流ははるかにこの価値観を追求する方向にあるように思えるのです。

 

<ESG投資

 環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance=統治)の英語の頭文字から作られた言葉。「責任投資」「持続可能な投資」などとも呼ばれる。国連が2006年、「機関投資家の投資意思決定にESGの視点を反映させるべきだ」とする責任投資原則を提唱して機運が高まった。手法には、(1)投資先企業との対話を通じてESGへの取り組みを促す(2)ESGの観点で問題ありと判断した企業を投資先から除外する(3)資金の使途をESG関連に絞って投資や融資を行う(テーマ投資)--などがある。国際団体GSIAによると14年時点の世界のESG投資残高は21兆3575億ドル(約2450兆円)で、12年から1.6倍に増加した。>

 

そろそろ一時間となります。これを書いているうちに少し目覚めてきました。この辺でおしまい。また明日。


仮想通貨は何者? <仮想通貨 流出ネム全額を交換か 資金洗浄が完了?>などを読んで

2018-03-23 | 金融経済と合理性・倫理性

180323 仮想通貨は何者? <仮想通貨 流出ネム全額を交換か 資金洗浄が完了?>などを読んで

 

今朝の国際ニュースでNY株式市場が3%近い大幅下落と報じていましたので、これは東証も相当影響あるなと思っていましたら、案の定1000円近い急激な下落でした。それに円高ドル安の進行が進んでいますね。トランプ政権の世界経済無視の独壇場ぶりが影響したのでしょうか、あるいはこれからの株価や為替動向こそ、経済実態に合ったものになるのでしょうか、外野の席でのんびり観戦しようかと思っています。

 

他方で、毎日が継続して記事にしている仮想通貨の問題、今朝は小さく扱っていましたが、その不完全さを感じさせるというか、とても将来的に適正な取引を生み出すような仕組みになっていないことを感じます。

 

毎日朝刊記事<仮想通貨流出ネム全額を交換か 資金洗浄が完了?>では<仮想通貨交換業者コインチェックから約580億円分の仮想通貨「NEM(ネム)」が流出した事件で、犯人側が流出ネムの全額を他の仮想通貨に交換した疑いがあることが22日、インターネット上の取引記録などから分かった。>

 

それは結局<情報セキュリティーの専門家は、犯人側のマネーロンダリング(資金洗浄)が完了したとみている。>ということになりそうです。

 

追跡すべき責任ある団体というべき<国際団体「ネム財団」は20日、流出ネムの追跡を停止したと発表した。>というのですから、犯人側の勝ちなんでしょうね。いや、仮想通貨の本質的機能といわれる誰でも取引を監視できるということ自体、砂上の楼閣と非難されても仕方がないかもしれません。

 

それ以上に、国際社会がさまざまな違法取引を取り締まろうと、マネーロンダリングの監視を強化している中、この新鮮で創造的ともいえる仮想通貨は、今のところ、国際秩序を犯す道具になり得ることを示したことになりますね。

 

なぜ仮想通貨が標榜していた鉄壁?の監視機能が破られたかについて、毎日記事は先月の記事<クローズアップ2018仮想通貨流出 闇ウェブ取引、追跡難航 転売が活発化>で、その構造的欠陥を指摘していました。それがすべてかどうかもわかりませんね。

 

ともかく記事によると<犯人側は流出ネムの一部を匿名性の高い「ダーク(闇)ウェブ」と呼ばれるサイトで転売する動きを活発化させ、ネムの追跡は困難になりつつある。>

 

ダークウェブサイトというのがあるのですね。それはある意味、表の取引があれば、裏の取引が成立するのは人間社会の自然の成り行きでしょうか。それはネット自体がすでにブラックボックスが巨大化しているように思えますから、当然でしょうか。

 

本来、仮想通貨に目印がつけられ、追尾可能というのが前提でした。

<ネムを扱う国際組織「ネム財団」やネット上の有志は、犯人のものとみられる流出先の口座を特定し、移動が確認されれば取引記録に「盗まれたネム」であることを表す目印を付けて監視している。>

 

しかし、この目印自体が、人間が関与する以上、隙間というか穴というか、抜け道が成立するのですね。

<専門家の分析によると、移動したネムに目印を付けるまでには平均3分かかる。一方、取引記録が承認され、所有権が移るまでの時間は1分程度に過ぎない。15秒程度の仮想通貨もある。>取引成立のスピードと、目印付けのスピードに大きなタイムラグがあるのですから、これだけとってみても、追尾可能とか、すべて監視できるとか、そんな前提はおかしいですね。

 

その結果というか、犯人側が小口化して大量に、頻繁に取引を繰り返せば、追尾不能になるのはわかります。

<多くが小口取引や頻繁に売買されたネムとみられ、その動きを完全に捕捉できていない。最終的に善意の第三者に渡った場合、「取引後に流出ネムと判断されても、回収することは法的にも難しい」(交換業関係者)との見方もある。>

 

そのほか、メッセージを添付できることを悪用して値引き販売して、多くの購入者を誘引することができたとも考えられているようです。

<犯人は、送金時にメッセージを添えられるネムの機能を悪用。不特定多数の口座に匿名性の高い「闇ウェブ」での取引を持ちかけ、「15%オフ」などと割安での交換を申し出ていた。>

 

闇ウェブの世界では目印自体が機能しないともいわれているそうで、それはそうでしょうと納得してしまいます。

<サイバーセキュリティー専門家の杉浦隆幸氏は「闇ウェブでの取引は誰が売買したのか特定しづらいため、目印の抑止効果は期待できない」と語る。>

 

それでも対策はあるようですが、これは私の理解が及びません。

<流出ネムの交換・換金を止める方策について、杉浦氏は「プログラムを書き換えることで流出ネムを『隔離』し、交換を止める方法があるはず」と指摘。「換金が始まった以上、踏み込んだ対策が必要」と語る。>

 

流出ネムの隔離とか、交換ストップとか、そういうことが果たして可能か、その手法はどういうことなのか、わかりませんが、他方で、なぜネム団体なりが可能な手段を講じなかったかの説明責任が問われる可能性はあるでしょう。

 

コインチェックはすでに補償を開始していますが、それが完全に履行されるのか、その額が適正なものか、やはり損害賠償責任を負わないといけないかは、すでに訴訟提起した方がいるようですので、その行方をみたいと思います。

 

ところで、仮想通貨はいったい何でしょうか、それが今日の本題です。たしかに通貨は為替変動があり、また送金手数料も高いなど、問題も少なくないですが、ほんとに代替するような新(真の)通貨になりうるかというと、心許ないですね。

 

キャッシュレスの取引がわが国ではまだまだの感がありますが、わたしなんかはできるだけ現金を持ち歩きたくない生き方をしたい一人ですので、なんとかならんかと思っています。コンビニなどいくつかの類型の店舗でさまざまなカードが利用できるようになり、少し便利になりましたね。でも利用できる範囲がきわめて限られていますね。仮想通貨の一部も利用できる店舗があるそうですが、現在の投機的取引が行われている現状や今回のコインチェックのような安全確保が担保されていない状況では、そのような現金代替機能を持たせることにはまだまだ道通しというところでしょうか。

 

社説を読み解く仮想通貨「NEM」流出問題 問われる「通貨とは何か」>でも、<毎日は2月25日の社説で「本質論抜きの規制は誤る」との見出しで、なぜ未熟な業者が業界の主力にまでのし上がったかという背景と、仮想通貨そのものの議論が必要だと主張した。

 「通貨とは何か」まで踏み込んで議論しなければ問題の本質は見えない、と考えたのである。>という指摘は正鵠を射ていると思うのです。

 

本質的な議論なく、仮想通貨を野放しにした政府の姿勢が問題ではないかとも指摘しています。

<社説では規制が不十分だった背景として、政府が市場育成を急いでいた事情を挙げた。各国は現在、フィンテックと呼ばれる金融技術などをさかんに導入しているが、日本はキャッシュレス化や電子商取引で立ち遅れているためだ。>

 

これは本末転倒の対応であったと非難されても仕方がないと思うのです。それはいま日本経済全体にかかっている黒い霧のように思うのは私一人ではないと思うのです。

 

不正というキーワードがここ数年、話題にならなかったことがないほど、どの業界でも指摘されています。商工中金の不正はいったい全体なんでしょう。鉄鋼メーカー、自動車メーカーなどの検査不正も、企業全体の体質が染まっているとしかいいようがないですね。東芝をはじめ一流企業といわれたところの不正がはびこっているのですから、驚くほかありません。

 

アベノミクスは、日本経済を成長させようと、数字を追ってきました。なにか数字だけ一人歩きしてきたように思ってしまいます。そこに人がいて、その人の健康、肉体的にも精神的にも健康であったか、将来もありうるかは、どうも軽視あるいは無視されてきたように思うのです。

 

官僚の不正は森友・加計問題だけではないですね。忖度なることばが誰もが上を見るようにしか考えなくなってしまったかのような錯覚に陥るほど、いくつもの事件で露見してきました。

 

今回の貧弱な安全対策しか講じられていない仮想通貨を急激に普及させた一因は、このようなアベノミクスを信奉する、あるいはそれにおべっかする、そういう体質が、政治・官僚・企業に充満していないか不安になります。

 

G20共同声明 反保護主義進展なし 仮想通貨規制は一致>ではようやく国際的な協調のもと、仮想通貨に対して共通規制体制を議論する一歩を踏み出した様子が報じられています。

 

そして共同声明では

<G20では、仮想通貨が初めて議題となった。国家が流通させる通常の通貨とは、制度や使われ方が大きく異なるため、共同声明で「通貨の主要な特性を欠いている」と明確に区別し、暗号技術が使われる一種の資産とみなし「暗号資産」と位置づけた。

 暗号資産は匿名性が高いためマネーロンダリング(資金洗浄)やテロ資金集めに使われる恐れがあると提起。悪用防止の規制整備を急ぐほか、消費者保護をめぐる規制も対応を進める。また、金融機関などでも使用が広がれば、価格急落が金融危機につながる恐れもある。国際的にリスクの監視を行い、将来的に特別な規制が必要かどうかも検討する方針で一致した。>とのことです。

 

本日はこれにておしまい。また明日。